VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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     近くの道端にいたハクセキレイ

ハクセキレイ 公園

先日銀行に用事があって提携の駐車場にパークしたときのこと。

 

街中にある機械式の駐車場、係の方がパネルを操作して扉を上下するものですが、そ
の係の方の横に見習いと思しき方が指導を受けていました。


そのベテランの方も
70代前半という感じでしたが、見習いの新人の方はもっと高齢、
杖をつかれていました。

 

何度も何度も質問しては覚えようとしている姿を見ていると切なくなりました。

 

生涯現役を生きる支えとして体が動くかぎり働きたいという人は多いと思いますが、
生活のためにどうしても働かなければならない高齢者も多いと聞きます。

 


夫は中学校の卒業文集に将来の夢として「隠居になること」と書いて
先生や父兄、仲間たちのもの笑いの種になったという体たらくの輩。

 

夫にあの涙ぐましい姿を見せたかった!

 

そんなことを思いながら街中を見回すと、あちらにもこちらにも働く高齢者の姿が・・・。

 

身近なところではマンションの管理人の方もかなりの高齢者。

 

常勤で11階建てのマンション内を隈なく巡回して清掃してくださっています。

 

通路側に置いている我が家のエアコン室外機も毎日きれいに拭いてくださるという丁寧ぶり。

 

車で走っていてよく目にするのは交通誘導員。

 

たいてい工事中のため通行止めのところに立ち迂回路への誘導などに頭を下げ続けたり、
複雑な交差点の真ん中で渋滞にならないよう誘導されています。

 

ヘルメットから真っ白な髪が出ていて腰が曲がった人も・・・
雨の日や真夏、真冬などの苛酷な条件の中で立ちっぱなしでの仕事ぶりに、
車に乗っていてラクしてごめんなさいと思ってしまう。

 

人はいろんな事情を抱えながら精一杯生きているんだなぁ。

 

こんなときわたしはなんと甘えた傲慢な人生を送っていることかと思ってしまう。

 

 

 前置きが長くなりましたが、今回はそんな高齢の交通誘導員のドキュメンタリーです。

 

交通誘導員ヨレヨレ日記 柏
柏耕一氏著『
交通誘導員ヨレヨレ日記 

「誰でもなれる」「最底辺の職業」と警備員自身が自嘲する交通誘導員の実態を、悲哀と笑いで描き出すドキュメント、警備員の生活と意見(「BOOK」データベースより)

著者について
1946年生まれ
出版社勤務後、編集プロダクションを設立
出版編集・ライター業に従事していたが、ワケあって数年前から某警備会社に勤務
73歳を迎える現在も交通誘導員として日々現場に立ちながら、本書のベストセラー化により、警備員卒業の日を夢見ている

図書館で手に取った時、タイトルや表紙を通してもっとコミカルな内容を期待していましたが、仕事現場の厳しい現実を羅列した真面目なお仕事本でした。

これから交通誘導員になろうという人が手に取れば出鼻を挫かれること必須の内容。

一日中立ちっぱなし、トイレにも行けずおまけに低賃金、工事関係者や運転者からは
苦情をいわれることはあっても褒められることはない・・・「最底辺の職業」という。

加えて知性も良識も意欲もない同僚たち。

「当年72歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます」という
軽めのキャッチフレーズに似合わないはみ出しのない文章。

元編集者でありライターでもあったという経験ならこの得難い経験を
もっと軽妙におもしろおかしく描くことだってできただろうに。

きっと根は真面目な人なんだなぁ。

本書がベストセラーになったあかつきにはこの仕事を卒業することを夢みているそう
でしたが、無事に抜け出せていたらいいな~。

毎週土曜日、楽しみにしている新聞掲載の小池真理子氏のエッセイ。


藤田
宜永氏が亡くなられてからスタートしたこのエッセイも32回目。

あっという間に季節も一巡、積もった雪が甘いパウダーシュガーをまぶした
巨大なケーキのよう、と表現されている軽井沢の森に独りぽつんと
いらっしゃる姿を思い浮かべると胸を衝きます。

特にわたしの心に響いた今回のエッセイ。

年齢も環境も大きな違いがあるのにあまりにも自分自身の幼いころからの
生き方をなぞっているようで驚いてしまいました。

私は悲観的な子どもだった。

ものごとに感じやすく、身体が虚弱だったせいもある。

できるだけ冷静に最悪の事態を想定しておけば、万一の場合でも傷を最小限に抑えることができる。

やっぱりね、と思えるか、ただ驚いて絶望して慌てふためくか、
そのどちらに転ぶかで、後の人生は大きく変わる。

そういうことを幼いなりに感じとり、生きていくための指針にしていた。

ある種の自己防衛だったと思う。

思い返せば自分も幼い頃より今に至るまで同じような傾向をスタンスに生きてきた・・・

最悪の事態を想定しておくということでこれから起こるかもしれない

最悪なことに対する慣らし保険を掛けてゆくような。

 

「いま」「ここ」を大切に生きる・・・
理性ではいつも自分自身に言い聞かせながら、
つい生来の性格が頭をもたげてしまう・・・という繰り返し。

 

小池氏のエッセイには続きがあります。

 

ご夫君がいきなり肺がんの末期と宣告されたとき、

その自己防衛が生かされたといいます。

 

ほうらね、やっぱり、なるようになっちゃったね、仕方ないね、という感覚。

 

それは、不思議なことに、ぎりぎりのところで私たちを救った・・・

 

それでも必死になって祈った。

 

祈りは必ず天に届く、と素直に信じることができない天の邪鬼な私も、

祈ることをやめられなかった。

 

烈しく悲観しながらも、あるかなきかの希望にとりすがった・・・

 

平凡を絵に描いたようなと人には思われるかもしれない自分の人生でも

過去に2度真剣に祈ったことがあります。

 

そこまで真剣でなくても祈るという行為はわたしの日常に

密かに根づいています・・・

それは感謝の報告だったり、揺れるこころを鎮める

メディケーション的なものだったり。

 

つい最近も親友のガンの細胞診が出るまでの数日間、気がつけば祈っていた・・・。


うす
闇にクリスマスローズがうなだれてミレーの描きし農夫の祈り

  

無宗教のわたしは全能といわれる神の存在をこれっぽっちも信じていないのに

祈るという行為をしている自分がとても恥知らずのような、、

そんな感覚を覚えながら・・・。

 

頭の片隅では祈りが受け入れられることはないとわかっているのに。

 

小池氏のこのエッセイを読みながら、祈るという行為への対象は神のみにあらず、
その人のこころにあるのだ、ということを思ったのでした。

 

 


マジカルグラン間
柚木麻子氏著『マジカルグランマ』
 

 
女優になったが結婚してすぐに引退し、主婦となった正子。
夫とは同じ敷地内の別々の場所で暮らし、もう4年ほど口を利いていない。
ところが、75歳を目前に再デビューを果たし、「日本のおばあちゃんの顔」となる。
しかし、夫の突然の死によって仮面夫婦であることが世間にバレ、一気に国民は正子に背を向ける。
さらに夫には2000万の借金があり、家を売ろうにも解体には1000万の費用がかかると判明、様々な事情を抱えた仲間と共に、メルカリで家の不用品を売り、自宅をお化け屋敷のテーマパークにすることを考えつくが―。
「理想のおばあちゃん」から脱皮した、したたかに生きる正子の姿を痛快に描き切る極上エンターテインメント!(「BOOK」データベースより)

若い頃は売れない端役だった75歳の正子。

見染められて結婚した映画監督の夫とは紆余曲折を経て敷地内別居

長く会話もないお金もない生活を送っていた正子が尊敬する先輩の大女優の忠告を受け入れて、
脇役専門の事務所のオーディションを受け勝ち取った「ちえこばあちゃん」として再デビュー

またたく間にお茶の間の人気者となった直後、敷地内別居の夫の孤独死によって
世間から大バッシングを受け、あっという間に後ろ指を指される存在になった正子。

しかしそこからが強靭なシニアの底力を発揮してなりふり構わぬ貪欲ぶりで
周囲を巻き込んで前進していきます。

タイトルの「マジカルグランマ」の「マジカル」って??

わたしの知っているmagicalは「魔術のような」とか「不思議な」という意味だと思っていましたが・・・

「風と共に去りぬ」で問題視されていた「マジカルニグロ」からのものだという。


白人の主人公を助けるためだけに登場する黒人のキャラクター
である「マジカル二グロ」

黒人の存在価値というものをこのように表していた時代の古い固定観念。

わたしたちの中にもさまざまな固定観念があって、時代が流れてもなかなか消しようがない・・・
先日から俎上に挙げられている森喜朗氏の失言問題の裏にある女性への偏見もそのひとつ。

その偏見のやっかいなのはそれが男性だけでなく女性の中にもあるということ。

ここに出てくる「おばあちゃん」というのもそのひとつ。

多くの人々の中にはステレオタイプのシニア像というものがあって、
それからはみだすシニアは認めないばかりか攻撃してしまう。

主人公の正子も物語がスタートしたときは「古き良き日本の女性」というステレオタイプ
そのものだったのに、ストーリーが進むにつれてどんどん脱皮して
自己ファーストというスタンスで突き進む姿に思わず拍手してしまう。

けっして友人に持ちたいとは思わないし、自分ではなれるとは思わないけれど、
痛快な生き方はかなり勇ましくも清々しくて羨ましいとさえ思えました。

 

いい方のなぎさ

短歌をしていると、歌の種を見つけるのに四苦八苦することがよくあります。


短歌をされているみなさんどのようにされているのでしょうか。

 

散歩や旅に出て情景を詠んでみたり・・・

 

他の歌から刺激をうけたり・・・

 

わたしはテレビや新聞などの報道を通して感じる怒りとか失望を

歌に託すということがいちばん自然に詠めるかな、と思います。

 

短歌関係のことを調べるのにネットサーフィンをしていて、

ときどき無性に読んでみたいと思う歌集に巡り合うことがありますが、

買おうにもとにかく歌集と名のつくものの値段の高さに手が出しにくい!

 

世間的にも有名な歌人の歌集でないかぎり図書館にもないし、、、

 

ということで格安サイトなどを検索して、なければしばらく時間を置いて、

それでも覚えていてほしいと思えたら買おうと決めています。

 

そんなこんなで最近手に入って嬉しかった歌集。

 

某サイトで500円で買うことができたのはラッキーでした。

 



汀の時
窪田政男氏著『汀の時』
 

 

ひたすらに泣きたくなるの透きとおるエレベーターで昇りゆくとき 

やはり、この歌が気になる。

その「場所」、この歌の主人公である「私」の「立位置」など、すべてが読者の任意となる。

多様な私が紡ぐ、ダイアローグの可能性を思う。

とまれ、ひとりへの記憶の断片を拾い上げるように、ゆっくりと、しかし実に精緻に物語は進行してゆく・・・(福島泰樹)より

 

想像していたとおりの透明感のある歌の数々。

 

ゆくだろう人恋うことも捨つるのもかなわぬ夜が寄せるみぎわへ

 

この一首から採ったと思われるタイトルの『汀の時』


陸と水
の境界である汀


〈生と死〉という対極を意味するものの唯一の接点としての汀。


此岸と彼岸〉〈現世と来世〉と言い換えてもいいかもしれません。


岡部隆志氏の解説によると、
若い頃の過度の飲酒癖からアルコール依存症へと移行、
49歳頃から治療を始め、以後現在に至るまで一滴の酒も口にしていないという。


短歌を始めたのは治療の途上にあった
51歳のとき。


偶然手に取った
福島泰樹氏の歌集風に献ずに天啓を受けたのがきっかけという。


季節に沿って逆編年体で構成された作品群です。


アルコール依存、骨髄増殖性潰瘍と不治の病を二ついただく


利き腕も左の腕もさしだして神のよだれのごとき点滴


終活のひとつにせんと
S席のキース・ジャレットをいちまい求む


呻きながらピアノを弾くことで有名なキース・ジャレットという
選択も著者らしいといえば著者らしい気がする歌、ややマッチしすぎ感あり。


これらを読むと『汀の時』というタイトルが著者の人生の立ち位置を表す語として
明確な意思を以って付けられていることがよくわかります。


漠然とした死の予感などを詠んだ歌は数々見られるし、わたし自身も作りますが、
すぐそこに迫っているような感覚の歌に対峙したとき、
言葉を失ってしまうという感覚を久々に味わった歌集。


この歌集を読んでいて、米本浩二氏による石牟礼道子氏の評伝『渚に立つひと』を思い出しました。


窪田氏も石牟礼氏と同じようにこの世とあの世のあわいで
ぎりぎりの命を見つめそしてたまゆらの生を確認しながら詠っている魂の歌。

目を曳いた歌をランダムに抽出してみます。


シュメールの忘れ去られた猫のよう青い眼の咲く日暮れがくるの

 

ひたすらに泣きたくなるの透きとおるエレベーターで昇りゆくとき


そう、たとえば机のうえのノートにもはにかむような血の痕がある

その日には足すもののなし石蕗の黄の花びらの欠けてあれども

舌を垂れ涎を垂れて犬のごと上目遣いのいち日のあり

もう一度ひるがえる旗たれのため死ねと言うのか誇りにまみれ

いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの以外のことなど


西日入るキッッチンにごろんとわたくしの半生がうち捨てられてある


一人称だけでも〈
ぼく〉〈わたし〉〈わたくし〉〈おれ〉で語られているそれぞれ。


ときおり女言葉になっている意図を問うてみたい気がします。


ああ五月きみシシュポスの風の吹くたれのためにぞ揺れる雛罌粟

 

これからは腹話術の時代がくるよわたしでもないあなたでもない

臆病なおとこでいたし八月の空より青く迫りくるもの

ひと雨に花となりゆく六月の杳き眼をしたぼくのそれから


御堂筋われらが夜の反戦歌スワロフスキーの沈黙を過ぐ


検索していて著者のものと思われるブログを発見、隅のプロフィール欄に
九条の会と記されていたのでこの歌も印象深くピックアップしてみました。


短歌
うたう心さがせば開かれたハンマースホイの扉の向こう


ハマスホイの描く扉の向こうから差しくるひかり。


ひかりの道すじには何があるのだろう、
決して希望とはいえないような諦念のようなものかもしれない・・・


木をはなれ地につくまでの数秒の祈りの坂をぼくは下りぬ


あの角を曲がればいいのね残り香に切なく日々が終わるとしても


いつの日か黒い小舟に乗せられて渡る河見ゆ胸に花束

 

これらは常々わたし自身が詠んでみたいと思いながら手が届かないテーマの歌ばかり。


同じように宿痾を抱えておられた故小中英之氏の歌を思わせる雰囲気。


どれも将来必ず来るだろう死というものを根幹のテーマにさまざまな表現で肉付けしている

・・・だからこそ深く心を打つ一連となっています。


木漏れ日はやさしかりけり来し方を問わずに遊ぶ手のひらの上を


見おさめともう見おさめと過ぎる日の退屈きわまりなき愛しさ


わたしも退屈きわまりない日々の愛しさを実感しています。

ろうばい 花びら

冬枯れの樹々のあはひにほのひかるはちみつ色の素心蝋梅




 

森喜朗氏の言動がメディアに取り上げられてざわざわしています。

 

政治家などの方々は叩かれてはじめて反響の大きさにたじろぎ、なんとかおさめようと
慌てて発言を撤回するということを繰り返しています。

本心はまったく反省していないのにとりあえず謝る・・・恥ずかしくないのか?

 

今回は女性蔑視ともとれる失言にポイントが置かれていますが、麻生氏と同じく
「サメの脳みそ」と陰で言われているように考えの浅さや自己評価の高さが
露呈するようなこんな失言の繰り返し・・・。

 

政界に太いパイプを持つといわれている氏の首に鈴をつける勇気ある人はいないのが
今の政権の中枢の貧しさを物語っているような。

 

森氏を見ているとつくづく引き際って難しいと思う。

 

人は耳にいい言葉しか選んで取り入れない・・・これは誰しも。

 

自分の生きるスタンスに不利だったり不快だったりする言葉は排除したい・・・
それが許される世界に安住していてだんだん厚顔となる・・・

 

わたし自身は厚顔無恥な人や人を見下す人、自分を守るために人を貶める人、
そして理不尽なさまざまなことにとても不快感がありますが、
これももしかしたら自分の中にそういった芽があるからかもしれない・・・

 

相手は自分の合わせ鏡である

 

そんなことを思うと凡人のわたしはこれまで以上に自分をふりかえりふりかえり
自省しなければと思ってしまうのです。

 

 

 

 

犬のおきて
佐々木譲氏著『犬の掟』
 

 

急行する捜査車両、轟く銃声。過去の事件が次々と連鎖し、驚愕のクライマックスへ!
比類なき疾走感で描く緊迫の40時間。
衝撃の警察小説(「BOOK」データベースより)

 



代表作『警官の血』、また北海道を舞台の道警シリーズのファンとして読み継いできた著者の警察小説。

 

2015年の作、文庫化の際『警官の掟』と改題されているようです。

 

主人公は波多野涼と松本章吾という2人の警官。

 

ともに34歳の同期。

 

事件の発端は暴力団幹部殺害事件。

 

この2人がそれぞれ所属する所轄と捜査一課で上司とコンビを組みながら事件を洗っていきます。

 

このコンビの視点が交互に入れ替わるという構成。

 

事件解決までのわずか3日間の出来事がぎっしり詰め込まれていて、
この入れ替わり設定がやや窮屈で他作品に比べて読み辛く感じたのに加えて
真犯人に辿りついた道のりが唐突で納得感がなく終わってしまいました。

 

犯人を追い詰めるまでの緊迫感はあったものの、肝心の犯人の動機になるほど
という共感がなく終わってしまった佐々木作品には珍しいものでした。

冬枯れの桜

川土手の冬枯れの道さくらみち眠る花芽を風が撫でゆく


はや2月、如月。

 

もうすぐ春が始まるという〈立春〉や水がぬるみ草木の芽が出始めるとされる〈雨水〉が
暦に並んでいて気持ちが少し前向きになれそうな予感のする月。

 

しかしテレビをつければ新型コロナのことばかり。

 

それでも少し進んだといえるのは新型コロナ対応のワクチンの話題で盛り上がっていること。

 

インフルエンザのような特効薬も見つからない今、やっと一筋の希望の光が見えてきたような・・・

 

先の見えないいらだちにうつ状態になっている人もいると聞きます。

 

先日は罹患が原因での自殺者まで。

 

絶望は死に至る病である

 

キェルケゴールの有名な言葉にあるように、絶望を避けるためにわたしたちは
暗闇の中でも本能的に一条の光を手探りして救いを求める・・・

 

宗教であったり、人であったり、薬であったり・・・

 

このコロナ禍でワクチンは一条の光。

 

3社のワクチンが承認されているようですが、今日本で話題にしているのは
アメリカのファイザー社のもの。

 

副反応や効果のほどがまだまだ未知数のようでわたしたちのように
接種にためらいがある人も多いと思いますが、どうやら順番でいくと
3月~4月あたりに選択を迫られるような・・・

 

現在進められている日本製のワクチンの完成を待ちたいとも思ったりしていますが、
その期間のことを思うとどうしていいか、正直ちょっと揺れます。

 

 

さて本日は7回山田風太郎賞受賞作品、映画化もして話題を呼んだ作品です。

 

 

罪の声

塩田武士氏著『罪の声』
 

京都でテーラーを営む曽根俊也。
自宅で見つけた古いカセットテープを再生すると幼いころの自分の声が。
それは日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声とまったく同じものだった。
一方、大日新聞の記者、阿久津英士もこの未解決事件を追い始め―。

圧倒的リアリティで衝撃の「真実」を捉えた傑作(「BOOK」データベースより) 

 

著者について

1979年兵庫県生まれ
関西学院大学卒業後、神戸新聞社に勤務
2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞将棋ペンクラブ大賞受賞
2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞受賞「週刊文春ミステリーベスト10」第1位14回本屋大賞第3位
2019年『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞受賞


今から
36年前の1984年~1885年にかけて阪神間を舞台に食品会社を標的とした
グリコ・森永事件を題材とした作品。


「かい人
21面相」とか「キツネ目の男」、子どもの声を使った脅迫テープとかの
事件の切れ端を覚えていらっしゃる方も多いと思います。


結局時効が成立して完全犯罪となったこの未解決事件。


劇場型といわれた代表格の事件でした。

本書は上記の事件をモチーフとして虚実取り混ぜて物語化したもの。

企業への脅迫テープに自分の子ども時代の声が使われていたことを偶然知った俊也と、
あるきっかけからこの時効が過ぎた未解決事件を追うことになった大日新聞の記者・阿久津。

この2人を主人公にお互いを交差させながら物語が進んでいきます。

著者は丹念に調べた実際のグリコ・森永事件の詳細を縦糸に、
フィクション上の主人公たちの動きや心情を横糸にして
リアリティあるフィクションという壮大な物語を構築しています。

さすが元新聞記者ならではの綿密な取材の上に築いた物語。

読み進むうち、この物語こそが真実ではないか、という錯覚に陥ってしまうほど。

 

フィクションとノンフィクションの壁を乗り越えたような作品。


主人公
2人の交差部分の切り替えが少し読みづらかったり、
真実味を持たせようとするあまりの余剰の多い文が少し目に余るところはありますが、
それらを超える構成力に圧倒されて読了。

 

この実話と作話の狭間の帳尻をどのようにつけるのか・・・
というわたしの独断的な興味も最後まで失わせることなく
ラストを迎えたのには感服しました。

 

しかもラストに感動を用意しているところ・・・圧倒的力作でした。

 

エンタメとしておススメです!!

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