VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2009年10月

昨日図書館からの帰り、すぐ前の信号待ちをしていたとき、向こうから図書館にやってきた若い女性に声を掛けられました。


「いつも図書館を利用してくださっている方ですよね。
私は司書をしているものです。
いつかゆっくりお話したいと思っていたことがあるのですが、今お時間を少しいただけないでしょうか?」


そういえば先日本をさがしているとき、うっかりマナーモードにしていなかった携帯電話が鳴り出し、とっさに受話するというマナー違反を犯し、司書の方が飛んできて注意されたことがありましたが、そのときの人が彼女だったような。


あのときのマナー違反についてもっと念入りに注意しておかないとまた過ちを繰り返しそうな人だと思われたのか、などと話の内容がわからないだけに推測が頭を駆け巡ります。


「どんなお話なのでしょうか?」と2、3度促すものの具体的なことには言及されません。


「短時間の立ち話では話せない内容なのでこれからお時間をいただけたら近くの喫茶店ででもお話させていただけないでしょうか?」

すごく真剣な様子で迫ってきます。


「もしかして宗教的な内容のお話なのでしょうか?」

「宗教と決めつけるようなものではなく、今の現状からあなたを救ったりあなたの将来の幸福にとても大切なことなんです。
いまお時間がとれないようでしたら、明日はいかがでしょうか?」


ここまできておぼろげながらアウトラインが見えてきた私は丁重にお断りしたものの、私の幸福のためにそこまで考えてくれる彼女に背を向けた行為が何だか犯罪者のような気がしました。


オウムの勧誘もこんな風に情に訴えて行われたのでしょうか。


それにしてもただ図書館で本を物色しているだけの私がそんなに窮地に立っているように見えたのでしょうか。


百点満点幸せだとはいえないまでも人が救いの手を差し延べたくなるほどの不幸を抱えているとは思っていなかったのは自分の現状への分析が甘かったといえるかも。


これからも不幸顔をして図書館で彼女と顔を合わせるのを考えると気が重いです。




さて本日は藤沢周平氏著『静かな木』をご紹介したいと思います。


「藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦を迎える。
城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描いていた。
ところが……。
舞台は東北の小藩、著者が数々の物語を紡ぎだしてきた、かの海坂。
澹々としたなかに気迫あり、滑稽味もある練達の筆がとらえた人の世の哀歓。
藤沢周平最晩年の境地を伝える三篇」


本書には3篇の短篇が収録されていますが、それぞれ1997年に亡くなる前4年間に執筆されたもので、その中の一篇「偉丈夫」は最後の短篇です。


『蝉しぐれ』などでおなじみの山形の架空の海坂藩が舞台の120ページ余りの文庫本ですが、藤沢ワールドがぎっしり詰まったしみじみいい作品でした。


★大の犬好きで知られる海坂藩の近習組の岡安家岡安家の飼い犬アカが当主・甚之助の道場仲間・野地金之助らによって犬鍋にされたことに激怒した甚之助が言い渡した絶縁状によって起こった騒動の収拾を描いて見事な「岡安家の犬」


「犬の肉を食べる」という行為が江戸時代の食文化で当たり前のごとく描かれているのには驚きました。


★次男で他家の娘婿となっている邦之助が中老・鳥��郡兵衛の子息・勝弥と果たし合いをするということを聞いた父の布施孫左衛門が隠居の身ながら長年うちに秘めた武士の矜持で命をかけてとったある果敢な行動を描いた表題作「静かな木」

 
★支藩の海上藩と本藩の海坂藩の国境を巡って百年以上も続けられてきた1年に1度の論争の代表として海上藩から選ばれた片桐権兵衛の姿や顛末をユーモラスに描いた「偉丈夫」



現代の日本人が置き忘れて久しい義や情、熱き心が荒々しく表舞台に出ることなく、静かに深くうちに秘められていて、それがここぞという人生の大事にすっくと立ち上がって、そして事が収まるとまた静かに潜行する、そんな美しい日本人が描かれていて清々しい読後感です。


余談ですが著者の熱烈な読者であられる立川談四楼しの温かい目線で書かれた解説が、先に解説を読んでから本書に入るのを常としている私にとってすばらしく読み応えのあるものでした。


どの作品も人間の誠実な人生の道しるべのような藤沢作品です。

高梁市成羽美術館と井原市立田中美術館に行きました。   


成羽美術館は成羽町出身の洋画家・児島虎次郎氏の遺徳を顕彰するために建築家・安藤忠雄氏の設計の下1953年に建てられたものです。


訪問は今回で3回目ですが、高梁市発足5周年を記念して東京・富士美術館から借り出した近代日本画の代表作ともいうべき名だたる巨匠の作品展「近代日本美術精華」が催されていて大変見ごたえがありました。


三幅対《雪月花》を競演によって制作した横山大観、川合玉堂、川端龍子の3氏のほか、菱田春草、竹内栖鳳、上村松園、鏑木清方など各氏の作品が勢ぞろい。    
                                                 

写真は個人的に好感の高かった青木大乗氏の「静物」です。   



次に回ったのが107歳で大往生された平櫛田中氏を記念して建てられた井原市立田中美術館

満百歳の誕生日を前にこれから30年分の彫刻の材料を買ったといわれるように死の直前まで創作意欲が衰えなかったことでも有名です。

20年をかけて完成し、現在国立劇場に寄贈されている六代目尾上菊五郎をモデルの「鑑獅子」の原型が正面に飾られていましたが、大変な迫力でした。 


「男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから」

「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」


終生ひとつのことに情熱を持ち続けた超人間的な偉大な人、見習いたいなどと口が裂けてもいえませんが羨ましい人生です。




さて本日は徳永進氏著『野の道往診』のレビューです。


NHKテキスト「きょうの健康」に掲載されたエッセイに加筆し2005年にまとめて刊行したエッセイ集です。


ご存知の方も多いと思いますが、著者・徳永医師は京都大学医学部を卒業後、27年間の勤務医としての経験を生かし、2001年に鳥取市に19床の小さなホスピス「野の花診療所」を開いた方です。


「死を恐れず、希望を大切にして、一日一日生きのびていくことに力をそそぎたい」


1982年『死の中の笑み』で 第4回 講談社ノンフィクション賞受賞

その他、診療の日常のほんの一こまのささやかな出来事を綴ったエッセイ『野の花ホスピスだより』『死ぬのは、こわい?』『死の文化を豊かに』など数々出版していらっしゃいますので読んだ方も多いのではないでしょうか。



「一般臨床と、死に向かっていく人たちのお世話をしたいと思って、3年前、ぼくは開業した。
19床の有床診療所。病棟の回診もある。
近所に歩って往診に行くことも、自転車で行くこともある。在宅で過ごしている人たちには、特別に応援したい気持ちもあって、結構遠い所まで車を走らせる・・・
今まで経験した道のすべてが、この診療所の中にあるようだ。
ぼくが今いちばん好きな道、それはこの診療所の9の字型の廊下のすべて、それに階段、かも知れない。
ボランティアさんが、いろんな野の花を廊下や階段の所々にそっと置いている。
そのこともあるし、何よりかにより、そこは、人に、人のいろんな大切なことに出会う道、そう思う」



患者さんたちやその家族、看護師さんたち、ボランティアの方々との小さな何気ない日常を何気ない易しい言葉で綴っただけなのに心に響く言葉の数々が散りばめられています。


それは言葉のうしろに見え隠れする医療に対する真摯な心とその心を躊躇することなくすぐ実行して実体化するすばらしい行動力に胸が打たれるからではないでしょうか。


この「野の花診療所」はがんに限定されない病気で死と向かい合う人々に開かれた診療所。


「シーツの道」と題するエッセイには末期がんで余命数日というお父さんのために急ごしらえの結婚式を診療所で挙げることになった様子が描かれていて感動が胸の奥に広がります。


看護師さんたち、ボランティアの方々が一丸となって整えたシーツのバージンロードの行く手に待ち受ける移動ベッドに寝たままの花婿の父は2人の美しい姿を目に焼きつけて10日後あの世に旅立たれました。



多くの人は赤ちゃんとして生まれてから歩けるようになるまでのコースと逆のコースで歩行を失います。


「歩けなくなると車椅子、それも難しくなるとストレッチャー。
そして寝たきりとなっていく・・・
がん末期の85歳の元教員、寝たきりで、自分では寝返りができない。
『何が一番してみたいですか?』と耳元で聞いてみた・・・
その人は『立ってみたいです』と言われた。
教育者として、もう一度教壇に立ってみたい、ということかと思ったら違っていた。
うつろな視線を床に落とし『その床に立ってみたです』・・・
看護師さんとその人を抱き、ゆっくりと足を床におろした。
そして、立った。
その人は月面に立った宇宙飛行士のようだった。
旅すること、車に乗ること、自転車に乗ること、道を歩くこと、そして、ただ立つこと。
がん末期の人々が何気なく当たり前のように思って済ませている人間の行為について教えてくれる、そのことを、しみじみとかみしめる」


最期のときをこのような手作り診療所で迎えられたらどんなにいいでしょう!

 
岡山の北、北房コスモスの里に行ってきました。


里というのでもっと広いところを想像していましたが、意外に狭いところでした。

村おこしの一環としてコスモスだけでなく夏はホタル祭などの催しで町が活性化しています。


コスモスは10月の誕生花、花言葉は「乙女の純潔 真心 美麗」、風に揺れる儚げな清らかな感じがぴったりの花言葉。


原産地はメキシコの高原地帯で18世紀末にスペインマドリードの植物園に送られ、コスモスと名づけられたそうです。


日本に渡来してまだ130年ほどしかたっていないのが信じられないほど私たち日本人の心にも定着しています。


「コスモス」の語源はギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」という意味の「Kosmos,Cosmos」に由来、星が美しい宇宙が「Cosmos」と呼ばれ、やがて花びらが美しく並んだこの花も同じ「Cosmos」と呼ばれるようになったそうです。

 
       やさしいね 陽のむらさきに透けて咲く 去年の秋を知らぬコスモス  俵万智

       コスモスの花あそびをる虚空かな                 高浜虚子


私はコスモスが大好きです。




さて本日は夏樹静子氏著『量刑』をご紹介したいと思います。

「小説宝石」に連載されたものを1冊にまとめたのが本書です。


夏樹静子氏といえば何気ない日常に潜む危うい女性の心理の延長から導かれたさまざまな犯罪を題材のミステリーを描く作家として定着、男性読者には敬遠されがちな作家と思いますが、本書は男女を問わず多くの読者を惹きつける内容の濃い作品です。


「裁判長を苦悩させる誘拐事件!
発端は交通事故・・・
『被害者が救われない裁判』に挑む、ミステリー大作1300枚 」



先日アップした『てのひらのメモ』のレビューで少し触れましたが、本書は判決を言い渡す側の裁判長が主役の物語です。


前述の『てのひらのメモ』では裁判員に選ばれた民間の1主婦の目を通して裁判の様子が描かれていましたが、本書は一転して専門家の立場から判決を言い渡すまでの厳しい合議などの内容を密に描いた力作です。


タイトルに用いられている「量刑」とは〈大辞林〉によれば裁判所が、処断形の範囲内で、刑罰の程度を決めることだそうです。


被告・上村岬が偶然起こした母子轢き逃げ殺人及び死体遺棄事件の裁判を通して苦悩の審理をする東京地裁裁判長・神谷正義の姿を中心に描かれています。


量刑に厳しい裁判官として知られた神谷裁判長の下、右陪席と左陪席の2人の裁判官の計3名で行われる長時間の合議。


妊娠6ヶ月の主婦と幼女を救助しようとする意志が被告にあったかどうか、救出する際、妊娠に気づいていたかどうか、病院に運ぶのに車のトランクにいれたのはなぜかなど、被告への弁護側不利な状況を孕んで裁判は進む中、神谷裁判長の信念の判決を大きく揺るがす前代未聞の事件が起こります。


この事件を通して父親と裁判長の狭間で苦悩する神谷の姿がこの物語の大きな見所といえます。


私的なことが原因で自分の信念を曲げざるをえない神谷の度重ねられる合議での言動の微妙な変化に不審を抱きながらも裁判長としての神谷に同調せざるをえない2人の裁判官の姿は一般社会の上下関係と大差なく感じられ、裁判の基本である審理の帰趨は裁判官の自由な心証によって決まるという「自由心証主義」の怖さを改めて思い知りました。


制度とはいえ人が人を裁くことの難しさは、裁かれる側の真実をあからさまにすることの難しさと深い関係にあるのではないでしょうか。


裁判の場で裁判官が聞いたり見たりするのは被告の真実というより検事や弁護士、それぞれの証人たちによって作られた真実です。


当の本人ですら刻々と移り変わる自分の心を正確に捉えるのは困難なのに、人間の心に深くしまいこまれた愛憎や殺意などの負の感情を他人がそのままの姿で捉えることは至難の技だという思いに本書を読みながら度々駆られました。


そういった意味で本書は「人が人を裁くことに帰結する不確かさと怖ろしさ」という永遠のテーマを私たち読者に突きつけている力作といえるでしょう。


主人公・神谷は裁判官としての正義を厳しい量刑という形に表わすことで被害者側に立つことを選びますが、一歩間違えば誤審ともなりうる可能性をこの事件を例に浮き彫りにしている点でも注目に値します。


また私たち一般人には不案内な裁判官の仕事内容や日常、判決が言い渡されるまでの合議の様子、裁判での検事と弁護士の丁々発止の駆け引きなどについても事前の綿密な調査の上、実際に基づいて書かれていて多方面の問題を提起している作品として秀逸でした。

「明日は、明日はと言いながら、今日という一日をむだに過ごしたら、その人は明日もまた空しく過ごすにちがいありません」 


さすが亀井勝一郎氏の人間観察はするどい!


ぐさりと突き刺さりますが、人生ず~とそんな感じで過ごしているような気がします(-_-;)


振り返ってみて、これまでの人生で「今日は充実した最高の一日!」と思える日はそんなに多くなかったような。


亀井氏の言葉とは少しニュアンスが異なるかもしれませんが、「今日できることは明日にもちこさない」というのは私自身の性格も相まって少しは実行しているつもりですが、「現在」より「明日」へ照準を合わせて希望を託すという習慣はずっと続いているような気がします。


「希望」といっても、例えば先日プランターに蒔いた小カブが無事に芽を出してほしいとか、明日の散歩のために晴れたらいいなとか。


こんなささやかな「明日への希望」が今日を支えてくれているんですけどね。



意識的に毎日死と向き合っている要介護5の母の究極の希望は「安らかな死を迎えること」ですが、気持ちに余裕が見られたすこし前までは私が買ってくるパジャマや便利グッズを楽しんだり、知人から送られてくる名産を心待ちにしたり、孫たちが訪れるのを指折り数えたりしていました。


何かの訪れを「待つ」という気持ちは私たちの「希望」の大きな比重を占めています。


「安らかな死」を待つのが唯一の希望なんてせつなくて胸が締め付けられますが、周りがどんなに死への意識から遠ざけようとしても難しい意識の状態が続いています。




さて今日はスザンナ・タマーロ著『心のおもむくままに』をご紹介します。
今から15年前の1994年に出版されて以来、著者の国イタリアで250万部を売り上げ、その後22カ国で翻訳され世界で550万部という大ベストセラーとなった作品です。


1989年『うわの空で』でエルサ・モランテ賞
1991年『独りごとのように』でイタリア・ペンクラブ賞&ラパッロ賞受賞
1994年『心のおもむくままに』

本書は1996年に映画化もされ、戦後のイタリア国内で観客動員数が史上1位に輝いたそうです。


私は日本で刊行された直後の10年ほど前に読み、今回義姉の本棚で見つけて持ち帰り再読しました。



「道に迷ったときは立ちどまって、じっと『心の声』に耳をかたむけてごらん。
家を出た孫娘にあてて、老女は置き手紙のつもりで日記を綴り始める。
穏やかな語りかけが、生きることへの励ましと安らぎを与えてくれる、心にのこる名作」


本書執筆時の著者は30代後半の若さ、80歳の老女の身になる困難さに悪戦苦闘したようですが、子どものころの両親の離婚に伴い祖母に育てられたという経験が大きな支えになり、本書はその祖母をイメージして書かれたそうです。


主人公オルガがアメリカに留学している孫娘に宛てた一方通行の置き手紙という形式の作品。


共に暮らしていたときの孫娘とのお互い理解し合えなかったもどかしい距離感を埋めるために自身の恥ずかしくも苦しみの多かった過去を告白することで孫娘が自分自身をしっかり見つめて豊かな人生を歩む手助けになるようにという願いを込めて書かれたという設定・・・嘘をつかず、愛を惜しまず。


心に触れたいくつかを抜き出して見たいと思います。


「存在する唯一の教師は、唯一信頼できるほんものの教師は、自分の意識なのだ。
それを見つけるには、静寂のなかに――ひとりだけでひっそりと――身をおかなければいけない。
なにもない地面の上に、なにも飾らず裸のままで、死んだようにしていなけれならない・・・
そのうちに深い底からある声がきこえてくる・・・
そして声が聞こえたら、立ちあがって、おまえの心のおもむくままに行くがいい」


「道に迷ってこまったときには、木を思い出し、木のそだち方を考えてごらん。
葉っぱばかりで根っこのたよりない木は、ひと吹きの風でたおれてしまう。
根がしっかりしていても葉の少ない木は、樹液の流れがうまくいかない。
根っこと葉は同じように成長するのがいいのだよ。
おまえも根っこをはやしてその上にいるといい」


「人を判断する前に、その人のモカシン靴をはいて三カ月歩くといい」


「カシの木の下にすわるとこにはあなたではなくカシであれ。
森にいるときは森であれ。
人と生きるときには共にあれ」


目に見える見せかけのものには惑わされず「こころの声」に耳を傾けることの大切さが主題のメッセージ、星の王子さまの「大切なものは、目に見えない」という言葉と深くリンクしています。



新装改定本が出ているようですが、私が読んだのは旧装版、訳者・泉典子氏の意図によるものでしょうか、孫娘に対しての呼びかけ「おまえ」、文章自体もすべて男性的な断定言葉で書かれている点が以前は気にならなかったのに、再読した今回はとても気になりました。

祖母らしく「・・・だったのだよ」ではなく「・・・だったの」の方が祖母の孫娘に対する心の柔らかさが表現できるような気がしました。


それは別にして、じっくりした味わいの深い作品でした。

ぜひどうぞ!


加藤和彦さんが自殺されましたね。


はしだのりひこさんと北山修さんと3人で「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成して「帰って来たヨッパライ」を発表したのが1967年。


♪おらは死んじまっただ
♪おらは死んじまっただ
♪おらは死んじまっただ 天国に行っただ・・・
♪天国よいとこ一度はおいで
♪酒はうまいし ねえちゃんはきれいだ・・・


結婚前の夫と近場にドライブに行ったとき、車中で夫がずっと歌っていたのがこの歌。


当時歌謡曲を聴く習慣がなかった私は初めて聴いた変わった歌という印象の上、未来の夫が「行ってみたいな~そんないいトコ!」と言ったので強烈な思い出として今も頭の中に残っています。


3人のメンバーのうち北山修さんは現在は精神分析学の権威として九州大学で教授をされているそうですが、加藤さんとはしださんはずっと音楽活動を続けて今日に至っているそうですね。


これらのことはWikiで今知りました。



最近音楽活動に行き詰ってうつ状態だったそうですが、こんなときいつも思い出すのはがんのため生きたくても生きられなかった友のこと。

死の直前まで厳しい治療に希望を見出して前向きな声で電話をくれたのに。。


この夏で2年が過ぎましたが今でも彼女の笑顔が浮かんできて切なさで胸が苦しくなります。


彼女の治療の帰り道渋谷で待ち合わせしておしゃべりしたのがついこの間のようです。


彼女の思い出はぎっしり胸の中に詰まっていて消えません。



さて今回はそんな待ち合わせ場所として知名度高い渋谷を拠点のお話です。


「日曜夕方のハチ公前、夜の円山町、昼下がりの公園通り。
この街の喧騒の中、神様は別人の顔をしてやってくる。
出会い系サイトで知り合ったサラリーマンと中学生、デートをすっぽかされた女子高生とスカウトマン、年下の彼と破局寸前のバツイチOL。
彼らの人生がふと“つながる”瞬間とは――見えない何かを信じたくなる、心温まる群像小説。『ティッシュペーパー・ボーイ』改題」


ご存知有吉佐和子氏の愛娘・有吉玉青氏による連作短篇小説『渋谷の神様』


1990年母・有吉佐和子氏との日々を綴ったエッセイ『身がわり』で坪田譲二文学賞受賞

以後作家として活動していらっしゃいます。


原題の『ティッシュペーパー・ボーイ』というタイトルから想定できるように渋谷駅界隈でポケットティッシュを配る人をめぐる5つの物語が独立した形で描かれています。


渋谷のスクランブル交差点のあたりでティッシュを配る赤いキャップに白いツナギのティッシュペーパーボーイ。


それぞれの物語の一角にこののティッシュペーパーボーイが存在して、それぞれの主人公の生き方を変えるきっかけを与えてくれる設定になっていますが、彼はあくまでも黒子、ただノルマを達成するためにティッシュを配り続けるというだけの人として登場します。


運命の啓示としての受け取り手は物語の主人公たち。


そういう意味では読書や映画、人との会話による啓示など、それをどのように捉えるかは受け取り手の感性によって大きく変わってくるのではないでしょうか。

ここではほとんどプラスの啓示を受け取って前向きに生きるエネルギーへと転換しているところ、読後感に清々しさを与えています。


ティッシュペーパーボーイと主人公たちの出会いとその後の意味づけにはところどころ作話的な違和感が見られますが、ほとんどがハッピーな完結を見せる小話、肩の凝らないナイトキャップ代わりにはぴったりの作品でした。

ETC1000円を利用してお墓参りをかねて夫の長姉と次兄夫婦に会いに夫の郷里・舞鶴に行きました。


岡山から舞鶴までは山陽道・中国道・舞鶴若狭道の3つの高速道路を使い通常は片道5050円かかります。


ETC土日休日1000円を利用しての帰省は初めてなので単純に計算すれば3本で3000円と思っていましたが実際は2250円、通常の半額だったのですごく得した気分でした。


中国山脈を横断するドライブ、川端康成の「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」のように、いつもは「山脈を越えると空は灰色だった」という形容がぴったりの雨雲が垂れ込めたような空模様に変わりますが、この連休は裏日本には珍しく高く青い空が広がっていて気持ちよい秋日和。


夫の兄嫁と私は年齢も近く仲良しなので、お互いの夫が囲碁をしている間中夫のワルクチやら料理の話やらの他愛ないおしゃべりを楽しんで日頃のストレスを解消しました。


生きのいいさばで作ったという魚味噌や山椒の葉の佃煮、笹カレイなどなど兄嫁の作ったたくさんのおいしい料理を堪能して帰途につきました。


夫は5人兄弟姉妹の末っ子、4年前に亡くなった長兄以外4人健在です。


いつ行っても無条件で歓迎してくれる末っ子の夫が羨ましいなと思うのはこんなときです。




さて本日はまたまた海堂尊氏著『ひかりの剣』をご紹介します。


現職の医師である著者の作品はすべて病院を背景の物語が多いなか、本書は1988年代医学部剣道部に青春をかけた医学生たちの姿を描いた青春小説となっています。


2007年8月~2008年8月まで「オール讀物」に掲載されたものを単行本化したものが本書です。


医学生時代に剣道を経験したといわれる著者ならではの剣道に関する話題がいっぱい詰まっていて剣道に興味ある方にはそれだけで読み応えのある作品。


海堂ファンならご存知の過去の作品を賑わした人々が続々登場して物語に興味という花を添えています。


今回の主人公のひとりは『ジェネラルルージュの凱旋』http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/270の主人公・東城大学の猛虎・速水晃一と、もうひとりは『ジーンワルツ』http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/402の登場人物・帝華大学の伏龍・清川吾郎。


手にした者は外科医として大成するという医学生剣道界の頂点を決める医鷲旗を巡って2人が率いる剣道部が2年にわたり熾烈な闘いを展開するという内容です。


時は『ブラックペアン1988』の時代。


『ブラックペアン』で活躍した佐伯教授や世良医師、渡海医師もほんのちょっと顔を覗かせたりと相変わらず著者の心憎いリンク術が読者の興味を誘います。


物語は速水と清川の視点で交互に展開、その間を縫うように『チーム・パチスタの栄光』から登場しているタヌキ・ハゲタカの異名を持つ後の東城大学医学部病院長・高階が顧問として重要な場面でからんだり、『チーム…』で活躍した田口や島津が速水の同級生としてのちの姿を彷彿とさせるようなキャラクターで登場したり、清川の弟が東城大学の新入生として登場したりとエンタメ満載!


これら海堂ファンにとってもお馴染みの登場人物に加えて、タイトルにもなっているひかりという帝華大学薬学部の新入生が花を添えての青春物語。


生身の人間に向かい命を救う役目を担う医術と、剣で相手を制する剣術を対峙させて描いた著者の筆力には脱帽です。


私のような剣道に不案内な読者にとっても全身を貫く精神性の高い試合の緊張感がまっすぐ伝わってるような海堂作品としては異色の物語でした。

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