VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2007年05月

メール全盛の時代、幼児から高齢者まで手軽にメールで自分の気持ちを伝えられるようになりました。

電子メールは手紙には縁遠かった若者にも文字で相手に何かを伝えることができる点では
とてもよい道具だと思います。

それでも机に向かって自筆で書いた手紙ほどすばらしいものはないと思います。


天皇陛下のご学友であるジャーナリスト橋本明氏が書かれた「美智子さまの恋文」の中の1通の手紙は私たちの胸を打ちます。

「ご家庭なしにこれまで遊ばしていらした東宮さまのお話を、そしてそのように過程がお欲しかったということを、一人で思い出します時、いつも涙が出てまいります。

お立場への御不満を、決して仰せになりません中、ふと、ただ一度『家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った』と、お話下さったとき、私はいままでの自分の見聞の中にも、読みました小説の中にも、このように寂しい言葉はなかったと思いました。

そしてその中を、二十五年間お歩みになっていらした東宮さまのおために、力をつくして、温かい家庭をお作りしたいと思いました」

そしてご決心通りのすばらしいご家庭を築いていらっしゃる現在ですね。



今日は佐木隆三氏『死刑執行』をご紹介したいと思います。


ここで紹介されている死刑囚川辺敏幸のたくさんの手紙も私の胸を揺さぶりました。


著者佐木隆三氏は高校卒業後就職した八幡製鐵労組で労働運動をしながら発表した作品『ジャンケンポン協定』で新日本文学賞を受賞したのをかわきりに、沖縄復帰運動などに関わりながら労働者作家としての足固めをしていきます。


連続殺人犯、西口彰の裁判を傍聴したのをきっかけに1976年『復讐するは我にあり』で第74回直木賞を受賞。

以後実際社会で起こった事件をモデルにドキュメンタリーに近い社会派小説を数多く発表されています。


本書は北九州市の暴力団三代目大菊組組員であった川辺敏幸が4人殺害後死刑になるまでの間、著者に送った15通の手紙を元に書かれたドキュメンタリーです。

従って本書は事件の犯人川辺と佐木隆三氏の共著ともいえます。


不幸を絵に描いたような生い立ちの川辺ですが、強盗・傷害などの罪で前科4犯、6年の刑を終えて福岡刑務所から出所したばかりの川辺が4人を殺害して逮捕されたのは昭和50年6月、30歳の時でした。


著者への手紙で「きっと世の犯罪者達の戒めとなるでしょうし、また病める若者の傷を深めることなく救う結果となるでしょう」と書き、拘留中書き綴った手記を資料として提供したいと希望を持っていました。


死刑判決の後、弁護士により控訴手続きがなされましたが、手記を書き終えた川辺は自ら控訴を取り下げ、死刑が確定しました。


「稚拙な文では御ざいましたが、やっと書き上げたという充実感を、しみじみと味わっております。
これで何一つ思い残す事もありません。
御心配頂いておりましたが、控訴取り下げを致すつもりです」


そして大好きなお母さんへ当てて

「母さんへお詫びの申し様もございません・・・
ところで母さんには辛い事でしょうが、遺言のつもりで言っておかねばならない事があります。
アイバンクというところに私の両目を売り、金が出来たら全部被害者の家族に渡してやりたいと思うのです。

母の日や夢に久しく水入らず
母の日やあまえし昔を懐かしむ
2度と来ぬ春なりしかば惜しむ今朝」


川辺が最期を前に出した最後の手紙は、「死刑囚の母」と呼ばれ、多くの死刑囚に慕われている篤志面接委員で80歳になる方に当てたものでした。

「母さんには口舌に表せぬほど御厚恩に預かり、心より感謝致しております。
今日、突然旅立ちの日が参りました。
予期していた旅立ち故動揺はございません。
これも母さんの日頃の思し召しの御蔭です。

ぎりぎりの生命燃して咲く花の  心うたれし死囚なりせば!」


こうして53年11月、死刑が執行されました。


インタビューでの「死刑囚の母」の言葉はずっしりと胸に迫ります。

「これまで20年のあいだ、いろんな人が処刑されていったけど、みんなよい子だった。
ふつう死刑囚といったら、鬼か蛇かと思っていらっしゃるけど、そんなことはありません。
だれも変わらない、あなたも死刑囚も。
私だって今晩にでも人を殺さんともかぎらない。
みんなふつうの人間です」

本日は曽野綾子氏『哀歌』をご紹介したいと思います。

両手で受け止めるにはあまりにも重い主題を前に、ただ茫然と立ち尽くしているばかりの私は、この本の雑感を書くには貧しすぎる心を思い知らされています。

信仰を持たない私には許容量が少ない心と共に反発する心もあり、複雑な読後感を持ちました。

日本財団の会長だった著者が「アフリカ発見」の旅でルワンダに入ったのはルワンダ虐殺の日々から3年が経過した1997年でした。


「襲撃された教会の内部にはまだ人骨が散乱し、遺骨を納めた半地下式の納骨堂の内部の腐敗臭は鼻を衝くばかりだった」

映画「ホテル・ルワンダ」の舞台となったホテル・ド・ミル・コリンの売店で虐殺の具体的な証言集を手にした著者はそこに本書『哀歌』を書く原点を見つけます。

それから6年という醗酵期間を経て、本書が誕生しました。


「涼しく清らかな『朝はアフリカの慰め』だと思えるのに、午前十時を過ぎて突然空気が燃えるように厚くなると、アフリカの『真昼は裏切りと怠惰に火がつく』のであった」


このような土地で起こった民族間の対立による憎悪と殺戮を、ある日本人修道女の目を通して描いているのが本書です。


言語も習慣も同じで通婚もあるフツ族とツチ族の間の対立からわずか100日という短い期間で100万人が犠牲になったルワンダの大虐殺は、時遅くして世界中の人々にやっと注目され、映画や本にもなりました。


私自身もこのブログで取り上げた『ジェノサイドの丘』によって詳細を学び、当時何の関心も寄せなかった自分に憤りを感じました。
よかったら読んでください。
           http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/127



曽野綾子氏は本書『哀歌』ではあえて政治的背景には触れていませんが、学んだ範囲で簡単に書いてみたいと思います。


第一次世界大戦終結以前はドイツの保護領、その後ベルギーの信託統治領となり、1962年に独立したという経緯を持つルワンダですが、宗主国が行った分裂統治の一貫としてツチ族がフツ族の上位に立つという観念を植え付けていました。

1973年に人口が9割を占めるフツ族がクーデターにより実権を握ってからは上下関係が逆転、少数派のツチ族はルワンダ愛国戦線(RPF)を結成して対抗。

1994年4月、時の大統領であるフツ族ハビヤリマナ大統領暗殺事件発生を契機に、フツ族過激派を中心としてツチ族及びフツ族穏健派に対する大虐殺が始まります。

4月から6月での3ヵ月間で80~100万人の犠牲者が出るという大虐殺に発展、国連ルワンダ支援団(UNAMIR)の無能ぶりが暴露される中、ルワンダ愛国戦線(RPF)が制圧して幕を閉じました。


この3ヶ月間の出来事を修道女の目を通して描いたのが『哀歌』です。


アフリカ最貧国の修道院に赴任したスール・マリーこと鳥飼春菜は、多数派のフツ族とかっては特権階級にいた少数派のツチ族の対立という厳しいアフリカの現実に晒されます。


文明の利器がほとんどない中、国営放送を流すラジオから間断なく流れる「ゴキブリ(ツチ族)を殺せ!」というアジテーションは、修道院の中のフツ族とツチ族のスール達の関係にすら微妙な影を投げかけます。

フツ族の幼い少年も民兵に加わり、中国製の山刀や手榴弾が出回る現実の中、春菜は黙想会で旧約聖書の「哀歌」に触れます。


ユダ王国の都エルサレムの滅亡と捕囚という厳しい現実から生まれた5つの歌からなる「哀歌」は、エルサレム崩壊という絶望に対して神に訴える歌であるとミッシェル神父は説きます。

「わたしは愛した人々に呼びかけたが皆、わたしを裏切った。
わたしの祭司ら長老らは、都で息絶える
命をつなごうと、食べ物を乞いながら」

「砂利をかませてわたしの歯を砕き 塵の中にわたしを打ち倒す。
わたしの魂は平和を失い 幸福を忘れた」

「立て、宵の初めに。
夜を徹して嘆きの声をあげるために。
主の御前に出て 水のようにあなたの心を注ぎ出せ」


嘆きは決して荒々しい、破壊的な、攻撃的なものではなく、苦しみを耐えしのびながら、黙して静かに、神さまの救いを待つという姿勢であると神父は語ります。


正気を失った群衆たちによる殺戮の真っただ中、修道院の庭師に陵辱されるという事故とも見紛う更なる過酷な運命を甘受したまま日本脱出した春菜は、妊娠という事実を突きつけられます。


文庫の下巻では、日本脱出の際偶然アフリカの空港に居合わせた日本人画商・田中一誠との運命的な出会いを通して、春菜が子どもを産む決意をするまでが描かれています。


鳥飼さんは必ず受けた運命を受諾する」という田中の言葉の呪縛により、それ以外の道を取ることができなくなる春菜に、田中は旧約聖書「哀歌」の一部を持ち出します。

「立て、宵の初めに。
夜を徹して嘆きの声をあげるために。
主の御前に出て 水のようにあなたお心を注ぎだせ。
両手を上げて命乞いをせよ あなたの幼子らのために」

「主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる」

生まれた子どもを愛することができないかもしれないという春菜に、田中は言います。

「子どもを憎んでいてもとにかく子どもが気がつかないようにすればいいわけだ・・・
嘘は最後までうまくつきおおせれば、それで真実になるんだから」

そして田中は春菜の子どもが満20歳になった翌日に2人と会う約束をします。


信条ともいえる言葉を田中や「哀歌」に託した著書ですが、主人公の人生の重要な部分に関わる田中という人物の設定とともに、その田中の言葉を通してお腹の子どもの運命共々委ねるという主人公にどうしても納得できない感情が私の中にあることを告白してこの貧しい雑感を終わりにしたいと思います。

 
円通寺に来りてより 
幾春冬なるかを知らず
門前千家の邑
更に一人を知らず
衣垢つけば 手自ら洗い
食尽くれば 城門に出ず
曽て高僧伝を読む
僧はよろしく清貧なるべし


倉敷の円通寺に行きました。

約1200年前、現在の倉敷市玉島の地に行基菩薩によって星浦観音の霊場が開創され、その後、元禄11年(1698年)徳翁良高禅師によって曹同宗寺院として開山されたそうです。

昭和43年に名勝地として岡山県の史跡指定をうけています。

円通寺が多くの人々に知られているのは、そこが若き日の良寛が22歳から十数年修行されたお寺だからです。

越後生まれの良寛は22歳から38歳頃まで当山で修行、その後全国を行脚して聖僧と慕われたということです。

素朴なお寺の境内には放浪の詩人として有名な種田山頭火の句碑がありました。

「岩のよろしさも良寛さまのおもいで」

良寛を敬慕していた種田山頭火が昭和11年にここ円通寺を訪れ、岩の多いお寺に厳しい修行時代の良寛の面影を偲んで詠んだ句だそうです。

放浪を好む2人は時代を超えて惹かれるものがあったのでしょうか。

最後に私が好きな山頭火の句を少し

ころり寝ころべば青空
分け入っても分け入っても青い空
まっすぐな道でさびしい
銭がない ものがない 歯がない ひとり



今日は第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作海道尊氏『チーム・バチスタの栄光』をご紹介します。


現役外科医である海道氏によるデビュー作である本書は満場一致で「このミス」大賞に選ばれました。


「このミス」選者である翻訳家の大森望氏は、本書のリーダビリティと娯楽性は史上最高であると述べられています。


「白鳥を主役にシリーズ化してほしい」という大森氏や読者の希望は早い時期に叶い、
『ナイチンゲールの沈黙』、『螺鈿迷宮』、『ジェネラル・ルージュの凱旋』と、立て続けに田口&白鳥コンビのシリーズが発表されました。


受け売りですが、本書のタイトルである「バチスタ」とは「バチスタ手術」、正式名称を「左心室縮小形成術」。


創始者R・バチスタ博士の名を冠した俗称で、肥大した心臓の一部を切り取り小さく作り直し、心臓の収縮機能を回復させるという拡張型心筋症に対する手術術式で、心臓移植の代替手術として1992年から日本でも実施されているものだそうです。


架空の東城大学付属病院を舞台に、陰で愚痴外来と囁かれている不定愁訴外来担当の万年窓際講師田口公平と、厚生労働省に設置されたばかりの医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室の下っ端役人白鳥圭輔が、ホームズ&ワトソンよろしくアメリカ帰りの天才外科医桐生恭一執刀のバチスタ手術患者の連続死の謎を追うというストーリーです。


「『ER』はだしのリアリティと、爆笑キャラのミスマッチが最高に面白い!」とは前述の大森望氏。

「ロビン・クック+『白い巨塔』+阿部寛――医学ミステリーに超大型新人登場!」という感想はミステリー評論家の茶木則雄氏。


医療過誤か、殺人か、高階病院長から調査を任された田口&白鳥コンビは独自の視点から核心に迫っていきます。


ミステリーとしての物語性や緊張感、意外性には少々欠ける小説でしたが、個性的なキャラクターの主人公を2人配置したテクニックといい、会話の妙といい、なによりも医療従事者でなければ描けないような現場の手術室の溢れる臨場感がぐいぐい読者を惹きつけます。


ルーティンの日常を送っていらっしゃる方、嗜好のかわった本書を読んでみてください。

厚労省役人白鳥の強烈なキャラにのけぞること請け合いです!

低迷している日本男子ゴルフ界に新しいスターが誕生しましたね

高校1年生15歳の石川遼君がその人です。

「その人」というより「その少年」という表現が似合うような初々しい彼は早速マスコミから「はにかみ王子」というニックネームをもらいました。


岡山・東児が丘マリンヒルズで行われたマンシングウェアオープンKSBカップで日本男子ツアー史上最年少で優勝。

女子ツアーを含めて18歳で優勝した宮里藍選手の記録を大きく上回りました。

アマチュアのため優勝賞金2000万円は残念ながら2位の宮本選手が獲得


はにかみながらの優勝スピーチはたどたどしく好感度がぐ~んとアップ!

これからの抱負を聞かれて思わず「文武両断で」と答えたのは最高にほほえましかったです。


マスコミの皆さん、どうかこの初々しさを奪わないで!



今日はカズオ・イシグロ氏『遠い山なみの光』をアップしたいと思います。


著者カズオ・イシグロ氏は1954年に長崎に生まれ、海洋学者である父親の仕事の関係で5歳で渡英、以後イギリスに在住して活躍していらっしゃる作家です。

大学卒業後はロック・ミュージシャンを目指し、その後ソーシャルワーカーとして働きながらデビュー作である本書『遠い山なみの光』(『女たちの遠い夏』の改題)を発表されたという経緯です。


本書は王立文学協会賞を受賞、9ヶ国語に翻訳されています。


続いて『浮世の画家』でウイットブレッド賞を受賞
『日の名残り』でイギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞されました。


最新作『わたしを離さないで』もブッカー賞の最終候補に残った作品ということで、実力のほどがわかりますね。

感動的な作品に仕上がっていた『わたしを離さないで』はこのブログでも取り上げましたので、よかったら読んでください。
         http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/107



イシグロ氏の作品には常に「過去の記憶」がキーワードとして出てきます。


本書も、現在イギリスに暮らす悦子が手繰り寄せる過去の記憶の中で、長崎での出来事が鮮明に息づいて描かれています。

「過去の記憶」から出発する回想はやがて現在存在する世界と危うい関係で絡み合うかに見えますが、やがて現在の自分の世界にしっかり根を下ろしていきます。

イシグロ作品で顕著に見られる2つの時間軸、場所軸の交差がここでも巧みに使われています。



日本への記憶は5歳で途切れているというイシグロ氏はインタビューに応じて語ります。

「なぜ私が小説を書いていたのか考えたとき、ある種の個人的な日本というものをフィクションの世界のなかにとどめようとしていたことに気づきました。
それは私の頭のなかに作り上げられた日本でした。
私の人生の最初の5年間で覚えていたことから、巨大な記憶が作り上げられました」

「この世界には、不安、恐れ、希望など、時を越えて人々がもつ普遍的な感情があり、私は過去のなかでそれをとらえようとする。
私が自分の時代を去って、異なる状況や設定にある人間を見れば、私が生きている世界との距離のなかで、私たちに関する事柄、いまでは重要とされていない事柄、私たちがいま心配している事柄などがより深く見えてくるのです」


長崎を去り、英国に住む主人公の悦子は長女を自死によって失って以来、現実を生きない状態が続いています。

ふとしたきっかけで長女を身ごもりながら懸命に生きた戦後の混乱期の長崎に思いを馳せるようになります。

回想の主人公となる長崎時代に知り合った佐知子とその娘万里子。

当時批判的な感情しか抱けなかった佐知子の奔放な生き方にようやく共感できるようになった悦子は、この回想によって初めて現在の自分を丸ごと受け入れるという作業をしているかに見えます。


異国の地で長女を自殺という究極の裏切りで失った悦子の喪失感は、この記憶の旅でしか癒すことができなかったのではないでしょうか。


訳者小野寺健氏があとがきで書かれていた「イシグロの全作品に共通するのは顕著な『薄明』のそれである」という一文がイシグロ作品の印象をしっかり言い当てています。


「薄明」の中、手探りで読み進むうち、主人公たちが起承転結を物語らないうちに物語の幕が閉じられていた、まるで夏のかげろうのような、そんな印象がぴったりの作品です。

「神の愛の宣教者会」の創始者マザー・テレサが亡くなって今年でちょうど10年になります。

1979年にマザーがノーベル平和賞を受賞されたときの逸話は有名です。

「私はみなさんが考えておられるようなノーベル平和賞の受賞者には値しません。
でも、だれからも見捨てられ、愛に上、死に瀕している世界の最も貧しい人びとにかわって賞をうけました。
私には、晩さん会は不要です。
どうか、その費用を貧しい人たちのためにお使いください」


ノーベル平和賞といえばシュヴァイツァー、マルチン・ルター、キッシンジャー、佐藤栄作、ジミー・カーター、グラミン銀行ムハマド・ユヌスなどの名前が浮かびますが、マザーほど平和賞にふさわしい人はいないのではないでしょうか。


マザーの死から6年後、教皇ヨハネ・パウロ2世はマザーを福者として列福されました。

ふつう死後福者にされるまで50年の月日が必要とされていることからみると、マザーの偉大さが偲ばれます。


「私の白いサリーは、貧しい人のなかで、私も貧しい人のひとりだというしるし。
私の身なりも生活も、病に倒れた人や、骨ばかりの子どもとひとつになるための糧。
そして、不親切で冷淡でありながら奇跡をおこなうよりは、むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びたい



本日はカメラマン沖守弘氏による『マザー・テレサ あふれる愛』をお届けします。

マザーがノーベル平和賞を受賞する5年前の1974年から7年間にわたってマザーの活動を取材し続けたある写真家の記録です。

この本が世に出たのはマザーがまだ健在だった1985年。


1974年爆発的な人口増加で貧困に喘ぐカルカッタをルポして脚光を浴びようという安易な気持ちでカルカッタを訪れた著者は不衛生の現状のすさまじさに打ちのめされていたとき偶然マザーの活動を紹介した一冊の本に出合います。


その足で〈死を待つ人の家〉を訪れ、飢えと病魔に侵され死を待つだけの病人の周りで生き生きと働いているシスターたちの姿に意識が薄れるほどの感動を覚えた著者は、マザーとその姉妹の活動の内面にカメラを通して迫ることがこれからの人生のテーマだと考えます。


翌年白柳東京大司教の紹介状を手にマザーたちのヒューマニズムを写真に記録して日本の人々に知らせたいという著者にマザーは言います。

「私は社会福祉家でもなければ、慈善事業家でもないのですよ・・・
私は神に捧げた身ですから、いま私がしていることはヒューマニズムでもなんでもないんですよ。
ごく当たり前のことなんですよ」

そしてマザーは著者のためにどこの施設でも撮影できるパスポートを作ってくれたのです。


それからの著者は恰好の被写体の前でシャッターを押し続けます。

貧しい人たちの悲惨さをこれでもかと撮り続けた著者はやがて真実に目覚めます。

悲壮感を土台に撮った写真はマザーの全体像を全く表現していなかったという真実。

「現実のマザーは、明るくて強くてラジカルで、だけどやさしく、不退転の意志と自分の進む方向に絶対の確信をもった女性であるのに」

著者沖氏は結局家を売り、1億円というお金をマザーの周辺に献金しながらカメラを回し続けます。

この本の最後エピローグに書かれた謝意には「マザー・テレサに」を筆頭に多くの方々と並んで「よく耐えてくれた妻明子とふたりの子供に」と書かれた1文が印象的です。


本書には「死を待つ人の家」「孤児の家」ハンセン病患者のための「平和の村」の建設過程が詳しく書かれています。

行動の人、「ブルドーザー」の異名を持つマザーのすばらしいアイディア、小柄な体にあふれるばかりのバイタリティーで不可能を次々可能にするその行動力には目を瞠るばかりです。


「あなたにとって神とは何ですか?」という質問に対して「私にとってそれは親切です。宗教は関係ありません。今日、街で出会ったひとり、またひとりという具合にお世話をしてきただけです」と答えるマザーの言葉に私は深い感動を覚えます。

Poor is beautiful.

これがマザーの口癖です。

マザーが貧しい人を愛する理由のひとつに、貧しい者は金持ちよりもよく笑うからといいます。

ユーモア溢れるマザーを中心に修道会はいつも笑いに包まれています。

最後にマザーの言葉を挙げます。

 親切で慈しみ深くありなさい
 あなたに出会った人がだれでも
 前よりももっと気持ちよく
 明るくなって帰るようにしなさい
 親切があなたの表情に
 まなざしに、ほほえみに
 温かく声をかけることばにあらわれるように
 子どもにも貧しい人にも
 苦しんでいる孤独な人すべてに
 いつでも喜びにあふれた笑顔をむけなさい
 世話するだけでなく
 あなたの心をあたえなさい


人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむこと


「マザーのしていることは外科手術の必要な患者に包帯を巻くようなものだ」という痛烈な批判を受けても一貫して政治と関わりのないところで愛の必要性を説き続けたマザーは私がいちばん敬愛する人です。


花冷えの春から一転、夏日のような毎日が続いています。

強い紫外線がふりそそぐ中、ウォーキングするのが厳しい季節が近づいてきました。

先日もウォーキングの途中、自販機でオレンジ100%を一気飲みしたほどの陽気でした。


5月1日よりスーパーなどで販売されているオレンジ飲料が軒並み値上げしたというニュースが放映されていました。

環境問題を考えるとき避けて通れない世界各国の原油依存からの脱却の足がかりとして注目を浴びている新エネルギーであるバイオエタノールの登場が間接的な原因だそうです。

まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺そのままです。

バイオエタノールはサトウキビのかすや廃木材、大麦やトウモロコシに含まれるグルコースを発酵させてエタノールとして精製したものだそうです。

オレンジ果汁の世界生産量の6割を占めるブラジルでは多くのオレンジ農家が、サトウキビ価格の上昇からサトウキビへの転作に切り替えたため、世界的なオレンジ生産量の減少につながって、それがオレンジ飲料の値上げになっているということです。

二次的に値上げ必至なのは 
☆牛乳、卵、牛肉など-牛や鶏などの飼料であるトウモロコシの値上がりのため-  
☆ビール-大麦の値上がりのため-など、私たち食生活に直接関与するものばかりですね。

地球の環境を改善することが直接食品価格に影響を与えるとは皮肉なことですね。



さて、今日はアゴタ・クリストフ『昨日』をご紹介したいと思います。

著者アゴタ・クリストフは1935年ハンガリーに生まれ、1956年ハンガリー動乱時に西側に亡命し、現在スイスのヌーシャテルに住んでいます。

デビュー作『悪童日記』、その続編『ふたりの証拠』、『第三の嘘』で完結した双子の残酷な物語は全世界の読者に衝撃的な読後感を与えました。


21歳という多感な年齢でハンガリーから亡命し、母国語を廃して不本意な敵語であるフランス語を話さなければ生きていかれなかった著者の文学は「亡命文学」というジャンルで呼ばれています。

『悪童日記』から『昨日』まで常に亡命者を主人公としていますが、著者の描くそれは亡命者に限定しない普遍的な人間の孤独がテーマになっているように思います。


「昨日、心当たりのする風が吹いていた。
以前にも出会ったことのある風だった」で始まる『昨日』の主人公もまた故郷と少年時代の過去を自ら捨ててきた青年です。

著者の母国語ハンガリー語ではなくフランス語で書かれた本書は堀茂樹氏によって簡潔かつ端整な文体に訳されていて、それがかえって孤独の深さや他を拒絶する心の闇の深さを際立たせています。


著者は「鳥」や「虎」を主人公である「私」の幻想の世界と交差させながら実存から浮遊したような主人公を描くことで、生に対する絶望の深さを描いています。


村の娼婦だった母と父であるその愛人を殺して故郷を捨てた主人公が漂流の末たどり着いた異邦でただひたすら書いた想像の愛の物語が現実になったとき、「私」は初めて現実世界に目を向けることができたのでした。

そしてまた単調な毎日を取り戻す、今度は過去から逃げるためではなく、「私」の家族のために。

「私はもはや、ものを書いてはいない」

物語の終結はこのようになっていますが、私を含め安堵に胸をなで下ろした読者はいないのではないでしょうか。


「そこにあったのは、自分の家を離れ、自分の国を離れたものたちの道だった。
その道はどこへも通じていなかった」

異郷での救いようのない孤独の深さを感じさせる浮遊感漂う物語でした。

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