VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年01月

また火災報知器を鳴らしてしまいました。

このマンションに住み始めて6年になりますが、これで6回目。


大晦日にごまめを作っていて少量のみりんを煮詰めていたときが最初。


初回を含め過去5回は油断して換気扇を回さなかったり、「弱」で回したりしながらいずれもお酒、みりん、ワインを使って料理していたときに起こりました。


その都度駆けつける警備保障の人に平身低頭するのですが、管理人室のパネルを操作して作動を止めなければならないということで、事前に連絡して出動を止めてもらうこともできないという説明。


で、今回も瓦そばのトッピングの牛肉をみりんとしょうゆで甘辛く煮つけていたときに突然報知器が高らかな警報を発しました。


もちろん過去の過ちに懲りていたので換気扇は「強」で回していました。


いままで6回マンションの住み替えをしていますが、このマンション以外でこのようなことが起こったことは皆無でした。



あまりにも責任能力のある、というか敏感な火災報知器というのもいかがなものか。


今回は万全の態勢で調理していたつもりなので、今後どうしていいやらという感じ。


それにしても警報が鳴ってから警備員の人が我が家に駆けつけてくれるのにいつも約20分ほどかかっています。


事なきを得たからいいようなものの、本物の火事だったらすでにあとの祭的な時間ではないかという疑念が毎回涌いてくるのでした。




さて本日は垣根涼介氏著『借金取りの王子』をご紹介します。


2005年に第18回山本周五郎賞受賞作『君たちに明日はない』の続編で、5つの小品からなっています。


『君たちに明日はない』のレビュー&著者の略歴については以前このブログでご紹介していますのでよかったら見てください。
    http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/293


前作はリストラ請負会社「日本ヒューマンリアクト」の社員である主人公・村上真介が現在の仕事に就く経緯や8歳年上の現在の恋人・陽子との出会いなどが主体に描かれていましたが、この続編では真介がリストラ対象者として面接する人々が主人公となり、前作から一段と関係を深めた真介と陽子は最後の作品を除いてそれぞれの作品に小休止的に花を添える存在として登場します。


今回リストラを依頼した企業は百貨店の老舗であり東証一部上場の「南急百貨店」の外商部の社員、日本の生命保険会社の中でも三指に入る「東京安井生命」の社員、消費者金融業界では押しも押されもせぬ最大手の「フレンド」の支店長、「ホテル常盤屋・岩室荘」の客室係などで、事前リサーチも行き届いた面接の様子はとてもリアルで思わず自分がリストラに追い込まれていくような臨場感がある上、対するリストラ対象者側からの語りを通して対象者の事情やため息が読み手に伝わってきていたたまれなくもなるところ、何とも読ませます。



前作上梓時よりますます深刻化した社会情勢とリンクして他人事とは思えず、思わず自分の周りの人々の首が心配になるほどですが、取り上げている主題の重さのみに流れていないのは著者の筆力によるものといえます。



5つの物語のうち、最も感動的だったのが表題作「借金取りの王子」。


消費者金融会社を舞台の一組の男女の純愛物語です。


男性への最高の褒め言葉に「男前」というのがありますが、ここに登場する女性はもし「男前」に対比する言葉として認められれば、最高の「女前」です!


何度読んでも温かい感動が胸いっぱいに広がる作品でした。

「ただいま!」

「おかえりなさい。
今度こそ飛行機が落ちて1億円の寡婦になれるかと留守中使い道あれこれ考えてワクワクしていたのに・・・」

「そう簡単に望みが叶えられると思ったら大間違いやで。
人生そんな甘いモンちゃうで」


ニュージーランドに旅行していた夫が帰国してのお互いの第一声。


夫が出発すると同時に、待っていたように高齢の母がかぜを引いたため、予定していた友人に来てもらうことも出かけることもできずハラハラしていましたが、帰国と同時に快方に向かったのは偶然とはいえ何だかなあという感じ。


仕方ないので母のところに行く以外は大車輪で家の片付けに励む毎日。


納戸と化していたウォーキングクローゼットを大々的に片付けて棚を3つ吊ったり、衣類の整理をしたり、たまりにたまった書類をシュレッターにかけ続けたり、各部屋の戸棚の整理をしたりとずっと働き通しの我ながら模範妻!


定時に食事の支度をしなくていいのが主婦にとって無上の喜び!


日頃は家事の中ではいちばん料理が好きで手軽に作ることを厭わないと自認していた自分の意外な面を発見して唖然とします。


独り暮らしの友人にいつも栄養バランスの注意をしている自分なのに、1人になると作る意欲が消失してありあわせで済ませるというお粗末さには我ながら恥じ入るばかりです。



というわけで夫との変わりばえしない日常と栄養バランスを取り戻す日々がまた戻ってきました。 


このような平凡な日常こそちょっと油断すれば逃げてしまうかもしれない脆くも大切なものなのでしょうね。




さて本日は石上智康氏&大平光代氏共著『いまのあなたのままでいい』をご紹介します。


太陽の光
大気

大地

草木が 生い茂り
鳥や蝶が 舞う
「降りだして 田植えいよいよ にぎやかに」
天と 地と 水と
その つながりの中で
人も 生きている
受けつがれてきた いのち
父がいて 母がいて
生をうけ
育まれ
はかり知れない つながり
無量の縁に 支えられ
今 ここにいる
今日もまた たくさんの いのちをいただいて 食事がととのい
無事に食べられる
水も 喉を通っていく
その お陰で
今このように 生きている
いのち 在らしめられている
食べて飲むことは 生きる源
ありがたくいただく 毎日の食事
手を合わせ「いただきます」
深くご恩を喜び ありがたくいただく 一日一日のいのち
「お陰さまで ありがとう」
生きていく
自分の器量に応じて 精いっぱい生きていく
生きていく そのままが
生かされている 私     (石上智康氏「生かされている」)



君津光明寺の石上智康住職による仏教詩を中心にそれぞれの詩をテーマに仏教的生き方について石上氏と大平氏が語り合うという形式の対話集です。


「人は、生きて、老いて、死んでいく。
ただそれだけの人生を、そのままでいいと、とらわれなく感謝してすべてをお任せすれば、人生はそれだけでは終わらない—」


石上氏は光明寺住職のかたわら、浄土真宗本願寺派宗会議長、財団法人全日本仏教会理事長、文部科学省宗教法人審議会委員、日本宗教連盟理事などを歴任、現在は、本願寺派宗会議員、武蔵野女子学院(武蔵野大学)理事などを務めていらっしゃいます。


一方大平氏については2000年に刊行され200万部を超えるベストセラーになった自伝『だから、あなたも生きぬいて』で綴った波乱万丈の人生についてほとんどの方がご存知だと思いますが簡単に略歴を記します。


中学時代のいじめを発端に割腹自殺未遂、非行、家出の末16歳で暴力団組長の妻となり1児をもうけて離婚、クラブのホステスをしていたとき父の友人であるのちの養父と再会したのをきっかけに養父の強い説得で立ち直りの一歩を踏み出します。

宅建試験、司法書士試験、そして29歳で最難関の司法試験に合格し弁護士として非行少年の更生に努めたのち弁護士活動を一時休止して大阪市助役として2年間活動しますが、退任後同じ弁護士仲間と結婚、1児の母として現在に至っていらっしゃいます。

現在仏門を目指しているう大平氏は下記をテーマにダウン症で生を受けた娘と日々接することの喜びや娘から与えられる生きる力と感謝などを石上氏の大きな受容のまざなしを受けながら語っていらっしゃいます。


★目に見えないところに大切なものがあると悟る心

★よきことをして見返りを求めないのが日本人の心

★人の悲しみを自らの悲しみにするのが仏さまの心

★お互いさまの中で人は生きているという感謝の心

★一日一日を大切に生きようとするひたむきな心

★いっときでもいい、歩みを止めて身を正す心

★こうやって生きていること自体がありがたく思う心

★「ごめんなさい」を忘れない、そしてお礼を申す心

★自分がこの世に生かされていることを深く感じる心


生かされていることにもっと謙虚にならなければ!

北森鴻氏が48歳という若さで亡くなられましたね。

死因は心不全。


そういえば江川問題で話題になった小林繁氏の死因も心不全。


小林氏はずっと肝臓が悪かったそうですがほとんどの人の最期は心不全ということでしょうか。



北森氏は好きな作家の1人で、このブログでも数冊ご紹介していますが、もう新しい作品に接することができないと思うととても残念です。

         http://yaplog.jp/ashy_ashy/category_54/


作品の幅がとても広く、旗師・宇佐見陶子を主人公にした「冬狐堂」シリーズや、異端の民俗学者・蓮丈那智の活躍を書くシリーズ、ビアバーのマスター・工藤がミステリーに挑む「香菜里屋」シリーズなど、古美術や民族学などに対する造詣の深さは半端ではなくそれが作品に独特の深みを与えていて、シリーズ毎に熱狂的なファンが多いと聞きます。



その中でも私のお気に入りは「香菜里屋」シリーズ。


「東急田園都市線三軒茶屋駅前の商店街のアーケードをくぐって、通りを一本はずした細い路地。
道が行き詰る手前の左側に白い縦長の等身大の提灯に大らかに描かれた「香菜里屋」の屋号。
焼き杉造りのドアを開けると10人ほどが座れるL字型のカウンターと2人用の小卓が2脚。
『いらっしゃいませ』とカウンターから出迎えるのは ヨークシャーテリアが人間になったような風貌のマスター。
4種類のアルコール度数の違うビールとマスターおまかせの極上の酒の肴の数々、行き届いたサービス、そしてマスターの絶妙な謎解き」


作品上でもシリーズ4作を最後に香菜里屋が閉店してしまったのはとても残念で、ファンの間ではまたの再開店を望んでいた人も多かったと思いますが、それも叶わぬ夢となってしまいました。


架空の店でこんなに訪れてみたいと思わせた店は初めて。




というわけで本日は香菜里屋シリーズ最後の作品をご紹介して著者のご冥福をお祈りしたいと思います。


北森鴻氏著『香菜里屋を知っていますか』


2006年から2007年にかけて雑誌「IN★POCKET」に掲載された短篇に新たな書き下ろしを加えた5篇からなる短編集。


まさかご自身が寿命を知って慌しく店じまいしたのかと思わせるような作品。


ビアバー・香菜里屋の集いの客たちがそれぞれの事情で次々に去り、マスター・工藤もある理由から店を畳み姿を消してしまうという物語と並行して、あるバーマンの閉店にまつわる謎や、かつての同僚である香月大吾の事情など、著者が着々とこのシリーズ完結への準備を整えたような作品群。


それに加えて最後の小品「香菜里屋を知っていますか」では、飯島七緒や「冬狐堂」シリーズの宇佐見陶子、「雅欄堂」の越名集治、「民俗学」シリーズの蓮城那智など、他のシリーズの主人公揃い踏みで語られる「香菜里屋」という店の名前の由来や工藤と香月の過去が明かされるところ、長年の読者に対する著者の精一杯のサービスが見られてよけいに寂しさが加速されます。


登場人物たちの新たな旅立ちを予感させるような余韻を残しての心憎いラストですが、すべての謎が解決したわけではなく、このシリーズでいつも感じていた謎解きの消化しきれない読了後のもどかしさが完結編である今回もまた残されたまま。

私自身、この不消化部分を解決すべく次作品にと託していた期待感をどうしてくれるの、という感じです。



「心やさしきものが訪れるなら、そこは豊穣と幸福の源泉」


もう1度心やさしき常連が厳しい人生の途上に集って羽を休めることのできる香菜里屋のマスターの手料理を作品上でも味わいたかったです。

受験シーズンが到来しましたね。

新型インフルエンザと相まって受け入れ側も頭を悩ませているようです。


先日の天声人語は昨今の受験事情について。

その昔表札を盗んで合格を願うまじないがあったという行為を立原正秋氏の随筆『標札泥棒』を挙げて紹介していました。

神仏信心あるなしにかかわらず神社のお守りや絵馬が大活躍ですが、木から落ちないコアラのふん、蒸気機関車の滑り止めの砂、「勝どき駅」の合格祈願切符など変り種がぞくぞく。


昔ながらのオーソドックスなカツ弁も健在でしょうか。



今では自分どころか子どもたちの受験も遠い昔のできごととなっていますが、子ども3人それぞれに受験にまつわる思い出は枚挙に暇がありません。


共通一次時代の長女が願書締め切り当日、書類に不備があり提出できないとの切羽詰った電話に死ぬ思いで学校までかけつけて間一髪で間に合ったこと。


滑り止め校を落ち落胆していた長男が登校時届いた本命校からの合格書類を開けるときのドキドキ感、そして結果を気にしていた長男から授業の合間にかかってきた電話の向こうから聞こえた長男の喜びの声が今でも耳に残っています。


震災のあと東京勤務になっていた夫のもとに合流するため神戸から東京の私立高校を受験した次男の思い出はもっと鮮明です。


次男が切望していた本命校が2次面接で不合格だった日。

手ごたえ充分だったという1次合格のあと掲示板の2次合格者の自分の名前を写すため途中のコンビニでインスタントカメラを購入までして臨んだ次男の自信が一挙に崩れた日。

あまりの落胆ぶりになすすべもなく、ちょうど興行されていた「タイタニック」を無理やり誘って渋谷で観ました。

いまでも「タイタニック」の音楽が流れるとイコールで次男のうなだれた様子が思い出されます。



過ぎ去ってしまえばあらかじめ決められていた運命という宇宙の手のひらで盲目の当事者だけが混乱やら狂乱していたようなある種のこっけいさを感じますが、もう一度同じ状況に戻ってもきっと同じことを繰り返すのは想像に難くありません。



今周りを見回すと知人に高校受験突入のサッカー少年が1人。

赤ちゃん時代から成長を見てきた大人として何とか本人が望む通過点を踏んでほしいと思うばかりです。




さて本日は磯�ア憲一郎氏著『終の住処』をご紹介したいと思います。


第141回芥川賞受賞作。


「話しかけても応えない妻。
不機嫌のせいだと思った彼だが、妻はそれきり11年、口を利かなかった−。
流れてゆく時間、そのものの人生を、覚醒した眼差しで描く」


本書を熱心に推挙された山田詠美氏の「小説として一番構築されている。言葉を考えている・・・自分で培ってきた小説でしかあり得ない言葉がある」との評&出版社のポップを目にしてぜひとも読んでみたいと思っていた作品でした。


ラッキーなことに図書館の返却棚に無造作に置かれていました!



著者は1965年生まれの45歳、最近の芥川賞受賞者としては久々の安定した年代というのが食指が動いた理由の1つでもあります。

三井物産・人事部総務部次長と並行して
2007年『肝心の子供』で文藝賞受賞
2008年『眼と太陽』が芥川賞候補
2009年『世紀の発見』
2009年『終の住処』で第141回芥川賞受賞


インタビューによると仕事面ではよい上司に恵まれ、やりがいのある仕事に打ち込みながらの二束の草鞋だそうです。


さてこれほど読みたかった本書ですが、どのような感想を書けばよいか・・・

想像していた期待感と読後感との隔たりがあまりにも大きく戸惑っています。



全体的な特徴をいえば停滞しているようでありながら時間的には確実に流れていく人生を感情をできるだけ廃して言葉のラッシュで表現しているという、そんな印象の作品です。



製薬会社のサラリーマンである主人公「彼」が30歳を過ぎて結婚したことから物語が始まります。

一見何の変哲もない新婚夫婦ですが、どちらもこれから始まる結婚生活に静かな諦めともいえるような被膜を通してお互いの生活をスタートさせます。

理由をつかめないままいつも不機嫌な妻。

そういう居心地の悪さを修復するでもなく触れ合いも言葉も少ないまま日を過ごすうち子どもが誕生します。


家族3人で観覧車に乗った日を境に妻は11年もの間口をきかなくなり、家を建てることをきっかけにふたたび話し始めますが、夫婦の形をなさなかった11年というものを取り戻そうという意図はお互いになく、ただ訥々と日常の会話が交わされるのみ。


「終の住処」を建てることが失って久しい家族の再生への道であるという構えは皆無のように見受けられるこの夫婦にとって家族の箱である「家」は何を意味するのか。


希薄な心模様から何も読み取ることはできませんが、ともかく30歳から50歳くらいまでの長い月日を専ら夫である「彼」の側で起こった出来事のみを一方的に延々と羅列するという構成になっています。


保坂和志氏や野坂昭如氏などの文体ほどではないにしろ似通った文章のラッシュで、作品で言えばマルケスの『百年の孤独』の縮小版という印象。


内容的には口をきかない妻との日常の回避の仕方、空疎な家庭を埋めるような浮気の数々、仕事の詳細など。


終始一貫した感情抜きの事実の羅列の向こうにおぼろげながら夫というものの固体は認めますが、そこに妻や娘の影すら見当たらないという無機質な印象。


出来事自体は具体的かつ詳細に能弁に語られているにもかかわらず、心情が伴わない希薄さを読み手としてはどのように収めたらいいかというのが戸惑いの源です。



印象派のスーラやピサロを代表する点描画というのがありますが、ひとつひとつは変哲のない点ですが、完成した作品は点の集まりとは思えないほど様々なものを物語っていますが、本書は点が徐々に集まるプロセスは同じでも、完成して立ち上がった構図に明確なつかみ所が見当たらないという印象を抱きました。


点の密集箇所は凝縮されているのに全体像はいかにも抽象的でその中から一生懸命暗喩を読み取ろうという虚しい努力が知らず知らず要求されているようで小休止を許されない感を受けました。



昨今の芥川賞作品らしいといえばそういえるかもしれません。


ここまで書いて他の人のレビューをすこしググってみました。


賛否両論ですが、「賛」を見ると、自分の読解力のなさを見せ付けられるようなレビューもあり、うなだれるしかありませんが、夫婦や家庭生活の「折り合い」や「馴れ合い」を本書を通して理解&納得、またはこれからの「希望」を見たという感想にはうなずくことはできませんでした。

お互いのブログを通して親しくしていただいているSさんの日記に鹿児島名物の「いきなりだんご」が紹介されていました。


写真つきでとてもおいしそうな上手軽に作れそうだったので、クックパットのレシピURLを紹介していただいて作ってみました。

     http://cookpad.com/recipe/181349 いきなり団子


夫は粒あん系が大好きなのですが、私が少々苦手だったため今まで和菓子系は作ったことがありませんでした。


材料は小麦粉と団子粉(白玉粉または上新粉でもOK)、砂糖、塩、水、それにあずきあん、さつまいも。


トライしようと思われる方は上のURLでそれぞれの配合をご確認ください。 


小麦粉だけでもOKだそうですが団子粉を混ぜることによってもちもち感が出るそうです。


粉と砂糖、塩に水を少しずつ加えながら耳たぶの柔らかさになるよう手こねし、しばらく寝かせたあと、少しずつ手でちぎって手のひらで薄く延ばし、あんを載せた上に、皮を剥き1cmの太さに輪切りして水でアク抜きしたさつまいもを載せ、沸騰した蒸し器で15分~20分強火で蒸してできあがり。


できたてを1つずつラップに包んで冷蔵、冷凍で保存し食べるときに電子レンジにかければいつでもできたてのままのように食べられます。


これらすべてSさんの受け売りですが、和菓子初体験の私でも簡単に作れました。

食べた感想としては想像より皮の弾力が乏しかったので、少し水を多めにもっと薄く延ばすことをこの次の課題にしてみようと思っています。


さつまいもの太さによって必然的に大きさが決まるので、スマートなさつまいもを使用してかわいいサイズにすれば間食の習慣のない私も手軽につまめてgood!




さて今回は藤沢周平氏著『橋ものがたり』をご紹介します。


「微かな悲哀が、胸を染める・・・
様々な人間が日毎行き交う江戸の橋を舞台に演じられる、出会いと別れ。
男女の喜怒哀楽の表情を瑞々しい筆致に描く傑作時代小説」


「普通がいちばん」を自らの生活の信条にしていらっしゃった著者ならではの、どこにでもいるような市井の片隅で一生懸命に生きている男女が主人公の物語。


江戸時代に向こう岸とこちら岸の人々が交差する重要な接点となったそれぞれ主人公の「端」をモチーフに、主人公たちのそれぞれの人生のひと時が著者特有の情感あふれる眼差しで描かれていてどれも心に響く作品となっています。



★家の事情で女中奉公に出ることになった幼馴染のお蝶と5年後萬年橋での再会を約束した幸助の5年後を描いた「約束」
5年の間浮世の荒波に翻弄されたお蝶を丸ごと受けとめる幸助の真摯な姿が胸を打ちます。


★結婚相手が決まっていながら殺人犯・新七を行きがかり上匿ったおすみが、不実な結婚相手と全くちがう真摯な新七に徐々に傾倒していく様を描いた「小ぬか雨」


★いわくある生い立ちから逃れるように育て親の斧次郎と絶縁して永代橋を渡って新太郎に嫁いだおもんに突然ふりかかった厄難を通して初めて知ることができた夫婦の絆を描いた「赤い夕日」


★小間物屋の主人・吉兵衛の空虚な人生の悲哀を描いた「氷雨降る」
どんなに心に空洞を抱えていても生きていくのが人生であるという、当たり前のことを深く納得させてくれた作品でした。


★暗い過去を持つ隣に住む浪人・善左エ門の目を通してみた船宿の女房・お峯とその誘いで駆け落ちした若い船頭の吉蔵の2人。
人目を忍ぶ貧乏暮らしに耐え切れず旦那の元に帰ろうとするお峯を殺そうとする吉蔵に「殺すな」とかけた善左エ門の深い心情を描いた「殺すな」


しみじみとした読後感、切なくも人を信じることに前向きになれる、そんな10編でした。


銅とスズとの合金が立ってゐる。    
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひない。
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のように立ってゐる
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで。


十和田湖畔の御前ケ浜に立つ高村光太郎氏の「おとめ像」を見たのは昨年6月、奥入瀬渓谷をドライブして湖畔のホテルに泊まったときでした。


1953年に当時の青森県知事であり太宰治の兄である津島文治氏が十和田国立公園15周年を記念して光太郎氏に委嘱したものです。


高村光太郎氏70歳のときの作でこれが最後の作品といわれています。


上記の詩は像の傍らの石碑に書かれている「十和田湖畔の裸像に与う」というタイトルで光太郎の像に対する思いを詠んだ詩です。


愛妻・智恵子を模したともそうでないともいわれていますが、作品に智恵子の面影を掘り込んだことは事実でしょう。



生涯をかけた智恵子への思いは出会いから27年ののち1938年死去後30年にわたって書かれた『智恵子抄』を通して広く知られています。


智恵子の病名は現在の統合失調症、直接の死因は粟粒性肺結核であったといわれています。


そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山嶺でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である


五月晴の風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ




1998年芸術選奨文部大臣賞受賞作・津村節子氏著『智恵子飛ぶ』


「いちずな愛の哀しさ。交錯する愛の形。芸術家夫婦の懊悩。新たな智恵子像を浮彫にした傑作長篇小説」



書き出すまでの厖大な資料調べ、長い取材期間を振り返って著者は次のように語っていらっしゃいます。

「私はこれまで何度か、高村光太郎と智恵子について書いてきたが、さまざまなことが積み重なって智恵子の精神が壊れてゆく経緯にわからない部分があった。
智恵子の生涯を長編小説として書く決心がついたのは、私なりの納得が出来たからである・・・
小説の冒頭は、自転車を乗り廻し、袴の襞をギャザースカートのように縫い直す活溌で人の意表を衝く行動をやってのける女子大時代からさかのぼり、聡明で勝気だった幼少時代から、輝かしい未来を約束されているが如き青春時代に多くを費したのは、後半との対比を意図したのである」


幼少時代からの抜きんでた才で周囲から眩しい視線を浴びることに慣れていた智恵子の日本女子大入学当時の逸話を冒頭に、綿密な資料調べや取材に則った細やかな文章で女子大時代からの智恵子の足跡に肉薄していてとても読み応えがある作品となっています。


自信に裏打ちされた自己完成への探究心はやがて自分の中で肥大した偉大な光太郎への一途な愛となり、まっすぐ向かっていく様子はその当時の女性としては珍しい部類に入ると思いますが、幼い頃より自分の望みは必ず通さずにはおかないという自我の強さと持ち前の行動力を眩しいほどの魅力として受けとめた光太郎自身が骨抜きになる様子が描かれていて作品としては力作ですが、何事にもエキセントリックな智恵子と光太郎という2人の人物像がどうにも肌に合わなくて、終始批判的な気持ちで読了してしまいました。



著者は智恵子発狂の原因を作品の中で次のように解釈しています。

「自分を全面的に理解してくれる智恵子の愛と尊敬を生命の糧として仕事に打ち込み、その歓びに高揚していた光太郎は、智恵子の心の奥に押し籠められた焦燥と失意には気づかなかった。
光太郎は、汚れ果てた自分の目の前に現れた純粋無垢な智恵子を審判官とあがめ、自分の為に生れた女性として理想化し讃え続けてきたが、生身の智恵子は、光太郎の描く智恵子に自分を合わせることに疲れてしまったのであった」


おさまりどころのよい解釈ではありますが、閉鎖的な故郷から脱出して都会で羽ばたくという強い欲求を満たしながらも、故郷の空を激しく求めるという相反するせめぎ合いや、光太郎の理想の女性でありたいと熱望しながら、自分を羽ばたかせたいという強い欲求の狭間に狂気が生まれる素因があったのではないでしょうか。


それにしても粘着質の光太郎の愛の深さには脱帽です。

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