昨日図書館からの帰り、すぐ前の信号待ちをしていたとき、向こうから図書館にやってきた若い女性に声を掛けられました。
「いつも図書館を利用してくださっている方ですよね。
私は司書をしているものです。
いつかゆっくりお話したいと思っていたことがあるのですが、今お時間を少しいただけないでしょうか?」
そういえば先日本をさがしているとき、うっかりマナーモードにしていなかった携帯電話が鳴り出し、とっさに受話するというマナー違反を犯し、司書の方が飛んできて注意されたことがありましたが、そのときの人が彼女だったような。
あのときのマナー違反についてもっと念入りに注意しておかないとまた過ちを繰り返しそうな人だと思われたのか、などと話の内容がわからないだけに推測が頭を駆け巡ります。
「どんなお話なのでしょうか?」と2、3度促すものの具体的なことには言及されません。
「短時間の立ち話では話せない内容なのでこれからお時間をいただけたら近くの喫茶店ででもお話させていただけないでしょうか?」
すごく真剣な様子で迫ってきます。
「もしかして宗教的な内容のお話なのでしょうか?」
「宗教と決めつけるようなものではなく、今の現状からあなたを救ったりあなたの将来の幸福にとても大切なことなんです。
いまお時間がとれないようでしたら、明日はいかがでしょうか?」
ここまできておぼろげながらアウトラインが見えてきた私は丁重にお断りしたものの、私の幸福のためにそこまで考えてくれる彼女に背を向けた行為が何だか犯罪者のような気がしました。
オウムの勧誘もこんな風に情に訴えて行われたのでしょうか。
それにしてもただ図書館で本を物色しているだけの私がそんなに窮地に立っているように見えたのでしょうか。
百点満点幸せだとはいえないまでも人が救いの手を差し延べたくなるほどの不幸を抱えているとは思っていなかったのは自分の現状への分析が甘かったといえるかも。
これからも不幸顔をして図書館で彼女と顔を合わせるのを考えると気が重いです。
さて本日は藤沢周平氏著『静かな木』をご紹介したいと思います。
「藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦を迎える。
城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描いていた。
ところが……。
舞台は東北の小藩、著者が数々の物語を紡ぎだしてきた、かの海坂。
澹々としたなかに気迫あり、滑稽味もある練達の筆がとらえた人の世の哀歓。
藤沢周平最晩年の境地を伝える三篇」
本書には3篇の短篇が収録されていますが、それぞれ1997年に亡くなる前4年間に執筆されたもので、その中の一篇「偉丈夫」は最後の短篇です。
『蝉しぐれ』などでおなじみの山形の架空の海坂藩が舞台の120ページ余りの文庫本ですが、藤沢ワールドがぎっしり詰まったしみじみいい作品でした。
★大の犬好きで知られる海坂藩の近習組の岡安家岡安家の飼い犬アカが当主・甚之助の道場仲間・野地金之助らによって犬鍋にされたことに激怒した甚之助が言い渡した絶縁状によって起こった騒動の収拾を描いて見事な「岡安家の犬」
「犬の肉を食べる」という行為が江戸時代の食文化で当たり前のごとく描かれているのには驚きました。
★次男で他家の娘婿となっている邦之助が中老・鳥��郡兵衛の子息・勝弥と果たし合いをするということを聞いた父の布施孫左衛門が隠居の身ながら長年うちに秘めた武士の矜持で命をかけてとったある果敢な行動を描いた表題作「静かな木」
★支藩の海上藩と本藩の海坂藩の国境を巡って百年以上も続けられてきた1年に1度の論争の代表として海上藩から選ばれた片桐権兵衛の姿や顛末をユーモラスに描いた「偉丈夫」
現代の日本人が置き忘れて久しい義や情、熱き心が荒々しく表舞台に出ることなく、静かに深くうちに秘められていて、それがここぞという人生の大事にすっくと立ち上がって、そして事が収まるとまた静かに潜行する、そんな美しい日本人が描かれていて清々しい読後感です。
余談ですが著者の熱烈な読者であられる立川談四楼しの温かい目線で書かれた解説が、先に解説を読んでから本書に入るのを常としている私にとってすばらしく読み応えのあるものでした。
どの作品も人間の誠実な人生の道しるべのような藤沢作品です。
「いつも図書館を利用してくださっている方ですよね。
私は司書をしているものです。
いつかゆっくりお話したいと思っていたことがあるのですが、今お時間を少しいただけないでしょうか?」
そういえば先日本をさがしているとき、うっかりマナーモードにしていなかった携帯電話が鳴り出し、とっさに受話するというマナー違反を犯し、司書の方が飛んできて注意されたことがありましたが、そのときの人が彼女だったような。
あのときのマナー違反についてもっと念入りに注意しておかないとまた過ちを繰り返しそうな人だと思われたのか、などと話の内容がわからないだけに推測が頭を駆け巡ります。
「どんなお話なのでしょうか?」と2、3度促すものの具体的なことには言及されません。
「短時間の立ち話では話せない内容なのでこれからお時間をいただけたら近くの喫茶店ででもお話させていただけないでしょうか?」
すごく真剣な様子で迫ってきます。
「もしかして宗教的な内容のお話なのでしょうか?」
「宗教と決めつけるようなものではなく、今の現状からあなたを救ったりあなたの将来の幸福にとても大切なことなんです。
いまお時間がとれないようでしたら、明日はいかがでしょうか?」
ここまできておぼろげながらアウトラインが見えてきた私は丁重にお断りしたものの、私の幸福のためにそこまで考えてくれる彼女に背を向けた行為が何だか犯罪者のような気がしました。
オウムの勧誘もこんな風に情に訴えて行われたのでしょうか。
それにしてもただ図書館で本を物色しているだけの私がそんなに窮地に立っているように見えたのでしょうか。
百点満点幸せだとはいえないまでも人が救いの手を差し延べたくなるほどの不幸を抱えているとは思っていなかったのは自分の現状への分析が甘かったといえるかも。
これからも不幸顔をして図書館で彼女と顔を合わせるのを考えると気が重いです。

「藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦を迎える。
城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描いていた。
ところが……。
舞台は東北の小藩、著者が数々の物語を紡ぎだしてきた、かの海坂。
澹々としたなかに気迫あり、滑稽味もある練達の筆がとらえた人の世の哀歓。
藤沢周平最晩年の境地を伝える三篇」
本書には3篇の短篇が収録されていますが、それぞれ1997年に亡くなる前4年間に執筆されたもので、その中の一篇「偉丈夫」は最後の短篇です。
『蝉しぐれ』などでおなじみの山形の架空の海坂藩が舞台の120ページ余りの文庫本ですが、藤沢ワールドがぎっしり詰まったしみじみいい作品でした。
★大の犬好きで知られる海坂藩の近習組の岡安家岡安家の飼い犬アカが当主・甚之助の道場仲間・野地金之助らによって犬鍋にされたことに激怒した甚之助が言い渡した絶縁状によって起こった騒動の収拾を描いて見事な「岡安家の犬」
「犬の肉を食べる」という行為が江戸時代の食文化で当たり前のごとく描かれているのには驚きました。
★次男で他家の娘婿となっている邦之助が中老・鳥��郡兵衛の子息・勝弥と果たし合いをするということを聞いた父の布施孫左衛門が隠居の身ながら長年うちに秘めた武士の矜持で命をかけてとったある果敢な行動を描いた表題作「静かな木」
★支藩の海上藩と本藩の海坂藩の国境を巡って百年以上も続けられてきた1年に1度の論争の代表として海上藩から選ばれた片桐権兵衛の姿や顛末をユーモラスに描いた「偉丈夫」
現代の日本人が置き忘れて久しい義や情、熱き心が荒々しく表舞台に出ることなく、静かに深くうちに秘められていて、それがここぞという人生の大事にすっくと立ち上がって、そして事が収まるとまた静かに潜行する、そんな美しい日本人が描かれていて清々しい読後感です。
余談ですが著者の熱烈な読者であられる立川談四楼しの温かい目線で書かれた解説が、先に解説を読んでから本書に入るのを常としている私にとってすばらしく読み応えのあるものでした。
どの作品も人間の誠実な人生の道しるべのような藤沢作品です。