VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2006年09月

「九条の会」の呼びかけ人の1人でもある直木賞作家井上ひさし氏が「子どもにつたえる日本国憲法」という本を出版されました。 

夢を誘うようなやわらかいタッチのいわさきちひろさんの絵を背景に、子どもたちにわかりやすい言葉で護憲を伝えようとする努力がなされています。   

井上氏が9年もの構想の期間をかけて、どのようにしたら平和憲法の精神を次世代の子どもたちに理解してもらうことができるか、ということに重点を置いて言葉を紡いだ本です。

作業中日本語の壁に何度も突き当たり、一時はやめようと思ったこともあったようです。

インタビューに答えて氏は「例えば“権利”という言葉はこれ以上優しい日本語にはならないんです。“権利”は英語の“right”の訳語ですが、もともと日本には“right”に当たる言葉がなかったんですね。・・・ “権利”という言葉は西周という人が当てはめたんですが、元は仏教用語で、マイナスのイメージがある言葉。ひっくり返すと“利権”になりますよね。本来は、“権利を主張する”というと、“利権を主張する”というような意味になるんです。そういった言葉をすべて書き直すとなると、僕たちで新しい言葉を考えないといけない。それで、考えて出しては駄目、出しては駄目とやっているうち、類書がいろいろと出てきたので、一度はもうやめましょうと言ったんです」と言葉選びの苦労を語っておられます。

こうして出来あがった本はちひろさんの優しさの中に力強さのある絵とともに、大人でも手に取りたくなるような本に仕上がっています。

前半は平和の大切さを中心に憲法を子ども向けに表現した「憲法のこころ」、後半は井上氏が小学生たちに直接話して聞かせた内容を再録した「憲法って、つまりこういうこと」の2部構成になっています。

憲法という狭義な枠を超えて、子どもたちがこれから生きていく上で相手を思いやる心、言葉で歩み寄る大切さなどを読み取る指針の書となるのではないでしょうか。


「憲法九条」に関連して、8月に出版された対談形式のおもしろい本も合わせてご紹介したいと思います。

爆笑問題の太田光氏と、ニューアカデミズムの旗手といわれている中沢新一氏の異色の対談を本にした「憲法九条を世界遺産に」です。

  �@宮沢賢治と日本国憲法―その矛盾をはらんだ平和思想
  �A奇蹟の日本国憲法―日米合作の背後に息づく平和思想
  �B戦争を発動させないための文化―お笑いは世界を救えるか
  �C憲法九条を世界遺産に―九条は平和学の最高のパラノイアだ
                   という構成で、それぞれが自由奔放に語っておられます。

 
秋の夜長、平和のありがたさをかみしめてみるのもいいのではないでしょうか。

ご主人を亡くされた友人に頼まれて般若心教の写経をしました。

納骨の際、故人に近しい方々が心を込めて写したものをお骨と共にお墓に納めて故人の冥福を祈る、という慣わしがあるそうです。


観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄舎利子 色不異空 空不異色  色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相  不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無限界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜多故 心無�@礙 無�@礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶 般若心経


私には初めての経験でしたが

�@.手を洗い、口をすすいで身を清める。

�A.香をたき、室内を清める。

�B.墨をすり、心をしずめる。

�C.合掌礼拝

�D 浄写(無我の境地に入り、至心に写経する)

以上が望ましい、ということでした。 

�@�C�Dは実行したつもりです。 



上述の文との落差があまりに激しく、戸惑う方もいらっしゃるかもしれませんが、どうかお許しを!  

浅田次郎氏「極道放浪記-殺られてたまるか」です(――;)     
 

週刊誌に掲載された自伝的エッセイがあまりにおもしろく、まとめて本にしたものが「極道放浪記1-殺られてたまるか」と「極道放浪記2-相棒への鎮魂歌」です。


浅田次郎氏といえば、「鉄道員」や「日輪の遺産」などで読者の涙を誘った感動的な作品で知られる堂々直木賞作家ですが、若い頃自衛隊に入隊したり、裏の世界に精通したりの類まれな経歴の持ち主であることは有名です。


暴力団員ではなかったものの、準構成員だった時期もあり、「ねずみ講」に手を染め、「整理屋」として裏街道を闊歩した20代があったそうです。


副題からして逃げ腰になる「極道放浪記-殺られてたまるか」は実体験に基づいて描かれていますが、これが氏の事実上のデビュー作になります。


金のゆすり方、巻き上げ方、地上げ作戦、飲み屋の回収法など、世間知らずの主婦である私には奇想天外なことばかりですが、あまりのおもしろさにあっという間に一気読みしてしまいました。
 

極道不義理不人情の世界をここまで面白く描いた作家が、「ラブレター」のような涙なしでは読めないような恋文が描けるなんて、想像を絶する実力のすごい作家です。

友人宅でドライカレーをご馳走になりました。
私も彼女に習い、何度か作り好評でした。
とてもおいしいので、レシピをご紹介しますね。

材料:合びきミンチ、タマネギ、ニンジン、トマトホール缶
    ショウガ、ニンニク、固形スープ、カレー粉、ケチャップ、塩、コショウ、
    ウスターソース    
                          分量はご家族に合わせ適当に♪

作り方:�@みじん切りしたショウガ、ニンニクをオリーブオイルで炒める。
    �Aその上にみじん切りのタマネギを入れ、色がつく程度に炒める。
    �B次にミンチを入れ炒め、すりおろしニンジンを入れ混ぜる。
    �C荒くざく切りにしたトマトホール缶を汁ごと一缶入れ、固形スープ、
     カレー粉、ケチャップ、塩、コショウ、ウスターソースを入れながら味を整え、
     弱火で10分くらい煮込む。 
     汁気がなくなる前のしっとりした状態で火を止める。
     
玄米ごはんととっても合うので一度やってみてください。

今回は30年前「子供たちはどこにいる」で鮮烈な全米デビューをしたメアリ・H・クラークの最新作をご紹介しましょう。

著者クラークは70歳を過ぎた現在も精力的に次々と作品を発表して、次作を待ち望んでいるファンの期待に応えてくれています。

私生活では5人の子供をもうけたあと夫と死別、再婚した現在の夫の4人の子供とも幸せな家庭を築いています。

娘のひとりであるキャロル・H・クラークも作家としてデビュー、母メアリとの共著もあります。

クラークといえば、一冊書き終えたあとの周りの人々への感謝の謝辞がとてもすばらしく、読むたびに氏の人間味に触れる思いがします。

本著は、さまざまな分野で功あり名を遂げた卒業生を表彰するというハイスクールからの同窓会通知を受けて、集まったかつてのクラスメートたちに襲いかかる姿なき殺人者への恐怖が歯切れのいいテンポで展開していきます。

主人公は歴史学教授でベストセラー作家でもあるジーン・シェリダン、ここでもクラークの知的上流階級嗜好が顕著に表れていて、反発を覚えながらもぐんぐん惹き込まれてしまう、というストーリーテラーとしての実力にはいつもながら脱帽ですm(__)m

姿なき犯人に対して、かつての仲間同士の疑心暗鬼な心理状態が巧みに描かれていてハラハラドキドキの連続ですが、最後には必ずラブロマンスの成就が用意されていて、ハッピーエンドに終わります。

パターン化したテクニックはわかっていながら、秋の夜長つい引き込まれてしまう魔力のあるミステリーです。

セ・リーグの首位争いがちょっとおもしろくなりそうです

我が家の夫は大の阪神ファン、父親が阪神ファンだったため、兄弟全員がそれを受け継いだようです。

一方私の亡き父も阪神ファンという家庭を受け継いで、子どもたち全員見事に虎大好き!

中でも長男のタイガーズ狂ぶりはすさまじく、負け試合になるとまさにTVを壊さんばかり(-_-;)の虎キチ!

現在首位中日を追うこと3ゲーム差の第二位、残り試合数は少ないものの、可能性が出てきた現在はやはり燃え上がりますね!   

今日からの甲子園広島3連戦に期待します♪



今回は、最近にわかに脚光を浴びている白洲次郎氏「プリンシプルのない日本」をご紹介しましょう。


白洲氏自身は文筆というものを重んじていなかったせいか、まとまった著書はありませんが、氏についての評伝にはこの本以外に青柳恵介氏の「風の男 白洲次郎」などがあります。


最初は有名な文筆家白州正子氏の夫ということでクローズアップされたようですが、その人となりを知れば知るほど私を含め氏の魅力に引き込まれた人は多いでしょう。


兵庫の富裕家に生まれ、神戸一中卒業後、1919年イギリスに渡り、ケンブリッジ大学で歴史を学び、実家の倒産と同時に帰国、伯爵家の令嬢正子氏と結婚後、吉田茂氏との知己を得、戦時中吉田茂氏の懐刀として日本国憲法誕生の現場に立会い、占領軍司令部相手に「戦争に負けはしたが、奴隷になったわけではない。言うべきことは言わなければならない」と公言憚らず堂々と渡り合い、日本経済の根本的な見直しに奔走したり、1951年のサンフランシスコ講和条約終結の「全権団」に入ったり、と動乱期の日本で常に日本と外国の間に立ち直言した男でした。


本書は氏が東北電力の会長職にあった頃、請われて文芸春秋に投稿したものを今年に入ってメディア総合研究所がまとめたものです。


題名の「プリンシプル」を日本語に訳すと「本質、原則、主義」ですが、このプリンシプルを基準に物事を考えるという気質が日本人には欠けている、と氏は指摘します。


真の国際人として諸外国と付き合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることが絶対不可欠である、と説きます。


これらの文章を読むと、怖いもの知らずの天衣無縫の気概、物事の筋を見事に通し、プリンシプルに裏打ちされた自説を公言してはばからない強さを持った男の熱意が伝わってきます。


同時に母親の死に際して書いていた一文は人間的な優しさにあふれていてとて魅力的です。


今世間では白洲次郎ブームが訪れているようですが、なぜ現在白洲次郎なのか、という問いに対する答えは本書を読めば納得できるのではないでしょうか。


1950年代に書かれたこれらの論文は、現在の日本に当てはめてみても古めかしい要素は微塵もなく、納得できる説得力を持って生き生きと輝いています。

文芸春秋に元京大総長で臨時教育審議会会長をされていた岡本道雄氏が投稿されていた小さな記事が目に止まりました。

現在93歳になられる氏ですが、「真の教育とは何か」という問いに対する答えとして、「人間は広い自由な心を持った共生を軸とする生命体である」と人間を定義した上で、この人間をつくることが教育である、と書いておられます。

「共生とは愛の心であり、人間は人間を浴びて人間になる。 愛は愛を呼び、感謝は感謝を呼ぶ」 
この氏の素朴な言葉を反省を込めてしっかり受け止めたいと思います。

さて、このところシリアスな本ばかりでしたので、今日は趣向を変えて豊かな人生のうんちくを備えたエンターテインメント満載の本をご紹介したいと思います。

関西を代表するわれらが田辺聖子氏の☆☆「姥シリーズ」4巻☆☆をまとめてお届けします
小説新潮の連載が好評で第一弾「姥ざかり」を刊行したのが昭和56年、以後「姥ときめき」「姥うかれ」と続けて、平成8年刊行「姥勝手」が最終巻となりました。

スタート時に76歳だった歌子さんは最終巻で80歳、まだまだ美しく、逞しく、人生を謳歌されていて、ここまで来れば是非とも歌子さんの最期を見届けるまで筆を擱かないでほしいと願った読者は私だけではなかったのではないでしょうか。

田辺氏がシリーズをスタートした当時はまだ熟年女性パワーは弱く、歌子さんのようなパワフルな老婦人は珍しいとされていたようですが、時は流れ平成に入ると、歌子さん並の力強い生き方をされている老婦人も多くなった、と田辺氏は書いておられます。

大阪船場で服地問屋「山勝」のご寮人さんとして頼りない夫と共に働き、足手まといの夫亡き後、これまた頼りない長男を支えて何とか会社を持ちこたえてきたという揺るぎない矜持と自信を胸のうちにたたみ込み、浮世の義理からすっぱり足を洗ったシルバーレディー歌子さんの心ニクイばかりの老いの楽しみ!

古い歴史の西宮の邸宅を不本意な長男夫婦に譲り、自ら選んだ東神戸の高層マンションでの優雅な独り暮らしの中で、しなだれかかってくる息子たちを一刀両断で切り倒し、趣味にデートにと大人の楽しみをじっくり味わっているのです。

― 私は、ほんのちょっぴりのものを、美しい食器で食べるのがいい。
  うすくて透けるような、繊細な清水焼の、清らかなもの。そのお茶碗に、ひとくちの
  ご飯。 五勺の日本酒に、ヒラメのエンガワなんかのお刺身。 灰若布を水にもど し、さっと、しらす干しなんかと二杯酢で和えたもの。 冬なら、かぶら蒸しとか、そう 
  いうもので、五勺の日本酒をゆっくりたのしむ。
  ときどき、ベランダの鉢から、花のつぼみをとって来て、箸枕にしたり、菊の花を 摘んでおひたしにしてみたり。
  
  ブタ小屋で喧騒のうちに、肉やじゃが芋のごった煮なんぞ食べさせられるほどの 悪いことは、まだしておりませんのだ。 すんませんなあ。―

これは好意ある人が「お独り暮らしでのお食事はさぞお寂しいでしょう」と夕食に誘ってくれたときの独白。 なんと痛快な生き方! 潤沢な貯えと安定した健康を土台にこのような暮らしができたら何てすばらしいかしら、とためいきが出ることしきり。。。

年を重ねて、精神的にも肉体的にも人とほどよい距離を保つことができるこんな生活は私の理想でもありますが、現実は???

身のまわりにいくつもの「秋」を感じる季節になりました。

秋を詠った古今東西の詩歌をいくつか思い出しました。


以前百人一首に秋を詠んだ歌がいくつあるか数えたことがあります。
確か10首以上あったように記憶しています。


「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」(天智天皇)

「おく山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きくときぞ 秋は悲しき」(猿丸太夫)

「月みれは千々にものこそかなしけれ我身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里)


フランスの詩人ベルレーヌの「秋の歌」は上田敏氏の訳で有名になりましたね。

秋の日の ヴィオロンの
ためいきの 身にしみて
ひたぶるに うら悲し。

鐘のおとに 胸ふたぎ
色かえて 涙ぐむ
過ぎし日の おもひでや。

げにわれは うらぶれて
ここかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな。



最後に若山牧水の「白玉の 歯に染みとおる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」、

秋の夜の情景が目に浮かぶようで私の好きな歌のひとつです。



さて今回は宮本輝氏「錦繍」です。    

                 
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」 

このような書き出しで始まる「錦繍」は恋愛小説珠玉の一遍として多くの人々、特に若い人々に感動を与えてくれました。


ある事件をきっかけにお互い心を残しながら若さゆえに離婚という運命に押し流されてしまったふたりが、紅葉燃えさかる蔵王での運命的な再会から始まった往復書簡を通して、10年という心の空洞を少しずつ埋めていくというのが簡単なあらすじです。


著者宮本輝氏は太宰治賞受賞作「泥の河」、芥川賞受賞作「蛍川」などでおなじみの関西在住の作家です。  

TV化、映画化された作品も多々ありますね。


本来細やかな感性を謳いあげた作品は私の好きな分野ではありませんが、比較的初期の作品「星々の悲しみ」や「五千回の生死」、「幻の光」にきらめく感性の密やかな発光が感じられて心惹かれるものがありました。


恋愛小説は私の最も苦手とする領域なので、戸口でシャットアウトしてしまうのが常ですが、「錦繍」は舞台が香枦園、舞鶴など私にとって身近だったこともあり、手に取ったのでした。


読み進むうち、作りごとの恋愛小説の真髄、作りごとゆえのあまりにも純粋な要素に埋没してしまいました。 


片方ではロマンティスト宮本氏が書かせたあまりにセンチメンタルな2人の手紙の数々に反発や食傷する自分がいながら、片方では物語の世界にしっかり嵌まってしまった自分がいたことを告白します。


作品の中で主人公亜紀に語らせた「生きていることと死んでいることは、もしかしたら同じかもしれない」という言葉こそが著者が最も表現したかったことではないでしょうか。


対極をなす「愛と憎しみ」、「出会いと別れ」、「生と死」、「過去と未来」などの2極間でたゆとう人間のはかない人生ゆえに、宇宙の不思議なからくりの中で今を力いっぱい生きよう、というメッセージが伝わってくるような気がします。


現在→過去、過去→現在、そして現在→未来への広がりを見せて見事に完結させている14通の往復書簡、また氏が傾倒しておられるモーツァルトのシンフォニーを主人公のこころを投影するような心にくい配置で織り込まれているところなど、さすがの物語の書き手だと改めて感じました。

私も改めて39番、40番、41番を聴いたひとりです。


久しぶりに自分が失ったはずの繊細な感受性に触れた作品となりました。

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