VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2007年01月

mixiで親しくさせていただいている方から、2004年春20代の若さで天国へと旅立たれた娘さんのホームページを紹介していただきました。


アイゼンメンジャー症候群という心室中隔欠損に肺高血圧を伴った原因不明の難病を持って生を受け、その病気と共に大きくなられた方でした。


有効な治療法はなく、唯一の道である心肺同時移植を行っても5年生存率は低いという予後の大変厳しい病気だったそうです。


シオンというハンドルネームを持つ彼女は生前、そのような状況下思いやりあふれ、明るく、しっかりした生を全うされたことがその手作りホームページを通して伝わってきて、胸があつくなる同時に切なさで一杯になりました。


亡くなる2ヶ月ほど前には次のような文章を残されています。

「妊娠・出産に関しては、命に関わる事。妊娠しても胎児が育たず流産するケースが殆どで、万一順調に育ったとしても、未熟児や、出産時に大量出血を起す危険性、無事出産しても急激に病状が進行し命を縮める結果になるのは必死らしい。

また、中絶も可也の危険が伴う為無理。

勿論、万が一命を授かるような事になれば、中絶する気など毛頭ない」


お母様によればそんなすてきな彼女をしっかり支えてくださるフィアンセもいらして、ご両親共々あふれる愛に支えられ、そして彼女からのあふれる愛で周りの人々を幸せにしてらしたのに・・・。


精一杯生き、突然逝った彼女のことを思うとき、私たちは何ともったいない雑な生き方をいているのか、と唖然とします。



家庭内暴力の末、事件を起こした青少年たちの事件調書を読むと、揃って現在の不本意な自分があるのは親のせい、と言います。


ご自分の病気をしっかり受け止め、自分のものとし、そして周りへの気配りを忘れず、いつも生き生きと短い人生を駆け抜けたシオンちゃんのことを上記の青少年たちに是非知ってほしいと思います。

        http://syon25.com/




さて、本日は米原万里氏『打ちのめされるようなすごい本』をご紹介します。    


著者米原万里氏はゴルバチョフやエリツィンなどが彼女を名指しするほどのロシア語通訳の第一人者であり、ロシア語通訳協会会長として有名な方ですね。


その文章力は衆目の一致するところで、『オリガ・モリソヴナの反語法』、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、読売文学賞受賞作『不実な美女か貞淑な醜女か』など魅力的な著書が何冊かあります。


本書は、2006年5月56歳で卵巣癌の転移で他界する直前までの約300冊の書評がぎっしり詰まった宝石箱のような本です。


前半は週刊文春に連載されていた「私の読書日記」、後半は1995年から2005年までの書評140編が収録されています。


驚くべきは読書量の多さ、そして読書の幅の広さです。


マスコミなどの風説に流されることなく、ご自分の世界観を通しての語り口は小気味がいいほどです。


彼女の書評を通して特に強く感じたことは、ずばり作者に対する先入観のなさです。


その作者が文学史上、または社会的にどのように評価されているか、というようなことは彼女にとっては何の価値もない、と感じさせるようなきっぱりとした書評に感動を覚えました。


前半の「私の読書日記」の最後の3編には絶筆となった転移癌の闘病記が収められていて、様々癌治療に対するご自身の体験を通しての冷静沈着な分析の行間から見える切なる生への願いがぐんぐんと読み手である私の胸に伝わってきました。


それでもよく見かけるような涙を誘う内容ではなく、最後まで感傷に流されない怜悧な躍動感あふれる文章で、書評の元となった本よりも時にははるかに魅力的な書評を提供してくださった彼女のご冥福をお祈りしたいと思います。


私を含めた本好きな人々にとって、本との出合いの幅を大きく広げてくれるすばらしい本でした。

「かつてアメリカのまん中に,すべての生き物が環境と調和して生きているような町があった。

町は碁盤目に広がる豊かな田畑の中央にあり,周囲には穀物畑,山腹には果樹園炎があって,春には白い花々が緑の原の上でゆらゆら浮かぶように咲き乱れた。

秋には,ブナやカエデやカバノキが,松の緑を背景に燃え上がり,風にそよぎ揺れた」


1962年に海洋生物学者Rachel Carsonによって書かれた『沈黙の春-Silent Spring』の序章の最初の文です。


童話の世界にあるような色とりどりの四季の花咲き乱れる町はやがて空からの雪のような白い粉によって色彩のない世界へと変貌します。


「・・・奇妙な暗い影がこの地域にしのびよって,すべてが変わり始めた。ある邪悪な魔力がこの社会に降りた。

謎の疫病がニワトリの群れに広がった。

牛や羊が病気になり,死んだ。あらゆる場所に死の影があった。

農夫たちは家族の間で病人が多いと話した。

街では医者が患者に見られる新型の病気に悩まされるようになった。

大人だけでなく,子供の身の上にも突然,説明のできない死が訪れた。

遊んでいるときに突然倒れて,数時間のうちに死亡した」

この他鳥たちの不審な死、ひなが孵らないにわとりの卵、生育の悪い子豚、ミツバチの不在など自然の体系が徐々に狂い始め、人々はだんだん自然の異変に気づき始めます。

1960年代の話です。

この本の出版により、アメリカでは激しい賛否両論が巻き起こりました。

現在話題になっている映画ーアル・ゴア氏の「不都合な真実」で指摘されているように、「白い粉」の正体である農薬をつくっている会社や化学薬品などの製造会社にとってはとてつもない「不都合な」問題提起だったのです。

害虫の発生を防ぐDDT、BHCなどは人体には影響がないことは証明されているというデータでカーソン批判が始まりました。

時の大統領ケネディの下で科学諮問委員会が発足し、念入りな調査の結果ウィズナー報告書によりそれらの農薬は使用禁止になりました。


日本でも1974年に有吉佐和子氏『複合汚染』が新聞に連載されるや、企業側の専門家のあげつらい攻撃があった、と生前の有吉氏が書かれていらっしゃいました。


このような時代を先導するような正しい警告は、必ず心ない方面からの総攻撃に遭いますが、静かな波がかえすように、やがては大きなうねりとなって、新しい時代に受け入れられるようになります。


今から半世紀も前に書かれた本ではありますが、様々な実験に裏打ちされたデータに基づくこの告発は、現代に至る私たちの自然に対する考え方を大きく変える力を今なお持っています。

とはいえ、DDT、BHCなどの農薬は禁止になったものの、環境汚染という点ではどんどん悪化していることを認めないわけにはいきません。

スーパーの食品売り場では遺伝子操作された食品までが顔を揃えています。

農薬の代わりに抗生物質がどんどん使われ、どんな食べ物も薬漬けといわれています。


元食品添加物のトップセールスマンだった安部司氏『食品の裏側』では認可された添加物の恐ろしさを内部から告発されて、ベストセラーになっています。


DDTはマラリアの媒介となる蚊の撲滅には大変役に立ち、抗生物質により多くの命が助かっているという事実に目をつぶることはできないと思いますが、業界のからくりに知らない間に踊らされて、命までも落とす、という例を見るにつけ、私たちみんなが早急に賢い選択をすることを迫られている気がします。


カーソンは最後に指摘します。

「私たちは、いまや分れ道にいる。

だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。

長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。

その行きつく先は、禍いであり破滅だ。

もう一つの道は、あまり人も行かないが、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。

とにかく、どちらの道をとるか、決めなければならないのは私たちなのだ」


地球の自然を守ることは身近な人々を守ることと同義だと思います。


いろいろなことに踊らされることなく、私たちひとりひとりができる範囲で自然を大切にしたいと思います。

昨年6月より体調を崩し、現在闘病中の友より電話がありました。

1つの症状を抑えるための薬の副作用ともいえる別の症状がドミノ倒しのように我慢強い彼女を襲い、一時声を失っていましたが、ようやく快方に向い、電話で会話できる様子に私も少しホッとしました。


自分がどんな状況にいても周りの人への心配りを忘れない律儀で誠実な彼女に、これ以上苦難を与えないでほしいと切に祈るばかりです。


その彼女が、入院している病院で親しくされている患者さんが書かれた本がTVでドラマ化されるということを知らせてくださいました。


今晩26日夜9時からの「永遠へ」です。


ドラマはほとんど見ませんが、今晩はTVの前に座っていようと思っています。




さて、今回は澤地久枝氏『家族の横顔』をご紹介したいと思います。


著者澤地氏は中央公論社の編集者を経て、『火はわが胸中にあり』で第5回日本ノンフィクション賞、『昭和史のおんな』で第41回文芸春秋読者賞、『滄海よ眠れ』『記録 ミッドウェー海戦』で第34回菊池寛賞を受賞されたノンフィクションを得意分野とされる作家ですね。


細やかな取材と精密を極めた聞き取り作業には定評がある、といわれています。


その澤地氏のあとがきによると、1970年代の終わりからある雑誌に連載し、時を経て加筆出版されたものだそうです。


若き日に家族制度そのものの重圧に反発しながらも、人一倍家族に愛着を持ち続けた著者は、バブル期を通して日本の「家族」そのものが変質し、特別の存在意義をもち得なくなっていく様子に胸を痛めます。


そこここで簡単に家族崩壊が起こり、「家族」という密室の中から噴出した様々な病を筆に載せることによって、「家族」の本質に迫る、という試みで書かれた本です。



ここに収録された10話の短編は、著者が関わってこられた人生相談などを参考に、虚実織り交ぜて埋め込まれています。


1994年、国際家族年の年に脱稿した著者は、これからの家族のありようにおいて、国境を越え、血縁の有無にとらわれることない新しい「家族」とのふれあいについての希望を述べられています。


でも時は流れて現在、家族病理の根はますます深くなり、そして多方面に広がりを見せているように感じるのは私だけではないと思います。


間違った方向に突き進んでいることは誰もが感じていると思いますが、どのように修正すればいいのか・・・その足がかりとなるものがこの本からほんの少しでも見つかってほしいと願っています。


収録された10話には不倫の人妻、蒸発、拒食、義理の母子、自殺、差別、未婚の女など、様々な女たちが紡ぐ人生が澤地氏の目を通して描かれています。


このようにテーマを連ねてみると、初めはほんの小さな不協和音から始まった事柄によってだんだん取り返しのつかない状況に陥った主人公が見え隠れしますが、10話の中には、周囲の強い愛の絆によって深い穴から生還した事例などもあり、そんな物語に出遭ったときには私は深く安堵しました。

無所属で立候補されていたそのまんま東さんが宮崎県知事に当選されましたね。


ホームセンターで購入したという質素な上着を着て、緊張した表情の東さんは、職員の前で裏金について問いかけておられました。


有名タレントの応援などを断り、コツコツ演説し、80にも及ぶ公約を打ち出して4候補を抑えて勝利されたということです。


過去にはいろんな事件を起こして、ダークな部分もありましたが、政治に対する真摯な態度が宮崎県民の心を掴んだようです。


先輩横山ノック元大阪府知事の不祥事などをしっかり心に留め、期待に応える行動をしてほしいと応援しています。




今回は横山秀夫氏の『真相』をアップしたいと思います。


パトリシア・コーンウェルの作品にも同じ題名のものがありましたね。

こちらはいまだ犯人が挙げられていない有名な切り裂きジャックの真相に迫る、というものでした。

また機会があればご紹介したいと思います。



基本的には文庫以外買わないようにしている私は新聞で横山氏『真相』が文庫化されたという記事を見て、早速購入しました。


横山氏といえば上梓される作品が次々ベストセラーとなり、映画&TV化される、という現在旬の作家ですね。

このブログでも過去に以下4作ご紹介しています。

ルパンの消息 
   
第三の時効      

クライマーズ・ハイ

出口のない海


本書には人間の弱さにいろんな角度から光を当てた5つの短編が収録されています。


人間の心の闇の部分が犯す過ちに焦点を絞り、人間の愚かさを明るみに出すという手法で主人公の人生そのものを追い詰めていきます。


今回は著者が得意とする警察という舞台からはずれた、オカルティックな感が否めない短編の集まり、といえると思います。



自慢の息子を15歳で殺され、10年の後やっと真犯人が逮捕された結果、犯人の口から知ることになった息子の裏の顔と家族にとっては耐え難い不幸な結末を描いた表題作「真相」


故郷の幼なじみに請われて村長選に臨んだ主人公を追い詰めた秘密の過去を描いた「18番ホール」


不本意なリストラの末、不眠に陥った男が町を徘徊中はからずも見た事件の真相を描いた「不眠」


大学時代空手部で同期を喪った重い過去を持つ主人公にかかった1本の電話から思わぬ死の真相が明らかになっていく様を描いた「花輪の海」


刑期を終えて社会復帰した後、厳しい社会の拒絶に遭っていた男とその妻に差し出された善意の手の正体を描いた「他人の家」



どのような人生にも光があれば必ず陰の部分があります。

その陰影の濃薄によって、秘匿の度合いもかわってきます。


命を賭して隠したい過去が徐々に露わになる過程での人間の病的な畏れが綿密な筆で描かれていて、オカルト映画を見ているような臨場感はありましたが、横山作品としては『クライマーズ・ハイ』のような組織のしがらみの中での主人公の生き様を力強く描いている作品を期待する私にとっては、オカルト的な結末を周到に用意している、という作為をあまりにも感じてしまうという点で、少々肩透かしをくった作品でした。

元米国副大統領アル・ゴア氏の地球温暖化との闘いを描いたドキュメンタリー映画「不都合な真実」が話題になっています。

1月20日より全国でお目見えするそうです。


最初は全米で77館という小規模な公開から始まったようですが、あっという間に600館に増え、アメリカドキュメンタリー史上記録的なヒットとなったそうです。


アル・ゴア氏は学生時代から地球温暖化に興味を持ち、副大統領時代には地球サミットや京都議定書などの交渉に参加され、2000年に大統領選で敗れて後、本格的に温暖化危機を訴える活動を世界規模で行われている、という記事が新聞に掲載されていました。


映画では科学的データや調査に基づく事実を明らかにし、私たちにも地球を変えていける力がある、ということを具体的に示してくれる内容になっているそうです。


タイトルの「不都合な真実」とは、米国の政治家は二酸化炭素を大量に排出する企業の支援を受けていることから、温暖化の真実は彼らにとって不都合である、ということから名づけられたそうです。


皆さん、映画館に足を運びましょう。




本日は1993年初版の曽野綾子氏唯一の殺人犯を扱った小説『天上の青』をご紹介したいと思います。


「天上の青-ヘヴンリーブルー」という朝顔をきっかけにして、波多野雪子とのちに連続殺人犯になる宇野富士男の初めての出会いから物語が始まります。


著者曽野氏は、連続強姦殺人で死刑になった大久保清死刑囚をモデルに筆を進められたそうです。


大久保清死刑囚が一審の死刑判決後、控訴しなかったことから、理由を掘り下げるうちこの小説の題材に投影させることを考えられたようです。



著者が主人公を介してご自身の思いを語られていると見受けられる作品は何点かありますが、この作品がまさにそのうちの1作だと思います。



クリスチャンという設定の雪子と接するうち、自己嫌悪もなく平気で嘘をつく反社会的な男富士男の内面が微妙に変化する様を、雪子の知らない富士男の暗闇の世界との対比で見事に描いています。


「あんたみたいなことを言う人、僕の周囲には一人もいなかったんだよ。
もしいたら、僕の生活ももっと変わってたと思う」

「人のせいにするのはおよしなさいな。
あなたがいい人ならあなたの手柄だし、あなたがろくでもない生活しているんなら、それはあなたの責任なのよ」



雪子とは離れた世界で次々と殺人を犯し捕まった富士男は雪子との往復書簡で書きます。


「俺は別に後悔していない。
それというのも、いつかあんたが、『誰でも思いを残して死ぬのよ』と言ったことがあるのを、今、毎日思い出しているからだ。・・・
俺はその言葉を言った時のあんたの横顔まで思い出せる。
俺はびっくりしたが、さわやかな気分にもなった。
そうか、そんなものなのか、と思ったんだ。」


そして富士男は獄中から最後の手紙で、雪子に命を委ねます。

「もしあなたが愛してくれているなら、控訴はしない」



「同じ時に生まれ合わせて、偶然あなたを知り、私はあなたの存在を悲しみつつ、深く愛しました。
この一言を書くのに、この二日を、苦しみ抜きました」

雪子のこの返事を胸に抱いて、富士男は旅立ちました。


「もし私があの時、『あなたを愛していませんから、控訴なさい』と言ったとしても、彼は縋るように、そこに私の愛がこめられていると、思ったかもしれません。
しかし私が贈った愛は、無残なものでした。
私は、彼の死と引き換えに愛を贈ったのです。
死と引き換えに愛したのではありません。
どうせ死刑になる人だから、と安心して愛したふりをしたのでもありません」


物語の最終部で雪子に語らせた曽野氏の言葉に私は静かに心を揺さぶられました。

                    「折れた阪神高速の橋脚」

昼すぎ、夫は不安がる私の反対を押し切りマンションの部屋に戻り、辛うじて無事だったウイスキー1本と板チョコ1枚、お金そして毛布、ガウン、オーバーなど持てるだけの防寒物を持って戻ってきました。


1月の厳冬の中、着たきりで避難されていたお年寄にオーバーを着てもらい、毛布を渡し、本部席に詰めておられた校長先生方に寒さしのぎにウイスキーを持っていきました。


とりあえず会社と身内に連絡をとるため、近くの公衆電話に行きましたが長い行列でした。


すでにテレフォンカードは使えず、小銭の数が限られていたので最小限、夫の会社と兄、私の母と従姉に電話して、子どもたちや他の親戚への連絡を頼みました。


そのとき内職で請け負っていた校正原稿は脱出するとき無傷で持って出ましたが、続けられる状態ではないと判断、姉に頼んで出版社に連絡してもらい、ただちに返送しました。



そうしているうちに、近くの高級スーパーイカリから食パン1人1枚ずつと牛乳の差し入れがあり、親切が身にしみました。



夫を含む男性の方々が相談してグループ分けをし、近くの倒壊した家から許可を得て木々を集め、校庭でグループ毎に一晩中焚き火をしました。

夫が作ってくれた風除けのダンボールや黒板などに囲まれ、体育用マットで横になりました。


本部席のマイクからは、被災者の無事を確認するため遠方から訪れた肉親や友人の方々の呼びかけがひっきりなしに一晩中流れていました。


離れて暮らす子どもたちの安否を尋ねて、長い距離を歩いてたどり着かれた様子の年老いたご両親の悲痛な呼びかけには胸が熱くなりました。


寒さに震え、絶え間ない地鳴りのような余震を直接体に感じながらまんじりともせずその夜が過ぎていきました。

後の報告によると本震が発生してから丸1日の間に700回以上の余震があったそうです。



当時小学6年だった二男はその日以来、3月下旬に卒業式を迎えるまで学校に行くことはありませんでした。


避難していた小学校は築80年以上の古い歴史の学校だったので、地震のダメージにより校舎を使うことができず、二男の卒業式は校庭に仮設されたプレハブで行われました。

続く中学生活もプレハブ校舎での3年間を過ごし、新しい校舎が完成したのは卒業後1年経過してからでした。



翌18日は曇天の中、一時小雨が降り、寒さが加速しました。


東灘の臨海部でガスタンクが爆発する危険性があるということで、六甲アイランドの住民8万人がJR線以北へ次々に避難して来られました。


兵庫県警の発表によると、翌朝の段階で死者1800人、行方不明者1000人に達していました。


頭上ではひっきりなしにマスコミのヘリコプターが旋回し、水も食料もなく寒さに震える被災者の心を逆なでしていました。


道路では緊急車両や消防車、救急車が絶えずサイレンを鳴らしながら行き交い、起こった出来事の大きさを物語っていました。


小学校の前には大阪から焼き芋販売の業者の車が来て、1個3000円という法外な価格の焼き芋を被災者に売りつけていました。


近くのダイエーでは整理券を発行し、おかしやカップラーメン、ティッシュペーパーなどを一家族制限数で売り尽くしました。


私と二男は友人たちと4時間ほど並び、カップラーメンや食パン、牛乳を買いました。


夫が部屋から持ってきた板チョコを友人たちと1かけらずつ分けると、涙ながらに感謝されたことを微笑ましく思い出します。


このようにして飢えと寒さと不安の1日が終わりました。



翌日小学校前にやはり大阪からラーメンの屋台が400円という安価で提供してくださることを聞き、縁石に座って順番を待っていたとき、夫の長兄と姪が大津からリュックとズック姿で私たちを捜しにきてくれたのに運良く出会いました。


体で感じる有感地震の間隔が長くなったので、兄たちと共にマンションに戻り、兄持参のお弁当をいただきました。


明るい日光の中で初めて見た部屋の惨状は目を覆いたくなるほどでした。


リビングダイニングのじゅうたんはキャビネットからのウイスキーやブランデーなどの瓶、グラスやコーヒーカップ、お皿などが割れて、アルコール液体と共にガラスなどのかけらが散乱していました。


すべてに目をつぶり、とりあえず身の回りのものと貴重品を取り出し、兄たちと共に車で大津に向かいました。



岡本→芦屋→西宮→大阪と進むごとに神戸とは全く違う平穏な日常が営まれていることに驚きながら8時間かけて大津の義兄宅にたどり着きました。



大阪京橋のオフィスに勤めていた夫は翌日、鶴橋にあった会社の独身寮に入居し、しばらく別々の避難生活が始まりました。



それから我が家の復興までの月日にはいろいろなことがありましたが、ここでは書ききれませんので、また別の機会に記録に残したいと思います。


最終的に我が家は「半壊」と認定されました。


ほとんどの家具、電化製品は壊れましたが、親子3人は現在も元気に過ごせています。



近隣の助け合い、譲り合いのマナー、感謝の気持ち、ボランティア、どれをとっても私たちの周辺にはすばらしい人たちがいたことをご報告しておきます。

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