VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年04月

半年ほど前から運動不足解消を目的に週1で卓球をしています。


メンバーは7名ですが用事で欠席の人もいて全員が集まるのはなかなか。


当初はペンホールダーでやっていましたが、ほとんどの方がシェークハンドなので、1ヶ月ほど前から変えたシェークにやっと慣れてきました。


私がいちばん下手なので組んだ相手の方には迷惑の掛けどおしですが、少し前から参加されたAさんの巧みな誘導でラリーが少しだけ続くようになりました。


私より少し年長のAさんは卓球の腕前がすごい上、頼りになるお姉さまという感じでへたっぴぃの私を最大限に褒めてくださるのでやる気も出るというもの、身をもって体験しています。


「褒めて育てる」ことが人育ての真髄であるのはわかっていながら肝心の子育てに活用もせず、というより正反対なことをしてあえて不出来な人間を作ったような人育ての下手な私です。



この年で後悔しても先に立たずですが、せめて罪滅ぼしに孫に適用しようと褒めまくっています。


昨日は縄跳び10回連続跳達成、今日は自転車にひとりで乗れるようになったよという報告電話に「すごいね~!」を連発したところ、初めのうちは「SS(夫のこと)もすごいって言ってた?」と満足気にうなずいていたものの最後には「そんなにすごくないよ。 幼稚園ではみんなあすかよりもっと跳べるし、自転車も乗れるんだよ」との答。


さすが5歳児でも自分の立ち位置と褒め言葉のアンバランスに気づいたようです。


1回跳ぶのもやっとだったのを知っている私としては「すごい!!」という形容がぴったりだったのですが。


それにしてもあーちゃんママもパパも体育は5というのが取柄だったというのにどうしたことか。

もしかして隔世遺伝?


のっぽを利用して将来はバレーボールの選手かなと夫が馳せた夢ももうこの段階で儚く消えかかっています。


残るは本人の「ママみたくお化粧する人になりたい」という夢の延長でナオミ・キャンベルあたりを狙うのもいいかも。


夢だからいくら大きくても文句はいわせません。




さて本日は佐々木譲氏著『笑う警官』をご紹介します。


横山秀夫氏以来久しぶりに引き込まれた警察小説。


1979年デビュー作『鉄騎兵、跳んだ』でオール讀物新人賞
1989年『エトロフ発緊急電』で日本推理作家協会賞&日本冒険小説協会大賞&山本周五郎賞
1994年『ストックホルムの密使』で日本冒険小説協会大賞
2002年『武揚伝』で新田次郎賞
2008年『警官の血』で「このミステリーがすごい!」第1位
2010年『廃墟に乞う』で第142回直木賞


本書『笑う警官』は北海道警察を舞台の「道警シリーズ」の記念すべき第1弾『うたう警官』を映画化と文庫化に際し改題したものです。


「道警シリーズ」にはほかに

『警察庁から来た男』、『警官の紋章』、『巡査の休日』があります。


道警シリーズの第一弾『うたう警官』が世に出たのは、12年ほど前角川書店で編集者をしていた角川春樹氏によって『マルティン・ベックシリーズ』のような警察小説を書くよう勧められたのを受けて道警に取材を始めた時期にちょうど北海道警察内で現職の警部による覚醒剤の密売や拳銃のやらせ摘発、道警の裏金づくりという一大スキャンダルが発覚したことがきっかけだったそうです。


著者の警察小説の大きな特徴は「警察官VS犯罪者」という従来の構図を越えて、「警察官VS警察組織」の闘いに着眼している点にあり、犯罪者または犯罪者組織の闇以上に複雑かつ手ごわい警察内部の闇を描いているところに私たち読者が惹きつけられる真骨頂があるのではないでしょうか。


横道にそれてしまいましたが、本書のあらすじを簡単に記します。


ある場所で女性の変死体が発見され、北海道警察本部生活安全部の巡査と判明したところから事件がスタート。

容疑者は交際相手の津久井巡査部長と特定され、道警本部の指示で津久井に対する異例の射殺命令が出るにいたって、この決定に違和感を覚えたかつてのおとり捜査で生死を共にした佐伯警部補が相方の津久井の潔白を証明するために信頼できる有志たちとともに秘密裏に捜査をする一晩の物語。


「24 -TWENTY FOUR-」の緊迫した日本版というところ。


道警の汚職を告発するために北海道議会が開く「百条委員会」に翌朝証人として召喚されていることを津久井本人から聞いた佐伯は翌朝までのタイムリミットで津久井を無事に百条委員会に届けるため道警組織の堅牢な闇を相手に立ち向かっていく過程は息詰まるほどの臨場感がありました。



最後に本書の改題について

もとは『うたう警官』で刊行されたハードカバーですが、文庫化とを機に『笑う警官』に改題したのは前述の通り。

警官が「うたう」というのは「組織の内部を告発する」という警察用語。


本書の底に一貫して流れているのはこの「うたう」というテーマです。


「マルティン・ベックシリーズ」がお好きな角川春樹氏によって『笑う警官』という改題を勧められそれに従った旨著者はあとがきで触れていますが、なぜ「笑う」にしたのか読む前も読んだあとも首を傾げるばかり。


この改題の「笑う」の意味を作品につなげるために内容を思い起こしてみますが、いまだ疑問符だらけです。


『うたう警官』のほうがぴったりです。



友人からの電話。                                       

「たけのこいる?」
「いる」
「皮付きと茹でたのとどっち?」
「茹でたて!」

ということでラッキーにも茹でる手間が省けたので簡単にたけのこ三昧の夕食でした。

  

★たけのことふき、トリ団子の煮物
★摺りおろしたけのこのふわふわ揚げ
★たけのこご飯

いつも食べたあとで写真に撮るのを忘れたことに気づくのですが、今回はバッチリ撮りました。

写真はたけのこの煮物とふわふわ揚げ、珍しいシャコのお刺身です。 

ふわふわ揚げはネッ友の紫苑さんのブログで紹介されていたレシピを盗んだもの。


料理好きの彼女はおいしそうなものをよく紹介してくださるので、メモして作ることもしばしば。

一風変わった美味しさ! 酒の肴にぴったりです。

彼女のブログから拝借した「ふわふわ揚げレシピ」は次の通り↓

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――

@タケノコ 400グラムを摺り下ろして ボールに入れます

片栗粉 大さじ5
卵 1個
マヨネーズ 大さじ2
砂糖 小さじ2
塩 小さじ3分の1~2
薄口醤油 大さじ1

以上の材料を混ぜて 170~1180度の熱した油の中に カレースプーンで落し入れて揚げます
     ※タケノコ:根元の固い所を摺り下ろします。
小さくなっておろせない部分はみじん切りにして混ぜます。

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――

写真のお刺身はシャコと赤貝。

赤貝はありきたりですが、シャコをお刺身で食べたのは初めて。

新鮮なカニやエビのお刺身と同様、甘みとコクがあり大変美味しかったです。

地元では主に塩茹でにして手で剥いて食べたり寿司ネタにしますが、生がお勧、一度食べてみて!



さて本日は先日ちょっとご紹介した寒川猫持氏著『猫とみれんと』です。


改めて猫持先生の自筆の履歴書をご紹介すると


「昭和28年大阪府生まれ 病弱で小学校は休みまくり中学は遅刻の常習犯 高校で遂に壊れて中途退学 ドイツに渡るもすぐにこけて帰国 大検受験後一浪して医者の学校へ 話せば長いから措くが山本夏彦最後の弟子 
うた詠み 目医者
好きなもの→音楽 映画 将棋 活字 うまいもの それほどうまくないもの むかしドライブいまは食っちゃ寝 猫 かーちゃん ものくるる人」


1995年に自費出版した初の歌俳集『ろくでなし』を山本夏彦氏に贈ったことから交流が始まり、翌年出した本書『猫とみれんと』では冒頭に「賛辞をかさねる」という応援文が夏彦氏から贈られてています。


★尻舐めた口でわが口舐める猫好意謝するに余りあれども

★出前なし話し相手はさらになしもういくつ寝れば来るお正月

★あれも駄目これもダメよとやかましき妻の小言を聞きたかりけり

★ふたり遠く離れて暮らす昼と夜あなたは誰とわたしは猫と

★妻も去り子供も去りて残りしは猫と金魚に阿呆がひとり

★妻去りしあの日は妻に会わざりき今日は金魚の死に目に会わず

★木枯らしは吹けどボロ屋に閑ありて芋待つ猫に芋焼く主人

★わたくしのごとき阿呆を頼みとしすり寄る猫も阿呆であるか

★「おまえが歌なんか詠むからや」ついに震災もわが責任となる


にゃん吉や別れた妻、中年チョンガーのやるせなさを詠んだうたが連綿と続いて哀しさのなかにおかしみが溢れているというのが魅力。


ときには町医者の診療風景も・・・

★清正も肥後も知らずに笑ってるうちの看護婦ひろみとゆかり

★「よーセンセ」道路隔てた歩道より見えないはずの彼が手を振る

★自分から声掛けといてセンセとはもう離さぬと看護婦がいう

★暇でしょと決めつけられて看護婦に雑巾ボクは縫わされました

★医者ゆえにしんどいことも言い辛くガタガタになり申し候


全編を通してバツイチの悲哀、共棲みのにゃん吉への情愛、けっして清潔とはいえない中年チョンガーの日常が浮き彫りになっていて女性の私ですら大いなる共感が涌く作品集です。


この作品の初版が世に出た1996年から7年、2003年に刊行された文庫版へのあとがきで著者は恩師・山本夏彦氏を失った悲しみとともに、本書の主人公でもある20年連れ添った愛猫・にゃん吉の死の深い悲しみに触れていらっしゃいます。


★赤い日が仏陀よ海に落ちましたわたしの猫が今死にました

★貴君らにとりてはただの猫なりき吾にとりてはいのちなりけり



私も遠い昔の10代の終わりに愛猫・ふーちゃんを失って立ち直れなかった1年があります。

もう一度ふーちゃんに会えるならお金をためて地球の果てまでも会いに行きたいと思ったほど。


猫持先生もにゃん吉のふるさとの石川県羽咋市のにゃん吉の生家までにゃん吉に何とかして再び会うことはできないものかと訪ねたと記していらっしゃいます。

そしてしばらくして出逢ったのが現在のめいちまことメイちゃんだそうです。


めいちまは氏のHPでお目にかかれますよ。

     http://www.nekomochi.com/

今朝の新聞に目を引く訃報が2つ。

IOC前会長のサマランチ氏と免疫学者・多田富雄氏。


サマランチ氏に関しては、強行にIOCの定年規定を2度にわたり引き上げて会長に留まり続けたり、オリンピックを過度の商業主義に走らせた元凶としてのイメージの強い人でしたが、改めて経歴を読むと財政難に苦しむIOCの財政基盤を立て直すなど多大な貢献をされた人でもありました。


多田富雄氏に関しては、これはもう本当に残念です。


以前自己免疫疾患を患った私がある医師の手ほどきで免疫の仕組みについて学び始めたとき、抑制T細胞を発見した免疫学者として初めてその名前を知りました。

私たちの体を支えているT細胞には異物を攻撃するアクセル役のほかにブレーキ役のものがあり、両者がバランスを保ってはじめて正常といえます。

そのブレーキ役をする抑制T細胞を今から40年ほど前に発見されたのが多田氏。


自己免疫疾患はアクセル役の免疫細胞が暴走し、自己を攻撃することでこの名前がつきましたが、裏返せば多田氏の発見された抑制T細胞―サプレッサーT細胞ーの力不足のなせる技ともいえるほど、重要な役割を担っています。


にわか勉強では免疫の仕組みのほんのさわりしか学べませんでしたが、それ以来多田氏に注目して現在に至っています。


2001年に脳梗塞により声を失い、半身不随になられるという重度の後遺症に見舞われながらの命をかけての活動はすさまじいと形容するのがぴったりなほど。


2006年に厚労省が導入し全国で議論や批判の的となっているリハビリ日数期限制度を激しく批判、『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』も刊行されていて、打ち切りによって路頭に迷う患者の強い味方となっていらっしゃいました。


このような重い後遺症にもめげず多岐にわたって果敢に人生を開拓していらっしゃったというのに、またもや新たな病気・前立腺ガンで倒れられたことに大きな驚きと言い知れぬ憤りを感じています。


享年76歳  ご冥福をお祈りします。




さて本日は2001年に79歳で亡くなられた山田風太郎氏著『あと千回の晩飯』をご紹介したいと思います。


著者の他作品については過去に『死言集』『人間臨終図鑑�T』をご紹介していますのでよかったら読んでください。


生前の戒名は「風々院風々風々居士」、墓石には「風ノ墓」と刻まれているそうですが、その飄々とした人となりは「風」にぴったりという感じですね。


以前ブログの中で触れましたが、幼少時の両親との死別や青春時代の太平洋戦争、そして徴兵検査で丙種合格となったことなどにより、常にこの社会の部外者という意識を持ち続けた由縁と自ら語っていらっしゃいます。



「『いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと1000回くらいなものだろうと思う』
―飄々とした書き出しから始まり、端倪すべからざる死生観を開陳した表題作ほか、『アル中ハイマーの1日』『少年時代の読書』『昭和の番付』などを収録。
巧まざるユーモア、独創と卓見にあふれた随筆集」



74歳で得た糖尿病、パーキンソン病、白内障、前立腺肥大などによる闘病記にからめて死生観、日々の食事や晩酌のこと、文豪といわれる作家らの老後の生態などを日常語りの筆致で綴っていらっしゃいます。


生の中に常に死を淡々と受け入れている様子が言葉の端々に見受けられ、貴重なあと千回の晩飯も死も同じレベルだという見方には深い共感を覚えると同時にわが理想の境地です。


『人間臨終図鑑』と同様、何人かの著名人の晩年から死までを紹介している箇所には死というものを乗り越えたおかしみがあります。

例えば武者小路実篤氏の晩年について

「『人間にはいろいろな人がいる。
その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。
しかし人間には立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。
人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。
この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。
皆立派に生きてもらいたい。
皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。
皆人間らしく立派に生きてもらいたい』
一回転ごとに針がもとにもどるレコードのようなもので、果てしがない。
こういう状態で、武者小路実篤は九十歳で死んだ」


人間65歳説を唱えている氏の長寿に対する最大のブラックユーモアでしょうか。



「私は『鎮魂』という言葉がきらいだ。生者が死者のことを自分勝手に扱って、鎮魂のためと称する。
鎮魂とは、死者の最後の恨みをなぐさめるという意味だろう。
それが、まるで見当ちがいのことが多い。
葬式だって死者のためではなく、正者のための儀式である」


そして臨終に際しての人間最後の共感できる言葉として3つ選んでいらっしゃいます。

◇「うきこともうれしき折も過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる」
    (ひとり孤独のうちにあの世へ旅立った尾形光琳の弟でやきもの師・尾形乾山)
   
◇「コレデオシマイ」 (勝海舟) 

◇「口にまかせ筆にはしらせ一生を囀りちらし、今はの際にいふべきおもふべき真の一大事は一字半言もなき倒惑」
    (最後に近松門左衛門)


大家の方の死生観に共感すると書くのは恐れ多いと思いますが、風太郎氏の作品を通して伝わってくる死生観は自分の理想の死生観でもあります。


これら雑感を書かれた5年後に黄泉に旅立たれた氏。

『人間臨終図鑑』で多くの臨終記を編集された氏がどのような臨終を迎えられたのかとても興味があります。


「人生の大事は、大半必然に来る。
それなのに、人生の最大ごとである死は、大半偶然に来る」

「いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった。
初めからいなかったのと同じじゃないか、皆の衆」

「いまわの際に言うべき一大事はなし」


人生最後の大仕事である「死」も風太郎氏に語らせるとこんなモンなんですね。


随分気が楽になります。

昨夜ブログを少しずつ書いていたところ、急にフリーズしてしまい上書き保存はおろか終了もできなくなり仕方なく強制オフしました。


ずっと前内職で教材を作成していたとき、書き溜めた40ページほどの資料が突然フリーズ、泣きたいのを通り越してどうしていいやら茫然自失、やっと気を取り直して深夜だったけどSEをしている娘に電話でSOSを出し誘導してもらい、家にあるもう一台のパソコンになんとか無事に送ることができ事なきを得たことがあります。


その後もあれやこれやの数多くの失敗から小まめに上書きを繰り返さなければならないというのが骨身に沁みているはずなのに、相変わらず一行毎の上書きもせず失敗を繰り返しています^^;


今朝早速パソコンを立ち上げてみると、強制オフしたのに昨夜の文章がそのままワードの自動回復機能が働き修正ファイルに保存されていました。


以前ある時期からワードにURLを貼り付けたらそのままCtrlキーでナビできるのに感動していましたが、今回も更に加わってたすばらしい機能に手を合わせたいほど。


仕事の重要資料ではないのでもう一度書けばすむ程度のいい加減なものなのですが、もう一度チャレンジするという熱意はなく、もし消えていたら今回はアップを見送ろうという体たらくぶりに我ながら失笑という感じ。



さて今回は柳沢有紀夫氏著『日本語でどづぞ 世界で見つけた爆笑「ニホン」誤集』です。


レビューというよりこんなのがあるよという感じの軽いご紹介です。


「日本文化が世界中でますます注目を浴びる昨今。
だがしかし、世界では間違った日本語や日本観がはびこっている。
その怪しさに魅了された著者が、世界各国から目撃情報を募ったら、驚くべき実態が明るみに!?
旅先や海外暮らしで見つけた、奇想天外な「爆笑」日本語を一挙公開!どづぞ、お楽しみださい」


著者・柳沢有紀夫氏はオーストラリア・ブリスベン在住のライター。


海外の街角の看板やレストランのメニュー、スーパーなどで売られている商品に書かれているヘンな日本語表記を集めたもの。


ほぼ日刊イトイ新聞の『言いまつがい』や『オトナ語の謎』と同類の爆笑本を期待していましたが、少々期待はずれでした。


「世界」と銘打っていますが、著者が住むオーストラリアでの迷表記がほとんどを占めています。

とはいえ中にはシュールに笑える表記もいくつか。


著者がオーストラリアのケアンズのバス停のベンチで遭遇した看板の日本語表記がタイトルの由来だそうです。

それをきっかけに著者が運営するウェブサイトで世界中の仲間から情報を募った結果の本書。


少しピックアップして本日のレビューの代わりとしましょう。


★「エしペーターで1階へどラざ」 (香港のマッサージ屋さんの看板に)

★「美味しくて止まらないソーダクッキー
  パリパリな感じ、味が香しい、薄い味
  あなたの食欲を誘うこの一間医、是非試して見て下さい。
  満足及び幸福な感じ、顔に溢れている。」 (オーストラリアでお菓子のパッケージに)

★「YOU ARE HERE ぁたたけここにぃろ」 (中国のホテルの非常の際の避難経路を示すパネルに)

★「よりすぐった大豆を炭火を使って育てました。
  カップの底にディンプルを施し、さらにおいしくなった納豆です」 (台湾製納豆こんにゃくビスケットに)

★「すつぼい梅」 (タイのスナック菓子に)

★「キーうイつルーツ」 (タイの八百屋さんの商品に)

★「風邪は飲む」 (パリのカフェの日本語のメニューに)

★「必ずしも続かれない私達のワイン。
  起源および年を知りたければウエーターに尋ねなさい。
  彼は開始の前にびんを示す」 (パリのレストランのメニューに)

★「Plain Rolled Wafer $.80  平野はウエファー 0.80c
  Choc Rolled Wafer $1.10 チョコレートは転がされたウエファーを満たした $1.10」 
                       (オーストラリアアイスクリーム屋さんの看板)
   

今年の4月18日の結婚記念日は前倒しで醍醐桜見物と奥津温泉に行ったのに加えて当日は夫のプレゼントのにぎり寿司のディナー、そして私はお返しにジャズ好きの夫のためにナベサダのコンサートチケットをプレゼントしました。

そのコンサートがあったのが昨夜。

ワンドリンク付の小さな会で、力強い渡辺貞夫さんのアルトサックスやクインテットのメンバーの絶妙なセッションを堪能してゴキゲンサンで帰宅。


帰宅してからほろ酔い夫がネットでナベサダの年齢を検索して77歳と判明、その肺活量のすごさに驚いていました。


一芸一生、日本画家の小倉遊亀さん、彫刻家の棟方志功さんから見るとまだ若者という年齢ですが、ひとつのことを追い求める人の生を支えるエネルギーのすごさは凡人には計り知れないものがありますね。


本日ご紹介する作品の著者も82歳。

ついでに佐藤愛子氏86歳、曽野綾子氏76歳、五木寛之氏81歳!@@!


私の中ではまだまだ壮年と思っていた方々が軒並み高齢になっておられるのにただ驚くばかり、自分の年齢を考えればわかることなのに!


田辺聖子氏著『楽老抄(4)そのときはそのとき』


「人生の機微を描く楽老抄シリーズ第4弾
老後も死にざまも、そのときはそのとき。
人の一生を楽しくする秘訣とは何か? 
それは『恕』心でゆるす、ということ。人生の抜け道、出口を、知らぬまに教えてくれる温もりに満ちた名エッセイ」


カモカシリーズやハイミスの恋愛模様、中年男の悲哀などをテーマの著者の作品をたくさん楽しんできた読者としてはいつまでもわが意を得たりの中年の機微を描いてほしいと欲深く思っています。


本書は様々な商業雑誌に掲載されたエッセイを1冊にまとめたもの、物書くつれづれに交流を深めた編集者や作家との思い出、亡きご主人との思い出話、ライフワークの古典文学の話や少女のころの生家の思い出そして日常のつれづれに思うことなどがじっくりした味わいある平易な文章で綴っていらっしゃいます。


このエッセイで特に興味深かったのは歌人・寒川猫持先生精神医学者・頼藤和寛先生を紹介した文。


お2人とも本書を通して初めて知った方々。


猫持先生においては早速amazonでその著書を買ったほど魅了されてしまいました。

ご自分のことを〈歌人〉ではなく〈うた詠み〉と称されている本業目医者である猫持先生の経歴を見ると、猫を愛する59歳のバツイチ独身。
         http://www.nekomochi.com/


★にゃん吉よお前が死ねばボク独りなんでんかんでん死なねでけろ

★もみじ饅頭一個くわえて走ってるあの縞縞がうちの猫です

★僕ですかただ何となく生きているそんじょそこらのオッサンですよ

★おーいお茶、風呂に入るぞ飯食うぞぼちぼち寝よかこだましており

★墓碑銘にこう書いてよねダメ男だったが猫を見捨てざりきと


猫持先生の作品はいずれまた改めてご紹介したいと思いますが、猫持先生について著者は次のように書いていらっしゃいます。

「猫持先生のお歌は、一首を知るとまた、ひとつ知りたくなり、誰も彼もが自分にも今すぐこんなのが詠めそうなたかぶりをおぼえて親近感をもつ・・・
〈子連れ狼〉ならぬ〈猫連れ狼〉(もちろん、狼というたけだけしいイメージではないが)、孤影飄々・・・
中年、バツイチ、ひとり者。
オトナの男の詩情をそそらずにいない条件」



もうひとりの頼藤和寛先生について

多年、産経新聞に「人生応援団」なる身上相談を担当していられ、その回答がまことに痛快で小気味よく、文辞また玲瓏、一点の私心もないところがあると紹介されています。


また頼藤先生の著書『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』にふれてその死生観の中に人生の大きな示唆を与えれたと記していらっしゃいます。

「先生の解明された真理『あらゆる差異は烏有に帰する』という報告ほど森厳な発見があろうか」

機会があれば頼藤先生の著書も読んでみたいと思っています。


先日ブログでシンプル生活への指針本『断捨離』について書いたところ、それを読んでくれた兄嫁が購入し読後に回してくれました。


やましたひでこ氏著 『新・片づけ術 断捨離』

著者の肩書きはクラター・コンサルタント。


はてさてと「はじめに」を読むと・・・クラター=clutter=ガラクタのこと、住まいと心のガラクタをコンサルティングすると解説されています。


加えてヨガの行法哲学「断行」「捨行」「離行」を通して気づいた究極のメソッドが「断捨離」であると定義。


「モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」


この辺りまで読んであまりの説明的な記述にちょっと引きかげん。


今まで出版されている整理術に関する本はカラフルな写真付でキッチンやリビング、子ども部屋に分けて整理前と後の様子を具体的に紹介して読者のやる気を喚起してくれていましたが、本書においてはそれがほとんどありません。


写真に関しても著者の片づいた住まいの様子が3点と、「断捨離」体験者のbefore&afterの2組の写真のみ。


決定的に従来の整理術本とちがうのは、整理や処分という行為の前に立ちはだかる巨大な壁であるモノを捨てることへの罪悪感というものに迫ってモノと私たち所有者の関係から掘り起こしているところ。


「大切な人にもらったから」「もったいない」という捨てる後ろめたさの免罪符は面倒くささの免罪符、あるいは執着と説きます。


「使いこなせていないモノを堆積させている」=「モノを愛おしんでいる」と勘違いしている人への鋭い指摘は捨てるという行為に常時付きまとう後ろめたさを突き破り一歩踏み出すきっかけ作りとしてはすばらしいものですが、そんな精神論的整理術への導入が講演会でのスピーチの延長のように冗長に続いていて最後まで細かに読む意欲を失くすほど。


「『断捨離』したら…
・仕事の効率が上がる
・早起きが楽しくなる
・素敵な偶然が増える
・自分を好きになる
そう、新しい世界がはじまるのです」


私も引っ越しなどを契機に今まで数々のモノを処分してきた経験から「素敵な偶然が増え」「自分を好きになる」のは大げさな表現だと思いますが、「仕事の効率が上がる」のは共感、目的のモノを探すエネルギーが短縮されます。


家にストックしているものがどれだけあるかがすべて頭に入っていれば、次に取る行動がとてもシンプルになります。


これから必要なもの、必要でないものが一目瞭然な少ないストックこそ風通しのよい生活の一歩だというのも大いにうなずけますが、そんなシンプルなことを大上段的なタイトルで、しかもクラター・コンサルタントという首を傾げるヨコ文字を使って目を引くあたり、へそ曲がりな私はコマーシャル術の巧みさとあざとさを感じてしまいました。


ただ著者が「総量規制の法則」と名づけているゆとりのある収納はとても参考になります。

見えない収納は7割
見える収納は5割
見せる収納は1割

どの収納にも空いた空間を常時確保することの難しさと必要性を感じながら「断捨離」がんばりましょう!


写真は以前長く習っていたアートフラワーの道具や作品を思い切って廃棄して、記念に残した唯一のアートフラワーの形見です。

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