VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年02月

注目のフィギュア男子の決勝が終わりました。

オリンピック初の小塚崇彦選手はトリプルアクセルでの転倒は残念でしたが、4回転トゥループを見事に成功させ見事8位入賞。

織田信成選手はトリプルループの着氷に失敗、転倒のはずみで靴紐が切れるという珍しいアクシデントで7位、高橋大輔選手は最初の転倒という不運に見舞われましたがすぐ気持ちを切り替え堂々のすべりを披露、日本人男子初の銅メダル!!

いつ観ても1発勝負の舞台を支える数え切れない月日の努力を考えると勝敗とは関係なく胸が熱くなりますね。


記事によると、試合を中断させる原因となった織田選手のくつ紐は試合前に既に切れていたのを、試合前で感覚が狂うのが嫌だったのでその場で自分でくくってやっていたという織田選手自身の報告があったそうです。


不可抗力のアクシデントに立ち向かって最後まで放棄せずりっぱに演技を終えた不遇のヒーローから単なる不用意なおっちょこちょいになってしまいました。

彼の愛される魅力ともなっている少々軽はずみな性格のなせる技だったのか、、、あまりの不用意さに驚き呆れてしまいますが、それを涙ながらに告白するあたり、よほど素直な性格なのでしょうね。


飲酒運転で棒に振った1年間の痛恨とともに彼には貴重な教訓として残ることを祈ります。



さて本日は藤原新也氏著『渋谷』をご紹介したいと思います。

最初に『なにも願わない手を合わせる』を読んで以来著者に心惹かれる読者のひとりとして大宅壮一ノンフィクション賞&日本ノンフィクション賞に推挙されたにもかかわらず辞退したという著者の代表作『東京漂流』や『メメント・モリ』、『空から恥が降る』を立て続けに読んだあとの新作が本書です。


前述の作品群とあまりにも雰囲気が異なり、本書読了後藤原氏のイメージがかなり変化したことは否めない作品でした。


「『おねがいわたしをさがして』。
郷里・福岡で少女の写真展を開くためにモデルを募集した著者は、一枚の応募用紙に目をとめた。
自分の存在を肯定できずに、揺らぐ十代の少女たち。
その母親たちとのいびつな愛と憎しみ、そして救い・・・。
写真家ならではの視点から抽出した『渋谷』に象徴される現代の母娘、戦慄の縮図」


週刊誌に投稿するある種のルポライターのような世間受けする安易な題材をピックアップして取材対象に阿る・・・そんな感覚が消せども消せども最後まで払拭されずに読了しました。


著者が選んだ本書の主人公となる3人の少女たちは揃って肉親によって心身を傷つけられたことで現在のありえない自分を生み出しているという思い込みで今をもがいて生きている自称・トラウマを抱えた少女たち。


そんな少女たちに意思的に近づき、そして彼女たちを受け入れることで現在の日本の若者の風俗を解明するのに欠かせないと著者が考える日本の街・渋谷と関連づけて検証するという新しい試み。


著者はあるインタビューに答えて次のように語っていらっしゃいます。

「現実のどろどろした世界を歩き回って、『東京漂流』と『乳の海』を書いた。
少し先の世の中を透視したようなこともあったけど、最後はあきらめに近かったね。
それから美しいものを撮ることで、現実と関わろうと思った。
それがバリであり、少女だったんだ。

木食(もくじき・密教の修行僧の呼称のひとつ)が木を彫って仏像を作るように、少女という素材で仏像を作りたかった。
美化したい気持ちがあったんだよね。
それが地方の美しい少女でさえ、シブヤ的なるものの例外ではなかった。
家族の崩壊だったり、母親とのいびつな関係性だったりを抱えているんだ。

相手が生身の人間だから、逃げるわけにはいかなくなって、知らないうちにまたドロ沼にはまり込んでいたというわけ。
ただ『東京漂流』は世の中という大状況が相手だったけど、今回はピンポイントの小状況だから、流れを変えられる可能性もあると思った」


今の風俗の先端を代表する少女たちを扱い、その表面ではなく核である精神の中へ潜入する試みをしているのは評価に値すると思いますが、風俗を鋭く描いた他のルポとどのようにちがうのか、フジワラ的なものに大いに期待していたファンのひとりとしては少々肩すかし的な作品でした。

先日銀行の待ち時間に読んでいた雑誌にコーヒーの効用についての記事が出ていました。

紀元前にエチオピアで食されたのが始まりといわれていますが、6~8世紀にかけて中東・イスラム世界に広まり、発見当時から薬として用いられていたそうです。

日本には1700年代後半にオランダ人によって長崎の出島に持ち込まれたのが始まりで、現在は米国、ブラジル、ドイツに次ぐ堂々世界4位の消費国だそうです。


以前はカフェインには発ガン性があるといわれて敬遠されたこともありましたが、最近は健康によい飲み物として定着しつつあります。


肝臓がんについて、毎日飲む人の発症率は飲まない人の約半分になるという判定結果が厚生労働省研究班によって出されました。

2002年にはオランダの研究者によって糖尿病の発症を抑える効果も発見されました。

ほかに心臓病の予防効果もあり、自律神経に作用して血行もよくなるそうですが、専門家によると1日5杯くらいが上限とか。
よいことづくしのようですが、コーヒーに含まれるタンニンなどの成分は鉄イオンと結びついて難溶性の物質に変わるので、鉄分の吸収を阻害してしまったり、不整脈を助長するという研究も出ています。


コーヒーが大好きな夫は結婚当初、独身の頃からの唯一の財産のサイフォンを用いていましたが、やがてコーヒーメーカーになり、その後長くネルドリップを愛用、また最近コーヒーメーカーに戻って紙フィルター不要のイタリアのビタントニオを使っています。


コーヒー通にとってはネルドリップが最高といわれていますが、一回に淹れる量が限られるので大勢で飲むときはまどろっこしくなります。


私はコーヒーはほとんど飲まないので味音痴ですが、淹れたての香りをかぐのは大好き。


ある香料メーカーが香りをかぐだけで脳がリラックスすることを実験によってつきとめました。

特に高額なブルーマウンテンでその効果が高かったとか。


我が家では高価なブルマンはめったに購入しないけど部屋一杯広がる香りで何だかいいことが起こりそうな前向きな気持ちに一瞬なれます。


今も香りに押されてブログを書いています。


高山文彦氏著『父を葬る』


1995年『いのちの器』
1998年『「少年A」14歳の肖像』
1999年『火花 北条民雄の生涯』で第31回大宅壮一ノンフィクション賞&第22回講談社ノンフィクション賞受賞


「あの世とは、いいところらしい。
逝ったきり、誰も帰って来ない…。
故郷・高千穂での父親の介護と葬送の記録。
万物のいのちの声と向き合い生きるということをかみしめ、新境地を拓く意欲作。
渾身の書き下ろし長編」


60代後半からアルツハイマー型認知症に罹患した上、がんが発見された父親の看護のため故郷・高千穂と東京を頻繁に行き来しながら父親を看取るまで物心両面で両親を支え続けた長男である著者の悪戦苦闘の記録です。


生を育んだ高千穂で生を閉じようとする父親と、夫をこの世に引き止めることに凄まじいほどの執念を燃やす母を前に、著者は両親のみならず脈々と続く高千穂という地を生きる血脈の中に自分自身をも含めている自分に気づきます。
著者が息子として感じた父親の高千穂の土になりたいという意思によって二上山に散骨したあとの寂寥感と清々しさを著者は次のように記しています。


「死なれてみれば、血と肉はいままでなかったもののようにきれいさっぱり消え失せて、残された言葉だけが涼しげに立っている」


父親をあの世へ葬るまでの顛末記ではありますが、行きつ戻りつする著者の記憶を通して高千穂の地で育まれた1つの家族のありようがしっかり浮き彫りになっていて「家族とは」「故郷とは」という人間の根幹的なことを考えさせる作品となっています。


取材でウクライナへ行く著者が命の火が消えかかった父親に電話します。

「言葉など聞けなくてもいい、木枯らしの声でもいいから、話がしたかった」

「二上山にのぼって、アケボノツツジを見たとね。
いっぱい咲いとったね」と著者。

「ああ、ああ」と父。

「おれも一緒に見たかったよ、一緒に二上山にのぼりたかったよ」

著者のやさしさが溢れている作品です。

毎年楽しみにしている恒例の第一生命のサラリーマン川柳入選100首が今年も勢ぞろいしました。

新型インフルエンザやリストラ、事業仕分け、エコなど今の世相を反映した川柳が目白押し!


★つきつめて 理想の父が 犬になり (いじまろ)
       soft bankのお父さん可愛くていいですね、リードでどんな方向にも向かせられるし。

★賞金王 幼い息子に 夢託す (いつかは遼の父)
       遼クンどころか、幼いとき大器晩成型といわれた長男、雑草のまま枯れそう^^;

★節約と 人には言わず エコと言う (環境問題)
       便利でカッコイイ言葉、私も盛んに使わせてもらっています(^^)

★定年が あったらいいな 主婦業も (やりくりママ)
       どこの家庭でも夫とのけんかのタネ!

★エコライフ 行かず動かず 何もせず (後始末)
       エコを達成するには何もしないのが最上の方法、できたら呼吸も!




さて本日は糸井重里氏監修『言いまつがい』です。


糸井重里氏の人気のHP「ほぼ日刊イトイ新聞」上に連載されている人気No.1コンテンツで、読者が思わず口走った恥ずかしい「言いまちがい」を応募という形で集めて2003年に書籍化したものです。


ベッドの中で夜中に笑いをかみ殺すのに苦労した「言いまつがい」の数々。

いくつか披露してレビューの代わりとしましょう。


どうしてもっていうなら

    ファーストフード店でバイトをしていたころ、アイスティーの注文が立て続けにはいり、ずーっと「ミルクとレモンではどちらになさいますか?」と尋ねつづけていたところ、次のお客様が「ポテト1つ」と注文されたのに、「はい、ミルクとレモンはどちらになさいますか?」と聞いてしまいました。
お客様が戸惑ったように「どうしてもっていうならレモン・・・・」とお答えになったのを今でも覚えています(末)


いつものこと

     会社で「○○は、あいにく電話中です」と言おうとして、「○○は、あいかわらず電話中です」と言っちゃった。 電話の相手は「やっぱりねえ」と納得してくれたけど。(社内のスキ間家具)


おツトメ

     以前勤めてた会社で、ある朝、同じフロアの専務のHあての電話に、「申し訳ありません。
Hはまだシュッショしておりません」と言ってしまい、たまたまそこを通りかかった会長に「こらこら、Hハンを刑務所に入れたらあかんがな!」と叱られました。(あいこ)


今日からと言わず

     大学生の時、水泳部の大会の閉会式でいつも60歳くらいの支部長が挨拶をされるのですが、「この結果に満足することなく、今日からと言わず、明日から練習に励んでください」と毎回同じ挨拶でした。(アキコ)


緊張の場面     

     先輩の医師は研修医のころ、はじめて患者の死を看取ったとき、緊張のあまり「オダブツさまです」と家族に告げたそうです。「御臨終です」という決まり文句が思い出せなかったと。(pico)


漢字変換の軌跡

      某会社に資料請求の電話をかけたとき名前を聞かれたので、「奈良の奈に美しいで、なみです」、「主人は勝ち負けの勝ちに武士の士で、かつしです」ときちんと説明したつもりだったが、届いた資料の宛名は、「○○勝武士様・奈良様」となっていた。(匿名のかた)


喫茶店名か?

      「お名前は?」「オオタでお願いします」「漢字はどちらの漢字で?」「点のあるほうの太田で」
「あ、テノアール太田様でよろしいですか?」(ともさん)


いがらし

      日本橋のさるDPE店にて、若い店員に領収書を頼んだ時のこと。
店員「宛名は?」
私 「五十嵐でお願いします」
店員「えっ?」
私 「イガラシです」
店員は無言のまま2~3秒、私の顔を見て、渡された領収書には、へたくそな平仮名で「いやらし様」・・・・わかんなかったら、もう一回聞こうよ!(ひら)

先頃物入れの整理をした延長で雑紙などの整理をしています。


新聞や雑誌の興味ある記事の切り抜き、領収書関係、手紙類、メモ書きなど。


特に切り抜きは切り抜いたことすら忘れている記事がほとんどで、日進月歩の昨今、医学関係などの記事は1年もたつと記事の内容が古くなったり、何より自分の関心から外れたりしているものも多く、ネットでナビすればまたたく間に大量の情報が集まるので、大半が無用の長物となっています。


シンプル生活を心がけているので、けっこう大胆にものを処分してきましたが、いちばん処分を躊躇してきたのが手紙類、これはなかなか捨てられません。


昨年末、新聞の投書欄に躊躇の末大量の手紙類を処分した人の投書が掲載されていました。


自分にとっては大切な手紙でも遺族にとっては処分に困るゴミとなるもの、自分主導で処分する必要性を記した記事、共感を持って読みましたが、まだ処分には早い年齢と高を括っているところがだめなのかもしれませんね。


いずれそのうちにという未決のものを多く蓄えている日々。


未決のものの中には気にかかる人間関係も含まれていてこれがいちばんやっかいです。


最初は小さな齟齬のため疎遠程度だったのがいずれそのうちにと心の未決箱に保管しているうちに過ぎた年数分だけどんどん距離が広がってしまった人。


未解決を分析するといまだに自分を安全圏に置いてきっかけを作った相手を責める気持ちが消えない自分を発見して愕然とする繰り返しです。


今年こそ勇気を出して自分から声をかけてみよう!と小さな決心をしたところ。

実行に移さなければ!


本日は笹本稜平氏著『許さざる者』をご紹介します。


2001年『時の渚』で第18回サントリーミステリー大賞&読者賞
2002年『天空への回廊
2003年『フォックス・ストーン』
2004年『太平洋の薔薇』で第6回大藪春彦賞受賞
2006年『駐在刑事』など多数


このブログでも『時の渚』のレビューをアップしていますので読んでくだされば嬉しいです。

   http://yaplog.jp/ashy_ashy/archive/185


本書は父と子をテーマにした『時の渚』と同じくミステリーに属しますが、山が舞台の著者が得意とする山岳小説という分野にもリンクする内容です。


「絶縁状態の父,不審な死を遂げた母,自ら命を絶った兄.そして消えた保険金一億五千万円.家族の秘密が暴かれるとき,仮借ない運命の歯車が回りだす」


奥上州・藤原湖近くに生まれたアウトドア関係のフリーライターである主人公・深沢章人の元に6年前自殺した兄の妻を名乗る女性の依頼で弁護士が訪ねてきたところから長年封じ込めていた疑惑というパンドラの扉が開きます。


内容的には複雑様を呈している割に予想内の結末でしたが、幾重にも用意された伏線がお互い交差している上、冒険小説的なダイナミックさがともすれば非現実的な違和感に繋がって納得の読後感は得られませんでした。


主題の1つでもあろう兄弟の絆の深さについての描き方はさすがと思わせましたが、父との相克や邪悪な義母が現在に至った過程の筆運びが唐突でご都合主義的な感が否めず、『時の渚』で感じた以上の作話的な要素を強く感じた作品でした。

我が家はゲームが大好きな家族です。


長男がビー玉に興味があった年頃には正方形のコタツ板の四隅にマジックで陣地を描き、夫が考案したビー玉陣取りゲームをしたり、百人一首はもちろん各種トランプゲーム、花札、オセロ、億万長者ゲームなど家族でさまざまなゲームをしてきました。


父親の影響で早くから家族マージャンや囲碁をして成長した夫の嗜好的影響が大いにあったというところ。


マージャンに関しては私や子どもたちも早くから洗礼を受けましたが、身についたのは長男のみ。


夫を含めた3兄弟の長じての楽しみの中心となっている囲碁に関しては我が家の子どもたちの腕前は有段者の夫に比して掛け値なしの初心者止まり。



で現在集まったときはというと専ら安易なウノというアメリカからのカードゲームで盛り上がっています。


欧米の小説を読むと家族や友人たちが集まってお酒を飲みながらカードゲームをして楽しんでいる場面がよく出てきて、日本でももっと大人の遊びとして定着すれば高齢者の楽しみも増えるのにと羨ましくなります。


さまざまなゲームを網羅していますが今回これからご紹介する作品の準主役であるチェスは未経験。


作品を通してその哲学的ともいえる深遠さに圧倒されながら読了しました。


小川洋子氏著『猫を抱いて象と泳ぐ』


2008年7月~9月にかけて「文學界」に掲載された作品で、本屋大賞にもノミネートされています。


「天才チェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの密やかな奇跡の物語。
廃バスに住む巨漢のマスターに手ほどきを受け、マスターの愛猫ポーンを抱き、デパートの屋上に閉じ込められた象インディラを心の友に、チェスの大海原に乗り出した孤独な少年。
彼の棋譜は詩のように美しいが、その姿を見た者はいない。
なぜなら……。
海底チェス倶楽部、からくり人形、人間チェス、白い鳩を肩にとまらせた美少女、老婆令嬢……やがて最も切なく愛(いと)おしいラストへ。
めくるめく小川ワールドをご堪能ください」・・・・・文藝春秋HPより



著者によると、将棋界でタイトル七冠保持者・羽生善治氏との対談が本書執筆の直接の動機となりました。


将棋界の天才棋士といわれている羽生氏ですが、趣味のチェスではFIDE Masterの称号を持ち、現在日本国内1位で国内段位は6段だそうです。



上唇と下唇が繋がったまま生まれ切開手術を受け脛の皮膚を移植したため唇に脛毛が生えた独特の風貌で寡黙な少年に育った主人公・リトル・アリョーヒン。


体が大きくなりすぎてデパートの屋上動物園で生を閉じた象のインディラの切ない生涯と、壁の隙間にはまって出られなくなった女の子ミイラの境遇に深い哀れみの情を抱いて成長した彼が7歳のときに出会った廃バスで暮らす巨漢のマスターの手ほどきでチェスを習い、チェステーブルの下にもぐってマスターの飼い猫ポーンを抱いて次の一手を考えるという独特のスタイルで才能を開花させ、チェス界の天才で「盤上の詩人」といわれたアリョーヒンの再来として「盤下の詩人」と呼ばれるようになったリトル・アリョーヒン。


「大きくなること、それは悲劇である」


人生とチェスの師と仰いでいたマスターが太りすぎのためバスに閉じ込められたまま命を落としたことをきっかけに、大きくなることに異常な恐怖感を抱いた少年は自らの意志で11歳のままで体の成長を止め、あるときは秘密の海底チェス倶楽部で、あるときは山奥の老人クラブでアリョーヒンを模したからくり人形の中に入って対戦するという姿なき棋士としてチェス史上至高の棋譜を次々と残します。


物語の終わりに突然旅立ってしまった彼の一生は何と切なく儚いと思う反面、彼を愛する家族、そして彼を丸ごと受け入れて人生そのものを教えてくれたマスター、インディラ、ミイラ、ポーンに囲まれてチェスという大海を思う存分泳ぎきったのだと思うととても温かな気持ちにもなれるという不思議な魅力あふれる作品。



「チェスは詩。
チェスは海。
チェスは人。
駒の動きには、人の生きた証しがそのまま現れる。
だから最強の手が最善とは限らない。
チェス盤の上では強いものより善なるものの方が価値が高い」


黒と白の8×8の宇宙の中で無限に広がる可能性や自由を求めて少年が打つ美しくも繊細で崇高な棋譜。


チェスとともに密やかに、しかし強靭に、そして丁寧に生を育んできたリトル・アリョーヒンの生涯を、著者が一歩一歩丁寧に確かめながら心を込めて辿ったような足跡がなんとも瑞々しく切ない物語に仕上がっています。


2004年に第1回本屋大賞&第55回読売文学賞を受賞した著者の作品『博士の愛した数式』で繊細&丁寧に描かれていた数式の神秘的な美しさに相通じるような棋譜の美しさにチェスを知らない私ですら魅せられてしまうほどの慎ましやかな美しい文章でチェスの深遠さを語っています。



胸を打つ言葉の数々・・・例えば少年とチェスを出合わせてくれたマスターの言葉

「八×八の升目の海、ボウフラが水を飲み象が水浴びをする海に、潜ってゆく冒険だ・・・
チェス盤には、駒に触れる人間の人格のすべてが現れ出る・・・
哲学も情緒も教養も品性も自我も欲望も記憶も未来も、とにかくすべてだ。
隠し立てはできない。
チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ」


少年がマスターから初めてチェスノートをプレゼントされたときのマスターの言葉

「ゲームの記録はな、棋譜って言うんだ。
これが書き記されていれば、どんなゲームだったか再現できる。
結果だけじゃなく、駒たちの動きの優雅さ、俊敏さ、華麗さ、狡猾さ、大らかさ、荘厳さ、何でもありのままに味わうことができる。
たとえ本人が死んだあとでもな」


少年の得がたい対戦相手だった、ある老婆令嬢の言葉

「自分のスタイルを築く、自分の人生観を表現する、自分の能力を自慢する、自分を格好良く見せる。
そんなことは全部無駄。何の役にも立ちません。
自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。
自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません」



まだまだ溢れるほどの言葉の宝石が互いに自己を主張せず抑えた輝きを放っている、そんなすてきな文章の数々が集まってできた、荒々しい扱いを拒絶する繊細なガラス細工のような作品でした。


今年のイチオシとなるでしょう。

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