VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2009年01月

この2,3日別々の友人たちとの会話の中で集中したのが「夫婦の自立」についてでした。

熟年離婚があたかも社会的風潮のようになっているそうですが、私の周りは個々の内実はともかく何とか夫婦としての形態を保とうと努力している人たちばかりです。


夫がこの7年間で深刻な2度の病気に見舞われた経験を通して命の限度について考えることを余儀なくされた私は以後、夫との日常を第一義としてストレスなく過ごすことに心を砕いてきました。


友人でも夫でも寄り添うほど死別は耐え難くその後の人生を続けるエネルギーがなくなることは想像に難くありません。


朝日新聞に連載されている「人生のエンディング」には死別によって残された夫または妻の孤独感や悲しみが重い病気や死亡の危険因子になっているという統計が出ていました。


身近な大切な人を失うという経験は若いときより将来の展望が狭まった年を重ねてからの方が多く、悲しみを癒すグリーフケアを受け入れる力も自分で立ち直る力も湧いてこないかもしれません。


これら癒しのグリーフワークも周囲の支えなしではなしえないという観点から全国的にいろいろな支えの会が発足しているようですが、元来集団を好まない孤独な老人を想像すると切なくなります。


亡き妻を追って自死された江藤淳氏は「形骸を断ず」という言葉を遺していらっしゃいましたが、遺された人が形骸と感じないためにも精神的にも行動面でも自立することの大切さを痛感しています。


ときには連帯感を断ち切るさじ加減も大切ではないでしょうか。


ということで夫に一人旅と料理教室入会を勧めています、もちろん夫への深い愛情で。




さて、本日は楊逸氏著『時が滲む朝』をご紹介します。


著者楊逸氏は1964年中国黒龍江省ハルピンに生まれ、1987年に留学生として来日、皿洗いなどのアルバイトをしながら日本語学校で日本語を習得、お茶の水女子大学卒業後、在日中国人向けの新聞社勤務を経て中国語教師をしながら執筆したデビュー作『ワンちゃん』が2007年第105回文学界新人賞受賞&第138回芥川賞候補となります。

そして2作目の本書『時が滲む朝』で見事第139回芥川賞を射止めました。

中国籍で日本語以外の言葉を母語とする作家として初の芥川賞受賞者となったのでした。


★「久しぶりに人生という言葉を文学の中に見出し、高揚した」 選者・高樹のぶ子氏

★「文章にはまだ生硬なところが残る。しかし、ここには書きたいという意欲がある」 池澤夏樹氏

★「荒削りではあっても、そこには書きたいこと、書かれねばならぬものが充満しているのを感じる」 黒井千次氏

★「後半でこそ深くなるべき陰影が薄くなり、類型的な風俗小説と化してゆく。
どうにも違和感をぬぐえない日本語と併せて私は受賞に賛成できなかった」  宮本輝氏

★「『時が滲む朝』の受賞によって、たとえば国家の民主化とか、いろいろな意味での胡散臭い政治的・文化的背景を持つ『大きな物語』のほうが、どこにでもいる個人の内面や人間関係を描く『小さな物語』よりも文学的価値があるなどという、すでに何度も暴かれた嘘が、復活して欲しくないと思っている」  村上龍氏


本書に票を投じた選者の方々もそうでない方々も揃って現代の日本文学界の停滞を指摘、文学というものにまっしぐらになる健気さを捨てた日本病によるものであろうと記しておられたのが印象的でした。


「中国民主化民主化勢力の青春と挫折がテーマ。民主化運動に加わった、理想に燃える2人の中国の大学生が1989年の天安門事件で挫折するまでと、その後の北京五輪前夜までの人生の苦悩や哀歓を通して、成長していくさまを生き生きとした筆致で描いた青春小説」

上記がWikiに挙げられていたあらすじですが、全体を通してひとりの青年の人生、時には自らの意思で、時には時代の波に流されながら歩んだ天安門事件前から北京五輪開催までの時代の人生を描いています。


主人公梁浩遠とその親友謝志強が強い憧れを抱いて秦漢大學中国文学科に進学する過程から筆を起こし、やがて民主化運動の波にもまれながら、ノンポリ学生より色濃く、運動家ほどにはのめり込めない状態で集会やデモに参加するうち天安門広場での乱闘を契機に3ヶ月の拘留、そして退学となります。


ひとりの中国人の若者を通して国家や政治が人間の人生に及ぼす影響力を描くという著者の意図が作品全体から読み取れますが、上述の村上龍氏の「文化的背景を持つ大きな物語」という背景なくしては受賞には至らなかったのではないでしょうか。


中国という自他共に認める大きなスケールの国とは比べようもありませんが、「天安門事件」までの主人公たちの姿が日本の全共闘時代の一部の運動家を除いた多数のノンポリ学生の姿と重なりました。


この中国という大きな歴史的背景の支えがあってこそ主人公たちの青春期特有の類型化された苦悩の物語が生かされていると思いました。


日本語を母語としない著者という観点からすればところどころのぎこちなさや時代錯誤的な言い回しは否めませんが、それが気にならないほどの文章力には感服しました。


Wikiでの要約のように、この物語をひとつの「青春小説」とすれば納得のいく内容でした。

以前朝日新聞に苦悩する学校教師の現状をルポした記事が連載されていたのをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

明治時代に遡って、絶対的な威厳を自他共に認めていた教師の像が年々失墜しているのはほとんどの方が認めるところでしょうが、まだ私の子育て時代は学校や教師に対して教育方針に関するクレームを言うなど考えられませんでした。

私の子どもたちがおとなしい優等生でなかったことも一因でしょうが、親である私はひたすら低姿勢で過ごしたことを思い出します。


元教師で教育研究団体TOSSの代表をされている向山洋一さんが3年前名づけた「モンスターペアレント」という名前ぴったりの保護者が急増している昨今です。


常識で通用しないような理由で給食費を払わない親や、常識外れとしかいいようのない抗議を続ける親など枚挙に暇がありません。


前述のルポ「燃え尽きる教師」シリーズに登場したある小学校の女性校長を自殺に追い込んだ保護者の母親の記事を読んだ私はやり場のない怒りと悲しみに胸がいっぱいになりました。


私自身はすべての教師に盲目的な信頼を置くというスタンスは持っていませんが、下校したのちの私的外出中に起きた交通事故で死亡した息子を巡って常識外の非難を浴びせ続ける母親に対して、息子を亡くした心情への配慮と事を荒立てたくないという気持ちからひたすら謝り続ける校長の姿には落涙を禁じえませんでした。


校長亡き後、保護者であるその母親はひたすらわび続ける校長に対して「だからでしょう、私はだんだん増長していきました」とのちに語っておられました。


精神的窮地に追い込み自殺させるまでに増長する母親もまた精神を病んでいたとしか思えない出来事でした。


暗いニュースばかりが目につくこの社会で健全な精神を保ち続けることがいかに難しいかということを痛感します。




さて前置きが長くなりましたが、今回は星野仁彦氏著『機能不全家族』をご紹介したいと思います。


著者の星野氏は福島県立医科大学神経精神科助教授を退官されたのち福島学院短期大学教授、メンタルヘルスセンター所長を兼任していらっしゃる現役の精神科医です。


35年の豊富な臨床経験で培われた知識を門外漢にも理解できるような平易な文で書いておられます。


「心が折れそうな人たちへ」という副題の本書は大きく3章からなり、特に導入部分である第1章では精神に問題を抱えていたと思われる古今東西の偉人や猟奇殺人で話題になった酒鬼薔薇聖斗などを例に挙げてその背景となる生育状況などに遡っていて興味深い読み物となっています。


他人事として気楽に読めたのはレオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタイン、夏目漱石など天才と呼ばれた人々の偏った精神構造を分析している第1章です。


ダ・ヴィンチやアインシュタイン、ミケランジェロ、ピカソ、モーツァルト、ベートーベンは注意欠陥多動性障害(ADHD)やアスペルガー症候群(AS)、夏目漱石はうつ病または妄想狂、ヒトラーは自己愛性人格障害、ダーウィンはパニック障害・・・などなど。

いずれも生育期に遡って様々な問題が指摘されています。



不登校、引きこもり、ニート、うつ病、摂食障害、性非行、非行、凶悪犯罪、依存症、児童虐待、老人虐待、心身症、PTSD、不安障害、DV、ストーカーなど、すべてに網羅し広く浅く、著者が医師として体験したことを交えながら例を挙げていらっしゃいますが、これらの起こる背景の要因として繰り返して強調していらっしゃるのが「子どものころからの養育環境・家庭環境の問題」「個人の脳の脆弱性、すなわち発達のアンバランス」の2点です。


前者は「機能不全家族」「アダルト・チルドレン」、後者は「「発達障害」と呼ばれ、近年注目を集めている注意欠陥多動性障害(ADHD)やアスペルガー症候群(AS)、学習障害(LD)なども包含されるとしています。


機能不全家族や発達障害は気づきにくく、認めたがらないという日本人特有の直視恐怖が災いして治療が遅れるというケースが多々あることに言及、注意を促しています。


第2章では人生の様々な時期の襲われる心のトラウマについて広く記しています。


非現実的な夢を求めて挫折を繰り返す「青い鳥症候群」や子どもたちが巣立ったあとの母親が罹患する「空の巣症候群」、「更年期うつ病」、サラリーマンに襲いかかる「上昇停止症候群」、「リストラうつ病」など、決して他人事ではない心の病気が目白押しです。


経済至上主義から一転して、最近ではスローライフやこころ重視の時代が見直されていますが、、社会は変化しても受け皿である家族の在りようをもう一度個々として考えることの大切さを痛感しました。

地デジまであと2年、我が家にある2台のテレビのうち1台は阪神大震災を生き残ったブラウン管のつわものでしたが、さすが寄る年波には勝てずときどき横縞が走るようになっていました。


年末長男の帰省を機に、量販店で選んでもらいブルーレイビデオとともに液晶テレビ32型を購入、そのまま持って帰り長男に設定してもらいやっと地デジの仲間入りができました


ブルーレイはまだ高価なので買う必要はないとの結論に達していたにもかかわらず目玉商品として出ていたのが安価だったのでセットで買ってしまいましたが、テレビと合わせて驚くほどの安さで買えたことに大満足!


だれかれとなく値段を披露して羨ましがられるのを最近の唯一の喜びにしています。


私は夕食時のお笑い番組やクイズ番組以外ほとんどテレビを見ませんが、夫はスポーツと名のつくものはほとんど網羅、大好きな洋画も色鮮やかに見ることができて満足そうです。


で、ニュービデオで初めて録画したのが年末恒例のダウンタウンの「ガキ使罰ゲーム」。

お笑い大好き一家の馬鹿っぷりがわかり軽蔑されそうですが、お正月中繰り返し見ては楽しみました~。



さて本日は吉田修一氏『最後の息子』をご紹介します。


著者吉田氏は大学卒業後、スイミングスクールのインストラクターなどを経て

1997年本書の表題作でもある『最後の息子』でデビュー、同作が第84回文学界新人賞受賞&第117回芥川賞候補ともなっています。


このブログでも過去に別作品『悪人』のレビューと共に吉田氏の簡単な受賞暦を書いていますので見ていただけたらうれしいです。
           http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/267


本書には表題作「最後の息子」のほか、「破片」と「Water」の3つの作品が掲載されています。

このうち「Water」は2007年に著者自身で監督、映画化して話題になりましたね。



さて本書のレビューを少し書いてみたいと思います。


新宿でオカマの閻魔ちゃんのヒモとして同棲、モラトリアムな日々を過ごす主人公「ぼく」の日常を自ら回すビデオカメラを通して冷静な目で客観的に見つめる様子を描いた表題作「最後の息子」

閻魔ちゃんの情をとことん利用しているかに見えるダメ人間の「ぼく」の一見無気力でクール、利己的な性格の下に隠された優しさや繊細さが、敢えてスタンスにしているかにみえる若者特有の偽悪的な人柄の奥から見え隠れする様子を巧みに捉えた筆力がのちの新人賞受賞に結びついたのではないでしょうか。

危うい綱渡り的な閻魔ちゃんとの生活は「ぼく」の最後のもくろみを閻魔ちゃんが拒否することで唐突に終わりを告げますが、閻魔ちゃんというオカマの心意気というものを描いてとても心打つラストになっています。


著者の故郷長崎を舞台の高校水泳部員たちの爽やかな青春を描いた「Water」

これぞ「青春小説」といえる汗と涙と恋と笑いの物語、個人的には本書の中ではピカイチでした。

水泳という著者の得意分野を扱っているだけに、著者にしては珍しいストレート勝負に出た作品という感、久しぶりに清々しい躍動感溢れる作品に触れることができました。

登場人物の使う長崎弁が物語のテーマである素朴さやひたむきさを後押しする強力な助っ人となっていて、方言大好きな私の胸を掴みました。

1月20日米史上初のアフリカ系第44代大統領に就任したオバマ氏の就任演説、遠く離れた日本でも多くの人が期待と希望を持って耳を傾けたのではないでしょうか。

私もそのひとりです。

このような気持ちで他国の大統領就任演説を待ち望んだのは故ケネディ氏以来かもしれません。


「つい60年ほど前はレストランで食事もさせてもらえなかったかもしれぬ父を持つ男がいま、あなた方の前に立っている」

リンカーンの奴隷解放宣言から145年、ノーベル平和賞受賞者であり1968年遊説中のメンフィスで白人の銃弾に倒れたキング牧師の遺志を実現する確実な一歩を米国民とともに踏み出したことにほんとうに感動しています。


キング牧師の有名なスピーチの一部「わたしには夢がある」に始まる「人間が肌の色ではなく、内なる人格によって評価される社会」の真の実現にはまだまだ険しい道が広がっていると思いますがコツコツ国民とともに歩んでほしいです。


議会からホワイトハウスまでの2.5キロの道のりのパレードの間の2度のウォーキングを見ていると四方にくまなく配置された警備をもろともしないまさに命がけの勇気に感服しました。

どうぞ無事に任期を全うしてほしいと願っています。




さて本日は曽野綾子氏著『父よ、岡の上の星よ』をご紹介したいと思います。

SNSで親しくしていただいているトコさんがアップされていて興味を惹かれたものです。

トコさんのレビューをそのままコピーペーストさせていただいたのが以下の文です。

――― この作者らしい、人生の哀歓と諦観を感じる短編集。9話収録。「沈黙の海」は老人ホームに暮らす八田という老人の話。かってはある財団の仕事でアフリカや未開発の地で働いていた。そこをやめ、妻に先立たれて、老人ホームに入った。そこで徹底して無口で通す。それが一番迷惑がられない方法と知る。
 「一夜」もちょっと悲しい話だ。皮膚湿疹の症状で皮膚科を訪れた女性。医師は変わった名前に、昔、お見合いを持ち込まれた女性と気づく。見合いする前にことわり、会ってはいない。病気は単なる皮膚病ではなく、細胞検査の結果ハンセン病とわかる  ―――


1988年から1999年にかけて小説を中心とした月刊誌に載せられた9篇を一冊にまとめたものです。

「愛と許しに満ちた魂の物語九篇」


トコさんが書いていらっしゃった「老人の海」

妻を失って老人ホームに入居して以来しゃべるのをやめてしまい、周囲から木偶扱いを受けている八田老人の胸に去来するあふれる思いを描いて秀作です。

若いころある財団から出向したアフリカで味わった無謀と無邪気と残忍と初々しさを記憶の海で温めながら自分の部屋の窓から見える相模湾を眺める彼は月に照らされる自分の人生をしみじみおもしろいものだと思う精神のきらめきを沈黙という殻に封じ込めながらかみしめているのです。

比類なき現実主義者である妻との生活に違和感を抱く恭介が、以前出張の帰りに寄ったイスラエルの聖墳墓教会で再会した大学時代の旧友大木と再び東京の電車の中で再会したことがきっかけで大木神父の生き方に触れ、妻の現実主義をかわいいと思える心の余裕を取り戻すまでを描いた「悲しみの道」

いつも永遠の世界に通じる冷めた現実を見据え、早くから人生を見通してしまっている神父や信徒に比べたら、宝石や別荘や株への執着で喜んだり悲しんだりしている妻はなんとかわいいのか、そんな儚い夢に執着するなら夢は見続けさせてやってもいいのではないか・・・これが恭介の胸に去来したことでした。

子連れの女性と再婚して精一杯父になろうと心を砕いたにもかかわらず子供から徹底的に父になることを拒否され、結果妻の死によって永遠に父になれなかった時岡修身という男を描いた表題作「父よ、岡の上の星よ」

「誰でもが父を持ち、また実際の子供を持たなくても、社会で父と同じ任務を果たすことができます・・・
その祝福を受けた人たちに、今日教会はここでおめでとうを言いたいと思います。
どうぞお父さんたち、祭壇の前に出てきてください」

シンガポールの教会で、永遠に父となることを放棄した神父と、父となることを永遠に拒否された修身が、父になれなかった失sの偉大さと輝かしさを背負って祭壇にいる様子を想像すると、人生の虚しさや奥深さを感じずにはいられません。

これもトコさんのレビューにあるあらすじの通りです。

下町で皮膚科を営む佐藤の前に患者として現れた女性の苗字が珍しいがゆえにかつて自分が見合いをする前に断ってしまった相手だったと気づきます。

検査の結果ハンセン病と告げられた女性から、感染したかもしれない過去の3度の海外での男性との経験を聞いて、自分があのとき断らなかったなら少なくとも彼女の生活は今のようではなかったという密かな仮定に思いがけず心を揺さぶられる佐藤を描いた「一夜」



私はクリスチャンではありませんが、バックボーンに神を抱いた著者の作品は一部を除いて私の読後感を満たしてくれるものがたくさんあるのです。

言葉を換えれば、その時々で生きることを重くも軽くも思えるような示唆がいたるところにあるのが私には嬉しいことなのです

慌しい年末年始が過ぎ、やっと日常が戻りました。

溜まった新聞を整理していると柳澤桂子さんのインタビュー記事が目に留まりました。

原因不明の病気で30年近い歳月を過ごしながらもご自身の病気や研究者としての体験も含めた多くの著書を発表し続けていらっしゃる生命科学者です。

科学者として発生学の研究が充実期を迎えていた40代に病気のために退職を余儀なくされた経緯は『認められぬ病』をはじめとする著書で知ることができますが、その後も厳しい病床生活で「いのち」に関する多くの著書を生み出していらっしゃいます。

一時重篤になられた病の床で生命維持装置を外す決心をされた時期があったそうですが、娘さんの激しい動揺で思いとどまったという経験を通しての「いのち」に対する深い気づきが読み手の私の胸にまっすぐ向かってきます。


40億年近い地球での奇跡の重なりの上にいまの私たちの命があり、命は自分だけのものではないと書いていらっしゃいますが、反面最近入院された老人病院での体験を通して寝たきりの死にたくても死ねず苦しむ老人の切ない生を目の当たりして死に関しての感じ方が揺らいでいると正直に語っておられるのが印象的でした。


私には介護を必要とする97歳の寝たきりの母がいますが、上記の老人病院の方々のように死をひたすら求めている母の様子を毎日目にしていると切なさで胸がいっぱいになります。

限りある命をぎりぎりまで充実させることがどんなに難しいことかを認めざるを得ないことにたじろぐ毎日です。


このように後ろ向きになりがちな私の思考は、時として柳澤氏の言葉と重なって共感の源となったり、また氏の生き方が私の向きを変えてくれる原動力になったりもします。



さて本日ご紹介する『いのちの時』は1999年から2001年、著者61歳から63歳の小康状態の安定期に様々な新聞や雑誌に載せられた25のエッセイを一冊にまとめたものです。

あるときは科学者の目で多細胞生物である人間を分析し、またあるときは生命体の神秘を科学と対極にある宗教に絡めて語っていらっしゃいます。


二十世紀の終わりに解明されたヒトゲノムのDNAの全塩基配列解読の結果可能になった遺伝子の診断による病因遺伝子をもった障害者の問題についての著者の繰り返しの言葉はとても重いものです。
少し長くなりますが引用してみたいと思います。


「遺伝子的な障害をもった子供の数は病因遺伝子をもつ夫婦が出産をさけることなどにより減ることはあるが、なくなることはない。
遺伝子の中では、たえず一定の頻度で突然変異が起こっている。
さらに、私たちは誰でも重い病気の遺伝子を五、六個はもっているといわれている・・・
このように考えてくると、障害をもった子供は、運悪く病因遺伝子の乗った染色体を引き当ててしまったことになる。
とすると、私が悪い遺伝子を引き当てなかったのは、障害をもっている人がそれを引いてくれたからである。
私たちは障害者に感謝しなければならないし、その人たちが幸せに暮らしていけるように、できるだけのことをしなければならない。
ヒトゲノムの解読の意味を考えていって、私が到達した結論は、一層の福祉の充実が必要であるということである」


この世で起こることはすべて他人事ではなく、若いときは障害とは縁のない生活を過ごしていた人々でも晩年に障害者となることを余儀なくされることもしばしばです。


この文章と出合うことによって広い視野に立って障害というものを受け止めることができたことにとても感謝したい気持ちです。

氏の著書を読むとこんな私でも広い意味で人生を見つめる力を与えられるのです。


最後にドイツの神学者ボンヘッファー氏の「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という言葉を借りて述べていらっしゃる著者の理想の生き方を記して締めくくりたいと思います。

「謙虚に、自分を大事にして、自分の足で生きるという『神なしの境地』が私には理想の生き方です」

遅ればせながら新年のご挨拶を!

明けましておめでとうございます。

皆様に、そして私のまわりにも小さな喜びと幸せが訪れますように!


昨年は私の拙い読書ブログ「VINのらんどくダイアリー」を度々訪れてくださったり、また心温まるコメントをくださり本当にありがとうございました。

一貫性のない偏見に満ちたレビューですが、皆様に読んでいただけることを励みに今年もアップしていきたいと思っています。


2008年にご紹介したレビューは97冊、実際読んだ本は170冊ほど、乱読を絵に描いたような無節操極まりない読書で反省しきりですが、本年も「本を楽しむ」という姿勢でいろんな本を覗いてみたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。


さて今年も昨年の97冊の中から自分なりのベスト10を挙げてみたいと思います。


★『モリー先生との火曜日』ミッチ・アルボム 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/220

★『聖の青春』大崎善生 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/224

★『カイト・ランナー』カーレド・ホッセイニ 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/250

★『がん患者学�T・�U・�V』柳原和子 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/254

★『天璋院篤姫』宮尾登美子 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/256

★『八日目の蝉』角田光代 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/268

★『散るぞ悲しき』梯久美子 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/276

★『きのね』宮尾登美子 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/287

★『償いの椅子』沢木冬吾 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/294

★『悪童日記』アゴタ・クリストフ 
   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/310


上記のほとんどは再読、再々読したのちも手元に置いてまた読み直したいと思う本です。
自分の年の変化とともに読後感にも微妙な変化がありますが、それぞれに深い読後感を味わった作品ばかりです。

これらベスト10に挙げた本は純粋にエンターテインメントとしておもしろかった本、ドキュメンタリーとして心に残る本、現在の自分の心の琴線に触れた本など様々ですが、共通しているのは「味わい深い余韻」を残してくれた本ばかり。

読後の充実感を味わえる本こそ、読者にとってタイムリーな本といえるのではないでしょうか。

今年もまたそんな本に巡り合いたいと思います。

皆様の心に残った本、ご紹介くだされば嬉しいです。

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