VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2009年03月

桜の季節がやってきました。

岡山でも21日に開花宣言が出され、市内の名所後楽園東側の河川敷では27日に「岡山さくらカーニバル」が開幕しました。

約1200mの土手の両側に並ぶ約250本のソメイヨシノ、この週末満開でしょう。


また岡山市にある岡山藩2代目藩主池田綱政が先祖の菩提を弔うため創建した臨済宗曹源寺の境内にあるしだれ桜、今が見ごろです。



日本人が愛してやまない桜、その語源についての記事がある冊子に載っていました。

穀物の霊である穀霊を表わす古語である「さ」と、神霊が鎮座する場所を意味する「くら」が合わさり、「さ」「くら」で「穀霊が鎮座する場所」という意味になったという説が1つ。

もう1つは、『古事記』に登場する「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」の「さくや」が転訛したものだという説。

ほかに「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものという説もあるそうです。


また先日の朝日新聞に興味深い記事が出ていました。

日本古来の花とされる桜ですが、賞美する習慣は中国の六朝梁代成立の詩文集『文選』の五言詩「山桜発欲然」からの学習であることがわかっているそうです。

「花ぐはし桜の愛で同愛でば早くは愛でず我が愛づる子ら」

古くは『古事記』に出てくるこの歌は充恭天皇が詠んだ歌だそうですが、これも『文選』からの影響とされているそうです。

改めて中国文化の影響の大きさを感じます。



さて本日は志水辰夫氏著『生きいそぎ』をアップしたいと思います。

著者は出版社勤務の後フリーライターとして活躍
1981年『飢えて狼』で作家としてデビュー
1986年『背いて故郷』で第39回日本推理作家協会賞&第4回日本冒険小説協会大賞
2001年『きのうの空』で第14回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞していらっしゃいます。


本書は「小説すばる」に発表した8編の短篇を1冊にまとめて刊行したものです。


「人生の黄昏どき、ときに激しくあるいは穏やかに過ぎてきた日々。
老境にさしかかった今、自分の人生は何だったのか…。
短篇の名手が人生の秋を迎えた人それぞれの心情を叙情豊かに描く珠玉の短編集」


8編の短篇の主人公はどれも社会をリタイアして人生の終焉のとば口に立った男たち。


今まで意識しなかった「老い」がひっそりと身辺に寄り添っているのを自覚したとき、男たちの脳裏をもう取り戻しようのない過去や故郷の風景が鮮やかに胸に去来します。

それは別れた妻との痛恨の思い出だったり、故郷に残した母親のことだったり、すっぱり切り捨てたと思っていた肉親とのしがらみだったり、そんな心の片隅に刺さった小さな棘のような思い出を手繰り寄せることで男たちは何かを埋めようとします。


20年前に出奔した妻が持ち出した小さな女雛をお籠り山の祠で見つけた男の内面の孤独を描いた「人形の家」

12歳で夭折した姉の死の原因を作ったというトラウマをずっと心にひきずっていた弟妹に起こった五十回忌の日の出来事を描いた「五十回忌」

娘の計らいで久しぶりに層雲峡温泉で会った別居している夫婦それぞれの修復するにはあまりにも深すぎる心の傷を描いた「うつせみなれば」


どれも切なくも恐ろしいという不適切な形容でしか表わせない物語ばかりです。


もはや取り戻せそうにない過去の痛恨への出口が一瞬開きそうになりながら決して解決することはないことを知っている諦念にも似た静かな孤独を纏った男たちを描いて秀作です。 


何らかの傷を抱えながら生を終えるのが人間の宿命なのでしょうか。

第56回NHK杯テレビ囲碁トーナメントで結城聡9段が優勝しました。

結城9段は関西棋院所属、今までの優勝者はほぼ全員日本棋院所属で、関西棋院から優勝者が出たのは24年ぶりだそうです。

関西出身の夫はとても嬉しそうでした。

囲碁が趣味の夫は長年日曜日に放映されるNHKの囲碁番組を欠かさず見ているので、肝心の囲碁は知らない私も歴代の棋士の名前や癖を知らず知らずのうちに覚えてしまいました。

今回のトーナメントでは趙治勲二十五世本因坊は早々と敗退しましたが、棋士の「癖」を語るには枚挙に暇ないほど数々のおもしろい癖を持っています。

最近は鳴りを潜めていますが、マッチ棒をポキポキ折りながら考える癖があり、一時は徳用マッチ箱を傍らに置いて対戦していました。

また髪の毛をむしったり、声に出してぼやいたり、自ら打った悪手に腹を立て脇息を投げとばしてしまったこともあるそうです。

ぼやきで負けていないのはNHK杯で過去に何度も優勝を重ねた依田紀基9段ですが、NHK杯に寝坊して遅刻を繰り返したことから出場権を取り消されたこともあるそうです。

また対局につくと信玄袋からクルミを取り出しすり合わせることでも有名です。

今回の優勝者である結城9段には目立った癖はないようですが、時々唇をかみ締めるような表情をするのが癖といえるかもしれません。


夫の父親が囲碁を趣味にしていた関係で高校時代から長兄や次兄とともに囲碁を打っていた夫は一応有段者ですが、ときどき行く囲碁クラブには高段者が多く、置き碁をしたりされたり、将棋でいう○○落ちという感じで対戦できるのは効率的。


私もその昔夫の手ほどきを受けたことがあるのですが、何度教えられても「目」を作るということが理解できない上、3手ほど先も読めないので、ついにやめてしまいました。


最近また夫ではない人に一から習おうかなという気持ちになってはいるのですが、覚えられない劣等性の悲哀をこの年で再び味わうのもと二の足を踏んでいます。



さて前ふりが長くなりましたが、今回はその囲碁を2人の主人公の心の合わせ鏡のように用いた興味深い物語をご紹介したいと思います。


シャン・サ著『碁を打つ女』


「気鋭の在仏中国人作家が端正な文体で描く、世界21カ国で翻訳された愛と戦争の物語」


著者シャン・サは北京生まれの中国人
11歳で処女詩集を出版
12歳で詩の中国大会で1位を受賞、15歳で子どものための詩の協会のメンバーとなります。
天安門事件後17歳で渡仏、故バルテュス画伯の下で2年間働いたという経歴。
1997年『Porte de la paix celeste』でゴンクール賞最優秀新人賞
1999年『Les Quatre Vies du saule』でカゼス=リップ賞
2001年本書『碁を打つ女』で「高校生が選ぶゴンクール賞」受賞
2003年『女帝 わが名は則天武后』
2007年『午前4時、東京で会いますか?-パリ・東京往復書簡』を刊行



時代は日中戦争の勃発する1937年

場所は満州事変以降日本軍が占領した満州の千風広場

主な登場人物は満州の上流社会に生まれた蒋介石派の16歳の少女と抗日分子のあぶり出しの使命を帯びた20代の日本人兵士の2人。


寒さ厳しい架空の千風広場で厳しい現実から一時でも逃避するように碁に興じる男たちに混じて、息詰まる家や学校の束縛という現実から逃れてきたひとりの少女。

抗日分子が紛れこんでいるという情報で地元の人間になりすましてやってきた日本人兵士。


お互いの素性も名も知らぬまま連日対局を続けるうち2人は惹かれ合うようになります。


物語は碁の対局のように少女と兵士の一人称語りで交互に紡がれていきます。


心許す人たちや恋人が次々命を奪われ、男の欲望の対象の結果の妊娠と中絶を通して死に手をのばした一時を持つ少女と、課せられた任務の過酷から逃れるため夜の娼窟へと刹那の逃避を重ねる兵士の過去と日常が碁盤に広がる互いの陣地のように、次第に明らかになり、そして終局へと向かいます。


お互いの心模様が対戦模様を通して何気ない満州の大地の自然の描写に溶け込んで、まるで上質の詩を読んでいるように深く心に染みます。


詩的でシンプルな言葉を通して、大地を吹き抜ける風や木々の色や匂い、そして心の色までも想像する力を喚起してくれる文章。


2人にとって碁を打つことは死を視野に入れて生きることとイコールで結ばれるような真摯で哲学的な行為です。

死をこの世のただひとつの真実とする少女はその真実のために相手方を幻惑する虚言の競技だと碁を定義づけます。

対局が進むにつれて決して予測どおりには行かないはずの2人の運命はあらかじめ予測されたような終盤を迎えます。


「私が碁を好きなのは、とても詩的だからです。
将棋は相手と正面から、直線的に争いますが、碁は盤面全体のビジョンを闘わせるゲームです。
ここに石を置くことが、後で別の場所に影響する。
時間的にも地理的にも離れたことがらが関係しあう──4次元のゲーム、
螺旋状に展開するゲームなんですね。
碁は私の考え方、作品の構成にも大きな影響を与えています」


このような日本人の精神世界に通じるような文章を書いた著者が異国に住むまだ年若い中国人の女性と知って驚かれた読者の方は多いのではないでしょうか。


著者は伝統や自然への尊敬、規律の厳守を重んじてきた日本に敬意を抱き、自らを武士と武士道精神の熱烈なファンだと語っていらっしゃいます。


それを証明するように、本書には日本の古き時代の物語からの和歌や俳句、狂言などが挿入されていて 日本文化への造詣の深さが並の日本人以上であることに敬服します。


私の拙い文にはあまりある作品でした。

昨夜TVで高橋ジョージが「レンジで作る簡単チャーハン」を披露していたのを観ていた夫が珍しく今日の昼食に作ってみると言い出しました。

概要を聞いてみてもとてもおいしそうなのが出来る感じがしなかったのですが、めったに起こらない料理へのやる気を妨げたくなくて作ってもらいました。

で、結果は作った当人もがっかりするような代物。

卵をあらかじめご飯にコーティングするのはチャーハンの王道としておなじみになっていますが、ジョージが作ったチャーハンはパラパラとしたいい感じに出来ていたのに比べ、工程が間違っていたのか、夫のはスプーンも立たない硬い塊があるかと思えば、その塊の中は妙に柔らかく首を傾げるばかり。

何とか2人とも箸休めの佃煮やお漬物と共に流し込んでやっと苦渋の昼食が終わりました。

レンジを利用するのは簡単でいいですが、やはり回り道でもフライパンがいいね、という結論でした



さて今回は吉村昭氏の得意とする医家伝の中の1冊『暁の旅人』をご紹介します。

吉村昭氏は私が尊敬する作家の1人で、著書の大半は読んでいて、ブログでも何度か取り上げていますが、医家伝のレビューは初めてです。


著者の医家伝を簡単に挙げてみると

『日本医家伝』では日本初の人体解剖を行った山脇東洋や「解体新書」の前野良沢、日本初の種痘に貢献した中川五郎治など12人の日本の近代医学の先駆者の生涯を描いています。

{本}『白い航跡』では明治時代の陸海軍軍人の最大の病死の原因である脚気の予防法を確立した東京慈恵会医科大学の創立者高木兼寛の生涯を描いています。

{本}『冬の鷹』では「解体新書」で名声を博した杉田玄白とは対照をなす地味で地道な前野良沢の孤高の姿を描いています。

{本}『雪の花』では異国から伝わった天然痘の苗を私財を投げ打ち生命を賭して故郷福井に持ち込んだ町医者笠原良策の苦難の人生を描いています。

{本}『光る壁画』は時代的に前4作から離れますが、戦後の日本で世界で始めて胃カメラの研究・開発に成功したカメラ会社の技師曽根菊男の情熱を描いています。


出版社に頼らない著者自身の足による地道で誠実な調査や関係者へのインタビューは他に類を見ないほど定評があり、多くの読者を惹きつける所以でもあります。


登場人物のあからさまな感情表現を避け、第三者の目で見た冷静かつ好意的な外見観察によって内面を表現する文体は特徴的で、どの作品を読んでもまさに吉村氏のものとわかるほど。


文芸評論家の磯田光一氏が「彼ほど史実にこだわる作家は今後現れないだろう」と評された言葉が真実であるとうなずけるほど史実に対する綿密で幾重にも確証を求めた結果文に起こす態度には敬服します。



さて前置きが長くなりましたが、本書『暁の旅人』は著者が亡くなる前年の2005年に「群像」編集部より依頼を受けて執筆されたものです。


前述の『日本医家伝』でも採り上げたことのある松本良順の真率な生き方に魅力を感じた著者は、出版社からの依頼を機に本格的に調査し執筆したという経緯を本書のあとがきで書いていらっしゃいます。


1832年に大蘭方医の次男として生まれ、幕府の奥医師である漢方医の嗣子となった松本良順が長崎へ医官としてやってきたポンペのもとで実証的な西洋医学を日本人として初めて学び、江戸に帰還した後緒方洪庵の跡を継いで西洋医学所頭取として徳川幕府に仕え、西洋医学を日本に広めることに多大な貢献をした様子がつぶさに記されています。

それと時を同じくして起こった維新に巻き込まれ、幕臣として朝廷軍から逃れるために幕府方の会津に渡り戦傷者の治療に専念するも束の間、会津落城の危機に瀕して山形や仙台に逃亡、そこで知り合った武器商人であるスイス人スネルの船で実父の住む横浜村に戻りますが、ついに禁固刑で囚われの身となります。


出所後の良順は山形有朋に請われ、軍医頭や軍医総監として新政府に仕えながら、ポンペに学んだ知識を基に洋式の病院を開設すべく奔走し、陸奥宗光など篤志家の援助を受け今日の順天堂大学病院の基礎を築くことになるのですが、その波乱に満ちた生涯の最後は妻や息子たち肉親にも先立たれ孤独の中で終止符が打たれます。


江戸から明治になる激動の幕末をひとりでも多くの人々を助ける医療を求めて歩み続けた日本近代医学の開祖の孤高の生涯に深く胸を打たれます。


このような作品を目にすると、先人の血の滲むような努力の上に私たちの今の生活が成り立っていることを思い知ります。


余談ですが、この松本良順の生涯に別の光を照らして描いた作品があります。

司馬遼太郎氏著『『胡蝶の夢』

読み比べてみるとまた別の発見があるのではないでしょうか。

 

朝市に行くのを目的に高知に行ってきました。 

倉敷と高松に住む親友とのいつもの3人の小さな日常逃避旅。

中学時代からの友なので気心、懐具合、家族関係、健康度など裏表すべて把握しているので最も気を遣わない仲間、ジョークが趣味の私はジョークをジョークとして受け取ってくれるのにいつもホッとします。


「朝市」はあいにくの雨でしたが、多くの出店がテントを張って頑張っていました。

いつも思うことですが、農家のお年寄りの女性の底力には敬服、見習わなければ!


印象派のモネが愛したフランス・ジヴェルニーの庭を再現して造ったといわれる高知県の北川村にある「モネの庭マルモッタン」ではモネが咲かせたいと願っていた青いスイレンを咲かせることに成功したそうですが、咲き始めの4月末にはまだ期間があり見ることはできませんでしたが、チューリップやポピー、忘れな草、サクラソウ、パンジーなどがところ狭しと咲いていて楽しませてくれました。

      http://www.kitagawamura.net/monet/


つぎに訪れたのは、高知県出身で日本の植物学の基礎を築いた牧野富太郎博士を顕彰するため昭和33年に開園したとわれる「高知県立牧野植物園」

      http://www.makino.or.jp/index.html


小学校中退でありながら幼い頃より好んだ植物への深い愛情を持ち前の粘り強さで開花させ、自らを「草木の精」と称した「日本植物学の父」である牧野博士の生涯が紹介されていてとても興味深いものでした。


「人の一生で、自然に親しむことほど有益なことはありません。
人間はもともと自然の一員なのですから、自然にとけこんでこそ、はじめて生きているよろこびを感ずることができるのだと思います。
自然に親しむためには、まずおのれを捨てて自然のなかに飛び込んでいくことです。
そして私たちの目に映じ、耳に聞こえ、はだで感ずるものを素直に観察し、そこから多くのものを感じ取ることです」

命名した植物は新種・変種合わせて2500種以上といわれ、研究に没頭するあまり子沢山の家庭も顧みず、周囲の人に対する破天荒振りを数え上げたら暇がないという変人、参考書籍を後先考えず購入、金銭感覚の欠如から何度も巨額の借金を重ね、夫人の苦労は並大抵のことではなかったことが推察できますが、生涯をかけて1つのことに打ち込む姿は迷惑を蒙った周囲の人々さえいつも手を差し延べたくなるほど純真無垢で神々しいものだったそうです。 
 

「念ずれば花ひらく」


この言葉にぴったりの人がもうひとり。


浅田次郎氏、ご紹介するのは『ひとは情熱がなければ生きていけない』です。

本書は「勇気凛凛ルリの色」シリーズの第5弾。

1998年~2003年にかけて「小説現代」や「小説新潮」、「文芸春秋」などの雑誌に掲載したものを1冊にまとめたエッセイ集です。


1995年『地下鉄に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞
1997年『鉄道員』で第117回直木賞
2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞
2006年『お腹召しませ』で第1回中央公論文芸賞&第10回司馬遼太郎賞
2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞


1990年のデビュー作『極道放浪記―とられてたまるか』が多彩な経験をユーモアたっぷりに紹介したピカレスク的なエッセイだったので、『鉄道員』が世に出たときにはあまりの振り子幅の広さに驚いたものです。


ちなみに私は『極道放浪記』シリーズや『プリズンホテル』シリーズなどのアウトロー小説の大大ファンなのです。


『勇気凛凛ルリの色』シリーズも豊富な経験を軸の興味深いエッセイ集ですが、本書は著者の人生観の真面目な部分が突出していてシリーズの他の作品とは少し趣を異にしています。


大学受験に失敗した著者が陸上自衛隊に入隊したのは有名な話ですが、本書にはその動機ともいえる三島由紀夫の割腹自殺との相関関係についての心情が記されています。


昭和45年のあの壮絶な事件から1年後、事件の余韻もまだ生々しいまさに憧れの三島との因縁深い市ヶ谷駐屯第32普通科連隊に配属になった著者は運命を感じながら突出した昇進を繰り返した後三島由紀夫の死の意味を知るために入った自衛隊の任期満了を迎えて除隊します。


「死を前にした三島が、叶うことならそうありたかった姿とその感動とを、体いっぱいに受けとめて、自分は『そんなに甘くはない』戦場に立つのだと思った」

そして退職金で三島と同じ赤罫の原稿用紙の束と、高価な万年質を買うことによって、中学時代から恋い続けた小説家への道へと進むことを新たに決意します。


本書にはいかにして当代のベストセラー作家ができあがったか、ということを知る手がかりが散りばめられています。


「岩をも通す一念」とは、言いかえれば「目標に辿り着くことを信じて疑わない心」と「目標に対する微動だにしない信念と情熱」だということがわかります。


アウトロー人生を送っていたときですら、1日も欠かすことなく習作のために座り続けた畳が長い年月をかけて体の形に凹んでいたという事実を書いたエッセイを読んだことがあります。


ほんとうに文章を書くのが好きだということがまっすぐに伝わってきて感動します。

このところPCに続いてプリンタの調子が悪く、自宅でヘッドクリーニングしたり修理に出すことを繰り返していましたが、ついに昨日新しいのを購入しました。


写真をプリントしたり、夫関係の資料のプリントアウトなど、必要に迫られたときに限ってトラブル続出で、我慢強い私もついにキレました。

インクが高価なのでずっと純正を避けてネットで一括購入していましたが、メーカーはそれがトラブルの原因のすべてであるように言うのが責任逃れであるようで納得できませんでした。


パソコン暦が長い私はずっと純正以外のインクを使用していてトラブルもありませんでしたが、3年前複合機にしてから様々な故障に見舞われるようになりました。


今度は複合機をやめて単純で安価なプリンタを購入しようかと思いましたが、夫がコピーやスキャナの必要性を説くので、メーカーを変えるという抵抗でまた複合機を購入しました。


常時使用している2台のPCもそれぞれに調子が悪いときがあり、最近はそれら機械モノと私との関係が逆転、操られまくりという感じです。


寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』のように完全に捨てたらどんなにすっきりするかと思いますが、あまりにも生活に密着していてとてもそんな大それた勇気はない私です。

昔の生活はシンプルでよかったな~と思うこの頃です。



さて今回は春日武彦氏著『精神科医は腹の底で何を考えているか』をご紹介します。

「臨床体験豊富で熟練の精神科医である著者が、エクソシスト医師、無責任医師、赤ひげ医師、新興宗教の教祖的医師、タレント医師、世間知らず医師など累計100名を、裏も表も建前も本音もすべてリアルに描き尽くす」


いろんな出版社の新書はステレオ&教訓タイプが多く、概ね魅力がないというのが私の単純な評価ですが、本書は王道から少し逸れたおもしろい内容です。


精神科医や心理学者が書くマニュアル本ではなく、患者の症状を単純に分類して遠まわしに知識の豊富さや物分りのよさ、成功したと自分だけが信じる治療結果を披露する解説書でないところがなかなかの一品ですが、読み終わってみてどんな読者を対象にして執筆したのかという疑問は拭えませんでした。


少なくとも患者やその関係者が読んで参考になったり、エネルギーを与えられる本とはいい難いという感想を持ちました。


著者である春日武彦氏の経歴を見てみると、精神科医としていくつかの病院勤務を経て現在は東京未来大学教授としての勤務の傍ら、作家として心理学に関する本や小説、エッセイを執筆されています。

1994年『私たちはなぜ狂わずにいるのか』
2000年『不幸になりたがる人たち 自虐指向と破滅願望』
2001年『残酷な子供グロテスクな大人』
2004年『幸福論』
2007年『無意味なものと不気味なもの』
2007年『本当は不気味で怖ろしい自分探し』
2008年『問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ』など多数


「この本には百人の精神科医が登場する・・・
百人の中には、わたし自身、ないしはわたしの一部分が含まれてもいる。
そして百という数字のもたらす『あざとさ』は、精神医療における千態万状あるいは得体の知れぬ混沌ぶりを表徴した結果と受け取っていただきたい」

この前書きを読んで、著者がかなり「自己分析の優れた医師」ではないかと期待を持ちました。


自分をしっかり観察し分析し、他者との正しい距離感をはかる能力があり、冷静に自己評価できることは特に精神科医に求められるのではないでしょうか。


おしなべて社会人としての機微に疎いと思われる精神科医なのに求められることは多大です。

豊富な人生経験を持ち、世間の仕組みや事情に通じていることや、「より良く生きるためのヒント」や占い師や宗教家や詐欺師のような才覚、ケースワーカーや民生委員的なセンスまでもが必須アイテムとして求められます。

しかし、そんなスーパーマンはざっと世間を見渡しただけでもほとんどいないというのが現実でしょう。


「結局のところ、我々は自分の内面から相手に相似したものを取り出して、それを拡大解釈して理解した『つもり』になることしか出来まい。
所詮は他人事でしかない。
だが、せめて他人の心を推し量ることはとんでもなく難しいのだという『謙虚さ』を持っていなければまずいだろう」


精神科医が向き合うのはいつも「失敗した物語」や「破綻をきたした物語」だと著者は語ります。

それら患者の物語に面して、できることならハッピーエンドを付け加えたいと願うのが精神科医の誠実だと思っていた著者は様々な患者との交流を通して、今はそんなに気安く「失敗した物語」や「破綻をきたした物語」などと患者を前に判断してよいものかと逡巡するそうです。


医師の断定的な口調はある患者にとっては安心感を与える意味で歓迎すべきものかもしれませんが、私はこの「逡巡」こそ医師の誠実の証のように思えるのです。


さまざまな精神的な疾患や心の問題を抱えた患者を「治す」ということの意味を逡巡しながらもいろんな角度から深く掘り下げ、著者自身にも、そして読者にも問いかけているのがこの本の骨子であるように思いました。


染井吉野を代表する桜の開花には少し早いのが残念でしたが、岡本綺堂の『修善寺物語』の舞台となった伊豆の修善寺に行ってきました。


がんセンターでの夫の定期健診も今年で5年になり、今回の受診で卒業の時を迎えることができました。

5年前の退院後、勤務の傍ら、最初は1ヶ月、3ヵ月、半年という間隔でPETやCT、内視鏡検査を繰り返して5年が経過、今回やっと担当医から終了である旨告げられました。


途中治療した患部に怪しい異型細胞が見つかって緊張した時期もありましたが、次の検査では自然消滅していてほっとしたりといろんなことがあった5年でした。


夫からの検査結果の報告電話をドキドキしながら自宅で待つということからも今しばらくは解放されることができて深く感謝です。


ということで、上京していた夫と東京在住の長女、次男、そして岡山からの私の4人が修善寺駅で合流し、温泉旅館に1泊しました。

360年以上の歴史を持つ和風旅館、夏目漱石が長期逗留して『修善寺日記』を書いたり、囲碁や将棋の名人戦の会場にもなったといわれる有名な宿だそうです。

ここ数年泊まった宿の中では源泉掛け流しの温泉、食事、部屋、心配りの4点共とても満足度の高い宿でしたが、露天大風呂や貸切露天風呂など趣向を凝らした様々なを存分に堪能する間もなく、夕食後はずっと4人で罵詈雑言を浴びせ合いながらウノに興じて疲労困憊の一夜となりました



さて本日は奥田英朗氏著『東京物語』をアップしたいと思います。

最近重苦しい内容の作品が続いたので、一休みという感じで選びました


著者奥田氏と同じく昭和34年生まれ、名古屋出身という設定の主人公田村久雄が高校を卒業して予備校に通うために上京した19歳から30歳になる直前までのほぼ10年間の東京での生活を、その時代の様々な風俗とともに描いた青春グラフィティ。


キャンディーズ解散からの幕開き。

19歳の久雄がエリック・クラプトンもトム・ウェイツも素通りする退屈な町を飛び出し上京した日、郷里の友人と東京探検の途中耳にした解散コンサートでのキャンディーズの歌声に惹かれて入った後楽園球場で会った郷土出身の見知らぬおじさんに将来の夢を聞かれて「音楽評論家」と答えた久雄におじさんは言います。

「若いもんが評論家なんかになってどうする。
ああいう客席から人のやることに難癖つけるような仕事はジジイがやるもんだ・・・
若いってえのは特権だ。
失敗がいくらだってできるっていう特権だ。
評論家は自分じゃ失敗しない仕事だろう。
だからだめなんだ」


浪人を経て入った大学を親の破産で中退、小さな広告代理店でのコピーライターを出発点としてあっという間に都会に泳ぐ業界人に成長した久雄。


ジョン・レノン射殺、江川の初登板、幻の名古屋オリンピックなど数々のトピックとともに変遷を経て、知り合いのカメラマンとデザイナーと3人で共同の事務所を構えて2年、赤いプレリュードから乗り換えた愛車のルノー5を操りながら、次はBMWへとステップアップを考えるいっぱしのヤン・エグになりバブルのおこぼれで潤う30歳直前の久雄の目に飛び込んだベルリンの壁の崩壊場面を写したテレビ。


居合わせた友人たちとの会話に未来への願いが込められています。

「東西冷戦も終わったんだな」

「世界はこれからが本番ってことよ。
これが始まりさ」

「おれたちもそうだといいけど・・・
青春が終わり、人生は始まる、か」



『ウランバーナの森』で作家デビューする前のプランナー、コピーライターであった著者の経歴と多くの点でダブることを念頭に置けば、本書は奥田英朗の自伝的青春小説といえるのではないでしょうか。


どのようにしてベストセラー作家奥田英朗が生まれたのか、奥田ファンの方必読です。


ブログ仲間の先輩トコさんもご自身のブログ「マイ・ライフ」の読書の項で本書の感想を書いていらっしゃいます。

トコさんのレビューに触発されて読了しました。

よろしかったらどうぞ。
            http://ttfuji.exblog.jp/7846190/

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