VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2007年10月

ここ数年日本でも「ホスピス」という言葉がようやく定着してきましたね。

「温かくもてなす」を意味するラテン語から来ていて語源を同じくする単語には「ホスピタル」「ホステス」「ホテル」があるそうです。

中世ヨーロッパでは寺院が巡礼の人々に旅の途中の憩いの宿を提供し、病気で再び旅立つことのできなくなった人々をケアしたことから病院のほか、孤児院や行き倒れの病人など収容する施設全般をホスピスと呼ぶようになったといわれています。

1967年イギリスの女医シシリー・ソンダースが聖クリストファー・ホスピスを設立、緩和ケアを中心の現代ホスピスの基礎をつくりました。

日本では柏木哲夫氏によって大阪の淀川キリスト教病院内につくられた病院内病棟型ホスピスが最初です。

日本人の3人に1人ががんに罹患、治癒率の上昇にはめざましいものがありますが、まだまだ亡くなる方も多くいらっしゃいます。


どんな治療も功を奏さないばかりか、副作用のため残された余生も短縮されるケースもあり選択は複雑ですが、余生を充実したものにするために自ら治療を中止する患者さんもいらっしゃいます。


モルヒネによる痛みのコントロールも格段の進歩を遂げている現在ではホスピスの意義も昔とは大きく異なってきているように思います。

現在では病院内に併設されるホスピスのほか、完全独立型ホスピス、在宅ホスピスとゆるやかに裾野が広がっています。


今回ご紹介する『僕のホスピス1200日』の著者山崎章郎氏は元東京小金井市の聖ヨハネ会総合病院桜町病院内のホスピス科部長を経て、2005年「ケアタウン小平クリニック」を開業され、現在地域の在宅ケアに尽力していらっしゃいます。


アメリカの精神科医でありロングセラー『死ぬ瞬間』の著者エリザベス・キュプラー・ロスに影響を受け。ターミナルケアに関心を持ち現在に至っていらっしゃいます。

そのような経過はご自身の講演で述べられていますので興味ある方は読んでください。
        http://www.ne.jp/asahi/baz/bird/sub6yamazaki.htm

ホスピスが「人間の死に場所」ではなく、「最後まで人間らしく生き抜く場所」という理念の下、自分の尊厳を護ることが難しくなった患者さんの自立を支え、尊厳を守り、そして共に生きることを第一義として歩んでこられました。

1996年に上梓された『病院で死ぬということ』はすぐれたエッセイに贈られる賞である第39回日本エッセイストクラブ賞を受賞しました。

他に『続・病院で死ぬということ』、『ここが僕たちのホスピス』『僕が医者としてできること』などがあります。


本書は月刊誌「きょうの健康」に3年に亘って掲載された「ホスピスの現場から」をもとに書き下ろされたものです。


「どれだけ時間が経とうとも変わらぬものもあります。
それは僕が信奉しているホスピスの理念『あなたが死ぬときまで、少しでも快適な中で、あなた自身の意思と選択で生きることが出来るために』であり、その理念のもとにいかに患者さんが常に主役でいられるのか、そしてそのために我々はホスピスでどのようなケアを提供し続ければ良いのだろうかというテーマです」

ホスピスの現場で触れ合った患者さんの中にはたとえ自由に身動きできない状態でも、その日が来るまで日々の生活の小さな変化に喜びを感じながら生きることのできる人、周囲にやすらぎや生きる勇気を与えることもできる人など、すべての死にゆく人は師匠である、と著者は語ります。


またがん特有の痛みに対する従来の間違った医学の常識にも切り込みを入れていらっしゃいます。

「麻薬を使用すれば死期が早まるのは医学の常識である」

1987年WHOによってまとめられた「がんの痛みからの解放」に示された正しいモルヒネの使い方やシロップの出現によって疼痛コントロールが可能になったことは門外漢の私でも嬉しいニュースとして受け取っていますが、専門家である医師に上述のような間違った常識を固持し続けている方がいらっしゃることは残念です。


またインフォームド・コンセントの大切さに関しても言及されています。

意義あるインフォームド・コンセントを支えるものは、十分なコミュニケーションと、患者の苦悩を分かち合えるような患者・医師関係である、と。

従来のような縦関係の構図では到底成り立ちにくいものであることは戒められるべき大きな問題ではないでしょうか。


著者が初めての患者さんに伝える言葉はホスピスの理念に基づいたすばらしい言葉です。

「私たちはあなたが一番良いと考えられることを、お手伝いしていきたい」

「プライバシーの守られる空間の中で患者さんの肉体的苦痛を可能なかぎり軽減し、患者さんの求めに応じて真実の情報を伝え、その情報に基づいて患者さんが選んだことを実現するために、患者さんが必要とする時に専門のスタッフがお手伝いし、一人一人の患者さんにその人固有の物語を納得して生きていただきたいということなのである」


世界のあちこちでこのような理念のもと死にゆく人々とともに寄り添う努力を続けている人々がいるということは本当に心強いことです。

「読書週間」が10月27日から始まっています。

若者の活字離れが続いている中、今年出版された携帯電話発信の小説が好調な売れ行きを示しているというニュースが流れていました。

それらはすべて文字が横並びで印刷されていて、そのうちの1冊の『赤い糸』はすべて赤色の文字で書かれています。

それが今の中高生の感性にヒットして発行部数を伸ばしているそうです。

いずれにしても何かのきっかけを突破口に本に親しむことで、いろんな人生を経験してほしいと思います。



さて、今日はあるSNSの読書コミュニティを通しての友人Pさんご紹介のソフィー・キンセラ著『レベッカのお買いもの日記1』をアップしたいと思います。

以前私が落ち込んでいたとき、元気が出る本として紹介してくださったもののうちの1冊が本書です。

娘と同じ年齢のPさんの読書テリトリーは驚くほど広く、読書コミュニティ内での本に関する彼女の書き込みを参考にして読めば興味深い本に必ず当たるというほど。

というわけで紹介していただいた本書はベッドのナイトキャップには最適でした。


元金融ジャーナリストの著者ソフィー・キンセラは『買い物中毒のひそかな夢と欲望』でデビュー、2000年この本の主人公レベッカを発展させた2作目の本書が10週連続ベストセラートップ10入りし、その後欧米を中心に世界16カ国で共感の渦を巻き起こしているそうです。


その後本書の人気を受けて『レベッカのお買いもの日記2』『レベッカのお買いもの日記3』がシリーズ化されています。


「あーぁ、また買いすぎちゃった!
来月のカードの請求書を見るのが怖い!
だめよ、だめよ、今月は節約しなくっちゃ、と思いながら、すてきな服、すてきな靴、すてきなバッグを目にすると、どうしても買わずにいられなくなっちゃう!
もしかして、わたしっておかしいんじゃない?
そんな悩みをもつあなたにとって、本書はなによりの癒しの書となるでしょう」

本書の訳者である飛田野祐子氏があとがきでこのように書いていらっしゃいます。


主人公レベッカ・ブルームウッドはロンドンの金融情報誌社「サクセスフル・セイヴィング」のジャーナリストで25歳のおしゃれな女の子。

金融のエキスパートとして世の規範となるべき立場にもかかわらず、重度の買い物依存症から巻き起こすさまざまな失敗や騒動をコミカルに描いたのが本書です。


依存症とはWHOが提唱した概念だそうです。

薬物やアルコール依存症などに代表される物質への依存のほか、ギャンブルや買い物などの過程への依存、恋愛依存症などの人間関係への依存に分けられますが、レベッカに代表される女性に多く見られるのが買い物依存症です。


本書の主人公レベッカも「いけない、いけない」と自覚しながらも止められない「お買い物」、VISAカードの請求額がどんどん膨らみ、それに伴い自己嫌悪が増大し、そしてそんなストレスから逃れるためにまた「お買い物」をするという悪循環を繰り返しています。

経済観念が限りなくゼロに近く、借り越し限度額を大きく超えた借財を伝える銀行からの手紙や電話に対して逃げ回ることでのみ解決の道を見出そうとするおばかさんのレベッカの日常が読者の笑いを誘います。

レベッカを形容すれば「だらしなく」「その場しのぎの嘘をつき」「無責任な」女の子なのになぜか憎めないキュートな可愛い女性なのです。

的外れな気配りや健気なハッタリ、後ろ向きのがんばりなどどれをとっても空回り名行動が誰にも身に覚えのある、そんな身近な女の子。


以前ブログでアップした『ブリジット・ジョーンズの日記』の主人公ブリジットを彷彿とさせる愛すべきレベッカは私の疲れた心を笑いで癒してくれました。


夫の郷里舞鶴から鯖のへしこが届きました。

写真のへしこは随分上品に切っていますが、一般的にはダイナミックに一匹で売っています。

鯖に塩を振ってぬか漬けにしたもので、雪深い若狭地方で保存食として考案されました。

Wikipediaによると「へしこ」という名前の由来はいくつかあるそうです。

�@漁師が魚を樽に漬け込むことを「へし込む」と言ったことから、「へし込まれた物」が略されて「へしこ」となったという説

�A魚を塩漬けにすると滲み出てくる水分のことを「干潮(ひしお)」と呼んだことから、これが訛ったものであるとする説 など

へしこには糠のビタミンによる新陳代謝活性化の作用があり、鯖などの青魚に含まれるDHAなどの効用の他に、生の鯖に比べて約2.5 倍のアミノ酸、約5倍のペプチドが含まれているそうです。

すごく塩辛い食品ですが、血圧抑制や中性脂肪低下効果があるそうです。

ごはんの友に楽しみです



さて本日は今は亡き伊丹十三氏と岸田秀氏による対談集『哺育器の中の大人』をご紹介します。

1997年に自殺された伊丹十三氏は「お葬式」や「マルサの女」、「マルタイの女」などで大ヒットをとばした映画監督として有名ですが、すぐれたエッセイストであることは衆目の一致するところです。


また岸田秀氏は1978年に著した『ものぐさ精神分析』で鮮烈デビューを果たした心理学者として有名です。

中学時代から強迫神経症に悩まされていたことが萌芽となって精神分析の研究者としての道に進まれたそうです。

『ものぐさ精神分析』では、世間で常識として通用している観念はすべて幻想にすぎないとする「史的唯幻論」を展開して多くの読者の心に興味を呼び起こしました。


本書はそんなお2人の対話形式になっています。


まえがきでそのきっかけについて岸田氏次のように述べていらっしゃいます。

「朝日出版社から、わたしを教師役、伊丹十三氏を生徒役にして二人で対談して『精神分析講義』という本をつくってみないかという話が持ち込まれた・・・
対談がはじまると、悦に入っていた気分に冷水を浴びせられ、これは大変なことになったと思った」

生徒役の伊丹氏の精神分析に対する造詣の深さに教師役の岸田氏がたじたじとなっている様子が端的に表れています。


伊丹氏に関しては対談相手である岸田氏の著書を熟読していらっしゃるのみならず、先駆者であるフロイトやライヒ、ユングなど古今東西における哲学、心理学などに対する造詣の深さには脱帽しました。

論理の欠如を嫌う伊丹氏らしく、岸田氏の心理理論の概要を追い詰めていく質問の確かさには改めて目を瞠らされました。


肝心の岸田理論についても少し抜書きしてみます。

「人間は本質的に未熟児なわけです。
従って、家庭っていうのが大きな哺育器なんですね、一種の」

「ある理想のためにまじめに真剣に戦うということは、立派なことだと一般に思われているけど、そういうことはそれ自体が悪なんだということですよ。
暴力の行使と同じことです」

岸田氏の「唯幻論」を一言でいうと、人間はすべて本能の壊れた動物であり、自我とは生きるための代用品としてつくられた幻想である、ということではないでしょうか。


社会全体を精神病患者とみなし、社会では常識とされている既成の価値観を否定するところから論理が出発していて、これが多くの若者の心を惹きつけたのではないでしょうか。


最後にあとがきで伊丹氏が書いていらっしゃることが要約としてもっとも納得できる文章でした。

「人生においては『他者と出会うためには、まず自分と出会う努力をする必要がある』のであり、逆にいえば、自分に出会う努力をした者だけが他者ともよく出会うことができる」

厚労省と製薬会社が血液製剤フィブリノゲンを使った治療でC型肝炎に感染した患者418人を把握していたにもかかわらず放置していたという事実が明らかになりました。


しかも患者名やイニシャル、症状など詳細な情報が書かれた報告書の原本が既に廃棄されていたそうです。


この製剤を造った旧三菱ウェルファーマが同省の指示を受けて医療機関を通じて調べた結果を同省に人名を挙げて報告していたのに感染した本人にだけは知らされていないというあまりにも杜撰なやり方に怒りがこみあげてきます。

私の周りにも輸血によりC型肝炎から肝硬変になりすでに亡くなった人や、現在も苦しんでいる人がいます。


指示だけ出して放りっぱなしにした厚労省もさることながら、患者を把握していながら本人には知らせずにいた製薬会社のモラルに強い憤りを感じます。


もし自分や家族が感染した患者だったらと考えた役人や製薬社員はいなかったのでしょうか。



インド洋での給油量の取り違え問題も含めて、食品業界どころではない隠蔽体質を早急に改善してほしいと思います。




怒りはさておき、今日は保坂和志氏著『この人の閾』をご紹介したいと思います。


保坂氏については別の著書『生きる歓び』の感想を著者の簡単な経歴とともにアップしていますので、よかったら読んでください。

        http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/169 


本書には4つの作品が収録されていますが、表題作『この人の閾』は芥川賞受賞作品に選ばれています。


保坂氏の作品の顕著な特徴は、退屈な日常の連鎖の中にあるものに温かいまなざしの光を当てて描くということではないでしょうか。


解説を受け持たれた大貫妙子氏は次のように書いていらっしゃいます。


「『この人の閾』から見えてくる風景は、日常を通して連綿とつながら時の海だ。
その海を越え何処かへ行こう、ということではない。
不確かでわからないことだkらけの、この海を肯定することだと思う」



ドラマティックなことなど何一つ起こらない日常の中の情景や交わした会話を通してゆっくり立ち上ってくる記憶や思考が陽だまりで揺れている、そんな安らぎを感じさせる物語です。


特徴ともいえる長く句読点の少ない文章も、慣れると心地よさを感じさせてくれます、まるであったかい布団にくるまってまどろむように。


起承転結のはっきりした作品群が多い中、ほんとうに不思議な小説です。



★小田原に出張した主人公のぼくが思い立って大学時代の友人である真紀さんの家を訪れ、10年ぶりに取りとめのない会話をしたり、いっしょに草むしりをする数時間を描いた「この人の閾」


★玉川上水の近くに引っ越したぼくが周辺の変遷を淡々と綴った「東京画」


★夏の終わりに誘われて自然教育園に行ったぼくとひろ子の取りとめのない会話で流れていく「夏の終わりの林の中」

 
これらの小品に共通するものは、現在から過去に遡る記憶の流れが中心にあることです。

ただし郷愁ともいうべきノスタルジーとは無縁の、ただ記憶がゆらいでいる、そしてゆるやかに日常へと戻っていく・・・そんな小説です。


あなたが陽だまりのネコになりたいとき、お薦めする作品です。

赤福の偽造につぐ偽造が次々明らかになっています。

社長の3度目の謝罪会見で初めて組織ぐるみの工作があったことを認めて謝罪されています。

返品を減らすための商品管理をコントロールするシステムの略である「コント」が社内で横行していたようです。


不二家や「白い恋人」の石屋製菓、赤福などに代表される食品業界でのこれらの偽造は氷山の一角でしょうが、食品を扱う大小企業のトップにはもっともっと厳しい品質管理に対する感覚を持ってもらいたいと思います。


私たちが食べるにあたって品質にはなんら問題ないというのであれば、解凍モノは値段を下げ、箱にはっきりその旨明記したのち、消費者の購買判断に任せたらいいのではないでしょうか。


安全なものであれば値下げを喜ぶ消費者も多いと思うのですが。。。



さて今回は再び熊谷達也氏のマタギシリーズ第一弾『相剋の森』をご紹介したいと思います。


前に読んだ『邂逅の森』の読後感がすばらしかったので、他の「マタギ三部作」を読みたいと思っていました。


著者の経歴は『邂逅の森』の書評http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/181で触れていますので、よかったら読んでください。


著者によると、本書は『邂逅の森』とほぼ同時に書かれ、3ヶ月ほど先に発表された姉妹編だそうです。


『邂逅の森』は大正時代の東北地方のマタギである松橋富治の半生を描いた作品でしたが、『相剋の森』は時代が現代に移って、東北地方の彼の曾孫に当たる世代のマタギたちと自然との葛藤を描います。


「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」

秋田県阿仁で行われたマタギ親睦会での都会から来た女性編集者佐藤美佐子のこの怖いもの知らずの素朴な発言が周囲のマタギを生業とする男たちの場を凍らせる場面からこの物語が始まります。


その後関係者の発した「山は半分殺(の)してちょうどいい」という言葉への興味に導かれるようにして、人間とクマ、自然を含めたマタギへの理解を深めていく過程が迫力ある筆致で描かれています。


主人公を美佐子という女性に据え、その女性の目を通して現代に生きるマタギの男たちの姿を動物愛護・自然保護団体などの主張や活動である「奥山放獣」をからめながら、法律で定められている狩猟法である「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」に縛られているマタギたちの困惑など、「自然との共生」などという生半可な言葉では対処できない厳しい現実を余すことなく描いていて圧巻です。


美佐子の問いかけに村のマタギの頭領である爺やはいいます。

「あんたの言っていることは、確かに正しい・・・
でもな、私らはの、ずっと昔から、クマ狩りでこの村を守ってきた。
クマを追って山を守り、クマを護って村を守ってきた。
クマ狩りをやめれば、私らは、村を守れなくなるのさ」


自然と人間との真の共生とは?という問いに対して著者は登場人物の大学教授を通して語らせています。

「生き物は、ほかの生き物を殺すことで生きながらえている。
互いに殺し合うのが生き物の本質なのです・・・
他者を殺す覚悟と、自己が殺される覚悟。
このふたつの覚悟がはじめにあっての共生の思想であれば、私にも頷ける。
いかにして共に生きるかの前にあるべき、いかにして共に死ぬかの思想、いわば『共死』の思想とでも申しましょうか。
これに真正面から向き合わない議論は、あまりに空虚です」


地球の自然がどんどん破壊されている昨今、原点に戻って自然について考えるきっかけを与えてくれる本でした。

2004年に成立した「裁判員の参加する掲示裁判に関する法律」で決められた裁判員制度の開始が近づいてきましたね。

国民が刑事裁判に参加することにより裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼向上につながることが目的とされているそうです。

重大な刑事事件の裁判で一般市民から選ばれた裁判員6名が裁判官3名ともに審理に参加し、被告人の有罪・無罪や量刑などを決める制度で、2009年5月までに開始される予定になっています。

候補者は20歳以上の有権者のなかから「くじ」で選ばれ、辞退できるのは特別な事情がある場合に限られるそうです。


似たような制度にはアメリカやイギリスが採用している陪審制と、フランスやドイツ、イタリアの参審制がありますが、日本の裁判員制度は参審制に近く、裁判員と専門の裁判官が一体となって審議するようです。


本日ご紹介する『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』の著者北尾トロ氏はナマの裁判にワイドショーや小説以上の興味の虜になり傍聴に通い続けられました。

本業はオンライン古本屋「杉並北尾堂」の店主であられる著者はライターとしても有名な方です。

裁判に題材を置いた著書には本書のほか『裁判長!これで執行猶予は甘くないすか』や『気分はもう、裁判長』があります。

他に『危ないお仕事』、『ぶらぶらヂンヂン古書の旅』、『キミは他人(ひと)に鼻毛が出てますよと言えるか』など多数。


本書は世の中のアンダーグランドな裏ネタを中心にした雑誌「裏モノJAPAN」に連載したものを書籍化したものです。


「裁判員制度を語る前にナマの法廷に足を! 殺人、強盗、覚醒剤…。
東京地裁で繰り広げられるドロドロの人生ドラマから、実際に傍聴した著者が印象深かったものをピックアップ。
ライターの北尾トロ氏が、東京地裁で裁判を傍聴した記録」


著書自身によるイラスト入りで綴られた2年間の裁判傍聴記録ですが、正直いってザラザラした不快な読後感が残りました。


流行のパパラッチや芸能レポーターなどは職業として余儀ないこともありましょうが、著者を代表する裁判傍聴マニアの覗き見精神に共感できない自分を発見しました。


軽いノリの遊びと受け取れば面白い読物ですが、被告の重い人生の過去から未来を覗き見するという行為に不謹慎さを感じたのは私だけでしょうか。

とはいっても日頃知ることのできない囲いの中の世界の垣根がぐ~んと低くなった点に関しては貢献度があったと認めたいと思います。

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