永田和宏さんをご存知でしょうか。
朝日歌壇選者の1人として毎週月曜日に日本各地や外国から投稿されたたくさんの短歌からすぐれた歌を選んで寸評を加えている方です。
ご自身も寺山修司短歌賞や若山牧水賞、読売文学賞詩歌俳句賞、日本歌人クラブ賞、斉藤茂吉短歌文学賞などを受賞されたすばらしい歌人ですが、細胞生物学を専門とする京都大学の教授でもあられます。
その永田和宏さんが2008年1月14日の朝日歌壇で第1首目に選んだのが次の歌です。
「『齢をとるということは悲しいことです』と母の便りに認めてあり」
詠み人は郷隼人氏、次のような永田選者のコメントが添えられていました。
「郷氏の境遇については、朝日歌壇では周知のこと。母親のこのさりげない言葉は身に沁みる。もはや逢うことはないと知りつつ、ただ歳月が過ぎていくのを耐えるしかない母と子母の心情を思いやる子の心が切実である」
ご存知の方も多いと思いますが、郷氏はアメリカで囚われの日々を送っている終身刑の囚人です。
その郷氏が上記の永田選者のコメントについて次のように語っていらっしゃいました。
「何故、上記のコメントが特別に僕の心を打ったのかと言いますと、永田先生自身まだ幼少の頃に、母上が亡くなったということを、何かの本で読んで知っていたからです。彼も母親の愛情というものを知らずに成長されたのかも知れません」
続いて永田選者の歌が紹介されていました。
「背後より触るればあわれてのひらの大きさに乳房は創られたりき」永田和宏
さまざまな歌を目にすると数え切れないほどの母子の情愛に遭遇して胸がいっぱいになります。
さて今日のレビューです。
郷隼人氏著『LONESOME・隼人』
「ぬばたまの夜に服役の日数数えてみれば八千七百」
これは2009年3月23日に朝日歌壇に選ばれた歌。
続いて翌週の歌は以前このブログでもご紹介した2首ですが、まるで相聞歌のように寄り添って並んで選ばれています。
「温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る」ホームレス公田耕二
「囚人の己が<(ホームレス)公田>想いつつ食むHOTMEALを」郷隼人
そして今年4月の歌。
「花苦菜(マスタード)の見渡す限り咲き誇り鹿児島に咲く菜の花想う」
「監房に<翼をください>唱いおればタイムカプセルの自分が見ゆ」
上でご紹介したのはいまから5年前に刊行された本書には収められてない歌ばかりです。
1984年よりアメリカの刑務所に収監された郷氏の歌人としての原点は1988年にロサンゼルスの日系紙に投稿したのが始まり、その時の選者をされていた方の勧めで朝日歌壇への投稿がスタートしたそうです。
「日本には美しい四季があり、美しい言葉があります。
五、七、五、七、七という三十一音の実に心地よいリズムの短型詩である『短歌』が存在するということに改めて感謝したいのです・・・
思えば、二十年にも及ぶ獄中生活の中で、『短歌』という大黒柱のような心の支えがあったからこそ、気も狂わずに生きてこられたのです・・・
短歌が獄中で人生を矯正し、時には戒めてもくれ、常に正しい方向へと導いてくれたのです・・・ありがとう『短歌』!」
そして本書の印税は自分の犯した深い罪の贖いのほんの一部として「あしなが育英会」とロサンゼルスのリトル・トウキョウにある「小東京サービス・センターの日系ヘルプライン」へ寄付したいと記しています。
「頑なに心の中で抗えど寂しさという敵手強し」
「美化してはならぬ吾が身の現状を戒めながら作歌に励む」
「振り向けばずしりと重き服役の十四万二千九百時間」
本書はこの十四万二千九百時間の悲しみや喜び、絶望のつれづれにソルダッドで詠んだ歌々に加えて、2001年11月からの3ヶ月間大阪朝日新聞に掲載された「歌人の時間」というコラムに載せた10回分のエッセイ、特別資料としてフォーサム・プリズンの写真や身近な鳥や花、ソルダッドで飼っているグッピーなどの著者自身による写生、そして著者たち囚人が狭くて材料のない牢獄でやむにやまれず工夫した発明品が紹介されています。
思いのほか充実した食事のメニューや独房とはいえ2人入居であること、日本ではいつか出獄できる可能性が大である終身刑がアメリカではほぼその名の通りであるという現実、そのかわり日本では厳しい制限がある「自由」が与えられていることなど愁眉のことばかり。
「『ICHIRO!』と囚人仲間に呼ばるればまんざら悪い気はせぬぞ俺」
シアトルマリナーズで活躍するイチローが全米で注目され始めた頃の作品ですが、郷氏が「ICHIRO!」と呼ばれるのは若いときの彼がイチローにそっくりで、故郷の母からも活躍するイチローを息子に重ね合わせている旨便りが届いたと記しています。
著者の歌には望郷の歌、母を詠んだ歌がとても多く切なさで胸が締めつけられます。
拙いレビューを読んでいただくよりも、味わっていただきたいいくつかを挙げてみます。
「母さんに『直ぐ帰るから待ってて』と告げて渡米し三十年経ちぬ」
「実名のあいつは死んであの日より虚名の『郷』が生きて歌を詠む」
「『I’ll be home for Christmas』を聴く度に還れぬ己れの心が沈む」
「あの山の向こうに太平洋が在る夕陽の彼方に日本が在る」
「一瞬に人を殺めし罪の手とうた詠むペンを持つ手は同じ」
「人はみなヌード写真を貼り競えり我が独房に桜島山」
「独活三葉山葵筍紫蘇茗荷想いつつ食む獄食スパゲティ」
「我が歌を読みて下さる人々が祖国におわすと想えば温し」
「老い母が独力で書きし封筒の歪んだ英字に感極まりぬ」
「ふる里の正月恋しや朝風呂に屠蘇『春の海』雑煮、田作り」
「忘れいし『帰省』という字を新聞に目にし心の揺らぐ八月」
「『生きるため食う』獄中にいつか死ぬ為生きる我は『籠の鳥』」
「手作りのカードに獄庭の草花を押し花として母に贈りぬ」
「我を待つ母が切り抜き送り来し郷土紙の記事『特攻花咲く』」
「『仮釈放拒絶さる』とは老い母へ手紙に書けずふた月経ちぬ」
「『生きとればいつか逢える』とわが出所信ずる母が不憫でならぬ」
「『生きる』とは如何なることや繰り返し自問せし無期懲役暮し」
郷氏の歌の評価に関しては無知な私に語る言葉はありませんが、彼の歌を通して、私たちがいつも軽々しく口にする「自由」や「罪の贖い」の重さがずしんと心に居座って今の軽佻な自分を見つめています。
「美化してはならぬ・・・」と詠った郷氏の心情を深くこころに留めています。
朝日歌壇選者の1人として毎週月曜日に日本各地や外国から投稿されたたくさんの短歌からすぐれた歌を選んで寸評を加えている方です。
ご自身も寺山修司短歌賞や若山牧水賞、読売文学賞詩歌俳句賞、日本歌人クラブ賞、斉藤茂吉短歌文学賞などを受賞されたすばらしい歌人ですが、細胞生物学を専門とする京都大学の教授でもあられます。
その永田和宏さんが2008年1月14日の朝日歌壇で第1首目に選んだのが次の歌です。
「『齢をとるということは悲しいことです』と母の便りに認めてあり」
詠み人は郷隼人氏、次のような永田選者のコメントが添えられていました。
「郷氏の境遇については、朝日歌壇では周知のこと。母親のこのさりげない言葉は身に沁みる。もはや逢うことはないと知りつつ、ただ歳月が過ぎていくのを耐えるしかない母と子母の心情を思いやる子の心が切実である」
ご存知の方も多いと思いますが、郷氏はアメリカで囚われの日々を送っている終身刑の囚人です。
その郷氏が上記の永田選者のコメントについて次のように語っていらっしゃいました。
「何故、上記のコメントが特別に僕の心を打ったのかと言いますと、永田先生自身まだ幼少の頃に、母上が亡くなったということを、何かの本で読んで知っていたからです。彼も母親の愛情というものを知らずに成長されたのかも知れません」
続いて永田選者の歌が紹介されていました。
「背後より触るればあわれてのひらの大きさに乳房は創られたりき」永田和宏
さまざまな歌を目にすると数え切れないほどの母子の情愛に遭遇して胸がいっぱいになります。
さて今日のレビューです。

「ぬばたまの夜に服役の日数数えてみれば八千七百」
これは2009年3月23日に朝日歌壇に選ばれた歌。
続いて翌週の歌は以前このブログでもご紹介した2首ですが、まるで相聞歌のように寄り添って並んで選ばれています。
「温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る」ホームレス公田耕二
「囚人の己が<(ホームレス)公田>想いつつ食むHOTMEALを」郷隼人
そして今年4月の歌。
「花苦菜(マスタード)の見渡す限り咲き誇り鹿児島に咲く菜の花想う」
「監房に<翼をください>唱いおればタイムカプセルの自分が見ゆ」
上でご紹介したのはいまから5年前に刊行された本書には収められてない歌ばかりです。
1984年よりアメリカの刑務所に収監された郷氏の歌人としての原点は1988年にロサンゼルスの日系紙に投稿したのが始まり、その時の選者をされていた方の勧めで朝日歌壇への投稿がスタートしたそうです。
「日本には美しい四季があり、美しい言葉があります。
五、七、五、七、七という三十一音の実に心地よいリズムの短型詩である『短歌』が存在するということに改めて感謝したいのです・・・
思えば、二十年にも及ぶ獄中生活の中で、『短歌』という大黒柱のような心の支えがあったからこそ、気も狂わずに生きてこられたのです・・・
短歌が獄中で人生を矯正し、時には戒めてもくれ、常に正しい方向へと導いてくれたのです・・・ありがとう『短歌』!」
そして本書の印税は自分の犯した深い罪の贖いのほんの一部として「あしなが育英会」とロサンゼルスのリトル・トウキョウにある「小東京サービス・センターの日系ヘルプライン」へ寄付したいと記しています。
「頑なに心の中で抗えど寂しさという敵手強し」
「美化してはならぬ吾が身の現状を戒めながら作歌に励む」
「振り向けばずしりと重き服役の十四万二千九百時間」
本書はこの十四万二千九百時間の悲しみや喜び、絶望のつれづれにソルダッドで詠んだ歌々に加えて、2001年11月からの3ヶ月間大阪朝日新聞に掲載された「歌人の時間」というコラムに載せた10回分のエッセイ、特別資料としてフォーサム・プリズンの写真や身近な鳥や花、ソルダッドで飼っているグッピーなどの著者自身による写生、そして著者たち囚人が狭くて材料のない牢獄でやむにやまれず工夫した発明品が紹介されています。
思いのほか充実した食事のメニューや独房とはいえ2人入居であること、日本ではいつか出獄できる可能性が大である終身刑がアメリカではほぼその名の通りであるという現実、そのかわり日本では厳しい制限がある「自由」が与えられていることなど愁眉のことばかり。
「『ICHIRO!』と囚人仲間に呼ばるればまんざら悪い気はせぬぞ俺」
シアトルマリナーズで活躍するイチローが全米で注目され始めた頃の作品ですが、郷氏が「ICHIRO!」と呼ばれるのは若いときの彼がイチローにそっくりで、故郷の母からも活躍するイチローを息子に重ね合わせている旨便りが届いたと記しています。
著者の歌には望郷の歌、母を詠んだ歌がとても多く切なさで胸が締めつけられます。
拙いレビューを読んでいただくよりも、味わっていただきたいいくつかを挙げてみます。
「母さんに『直ぐ帰るから待ってて』と告げて渡米し三十年経ちぬ」
「実名のあいつは死んであの日より虚名の『郷』が生きて歌を詠む」
「『I’ll be home for Christmas』を聴く度に還れぬ己れの心が沈む」
「あの山の向こうに太平洋が在る夕陽の彼方に日本が在る」
「一瞬に人を殺めし罪の手とうた詠むペンを持つ手は同じ」
「人はみなヌード写真を貼り競えり我が独房に桜島山」
「独活三葉山葵筍紫蘇茗荷想いつつ食む獄食スパゲティ」
「我が歌を読みて下さる人々が祖国におわすと想えば温し」
「老い母が独力で書きし封筒の歪んだ英字に感極まりぬ」
「ふる里の正月恋しや朝風呂に屠蘇『春の海』雑煮、田作り」
「忘れいし『帰省』という字を新聞に目にし心の揺らぐ八月」
「『生きるため食う』獄中にいつか死ぬ為生きる我は『籠の鳥』」
「手作りのカードに獄庭の草花を押し花として母に贈りぬ」
「我を待つ母が切り抜き送り来し郷土紙の記事『特攻花咲く』」
「『仮釈放拒絶さる』とは老い母へ手紙に書けずふた月経ちぬ」
「『生きとればいつか逢える』とわが出所信ずる母が不憫でならぬ」
「『生きる』とは如何なることや繰り返し自問せし無期懲役暮し」
郷氏の歌の評価に関しては無知な私に語る言葉はありませんが、彼の歌を通して、私たちがいつも軽々しく口にする「自由」や「罪の贖い」の重さがずしんと心に居座って今の軽佻な自分を見つめています。
「美化してはならぬ・・・」と詠った郷氏の心情を深くこころに留めています。