VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2009年11月

11月6日の松葉ガニの解禁を待って、友人と3人で兵庫県の本場・香住のカニ宿でフルコースを食してきました。


ズワイガニのうち、兵庫県北部、京都府北部、鳥取県で水揚げされるものが松葉ガニという名称で呼ばれています。


ちなみに福井県で水揚げされるものが有名な越前ガニです。


それぞれの場所で水揚げされるカニには一匹ずつタグがついていますが、各漁港によって色を変えていてどこの漁港の水揚げかを識別できるようになっています。

いわゆるカニの血統書のようなもの。


香住の松葉ガニのタグは緑色。 


私たちが行った日の朝まで2日ほど悪天候で相当海が荒れて水揚げが難しかったのではと想像しながら食べたカニのうち少々水っぽかったものがあったので、もしやロシア産の冷凍が混ざっていたのではないかという悪い想像が私たちの頭を駆け巡りましたが、ひとまず満腹しました~。


今回は提供されませんでしたが、好みでいえばメスの勢子蟹がいちばん好きです。


地方によって「せいこ蟹」「こっぺ蟹」「香箱」など呼び名もいろいろですが、少し前までは山陰でしか見られなかった勢子蟹が最近は岡山でもたくさん見られるようになり簡単に買うことができるようになりました。


でもカニを食するにはある程度の体力が必要、かぜなどで心身が弱っているときには食べられませんね。


主婦である私はB級食材に安心感があり、キャビア、フォアグラ、トリュフ、マツタケやふぐは名前を聞いただけで拒否反応を起こす貧乏性の体質ですが、カニは大好きなので自分の都合だけで無理やりB級の仲間入りさせて納得しています。



でも一生の終わりに食べたいものは、と聞かれれば、カニではなく塩じゃけか梅干しに炊き立てごはんと答えます。



さて本日は私にとって初めての作家さんです。


谷村志穂氏著『余命』


図書館で物色中、返却されたばかりの文庫の中にありました。



「がんと闘い生を勝ち取るか、子供を産み命を託すか。余命を決めるのは自分-。
妊娠と同時にがんが再発した女性医師の下した壮絶な決断とはーー。
命あるものすべてを抱きしめたくなる感動長篇」


今年2月に同名のタイトルで松雪泰子を主演に、夫役に椎名桔平を配して映画化され反響を呼んだそうです。

ちなみにイメージとして松雪泰子は適役。


結婚10年目で初めて妊娠した38歳の外科医・百田滴が主人公。

妊娠がわかった直後に14年前に治癒したはずの乳がんの再発を自己診断で認め、治療か出産かの2者選択の岐路をひとりで乗り越えて出産するというストーリー。



主人公の強靭さと話題性のあるがん&余命、そして新しい命誕生という共感されやすい主題を盛り込んで美しい物語に仕上げているようですが、読後感は「ちょっと待って」という感じ。



見開きに作品の内容に関係ある古今東西の思想家などの箴言や聖書からの言葉を引用するというのが外国文学から流行りだし、日本でも引用文を載せた作品が多くみられるようになりましたが、本書でもマラキ書からの引用文が引かれていました。

「わたしはあなたたちを愛してきたと 主は言われる。
しかし、あなたたちは言う。
どのように愛を示してくださったのか、と」



最初にこの言葉を見て、読了後また戻ってみましたが、自分の違和感が拭い去れず、逆に自分の浅読みを突きつけられたような気分にすらなりました。


そして、次にページには「ある夫婦の物語である」という一文が記されています。


これにまた大きな違和感!


あらすじの詳細は省きますが、本書は「夫婦の物語」というより「主人公自身の物語」というのにふさわしいと感じたのは私だけでしょうか。


主人公の母性からなる孤独で雄々しい決断の結果、大きく人生の転換の必要性を迫られる結果になった夫はあとづけの副産物のような、そんな気がしました。



いったんは夫や友人たちの存在を表面的には拒否しながら、夫や周囲の助けなしでは子どもとの余命を過ごしえない状況を真実の夫婦の物語、そして大いなる母性のすばらしい物語として終結させたのがどうにも腑に落ちませんでした。

今月22日付けの朝日新聞に有川浩氏のインタビュー記事が載っていました。


有川氏といえばいま旬のベストセラー作家。


その有川氏の新刊『フリーター、家を買う』に関してのインタビュー記事。


新卒で就職した会社から滑り落ちた主人公の青年がバイトを点々とした末、あるきっかけで一念発起して正社員の道を切り開き念願の一軒家を手にするまでの顛末を描いた作品という紹介でしたが、その内容が現在の雇用不安の時代の若者たちの心をとらえ、共感を広げているそうです。


有川氏自身も就活に失敗した経験を持ち、それらが作品に投影されたと語ります。


「滑り落ちた人の中にはいろんな人が埋もれている。
立ち直ろうとしたとき、受け入れ先のある社会であってほしい」と結んでいます。


昔は青春時代にドロップアウトしても受け入れてくれる大人社会の広い懐があり、りっぱに立ち直って社会に貢献している人々がいましたが、自分自身が平均的生活を保つのに一生懸命な現代、若気の至りの若者たちの可能性をもっと信じて受け入れる余裕のある大人の社会が必要とされているような気がします。



さて本日はちょうど読み終わったばかりの有川氏の有名なベストセラー「図書館シリーズ」第1巻です。


有川浩氏著『図書館戦争』


2006年『図書館戦争』が「『本の雑誌』が選ぶ2006年上半期エンターテインメント」で第1位、 「2007年度『本屋大賞』第5位
2006年『図書館内乱』
2007年『図書館危機』
2007年『図書館革命』
2008年『別冊 図書館戦争�T』
2008年『別冊 図書館戦争�U』
    シリーズとして第39回星雲賞日本長編作品部門賞受賞


著者の夫君がある図書館に提示してあった「図書館の自由に関する宣言」を見たことが本書執筆の発端となったそうです。


改めて「図書館の自由に関する宣言」なるものをググってみてその物々しさに驚きました。



図書館の自由に関する宣言
図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。
この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。




戦前における思想善導機関として機能した図書館の歴史を反省して1954年に制定された宣言で現在の改訂版ができたのは1979年だそうです。


このような宣言によって治外法権的に図書館が守られていたとは有川氏ならずも驚きを禁じえませんが、秦の始皇帝が行った焚書坑儒に始まって表現の弾圧は世界各国のみならず日本でも珍しいことではないのでこのような宣言は必要不可欠であるともいえるのでしょう。



さて本書に戻します。


時代設定は西暦2019年、公序良俗を乱し人権を侵害する表現を取り締まる法律「メディア良化法」が成立、施行された近未来。


言論弾圧のためには武力行使も辞さない国家機関である「メディア良化委員会」の実行組織「良化特務機関」の検閲から表現の自由を守る任務を唯一与えられた広域地方行政機関である図書館防衛部の図書隊の主要メンバー6名の日夜の奮闘や恋愛模様を描いています。


主人公は笠原郁22歳、女にして運動能力抜群で熱い正義感に燃える熱血バカでいながら心は純真な乙女という設定。


このブログでも著者の2作品をアップしていますが、特有のコミカル&迷いのない筋立てが本書でもしっかり組み込まれていてスピーディーに展開する小気味よい構成や私好みの落語もどきの会話が読者を飽きさせないところ、すばらしい才能です。


ちなみに過去ブログでは

『阪急電車』http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/277

『ラブコメ今昔』
http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/360

をアップしていますのでよかったらナビしてください。



「図書館の自由に関する宣言」からこのような物語構成を思いつくとは、さすが自衛隊オタクといわれる著者ならではの発想、その上での緻密な環境固め、その中で繰り広げられる軍事演習や詳細な図書館業務の描写の確かさ、主人公を取り囲む個性豊かな人々の設定、そしてもうひとつ、おなじみの中心核に持ってきているラブコメなど、幾重にも張られた複線の単純明快な面白さに脱帽です。


37歳・有川氏、引き出しの中に異色&バラエティ豊かな題材を数多く所有されている作家さんです。

世界的に毎年全世界で約100万人の人が自らの命に決着をつけている自殺。

政府が17日の閣議で決定した2008年度版の「自殺対策白書」によると日本の2008年の自殺者数は3万2249人で、前年から844人減ったものの11年連続で3万人を上回りました。


男女別に見ると、男性が女性の約3倍。

年齢別では、「50歳代」が最多で6363人、「60歳代」5735人、「40歳代」4970人、「30歳代」4850人と続いています。

特に「30歳代」が統計を取り始めた1978年以来最多となっています。

職業別に見ると、「無職者」が過半数を超えていることを考えると、デフレに転じたといわれる最近の経済事情からの景気悪化も長期的に長引きそうで、ますますリストラなどによる自殺者が年末にかけて増えることが懸念されますね。


「自害」が武士道の精神に則って最高の死に様とされた日本の歴史の延長で、乃木稀助などの自決が崇高な死として受け入れられた時代を経て、三島由紀夫の自決あたりから、日本人もかなり冷静に自殺に対する分析ができるようになったのではないでしょうか。


「自害」「自決」「自尽」「自裁」あたりまでは何となく人生の総決算として自分を殺すことを「美学」とする響きが感じられるのは言葉の持つ魔力であると思うのは私の偏見でしょうか。


そのような言葉の魔力が顕著に見られるのは、特に最近「自殺」を「自死」といいかえて表現する文章が増えてきたことです。


「自殺」は宗教的根拠から発して反社会的な行為とする意味合いがとても強いように感じられますが、「自死」はその意味合いを曖昧に和らげて、ロマンティックにさえ感じさせるような魔力を感じます。


私の尊敬するノンフィクション作家・柳田邦男氏のご次男の自殺をもとに書かれた苦渋のノンフィクション『犠牲』でも柳田氏はご次男の行為を「自死」と書かれていたように記憶します。


それは親として最愛の息子の禍々しい死を少しでも受け入れ、納得したいという切望の表れと充分納得できるものでしたが、社会的に「自死」という表現が横行することにより、ますます自殺への垣根を越えてしまう人が出るのではないかという懸念は拭い去れません。



そんなことを考えていると、まるでシンクロしたようにそういったことを指摘された文章に出合いました。


曽野綾子氏著『最高に笑える人生』


「日本財団の会長として、またカトリック教徒として旅と思索を続ける作家が、世界の貧困の現場での体験や、世論をにぎわした吉野川河口堰問題についてなど、見聞きしたこと、考えたことを率直に語るエッセイ集。
人間の幸福や死とは何か、時代の「現実」とは何かという本質に迫る」


月刊誌「新潮45」に「夜明けの新聞の匂い」という題名で掲載されたものを定期的に刊行したものの1冊が本書です。


15篇のエッセイの中の冒頭「一輪の赤いバラ」に上記の自殺に関する文章があります。


妻の死後199年に「形骸を断ず」という遺書を遺して66歳で自殺された文芸評論家の江藤淳氏の死に触れる文章の中で
「最近自殺のことを自死というようになった。
自死などという言葉は、以前にはなかったのである・・・
自殺を自死というようになってから、人生の曖昧さがまた一つ増えた。
自殺は『自死』とは違う。
もっと激しいものだ」


「誰でも、たとえ心にどんな悲しみを持っていようが、うなだれずに普通に背を伸ばして歩き、普通に食べ、見知らぬ人に会えば微笑する。
それこそが、輝くような老年というものだ・・・
この内心と外面の乖離を可能にするものこそ、人間の精神力なのだろう。
それは雄々しさと言ってもいいかもしれない」


日常茶飯の死というものに常日頃慣れ親しみ、死を思うことが人間の義務である、と著者は記します。


江藤氏を例に、夫にとって妻の死が恐ろしいのは精神面だけではなく実用的な面での損失に起因することが大きいとの指摘には大きな共感を覚えます。


誰もがいつかは確実に死ねることこそ最大の救いであり、この世の最も残酷な拷問があるとすれば、それは人間に不死を与えることであると著者は指摘します。


人間は生まれたからには誰にでもいつかは別れがあり、だからこそ妻の死を微笑みながら語る多くの男たちの静かな勇気に改めて一輪の赤いバラを捧げたいと著者は締めくくっています。


本書にはこのようにしみじみ心に沁みわたる一滴の酒のような芳醇な文章にところどころで出合いますが、著者の所属する海外邦人宣教者活動援助後援会や日本財団の活動の一環として出かけるアフリカやアジアの支援を必要とする国々での名もない人々の純粋な心や懸命の生活を知ることができるのは日本の片隅で平凡な日々を過ごしている私には得がたい学びです。


表題にもなっている「最高に笑える人生」では徳島の吉野川の可動堰の建設に対する国と住民との意見の食い違いを例にこのように締めくくっています。


「人間は、二つに一つしか選ぶ道はない。
自分がわからなかったら専門家に任せるか、それとも自ら選んだ運命に賭けるか、である。
賭の要素の非常に希薄な分野はたくさんあるが、賭の要素が全くない事態など、この世に一つもないのだ。
だから敢然と不運をも見込んだ将来を承認しつつ、現在のようさを取るというのも、私好みの生き方だ。
それで運がよければ最高に笑える人生が手に入るのである」


私を含めた人間は最終結果の「最高に笑える人生」を手探りして現在の選択を決めていることは否めませんが、少なくともそのときの選択はすべて自己に帰結するというスタンスは死ぬまで保ちたいと思っています。

先日本屋の店先で週刊誌をパラパラ捲っていると、詐欺&殺人の疑いで連日報道されている34歳の女性の記事に目が留まりました。


新聞では匿名、写真も掲載されていませんでしたが、週刊誌では実名、写真を公表。


いつもながらこのプライバシー取り扱いの格差に驚きますが、それよりもっと驚いたのが何人もの男性を虜にしたと思われるその女性の素顔が魅力的ではなかったことです。


一見したところ世の男性が好む美人の範疇から相当外れているような容姿。


記事を読んでみると、当人はその容姿にあまりある魅力を持っていたことが関わりになった男性へのインタビューでわかりました。


すべてにおいて献身的きれい好き料理上手と3拍子揃っていて、おまけに寡黙だったそうです。


そのことを夫に話すと不謹慎にも「無口に献身、おまけに睡眠薬に練炭で苦しまずにあの世に連れて行ってくれるとはわがパラダイス!」とのたまう始末、収監されているのでなかったら5万円ほどの見せ金をちらつかせておびき寄せたいそうです。


TVで「たかじん・・・」を観ていたら、夫と同じような意見の男性が多かったのには笑ってしまいました。


男性が寡黙&献身女をゲットするためには命を賭してもいいと思っているとは!




 さて本日は50年近くお互いに献身し合い支えあうすばらしい夫婦の愛の物語です。


ニコラス・スパークス著『きみに読む物語 The Notebook』

1996年に出版されて以来全米で600万部を超えるベストセラーになった作品。


1996年『きみに読む物語』
1998年『メッセージ・イン・ア・ボトル』
1999年『奇跡を信じて』
2002年『最後の初恋』
2006年『きみを想う夜空に』


アメリカを代表するロマンス作家、発表する作品は常にベストセラー入り、世界35カ国で累計3600万部のセールスを記録しています。


上記の作品は『きみを想う夜空に』以外すべて映画化され、観客動員数でもアメリカ映画史上群を抜いているそうです。


一世を風靡した「マディソン郡の橋」をも超えるほど。


テーマは一貫して真実の愛、永遠の愛だというスパークスの作品。



日本人に比べ現実直視力に優れていると思われるアメリカ国民もこのようなラブロマンスを求めているのでしょうか。



第二次世界大戦後、故郷にノースカロライナ州・シーブルックに戻った31歳の主人公ノア・カルハーンと29歳アリー・ネルソンの17歳と15歳の2人のひと夏の出会いと別れ、そして10年以上の空白を超えての再会から困難を乗り越えての結婚、そして終末に近い2人の49年間のノアとアリーの愛の物語。



「わたしは、ありふれた男だ。
でも、わたしには全身全霊をかたむけて愛する女性がいる―身分ちがいの恋を乗りこえ、結婚したアリーがいる。
が、アリーの病気が、長く幸せな結婚生活を引き裂いた。
記憶を失った彼女のため、ノアは二人の愛の軌跡を綴った物語をひたすら読みきかせる…
世界中をあたたかい涙で包んだ究極の純愛小説」


ノアが記憶を失ったアリーに毎夜読み聞かせるのは2人が出会った1940年代からの愛の軌跡を綴ったノート。


物語は非常にシンプル、最初から最後までこれでもかと語られる愛の軌跡にはいささか食傷気味でしたが、ノアが住むノースカロライナ州の片田舎・シーブルックの自然の描写の美しさに心が洗われるようでした。


「ノースカロライナの森は、晩秋に美しい。
緑、黄、赤、オレンジー―そうした色のあいだには境目というものがない。
すばらしい色彩は、日を浴びると輝きだす・・・
宵の時間は、昼のぬくもりを残して心地よくすぎていった。
ノアはコオロギの鳴き声や、風にそよぐ葉音に耳をかたむけ、自然の音は車や飛行機のようなものにくらべて、ほんもので感情を刺激すると思った。
自然界のものは取るより返してくれるほうが多い。
その音はいつも、人間はこうあるべきだという道にノアをひきもどしてくれる」


アリーが10数年の空白を経て再びノアの住む場所を訪れるシーン。

「あのときのまま、何も変わっていない。
三十メートルほどもあるナラやヒッコリーの大木のあいまから、切れぎれにさしこむ夕日に秋の色彩が映えている。
左側には鉄色の水面をのべた川が抱こうしており、流れは道に近づいたかと思うと離れていった・・・
いつまでも変わらない風土を見て、思い出が心にあふれだした・・・
彼女はゆっくり車を走らせながら、家を眺めていた。
そして、ポーチから車を見ている彼に気づいて、深く息を吸い込んだ。
飾らないふだん着の姿だ。
遠くからでも、あのころと変わっていないことがわかった。
と、一瞬、太陽の光をまうしろから浴びて、彼は風景のなかに消えうせた・・・
彼女が車から降りたとき、二人は長いあいだ、みじろぎもせずに見つめ合うばかりだった。
アリー・ネルソン、二十九歳。
知っておくべき答えを求めてやってきた婚約中の社交界の花形。
そして、ノア・カルフーン、三十一歳。
これまでの人生を支配していた亡霊の訪問をうけた夢想家」



究極といわれるラブロマンス小説はたくさんあると思いますが、目を閉じれば田園風景の広がるシーブルック、ナラの木陰で戯れる犬、川に浮かべたカヌー、心を込めて修復された1772年築のノアの自宅、オリオンや北斗七星などの星々が頭上でまたたく中、ロッキングチェアに揺られて回想するノアのシルエットなどが頭の中に広がって自分も自然と同化できるような、そんな豊かな自然あふれる小説は数少ないのではないでしょうか。

今テレビではどのチャンネルを回してもグルメと健康に関する番組が花盛りですね。


ある局でタレントの人たちがご馳走を食べている場面に出くわす一方、他局では健康番組でメタバリックシンドロームへの警告として栄養のバランスや運動の重要性を指摘していて何だかブラックユーモアを見ているようです。


肥満とはあまり縁がないとはいえ、夫も私も適度な運動の必要性はいつも感じているものの、揃ってコツコツ努力することが苦手・・・というか嫌いなので一念発起してウォーキングを始めてもなかなか続きません。


夏は紫外線、冬は木枯らしなど、紙のような意志と意欲を阻害するようなことが山ほどありますが、ここのところしばらく順調なウォーキングが続いています。



一応買い物などの目的を決めて単調なウォーキングのよすがとしていますが、気がつくと目的地に行き着くのにできるだけ三角形の斜辺という短距離を選んでいることに我ながら唖然としてしまうこともしばしば。



こんな怠惰な性格なので自転車漕ぎなどの室内トレーニングマシーンを買うことは理性で控えていましたが、以前トレーニングルームで写真のフォームローラーを用いてストレッチやバランストレーニングを指導してもらって以来これぞ怠惰な自分向きとネットで検索してみると、意外に手が届く価格に目がくらみ購入しました。


早速上に寝てみましたが、バランスをとるのがなかなか難しく、その上でトレーニングをするなどもってのほか。


でも夫の手前、買った以上申し訳程度にはと思い、毎日短時間バランスをとっていますが、いつまで続くか自分を観察中です ^^;




さて今日のレビューは細井順氏著『死をおそれないで生きる』です。


著者・細井順氏は外科医を出発点として淀川キリスト教病院外科医長としての活躍中に父親を同ホスピス病棟で看取った経験から緩和ケアを学び、1998年愛知国際病院で愛知県初のホスピス開設に携わったのち、滋賀県近江八幡市のヴォーリズ記念病院のホスピス建設に力を注がれ、2006年に完成した院内独立型新ホスピス医長として現在活躍していらっしゃいます。


本書は2004年に腎臓がんと診断され、手術を受けた著者が患者としての闘病の経験をもとに、過去、現在、そして未来の医師としてのあり方を模索、真のホスピス医としての新たな決意を込めた作品です。



「現役ホスピス医が語る自らのがん体験と、生きることに悩むすべての人に送る励ましのメッセージ。人は生まれた時から死に向かって歩んでいく。
死は恐れるものではなく見据えるもの。
医師また患者としての実体験が凝縮された、死を恐れない生き方のすすめ」



ホスピスとは元々中世ヨーロッパで旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会のことを指し、そこで無私の献身愛で看護する聖職者の姿を理想において発展させたのが現在の病院といわれていますが、20世紀になり治療の当てがない限られた命の患者をケアする目的でイギリスやアイルランドから始まったのが現在のホスピスの原型といわれています。


現代ホスピスの祖といわれたシシリー・ソンダースがセント・クリストファー・ホスピスを建設し緩和ケアを中心としたホスピスを作ったのが1967年、今から40年ほど前のことです。


1973年には日本で最初のホスピスといわれる大阪の淀川キリスト教病院内ホスピスが柏木哲夫氏によって立ち上げられました。


著者は外科医としてこの淀川キリスト教病院に勤務していたときに経験したホスピスでの父親の看取りを通してホスピス医への転換を希望し、柏木氏の下、研鑽を積まれたという経緯があります。


「自分が何かをするのではなく、患者さんを生かそうとする姿勢は、それまでとはまったく違うものでした。
また、外科医というのは、どれだけ難しい手術を自分がこなしたかという、個人のパフォーマンスの世界。
一方、ホスピスというのは、みんなで力を合わせて患者さんのケアをする。
その和気あいあいとした一体感が心地よかった。
自分中心の世界から、ほかの人を生かそうとする世界への大きな転換でした」


本書には自らもがん患者となったホスピス医ならではの視点で書かれた貴重な言葉の数々が煌いています。


「……死の現実の中に人生の真実が隠されている。
死とは、終わりの時であり、始まりの時でもある。
終わりと思うか始まりと思うかで、その対処の仕方がずいぶん違うであろう。
死を新たな生の始まりと考えることができたらと思う・・・
安らかな死は残される人の「いのち」を創り出しているからである」


「元気で働いていた頃には、医師として患者に何かを行うことが中心であった。
だが、病んでみると、医療者に必要なことは病者の傍にいることだとわかる」


「ホスピスとは『いのち』に満ちあふれているところだ」といわれる細井氏。


最初の出会いから2、3ヶ月で旅立っていく患者さんたちとの別れは「死」をもって完結するかにみえますが、「生命」は終わりを告げても「いのち」はあとに遺された著者の心にいつまでも生き続けている、と細井氏は記します。


「死をもって終わる『生命』と『いのち』とは別なものなのではないだろうか。
私の外科医時代には、患者さんが亡くなっても、その後、貴重な教訓とか苦い経験として思い出すことがあっても、その人が自分のなかで生き続けているとは感じなかった。
他方、ホスピスで看取った患者さんは、誰でも私の中で生きていると感じることができ、 私自身の生きていく力になっている」


「死とはどういうことか」、「よく生きるとは」を常に自分に問いかけ、患者に寄り添って自分なりの答えを出そうと努力している、こんな真摯な医師がいらっしゃることに深い安堵を覚えました。



「ホスピスとは、あと一日のいのちを与えることはしないが、その一日にいのちを与えるところ」

興味の分野はお互いに全く違いますが、夫も私も就寝前の読書を1日の終わりのささやかな楽しみとしています。

早くベッドに行きたいと思うほどのワクワクする読みかけ本があると嬉しいのですが、なかなかこれぞという本に巡り合えないこともしばしば。



今朝の夫が騙されたような顔で言いました。

「もうそろそろ面白くなるだろうと投げ出したいのを我慢して読んでやっているのに、冗長なだけで終わってしまった」


「私も何度出版社の過激なキャッチコピーに騙されたことかしら。
『世界中が感動の嵐の渦の中に・・・』というからどれだけ感動できるか期待感いっぱいだったのに涙の一滴も出なかったのもあるし・・・」と私。


「出版社の扇情に騙されてはだめ」という結論に達しましたが、この扇情がたいへん上手なのが幻冬舎です。

で、単純な私は過去に何度も乗せられては苦い経験をしています。



今は見事に返り咲いていらっしゃいますが、一時期世間を騒がせた角川書店の角川春樹社長のコカイン事件がきっかけで1993年に角川書店の腕利きの編集者だった見城徹氏が立ち上げた幻冬舎。


幻冬舎のマークの「槍を高くかざした人間」のモデルは見城氏本人だそうです。


ちなみに「幻冬舎」の命名は五木寛之氏。


天童荒太氏の『永遠の仔』や劇団ひとり氏の『陰日向に咲く』も幻冬舎からの出版でベストセラーになった作品です。


私の好きな浅田次郎氏のアウトロー物も「幻冬舎アウトロー」から刊行されて人気が爆発しました。



その見城氏の手によって作家としての地位を築いたといわれるのが本日ご紹介するさだまさし氏です。


2001年放映されていた「ほんパラ!関口堂書店」の番組企画をきっかけに、見城社長の指導によって生まれたのが本日ご紹介する『精霊流し』です。


このブログでもご紹介した『解夏』も第二弾としてその後、幻冬舎から刊行されヒットしました。



前回さだまさし氏の作品として初めて読んだ『解夏』にいい意味で衝撃を受けた私は今回もかなりの期待度で手に取りました。



「人はこんなにも悲しみを背負い、それでも静かに笑っている。
運命を受け入れ、人生を懸命に生き抜いた、もう帰らない人々。
決して、あなた達を忘れない。
名曲『精霊流し』の原点を愛惜込めて綴る、涙あふれる初の自伝的小説」


「思わず涙するほど悲しく、
ときに声立てて笑うほど面白い。
夜空に映し出された清らかな八葉の写真。
数々の心うつ歌を満天の星座のようにかけつらねた彼は、こんな言葉の名曲を書いた ・・・ 浅田次郎氏」



『解夏』と同様、本書も一話ごとに完結するという形式をとってはいますが、純然たる短編小説である『解夏』とちがって著者の自伝的要素の強い連作になっています。


著者のヒット作で同名の「精霊流し」をモチーフとして書かれたもの、舞台は長崎と東京、著者の原寸大の主人公・櫻井雅彦の回想という形で全体が構成されています。



本書は主人公に投影させた著者自身の青春時代の物語という形式を取っているので、連作の集まりの長編として読むことが要求されているようですが、一話同士の連結があまりスムーズでなく全体的な構成に少し違和感が残ったのが残念でした。


このデビュー作と比べて、翌年に執筆された『解夏』のすばらしさ!


作詞家としての力量は不動のものであるということを考えれば、長編より短編に力が発揮できる作家といえそうです。

1年を置かず、長足の進歩を遂げた著者に驚くばかりです。


とはいえ、帰らぬ人への鎮魂の最終章のラストの「お母さん 大好き」の言葉にはせつなさが胸いっぱいにあふれ、、、、少し泣きました。

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