VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2008年07月

今我が家には2台のノートパソコンと1台のデスクトップパソコンがあります。

フル稼働しているのはそのうちの2台ですが、食卓において常時使用している私専用のノートパソコンが突然シグナルをキャッチする力が非常に弱くなりほとんど受信しなくなりました。

我が家は光ファイバーなのでルーターに問題があるのかといろいろ探るのですが知識がない悲しさで原因がわからず、仕方なく夫専用のデスクトップを時々曲がりしています。


私専用ではfirefoxをインストールして使いやすくしているのですが、夫のはあまり触れず使い勝手が悪く、なかなかブログを書く時間が取れません。


パソコン修理にお金は極力使いたくないので、お盆に帰省する娘を当てにしているのですが、どうなることやら。

というわけで必然的にパソコン生活から少し離れています。 



さて本日は大病院を舞台に華々しくデビューした第4回「このミス」大賞受賞作&28万部突破の『チーム・バチスタの栄光』の著者海堂尊氏の田口&白鳥シリーズ第3弾『ジェネラルルージュの凱旋』の登場です。


デビュー作『チーム・パチスタの栄光』はこのブログでご紹介したことがありますので、よかったら読んでください。

    http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/146


「医療問題、収賄事件、大災害パニック…あらゆる要素がつまったシリーズ最高傑作のメディカル・エンターテインメント!」


『チーム・パチスタ…』でもご紹介しましたが現職が医師である著者だけに医療に関する逸話は的確かつ精細、豊富な知識で読者を魅了してくれます。


『チーム・パチスタ…』では心臓手術の最新技術を披露、『ナイチンゲール…』では死後医療検索を扱っていますが、本書では救急医療センターの緊迫した現場を生々しく描いています。


ミステリーというカテゴリーには納まりきらない内容てんこ盛り


今回は東城大学医学部付属病院救命救急センターのジェネラルことカリスマ医師速水の収賄疑惑を軸に、病院経営と人命救助という現実と理想の狭間でもがく医師の姿が多少デフォルメされているとはいえ、しっかりと描かれていて秀作です。


「田口&白鳥シリーズ第3弾」と銘打ってはいますが、今回は厚生労働省の役人ロジックモンスター白鳥の存在が非常に薄く、白鳥の秘蔵っ子である姫宮の登場や「ジェネラル・ルージュ」の由縁があまりにも唐突、そしてその由縁を最後の見せ場で小道具として使ったところ、看護師たちの粘っこいからみなど不自然さを感じさせられた箇所がいくつか見られたのは豊かな内容だけに残念でした。


舞台となっている桜宮市にドクター・ヘリを導入することによって秒単位で患者の命を救うことを長年の悲願としているジェネラル速水の周囲を切り裂く斟酌ない言葉の数々、医療現場での人命救助と採算という相容れない二極を浮き彫りにしているところ、深く共感しました。


現在の医療現場の問題点を鋭く指摘していてなかなか読み応えがありました。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ ゴーヤ数えて 夫としたしむ


毎朝数えるのを日課としているゴーヤ、今朝は小さいのもいれて21ありました!


この暑さの中ゴーヤは逞しく育っていますが、我が家のパソコンと私は少々トーンダウンしています。


周りの友どころか近くの公園の木陰で休息中のホームレスの人の何と逞しく、エネルギッシュなことか! 


周りのみんな私より生きることに前向きで、えらいな~と感心しながら家に篭っています。


こんなときでも毎晩就寝前の読書は続けているので、アップの材料はけっこうたまっています。


今日はそのうちの1冊を簡単に書いてみますね。


中村航氏『100回泣くこと』


「今最注目の野間文芸新人賞作家最新恋愛小説」

こんな帯にひかれ、久しぶり思いっきり泣いてみようと図書館で借りてきました。


実家で飼っていた愛犬ブックの危篤をきっかけに4年近く乗っていなかったバイクを修理してブックに会いに帰る主人公の「僕」と結婚の練習のため1年間一緒に住むことをスタートさせた恋人との物語。

ブックは再び元気になり、永遠に続くと思われていたそんな2人の幸せが彼女の病気を機に崩れていきます。


淡々とした筆致が前半の静かで平凡な2人の愛情をあたたかいぬくもりで包んでいるような、そんな陽だまりの日常が後半の彼女の発病を契機にがらりと変わるものの、物語全体の雰囲気は最後まで静謐さを保ったあたたかい作品でした。


でも正直、泣けませんでした^_^;

年齢のせいかしら?

長男が幼い頃スーパーの軒下のツバメの巣から顔を出していたヒナを飼いたくて長い棒で巣を揺らし、幸運にも落ちてきた一羽のヒナを宝物のように抱きかかえて家に持ち帰ったことがあります。 


驚いてヒナと共にそのスーパーに行き、店員さんに事情を話したところ、梯子をもってきてくれ、そのヒナを無事に巣に返すことができました。


でも1度人間の手に触れたヒナに親鳥はエサを運ばない習性があるということを聞いていたので、しばらく軒下に通って様子を見ていましたが、そのヒナの生死の状況がわからないままいつの間にかヒナたちは巣立っていなくなっていました。


心ない人間の手でヒナの命を絶ってしまったかもしれないとずっと心にかかっていました。




本日ご紹介する角田光代氏著『八日目の蝉』を読んで、そんな昔のヒナのことを思い出しました。



「逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…
誘拐犯と誘拐された子。
理性を揺るがす愛があり、罪にもそそぐ光があった。
角田光代が全力で挑む、サスペンスフルで胸をうつ長篇」



「角田光代が挑むサスペンス」というのが中央公論文芸賞を受賞した本書のキャッチコピーですが、サスペンスという枠組みから大きくはみ出した人間ドラマといえるでしょう。



2部構成の1部は不倫相手の赤ちゃんを図らずも誘拐して逃亡生活を送った希和子の3年半の物語、2部は誘拐された恵理奈とそれを取り巻く家族の物語になっています。



ただ不倫相手の赤ちゃんを一目見たいという切羽詰ったあふれる思いからとっさに誘拐してしまう希和子と必死の逃亡生活を共にする薫こと恵理奈という束の間の親子の深い絆に、どうぞこの親子を別れ別れにしないで、と祈りながら読んだ読者も私だけではなかったのではないでしょうか。



誘拐犯希和子の手から無事に本当の家族の元へ帰って十数年後の現在の恵理奈の目を通して砂上の楼閣のように外見上は何とか家族の体裁を保っていながら、出発時点ですでに破壊されていた家族の様子が著者の筆によって巧みに描かれています。


事件によって明るみに出てしまった家族の亀裂を何とか埋めようと束の間の努力の末放棄する母親と最初から諦めに似た無気力によって放棄してしまった父親の様子に少しの共感と大部分の怒りを感じてその間に板挟みになりながら息を詰めている幼い恵理奈を思い切り抱きしめたくなります。



著者が「家族とは何か」を模索する作家である所以がいたるところに見られて感嘆します。



「手放したくなかったのだ、あの女とのあり得ない暮らしを・・・
私はあそこに戻りたかった。
でも、それを認めてしまうことができなかった。
あの女のもとに戻りたいなんて、たとえ八つ裂きにされても考えてはいけないことだと思った。
私は世界一悪い女にさらわれたのだ」


成人した恵理奈のこの独白は胸を打ちます。


子どもは親を選ぶことはできないし、親も子どもを選ぶことができない。


この重い事実にたじろいでしまいますが、未来に向かってかすかな光明が見られる爽やかさを感じさせるエンディングとなっているところ、正直安堵しました。


それにしても複雑な思いがあとに残る切ない物語、まだ母にもなった経験のない30代の著者の作家としての力量に感服しました。

今年5月26日75歳で2度目のエベレスト登頂を果たしたプロスキーヤーの三浦雄一郎さんと次男の豪太さん親子が今朝のテレビに出演していらっしゃいました。


親子でともにエベレスト登頂を目指したものの、8,200�bの地点で豪太さんの肺水腫が限界に達して命の危険を感じたため下山、その後雄一郎さんが単独で無事登頂を果たした経過を語っていらっしゃいました。


結果としては1日ちがいで最高齢者としてのギネスには載れなかったそうですが、75歳の果敢な挑戦にいたる厳しいトレーニングの道のりや不整脈を克服するための2度の手術など、限界を超えた準備には驚くばかりでした。


登頂後の言葉「涙が出るほど辛く、厳しく、うれしい」に胸を打たれました。


三浦さんの限界への挑戦はこれからも続くそうです。


簡単な日常のウォーキングですら続かない私は穴があったら入りたい心境です。




本日は新聞その他の書評で評判の吉田修一氏著『悪人』をご紹介したいと思います。


吉田修一氏の著書は初めてですが、調べてみるとすごい受賞歴の作家です。

1997年『最後の息子』で第84回文学界新人賞、第117回芥川賞候
1998年『破片』で第118回芥川賞候補
2000年『突風』で第122回芥川賞候補
2001年『熱帯魚』で第124回芥川賞候補、第23回野間文芸新人賞候補
2002年『パレード』で第15回山本周五郎賞受賞
2002年『パーク・ライフ』で第127回芥川賞受賞
2007年『悪人』で大佛次郎賞&毎日出版文化賞受賞&2008年度本屋大賞第4位


本書は福岡県と佐賀県の県境にある三瀬峠が現場の殺人事件を実際のドキュメンタリーと見紛うばかりの克明さで描いた長編小説です。


事件に至るまでの経過、被害者と加害者の成育歴や関係者から見た両人物像を全体に散りばめ、被害者である女性や加害者である青年自身にも語らせるという手法や、出会い系サイトに絡む事件を題材にしたところなど、多くの若者たちを代表する読者を惹きつけているのがうなずけます。


また、物語全体を通して使われている九州弁の会話体がドキュメンタリー的な風合いをより醸し出すという効果的な技法で使われています。


物語の詳細には触れませんが、タイトルの『悪人』は多くの示唆を含んでいて、この物語で著者が書きたかったことの断片を読者に掴んでほしい、そんな願いがタイトルに込められているように感じました。


殺人を犯した犯人こそ「悪人」であるという世間一般の常識から外れるとはわかっていますが、一体誰が悪人なのか、運命の不条理を見せつけられたような物語でした。


知らず知らずのうちに運命の歯車が狂うのか、その狂った歯車も本当は密かに運命として組み込まれていたのか、水が川下へ流れるように自然に救いのない方向に流される犯人と、そんな犯人との束の間の逃亡の旅を共有することになった女性光代の切なさが心に沁みます。


逃避行の最後に犯人祐一が光代にとった行動が私にはそのとき相手の気持ちを楽にできうる最大のやさしさと受け取れて胸がいっぱいになりました。


悪人の定義とは?

深く考えさせる物語でした。

昨夜の甲子園は燃えました

阪神2-1広島

延長11回2死一、三塁から関本内野手による左前安打、サヨナラ勝ち!

関本選手にとっては2006年5月2日の巨人戦で本塁打を打って以来の人生2度目のサヨナラ打だそうです。

「今日は最後に決めたけど、普段はつなぎやから。明日から謙虚につないでいきます」

この謙虚な喜びの言葉に球場が沸いていました!

今日広島戦に勝てば待望の優勝マジックが点灯

トラキチにとって最高の夏です


トラトラでテンションが盛り上がったところですが、本日は打って変わって重い内容の物語をご紹介したいと思います。

曽野綾子氏著『寂しさの極みの地』


まさに題名が示唆するとおり、曽野氏の作品には必ず絶望の末の光明が示唆されていますが、本書ははるかかなたにでも一筋の光明すら見いだすことができないと感じさせる内容となっています。

1997年4月号から1998年6月号の婦人公論に連載されたものを単行本にまとめたのが本書です。

心通わぬ夫と母親を巧妙に拒絶する受験期の息子との関係に苦しみながら、外見はホテル経営者の妻として何不自由ない生活を送っているかにみえる香葉子。

「『そうね』と『よかったわね』とその二言しか言うまいと心に決めてからどれだけになるだろう。
それは自然の会話でないことも香葉子にはわかっていた。
言葉の上ではいかにも優しい母と子の会話だったが、心理的には上を恐れる主従の会話だった。
しかしそれ以外のどんなことを言っても、夫は否定し、息子は結果的には怒ったのだから、それ以外に方法はなかった」

社会的にはホテル経営の一族の総師としてりっぱに役目を果たしている夫との1度として心が触れ合うことのない会話や人間的な温かみを見出すことのできない息子との関係を修復するというエネルギーを放棄してしまった主人公の絶望を、著者のもっとも愛する三浦半島のおだやかな海の息づかいに対比させて容赦なく描いています。

著者の作品では「人間は卑小であり、人生は惨憺たるものである。それを知って絶望するところから出発して初めて、人間にしか出来ない生き方をもまたなし得る」という一貫したテーマを示唆する人物が登場しますが、本書でも主人公の青春時代に淡く触れ合ったことのある男性がその役目を果たしています。

その水野が息子を自死という形で亡くした香葉子に語ります。

「死ぬほど絶望しろよ・・・でもそれが生きている証拠だ」

「生きていて何になります?私は何を希望に生きるんです?」

「そんなこと、わかってたまるか・・・みんなわからずに生きているんだ。すると、或る日、薄明かりがさしているように見える日がある・・・と思うと翌日、またその微かな光が消えてるんだ」

今回の水野の登場にいつもながらの著者の作為を感じると同時に、絶望の淵に立ってすべてを擲とうとする人こそ、そこから出発すべきであるという厳しさに、耐え難い呼吸の苦しさを覚えてしまいました。

「マルトリートメント」という言葉をご存知でしょうか。

私は本日ご紹介する本『親の愛は、なぜ伝わらないのか!?』を読むまで知りませんでした。


‘maltreatment’の日本語訳は「不適切な取り扱い」。

接頭辞ma-は語源がラテン語から来ていて、エスペラント語で用いられ単語の頭につけることで反対の意味になるそうです。

欧米では大人の子どもに対する不適切な関わりを意味するものとして、「ネグレクト(育児放棄)」「アビューズ(虐待)」より広い意味を持つ「マルトリートメント」の概念が一般化しているそうです。


本書でも「マルトリートメント」は「不適切な養育」という意味で登場します。


「厚生省こども虐待対応の手引き」によると次のように定義づけられています。

「18歳未満の子どもに対する大人、あるいは行為の適否に関する判断の可能な年齢の子ども(おおよそ15歳以上)による身体暴力、不当な扱い、明らかに不適切な養育、事故防止への配慮の欠如、ことばによる脅かし、性的行為の強要などによって明らかに危険が予測されたり、子どもが苦痛を受けたり、明らかな心身の問題が生じているような状態」


本書『親の愛は、なぜ伝わらないのか!?』は2005年、15歳だった長男が起こした「板橋両親殺害事件」を、当時進行していた裁判の行方と並行してさまざまな角度から背後に隠れていた親子間の問題を分析する形でまとめられています。


「板橋両親殺害事件」に関してはご記憶の方もいらっしゃると思いますが、当時高校1年だった長男が両親の仕事場でもあったある社員寮の管理人室で両親を殺害したうえ建物を爆破させて逃亡するというショッキングな事件でした。

この少年を巡り、両親から「マルトリートメント」を受けたと主張する弁護側と、彼が受けてきたのは「一般的なしつけの範疇」とする検察側の主張が裁判の争点となり、昨年末少年に懲役12年の判決が言い渡されたのでした。


本書はその裁判が終わった段階で、2人の女性ライターの方がそれぞれ受け持ちの章を分担される、という形で執筆していらっしゃいます。

佐久間真弓氏は第1,4,5,6章と「あとがき」を、藤崎りょう氏は「はじめに」と第2,3,7,8章をそれぞれ担当していらっしゃいます。


本書のようなある特定の事件を取り扱ったドキュメンタリー方式の本は多く読みましたが、まず事件の詳細、続いて裁判などの傍聴記録、周りの関係者へのインタビュー、そして専門家から見た事件の背景や加害者、被害者への分析と解説、というのがほとんどのアプローチの仕方ではないでしょうか。

それらを通して今後の似通ったケースをどのようにしたら防止できるかという善後策を専門家の意見などを参考にまとめているというのが一般的な流れだと思いますが、本書もその例に漏れないまとめ方をしている中、藤崎氏は両親に庇護されていた子どもとしての自分、そして母親としての現在の自分を振り返ることで、加害者である少年の生い立ちや心情に自分自身を重ねてみるという行為を度々行っていらっしゃることは特筆すべきことであると思います。


本書は先に挙げたようなステレオタイプの形式から大きく外れることはありませんが、ドキュメンタリーやルポルタージュの中にライターの方のそのような個人的な側面を発見することで、その内容は単なる解説からとたんに息づいたものになると思うのは私だけでしょうか。


3人の子どもたちの母親である私は、時として藤崎氏がご両親に感じたような「不適切」な扱いをただの1度も子どもたちにしてこなかったと断言できない自分がいます。

教育やしつけという形で子どもたちに向けた感情は決して親として適切なものではなかったことを認めざるをえません。

それでも子どもたちはそれなりに成人し、社会生活を送っていることに対して今、私は深く感謝しています。


いろいろな少年少女による事件が社会を震撼とさせていますが、いつでも加害者にも被害者にもなりうる自分がいることを認めてもいます。


ここに登場する実の息子に殺されなければならなかった親と私とどれほどの差があるのか、また親を殺さなければならなかった少年と私の子どもたちとどれほどの差があるのか、正直なところ明確に答えられません。


未熟な状態で親になり、今でも過去に誤りたいことを山ほど抱えている私ですが、不器用ながらただ一生懸命子どもたちを愛していたことは理解してくれていると信じることでどうにか人間としての最低ラインを保っています。


弁護側の証人として出廷もされていた国立成育医療センターの奥山医師の指摘をすべての親は重く受け取らなければならないと思います。

「子どもが生きていて存在していることが親にとって、そして社会にとって大事だということをいかに伝えるかだと思います」


この言葉は親子の間だけではなく普遍的です。

子育てを終えた私ですが、私の周りの人々にこのような形で心を伝えたいと思います。


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