VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2006年10月

OECD加盟国を中心に3年に1度15歳児を対象に実施している学習到達度調査の読解力調査部門で、2000年に31カ国中8位だった日本が2003年には40カ国中14位となり、参加国の平均近くに落ちた、との記事が出ていましたね。

提示された問題に対する2つの意見を読み、どちらに賛成かを自分の言葉で説明する、という問題が日本の子どもたちにとって苦手なようです。

音声言語が中心を占めている今の若者文化を否定するのではなく、英語だけでなく国語の授業でもヒアリングの授業や試験が必要ではないか、と国語教育の専門家でいらっしゃる国立国語研究所所長の甲斐睦朗先生はおっしゃっています。

若者の読書離れに危機を感じている昨今、ゆっくり読んで、ゆっくり味わい、ゆっくり自分が感じたことを反芻してみる、ということが大切なのではないでしょうか。

私の読書も速読なので、反省を込めて秋の夜長をじっくりした読書に当てたいと思います。


今日は「テロリストのパラソル」で鮮烈デビューされた藤原伊織氏の短編集をご紹介したいと思います。

初めての短編集「ダックスフントのワープ」とはまた趣きが異なる「雪が降る」です。

おさめられている6編の小品の中にはハードボイルドの妙手といわれている氏の肩書きを払拭するような男のロマンただよう作品がいくつかあります。

表題作である『雪が降る』では、ある少年から送られた「母を殺したのは、志村さん、あなたですね・・・」という意表をついたメールによって、これから始まる物語の入り口へと読者を力強く惹きつける効果を十分に計算し尽くしている、と感じたのは私だけでしょうか。

中年の主人公の元に送信されてきた上記のメールによって、主人公の心は現在から苦い悔恨の過去へと移り、そしてそんな過去から逃げずに向き合うことによって苦しみを昇華する、という内容です。

少年の今は亡き母と一時の過去を共有した主人公に残された未送信の一通のメール

「・・・きょう、もし会えれば最高のセックスをしたい。 してみたい。 したかった。 してください。 これから私は横浜にいきます」  

そして主人公の元へ走る途中の交通事故で、少年の母は亡くなります。

『台風』では主人公の目の前で起こった傷害事件がきっかけで、中学生の頃に初めて遭遇した殺人事件にワープしていく、という物語です。

長い人生のうちのほんの些細な出来事から簡単に闇に落ちる人間をすくいとり、現実の手のひらでじっと観察する、といった手法には驚嘆します。

作品の底に流れる著者のヒューマニティーが垣間見える作品群です。

もう1つつけ加えるなら、他の男性作家同様、氏の女性感に実態を越えた甘さを感じてもいます。

「今年のノーベル平和賞に選ばれたベンガル人ムハマド・ユヌス氏が来日、テレビ局のインタビューに応じてバングラデシュの現状についてお話されていました。


ユヌス氏は途上国バングラデシュで貧困に苦しむ人々の可能性を伸ばすため、少額融資をするマイクロファイナンスという仕組みを自ら考案し、30年ほど前にグラミン銀行を設立された方です。


バングラデシュの中流家庭に育った氏はフルブライト留学生として渡米し学業を修めた後、大きな夢を持って独立した祖国に帰りますが、貧困に喘ぐ現実を目の当たりにし、アメリカで培った経済理論が何の役にも立たないことに打ちのめされるのです。


ユヌス氏は村々を回り、生活の実態を見て回るうち、貧しい人々も事業を起こす能力があり、自助努力を促すための資金の提供が必要だ、ということを痛感します。


「自分の可能性限界まで試すことができる環境を作り上げない限り、私たちが自分の内側にあるべきものに気づくことは決してないだろう」


この考えの下、ユヌス氏は従来の銀行とは反対の姿勢の驚くべき新しい銀行を設立することを思いつきます。


◎借り手たちが銀行に出向くのではなく、銀行員が借り手たちのところに直接出向いて融資をする。

◎担保となる資産や土地のない人、特に女性を中心に貸し付ける。

◎「借り手の返済能力」を土地ではなく、「仲間からの信頼」を担保にする。

◎技術訓練などを行わず、まず最初にお金を渡す。

◎一般の銀行が取り扱わないような、数十ドルから数百ドル程度の、ごく小額の資金から貸し付ける。

◎融資期間が短期で、一回の返済額を小額に設定し、翌週からの分割返済を義務づけ、返済に対する心理的障害を除くように務めている。


これら6つを柱にした経済救助のアイディアは南アジア、南米、中東、アフリカへと広がり、これまで差別化されていた女性の地位向上に役立ちました。


このマイクロクレジットプログラムは上記途上国だけでなく、アメリカやヨーロッパなど先進国でも貧しいコミュニティで実施されて成功をおさめているようです。


95%以上の返済率とはいえ、連帯責任の5人のグループ内での関係が悪化したり、結果銀行と借り手の関係も悪化したり、と財務面で悪化した時期もあったようですが、貸し出し中心から貯蓄重視への切り替えや、返済ルールを個々に合わせ柔軟にするなど、で危機を乗り切る努力をしています。



対立する立場の人たちとは静かな対話によって話し合い、コツコツ村を回り、生活の基盤を少しずつ改善していく、という地道な努力の結晶がこのノーベル平和賞につながっているのではないでしょうか。



「ムハマド・ユヌス自伝 - 貧困なき世界をめざす銀行家」は希望の書です。

我が家に初めてパソコンが来たのは20年ほど前です。
デスクトップ仕様で、現在のように電源オンで立ち上がるような簡単なものではありませんでした。
3つのドライバーに順番にソフトを差し込んで起動させていたように記憶しています。

当時家でやっていた小さな塾の教材作りに使っていたワープロが壊れたのを機に、メーカーの代理店をしていた伯父にねだって展示用だったものをプレゼントしてもらいました。

時は流れ、現在は6代目デスクトップと7代目ノートパソコンが毎日働いてくれています。

真夜中資料作りをしていて、ちょっと上書き保存を怠ったばかりに何時間もかけて苦労して作成した資料が一瞬で消えたこともあります。 血眼になって探しても見つからず、、、茫然自失でした

すんでのところでだめになりかけたPCから別のPCに資料を送って難を逃れたこともあります。 素人ながらバックアップや上書きの重要性を知りました。

幾多のトラブルを経験して、周りの知識のある人々に教わりながら、やっとよちよち歩いている現在です。  文系の頭にはなかなか思うように知識が身につきません。

さて話題を変えて、本日は柳田邦男氏の「人間の事実�T 生きがいを求めて」をアップしたいと思います。

続編「人間の事実�U 転機に立つ日本人」はまた別の機会にご紹介しようと思います。  

ひずみが拡大し深刻化するという方向で変わりつつある日本の「いま」を、日本と日本人の変貌の全体と細部から抽出するという方法でvividに描き出した作品です。

ざっと目を通すだけで、本書を執筆するにあたり精読されたノンフィクション作品数の夥しさに圧倒されてしまいました。

日本と日本人の未来を考えて総括するには、その過去をしっかりと検証しなければならない、と柳田氏は書かれています。

《第一章 自分の死を創る時代》では、ガンなどによって死と直面した人々の苦悩の中から生きる意味を見出していく事実に迫っています。

筋萎縮性側索硬化症で逝った元新聞記者折笠美秋氏が動かせる目と唇だけで綴った闘病日記「死出の衣は」の「今、此処に仰臥して、仰臥している私は何故私なのかと考えている。その私以外に私は無い。さすれば、空しく何故私なのかを問いめぐらすよりも、私は私以外の何者でもなく生きえたかが、肝要であろう・・・・闇の中でも志高く生きる事は出来るのかも知れない」をピックアップして、柳田氏は問いかけます。
「これがご飯を食べているだけの患者さんなのか。これほど密度の濃い緊迫した精神生活は、ほかにあるだろうか」と。

《第二章 病気というパッセージ》では病という関門を通りながらの苦難と成長について
《第三章 障害、そして「第三の日本人」への道》では苦難から再生への道へ
《第四章 病む社会の“人間の物語”》では様々な事件の中の人間の物語について
《第五章 現代人のパッション》では情熱が支えた支援への取り組みについて
《第六章 生き甲斐が揺れ動く時代》では多角化、変質化した社会においての生き甲斐について

など、どれをとっても私たちの行く手に重くのしかかる題材ばかりで、とても読み応えのあるものでした。

今日もまた、「3歳児虐待の末、餓死」という記事が紙面を飾っています。

オムツがはずせないという理由で食べ物をほとんど与えず、亡くなったときには平均体重の半分ほどしかなかったそうです。

折檻したのは子どもの父親の同居女性ということですから、本当の母親ではないのでしょうが、無力な子どもに対して愛情はなくてもまともな「こころ」はないのでしょうか。


「いのち」に対する当たり前の、ことさらでない慈しみのこころを持ってない人がいる、という事実に茫然としてしまいます。


今回は9年前、神戸児童連続殺傷事件の犯人酒鬼薔薇聖斗として全国を震撼とさせた少年Aの更生プロジェクトにかかわった元東京少年鑑別所公務教官草薙厚子氏によるノンフィクション作品をご紹介したいと思います。

草薙厚子氏著『少年A 矯正2500日 全記録』


全国で酒鬼薔薇聖斗の名を知らない人はいないと思うくらいセンセーショナルな事件でしたが、私にとっても、事件の現場が当時住んでいた神戸、加えて同学年次男所属の野球部のメンバーの父親と少年Aの父親が会社で机を並べていた、ということから様々な噂が駆け巡る環境にいて、いやがおうにも関心が深い事件でした。


その後、ご両親が書かれた手記『「少年A」この子を生んで… 父と母悔恨の手記』少年Aの父母著、『暗い森―神戸連続児童殺傷事件』 朝日新聞大阪社会部編、 被害者のご両親が書かれた『彩花へー「生きる力」をありがとう』、「淳」など続々出版され、読まれた方もいらっしゃるでしょう。


少年Aが犯した罪の中核にある性的サディズムは矯正できうるものであるか、というのが更生プログラムの中心的課題でした。


本書はこのプロジェクトを中心とした医療少年院での少年Aと矯正官たちとの悪戦苦闘の7年の記録です。


結果的にこの更生プログラムにより、少年Aは性中枢の未発達により一時的に生じていた性的サディズムを克服することができた、と著者は書かれています。


性的サディズムが後天的に矯正できるかどうかについては疑問を投げかけている人たちもいらっしゃいますが、少年の生い立ちの過程で、母子一体関係の短さが少年に正常な満足感を与えず、性的サディズムを生み出す遠因のひとつになった、との見解によってまた1つ大きな課題をつきつけられた思いがしている母親もいるのではないでしょうか。

 
「人間が他人の痛みをわかるために不可欠なことは、人から愛されている、という実感だとされる。いじめられた子は、自分の心の痛みはわかるけれども、だからといって、他人の心の痛みがわかるとは限らない。むしろ、いじめる側に回るケースが相当多いといわれている。大人の世界でも同じことがいえそうだ」と著者は書いていらっしゃいます。


少年Aのプロジェクトでも少年が母親のような感情を抱く精神科医や、父親のような教官の存在によって徐々に少年の心を開いていったという過程が詳細に書かれています。


こうして少年Aは23歳に達した日をもって、自立へと旅立ちました。


少年Aが社会に溶け込んで、真実の更生を成し遂げるのを祈るばかりです。

上方落語界にとって長年の悲願だった天満天神繁昌亭が9月15日にオープンしました。

上方落語協会会長の桂三枝師匠が赤い人力車に三代目春團治師匠を乗せて天神橋筋商店街を練り歩き、オープニングの口上で感極まって涙を流し、手渡された青いハンカチで涙を拭いていたことすら関西人の面白ネタになりました。

落語では小道具として、扇子、手ぬぐいが使われますが、見台、拍子木、膝隠は上方落語でのみ使われるようです。 

私は最近、特に「笑い」の源泉となるものが大好きになり、漫才、落語など見たり聞いたりするのを楽しみのひとつにしています。

コピーライター、小説家、劇団主催者などいろいろな顔を持つ中島らも氏は最後の作品を収録した「何がおかしい」の中で、「笑いとは差別だ、、、、、サディズムや吉本の芸人で成立しているテレビ番組には、愚かなものを見て、優越感をもって笑うという差別が構造化している、、、この愚かなものは愚かな視聴者のために作り出された虚構にすぎない。そのからくりに嫌気がささないか」と吉本を見て笑っている私に向かってまっすぐに問いかけます。

その反面、今は亡き桂枝雀との対談で「笑いは自己救済のためだ、他人を笑うことで自分を救っているのだ。ならば笑い=差別、は善悪を超えた人間の条件ではないか」とも語っています。

笑いを「優者の劣者に対する優越的感情」及び「生きるための不可欠な手段」とすると、逆説的には、笑いがなくならないかぎりこの社会から差別も消えない、ともいえるでしょう。

理論を辿っていけば、気軽に笑うという行為そのものが、何だか罪を犯しているようでおかしくもなんともなくなってしまうから不思議です。

らも氏の朝日新聞の「明るい悩み相談室」は、氏の独特のユーモアでともすれば暗くなりがちな人生相談の内容を前向きなものとし、私も当時読むのを楽しみにしていました。

らも氏自身は、大麻で逮捕されたり、アルコール依存症で入退院を繰り返したりと、周りから見れば破天荒な人生を歩み、最後はバーから出たところで転落し、脳内出血で死亡するという締めくくりでした。

アルコール依存症の体験記を書いて吉川英治文学新人賞を受賞した「今夜、すべてのバーで」は入院先でのさまざまな体験を通して、依存症に対する考察が書かれていて、依存症で悩まれている人々には必見の書となっています。

本書「何がおかしい」は、『論座』に連載されていた「笑う門には」も収録されており、亡くなる直前のロングインタビュー、コントや漫才台本も収められていて、らもファンにとっては待望の書ともいえるのではないでしょうか。

秋晴れの1日、岡山北部の成羽美術館で「エコール・ド・パリの画家たち」の絵を見てきました。 

1920年代にパリのモンマルトルやモンパルナスでボヘミアン的な生活を送りながら絵を描いていた画家の集団を指しますが、日本人藤田嗣治もそのうちのひとりでした。

少し離れたパリ郊外では斎藤豊作もいて、この2人が日本からの若き画家たちのパトロン的な役割をしていたようです。

私が大好きな佐伯祐三や荻須高徳もそこに集う若者の一員だったようです。


佐伯祐三の絵は迷いのない大胆なタッチの筆使いや深みのある色使い、幾重にも重ねた絵の具の濃淡が独特の哀愁をかもし出していて心惹かれますが、評論家の間では妻であった米子さんが多くの絵を加筆したことでも知られているようです。


パリの街角を題材に扱った絵が多くありますが、それらの中の細かい描線が米子さんの加筆だと指摘されているようですが、真相はどうでしょうか。


佐伯祐三への金銭的援助をしていた素封家吉薗周蔵氏に宛てた米子さんの手紙では加筆を認めているということですが。。。

いずれにせよ、好きな絵は好き♪でいいのですよね。



今回は、もう1つの「アンネの日記」といわれている「プラハ日記」です。

おととし、プラハにある家の屋根裏部屋から第二次世界大戦後58年を経て発見され、無事生き残った彼の妹に手渡されて日の目をみたのです。


第二次大戦ドイツ占領下のプラハ、絵や小説を書くことが大好きだった14歳のぺトル少年がナチス・ドイツによってアウシュビッツ強制収容所に連行されるまでの日記です。


1944年ガス室で16年の短い生涯を終えたペトル少年ですが、友達や親類など身近な人々が次々とナチスに連行されるという絶望的状況下にあって、恐怖に怯えながらも怜悧な目で淡々と日常を書いている手作りノート2冊の日記からは彼の生きることに対する希望が力強く伝わってきます。


著者のハヴァ・プレスブルゲル氏はプラハに生まれ、テレジーンの強制収容所を経験したのちイスラエルに移住したという経歴を持っています。


子どもらしい純真な目で周囲を観察し、どのように困難な状況でも平常心で力いっぱい生きようと努力する少年の姿に私は胸がいっぱいになりました。 

  
「霧がかかっている。ユダヤ人の記章着用を強制されている。登校中、69人の保安要員を数えることができた」

 
なぜユダヤ人に対するここまでの狂気とも見紛うばかりの差別がまかり通ったのか、私は今も怒りに震えます。

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