VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年05月

ブログが結ぶ縁で親しくしていただいているトコさんの日記に文部省唱歌「鎌倉」の歌詞が出ていました。

鎌倉行きの江ノ電に乗ったときご一緒した友人の方が口ずさんだもので懐かしかったそうです。


♪七里ヶ浜のいそ伝い 稲村ヶ崎名将の 剣投ぜし古戦場
♪極楽寺坂越え行けば 長谷観音の堂近く 露坐に大仏おわします
♪由比の浜べを右に見て 雪の下村過ぎゆけば 八幡宮の御社
♪上るや石のきざはしの 左に高き大銀杏 問わばや 遠き世々の跡
♪若宮堂の舞の袖 しずのおだまきくりかえし かえせし人をしのびつつ
♪鎌倉宮にもうでては 尽きせぬ親王のみうらみに 悲憤の涙わきぬべし
♪歴史に長き七百年 興亡すべてゆめに似て 英雄墓はこけ蒸しぬ
♪建長円覚古寺の 山門高き松風に 昔の音やこもるらん


私自身特別に歌に詳しいとも記憶がすぐれているとも思いませんが、「鎌倉」のように昔小学校で習ったり、聴いたりした日本の童謡や世界各国の歌が流れてくるといっしょに唱和できるのに驚くことがよくあります。



4月、醍醐桜を見るため県北を訪れた際、途中通った院庄を見て思い出したのが「忠義桜」。 


鎌倉時代末期元弘の変に際し倒幕に失敗し囚われの身となり隠岐に流される途中の後醍醐天皇を奪回しようと跡を追った備前の武将・児島高徳が厳重な警備のため目的を果たすことができず、せめて志だけでも伝えようと、天皇の宿所の忍び込み、庭の桜樹の幹を削って中国越王勾践の故事に因んだ十字の詩を書いたという言い伝えに材をとっています。


♪桜ほろ散る院の庄 
遠き昔を偲ぶれば 
幹を削りて高徳が 
書いた至誠の詩がたみ 
(詩吟)天莫空勾践時非無氾范蠡
(天句践を空しゅうするなかれ ときに范蠡なきにもあらず)

 
この話は院庄の忠臣・児島高徳の故事として知られ、すでに江戸時代には、津山森藩の家老で「作陽誌」を編纂した長尾勝明がこれを顕彰して「院庄胎文」を著しているそうです。


特に習った覚えがないのに、哀愁を帯びたメロディーとともに歌詞が口をついて出て我ながらびっくりしてしまいました。


「天莫空勾践時非無氾范蠡」という漢詩の部分は意味がわからなかったので調べてみました。


2500年ほど前の中国、越の国が戦争に負け、捕らえられた国王の勾践(こうせん)を苦労の末助け出し国の再興に尽くした范蠡(はんれい)という家来を高徳が自分に見立て、後醍醐天皇を励ましたという言い伝えだそうです。


土井晩翠作詞の「荒城の月」などとともに昔の歌詞には曲なしでもすばらしく味わい深いものがたくさんありますね。




さて本日は浅田次郎氏の最新作『ハッピー・リタイアメント』をご紹介します。


久々のお笑い系エンターテインメント炸裂の作品です。


本書執筆のきっかけについて浅田氏はインタビューで次のように語っていらっしゃいます。

「小説の『プロローグ』に書きましたが、自宅に三十数年前の借金取りがやってきたんです。あれはほぼ実話で、税理士に裏を取らせたんだけれども、ちゃんとした機関の人間だった。法的には時効の借金でしたが、引っ込みが着かなくなって、払ってしまった。それが悔しくて、小説で何とか取り返してやろうと思ったんです」


若き日の浅田氏の借金踏み倒しの肩代わりをした債権保証機関JAMSが時効になった借用書の書類上の手続きをするための来訪でしたが、時効とはいえ道義的責任を感じた浅田氏が現金で支払ったことから小説の構想が浮かんだといいます。



主人公は定年を4年後に控えたノンキャリアの財務官僚・樋口慎太郎と愚直だけが取り柄の自衛官・大友勉の「慎ちゃん&ベンさん」。

2人が元財務官僚理事・矢島が君臨する業務実体のない債権保証機関JAMS(全国中小企業振興会)に斡旋され天下りするところから物語がスタートします。


仕事派書類の保管のみ、ノルマなし、昼寝&自由時間&法外な給与と退職金ありのこの世のパラダイスに馴染めない2人の教育係となった矢島の秘書兼庶務係・立花葵から提案された秘密のミッションが巻き起こす騒動をコミカルに描いています。


浅田氏がインタビューで述べていたプロローグで浅田氏のもとに30年前の借金の問い合わせに来訪したJAMSの社員が登場しこの物語の幕開けを示唆、虚実ないまぜにして臨場感を盛り上げています。


葵から提案されたミッションとは「時効を過ぎた債権回収」。


浅田氏同様、紆余曲折を経て現在は成功者として社会生活を営み若い時代の苦い経験を一刻も早く忘れたいと思っている小説家や外食チェーンのオーナー、カリスマ・ガーデナーから回収成功。


そんな社会の成功者とは真反対の人間として登場するのが6畳ひと間に暮らすその日暮らしの契約社員の話に得意の競馬の話題を盛り込み、どんでん返し風人生の奇跡を描いていますが、やや浅田氏のサービスしすぎの感あり。


現代日本の天下りをテーマに、その天下り先・JAMSの設立を指導したのがGHQであり、マッカーサーがJAMSを訪れ、陰の主役級の女性と交流したというエピソードを織り交ぜたりのストーリーテラーとしての浅田氏の腕には感服しますが、途中からエンディングにかけては「それはないだろう」という奇抜すぎの違和感が拭えませんでした。

魚屋さんでカマスとサヨリが安かったので一夜干しにしました。 


カマスは冬の魚ですが、サヨリは春から秋にかけて漁獲され3月から5月が旬の魚。 

スマートで気品がありますが雑食系の上、腹の内側が真っ黒なので「見かけは美しいのに腹黒い人」の代名詞とされることで有名です。

下あごの紅色が鮮やかなのが鮮度の尺度。

寿司ダネや天ぷら、塩焼きなどに幅広く用いられている白身の淡白な魚です。


魚中心の我が家ではカマスもサヨリも特に好みではありませんが、干物にしたものは好きです。


どちらも内臓が取りやすい背開きでうろこ&内臓を取り除き、水500ccで大さじ2杯程度の塩水に浸けます。

20分~1時間、浸ける時間によって干物にしたときの塩加減が変わってきます。

好みの時間で浸けて取り出し、水分をキッチンペーパーで拭き取り、天日干したり、冷蔵庫で干したり。


冷蔵庫だとラップなしで裏表に返して3、4日、また吸水シートで包めば一晩冷蔵庫に寝かすだけでおいしい干物ができあがります。

今回はカマスは冷蔵庫で、サヨリは天日で干しました。


カマスは旬を過ぎているのかふっくらした割には油があまり乗っていませんでしたが、サヨリはほどよい塩加減で酒肴に最高でした。




さて本日は角田光代氏著『森に眠る魚』をご紹介したいと思います。


私が参加しているSNSの読書コミュニティでも度々話題になっている本書、図書館でいつ検索しても貸出中でしたが、先日運良く在庫にぶつかりました。



角田氏の作品はいくつか読んでいますが、『対岸の彼女八日目の蝉の読後感がとてもよかったので評判の本書も是非読んでみたかった1冊でした。






「東京の文教地区の町で出会った5人の母親。
育児を通してしだいに心を許しあうが、いつしかその関係性は変容していた。
―あの人たちと離れればいい。なぜ私を置いてゆくの。そうだ、終わらせなきゃ。
心の声は幾重にもせめぎあい、壊れた日々の亀裂へと追いつめられてゆく」


読み始めてすぐに10年ほど前東京都文京区で起きた「音羽幼女殺害事件」が頭に浮かんだほど似通った設定。


育ちも生活レベルも違う5人のママが幼稚園などを通して知り合い、当初はそれぞれの出会いに胸躍らせ、友情を育んでいくかにみえたのも束の間、小学校の「お受験」をきっかけに理想的と思えた関係に次第に亀裂が入り、それぞれが疑心暗鬼の地獄に囚われていくという物語。


友情、センスある生活、また逆に地に根を下ろした堅実な生活、そして子育てに関するスタンス、夫との関係、生き方に対する価値観などなど、一時は普遍とも思えたものが信じられないほどいとも簡単に崩れ去ってしまうという微妙な心理のあやを巧みに描いていています。


子どものためという名目のもと、自分の欲求を子どもに託して修羅にもなる母親の心理を体験済みのように緻密に描ける著者。


改めて経歴をまじまじ見てしまうほど。

芥川賞作家・伊藤たかみ氏との離婚のあと、ミュージシャンと結婚して現在に至っている様子、どうやら子どもはいないようです。


デフォルメされているものの、5人の女性の中に読者が共有する一部があるというのが、この作品が多くの読者に支えられている所以なのだと納得できます。


手繰り寄せれば私自身の心の奥の深い森にそんな魚が眠っていた時期が確かにあったような気がします。


5人の女性はそれぞれに当初求めていたはずの目的からどんどん遠ざかり、果ては何を求めていたかも見失い、深い森へと迷い込んでいく過程は程度の差こそあれ、共感できる部分でもあります。



寺のトイレで被害者の幼児に手をかけたという現実のモデルとなった事件を彷彿とさせる場面では、出口の見えない闇に囚われた心理を夜の闇に彷徨う「彼女」として描いていて現実に起こった事件と同じような過ちを犯すのではないかという掴みどころのない恐怖感を読み手に感じさせながら唐突に半年後の最終章に変わります。


5人の誰とも特定されていない名前のないその「彼女」とは誰か?

私のみならず、読者の方々はその「彼女」を求めてそれまでの物語を反芻されたのではないでしょうか。


にもかかわらず「彼女」の姿のベールが剥がせないまま、物語は最終章を迎えます。


結論として私なりに、何かをきっかけに顔を覗かせる誰の心にも潜む修羅、時には犯罪すれすれの行為をせずにはいられないという修羅は5人それぞれにあり、「彼女」は5人それぞれの一部であるという暗示を読み取りましたが、深読みだったのでしょうか。


それはさておき、最後のところでそれぞれが地獄を回避して再生への道を歩み始めるところで終わっているところが救いの作品でした。

     
母のところに通うのに毎日のように同じような道を歩いていてもいろんな発見があります。


昨日まで営業していた店舗にシャッターが下りていて閉店の貼り紙が貼られていたり、先日まで居酒屋だった店が韓国料理の店として華々しく開店していたり。

母の住まいの周りには飲食店が多く、しかも様変わりの周期がとても速く目まぐるしいほど。



私が子どもの頃、同じ町内にあった日活系の映画館。

館主が母と親しかったので度々無料でチケットをもらっていました。


高校生になったら生意気にも観るのは洋画専門となりましたが、中学生の頃は学校から帰って石原裕次郎主演の映画を観にいくのを楽しみにしていました。



時は流れ、映画そのものが斜陽になりテレビに移行するようになって、その映画館も館主が替わり、健全な映画上映からいつしかポルノ専門の映画館として寂れた風情の中にも経営が成り立っているようでしたが、つい先ごろ前を通りかかったら完全にリタイアしていました。


活動していた頃は扇情的なポスターを見ないように、そしてこっそり入館する人々と視線が合わないように、なるべく前を通らないように努力していましたが、時代の波に乗り切れなかった残骸を見るとまた1つ時代の火が消えたような感慨を覚えています。


こうして次々様変わり、代替わりして時が経過していくのでしょうね。


風前の灯の実家の灯も、私自身もやがては消えていくのがこの世の倣いというのは理解していますが何だか寂しさを誘います。




さて今日はそんな映画界全盛時代に生きたスターを主人公とした作品です。


林真理子氏著『RURIKO』


著者へのインタビュー記事によると、以前NHKのドキュメンタリー番組「父の面影を追って 浅丘ルリ子・中国への旅」を通してルリ子さんの父親である浅井源二郎氏の生きた足跡に興味を持っていたという下地があったところ、角川歴彦氏からの提案が発端で是非書いてみたいと思ったそうです。


「お父さんが満州国の官吏だったということを知っていたので、満州映画協会理事長だった甘粕正彦と結びつけて書いてみたいと思いました」



関東大震災の混乱期、無政府主義者・大杉栄と伊藤野枝を虐殺した甘粕事件で悪名高い甘粕正彦とルリ子の父親が昭和13年に満州国外交使節団の一員として共に訪欧団に参加しているという接点に注目した著者の物書きとしての創作魂が刺激されたとあります。


それを証明するように、この作品は満州国官吏の職を得て10年になる源二郎と、溥儀が名誉総裁を務める協和会の総務部長であり満映の理事長という肩書きの甘粕との交流から筆を起こし、のちのルリ子となる4歳の信子の印象を甘粕の口からこのように語らせています。

「私はあんなに綺麗な女の子を見たことがありません・・・
私は信子ちゃんが大きくなるのを楽しみにしているのです。
信子ちゃんが成人したら、きっとこの満映のスターになってくれるだろうとね」


この導入部分で歴史上の知名度の高い甘粕正彦を登場させてルリ子の将来を暗示させるという点で著者の巧みな構成力には脱帽します。


ともすれば週刊誌ネタのゴシップの羅列と見紛うきわどさのあるその後の延々と続くルリ子自身の独白内容をこの導入部が多少なりとも和らげているという点で作品全体に与えている影響は大です。


林氏はルリ子をどのように描きたかったのか。


この作品を通して立ち上がってくるルリ子は赤裸々に男遍歴を綴っているにもかかわらず生身の人間としての実像というより、映画界全盛の黄金時代が作り上げたスターという名の虚像を描いているようです。


一読者である自分のこのような受け取り方が著者の意図と一致するものかどうか知る由もありませんが、映画の黄金時代小~中学生だった私にとって、作品に登場する若き石原裕次郎や小林旭、北原三枝、美空ひばりなどのスターの虚像を剥ぐような数々の逸話は率直にいって興味深いものでした。



ある人物の評伝を書くとき、その人物は書き手である作家の意図によって幾様にもデフォルメされますが、林氏は対象者に必要以上の思い入れを持たず、かといって負の感情を持たず、適度の距離を置いて淡々と追っていると感じさせるスタンスには共感を覚えました。


「RURIKO」という女優の息を飲むほどの表面の美を作品の骨子に据え、それゆえ存在に価値があるという論理を決して厭味とは感じさせず、しかも繰り返し繰り返し作品を通して語っているのは見事ですが、私を含めた大部分の読者はゴシップの延長としての興味で読了するのではないでしょうか。



「人物を描くうえで、いろんなアプローチ方法があると思いますが、『RURIKO』は評伝ではなく、小説家としての私が浅丘ルリ子という女優さんの半生にアプローチをした作品です」

巻末にこう記されています。

「本書は著者の取材に基づいて、実在の人物をモデルに書かれたフィクションです」

掃除や洗濯、山菜のアク抜きなどに大活躍の重曹。

「重曹の使い方」というURL  を見るとまだまだ盛りだくさんですね。


私の最近のイチオシは歯磨き粉。  


重曹だけのシンプルなものや、練り歯磨きが好みの方は[重曹3:グリセリン1]の割合で練ったもの。

好みでハッカ油を数滴たらしたり、クローブを数個砕いて混ぜたり。


ちなみに私は[重曹4:シナモン1]の割合で混ぜた粉状を使用しています。

重曹独特の塩味が気になる方はお勧めできませんが、歯のツルツル感&爽快感に加え何より飲み込んでもOKという安心感が何よりです。


またお菓子などに用いるシナモンは単体で用いても抗菌作用のほか体を温めたり、解熱、鎮痛作用、消化器系の機能を活発化する上、血糖値を下げる効果もあるそうですが、シナモンとハチミツを組み合わせると効果がすばらしくアップするという研究結果がずっと前カナダの雑誌Weekly WorldNews で発表され話題になったそうです。


主だったものをご紹介してみます。

★関節炎
蜜1+微温水2+シナモン1をペイスト状にして患部に塗布、マッサージする。
またコップ1杯の熱い湯水に蜜2、シナモン1を入れて毎日飲む。

★膀胱炎
シナモン2+蜜1をコップ1杯のぬるま湯に溶き飲む。

★歯痛
シナモン1+蜜1でペイストを作り、痛む歯に1日3回痛みが治まるまで塗る。

★風邪
蜜1+シナモン1/4を3日間服用する。

★心臓疾患
朝食用に蜜1+シナモン1のペイストをパンまたはチャパテイーの上に乗せる。
動脈中のコレステロールが減少し、心臓発作の危険性を低下させる。

★免疫機能
蜜とシナモンを混ぜて毎日服用することで、免疫機能が高まり、身体が細菌やウイルスの攻撃から守られる。

★消化不良
シナモン1に蜜2を食前に服用する。






さて本日のレビューは関川夏央氏著『女流 林芙美子と有吉佐和子』です。


本書は2002年11月~2006年6月にかけて月刊誌「青春と読書」に掲載されたものに加筆・修正したもの。


「『放浪記』で戦前の文壇に登場し、一躍時代の寵児となり、戦後に怒涛のように作品を生み出して彗星のように去った林芙美子。
高度経済成長とともに早熟な才女としてデビューし、『恍惚の人』『複合汚染』などで流行作家となった有吉佐和子。
二人の「女流」作家が駆け抜けるように生きたそれぞれの「昭和」とはどんな時代だったのか…。過剰なまでに個性的で生命力にあふれた人間像を鮮やかに描く」


林・有吉両氏の作品やさまざまな資料、評伝、あるいは雑誌等に掲載されたそれぞれの対談の内容などから時代背景を踏まえて両氏のひととなりや生き方に迫った評伝です。


著者・関川氏は本書執筆の動機をあとがきで次のように書いていらっしゃいます。

「才能があって過剰なまでに個性的、そして生命力にあふれすぎた『女流』、ただし後進ギアを持たず、またエンジン冷却装置に構造上の難点があった『女流』、彼女たちの人生に対する愛惜の念と彼女たちが生きた時代への興味、それらを動機として私はこの本を書いた」


また林芙美子の戦場での愛を描いた長編小説『ナニカアル』を刊行したばかりの桐野夏生氏との対談でも林芙美子に興味を持った動機について関川氏は「彼女みたいに元気、というか無道徳な人は、日本近代文学中の特異点でしたから」と語っていらっしゃいます。


文芸至上主義的というもので支えられていた近代文学を無視して天衣無縫に幼い頃の行商体験の延長のように戦地に出向いたり、パリに行ったりの旅を繰り返して小説のネタを仕入れていたという見方。


古里を持たず、旅を含める行商が彼女の人生だったと関川氏は語ります。


「故郷が鹿児島にも北九州にもないという意味だけではなくて、生き方のモラルという『古里』が生まれながらにないってことだと思う、性のモラルも含めて」


145cmの小さい体でこれと狙った男を射止めるための努力を惜しまず、性に対してもアナーキーだった芙美子の正式の結婚相手は生涯を添い遂げた画家・手塚緑敏だけでしたが、交情を結んだ相手は相当の数に上るといわれている男遍歴。


持病の心臓病のため突然と見紛うような死に見舞われたのは47歳。


葬儀委員長での川端康成氏の告別の辞は聞いたことのないような異例の内容ながら芙美子に対する生前の周りの人々の評価を端的に表しています。


「故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、あと一、二時間もすれば林さんは骨になってしまいます。
死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許してもらいたいと思います」


こうして多くの作品を世に残して激動の人生を駆け抜けた芙美子を資料を元に詳しく描いて興味深い内容となっています。



もう一方の有吉佐和子。


有吉に関してはその評伝の元となった作品も数多く読んでいる上、彼女のエキセントリックさを語るとき常に俎上に上げられているタモリの「笑っていいとも」出演場面を偶然観ている自分にとって目新しい内容ではありませんでしたが、若い頃の鮮烈デビューの結果周囲に許された天衣無縫ぶりが年とともに周囲を辟易とさせる異様なまでの強引さと執拗さに変質していった様子が詳しく描かれています。


彼女の愛すべき人間性が引き出されたとされるニューギニア奥地での1ヶ月の暮らしを描いた『女二人のニューギニア』は魅力満載の爆笑旅行記として今でも心に残る大好きな作品の1つですが、その後ベストセラーとなる『複合汚染』を上梓したのを契機に有機農業に関心を深めた著者が自然に有機農法を実践しているはずの中国農業への期待からのちの『中国レポート』のもととなった中国人民公社への体験入社を望んで中国入りしたのが47歳のとき。


中国側との不協和音で望んだような取材が得られず、不安と焦燥で爆発しそうな所在なさを和らげてくれたのが当時ボストン交響楽団の音楽監督兼常任指揮者として中国に招かれていた小澤征爾氏という交友関係も興味を惹かれます。


興行師・神彰氏との短かった結婚生活と破綻、ひとり娘・玉青さんと母・秋津さんとの3人の生活、終生離せなかった不眠のための睡眠剤のことなど様々な資料から取り寄せた逸話をまとめるという作業を通して実際の有吉に肉迫しています。


2人の作家を「女流」として選んだという理由づけへの説得力にはやや欠けますが、非凡な才能を発揮して時代を駆け抜けていった2人の女流の作品からだけでは掴めない実像を救い上げている点で読み応えがある作品となっています。

        

夫がゴルフに行って1日いないので、家の片付けに邁進しました。


押入れの袋戸棚に引っ越し以来詰め込んでいたダンボールの中身を確かめて不要なものを処分して空けた場所に居間のキャビネットに並んでいた用なしのレコードを収納しました。    

音楽が大好きな夫が持っていたコレクションですが、プレーヤーはあるものの針の関係もあり現在聴いているのはCDばかりなので思い切って袋戸棚に。


また最近ベランダ用に小さな物置を買ったので、電気ストーブや石油ストーブ、荷造り用ダンボールなどを入れると、今まで納戸的に使っていた部屋がすっきり片づいて、これなら人が2人ほど寝られそうな感じになりました。


現在の我が家は3LDKですが、今までの住居の中ではいちばん狭く、関東に住む子どもたち家族が全員帰省すると寝る場所に困るほど。

専有面積が狭いかわりにベランダがとても広くL字型になっているので野菜作りなども可能だし、小型の物置なら設置できるのです。

というわけで整理ごころに目覚めた最近、夫の留守を見計らっては不用品の整理や処分を重ねているので、だいぶすっきりしました。


狭い住居の割に多いのは本ですが、最近は専ら図書館を利用して増やさないように努力しています。 



自分の本については公民館に寄付したり、book offで買い取ってもらったりしていますが、図書館を利用しない上なかなか処分をしない夫の本は増える一方。


改めて処分を促せばうなずかない夫ですが、黙って捨てても気づかないのでまたの留守を狙って整理しなければ。


整理にもってこいの気候です。




さて今回は桐野夏生氏著『IN』です。


初期のミロシリーズに惹かれて読みはじめた作家ですが、内容が持ち重りするほどに暗く荒廃した心をテーマの作品が多くなって、もうやめようと思いながら今回も図書館で見つけて手を出してしまいました。


前回のレビューで取り上げた貫井徳郎氏の『追憶のかけら』と同じように作中作という手法を用いた2重構成の作品です。


作中作として登場させているのは明らかに島尾敏雄氏著の有名な『死の棘』とわかるオマージュ。


著者・桐野夏生を髣髴とさせる主人公である作家の鈴木タマキは「恋愛における抹殺」をテーマにした『淫(いん)』という小説の構想を練っています。


「恋愛における抹殺」とはタマキに言わせると「無視、放置、逐電など自分側の都合で相手との関係を絶ち、相手の心を殺すこと」。


主人公に据えるのは故・緑川未来男が書いた有名な私小説『無垢人(むくびと)』に緑川の愛人として登場する「○子」。


その『無垢人』は緑川と妻と愛人○子の三角関係を妻の嫉妬の狂気と2人の間でうろうろする緑川を中心に描いた小説ですが、作中作として大きな位置を占めています。


タマキがその「○子」を特定するため編集者の協力を得て過去の関係者たちと会う過程に、タマキのデビュー当時の担当編集者であり長年の不倫相手であった阿部青司との恋愛の記憶を絡ませて物語が進行します。


実際過去にあった桐野氏のW不倫を描いて桐野氏の作家としての壮絶な覚悟の作家魂を見せた私小説であるという指摘もある興味深い作品になっているのは否めません。


小説家であるタマキの、『無垢人』に登場する島尾ミホと見紛う緑川の妻や愛人の○子に対する作家としての冷静な観察眼と、行き着く先は破綻することを知りながら青司との恋愛に没頭する盲目眼との息詰まるような交差が著者の力量を著して見事ですが、重いテーマを残しての読了感は何ともいやな感じ。


一応テーマと書きましたが、一体この作品の意図は何だったのか、という疑問も残った読後感でした。


単純な読者である私には、作中作も含めた2組の男女の狂乱の痴話の物語という単純な構造が浮かび上がるのですが。



それにしても桐野氏の小説は社会を賑わした反社会的な実際の犯罪をモデルとしたものが多いのに驚かされます。

井の頭公園バラバラ死体遺棄事件を扱ったといわれている『OUT』や東電OL殺人事件の『グロテスク』、新潟女児誘拐監禁事件の『残虐記』、アナタハン事件の『東京島』、そして本書に取り入れているのは島尾敏雄氏の『死の棘』。


巷で言われているように本書が著者自身の編集者との不倫の過去をも提供した作品だとしたら
本書が桐野氏の作家としての転機になる作品であるという評価は当たらずとも遠からずというところでしょうか。



写真は押入れに追いやられたレコードと住居に近くにできたお弁当屋さんで買った300円のお弁当。

300円という値段には脱帽するような充実したお弁当です。

先日のGooニュースに70年以上飲食せず生活してきたと主張している82歳のヨガ行者であるインド人男性の記事が載っていました。  


PTI通信などによると、医師団が5月上旬までの約2週間、男性を病院に移して行動パターンを調査。


男性は監視カメラが見守る中、定期的な入浴とうがいは行うものの、飲食は全くせず、トイレにも行かないことが確認されたそうです。


ずっと以前最愛の息子さんを亡くしたのをきっかけに飲食ができなくなり、以後太陽と空気と水だけで生活しているアメリカのどこかの州の女性と、幼い頃より食パンだけですくすく成長している男子高校生の生活がテレビで放映されたのを観て半信半疑だったことがありますが、このインドのヨガ行者を通して人体の神秘と宇宙のエネルギーに改めて驚かされます。



常時空腹を訴える夫にこの事例を示し、そろそろ食欲という本能をきっぱり捨て去り、このインド人男性を見習う段階にきているのではないかと提案したところ、「まずお前がやって見本を示して成功したら俺も後に続くよ」と好物の桜餅を頬張りながらの一言が返ってきました。


そんな会話を交わしているとき、いつも世界各国の興味深い記事を送ってくださる山野さんから「中国・養生訓の教え」が届きました。


一、少肉多菜 お肉ほどほど野菜たっぷり

二、少塩多酢 塩分高血圧のもと、酢は健康のもと

三、少糖多果 糖分は果物から、砂糖は肥満のもと

四、少食多噛 腹八分目で幸せいっぱ噛みしめて

五、少衣多浴 薄着でお風呂好きは病気知らず

六、少言多行 べらべら喋るより、とにかく実行

七、少欲多施 自分の欲の為に走らず他人の為に走れ

八、少憂多眠 くよくよ考えるより、さっさと寝る

九、少車多歩 車は速いが歩けば健康への近道

十、少憤多笑 イライラもニコニコ笑って忘れよう


一~四までは食べ物への基本的姿勢についての教えですが、先のインド人ヨガ行者のことを知れば三千年の歴史を誇る中国も真っ青という感じではないでしょうか。


十の項目は簡単なようで行なうは難し・・・特に六、七はかなりの困難を要します。


でも食べる喜びを捨て太陽と空気の恵みだけで過ごすよりはるかにラクそう、がんばらなければ!




さて本日は貫井徳郎氏著『追憶のかけら』をご紹介します。


1993年第4回鮎川哲也賞の最終候補に残った『慟哭』でデビュー、以後着実に数多くの推理小説を発表し続けていらっしゃいます。


デビュー作『慟哭』のレビューはこのブログでご紹介していますのでよかったら読んでください。 → 


さて本書に戻ります。


「最愛の妻を亡くした大学講師。
失意の底にある彼の許に持ち込まれた、戦後間もなく自殺した作家の未発表手記。
そこに秘められた『謎』とは・・・。
二転三転する物語は感動の結末へ。
若い世代を中心に、今最も注目されている著者が満を持して贈る渾身のミステリー巨編」


自分の不実な行動が原因で1人娘を連れて実家に帰った直後不慮の交通事故で最愛の妻を失った主人公の大学の国文科講師・松嶋のやり場のない後悔と失意の生活を1つの柱に、もう1つは松嶋の元に送られた戦後数年間だけ文壇で活躍した作家・佐脇依彦の未発表手記を柱に物語が並行して進みます。


手記を松嶋に託した人から、この未発表の手記を論文として発表するかわりとして手記の中に書かれている謎を解明することを条件として提示されます。


作中の多くのページを割いた佐脇の手記はそれだけで1つの作品として独立させることができる内容ですが、手記に登場する佐脇が得体の知れないものに徐々に追い詰められて自殺するまでの過程の謎を追う現代の松嶋もまた顔の見えない何者かに次第に追い詰められ、時代も場所もちがうはずの2人の人生がある1点で交差するという複雑な構成をとっています。


序章は松嶋を中心とした物語、中ほどに佐脇の長い手記、それと並行して手記に沿って調査を続ける松嶋の行動、だんだん明らかになる悪意を捕まえたかと思うとするりと逃げ、何転もどんでん返しがあり、やがて終局へとなだれ込むという構成。


私自身は全体的に複雑かつつかみどころのさだかでないもどかしい暗さが好きではありませんが、個人的な作品の好みは別にしてこれだけの虚構を構築する著者の構成力に脱帽しました。

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