VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2006年12月

          
1956年制作の「炎の人ゴッホ」を観ました。

ビンセント・ミネリ監督、カーク・ダグラス、アンソニー・クイン出演の古い映画です。

この映画で、ゴーギャン扮するアンソニー・クインがアカデミー賞の助演男優賞を受賞しています。

原作のアメリカのベストセラー作家アーヴィング・ストーンによって書かれた同名の小説を読んだばかりだったので、興味を持って観賞しました。

それぞれの場面に流れる音楽が色を抑えた映像に一段と深みを与えるという効果的な使い方をしていて感動しました。


というわけで今回はアーヴィング・ストーン『炎の人ゴッホ』をご紹介したいと思います。

1853年、ファン・ゴッホ家の長男としてオランダのズンデルトの牧師の家に生まれたヴィンセントは美術商を営む伯父の下で働きますが、ある女性への一方的な恋に破れたことが起因した不真面目な勤務状態により解雇されてしまいます。

その後、宣教師としてボルナージュ地方の炭鉱町に赴任し、献身的に貧しい労働者を救おうとしますが、その常軌を逸した熱心な活動によって教会から破門されます。

私たちの目から見れば、物事に対し極端な執着心からのめり込むということを繰り返し、20代で人生のどん底を見るフィンセントに、いつも影のように寄り添い救いの手を差しのべてくれる4歳違いの弟テオドールの存在なしでフィンセントは生きることすら難しかったのではないでしょうか。

教会から破門され病を得たフィンセントを故郷に連れ帰ったテオの援助により、彼は生きる道を絵画に求めますが、売春婦との同棲などにより社会からますます孤立する、という道を自ら選択してしまいます。

その後、画商として成功していたテオのいるパリに移ったフィンセントは、パリの後期印象派と呼ばれる若い画家たちに大いなる刺激を受け、生き生きした色彩の多様さに目を奪われていきます。

後に黄金時代を築いたマネ、ドガ、ルノワール、モネ、シスレー、クールベ、ロートレック、ゴーギャン、セザンヌ、スーラなどの若き画家たちやゾラ、アンリ・ルソーたちと毎夜交流し議論を重ねたフィンセントは敬愛するミレーなどの模倣からだんだんと独自の手法を獲得していくのです。

印象派との交流で、フィンセントの色彩は少しずつ明るさを増し、透明な輝きに近づきますが、それを乗り越えることで独自の手法を生む予感を抱いた彼はパリを離れる決心をします。

太陽を求めてパリからアルルへ移った彼は画家の理想郷「黄色い家」を作り、パリの画家たちとの共同生活を夢みますが、彼の求めに応じて来たのは経済が破綻して行き詰っていたゴーギャンだけでした。

真夏の焼けつくような野原での激しい一途な制作と、呼び寄せたゴーギャンとの共同生活での強烈な個性の摩擦からどんどん精神が追い詰められ、ついに自ら耳をナイフで切り落とすという事件を起こし精神病院に入ります。

有名な「カラスのいる麦畑」はそのあとピストルで自殺を図る直前に描かれたといわれています。


映画では駆けつけた愛する弟テオにフィンセントが最後に「悲しみは決して終わらないだろう」という言葉を残します。

生涯を通じて人との交流に齟齬をきたしていた彼の苦しみの凝縮された短い人生に思いを馳せ、胸が塞がれます。


27歳で画家になってから37歳で自殺するまでの約10年間に油彩画900点、素描画1100点を描いたといわれていますが、私たちがよく知っている作品はほとんど晩年の35歳~37歳に描かれたものです。

日本で一躍有名になった「ひまわり」はフランスのアルル時代に連作した7点のうちの1点で、当時の安田火災が約58億円で落札し、その価格の大きさで話題を呼びました。

生前たった1枚の絵しか売れなかったフィンセントがこのことを知ったらどう思うでしょうか。

現在は東京新宿にある損保ジャパン本社ビル内、損保ジャパン東郷青児美術館に展示されています。



一生懸命に生きようとすればするほど、当時の社会通念からどんどん遠ざかり、一生涯を弟テオのお荷物として過ごさなければならなかった彼の不本意な生涯と、どんなときにも心を添わせ兄を支え続けた弟テオの愛情こそが、ゴッホの絵を創りあげた、といっても過言ではないと思います。

1990年東西ドイツが歴史的な統一を成し遂げた後の初代大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が西独大統領時代、連邦議会で行った演説は歴史的なすばらしいものとして後世に語り継がれています。

岩波書店から『荒野の40年』と題した全文が記載されたブックレットが出版されていて読まれた方もいらっしゃるでしょう。

時代と時代の険しい谷間で時々引用されるので、私たちも時として目にする機会があります。

ドイツの戦争責任を素直に認めた格調高い演説は世界中で感動を呼びました。

「私たちはみな過去を受け入れなければなりません・・・

過去の前に目を閉じる者は、現在についても盲目になるのです」

「先人は容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老若いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けなければなりません」

「若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい・・・

敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでいただきたい」


そのワイツゼッカー氏へのインタビュー記事が新聞に載っていました。

戦争や虐殺などの「負」の過去を、後の時代に生きる者はどう受け止めたらよいか、傷つけ合った者同士はいかにして和解できるか、という命題に対するインタビューです。

「ドイツの戦後は、隣国との和解とともに始まりました。  
                         
最初の課題はフランスとの和解です。 フランスが主導権をとる欧州統合にドイツが加わること自体が和解のステップでした。

次のもっとも重要な和解の相手がポーランドでした。    そのポーランドが欧州連合に加わりました」

第二次大戦によって国民の2割が殺されたポーランドにとって和解は簡単なものではないでしょうが、ドイツはたゆまない努力で周辺の国々と和解しながら、自国を見る厳しい目を絶やすことなく健全な愛国心を育てていくという努力をしている、と語っておられます。


ポーランドに思いを馳せると、ポーランド系ユダヤ人アンネの物語を思い出します。

そのアンネもナチという存在がなければ、現在77歳の幸せな日々を過ごされているのではないでしょうか。

5月8日をナチの暴力支配が終わった「解放の日」とし、ナチ時代を「一切が無駄であり無意味」と語るワイツゼッカー氏に学ぶことは多いと思います。


今日は、少女時代に『アンネの日記』に出会って以来ずっとアンネに心を揺さぶられてきた小川洋子氏のノン・フィクション『アンネ・フランクの記憶』をご紹介したいと思います。


『妊娠カレンダー』で芥川賞、映画化され好評を博した『博士の愛した数式』では読売文学賞&本屋大賞など、数多くの賞を受賞されている小川氏ですが、作家を志す原点ともなったのが『アンネの日記』だということは機会あるごとに語っておられますね。

独特の研ぎ澄まされた感性で書かれた文は多くの方々の心を捉える不思議な力を持っていますが、遡ればアンネのところに行き着く、という歴史の連鎖に感動を覚えます。

小川洋子氏に関してはまた別の機会にゆっくり触れたいと思います。


長年捉えて離さなかったアンネ・フランクの足跡を辿る旅で、アンネの生家や隠れ家、短い命を閉じたアウシュビッツを訪れた小川氏は、当時のアンネの置かれた状況を目で見、肌で感じ取り、遠く離れているはずの時代や国の大きな隔たりが一挙に縮まるのを実感されます。


自らの危険を顧みずフランク家の隠れ家生活を支え続けてくれたミープやアンネの親友ジャクリーヌといった関係者が長年心に封じ込めていたアンネへの想いを語るのに耳を傾けているうちに、物語の中のアンネが、重すぎる運命を背負ったひとりの現実の少女として生き生きと小川氏に向かって立ち上がってきたことを強く感じ取るのです。

そしてアウシュビッツを訪れた小川氏は、苦しみのうちに亡くなった無数の命の無言の訴えに耳を傾けます。

「わたしは一人の少女に導かれ、顔も名前も知らないおびただしい人々の死の名残りを、確かに記憶に刻み付けて帰ってきたのだ」

1人の少女と出会うための旅の終わりに語った、この不条理を2度と起こしてはならない、という決意にも似た祈りの言葉を、私もまた深く記憶に刻みつけておきたいと思います。

Imagine there’s no heaven
It’s easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace....

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

想像してごらん 天国なんて存在しないと
想像しようとすれば簡単だよ
僕達の下に地獄なんて無いんだ
ふり仰げば空があるだけさ
想像してごらんすべての人々が
現在を生きているんだと…

想像してごらん 国境なんて存在しないと
そう思うのは難しいことじゃない
殺す理由も、死ぬ理由もない
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると

僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば 世界はひとつになるだろう



全世界の人々によって今も反戦の歌として愛され続けているこの「イマジン」の作者ジョン・レノンがニューヨーク市の自宅前で熱狂的なファンだったマーク・チャップマンに殺害されたのは今から26年前の12月8日でした。

「イマジン」の歌詞は妻であるオノ・ヨーコさんの詩集「グレープフルーツ」からイメージを得たというのはファンの間では有名です。

1971年に発表されたこの歌は時の大統領ニクソン氏に「共産主義の歌」と名指しされましたが、平和への希求メッセージとして営々と世界中で受け継がれ、特に2001年9月11日アメリカ同時多発テロの後は際立って歌われることが多くなりました。



今回は、その「イマジン」を織物のように物語の要所要所に巧みに織り込んで、「平等とは」「差別とは」という刃を読者にまっすぐに突きつけている東野圭吾氏『手紙』をupしたいと思います。


山田孝之、玉山鉄二を主演に映画化され、現在大ヒット上映中で、ご紹介するまでもありませんね。


東野氏に関しては、乱歩賞の『放課後』を皮切りに、『秘密』で日本推理作家協会賞、『容疑者Xの献身』で本格ミステリ賞&直木賞、他に『白夜行』『赤い指』がロングランを続けていて、若い世代の圧倒的な支持を得ているようです。

東野氏の本では『容疑者Xの献身』に続いて『手紙』のみが私にとっての読書暦です。


両親亡き後、寄り添って生きてきた兄弟に襲いかかった過酷な運命。

弟の進学資金のため強盗殺人を犯した兄が毎月毎月弟に刑務所から出し続ける手紙、
それは兄にとって弟との細く弱い一本の命綱ともいえる絆でもありました。

一方独り残されイバラの社会で生きていく弟にとって、現実の過酷さと兄の手紙とがあざやかなコントラストを見せて苦しみの茨となり、心を抉るようになります。

弟は「強盗殺人犯の家族」というレッテルの重さを時には耐え、時には猛烈に避けながらも、周りの容赦ない差別によって、人生の重要な節々で挫折を余儀なくされます。


著者は文中で、登場人物の1人、弟の勤務先の社長の言葉を借りて、世間という怪物の代弁をします。

「差別はね、当然なんだよ・・・

犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ・・・

君が今受けている苦難もひっくるめて、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ。

我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。

自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる――

すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

全編、社会の過酷さをこれでもか、と用意する著者ですが、全体的に冗長になりがちな文章をテーマの魅力で補ってあまりある物語に仕上げているところは今旬の作家所以でしょう。

「イマジン」を主人公の好きな歌としてテーマのポイント部分、そして最後クライマックスの締めとして間奏的に登場させ、しかもそれを社会の過酷さを問う材料として使うテクニックは、あざといまでも読者の目を意識した技巧、という感想を持ちました。

原作を超える映画はない、というのが私のいつもの思いですが、今回は2時間という条件で全体を絞った映画がいいのでは、という気もしています。

もっとも映画はまだ観てはいませんが。


犯罪加害者側家族の苦悩と葛藤を描いた秀作といえるのではないでしょうか。

昨夜見た夢は、毎週ある授業を欠席した結果、単位が取れず、いつまでたっても卒業できない、というものです。

以前にもこの種の夢を何度か見たことがあり、その度に汗びっしょりで目覚めます。

あせった結果、卒業できなくてもいいや、という自暴自棄で終わるのが常です。

私は学校があまり好きでなく、現代ならきっとりっぱな登校拒否生徒となっていたという自信があるほどです。

みんなが勉強している間、お布団にもぐって本を読みふけっていたことでしょう。

中、高校時代は試験勉強もせずに本ばかり読んでいた記憶があります。



その頃を思い出して、本日はヘルマン・ヘッセの不朽の名作『デミアン』をアップしたいと思います。

高校時代に読んで衝撃を受けて以来、時を経て、何度か読み返した本です。  

多感な青年期にヘルマン・ヘッセの本に1度は触れた経験を持たれる方も多いと思います。


『郷愁』、『車輪の下』、『春の嵐』の後、魂の彷徨を経て第一次世界大戦直後に『デミアン』を発表、その後『シッダールタ』『東方巡礼』など、東洋思想への傾倒が見られる著作へと続いています。


ラテン語学校に通う10歳のシンクレールと級友の少年デミアンとの神秘的な友情と別れを描いた『デミアン』は、キリスト教に限界を感じているヨーロッパの多くの若者の心に衝撃を与えた小説の1つともなっています。


プロテスタントの敬虔な牧師の家庭に生まれ、牧師になることを義務づけられていたヘッセ自身の宗教に対する懐疑や遍歴を内包させながら書いたこの作品は、古くは高橋健二氏の名訳で新潮社から出版されていますが、実吉捷氏訳で岩波文庫からも出版されました。

どちらもこなれた名訳だと思いますが、読み比べてみるのもおもしろいかもしれませんね。


今まで日の当たる家庭を正しいと信じて歩いてきたシンクレールにとって、デミアンの持っている神秘的な暗く背徳のにおいのする世界に惹かれるようになります。

2人が知り合うきっかけになった事件で、カインの刻印を捺されそうになったシンクレールがデミアンによって救われた後、デミアンから聞かされた「カインこそ尊敬に値する人で、アベルこそ臆病者だ」という逆説的な論理はシンクレールを精神的な葛藤へと導くのにじゅうぶんな衝撃となりますが、これを契機に自己の無意識の深層に流れる本来の自分を探していく旅に出ますが、その彷徨の過程が多くの青年を惹きつけてやまないものとなっているのではないでしょうか。



デミアンは語ります。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。

卵は世界だ。

生れようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。

鳥は神に向って飛ぶ。神の名はアプラクサスという・・・

しかしアプラクサスはずっと多くのものを意味しているように思われる。

われわれはこの名をたとえば、神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ一つの神性の名と考えることができる」



青年期の苦しみの1つは、無意識のうちに築いた価値観を打ち破り、新しい自我を発見するまでのプロセスにある、と思いますが、シンクレールが自分の殻を破り、そしてデミアンという背徳のシンボルを超えて旅し、最後には自ら聖なる母を求め、デミアンの母の中にそれを発見する、というメタファで終わっています。


シンクレールと共にもう1度、青春の旅をしてみませんか。


山茶花の 花や葉の上に 散り映えり     高浜虚子

最近歩いていると、赤や白、ピンクの可憐な山茶花の生垣に出合います。

「焚き火」の歌で有名な山茶花ですが、「小椿」「姫椿」という別名があり、秋から冬にかけて親しまれています。

花言葉は「ひたむきさ、敬愛、謙譲」  とてもふさわしい名前ですね。

心を寄せたお付き合いをさせていただいているお花の大好きな方が折々に送ってくださる朝日新聞連載「花おりおり」をまとめた単行本『花おりおり』も4冊になりました。

題名のまま、おりおりに眺めては楽しませていただいていますが、それによると・・・

サザンカは元禄ごろ中国でツバキを指す山茶花から転訛した、ということです。

ほのかな香りと小枝の蜜毛がこの花の特徴だそうです。

四国、九州など日本が原産地で、ドイツの植物学者ツンベルグが江戸時代に世界に伝えたそうです。

咲き終わったとき、花ごと地に落ちる椿に対し、小ぶりな花びらが1片ずつ舞い落ちることは花好きの皆さんの方がよくご存知でしょうね。

散歩の途中、デジカメを向けましたが、可憐な赤が寒さを忘れさせてくれます。



本日はその山茶花にちなんで、浅田次郎氏『姫椿』をアップしたいと思います。

浅田氏の作品に関しては以前初期の作品極道放浪記 殺られてたまるかをご紹介したことがありますが、この系列はもはや氏にとって異端ともいえるほど別の分野での躍進には目を瞠るものがあります。

☆ 『地下鉄に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞
☆ 『鉄道員』で第16回日本冒険小説協会大賞特別賞と第117回直木賞
☆ 『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞
☆ 『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞と第19回司馬遼太郎賞を受賞されています。


『姫椿』は1998年から2000年にかけてオール読物に連載された8編の短編を単行本にしたものです。

先日ご紹介した吉村昭氏の短編は、私たちがコツコツと歩みを重ねる日常の片隅でふと見かけるような事柄の一片を切り取って一条の光を当てる、という表現がぴったりですが、
浅田氏の短編は、私たちの平凡な日常を超えたファンタジーが日々の日常と交差し、そしてメルヘンチックに溶け合っている、そんな小説の集まりです。

これは、映画化もされ話題になった長編『鉄道員』などにも共通する浅田氏独特の手法ではないでしょうか。


天涯孤独なOLが慈しんでいた飼い猫が死んだ日、偶然出会った中国の伝説上の動物「シエ」
人の不幸を5千年もの間食べ続け、旅の最後に出会った主人公の不幸を舐めつくして天国へ旅立った「シエ」と哀しみのOLの物語。


倒産寸前の会社を抱え、保険金で家族を救うため自殺を決意した主人公。
偶然妻と出会った頃通った銭湯と坪庭に咲く姫椿に遭遇し、若かった妻の濡れた髪に挿した一輪の姫椿の思い出によって、もう少し生きてみよう、と決意する主人公の物語。


オカマバー「銀花」の名物ママの突然の死によって、彼の死に損ねたその後の人生の厳しい決意の生き様が明らかになる「マダムの咽仏」


主人公たちの現実とは少しかけ離れたそれぞれの人生の日溜りに、ちょっとおじゃまして冷えた心を暖めてもらったような、また反対に主人公たちの哀しみに薄く染まったような、そんな物語が詰まった短編集です。

インターネット上で東西の古典を中心に約6000冊の文学作品を公開している「青空文庫」を利用されている方も多いでしょう。

すべてボランティアの方々により入力されたインターネット文庫です。

私も先日、オー・ヘンリーの The Last Leaf を読みました。


作家名、作品名の50音別に、公開作品と入力・校正作業中の作品を一覧できるインデックスもあり、「いますぐXHTML版で読む」をクリックするとその場で読むことができます。


電子百科事典ウィキペディアと同様、作品を読んでいて、「入力ミス?」と思ったら、個人的に修正も可能だというものです。

この「青空文庫」の作品数が充実するにつれ、予想を超えた使い方が出現したという記事が新聞に載っていました。

聴覚障害者の人たちが画面で文字を拡大したり、読み上げソフトで作品を聴いたり、点字ソフトで点字本にすることもできるそうです。

青空文庫の愛用者が開発した無料ソフトでこれら数々の利用法が広がれば、印刷紙の従来の読者層を超えて、読書のバリアフリーが実現できるのではないでしょうか。




本日は再度、吉村昭氏の短編『碇星』をご紹介したいと思います。  


吉村氏はあとがきで、氏の短編に対する位置づけをこのように語っていらっしゃいます。

「・・・(長編の執筆後)2、3ヶ月間、放心状態がつづくが、それを脱け出して再び小説を書く活力を回復できるのは、短編小説を書く以外にない・・・

短編小説は、迷路に似た狭い露地を曲がったり、袋小路に入り込んで引返したり、時には立ち停って思案することもある。

その間に道ばたに小さな花を開く植物や、はかない光の星を空に見たりする・・・

そうしたことの繰返しで、・・・短編小説を書くことをつづけてきた」


路地裏の日常のほんの小さな出来事を、平静な心で見つめながら、時には著者自身の過去と交差させたり、未来への思いにつなげたりの手法は本当にすぐれています。


本著には8編の短編がありますが、そのうち5編は定年を迎えた男性を主人公にした物語、後の3編は自伝的要素の濃い作品です。


会社で長年働いている適齢期を過ぎた女性の世話を順番に依頼する男たちの奇妙な連帯感と微妙な心理を扱った「飲み友達」


定年後の寄る辺ない時間をショッピングセンターの喫煙コーナーで毎日費やす見ず知らずの男3人の孤独を分かち合う姿を描いた「喫煙コーナー」


定年を迎えた翌日に「私も定年になりましたから、家庭の勤めをやめます。一人で暮らします」と突然家を出て行った妻と、後に茫然と残された夫が娘の結婚式で再会するまでを描いた「寒牡丹」


表題作「碇星」では、会社の葬儀係として定年後も嘱託を続ける主人公に、元上司が打ち明けた奇妙な頼みごとを軸に、人間の心から消し去ることのできない「死」というものを「葬儀」という最後の舞台に馳せながら描かれています。


氏の自伝的要素の強い短編である「花火」「牛乳瓶」「光る干潟」では、吉村氏の戦時中の体験、そして家族から孫へつながる生命の不思議を淡々と綴っておられます。


氏の小説家としての原点であり、核ともいえる20歳のときの胸部手術の体験は、作品の底辺に大きな命を吹き込まれているように感じるのは私だけでしょうか。



「死」を経験した人の語る作品はどんな分野も私の胸を強く打ちます。

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