VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2008年04月

この世の存在がただの夢にすぎないのなら
どうして努力や苦労がいるのだろう
私は飲む,もう飲めなくなるまで
一日中このよき日に

もう歌えなくなったら
また眠りにつく
春は私には何の関係があるのだろう
私を酔わせたままにして欲しい


グスタフ・マーラーの交響曲「大地の歌」の中の「春に酔える者」の1節です。

CDの説明文によると李白の「春日醉起言志」がベースとなっているそうです。

また白居易は酔吟先生と呼ばれたほど酒を讃歌した詩が多く、3000首近い詩の中で900首が酒の詩だというのを何かで読んだことがあります。


白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり

人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ


上記の有名な歌の作者、日本でも酒仙の歌人と称され、酒をこよなく愛した漂泊の歌人若山牧水は1日1升以上飲む大酒豪のため肝硬変で若くして果てましたが、43年という生涯に残した7000首のうち酒を詠ったものが200首もあったそうです。


かくもこのように人間を虜にする「酒」は精神的な薬効にもなれば、依存すれば心身ともに滅びる元凶にもなることは周知の通りですね。


営業マンだった夫も接待の明け暮れの上、単身赴任の生活のツケが祟って健康を害して以来、現在は小さな小さな酒器で冷酒をほんの少しという理想的な毎日を過ごしています。


お酒飲みの家に生まれた私は幼い頃より母の作る酒の肴を見て育ち、結婚後も夫の酒の肴を作り続けたのでいまだにその習慣が抜けず、酒肴のない食卓には寂しさを感じてしまいます。

簡単な酒の肴はいくつでも頭に描けるのに、お酒抜きのご飯のおかずとなると戸惑ってしまうこともしばしばです。


さて、そんな酒飲み&ミステリー好きにとって垂涎の本をご紹介したいと思います。

北森鴻氏著『桜宵』

著者は大学卒業後、フリーランスのライターを経て
1995年『狂乱廿四孝』で鮎川哲也賞
1999年『花の下にて春しなむ』で第52回日本推理作家協会賞の短編および連作短編集賞を受賞していらっしゃいます。


受賞作『花の下にて春しなむ』はビアバー・香菜里屋シリーズの第一作として華々しくデビュー、本書『桜宵』はその第二弾、その後第三弾『蛍坂』へと続き、最後に『香菜里屋を知っていますか』でシリーズ終結となりました。

残念!!!

東急田園都市線沿線三軒茶屋の路地裏にある小さなビアバー『香菜里屋』のマスター工藤を主人公に、そこに集う客たちの持ち込んだ事件などの謎解きを絡めた人生模様を描いた連作短編集です。
このシリーズの最大の魅力は何といっても店主工藤の作る酒肴!


お客の雰囲気、会話などを通して一瞬にしてお客の求める酒肴を、それもさりげなく提供するというあうんの呼吸の離れ業には目を見張るばかり!


本来ならここで収録の短編5編の簡単な紹介をするところですが、今回はマスター工藤の作る絶品の酒肴をいくつかご紹介してレビューに代えたいと思います。


★ 度数の弱いビールで ―― エソのすり身を白菜の葉で巻き込み、ロールキャベツの要領で和風仕立てに煮込んであるらしい。 添え物が合鴨の切り身のつけ焼き。そこへとろみをつけただし汁をひたひたに掛けたもの

★ 白髪ネギとサラミの細切りをフレンチドレッシングであえたもの

★ 二番目に強い度数のビールで ―― かたく水切りをした豆腐を四ツ割にし、さらにそれぞれ二枚にスライスして、中に四種類の具…洋芥子と焼き海苔、明太子の生クリームあえ、生雲丹、生ハムとホースラディッシュを別々に挟んで揚げたもの

★ 春キャベツとアンチョビソースのパスタ・・麺を茹でるときに塩と一緒に醤油を少々

★ 度数の一番高いビールで ―― 蒸し蛤のむき身にガーリックオイルをかけたもの

★ 松茸、鱧の千切り、三つ葉のみじん切り、くずきりを混ぜ込んだ生湯葉巻き・・だし汁をゼラチンで固め、泡だて器で攪拌したヌーベを添えて


三軒茶屋の奥まった路地裏

ぽってりと等身大の白い提灯

十人ほどの客がやっと座れるL字形のカウンターと、二人用の小卓が二つ

ヨークシャーテリアの精緻な刺繍のあるワインレッドのエプロンをして、刺繍がそのまま人間になったように柔和に笑うマスター

「香菜里屋」に行って度数の一番弱いビールを飲みながらマスターの差し出す酒肴を食べながら、常連客とおしゃべりしてみたい、マスターの謎解きの腕を間近に見てみたい・・・帰ってきて「香菜里屋」!!

今朝の朝日新聞の天声人語に故植村直己さんのことが掲載されていました。

植村さんといえば世界で初めて五大陸の最高峰すべてを制覇した日本の誇る冒険家ですが、明治大学の山岳部の入部歓迎合宿で、数十名の新入りの中で最初にバテたのが植村さんだったそうです。

バテるだけでなく、よく転がるので「ドングリ」というあだ名までついたということです。


みじめな歓迎合宿から帰った植村さんは一念発起して、毎朝6時起床で9キロの山道を走り始めたそうです。

その山道は世界的な冒険家へと続く道でした。


宵から輝いた星ばかりではない、と天声人語では書かれています。


同じく遅咲きの日本画家として思い浮かぶのは東山魁夷さんです。


東京美術学校の学生時代初入選を果たして以来多くの挫折を味わった後、風景を題材に新境地に至っていらっしゃいます。

代表作である「道」は含蓄ある人生の途上を描いたものとして今もなお多くの方々を魅了していますね。




さて、私を含めての我が家族も全員遅咲きの可能性を秘めたまま現在に至っていますが、「努力」という味付けが決定的に欠けているためか、永遠の可能性になりそうな気配が濃厚です。

これからでも遅くないとは思うのですが



本日は2000年11月号・12月号に掲載されて話題になり、その後文庫化した『死にゆく妻との旅路』清水久典氏著をご紹介したいと思います。


著者清水久典氏は中学卒業後、縫製会社に勤務後独立、高度成長期を縫製業一筋に生きますが、中国製の安価な製品に押されて経営は傾き、多額の借金を抱えてしまいます。

そんな折妻は大腸癌を宣告されるという最悪の状況の中、死にゆく妻と2人逃避のあてどない旅に出でます。

七尾、富山、鳥取、静岡、姫路、岡山、長野、甲府・・・本書はこの放浪ともいうべき9ヶ月の旅を中核に、ときには風景描写や夫婦の心の交流を交えながら淡々とした筆致で筆を進めています。


一般の名もない人が逃避行という切迫した状況を振り返ってこのように情緒豊かに且つ冷静に文章を構成できたことに驚きを禁じえません。


解説を担当されたノンフィクション作家・高山文彦氏は「私は読みながら泣き、ときどき『ふふ』と小さく笑い、自分の妻や子供のことが無性に愛しくなって、最後には晴々とした気持ちにつつまれた」と書かれています。


余命を宣告された妻を連れ出しての車での旅は、妻が望んだとはいえ、世間の常識からすれば愚かな行為だと思いますが、この物語にはそんな世俗の次元を超える何かが感じられる、そのような物語です。


「ひとみはいつ再発するかも分からない。
卑怯と言われてもかまわんわ。
できるだけひとみの側にいて、同じ時間を過ごしてやりたい。
わしは今まで、何もしてやれんかった。
最後まで一緒や,ひとみ 」

「一人は嫌やよ,オッサン・・・
一緒にいられるんだったら,それでええ」

旅の前にはそれほどの強い結びつきのなかった夫婦が死を意識して過ごした最後の9ヶ月で、真の夫婦になれたのではないでしょうか。

一人娘へも愛情を与えてやれなかった幼い母親であった妻もこの9ヶ月を通して娘に謝罪の言葉を遺せるほどになったことは夫の愛情を受け取ることができた満足の証だと思います。


最後に、私も共感、救われたような気持ちになることができた高山氏の解説文の一箇所を挙げます。

「私はうれしかった。
著者が死を選ばず、生き延びて、悔恨と喪失のきわみから立ち直る『悲哀の仕事』を苦行僧のように肉体を酷使することによって果たし、この本を世に送り出してくれたことに感謝したい」


現在は娘さんのところに同居し、お孫さんに「ひとみじいちゃん」と呼ばれ、共働きの娘さんご夫婦を助けて家事全般を引き受けていらっしゃる著者に素直にエールを送りたいと思います。

3年前の今日4月25日はJR宝塚線脱線事故が起こった日です。

107人が死亡、562人が負傷したこの大惨事は運転士の死亡によって運転士個人の過失に問題点が集中して多くの批判を浴びた事故でもありました。


オーバーランという言葉を知ったのもこの事故からで、乗客が運転士の動作をじっと監視するという行動も以後多々見られるようになったそうです。


遺族からは「運転士個人の責任にしようとしている」という声が上がっているようですが、やはりヒューマンファクターは見逃せないもの、しっかり研究、改善してほしいと願います。


「ただ、会いたいだけ」

朝日新聞が実施したアンケートに答えた遺族の方々の声が掲載されていました。


「寂しさやつらさは1年の時より2年、2年の時より今のほうが深い。
会うことができなくなるのが長くなるほどつらい」


「『もう3年たったのだから』という言葉に遺族は傷つく。
一生背負っていかなくてはならないうちのまだ3年」


紙面に溢れる遺族の方々の悲しみがまっすぐ伝わってきて切なさで体中がいっぱいになりました。

少しでも遺族の方々にやすらぎが訪れますように。



さて本日は角田光代氏による短編『人生ベストテン』をアップしたいと思います。

「小説現代」に連載していたの単行本化した直木賞受賞後第1作です。


著者の他の作品はこのブログでも著者の簡単な経歴と共に

『空中庭園』 http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/205

『対岸の彼女』 http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/214

をアップしていますので、よかったら読んでください。


本書にはどこにでもころがっているような小さな出会いによって生み出された小さな6つの小品が収録されています。

★ アルバイトの内装工事でマンションに行った「僕」の夢想癖を描いた「床下の日常」

★ 日常から逃れるために行ったイタリアへの一人旅で日本人の仲の悪い母娘連れに巻き込まれた私の「観光旅行」

★ アテネから成田に向かう飛行機で隣り合わせた女に後日行き過ぎた行為をしてしまった自分に戸惑う主人公を描いた「飛行機と水族館」

★ 仕事や恋人との関係に見切りをつける解決策として中古マンションを買うことを決意した主人公と不動産の営業員との不本意なやりとりを描いた「テラスでお茶を」

★ 今までの人生のベストテンがあまりにも貧弱なことにあせりを感じた40歳目前の主人公の前に現れた初恋の相手との顛末を描いた表題作「人生ベストテン」

★ 離婚寸前に妊娠が発覚し、夫以外知らない今の人生を前向きに歩くために思いついた有料で借り出した若い男とのデートで、かみ合わなかったにもかかわらずこれからの人生の小さな可能性を見つけたかもしれない主人公を描いた「貸し出しデート」


どれもこれも充実した結末はなく、かといって悲嘆に暮れて将来を否定するでもない主人公の日常は、実際私たちが過ごす日常とどこか似通っていて、でも取り上げている題材は非日常的である、という奇妙なアンバランスを感じる作品ばかりでした。


そんなところがかえって角田氏の創作力の充実を感じさせる作品集でした。

自分の人生ベストテンを思い描いた人も多かったのではないでしょうか。

   ※ 油絵夫作
 

桜があっという間に散り、いっせいに新緑が芽吹くこの季節は大地の下の生命のエネルギーが強く感じられます。

このすさまじいまでの息吹に少々息切れしてダウン、しばらくブログを更新していませんでしたが、読書は滞ることなく毎晩続けていたので、ブログ積本がたくさん溜まってしまいました。

体調をくずしたり、忙しかったり、またはバイオリズムが低下して意欲が湧かないときの読書はたいてい短編か漫画ですが、今回もひたすら短編と漫画に明け暮れていました。


ということで今日は城山三郎氏による短編集『打たれ強く生きる』をご紹介します。

本書は日経流通新聞に1983年に連載されていたビジネスマン向けのエッセーをまとめたものですが、3枚ほどの簡素なものでとても読みやすくなっています。

城山氏は昨年3月に79歳で亡くなられました。

各界の著名人からの追悼文の中に「またひとつの良識の火が消えた」とあったのがとても印象に残っています。


『静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く』

氏の最も好きな言葉だったそうです。


作品の多くを読んだわけではありませんが、1部の作品や随筆を通して知る著者の人柄は静かな闘志を秘めた気骨の人であったと認識しています。


17歳のとき海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた著者は大学卒業後大学教員を経て
1957年『輸出』で文学界新人賞
1959年『総会屋錦城』で直木賞
1974年元内閣総理大臣広田弘毅をモデルにした『落日燃ゆ』で吉川英次文学賞&毎日出版文化賞
1996年『もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界』で第44回菊池寛賞
2002年朝日賞をそれぞれ受賞していらっしゃいます。


経済界などで活躍した実在の人物をモデルに虚実織り交ぜたノンフィクションに近い小説を得意とされているため男性読者が多いのもうなずけます。

浜口雄幸と井上準之助を描いた『男子の本懐』、本田宗一郎をモデルの『勇者は語らず』、
通産官僚佐橋滋がモデルの『官僚たちの夏』、横井英樹がモデルの『乗取り』、私の郷土岡山
が生んだ名士大原孫三郎がモデルの『わしの目は十年先が見える―大原孫三郎の生涯』、
ダイエー創始者中内功がモデルの『価格破壊』、森コンチェルン創業者森矗昶がモデルの『男
たちの好日』、渋沢栄一がモデルの『雄気堂々』など、政界や経済界の大物を扱ったこれら
の小説を通して著者の世の中に対するまっすぐな視点を見ることができます。


最愛の容子夫人を亡くしてから綴った随筆『そうか、もう君は居ないのか』が遺稿となりました。


本書に登場する1980年代の経済界の重鎮の素朴な人柄が、著書との交流を通して何気なく描かれていて時にはほほえましく、時には身近に感じられて、城山氏の人間に対する感性といったものが垣間見える読み物となっています。


企業における新しい英雄にふさわしい人物として ―――

★第一に、人間痛であること。
 人間に興味を持ち、じっくり観察できる人。
 そのためには感受性をみがき、他人の言うことをよく聞くひとでなければならない。

★第二に、忍耐強いひと。
 英雄の役割をつとめるためにも、とにかく耐えねばならないからである。

★第三に、淡々たる人柄であること。
 新しい企業の英雄は、状況が変わったり、機能を果たせば、たちまち不要となる。
 そのとき、さっと退ける人間でなくては、他人を退かせることもできなくなる。

やるときにはやるが、自らの栄達や権勢にとらわれない。
それが新しい英雄である ―――


また、私も大ファンだった故桂枝雀氏の言葉「ぼちぼちがいちばんや」に言及して

「いい言葉だと思った。
サラリーマンなら定年をすぎたいまのわたしが、このごろいちばん痛切に感じていることを、その言葉はぴったり表現していた。
人生あわてても仕方がない・・・
人生それほどたいしたものではない。
ごく素直に、ぼちぼちと歩けばいい。
また、ぼちぼちだからこそ、歩き続けられるのではないか」

こんな貴重な言葉を遺した枝雀氏は残念なことに人生中途で自らぼちぼちを止めてしまいましたが、城山氏が示唆されているように私も細い道を、ぼちぼち、というよりとぼとぼ歩いていこうと思っています。

キング牧師が暗殺されてちょうど40年、初の黒人大統領誕生か、女性大統領誕生か、大統領選たけなわのアメリカですが、サブプライムローン問題に端を発した急速な景気減速やイラク統治問題、国民の経済格差拡大など内外の問題が山積です。


本日ご紹介する『ええ加減にしなはれ!アメリカはん』の著者米谷ふみ子氏は在米48年になる芥川賞作家です。

1957年二科展に出品した油絵が関西女流美術賞を受賞、1960年にアメリカからフェローシップを受け渡米、抽象画家として活動するうち、作家ジョシュ・グリーンフェルドしと出会い結婚、2人の息子に恵まれますが、自閉症を持った次男の子育てに阻まれ画家から作家に転向されました。


1985年には『遠来の客』で文学会新人賞、『過越しの祭り』で新潮新人賞&第94回芥川賞

1998年『ファミリー・ビジネス』で女流文学賞をそれぞれ受賞していらっしゃいます。

本書は『けったいなアメリカ人』『なんもかもわやですわ、アメリカはん』などに続く2007年版最新痛快エッセイ集です。


バートランド・ラッセルの「核戦争をなくすには、核兵器を使った後の惨状を人に教えていくことだ」を地で行く行動力は驚くばかりです!(^^)!

私生活では日本のファシズム経験者として反戦反核活動に力を入れ、草の根平和運動の一環として長崎からの写真パネルを元に全米各地で原爆展を開催している著者ですが、本書は簡単にいえば形骸化したブッシュ政権を鋭く一刀両断に斬っています。


「今、世界中が直面している大変な危機は、核兵器を持った猫の首に鈴を付けられる鼠がいないことだ。

現在、猫の数が増えたが、地球を何回も破壊できる量の核兵器を持っているのはアメリカだけである。

ごり押しでブッシュが大統領になったとき、多くのアメリカの知識人は、英語もろくにしゃべれず新聞も読まない馬鹿な男が大統領では大変だと言っていたが、6年後の今、その結果がもろに出ている」


このような痛烈なブッシュ批判が怒涛のようになにわの肝っ玉母さんの口から溢れてもう最高のおもしろさ

軍需産業によって富を築いたブッシュ家に言及していたと思ったら、ハリケーン・カトリナに対する連邦緊急事態管理局の資金のあらぬ方面への流用で捨て置かれたニューオリンズの現状、嘘っぱちではじめたイラク戦争に1日2億7500万ドルの投入などなど留まるところを知らぬ怒りが炸裂

「最近、本当に日本人として恥ずかしいと思ったことは、小泉首相のブッシュ大統領に対するお別れ訪問だった。

ブッシュも関心できる男ではないが、小泉の方はまったくティーンエージャー的で、エルビス・プレスリーが好きでも一国の首相が多くの他国の政治家の前で真似をして見せることもない」

私もメンフィスのプレスリーの生家で‘Love Me Tender’を熱唱していた小泉元首相をテレビで見て、恥ずかしくて穴があったら入りたくなりました


「戦争をやっている場合やありまへん! ハリケーン・カトリナが顕わにしたのは、米国内の第三世界の存在だけではなかった。

地球環境はいま,世界中で一丸となって取り組まなければならない、危機的な状況なのだ。そんなときに、世界中で一体何をしてますのや,アメリカは! 」


草の根運動で展示した原爆写真のパネル会場に残酷という名目の下鍵がかけられたり、平和運動が歓迎されない傾向を肌で感じることが多々あるそうです。

本書は2004年から2006年にかけて日本の新聞や文芸誌に書かれたエッセイをまとめたものです。

4年ほどのアメリカ事情ですが、まだブッシュ政権下にある現在、大きくうなずけることばかり、ストレス解消にもってこいの本です。

是非どうぞ!





今古典新訳ブームだそうです。

岩波文庫や新潮文庫などの定番とされていた古典文学を現在の言葉でリメイクして出版した光文社古典新訳文庫シリーズが思わぬヒットを続けているそうです。

なるほど、書店でも目につく場所にシリーズが置かれていますね。

スタンダールやラディゲ、O・ヘンリー、シェイクスピアなど学生時代に読んだ懐かしい作家がずらり!


シリーズ最高のヒット作はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』亀山郁夫氏訳で全5冊72万5千部を売り上げたそうです。

登場人物が多い上に人名が何通りにも変化する古典『カラマーゾフの兄弟』を新訳では人称を統一し、人名の使い分けも最小限にする工夫が現在のヒットを生んだ要因のようです。


名訳といわれる外国古典文学はいろいろありますが、現代にはなじみにくい堅苦しい日本語訳が古典離れを生んでいることは否めませんね。


「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というキャッチコピーを作った光文社の狙いは見事な広がりをみせています。


学生時代から何度も読み始めては挫折している『悪霊』がリメイクされたら再チャレンジしてみようかなと思っています。


というわけで、本日もエンタメ街道まっしぐら(-_-;)  


先日来『火車』、『模倣犯』と宮部作品を立て続けにアップしているので第120回直木賞受賞作『理由』で締めることにします。


『火車』ではカードローンによる自己破産について、『模倣犯』では理由なき快楽殺人という時代を反映する闇の部分をクローズアップしていますが、本書でも競売にかけられた高級マンションを舞台に、住宅事情の闇を詳細に描いています。


東京荒川の高層マンションで発生した一家4人殺害事件の発生から解決までを事件関係者への筆者のインタビュー形式で,事件の全容を浮かび上がらせるという珍しい試みがなされています。

まるでお昼のワイドショーを見ているような錯覚に陥らせる、限りなくドキュメンタリーに近づけた手法。


裁判所による不動産の競売を軸にローン破綻者である元所有者と競売によって正規に不動産を手に入れた現在の所有者の間で暗躍する悪徳不動産業者の三つ巴のそれぞれの思惑が交差して事件へと突き進んでいきます。


「不動産競売」とは債権者が債務者の負債を回収するため債務者が所有する不動産や担保物件の売却を裁判所に申し立てる制度です。


地方裁判所で公示され、市価より相当お買い得になっているようですが、素人が手を出すのは勇気がいるというのが一般に広まった風評ではないでしょうか。

手離すのを余儀なくされた元所有者の心情をうまく利用して、占有屋を差し向け、法の目を潜り抜けて新しい所有者を罠に嵌めるという悪質業者の手口がその風評の中身ですが、本書が出版されて以後、占有屋を規制する法律が厳しく改正になったそうです。


――「家族」に始まり「家族」に終わる ――

著者は現代に混迷する様々な家族を描くのが大変上手な作家です。


本来救いのあるべき「家族」というものから派生する様々な問題点をひとつひとつ丹念に拾い上げ、「家族」を形成する個人個人の生育歴や取り巻く環境、考え方などを縦横斜めから検証して、問題の核心に徐々に迫るのが著者の好む手法のようですが、時として物語の展開上必要とは思われない枝への脱線追い込みが目にあまる箇所が多く見られたのは『模倣犯』ほどひどくないものの、本書の泣き所とはいえないでしょうか。


著者の性格を表す緻密さはすばらしい要素ですが、一方物語自体が冗長になるのを余儀なくされているのは否めないような気がしました。


大変興味深い物語であるだけに、登場人物の中の1人の前の世代の家族の問題点などの延々と続く詳細に疑問を持たれた読者も多かったのではないでしょうか。

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