VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年06月

関東に住む子どもたちが夫の古希祝を計画してくれるというので上京。


還暦を迎えた直後から相次ぐがんに見舞われた夫が生還して元気に今日を迎えられるのは言葉では言い尽くせない行幸という感じが家族の中にあります。



中学の卒業文集で将来の夢について他の生徒たちが「医者になって人助けをすること」など社会に向けての中学生らしい夢を書いていた中、唯1人「隠居になること」と書いて失笑を買ったという夫。


できれば50代でリタイアしたかったはずが現実には周囲がリタイアを認めてくれないということもあり、やっと遊べるようになったのはここ2,3年。


働きたくても仕事がないという人々から見れば何と贅沢なと反発を買いそうですが、仕事から解放されたいと中学生のときからひたすら望んでいた夫になかなか望みが叶えられないというのは運命の皮肉でしょうか。


念願叶って現在はやっと1つだけの名誉職を残して比較的遊びの計画が自由になるので本人は至って満足しています。


というわけで箱根・奥湯本の温泉宿で一足早いお祝い旅行を楽しんできました。  


長男が運転するワゴン車で全員が移動、自然あふれる露天風呂で源氏蛍を観賞したり、雉料理を堪能したり、帰りは御殿場のアウトレットでショッピングを楽しんで帰宅。


次の日は音楽好きな夫のために長女が用意した「ブルーノート」のサプライズ。

アメリカから来日したMJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテット)の生演奏とお酒を堪能して一連のお祝い旅行も終わりました。 


みんなありがとう!(といってもこのブログ、家族の誰も見ませんが)






さて本日は湊かなえ氏著『告白』です。


新幹線のお供にと駅の構内で購入したのがこの話題本。


ハードカバー時代図書館では常時貸出中、今更というほどの話題作、早々と文庫化、映画化もされ好評のようですね。


2008年『聖職者』で第29回小説推理新人賞
2008年『告白』で「週間文春ミステリーベスト10」で第1位、
「このミステリーがすごい!」で第4位
2009年『告白』で第6回本屋大賞受賞



著者は中国新聞のインタビューに答えて「緻密な構成の支えとして、徹底した登場人物の性格付けを心がけており、『履歴が決まれば人物が動いてくれる』として執筆前にはどんな脇役でも履歴書を作り込んでいる」と 語っていらっしゃるところ、ある種似たようなミステリを描く作家・天童荒太氏と同じようなスタンスの作り方をされているようです。


私のように「このミス・・・!」や「本屋大賞」受賞作という前評判に煽動されて手に取られた方も多いでしょう。


映画はまだ観ていませんが、さまざまな小説の映画化では疑問符だらけのキャスティングが多い中、主演の松たか子さんは主人公の心の無機質な感じをよく捉えていてぴったりの配役だと想像しています。



さて本書についての感想です。

6章から構成された本書、1章ずつにある事件の関係者が登場し、一人称語りで事件の核心に迫るという構成になっています。

愛するわが子を生徒2人の手によって殺された女教師の復讐の物語。


構成自体にはあまり破綻はなく、読者の覗き見趣味を刺激して終盤まで一気に読ませる力は新人とは思えないものがありますが、人間の負の部分をここまで追い詰めて書ける作家さんの内面を知りたいと思うくらい後味の悪い作品でした。


第1章から6章まで「聖職者」「殉教者」「慈愛者」「求道者」「信奉者」「伝道者」というあまりに大上段すぎるタイトルとそれに比してあまりにも週刊誌ネタのような内容とのアンバランスにまず違和感。


第1章の主人公の女教師の生徒への語りには引き込まれるものがありましたが、語りというにはひとつの事柄について説明的過ぎるのが目立ったところ。


娘殺しの犯人と指摘されたA君とB君の1人語りものちに出てきますが、文体の不自然さを感じたのがBの母親の日記です。

果たして日記にここまで多弁に文を重ねる人がいるのか、自分のストレスを刻み付ける日記に「です」「ます」調で記すか、などなど不自然満載。


事件から不登校を続け、あげくは母親殺しの犯人となるBの周辺を明らかにするために登場させたBの姉による亡き母親の日記の開示はこの作品に不可欠のものだったのかどうか。


著者は最初の章の「聖職者」で第29回小説推理新人賞したあと、出版社の求めに応じて加筆して『告白』を刊行したそうで、より人間の醜悪さをデフォルメするような章を次々加えることで完成度の高いものを目指したようですが、あまりにもリアリティのない唐突な幕切れに唖然とした読者も多かったのではないでしょうか。


筋立てに大きな破綻は見られないと書きましたが、内容的には上述のほか、HIVの取り扱いに非常な違和感を覚えました。


HIVに関しても余分な誤解を受けぬようにとの配慮か著者特有の説明的解説をふんだんに散りばめ布石を打っているように見えますが、復讐の材料にHIV患者の血液を用いるという発想に不快感が湧くのが否めませんでした。


いろいろ書きましたが興味本位で最後まで読ませるという意味では話題本でした。

夫を初め3人の子どもたちが揃ってさまざまな分野の音楽大好きな中、いつも音楽音痴と侮られている私ですが、クラシックにしろ、ジャズ、映画音楽、日本の歌謡曲などの中でも自分の感性を刺激する曲がいくつかあります。


その中でもパガニーニのバイオリン曲をピアノ用に編曲したリストの「ラ・カンパネラ」ははるか昔に聴いて以来、一日中でも聴いていたいほど好きな曲の1つとなっています。


リストによる編曲には「パガニーニによる超絶技巧練習曲」と「パガニーニによる大練習曲集」の2種類あり、とても長い前者に比べ後者は短くコンサートなどで演奏されるのはたいてい後者だそうです。


以前娘がMDにさまざまなピアニストによる「ラ・カンパネラ」を収録してくれたのを宝物にしていましたが、引越しのどさくさで失ってしまったのが痛恨の極み。


なのでYou tubeでキーシンやユンディ・リ、ルービンシュタイン、辻井伸行、フジコ・ヘミングなどをじっくりと聴き比べては楽しんでいます。


フジコ・ヘミングについては1999年にNHKのドキュメンタリー番組「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放映されて以来日本で起こった「フジコ旋風」は今もなお続いています。


大反響を受けて同年に発売されたデビューCD「奇跡のカンパネラ」は発売後3ヶ月で30万枚が売れるという日本のクラシック界では異例の大ヒットとなりましたね。


その後何度か再放送されたドキュメンタリーやテレビ出演を観られた方も多いと思いますが、私も5月にNHK・BSで放映された「わんにゃん茶館」に出演されていたフジコ氏を偶然目にしました。


スウェーデン人を父に、日本人を母に持つ彼女の生い立ちや長い間の無国籍、奇跡の再起を果たすまでの波乱万丈の人生、音楽人生途上での失聴など、彼女の語るに重い物語は有名ですが、テレビを通して見た彼女は人間不信という固い殻を被り、犬猫にのみ心を許しているというふうでした。


60歳過ぎて一躍注目されたことについての感想を司会者に聞かれた彼女の言葉がとても印象的でした。

「笑っちゃうわね・・・その前もそのあとも変わらない私なのに」

言葉は正確ではないかもしれませんが、有名になり周りにもてはやされる自分を含めて日本人の狂乱振りを何歩も退いて冷静に観察している・・というような印象でした。


「この地球上に私の居場所はどこにもない・・・
天国に行けば私の居場所はきっとある」

「私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ」

(「あなたにとってピアノとは?」と訊かれて)「猫達を食わせていくための道具ね」

「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」

「ぶっ壊れそうな鐘があったっていいじゃない、機械じゃないんだから」(ラ・カンパネラについて)


これらの情報を知った上で先日彼女のリサイタルに行ってきました。  


私自身はどんな演奏家の「ラ・カンパネラ」もそれなりに大好きなのでとても楽しみにしていました。


キーシンもユンディ・リも大御所・ルービンシュタインもそれぞれ個性的な鐘を鳴らしていましたが、彼女の「ラ・カンパネラ」は一度聴けば彼女とわかる独特のもので、ほかと比べてとてもテンポが緩やかな感じがかえって人間味を醸し出しているようでした。


彼女の技術的なテクニックを云々する耳と言葉を持ちませんが、少なくともテクニックに優れた演奏家の醸し出す無味乾燥な演奏と一線を画しているのではないでしょうか。


私たち日本人の聴衆にとって彼女の演奏は波乱万丈の人生という付加価値を包めての感動ともいえるという感を更に強くする生演奏でした。


私は小さなミスタッチや音のバラつきを聞き取る耳を持ち合わせませんが、そういうことを超越した心打つ演奏というものがあるのではないでしょうか。


日本の着物をアレンジしたコンサート衣装を身に纏った彼女の世当たり下手なはにかんだようなぎこちない笑顔がとても印象的でした。




さて前フリが長くなりましたので本日のレビューは簡単に。


中村文則氏著『掏摸』

2002年 『銃』で第34回新潮新人賞
2004年『遮光』で第26回野間文藝新人賞
2005年『土の中の子供』で第133回芥川賞
2010年 『掏摸』で第4回大江健三郎賞受賞


著者の作品では芥川賞受賞作『土の中の子供』のレビューを書いていますのでよかったら読んでください。 →  


「東京を仕事場にする天才スリ師。
ある日、彼は『最悪』の男と再会する。
男の名は木崎 かつて一度だけ、仕事をともにした闇社会に生きる男。
『これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前が死ぬ。逃げれば、あの子供が死ぬ……』
運命とはなにか。
他人の人生を支配するとはどういうことなのか。
そして、社会から外れた人々の想い、その切なる祈りとは 。
芥川賞作家がジャンルの壁を越えて描き切った、著者最高傑作にして称賛の声続出の話題作! 」


徹底的に個の存在を消して他者との関わりを一切遮断し、東京という都会でひたすら掏摸を生活の基盤に置いている若い男の物語。


プロの掏摸師の細部にわたる業や心理状態、掏摸を行う現場の手に汗を握るような臨場感の描き方はさすがですが、『土の中の子供』同様に全体的に救いのない暗い色調の作品となっているところ、読者の間でも好みが分かれるのではないでしょうか。


孤独な主人公が唯一交わることとなったのが自分と似た境遇の不幸な少年と、自分の運命を支配する悪の化身とも言える「木崎」という男。


この2人との交流を軸に、掏摸という生業を持ちながらもどこか普通の人間であることを保っていた主人公が抗うことのできない運命に翻弄され自分に課していた一線を越えざるを得ない様子が詳細に描かれていて、無力感ただよう作品となっています。

「もし神がいるとしたら、この世界を最も味わっているのは神だ」

「世界は理不尽に溢れている」


これがこの作品の要約ではないでしょうか。

ブログ友の日記に書かれていたディッシュが簡単でおいしそうだったのでタジン鍋で作ってみました。

タジン鍋は購入して1年ほどになりますが、我が家のは電子レンジ専用、ほかに直火とレンジ両方OKのものもあります。


モロッコやアルジェリア、チュニジアが発祥の地で、日本でもここ2、3年のうちにブームに火がついたようで、デパートやスーパーなどで大量にディスプレイしているのをよく目にしますね。


水が貴重な砂漠地方で誕生したこの鍋は水なしで調理するのが特長、独特の形のふたが食材から水分を循環させる役目を果たし素材の美味しさを生かした蒸し料理を作る鍋といわれています。


材料を揃えてレンジに入れるだけで蒸し料理ができるのでよくやっていますが、たくさんの場合はフライパンなどを利用して蒸してもOKです。



というわけで作った一品は次の通りです。   


1:温めたフライパンにオイルなしで鶏肉を皮目から焼きます。

2:くし型に切った新たまねぎと椎茸の千切りを焼き色のついた鶏肉に加え軽く炒め、クレージーソルトとブラックペッパーで味をととのえ、タジン鍋に移します。

3:一口大に切ったトマトと茹でたブロッコリーを散らし、電子レンジ500Wで15分。


ブログ友はフライパンで調理し、トマトなどからけっこう水分が出るので晩ご飯にスープとして食べて、次の昼ご飯にカレールーを入れてチキンカレーにして食べたそうです。

1度に作って2度おいしいというキャッチフレーズがぴったりですね。




さて今回は柳美里氏著『オンエア』のご紹介です。


2007年から《芥川龍》の名の覆面作家の作として「週刊現代」に連載し、途中で柳美里であることを公開して話題を集めました。


「不倫、裏切り、自殺、ライバル登場、そしてある日迎えた決定的なスキャンダル。
百名近い放送関係者への取材を通じて描ききった、フィクションでしか書けない彼女たちの真実」


タイトルから想像できるように、本書はテレビ業界において花のような存在である女子アナウンサー、放送界にいる以上誰もが1度は憧れるキャスター、そして番組を陰で支えるプロデューサーなどを軸に業界の内幕を余すところなく描いた作品です。


「空気に触れた瞬間に傷みはじめる生鮮食品のように、情報として流れた途端に古くなるニュース。
わたしが伝えるのは、かたちにならないもの、だれかの目や耳にはいった途端にかたちを変える、情報だ」


上巻ののっけからたじろぐほどの濃厚&イレギュラーな性描写が延々と続き、川上宗薫も真っ青というほどの際どさに最初から腰が引けてしまいました。

著者のインタビューによると覆面作家としての登場も、最初の過激な性描写も出版社の意図によるものだそうですが、果たしてここまでの汚いともいえる描写が必要かどうか。


あまりにも刺激的で容赦ない描写に続けてページを捲るのを躊躇うほどでしたが、そのラッシュを過ぎると虚実とりまぜたような内容にぐんぐん引き込まれていきます。


TVをつければ必ず目にする情報番組のキャスターやサブである女子アナウンサー、お天気やスポーツ担当の女子アナの存在は外見的にはとてもきらびやかです。


そのうちの3人の女子アナと1人のキャスター、そして彼らのスキャンダルを追う週刊誌の記者を軸に、その表裏の顔に容赦ないスポットライトを当てて話を展開させています。


上述のように上巻は風俗小説と紙一重でしたが、下巻は性的スキャンダルによって降板を余儀なくされ一時は自殺も考えた女子アナの再起の物語を主軸に、メインのキャスターの覚せい剤による逮捕をからませた週刊誌ネタ満載の物語を構築、現実にありそうな臨場感溢れる場面の連続で読み手の興味を誘発するテクニックはさすが。


一時はスキャンダルの渦に呑み込まれながらも自分たちの現状を厳粛に受け止め、前向きの一歩を踏み出す人、法の下で余儀なく更生を目指す人、他人のスキャンダルを利用して逞しく別の世界に船出する人などさまざまな再起のその後に光明を感じさせるところでの幕の閉め方がこのスキャンダラスな内容の作品全体のイメージを和らげているところ、柳美里の筆力を感じました。

5歳の孫娘・あーちゃんから毎晩電話がかかるので、何か工夫はないかと思い、まだ時計が読めないことを思い出して時間設定をして交互に電話する約束をしました。


「明日は8時15分にMMが電話するね・・・短い針が8で長い針が3のところ」

「うん、わかった! じゃあ、あしたの次は明日香ね」というふうに。


こんな約束を交わして電話をしたりされたりしているうち、明日香の性格がかなり几帳面なことを知りました。


我が家の時計で8時ちょうどでも明日香の家の時計は5分進ませた8時5分ということが初めての約束を実行したときわかりました。


初めての約束の8時に私が電話すると、最初の呼び出し音が鳴るやいなや受話器を取った明日香が開口一番「MM、おそいね~。明日香ずっと待ってたんだよ」と。


そのあとママの話で、あーちゃんの家の時計が朝の弱いパパに合わせて5分進ませていることを知りました。


ということでそれからは我が家の時計で定時の5分前に電話するよう気をつけていますが、これが案外やっかいです。


何かをしていたりしてつい時間を見過ごしてしまうと、電話機の前で待機している明日香が待ちきれずに逆に電話してきたり。。。


まだ白紙状態の幼子の前で信頼できる大人として認識してもらうにはけっこうエネルギーを使います。


でもこんなに私のようなものの電話を待ってくれていると思うと胸があつくなります。


中学校くらいになると 「今A君から電話がかかってくることになってるんだから、MMかけないで」などといわれるのが想像できますが、それまでのほんの短い期間を大切にしたいと思います。




さて今回は垣添忠生氏著『妻を看取る日』をご紹介します。



「定年を迎え、妻とのんびり過ごしていこうと思っていた矢先の出来事だった。わずか六ミリの影が、妻を襲った。
一年半にわたる闘病生活、自宅での看取り、妻亡き後に押し寄せてきた絶望感、そして、人生の底から立ち直るまでの道のり—。
日本のがん医療の最高峰に立ち続ける著者が、自らの体験を赤裸々に綴った」


国立がんセンター総長を経て現在名誉総長である著者の名前を目にしたことがある方も多いでしょう。


前立腺がんを患われた今上天皇の主治医として、タバコの大幅増税を提言した人として、そしてがん撲滅を生涯のテーマにマスコミに登場することもしばしばです。


そんな医療最前線に立つ著者に見舞われた伴侶のがん闘病と死。


新聞や雑誌の書評欄で目にして以来読みたくて図書館でさがしていた1冊です。



「私は多くの患者さんの辛い死に立ち会ってきましたが、妻を亡くす悲しみはその質や深さが全然違うことを思い知らされました。
目の前で見るご家族の苦悩も、あるレベルまでしか感じ取れていなかった。
そこから先、まだまだ深いところまで悲しみは延々とつながっていく。そんな当たり前の真実が、妻の死でよく分かったのです」


患者の死が日常茶飯事の立場の医師であり、がん最前線に立つ有名な専門家である医師が78歳の妻の闘病にどれほどの覚悟で立ち向かったか。


そんな読者の想像をはるかに超えた形で妻の病状に一喜一憂するひとりの心もとない平凡な夫の姿を浮き彫りにしているのが本書です。


妻亡き後、生きる力を失い、酒と涙の夜を遺影にただ語りかけることで精神のバランスを保ち、後を追うことすら考えた1年間があったという告白には胸を打たれます。


78歳の妻を見送った夫はそのとき12歳年下の66歳、そんな夫婦の片方は患者として、片方は医師としての出会いから、既婚者であり別居中の年上の妻の離婚を待っての結婚は著者である夫の家族に大波乱をもたらしますが、それらを押し切るほどの強い愛は生涯を通して色あせることなく貫かれたことがわかります。


生涯を通して身体の弱かった妻を支え、子どものない生活をお互いに支えあっての40年の重みが読者である私の心にまっすぐに伝わってきて切なくなります。


このご夫婦の物語を読むと、子どもという夾雑物がいない分、純粋な結びつきの強さが際立っていて驚嘆するほど。



「国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録」という副題の示唆する著者の再生への道がまた圧巻です。


毎晩帰宅後、線香が燃え尽きるまで妻の遺影に語りかけていたのに、ある日気がつくと線香を半分に折り、話す時間も半減していたといいます。


こうして気がつかないほどの緩やかな歩みでどん底の悲しみからほのかな光を見出していくのでしょうか。


「今この瞬間も、最愛の人を失い、時間の経過に身をゆだねるしかなく、苦しんでいる人がたくさんいるだろう。
その悲しみは永遠に消えない。
だが、急性期の生身をあぶられるような苦痛は、やがて少しずつ治まっていく」


愛する人やペットを喪った人々にとって本書はすばらしいグリーフケアの道しるべになるのではないでしょうか。



最後に中高で同級生、そしてその縁で本書執筆に大きな力添えをもらったという作家・嵐山光三郎氏の言葉を記して終わりにします。

「この書は、『妻恋い記』でありつつ、絶望の淵にたった自分を医学しようという強い意志につらぬかれている。
垣添氏は酒浸りの日々を脱し、再生の道を歩いている。
その、いつわらざる記録がここに書きとどめられた。
人間の肉体がどのように衰えていくのかを、正拳突きでどすんと腹にあてられたような気がする」

生まれて初めてギックリ腰になりました。

外出先で何気なく屈んだとき左腰から足先にかけて一瞬電気が走ったような衝撃を受けて、痛みが走りました。


これが噂に聞くギックリ腰かと思い、しばらく立ったまま様子を見ていましたが、何とかゆっくりなら歩けそうなので亀の歩みで帰宅。


直立の姿勢なら大丈夫なので急いで夕食を作り、シップを貼って早めにベッドに横になりました。


横になったのはいいけど寝返りも起き上がるのも困難で、翌朝いつも調整してもらっている鍼灸院に電話して緊急に予約を入れ、夫に送迎してもらいました。

それが土曜日のこと。


鍼灸の集中治療を受け、徐々に筋肉がほぐれて痛みが薄らぐので大丈夫と思いますが、もし月曜日になっても痛むようなら再度来てくれとのこと。


ギックリ腰をした人の話では最初の段階で安静にしなければこじれてひどくなると脅されていたので日曜日は朝からベッドでおとなしくしていました。



その日の午前中、所属している油彩画グループで当番に当たっていた夫はモデルに頼んだフランス人留学生との顔合わせに出かけました。


私にくれぐれも無理せずベッドにいるようにという気遣いの言葉かけをして出かけた夫だったので、当然お昼はテイクアウトのお弁当か何かを買ってきてくれるものと期待していたものの、前日知人から大量にもらった新タマネギが目についたので、留守中腰に響かないようにそぅっと夕食用にカレーを作って、ベッドで横になっていました。


するとお昼頃、突然夫がそのフランス青年を連れて油彩画教室のメンバーの友人と帰ってくるではありませんか。


そのセリンが風邪を引き異国で心細そうにしているので、我が家で風邪予防のプロポリス&マヌカハニー&板濫茶を飲ませたいと。


玄関を入るやいなや「おっ、カレーのいいにおいがするな・・・Can you have curry and rice?」などと彼に聞く夫の声に、寝ているわけにもいかず腰をいたわりながら挨拶に出た私ですが、それからの忙しかったこと。



急ごしらえのサラダなども作り、その巻き毛の25歳のセリンがボルドー出身だという話からワイン談義に移り、夫はあろうことか昼間からワインのコルクまで抜くという大サービス。


夫も私もオープンマインドなので人が来るのは大歓迎ですが、まさかギックリ腰で寝込んでいるときに、何のこだわりもなしに初対面の、しかもフランス人を連れてくるなんて。


「こんなおいしいカレーは初めて!」といってくれたセリンが可愛かったので夫の唐突な行為も許しますが、同じなら元気なときにもっと料理に腕を振るって自己満足したかった1日でした。




さて本日は今野敏氏『同期』です。


1978年『怪物が街にやってくる』で問題小説新人賞
2006年『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞
2008年『果断 隠蔽捜査2』で山本周五郎賞&日本推理作家協会賞受賞


佐々木譲氏、横山秀夫氏と並んで警察小説の名手としての評価が高い作家です。



本書は警察内部でも特殊な部隊といわれている公安を核に右翼や安保マフィアなどを絡めた大型警察小説になっています。


「懲戒免職になった同期の公安刑事が、連続殺人の容疑者に。
『教えてくれ。おまえはいったい何者なんだ』
男たちの前に立ちはだかる最も高い壁――組織の論理。
その壁を突破するのは、刑事たちの誇りと絆。
現時点での集大成ともいえる最新警察小説、登場!」


主人公は本庁刑事部捜査一課に配属されて1年になる宇田川亮太。
暴力団事務所にウチコミに駆り出された宇田川らが逃亡した暴力団員の追跡中に暴力団員の発砲から宇田川を間一髪で救ったのが偶然近くに居合わせたという同期の公安刑事・蘇我。


その蘇我が直後に突然理由不明の懲戒免職となり姿を消します。


不自然な成り行きに疑問を抱き始めた宇田川に突きつけられたのは蘇我が連続殺人事件の容疑者として特捜本部に追われる身となった事実。

同期を救いたいという気持ちと刑事魂に突き動かされた宇田川の前に立ちはだかる警察内部の闇。


本書は刑事になって間がない主人公・宇田川の成長譚でもあります。


相方のベテラン刑事・土岐の長年の経験で培われた積み重ねの地道な捜査方法を素直に学びながら一人前の刑事として成長していく宇田川の姿が描かれていて興味深い作品となっています。

 
最初は同期・蘇我の処遇に疑問を持ったことから行動をスタートさせた宇田川が捜査途中で経験した様々な問題を通して、次第に刑事としてどうあるべきかという根源を見つ直す姿、すなわち成長譚を描くことが本書の意図であったことを著者・今野敏氏は次のように述べていらっしゃいます。

「宇田川は最初、蘇我の問題として取り組むんです。でも途中からは、自分の問題にする。どうすれば自分に誇りを持って生きられるのかと自覚していくんです」


「捜査に偶然はない」という土岐の言葉とそれを裏付けるような足で稼ぐ職人芸ともいえるベテラン刑事の捜査テクニックや人間模様、警察内部の対立の構図とそれぞれの思惑、組組織と警察との微妙な駆け引きなど、主人公の成長譚に付随するそれらを描く筆の充実度はさすがでした。

自分の住むマンションで年に1度のガス感知器の定期点検がありました。


電脳のこの現代にうちわ片手にマンションの各戸を巡回する点検員の方の姿は何だかユーモラス。


点検員の方がうちわで風を送りながら点検を終えました。

あまりにケンドー・コバヤシに似ているのでまじまじと見てしまいました^^;


「異常ありませんでした」

「ケンコバに似ているって言われません?」

「よく言われます、そんなに似ています?」

「すごく似ています。
ところでアルコール系に異常に反応して困っているんですけど」

「それでしたらアルコール系への感度が低い感知器もありますよ」

「そうなんですか? おいくらですか?」

「13000円です」


今年に入ってから何度もマンション中に警報を響かせ、警備保障の方に駆けつけられ平身低頭しているので、5000円以内なら交換してもと心が動きかけましたがいかんせん高すぎ!


換気扇を「強」にして窓を全開しても鳴り響く警報


料理するのにこんなにドキドキするなんてまるでサスペンス劇場の逃げる犯人のようで心臓に悪い!


そのくせ先日ガスを1時間もつけっぱなしにしたまま食事していたときにはウンともスンともいわなかったのはなぜか。


八つ当たりとはわかっていても毎回目の敵にしたくなります。   



それにしても年数がたつにつれだんだん感度も鈍くなるのが普通の機器だと思うのに、年々警備保障が駆けつける回数が増えているような気がします。


もしかしてお酒を目の敵にするモルモン教かアラーの神か断酒会の回し者か。


というわけで今日は日本酒とみりんを大量に使う「めんつゆ」を作るのにカセットコンロをベランダに持ち出して思いっきり煮きりました。                  

なんとも恨めしい我が家の感知器の話でした。




さて本日は江國香織氏著『号泣する準備はできていた』です。

父親は江國滋氏であり、多くの女性読者の共感を得ている作家さんであるということは知っていましたが、作品を読むのは今回が初めてです。

Wikiで調べてみましたがすごい受賞歴です。

1987年『草之丞の話』で「小さな童話」大賞
1989年『409 ラドクリフ』で第1回フェミナ賞
1992年『こうばしい日々』で第38回産経児童出版文化賞&第7回坪田譲治文学賞
1992年『きらきらひかる』で第2回紫式部文学賞
1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で第21回路傍の石文学賞
2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で第15回山本周五郎賞
2004年『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞
2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞を受賞されています。


他に辻仁成氏との共著で話題になった『冷静と情熱のあいだ』や『『左岸』など多数。



12の短編集からなる本書、ほとんどが40歳前後のさまざまな立場の女性の心模様を掬いとって淡い色で描写したような作品です。


あとがきで著者ご自身が次のように記していらっしゃいます。

「たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなに不意打ちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備はできていた。
喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持が必要です・・・かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短篇集になっているといいです」


いつの間にか心がすれちがってしまった夫婦や17歳のときの淡い泡のような恋とも呼べない同級生との思い出、展望がないゆえに今を大切にするレズビアンのカップル、かつては確かに愛し合ったのに夫に愛のカケラさえ感じなくなった自分に戸惑っている女性などが薄いフィルターのような膜を通して描かれている、絵でいえば、中間淡色を使って本質をぼんやりさせたような、そんな感じの短篇集。


これが果たして直木賞受賞に耐えうる作品かどうかという疑問が残りましたが、読後は淡雪のように痕跡も残らないかわり、粘着質のいやな感じはありませんでした。


作中で過去を回想し、かといって過去に振り回されるのともちがう主人公たち。

現在を喜びとも哀しみとも断定できない中間のところで漂っているという浮遊感を描くのがうまい作家さんです。


いわば洗練された都会に潜在的な憧れを持つ若い女性にとっては生活感の淡やかな、捉えどころのないこんな小説が受け入れられるのでしょうね。

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