VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2007年02月

「脳死」イコール「死」という概念が議論の末、徐々に広がりつつある中、以前は臓器単体だった意思表示カードも「脳死」を踏まえたカテゴリーを含む全臓器提供カードにと移行しました。

私は20年ほど前に腎臓単体での提供意思表示カードを持っていましたが、先日病院に行ったついでに新しいドナーカードをもらってきました。

これらのことをSNSのmixiサイトで書いたところ、たくさんの方からコメントをいただきました。

mixiでお読みいただいた方は二重になると思いますが、日記の一部を貼り付けておきます。

◆◆   ◆◆   ◆◆   ◆◆   ◆◆   ◆◆   ◆◆   ◆◆

臓器提供の意思表示は以下の3つのカテゴリーに分かれています。

�@私は、脳死の判定に従い、脳死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。
 心臓・肺・肝臓・腎臓・脾臓・小腸・眼球・その他(  )
�A私は、心臓が停止した死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。
 腎臓・脾臓・眼球・その他(  )
�B私は、臓器を提供しません。

曽野綾子さんがどこかで書いていらっしゃいましたが、ある提供者が生前�@を○で囲んだものの「その他(  )」が空欄だったため死後眼球提供を拒否されたということです。

なので私は念を入れ、�@を○で囲み、羅列した臓器をすべて○で囲み、その他の(  )に「全部」と書いて○で囲みました。

杓子定規な法律解釈は当事者の責任回避の術でしょうが、もっと人間的な柔軟さを持って解釈してほしいと思います。

以前夫と話したとき、臓器提供には大反対だった記憶があります。

ドナーカードには本人署名欄に加え家族署名蘭がありますが、「可能であれば」となっているので、夫が署名を拒否しても大丈夫でしょう。

生きているうち社会にほとんど貢献できていない自分に与えられた最後のすばらしいチャンスなので、夫が反対してもどうしても実行したいと思っています。

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以上がmixiの私の日記の一部ですが、多くの方々のコメントにより幾様もの考え方あるということを理解させていただきました。
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今回は小川洋子氏『博士の愛した数式』をアップしたいと思います。


著者小川氏は数年前までご主人の勤務の都合で岡山に在住され、感性豊かな作品を次々発表してこられました。


岡山に本社を持つベネッセ(旧福武書店)で小論文の添削員をされる傍ら書かれた小説『揚羽蝶が壊れる時』が福武書店の海燕新人文学賞を受賞されたのがスタートです。


1988年『揚羽蝶が壊れる時』で海燕新人文学賞
1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞、
2004年「博士の愛した数式」で読売文学賞、本屋大賞、
「ブラフマンの埋葬」で泉鏡花文学賞、
2006年「ミーナの行進」で谷崎潤一郎賞を受賞されています。

その他フランスで映画化された『薬指の標本』、『冷めない紅茶』など独特の小川ワールドに誘ってくれる作品を数多く発表されています。


このブログではアンネ・フランクの足跡を辿る旅で出会ったアンネの姿をエッセー風に語った『アンネ・フランクの記憶』をご紹介していますので、よかったら覗いてくださいね。

    http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/101



さて、本書は寺尾聰&深津絵里主演の映画があまりにも有名になったため、へそ曲がりの私は人気が静まるのを待って文庫本を手にしたのでした。


流行りものに弱い日本人の気質に常々反発を覚えている私はこぞってすばらしいという感想を耳にすると逆に引いてしまうのが常ですが、今本書を読み終えて、どんな言葉に表せばあふれる思いが伝えられるか、ただ途方に暮れています。


小川氏の作品は数多く読んでいますが、現実から薄い不透明なベールで隔てられた世界を描くことで、人間の心に潜む繊細な危うさを表現してきた今までの作品から大きく飛躍したものをこの作品に感じました。


今までの作品から決まって誘発されていた生に対する漠然とした不安感や焦燥感を一掃するような生への愛おしさ、悦びをストレートに読み手に与えてくれる力強い作品となっています。


私が拙い文章で綴る感想以上のものを皆さんは既に感じていらっしゃると思いますが、私なりに書いてみたいと思います。



交通事故の後遺症で80分の記憶しか保つことができない「博士」と呼ばれる初老の数学者、
若くして未婚のまま母親になった家政婦の「私」、そして小学生の息子「ルート」・・・この寄る辺ない3人の優しく、切ない交流の日々を描いたものです。


事故であらゆるものを喪った博士の口から語られる「数」に関する美しい言葉の数々

☆例えばマイナス1の平方根について

 「とても遠慮深い数字だからね、目につく所には姿を現さないけれど、ちゃんと我々の心の中にあっ  て、その小さな両手で世界を支えているのだ」

☆「私」の誕生日220と博士の腕時計のNO284について

 「220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。
 滅多に存在しない組合せだよ。
 フェルマーだってデカルトだって、1組ずつしか見つけられなかった。
 神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ」

☆1本の直線について

 「物質にも自然現象にも左右されない、永遠の真実は、目には見えないのだ。
 数学はその姿を解明し、表現することができる。
 なにものもそれを邪魔できない」

☆博士と息子との初めての出会いで

 「君はルートだよ。
 どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」


生まれたときから抱擁を受けたことのなかったルートを博士は深い愛といたわりで深く抱擁します。

80分で記憶が途切れてしまう博士の何と深い愛のしぐさでしょう。


幼い子どもと数学に対するこれほどまでに崇高な博士の愛の前で私は言葉が見つからないほどの感動を覚えます。


そしてその崇高な抱擁を受けるルートとその母である「私」も博士の無垢の愛に値する人たちであることが私に限りない心の平安を与えてくれるのです。


「この世で博士が最も愛したのは、素数だった・・・
彼の愛し方は正統的だった。
相手を慈しみ、無償で尽くし、敬いの心を忘れず、時に愛撫し、時にひざまずきながら、常にそのそばから離れようとしなかった・・・
こんな幼稚な私たちを数論学者のように扱ってくれる博士の努力に、ルートと私は報いる必要があった」



終わりの時が近づいた博士と成人したルートの希望と愛にきらめくような抱擁の中で、「私」と「ルート」がプレゼントした背番号28の江夏豊の野球のプレミアムカードが愛の証として静かにゆれている、博士が愛した完全数28が・・・ラストシーンが読み手の私の心を今も深く捉えています。


人間の尊厳とは何か、家族愛を超えた真の愛とは何かに気づかせてくれた本です。

以前このブログでもご紹介したグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス氏がバングラデシュで新党結成の意欲を表明されたそうです。


ユヌス氏は貧しい人々のために従来の銀行を超えた貧者の銀行を設立し、多くの下層階級の人々に意欲と希望を与えたということで昨年のノーベル平和賞を受賞された方です。


詳しくは『ムハマド・ユヌス自伝』の読後感を書いていますのでよかったら読んでください。

      http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/75


バングラデシュではバングラデシュ民族主義党とアワミ連盟という2大政党が政権交代を繰り返し汚職のうわさが絶えず、不安定な経済状態の中暴動により総選挙が延期になりました。


こうした中での新党構想は多くの人々から歓迎されているようです。


ユヌス氏の力が政治の世界でどのように発揮できるかとても楽しみです。




今日は沢木耕太郎氏『血の味』をご紹介したいと思います。


『深夜特急』などノンフィクションの分野で、緻密な取材に裏づけされた独特のシンプル&客観性に富んだ文章で多くの読者を魅了している著者の初の長編小説として2000年に上梓されました。


当時の社会党浅沼稲次郎刺殺事件をテーマにした『テロルの決算』でデビュー、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。

このブログでも氏の別の作品『壇』を取り上げています。

       http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/56



著者はこの作品の後記で次のように書いておられます。


「この作品は、15年前に書きはじめられ、10年前にほぼ9割方書き終えていたものである。
しかし、自分で書いていながら、そこに書かれていることの意味が充分に理解できないため、最後の1割を残して放置されていた・・・
’無名‘と名づけた長編を書いている途中で、突然、何を書こうとしていたのかがはっきりとわかる瞬間が訪れた」


著者沢木氏が「書きたかったテーマ」を求めて読み終えた私ですが、作品全体に流れる「生への虚無」という漠然としたものしか掴みえませんでした。


「中学三年の冬、私は人を殺した」という衝撃的な言葉を冒頭に配置した著者は、20年後の「私」の過去~現在までの回想という形で殺人の必然性を浮き彫りにする、という努力をされたようです。


ボクサーという過去を持つ醜いホモセクシュアルの男
母親との離婚後も、それよりずっと前からも、現実を生きているように感じられない父親


虚無を生きているようなこの2人の男から遠ざかろうとするほど、不思議な力で引き戻される主人公の少年期の屈折した情緒が冷めた筆致で描かれています。


現実から浮遊した行動が不思議なリアリティーを持って迫ってきますが、残念ながらその中に読者である私の読後感を満たすような納得を得ることができなかったことを報告したいと思います。


「そう、すべてにおいて後悔はしていない。もし私に後悔することがあるとすれば、私には私を殺してくれる私がいないということだけだ」


最後まで掴みどころのない漂白感漂う物語でした。

皆さんはどう感じられたでしょうか。

音楽好きの夫は家にいるときはずっと音楽を流しています。

洋楽オンリー&オールラウンドの夫は最近買ったエンゲルベルト・フンパーディンクのアルバムを繰り返し聴いています。

ドイツの著名な作曲家の名前をそのままいただいたということですが、インドのマドラス出身の彼は下積みの長い時代を経て ‘ Release Me ‘ で大ブレイクしました。

その ‘ Release Me ‘ を聴きながらこれを書いています。

Please release me,let me go
For I don’t love you anymore
To waste our lives would be a sin
Release me and let me love again
I have found a new love,dear
And I will always want her near
Her lips are warm while yours are cold
Release me,my darling,let me go

Please release me,can’t you see
You’d be a fool to ding to me
To live a lie would bring us pain
So release me and let me love again,let me love,
Let me love


1950年代にジミー・ヒープによって歌われ、その後もトム・ジョーンズ、プレスリーなど多くの歌手によって歌われ続けていますね。

フンパーディンクも豊かな声量で切々と訴えかけるように歌っていますが、よくよく歌詞をごらんください。

「僕を解放して・・・もう君を愛してないんだ・・・他に好きな人ができたんだ・・・」などすごく残酷な、エゴイスティックな歌詞の羅列、女性の側からすると I never do release you!! と言いたくなると思うのはへそ曲がりな私だけでしょうか


ちなみに私にはやはりプレスリーのカバーが最高です。




さて本日はメアリー・W・ウォーカーによる『神の名のもとに』です。  

雑誌記者モリー・ケイツを主人公とするシリーズ3部作『処刑前夜』『神の名のもとに』『すべて死者は横たわる』のうちの1作です。


著者ウォーカーはアメリカテキサス州オースチン在住の作家です。

1991年に出した処女作『凍りつく骨』がアガサ賞、マカヴィティ賞
2作目の『処刑前夜』がMWA最優秀長編小説賞
本書がハメット賞、アンソニー賞、マカヴィティ賞のトリプル受賞というすごい実力の持ち主です。

残念なことに非常に寡作で、デビュー以来上梓したのは4作のみ、次作を首を長くして待ちのぞんでいる読者は多いのではないでしょうか。

登場人物の心理描写が群を抜く緻密さで、時代時代を反映する題材をタイムリーに取り上げる手腕には敬服します。


執筆前年の1993年、テキサス州ウェーコで起きたカルト集団「ブランチ・デビディアン」の集団自殺事件が本書に反映されています。

世界中で大きく報道されたので、ご記憶のある方もいらっしゃるでしょう。


「カルトとは、部外者が社会的に是認しがたい過激な宗教団体を侮蔑をこめて呼ぶ言葉である。
しかし、内部の人間は自分たちこを唯一の真の信仰と教義-脈々と受け継がれてきた直系の預言者の教えを守る人間だと考えている」


狂信的なカルトの教祖サミュエル・モーディカイ率いる邪教集団がスクールバスを襲撃し、50日後に来る終末に備え、運転手と11人の子どもたちを神への捧げものとするためカルトの本拠地「ジェズリールの家」の地下に監禁し、45日が経過したところからこの物語が始まります。


過去に唯一モーディカイの単独インタビューに成功したという理由で、雑誌記者モリーはFBIさえ手出しできず膠着状態が続く12人の救出作戦に関与するようになります。


地下に閉じ込められた運転手ウォルター・デミングと子どもたち11人の物語と、モリーを中心とする様々な救出のための行動の物語が交互に巧みな筆致で語られていきます。

モリーの粘り強い調査により次々明らかになる教祖モーディカイの哀しい出生と生い立ち、またベトナム戦争での傷跡を抱えたデミングのことなど、事件という枠を超えた丸ごとの人間を捉えることで事件の核心に迫る手法の見事さに感動してしまいます。


根幹のストーリーもさることながら、細かい枝葉の配置の仕方もすばらしく、どのパートも著者が息を抜くことなく、一気に書き抜いたと感じられる緊張感あふれる作品になっています。


地下の監禁生活でデミングが子どもたちのために毎日作り続けたヒメコンドルの物語が所々に挿入され、それが絶望の地下に灯されたほのかな希望の光の役割をしています。


ベトナムから戻ったとき
☆だれとも深い関わりを持たず
☆残りの人生をひっそり過ごし
☆非暴力の誓いを立てたデミング。

結果的に報道機関によって世界中の人々の目に晒され、子どもたちと深い絆を築き、暴力に遭い、図らずもすべての自分の誓いを破ってしまうことになったデミング。


私にとってこの本は「ウォルター・デミングの愛の物語」です。

是非読んでほしいお薦めの一冊です

「女性は子どもを産む機械」と発言された柳沢厚労相が、今度は少子化対策への取り組みに関して「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」と発言したため、またまた波紋が広がっています。


多くの方々から「子どもがいない、あるいは1人の場合は不健全とも受け止められる」と反発されています。


発言すればするほど、深みに嵌っていくお気の毒な柳沢氏ですが、「週刊朝日」では奥様が「夫を叱る!」と銘打ってインタビューに応じられているようです。


見出しだけなので詳しい記事の内容は知りませんが、柳沢氏が頭を抱えておられる様子が目に見えるようです。


今回の発言を利用して政治に繋げる反発を表明する議員の方々も含めた世の男性方の中にも、言葉の奥底のご自分の女性に対する意識を言い当てられたように感じている方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。


男性だけでなく、女性の中にも柳沢氏と同じような意識を抱いている方も少なくないと思います。


意識改革は長くゆるやかな歴史の中から自然に変化してくるものではないでしょうか。


男性、女性の枠を超えて、ある意味でのいじめにつながるような発言は形だけでも慎んでほしいと思います。




今回は現在活躍されている7人の人気作家による『いじめの時間』をご紹介したいと思います。


以下が執筆された方々の略歴です。




★江國香織氏-2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞、エッセイストであり俳人である江國滋氏の長女

★大岡玲氏-1989年『黄昏のストーム・シーディング』で三島由紀夫賞、1990年『表層生活』で芥川賞受賞、詩人大岡信氏の長男

★角田光代氏-1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞、2000年『キッドナップ・ツアー』で路傍の石文学賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞受賞、夫は芥川賞受賞者伊藤たかみ氏

★野中柊氏-1991年『ヨモギ・アイス』で海燕新人文学賞受賞

★湯本香樹実氏-1992年『夏の庭』で日本児童文学者協会新人賞、児童文芸新人賞受賞

★柳美里氏-1996年『フルハウス』で泉鏡花文学賞、1997年『家族シネマ』で芥川賞受賞

★稲葉真弓氏-1992年『エンドレス・ワルツ』で女流文学賞、1995年『声の娼婦』で平林たい子文学賞受賞


「魂を壊さないでよ」という帯がついたこの本では7人の作家がそれぞれいじめる側、いじめられる側にたって物語を作っています。


読んでいくうち、どんな人間の心にもある残酷なかけらがふと何かのきっかけが後押しして表層に顔を覗かせたが最後、どんどん深みに嵌っていくという行程が理解できます。


どのように時代が流れようが、対象が変わろうが、「いじめ」を根絶することはとても難しいような気持ちにさせられる本です。


◆無二の親友の心が危うくなっていくにつれ、だんだんクラスで孤立していく様を描いた江國香織氏「緑の猫」

◆ありきたりの家庭生活の夫であり父親である高校教師の心の中に潜む他虐的行為を描いた大岡玲氏「亀をいじめる」

◆部活動という実力がものをいう世界でいじめに遭う非力な主人公が密かに計画した仕返しを実行する様子を描いた角田光代氏「空のクロール」

◆座席という教室の居場所をめぐって、どんどん不安の海に流されていく高校2年の少女が踏み込む虚実ないまぜの世界を巧みに描いた野中柊氏「ドロップ」

◆いじめる側にいた少年が標的の少年と心を通わせたことで降りかかった恐ろしい結末までを描いた湯本香樹実氏「リターン・マッチ」

◆転校生を教室に迎えたことでどんどんいじめの気持ちと行為が膨らんで、最後にはパチンとはじけてしまうまで自分の気持ちに折り合いをつけられない気持ちをいじめる側の少女を通して描いた柳美里氏「潮合い」

◆体の不具合から‘かかし’とあだ名され、いじめから逃れ、死ななくてすむように家出した中学生の少年が先生や母親、級友に当てて書いた手紙形式の稲葉真弓氏「かかしの旅」


「かかしの旅」の主人公の少年の言葉には重みがあります。

「ぼくは思う。
本当は、みんなも怖いんだろうなって。
だれかを追い詰めて、とかげのしっぽきりみたいなことをしていないと、体が震えるほど孤独なんだ。
殴ったり、殴られたりしてないと生きてる気分がしないんじゃないか」


子どものいじめの背景にある大人の社会の暗部。


ここで出てくる子どもたちに比較して、教師、親たちのなんと影が薄いことか、そして保身を第一義とした大人たちの道化師のような行動が何一つ解決の道に到達しないことの頼りなさを感じました。

夕食に使おうとジャガイモを取り出してみると、あちこちに芽が出ていました。

ジャガイモの芽には毒性があるということなのできれいに芽を取り除きましたが、本当に毒性があるのかどうか、気になって調べてみました。


グリコアルカロイドというのが毒性の正体で、正常なジャガイモにも0.02%ほど含まれているそうですが、これは1度に食べる量としては問題ないということでした。

でも緑化したジャガイモや芽には正常のジャガイモの20~40倍のグリコアルカロイドが含まれているので要注意だそうです。


グリコアルカロイドの致死量は、成人体重1kg/3~5mgで、成人が200~350mg摂取すると中毒を起こしたり、死に至ることもあるそうです。


緑化ジャガイモや芽が出たジャガイモには注意しましょう。

      http://www.geocities.jp/a5ama/e045.html



さて今回は宮本輝氏『幻の光』をアップしたいと思います。  


本書は宮本氏が1978年に『蛍川』で芥川賞を受賞した後の作品で、1995年には是枝裕和監督により同名で映画化され、その独特の抑制された映像で話題になりました。


ヴェニチア国際映画祭金のオゼッラ賞を受賞、主演の江角マキコさんはこの映画で日本アカデミー新人賞を獲得されました。


時間が止まったような長回しのカメラアングル、全体を抑えたモノクロのような映像、そして舞台となる尼崎の主人公の孤独を反映するような雑踏、厳しい冬の能登半島、そのひとつひとつが主人公の心を写しとる鏡のような役割を与えられ、密かに息づいている、そんな仕上がりになっています。


原作を超える映画はないといわれていますが、作者の思いをかなりの精度で伝えているすばらしい作品になっていると思いますので、機会があればご覧になってください。



物語は主人公ゆみ子の亡き夫への語りかけで流れていきます。


「きのう、わたしは三十二歳になりました。
兵庫県の尼崎から、この奥能登の曾々木という海辺の町にとついできて丸三年が過ぎたから、あんたと死に別れて、かれこれ七年にもなるんです・・・
雨上がりの線路の上を、背を丸めて歩いていくあんたのうしろ姿が、振り払うても心の隅から浮かんでくるのや」


小学校6年のとき知り合った2人は貧しい境遇の中、子どもも生まれ、親子3人精一杯の幸せで肩を寄せ合って暮らしていました。


そんな永遠に続くと思っていた平凡な日常の連鎖がある日突然、夫の鉄道自殺によって断ち切られてしまいます。


その日以来、電車に背を向けて線路を歩いていく夫の姿が振り払っても振り払っても胸の奥にとぐろを巻き、底なしの暗い焔となってゆみ子を捉えて離さなくなります。


奥能登の曾々木での平凡な幸せな生活の中でも、常に渦巻く喪失感と「なんで死んだん」という底なしの悔しさに地団太を踏む主人公の内面を映し出すような能登の海の厳しい自然を伴走させて描いている筆致はすばらしいものです。


著者が『錦繍』で主人公に語らせた「もしかして生きていることと、死んでいることは同じかもしれない」というテーマを彷彿とさせるものがこの物語にも感じられます。


「なんで死んだんやろ、なんであんたは、轢かれる瞬間までひたすら線路の真ん中を歩きつづけたんやろ、いったいあんたは、そうやってどこへ行きたかったというんやろ」



「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」

新しい夫の答えによって、人間には精を抜いていく病気があるんやと考えるようになります。


春も盛りになり、濃い緑色に変色してきた曾々木の海に時として幻にも似た光を見ることがあります。

「ひょっとしたらあんたも、あの夜レールの彼方に、あれとよく似た光を見てたのかもしれん」

生と死の間で揺らめく幻の光に吸い込まれない人生を手探りで歩みだした主人公の日常の1コマでこの物語は終わりを告げます。



この作品を評して「読み終わったあと、救いというよりも明るさを感じた」とおっしゃった水上勉氏は、著者との対談で宮本文学を次のように語っておられます。

「灰色を一面に塗っておいてから人物や風景を書き始めるあなたの作法は、あなたの語りの原点の1つです」

水上氏の言葉に宮本文学の全体像が見えてくるようです。

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