VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2007年11月

横浜名物のシューマイで有名な「崎陽軒」が28日に製造・販売を停止しましたね。

「昔ながらのシウマイ」など9種類21品目で本来、原材料の表示は使用重量の多い順に記載しなればならないのに、タマネギよりも少ない「ホタテ貝柱」を上から2番目に表示するなどしていたというのがその理由だそうです。

これはJAS(日本農林規格)法違反の疑いがあるということです。

社内調査で発覚後、神奈川農政事務所に「原材料表示にミスがあった」と電話で連絡、約1万5000本を自主回収、廃棄処分したそうです。

法遵守に則っての今回の早急の処置はすばらしいといえるでしょうが、飽食&潔癖日本の現状を見たようで、違和感を覚えてしまいました。

これだけの食品を世界の飢えで苦しむ国に送ればどれだけの人が助かるでしょうか。

実行するには難しい問題が山積で絵空事とは思いますが、赤福問題のときと同様、消費者にお詫びの表示を載せるとともに「それでもよかったら買ってください」と消費者の判断に任せる処置はいけないことなのでしょうか。


単純な私はついこんなことを考えて、食べ物を粗末にすることの是非の行方に疑問を持ってしまうのです。



さて今回は高橋龍太郎氏著『あなたの心が壊れるとき』をご紹介したいと思います。

東京都内で「タカハシクリニック」を開業していらっしゃる精神科医である著者は全共闘時代の申し子として学生時代のエネルギーの大半を費やしたのち、アパシー(無気力症候群)そのものの時代を過ごしていらっしゃったそうです。

そんな駆け出しの医師がアパシーから抜け出したきっかけになったのは、国際協力事業団の医療専門家としてペルーに派遣されたことでした。

「そこでは人々は貧しいながら、明るく、楽しく、互いにいたわり合いながら生きていました・・・
そこには互いに信じ合える人間関係が存在していました・・・
私はペルーにいる間に、少しずつ自分のあるがままを受け入れることができ、それとともにアパシーの状態が少しずつ癒されていくように感じました」


「まず自分を愛することによって、人は初めて他者を愛することができる」

すべての悩める若者へ伝えたい言葉として著者は上記のメッセージを挙げています。


精神的に病んでいる若者を生み出した日本の社会を省みれば、団塊世代の大人が作り出した価値観の貧困が挙げられると著書は指摘しています。

学歴偏重などのうわべの価値観を重んずるあまり、子どもたちの能力の適性と限界を見極めることを放棄した親が無気力症候群の子どもたちを大量生産していると説きます。

社会のルールから逸脱した子どもたちを力ずくで正す父性の復権回復こそが早急に求められていると警告を発した上で、拒食症、アダルト・チルドレン、PTSD、ストーカー、パニック障害、境界性人格障害など、昨今の日本で問題視されている心の病をひとつひとつ取り上げ、臨床医ならではの見地から解決策を模索しています。


トータルでいえば、「あるがままの自分を受け入れて、分をわきまえて」ということでしょうか。


いかに有名な人々が何をいおうと、自分は自分、ポジティブ・シンキングなどと強がって自分を傷つけるような精神は必要ないということだと思います。


日々小さな喜びを見出して気楽に生きましょう!


実際の診察を再現している著者のもう1つの著書『私の心は壊れてますか』と合わせて読まれるのもいいのではないでしょうか。






夫の郷里舞鶴若狭からせこ蟹が届きました

ズワイガニの雌で雄よりかなり小ぶりですが、値段も手頃で濃厚な味わいが人気を呼んでいます。

1度食べたら忘れられない味


日本海沿岸の地域によっては「勢子蟹」「香箱(こうばこ)」「コッペ蟹」「せいこ蟹」などと呼ばれていますが、同じものです。

雄のズワイガニと同じく11月6日の解禁日より1月10日頃までの短期間の水揚げでしか手に入らないそうです。

「外子」と呼ばれるお腹の房にある茶色のつぶつぶの卵と「内子」と呼ばれる卵巣部分のオレンジ色の味噌部分が最高のおいしさです。

外子は解禁直後の時期は朱色をしていていちばんおいしいそうです。

ただ黙々とカニを味わって、幸せをかみしめました~



今日は‘時の作家’雫井脩介氏著『火の粉』をアップしたいと思います。


著者は出版社勤務などを経て2000年デビュー作『栄光一途』で新潮ミステリー倶楽部賞
2005年『犯人に告ぐ』で第7回大藪春彦賞を受賞されています。

今年には『クローズド・ノート』『犯人に告ぐ』が相次いで映画化されています。

本書もテレビドラマ化されたようですが、私は映画もテレビも観てません。


さて本書は元裁判官梶間勲一家に起きた物語です。

24章からなる本書の最初の2章は梶間家の主である勲の視点で書かれていますが、あとの章はその妻である尋恵と長男の嫁である雪見の視点で交互に書かれています。


「最後まで読者の予想を裏切り続ける驚愕の犯罪小説」というのが裏表紙にあるフレーズですが、「犯罪小説」というより異常心理を扱った「サイコサスペンス」といったほうがぴったりくる内容です。


地裁の裁判官だった梶間勲が退官前に扱った最後の事件で無罪判決を下した元被告竹内が2年の空白を経て梶間家の隣に越してきたことから不可解な事件が起こります。


梶間家の主婦尋恵や嫁雪見の働きでかろうじて成り立っていた寝たきりの姑を抱える一家の土台がじわじわと侵食されていく過程はほんとうに不気味です。

初めのうちは気づかないほどの違和感の火の粉がもはや消せないほどの形相を呈しても自ら手を下して振り払うことをしない勲や長男の俊郎の家庭への姿勢は日本のステレオタイプの男性を見るようです。


「免罪」「介護問題」「嫁姑小姑問題」などひとつひとつが大きなテーマとして立ち上がってくる問題を総括し、1つの物語に巧みに盛り込んで最後まで読者を惹きつける力量には脱帽ですが、惜しむらくは最後の締めがあまりにも奇を衒い過ぎている感は否めませんでした。


また「人が人を裁く」ことの難しさが裁判官時代の勲の苦悩を通して提起され、2009年までに施行される裁判員制度のあり方など深く考えさせられるきっかけにもなりました。

それにしても微妙な女性心理を描いて秀逸な作家です。





紅葉の季節、京都に行ってきました。

今回は嵐山を中心に、あだし野念仏寺、鈴虫寺、天龍寺を回りましたが、90%の紅葉を堪能できました。

弘法大師が如来寺を建て野ざらしの遺骸を埋葬したのが始まりといわれる「あだし野念仏寺」はのちに法然が念仏道場として浄土宗を開祖したといわれています。
境内には約8000体の石仏、石塔があり、8月23日24日にはこれらの無縁仏にろうそくを供える千灯供養が行われます。

四季を問わず6000匹の鈴虫の音色を楽しむことができる「鈴虫寺」の正式名称は「妙徳山華厳寺」、江戸時代中期に華厳宗の再興のために鳳潭上人が開かれたお寺で、現在は臨済宗の禅寺です。
わらじを履いた幸福地蔵が人々の願いを叶えに全国津々浦々出向いてくれることでも有名です。

臨済宗天龍寺派の大本山である「天龍寺」は足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため1339年、夢窓国師を開山として創建されました。
日本で最初に史跡・特別名勝に指定され、1994年には「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されました。
加山又造画伯によって法堂の天井に描かれた「雲龍図」が有名です。

水曜日から金曜日にかけての小旅行でしたが、金曜日は言語に絶する人手で、京都駅周辺は道路はすべて人で埋め尽くされていました。

京都駅八条口近くのホテルに泊まって、金曜日にもお寺を回ろうと立てていた計画を変更して早々に帰途に着きました。



さて本日は角田光代氏著『空中庭園』をご紹介したいと思います。


著者角田氏は1990年『幸福な遊戯』で「海燕」新人文学賞
1993年1994年『ゆうべの神様』『ピンク・バス』『もうひとつの神様』でそれぞれ芥川賞候補
1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞
1997年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞
1999年『キッドナップ・ツアー』で産経児童出版文化賞フジテレビ賞
2000年路傍の石文学賞
2003年本書『空中庭園』で婦人公論文藝賞
2005年『対岸の彼女』で第132回直木賞
2006年『ロック母』で川端康成文学賞
2007年『八日目の蝉』で中央公論文藝賞をそれぞれ受賞していらっしゃいます。


大学在学中からジュヴナイル(児童文学)小説作家として出発した著者ですが、上述の受賞歴からその実力の充実ぶりがうかがわれます。


本書は2005年同名で映画化され、主演の小泉今日子さんがブルーリボン賞主演女優賞を受賞されています。

また余談ですが、ご主人は2006年『八月の路上に捨てる』で芥川賞を受賞された伊藤たかみ氏で、直木賞&芥川賞受賞夫婦として話題を呼びましたね。



「郊外のダンチで暮らす京橋家のモットーは『何ごともつつみかくさず』。
でも、本当はみんなが秘密を持っており、それぞれが違う方向へ。
異質でありながらも家族であるしかない、普通の家族に見える一家の光と影・・・
ひとりひとりが閉ざす透明のドアから見える風景を描いた連作家族小説」


この著書についてのインタビュアーの問いかけに角田氏は次のように述べられています。

――角田さんがそこまで“家族”という形態にこだわり書き続けているのはなぜなんでしょうか?

――唯一、分からないものという気がするんですね・・・これだけ長い年月のなかでいろんなものが変わってきているのに、家族という形態だけは変わらない。“幸せな家族”って言われてみんなが思い描く図ってひとつじゃないですか。それって何なんだろう?って思いますよね。じゃあ、その図の通りの家族がいたとしてみんながハッピーかといったら、全然そんなことないし、その幸せ感が窮屈だったりもする。そもそも、私が今まで疑似家族を書いてきたのも、今回普通の家族を書いたのも、『家族ってなんなわけ?』っていう問いがずっとあるからなんです。


一見幸せを装っている「家族」なのに、形にこだわっただけの幻だということをひとりひとりは認識しながら、「 家族」作りに拘り続ける個々の心理を見事に抉り出した作品です。


そんな京橋家の家族のひとりである15歳の長女マナの独白は恐ろしい真実に迫っています。

「かくしごとをしない、というモットーは、ひょっとしたら、とてつもなくおおきな隠れ蓑になるんじゃないか。
あたしたち家族の一日は、いや、あたしたちの存在そのものは、家族に言えない秘密だけで成り立っていて、そのこと自体をかくすために、かくしごと禁止令なんかがあるんじゃないか。
その禁止令があるかぎり、あたしたちは家族のだれをも疑ったりはしないのだから」


家族とその関係者6人の視点から描かれた連作形式の物語は、語る主人公を次々変えてひとつの「家族」という「空中庭園」を見事に浮き彫りにしています。


バトンが次々手渡されるように物語が展開していきますが、「家族」の問題に起承転結を期待できるはずもなく、ただ山積された問題をどう消化すればよいか戸惑いのうちに物語が完結していた、という感じです。

どんな「家族」にも潜んでいる病巣をデフォルメしていると思いながらも惹き込まれた作品でした。


父親の愛人の言葉で締めくくりたいと思います。

「頑丈な鍵のかかったおそろいのドア。
五つのドアそれぞれの向こう側に、きっとグロテスクでみっともない、しかしはたから見たらずいぶんみみっちい秘密がわんさかひしめいて――これから先ずっと繁殖しつつひしめき続けるのだろう」 

生きているということ
いま生きているということ

それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ

泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

人は愛するということ
あなたの手のぬくみ

いのちということ
谷川俊太郎氏詩集「生きる」より一部抜粋


カムチャッカの若者が   キリンの夢を見てるとき

メキシコの娘は   朝もやの中で バスを待っている

ニューヨークの少女が   微笑みながら 寝返りをうつとき

ローマの少女は   柱頭を染める 朝陽にウインクする

この地球は   いつも何処かで 朝が始まっている


僕らは朝をリレーするのだ

経度から 経度へと

そうして いわば 交替で 地球を守る

眠る前のひととき 耳をすますと

どこか遠くで 目覚まし時計の ベルが鳴っている

それは 貴方が送った朝を

誰かが しっかりと 受け止めた証拠なのだ

                       谷川俊太郎氏詩集「朝のリレー」より


わかりやすい言葉で書かれた柔らかいまなざしの散文詩が大好きです。

命の期限を医師によって伝えられている友人と電話で会話してから谷川俊太郎氏の詩を読み返して心を落ち着かせています。

他に「わたしではない あなた・・・」という書き出しで始まる『あなたに』という詩には「わたしとそっくりのじゅっぽんのゆびをもっている」あなたなのに「わたしはあなたになれない」でも「たとえ はなればなれのみちをあゆむとしても あす わたしは あなたに あいたい」と結んでいます。

遠く離れて病の床にいる友の心にぴったり一体化できない哀しみを感じています。



これからご紹介する本はスペインの詩人でありノーベル賞受賞作家でもあるJ・R・ヒメーネスによる『プラテーロとわたし』です。

SNSで親しくしていただいている年若い青年Hさんご紹介の本です。

彼はこの詩集を江國香織さんのエッセイで知ったそうです。

Hさんはご自身でも日々の雑感をすてきな感性で綴られたブログを持っていらっしゃいますので、よかったら訪ねてみてくださいね。

きっと心が癒されると思います。
                        http://blog.livedoor.jp/akikazuhayama/


さて『プラテーロとわたし』に戻ります。

父親の死の悲しみをきっかけに病んだ神経を癒すために首都マドリードからサナトリウムを経てアンダルシア地方にある故郷モゲールに帰ってロバのプラテーロとともに過ごした日々を138篇の散文詩に綴っています。

目の覚めるような自然の美しさや野山で戯れる子どもたちの童心が溢れる太陽の町モゲールの美しい夕日を浴びながら、ゆっくりとプラテーロに語りかける情景を想像すると、ため息が出るようです。

「プラテーロはまだ小さいが、毛並みが濃くてなめらか。外がわはとてもふんわりしているので、からだ全体が綿でできていて、中に骨が入っていない、と言われそうなほど。
ただ、鏡のような黒い瞳だけが、二匹の黒水晶のかぶと虫みたいに固く光る・・・
わたしがやさしく、「プラテーロ?」とよぶと、うれしそうに駆けてくる―笑いさざめくような軽い足どりで、妙なる鈴の音をひびかせながら」

散文詩の全編は月のように銀色の柔らかいふんわりした毛のプラテーロに話しかける形で綴られています。

目を瞑って想像の羽を広げると、草原で風のように駆けながら、ふと立ち止まっては色とりどりの小さな花々に黒々とした鼻面を寄せて花に挨拶する、そんな光景を遠くで見ている主人公の優しい眼差しが浮かんできます。

後半では悲しいことに慈しんでいたプラテーロが天国に召されます。

天に駆けていったプラテーロに常変わらず淡々と語りかける著者の悲しみの深さが私の胸を打ちます。

でも一貫して彩られた故郷での自然や人々、相棒プラテーロに対する優しさが芳醇に立ち昇ってきて尖った神経がやさしく慰撫される、そんな詩集です。

児童向けに編集された『プラテーロとぼく』を子どもといっしょに読むのもいいかもしれませんね。

狭量な読後感はまどろっこしいような、是非そばに置いて読んでほしい一作でした。

4年前食道に異形細胞が発見され、そのままがんに移行した夫はいくつかの治療法のうち、千葉の国立がんセンターでの治療法を選択して2ヶ月間入院加療をしました。

その後3ヶ月毎の検査に通い続けましたが、今年3月にやっと検査期間を1年間延ばすことができるようになりました

ご存知のように食道がんはがんの横綱といわれるほど手術が困難で、術後肺炎などで亡くなる方も多く、また治癒率も低いといわれていますが、最近では完治する患者さんが徐々に増えていることはとても心強いことです。


本日ご紹介する『ひまわりの祝祭』の著者である藤原伊織氏はそんな幸運に恵まれず、今年5月に食道がんで亡くなられました。

2005年に食道がんの告知を受けられたことを公表されていましたが、2年を経過して享年59歳でした。


大学卒業後、電通に入社、サラリーマン生活を送る傍ら

1977年『踊りつかれて』で第4回野生時代新人文学賞佳作

1985年『ダックスフントのワープ』ですばる文学賞

1995年『テロリストのパラソル』で第41回江戸川乱歩賞、第114回直木賞をそれぞれ受賞されています。


他に1999年に上梓された短編『雪が降る』はこのブログでもご紹介していますので、よかったら読んでください。       http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/76


本書は『テロリストのパラソル』でのダブル受賞後のファン待望の第1作として2年を経過した1997年に講談社から出版されました。


「名作『テロリストのパラソル』をしのぐ、ハードボイルド・ミステリーの傑作長編!
ロマネスクな面白さという点では、前作をしのいでいたといっても過言ではない・・・
正確で美しい日本語、時代性を刻印した軽妙な会話、魅力的で彫りの深い登場人物群、奇想天外でしかも臨場感に満ちた物語展開」

解説を受け持たれた文芸評論家郷原宏氏をしてこれほどの賞賛を受けたこの作品は郷原氏によって1997年度国内ベストミステリー第一位に選ばれています。


本書はファン・ゴッホの8枚目の幻のひまわりの魔力に取りつかれた人間たちの様々な思惑や欲望が錯綜する物語です。


バブル景気に湧く1997年ファン・ゴッホ作の「ひまわり」を巨大な価格で当時の安田火災が落札したことはいまだ記憶に新しいのではないでしょうか。


本書でも絵の魔力に羽交い締めにされたというより、付随するお金の魔力に取りつかれたと表現するほうが正しい人間模様が早いテンポで展開されます。


本書の主人公秋山は『テロリストのパラソル』の主人公島村を彷彿とさせるようなアウトサイダーとして登場します。

島村は全共闘の時代を経験したアル中のバーテンダー、秋山は妻の自殺によって自ら世間と断絶した元才能あるグラフィックデザイナーです。


両書に共通しているのは、主人公が自ら社会の落伍者となる原因ともいえるひとりの女性に対する一途な愛から過去を探っていくうちに思わぬ事件の深みに嵌っていくという設定です。

著者の一貫した女性観がこれらの著書から浮き彫りになります。


藤原伊織氏はロマンティストです


本書に戻って、ロマンティストゆえの意外な展開で物語は終結しますが、それは読んでのお楽しみです。


極上のロマンに独りよがりな感覚を抱いたのは私だけでしょうか。

中国からの輸入野菜やうなぎなどの残留農薬が問題になっている昨今に加えて、赤福などの賞味期限偽装問題が次々に明るみになったことで、消費者である私たちの食品に対する意識も一段と厳しさを増してきたように思います。

味や匂いなど五感を頼りに食べてよいものと悪いものを区別していた昔に比べ、賞味期限や消費期限などの表示をよりどころにしている現在では、敏感な消費者の安心を買うために保存料などの添加物を最大限に加え期限を延ばしています。

残留農薬、食品添加物など、私たちが生きていくのに核になる大切な食に対する不安は広がる一方です。

以前食品添加物の元トップセールスマンだった安部司氏が書かれた『食品の裏側―みんな大好きな食品添加物』で添加物の恐ろしさを書いて話題になりましたね。


添加物に関してはhttp://www.weblio.jp/content/%E6%B7%BB%E5%8A%A0%E7%89%A9 をごらんください。


我が家でもできるだけ無農薬野菜や無添加食品を求めるようにしていますが、生産量が少なく、すべてを賄うというのは不可能です。


本日ご紹介する本は、そんな不安を別の角度から少しでも減らそうと努力をされた元東京都消費者センター試験研究室長増尾清氏の書かれた本です。

『自宅で5分 農薬・添加物は「ここで毒消し!」』

本書では家庭で簡単にできる食品添加物や農薬を落とす方法を写真でわかりやすく解説しています。

農薬は大きく分けると2つあるそうです。

★野菜の表面に残っている水に溶ける農薬(主に殺菌剤)
★野菜の表面のすぐ下層にある脂質の部分(クチクラ層)まで溶け込んでいる油にとける農薬(主に殺虫剤)

これらの残留農薬を少しでも取り除く方法は

�@買い方、選び方=旬のもの、産地のわかるもの、色や形で見分ける方法

�A下ごしらえで除毒する方法=むく、洗う、アク抜き、ゆでこぼしなど

�B食べ方=漬ける、酢の物にするなど


☆例えばキャベツは農薬のほとんどが残留している外側の葉を取り除き、千切りにしたものは水に3分間さらすことで農薬が溶け出すそうです。

☆カルシウムが豊富な小松菜は流水の中で5回くらいふり洗い、2センチくらいに切ることでクチクラ層の露出面積を大きくしてからゆでるのがいいそうです。

☆無農薬ニンジンなどは皮まま調理しますが、そうでないものは皮をむくことでクチクラ層にたまった農薬が除けるそうです。

☆白菜、たまねぎなどの巻いたものは外側の葉や皮をとることによって古い葉に残っている農薬を除去できます。

☆魚などは酢を薄めて洗うことで有機スズや抗菌性物質、ダイオキシンなどの汚染物質が溶け出すということです。

☆肉類では農薬などがいちばんたまる脂身を取り除いたりゆでたり湯通しすることでかなり危険性が回避できるそうです。

☆ハムやベーコンも湯通ししたあとで炒めるのを勧めています。


簡単にまとめると「水にさらす」「湯通し」「ゆでこぼす」「酢水にさらす」「皮むき」などをこまめにすればかなりの残留農薬を落とすことができそうです。

実行してみませんか?

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