桜の季節がやってきました。
岡山でも21日に開花宣言が出され、市内の名所後楽園東側の河川敷では27日に「岡山さくらカーニバル」が開幕しました。
約1200mの土手の両側に並ぶ約250本のソメイヨシノ、この週末満開でしょう。
また岡山市にある岡山藩2代目藩主池田綱政が先祖の菩提を弔うため創建した臨済宗曹源寺の境内にあるしだれ桜、今が見ごろです。
日本人が愛してやまない桜、その語源についての記事がある冊子に載っていました。
穀物の霊である穀霊を表わす古語である「さ」と、神霊が鎮座する場所を意味する「くら」が合わさり、「さ」「くら」で「穀霊が鎮座する場所」という意味になったという説が1つ。
もう1つは、『古事記』に登場する「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」の「さくや」が転訛したものだという説。
ほかに「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものという説もあるそうです。
また先日の朝日新聞に興味深い記事が出ていました。
日本古来の花とされる桜ですが、賞美する習慣は中国の六朝梁代成立の詩文集『文選』の五言詩「山桜発欲然」からの学習であることがわかっているそうです。
「花ぐはし桜の愛で同愛でば早くは愛でず我が愛づる子ら」
古くは『古事記』に出てくるこの歌は充恭天皇が詠んだ歌だそうですが、これも『文選』からの影響とされているそうです。
改めて中国文化の影響の大きさを感じます。
さて本日は志水辰夫氏著『生きいそぎ』をアップしたいと思います。
著者は出版社勤務の後フリーライターとして活躍
1981年『飢えて狼』で作家としてデビュー
1986年『背いて故郷』で第39回日本推理作家協会賞&第4回日本冒険小説協会大賞
2001年『きのうの空』で第14回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞していらっしゃいます。
本書は「小説すばる」に発表した8編の短篇を1冊にまとめて刊行したものです。
「人生の黄昏どき、ときに激しくあるいは穏やかに過ぎてきた日々。
老境にさしかかった今、自分の人生は何だったのか…。
短篇の名手が人生の秋を迎えた人それぞれの心情を叙情豊かに描く珠玉の短編集」
8編の短篇の主人公はどれも社会をリタイアして人生の終焉のとば口に立った男たち。
今まで意識しなかった「老い」がひっそりと身辺に寄り添っているのを自覚したとき、男たちの脳裏をもう取り戻しようのない過去や故郷の風景が鮮やかに胸に去来します。
それは別れた妻との痛恨の思い出だったり、故郷に残した母親のことだったり、すっぱり切り捨てたと思っていた肉親とのしがらみだったり、そんな心の片隅に刺さった小さな棘のような思い出を手繰り寄せることで男たちは何かを埋めようとします。
20年前に出奔した妻が持ち出した小さな女雛をお籠り山の祠で見つけた男の内面の孤独を描いた「人形の家」
12歳で夭折した姉の死の原因を作ったというトラウマをずっと心にひきずっていた弟妹に起こった五十回忌の日の出来事を描いた「五十回忌」
娘の計らいで久しぶりに層雲峡温泉で会った別居している夫婦それぞれの修復するにはあまりにも深すぎる心の傷を描いた「うつせみなれば」
どれも切なくも恐ろしいという不適切な形容でしか表わせない物語ばかりです。
もはや取り戻せそうにない過去の痛恨への出口が一瞬開きそうになりながら決して解決することはないことを知っている諦念にも似た静かな孤独を纏った男たちを描いて秀作です。
何らかの傷を抱えながら生を終えるのが人間の宿命なのでしょうか。
岡山でも21日に開花宣言が出され、市内の名所後楽園東側の河川敷では27日に「岡山さくらカーニバル」が開幕しました。
約1200mの土手の両側に並ぶ約250本のソメイヨシノ、この週末満開でしょう。
また岡山市にある岡山藩2代目藩主池田綱政が先祖の菩提を弔うため創建した臨済宗曹源寺の境内にあるしだれ桜、今が見ごろです。

日本人が愛してやまない桜、その語源についての記事がある冊子に載っていました。



また先日の朝日新聞に興味深い記事が出ていました。
日本古来の花とされる桜ですが、賞美する習慣は中国の六朝梁代成立の詩文集『文選』の五言詩「山桜発欲然」からの学習であることがわかっているそうです。
「花ぐはし桜の愛で同愛でば早くは愛でず我が愛づる子ら」
古くは『古事記』に出てくるこの歌は充恭天皇が詠んだ歌だそうですが、これも『文選』からの影響とされているそうです。
改めて中国文化の影響の大きさを感じます。

著者は出版社勤務の後フリーライターとして活躍
1981年『飢えて狼』で作家としてデビュー
1986年『背いて故郷』で第39回日本推理作家協会賞&第4回日本冒険小説協会大賞
2001年『きのうの空』で第14回柴田錬三郎賞をそれぞれ受賞していらっしゃいます。
本書は「小説すばる」に発表した8編の短篇を1冊にまとめて刊行したものです。
「人生の黄昏どき、ときに激しくあるいは穏やかに過ぎてきた日々。
老境にさしかかった今、自分の人生は何だったのか…。
短篇の名手が人生の秋を迎えた人それぞれの心情を叙情豊かに描く珠玉の短編集」
8編の短篇の主人公はどれも社会をリタイアして人生の終焉のとば口に立った男たち。
今まで意識しなかった「老い」がひっそりと身辺に寄り添っているのを自覚したとき、男たちの脳裏をもう取り戻しようのない過去や故郷の風景が鮮やかに胸に去来します。
それは別れた妻との痛恨の思い出だったり、故郷に残した母親のことだったり、すっぱり切り捨てたと思っていた肉親とのしがらみだったり、そんな心の片隅に刺さった小さな棘のような思い出を手繰り寄せることで男たちは何かを埋めようとします。



どれも切なくも恐ろしいという不適切な形容でしか表わせない物語ばかりです。
もはや取り戻せそうにない過去の痛恨への出口が一瞬開きそうになりながら決して解決することはないことを知っている諦念にも似た静かな孤独を纏った男たちを描いて秀作です。
何らかの傷を抱えながら生を終えるのが人間の宿命なのでしょうか。