読書に関しては多読、乱読、悪食で無節操の私は周囲に呆れられるほどの速読ですが、そのときの心の琴線に触れた本に限っては丁寧に何度も読み返す癖があります。
また頑固にもあとがきから読むというスタイルを若い時から保っています。
夫にいわせると、私のそのスタイルは読書の邪道だということですが、聞いてみるとあとがきから読む人が案外多いのに驚かされます。
夫は手品の種明かしを見たあと、手品を楽しむようなものだといいますが、あとがきを託された同業者である作家や評論家の方々はそのような無粋な種明かしをして読者の楽しみを半減させるようなマナー違反をされる方はほとんどいらっしゃいません。
あとがきにより、よりその作品への期待感が膨らむのを味わう醍醐味を離せないというのが、私のあとがきに対するこだわりです。
今回もそんな魅力的なあとがきに惹かれて一冊の本を選びました。
宮本輝氏が編集された『わかれの船』をご紹介したいと思います。
さまざまな別れをテーマにした14人の作家の小品が選者宮本氏によって選ばれた作品集と銘打ったものです。
★山田詠美氏★伊集院静氏★林真理子氏★吉行淳之介氏★遠藤周作氏★三浦哲郎氏★田辺聖子氏★宮本輝氏★五木寛之氏★中上健次氏★連城三紀彦氏★向田邦子氏★A・チェーホフ氏★水上勉氏
宮本氏の下記のようなあとがきに惹かれて買い求めました。
「これら作品を一作一作味わっていくと、みずから選択したかに見える『別れ』も、生木を裂かれるような『別れ』も、憎しみの果ての『別れ』も、計算された小意気な『別れ』も、流されるままに別れるしかなかった『別れ』も、人間という謎めいた船が暗い水面に残す波に似ていることに気づく」
どんな人生にも必ず巡り来る耐え難く苦しい別れに備えて、心のよりどころになるような別れの教訓を期待して読み進めましたが、どの作品も『わかれの船』というタイトルにはふさわしいような内容とは思えず、選者宮本氏のミスマッチを感じてしまいました。
『わかれの船』に掲載されるのでなければ、それぞれ単独には読み応えのある作品群でしたが、タイトルにこだわる私はとても違和感を覚えてしまいました。
最終的には宮本氏によるあとがきが唯一タイトルにふさわしい情感ある内容だったという感想を抱きました。
本書のレビューから大きく外れて論外だとは思いますが、宮本氏のあとがきに出てくる「釈迦と子どもを亡くした女の逸話」には深く心を動かされました。
ご紹介します。
たったひとりの愛しい子どもを亡くした貧しく卑しい女が、死んだ子どもを生き返らせてほしいという一縷の望みを抱いて釈迦のもとにいきます。
釈迦は女の懇願を聞いて「よし、わかった、その子を生き返らせてあげよう」と深い慈しみをたたえて言います。
「ただし、条件がある。
この町の家々を訪ねて、香辛料を貰ってくることだ。
しかし、香辛料を貰うのは、ひとりも身近な者が死んだことのない家だけに限られる。
夫や妻や恋人や、親や子や兄弟などが、たったひとりでも死んだことのある家の香辛料は役に立たない」と。
女は香辛料が簡単に手に入ると考え、朝から晩まで訪ね歩きますが、一粒の香辛料も手にすることができませんでした。
愛する者と、あるいは身近な者との死別を経験しなかった人間など、ただのひとりもいなかったからです。
やがて日が暮れてきたころ、女は、愛する者との別離に悶え苦しむのは自分ひとりではない、ということを知ります。
生きとしいける者すべては、さまざまな別れから解き放たれることはないということを。
女は自分の赤ん坊を埋葬し、釈迦のもとに帰り、釈迦に帰依しました。
このあと宮本氏は次のように締めくくります。
「どんな言葉を尽くしても(哀しい別れを)表現できないからこそ、人間は『文学』などというものを発明したのだというのが、私の持論だ・・・
読者が、それぞれの別れの思い出の波に、このそれぞれの名篇を流して、それぞれの人生に滋味を沿えて下さるならば幸甚である」
長々書きましたが私はこのあとがきにノックアウトされたのでした。
また頑固にもあとがきから読むというスタイルを若い時から保っています。
夫にいわせると、私のそのスタイルは読書の邪道だということですが、聞いてみるとあとがきから読む人が案外多いのに驚かされます。
夫は手品の種明かしを見たあと、手品を楽しむようなものだといいますが、あとがきを託された同業者である作家や評論家の方々はそのような無粋な種明かしをして読者の楽しみを半減させるようなマナー違反をされる方はほとんどいらっしゃいません。
あとがきにより、よりその作品への期待感が膨らむのを味わう醍醐味を離せないというのが、私のあとがきに対するこだわりです。
今回もそんな魅力的なあとがきに惹かれて一冊の本を選びました。

さまざまな別れをテーマにした14人の作家の小品が選者宮本氏によって選ばれた作品集と銘打ったものです。
★山田詠美氏★伊集院静氏★林真理子氏★吉行淳之介氏★遠藤周作氏★三浦哲郎氏★田辺聖子氏★宮本輝氏★五木寛之氏★中上健次氏★連城三紀彦氏★向田邦子氏★A・チェーホフ氏★水上勉氏
宮本氏の下記のようなあとがきに惹かれて買い求めました。
「これら作品を一作一作味わっていくと、みずから選択したかに見える『別れ』も、生木を裂かれるような『別れ』も、憎しみの果ての『別れ』も、計算された小意気な『別れ』も、流されるままに別れるしかなかった『別れ』も、人間という謎めいた船が暗い水面に残す波に似ていることに気づく」
どんな人生にも必ず巡り来る耐え難く苦しい別れに備えて、心のよりどころになるような別れの教訓を期待して読み進めましたが、どの作品も『わかれの船』というタイトルにはふさわしいような内容とは思えず、選者宮本氏のミスマッチを感じてしまいました。
『わかれの船』に掲載されるのでなければ、それぞれ単独には読み応えのある作品群でしたが、タイトルにこだわる私はとても違和感を覚えてしまいました。
最終的には宮本氏によるあとがきが唯一タイトルにふさわしい情感ある内容だったという感想を抱きました。
本書のレビューから大きく外れて論外だとは思いますが、宮本氏のあとがきに出てくる「釈迦と子どもを亡くした女の逸話」には深く心を動かされました。
ご紹介します。
たったひとりの愛しい子どもを亡くした貧しく卑しい女が、死んだ子どもを生き返らせてほしいという一縷の望みを抱いて釈迦のもとにいきます。
釈迦は女の懇願を聞いて「よし、わかった、その子を生き返らせてあげよう」と深い慈しみをたたえて言います。
「ただし、条件がある。
この町の家々を訪ねて、香辛料を貰ってくることだ。
しかし、香辛料を貰うのは、ひとりも身近な者が死んだことのない家だけに限られる。
夫や妻や恋人や、親や子や兄弟などが、たったひとりでも死んだことのある家の香辛料は役に立たない」と。
女は香辛料が簡単に手に入ると考え、朝から晩まで訪ね歩きますが、一粒の香辛料も手にすることができませんでした。
愛する者と、あるいは身近な者との死別を経験しなかった人間など、ただのひとりもいなかったからです。
やがて日が暮れてきたころ、女は、愛する者との別離に悶え苦しむのは自分ひとりではない、ということを知ります。
生きとしいける者すべては、さまざまな別れから解き放たれることはないということを。
女は自分の赤ん坊を埋葬し、釈迦のもとに帰り、釈迦に帰依しました。
このあと宮本氏は次のように締めくくります。
「どんな言葉を尽くしても(哀しい別れを)表現できないからこそ、人間は『文学』などというものを発明したのだというのが、私の持論だ・・・
読者が、それぞれの別れの思い出の波に、このそれぞれの名篇を流して、それぞれの人生に滋味を沿えて下さるならば幸甚である」
長々書きましたが私はこのあとがきにノックアウトされたのでした。