VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年07月

週刊誌を読んでいたら「家出人捜索願」の名称を「行方不明者届け出書」に変更したという小さな記事が出ていました。


「行方不明者」という言葉から連想するのは単なる「家出人」というより殺人や拉致など犯罪が関係しているものから自殺など幅広く、何かおどろおどろしいものを感じてしまいます。


年間20万人を越えるといわれている行方不明者。


いつなんどき自分の身にふりかかるかもしれないという可能性のある昨今、少なくとも現在私の周りに該当者がいないのは望外の幸せといえます。


そういえば昔テレビ公開のもと蒸発した家族を探す番組がありましたね。


放映中から電話などで視聴者からの情報が寄せられ、追跡の結果尋ね人が見つかり、家族と対面してする話し合いの場までも放映されるというもの。


人探しに協力しているという名目のもと、残酷なまでにプライバシーに踏み入るマスコミに嫌悪感を感じたのを覚えています。


「蒸発」という言葉も最近耳にしないので死語になったのでしょうか。


苦しい状況の中生きているといっその事今の自分を一度リセットしてまったく誰も知らない土地で別の人間として一から生きなおしたいという願望を持った人は多いでしょう。


ほとんどの人は願望だけに終わりますが、それを実際実行に移した人のこともときどき耳にします。



本日ご紹介する小説の主人公もそのうちの1人。


サマセット・モーム氏著『月と六ペンス』


青春時代、ヘッセと同じく傾倒した作家です。


『月と六ペンス』は若い頃中野好夫氏訳のものを読んでいますが、今回は新装版・行方昭夫氏訳のものを再読しました。


現代を踏まえた平易な文で大変読みやすく好感が持てました。


「平凡な中年の株屋ストリックランドは、妻子を捨ててパリへ出、芸術的創造欲のために友人の愛妻を奪ったあげく、女を自殺させ、タヒチに逃れる。
ここで彼は土地の女と同棲し、宿病と戦いながら人間の魂を根底からゆすぶる壮麗な大壁画を完成したのち、火を放つ。
ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追及した力作」


モームが本書の執筆を始めたのが1918年、第一次世界大戦の初期に患った肺結核の回復期にあたり、ずっと以前から興味を抱いていたポール・ゴーギャンの生涯をフィクション風に一気に書き上げたそうです。


モームの作品はその平明な文体ゆえに日本の英語のテキストに度々用いられていますが、多くの作品は読者を惹きつける物語性があり、それゆえに通俗小説の範疇に入れられることもあるほど。


自身の波乱といえる半生を描いた長編小説『人間の絆』や戯曲集『おえら方』がベストセラーになったのは1919年に出版された本書が話題になったのがきっかけだそうです。


早くに両親と死に別れ、不仲な叔父のもとで成長したことがのちの文学への傾倒の大きな要因になっているようです。


叔父との軋轢に抗しきれず医者になりますが、結局は文学者として生きる道を選びます。


生涯を通して旅を好み、多くの紀行文を発表していますが、モームの経歴で特筆すべきは表向きは作家活動をしながら第一次世界大戦中に志願してイギリスの諜報機関で諜報員として働いていたことでしょう。


ゴーギャンの波乱の人生に興味を持ったのも、生来のボヘミアン的なものへの憧憬とともに諜報員としての別の人生を生きた期間が大きく関係しているのではないでしょうか。  
  



本書は構想段階で著者が実際にタヒチに出向き、ゴーギャンの絵が描かれたガラスパネルを手に入れたという思い入れの深い作品です。


ゴーギャンを想定した主人公・ストリックランドやその妻、そしてゴーギャンの才能を認めた唯一の画家仲間・ストルーブとその妻ら周辺の人々の人生がストリックランドという1人の男の芸術への狂気ともいうべき希求が原因で破滅へと進む様が駆け出し作家である「僕」の目を通して描かれています。


読み手の目にはストリックランドはゴーギャン、ストルーブはゴッホ、そして「僕」はモームと映りますが、ストリックランドとゴーギャンの間には多くの相違点もあり、それぞれの登場人物はモームの作り上げた創造上の人物像でもあるというのが正しいところでしょう。


タイトルの「月」は理想、「六ペンス」は現実を暗示しているそうですが、主人公・ストリックランドが容赦なく現実を捨て、そして芸術という夢を追い、果ては破滅する過程は「僕」の視点ではひとつずつの現象として捉えられているだけで、ストリックランドの芸術に対する感想には触れていないという点で、モーム自身が描きたかったことが芸術というものを越えた一個の人間の不可解な生き様といえると思います。


「天才、それはこの世界でも最も驚くべきものだ。しかし、持主にとっては大きな重荷なのだ。僕らは彼らに対して寛容でなければいけない」「美とは何ともすばらしい、不思議なもので、芸術家が自らの魂の苦悩を通して、世界の混沌から創造するものなんだ」というのがモームが登場人物のストルーブの言葉を通して語った芸術観といえます。


ところどころに散りばめられたユーモアもさることながら幼少時の不安定な環境の影響を大きく受けて成長した著者の目に映る矛盾に満ちた人間の性へのシニカルな描き方、いかに追求しても結論のでない矛盾だらけの人間の業のようなものへの描き方、これがこの作品の大きな魅力となっていると思います。

先日友人が旅行先の白馬で求めたお土産を送ってくれました。       


Eメールであらかじめ知らせてくれていたので心待ちにしていましたが、ちょうど到着日の9時前、ほんの30分ほど所用で外出して帰ったところ不在票が入っていました。


「何とタイミングが悪いこと!」と思いながらいつものようにフリーダイアルで再配達の操作をして、その日の[14時~16時]を指定しました。


結果、待てどもその時間帯に連絡なく、配達されたのは何と夜10時半という遅い時間。


夜10時を回ってチャイムがなることは皆無なので驚いてしまいました。


大幅に遅れた理由をたずねても配達員の人は「遅れてすみません」を2度繰り返して逃げるように帰っていかれました。


例の「ゆうパック」。

7月頭に大規模な遅配でニュースの俎上にのぼったばかりです。


7月1日に日通の「ペリカン便」を吸収したためと発表されましたが、今回のことから考えても末端の配達員の意識もかなり低いのではないでしょうか。


宅急便のみならず、手紙類の郵送も「1日や2日の遅れは当たり前」を経験している利用者は多いと思います。


民営化されて窓口はかなり改善された面もあるようですが、民間と比べると甘さが目立つような気がします。


ちょっと不満を書いてしまいましたが友人が送ってくれたご当地の「ちりめん山椒」はとても美味しくてご飯のみならずお茶請けにも楽しんでいます。




さて今日は今野敏氏著『神南署安積班』をご紹介します。

警察署安積警部補率いる強行班係の物語。

「安積シリーズ」の時系列は次のようになっています。

1988年『東京ベイエリア分署 ダブルターゲット』
1990年『虚構の殺人者 東京ベイエリア分署2』
1991年『硝子の殺人者 東京ベイエリア分署3』
1994年『蓬莱』
1995年『イコン』
1997年『警視庁神南署』
2000年『残照』
2000年『陽炎 東京湾臨海署安積班』
2002年『最前線 東京湾臨海署安積班』
2004年『半夏生 東京湾臨海署安積班』
2007年『花水木 東京湾臨海署安積班』
2010年『夕暴雨 東京湾臨海署安積班』


最初の勤務署は江東区の臨海副都心の東京湾臨海警察署、通称「ベイエリア分署」、ここを舞台の作品が上記3作品です。

次にバブル崩壊による副都心構想の縮小に伴いベイエリア分署が閉署され、安積班が異動したのが渋谷区内に新設された神南署、ここを舞台の作品が『蓬莱』~『残照』までの4作品。

そしてまた臨海地区の発展に伴い再度開署された東京湾臨海署への再異動による作品が『陽炎』からあとの作品となります。


本書『警視庁神南署』は時系列的にいうとベイエリア分署から異動になっての3作品目。

刑事課強行犯係として原宿・渋谷地区にも慣れた頃、そして再度東京湾臨海署の開署が計画され始めた頃の安積班の活躍が描かれています。


さて本書レビューに移ります。

「人と犯罪の溢れる街、渋谷。その街を管轄とする警視庁神南署に張り込む新聞記者たちの間で、信じられない噂が流れた。
交通課の速水警部補が、援助交際をしているというのだ。
記者の中には、真相を探ろうとするものも現れ、署内には不穏な空気が―。
刑事課の安積警部補は、黙して語らない速水の無実を信じつつ、彼の尾行を始めるが…。
警察官としての生き様を描く『噂』他、8編を収録」


刑事モノといわれる警察小説ですが、1つ1つの事件を囲むようにそれぞれの刑事たちの人間模様に重点が置かれたシリーズの1作です。


係長・安積を筆頭に、須田、村雨、桜井、黒木という強行犯係・安積班のメンバーとともに安積の同期で交通課の速水などのからみから浮き彫りになるそれぞれの個性が描生き生きと描かれていて作品全体の魅力となっています。


太った体に似合わぬ鋭い洞察力とツキに恵まれた須田とアスリートのような俊敏な体躯を持つ黒木のコンビ。

刑事として優秀ではあるけれど決して枠をはみ出ない村雨とそんな村雨に抑圧されて個性を失っていくような桜井のコンビ。


それぞれの部下への期待や批判を胸に秘めながら班を率いる安積と部下たちとの交流、時にはお互い反発心を抱きながらもフタを開けてみたら強い絆で結ばれていた件が本書では明らかになっています。


事件性を期待する読者には物足りないかもしれませんが、決して多くを語らない主人公・安積の淡々とした人間に対する思いに共感できる作品です。

   唐突ですが私は甘いものが苦手です。

話題のケーキバイキングなど信じられない世界。

といっても訪問先で出されたケーキをおいしく感じたり、時にはランチでデザートにケーキが食べたくなることもあります。

和菓子も同様で、若い頃は見向きもしませんでしたが今では和菓子好きな夫に合わせてときにはおいしく食べることもあります。


そんな母親である私の影響を受けてか、我が家の子どもたちは揃って長じて和菓子を好んで口にしません。

ずっと茶道をしている長女がお茶席で小さな和菓子を口にするくらい。


到来モノの和菓子の箱は夫が少し食べる以外誰も口にしないので処理に困っていました。


その夫も病気以来ぐんと減ったお酒の量に比例して富に和菓子へのこだわりが強くなっています。


お気に入りはつぶ餡入りの最中ですが、1度にあまり量を食べないので大きなものは苦手です。


市販の最中は大きく適度なサイズのものを探すのがひと苦労でしたが、先日強力粉を買いに寄ったお店で小さな最中の皮を見つけたのでストックしていた小豆を煮て手作り最中を作ってみました。


世間では和菓子を手作りする人も多いようですが、私は自分があまり好きでないこともあり、お月見団子や先ごろブログ友にレシピを教わった「いきなりだんご」以外作ったことがありませんでした。


小豆から作らなくてもつぶ餡やこし餡も売っているし、これからは手軽にできそうです。




さて本日は原宏一氏著『ヤッさん』をご紹介します。


『天下り酒場』で原ワールドの魅力を知って以来、著者の著書をブログでアップするのは5冊目です。


過去の4冊のレビューはこちら


「誰が呼んだか“銀座のヤス”。親しみ込めて“ヤッさん”。
驚きの舌と食の知識で築地市場と一流料理店を走って回り頼られる謎の男。
そんなヤッさんに弟子入りした新米ホームレスのタカオは『驚愕のグルメ生活』を味わうことに。築地市場も銀座も最高に旨くて、人情はあったか。
だが、誇りを持って働く現場には事件も起こる。
ヤッさん&タカオの名コンビが、今日も走る」


サラリーマンの職と住まいを失いホームレス生活に入りかけたタカオを救ってくれた先輩ホームレスのヤッさん。


およそグルメなどに縁のないホームレスと高級食材や料理を結びつけた発想がまさしく原ワールド。


ホームレスでありながら市場と料理店の双方の求める情報を提供するコーティネーターとして日夜活躍するヤッさんとその報酬として料理を提供する市場や料理店の人々のフィフティフィフティの関係。


ヤッさんが展開する独自のホームレス持論や揉め事解決に対する人間味ある手さばきなど、どれをとっても男気あふれるもの。


そのヤッさんの薫陶を受けた弟子のタカオが徐々に1人前のコーディネーターになる過程が描かれていてそういった面から見るとタカオの成長の記録の物語でもあります。


社会に生きていれば、肩書きや面子、家や財産などさまざまなモノを背負うあまり時として身動きできなくなることもしばしばですが、この物語を読むとそれらがなんぼのモンという感じ。

非現実的な内容でありながら胸のすく痛快な人情物語となっています。


息抜きに読むにはいい作品でした。

森林伐採などで自然破壊が進むにつれて樹木の大切さや効用などがクローズアップされています。

マツやヒノキなどの樹木が発散するフィトンチッドが免疫細胞のうちNK細胞の活性化を促し免疫力を強めるという論文も発表されてますます森林への関心も高まっていますね。


アメリカでは偏った過激な環境派の消費者のことを皮肉を込めてTree Hugger(木に抱きつく人)というらしいですが、地方の都市部に住む私もどっしりと立った大木を見つけると思わず太い幹に腕を回したくなります。


京都の東山区の新熊野神社では毎年年末に樹齢800年の大楠木に新しい注連縄をつける「つなかけ祭」というのがあり、毎年参加者を募集しているので一度参加してみたいと思ったり、樹木への傾倒は年々強くなります。


精霊が宿っているような古木に対する憧れは世界共通ですが、日本でも屋久島の「縄文杉」に対して私を含め多くの日本人が憧憬を持っています。


「縄文杉」に会うためには8~10時間ほどの険しい山道を歩く必要があるそうなので私のように残念ながら諦めている人も多いでしょう。


推定樹齢は2500年とも3000年ともいわれていますが、アメリカのインヨー国有林にある「ブリッスルコーンパイン」というマツ科の木は樹齢4700年、これが世界で最も長寿の木だそうです。


今年の春、会いにいった岡山県北の「醍醐桜」の樹齢は約1000年、桜でいちばんの老木といわれている山梨県の「山高神代桜」の樹齢が2000年だそうなので、「縄文杉」や「ブリッスルコーンパイ」の樹齢には驚きを越えたものがあります。


年輪を重ね、内部が空洞化しながらも残されたエネルギーを力いっぱい使って最後の希望の羽を大空に向かって広げたように孤独に立っている老木への憧憬はどこから来るのか、老いた樹木の持つ底知れない生命力への畏敬の念からかもしれませんね。



さて今回はそんな老木を主人公にした物語です。


萩原浩氏著『千年樹』


1997年『オロロ畑でつかまえて』で第10回小説すばる新人賞
2003年『コールドゲーム』で第16回山本周五郎賞候補
2005年『明日の記憶』で第2回本屋大賞第2位&第18回山本周五郎賞
2005年『お母様のロシアのスープ』で第58回日本推理作家協会賞(短編部門)候補
2006年『あの日にドライブ』で第134回直木賞候補
2007年『四度目の氷河期』で第136回直木賞候補
2008年『愛しの座敷わらし』で第139回直木賞候補
他に2002年『神様からひと言』、2006年『押入れのちよ』など多数。


本ブログでは『明日の記憶』のレビューを書いていますのでよかったら読んでください。
          レビューはこちら



さて本書は2003年~2006年にかけて「小説すばる」に掲載された作品をもとに単行本化した連作短編集です。


「巨樹をめぐるドラマが胸に迫る連作集。
切腹前の武士、いじめに悩む中学生…。
千年を生きたクスノキの下、愚かで愛おしい人間たちの営みが時空を超えて交錯する」


とても密度の濃い読み応えのある作品でした。



主人公は村人から「子盗りの樹」と呼ばれてきた樹齢推定千年のくすの木。


その巨大な老木の萌芽のときから伐採されるまでの千年の間、くすの木が見守ってきた様々な人間たちの生き様をファンタジックに、しかも残酷に描いた8篇からなる物語です。


8篇それぞれに過去と現在という時空を超えて共鳴する2つの時代のストーリーが微妙に交差し1つの篇を構成しています。


その上8篇の現代版に登場するそれぞれの登場人物がお互いにリンクしあい終盤ではそれら登場人物の人生が千年樹の元、浮き上がってくるという巧妙な仕組みには感服します。


つくづくうまい作家さんです。



平安時代に東国に赴任した国司が地元の豪族に追われ、妻と幼子とともに深い山に分け入り絶命、飢餓に見舞われたその幼子の口からこぼれ落ちた楠の実が萌芽するという樹の始まりのときと、千年という時代を経てそこにあった幼稚園の卒園者のひとりである中学生の雅也がいじめにより自殺へと追い詰められる様子を描いた「萌芽」


第二次世界大戦による空襲で家族とも離ればなれになりながら大樹まで逃げ延び大事な宝物を埋めて力尽きた国民学校の治男と、もうすぐなくなる大樹のそばの幼稚園の思い出にタイムカプセルを埋めようとする生徒17人と先生の話を描いた「瓶詰めの約束」


大樹を密かな待ち合わせ場所にした廓の女郎と、時代を超えた短大生の悲しみを描いた「梢の呼ぶ声」



他5篇も千年という樹木の営みの間時代を超えて共通するのは人間のどうしようもない性が生み出した戦争や貧困、いじめなどに運命を翻弄される人々を描いて切ない物語になっています。


最後の章では3度の落枝事故により伐採されることになった千年樹が身悶えしながら終わりを告げる様子が描かれていますが、同時に地表に落ちた黒く丸いくすの実を1羽の鳥がついばみ大空に飛びたち知らない地上に糞を落とし萌芽の可能性を読者に想像させて終わっています。


営々と続く自然の輪廻を感じさせる終盤、巨大な老樹を主人公に据えたことで著者は時代を超えた人間の存在の矮小さを著したかったのではないでしょうか。

朝食は年中トーストと青汁、野菜スープか野菜サラダ、それにバナナ入りヨーグルトという定番メニューなので、天然酵母食パンを三日にあげず焼いていたのですが、冬に何度か発酵がうまくいかず失敗したのでここ数ヶ月パン屋さんのお世話になっていましたが、気温も高温に安定したので久しぶりに焼いてみました。


といってもホームベーカリーが焼いてくれるんですけど。  


いつもはクルミやレーズン、胚芽玄米、すりおろしニンジンなどを入れるのですが、数ヶ月前の失敗でホームベーカリーの容器をきれいにするのにすごく手間がかかったのを思い出し、失敗を前提にただシンプルな食パンにしました。


はるゆたかを冷蔵庫で冷やし、冷水の温度にも気をつけたところ久しぶりにうまく焼けました。


気をよくしたので明日はテーブルロールを作る予定。


ホームベーカリーや電子レンジという便利なものがなかった頃、ホーム炬燵や日の当たる窓際で発酵させては子どもたちとパンをいろんな形に成型したのを思い出します。



今はどんどん便利な調理器具も増えて、ますます料理などにやる気が出ているかというと自分に関しては反比例な感じ。


それでも新発売製品のコマーシャルなどを見ると「アレさえあれば・・・」などと懲りずに指を咥えています。



さて本日は今野敏氏著『果断 隠蔽捜査2』をご紹介します。


2005年「隠蔽捜査シリーズ」のトップを切って刊行された話題作『隠蔽捜査』の第2弾に当たります。


「隠蔽捜査シリーズ」に関しては
2006年『隠蔽捜査』で第27回吉川英治文学新人賞
2007年『果断 隠蔽捜査2』で第21回山本周五郎賞&第61回日本推理作家協会賞&2007年度「このミステリーがすごい!」国内編で第4位、「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門では第9位
2009年『疑心 隠蔽捜査3』
2010年『初陣 隠蔽捜査3.5』
2010年『収斂 隠蔽捜査4』



今野氏の著作分野はあまりにも幅広く、「警察モノ」だけでも本書を代表する「隠蔽捜査シリーズ」や安積警部補率いる刑事課強行犯係を主人公とした「安積班シリーズ」、警視庁科学捜査研究所に新設された架空の組織・STの活躍を描いた「ST警視庁科学特捜班シリーズ」などがあります。


「警察モノ」といえば「安積班シリーズ」のように現場の刑事の活躍を中心に描いた作品が多い中、「隠蔽捜査シリーズ」は警察庁のキャリア官僚の活躍を描いているところ、他作家の警察モノと一線を画しています。


著者の作品ではこのシリーズの第1弾『隠蔽捜査』と「ノンシリーズ」に位置する『同期』を読んでいます。

『同期』のレビューはこちら →

 
さて本書に移ります。

第1弾で東大卒・警察庁長官官房総務課長という超エリートコースを歩んでいた主人公・竜崎伸也が警察上層部の不祥事と自身の息子の不祥事を隠蔽することなく明るみに出したことから降格人事で大森署署長に任ぜられるところから本書・第2弾の物語がスタートします。


内容的には第1弾では掴みきれなかった主人公・竜崎の個性が際立って描かれていてその存在感が物語全体に色濃く反映され、最後まで飽きずに読ませる作品となっています。


所轄署の署長としての日々の煩雑な業務に煩わされる竜崎のもと、消費者金融強盗の犯人のうちの1人が管内の小料理屋に人質をとって立てこもるという事件が発生します。


異例の行動で現場に駆けつけた竜崎が選択を迫られる警視庁捜査1課特殊班SITと警備部所属の突入部隊SATとの主導権争い、そして膠着状態だが息詰まる立てこもり現場の様子、膠着を打破するため突入を提案するSATとそれを阻止しようとするSITとの駆け引きなど、臨場感あふれる現場での刻一刻に絡んで、竜崎の妻の緊急入院という事態が起こり、窮地に立たされる竜崎を描いて見事です。


警察上層部からの圧力や所轄署員との軋轢などに屈することなく己の信じる犯罪に立ち向かうための合理性を追求する竜崎の態度に次第に心を開く署員たちの地道な努力によって一旦は解決したかにみえた事件が思わぬ展開を見せるのも今回の読ませどころでした。


ストレス性胃潰瘍で倒れながらもそんな堅物の竜崎を支える妻の様子もすっきりと描かれていてとても好感が持てました。


ストーリー展開もそれぞれの人物描写も文句なしに充実していて読み応えがありました。

昨日は週1回の卓球の日。

日ごろの運動不足解消のために始めたのにエアコンがあまり効かない施設を想像しただけで気力が萎えてしまいます。

ここ5年ほど前から顔を中心にすごい汗かきになり、夏場少し体を動かすと汗が滴りおちて前が見えなくなるほど。


最近のスマートなスポーツクラブのようにエレベーターやエスカレーターはないので地下駐車場から階段で3階まで一気に上ります。

これがかなりきつく本番前からもうバテ気味の根性なしです。


日ごろ自宅のある6階まではエレベーターを使わず階段を利用するようにしていますが、エントランスから6階に上がるよりキツイ感じ。


今日も汗だけは人一倍かいてきました。


ところで私が住むマンションは15階建て、運動のために時々6Fから屋上まで上りますが、いつも不思議に思うのは1Fから6Fまで上るのと、6Fから15Fまで上るのとでは後者の方がラクなのです、階にすれば約2倍ほどもあるというのに。


何度試しても同じ体感なので、精神的なものが作用しているのかいろいろ分析中ですが結論がでません。(どこまでヒマなんっていう感じ)

6階から上は�TF上がる毎にどんどん地上から離れ、空気がきれいになり、空に近くなるのが心地いいので達成感とともに疲れが抜けるのでしょうか。


それにしても99歳になられる聖路加病院の日野原先生は高層階のご自分の部屋までエレベーターを使わず歩いて毎朝上がられるとか。


私から見ると驚くべき超人、そのすばらしい生き方を含め敬服します。




さて本日は宮尾登美子氏著『湿地帯』をご紹介します。


宮尾氏といえば芸妓娼妓紹介業を営んでいた生家を題材にした自伝的小説や芸道小説、歴史小説など幅広い分野で多くの読者惹きつけている日本を代表する作家のお1人ですが、初めてのデビュー作は1962年、女流文学賞受賞作『連』でした。


その後1973年に自伝4部作といわれるものの1つ『櫂』で太宰治賞を受賞されたのをかわきりに、『一弦の琴』で直木賞、『序の舞』で吉川英治文学賞など名誉ある受賞も多く現在に至っていらっしゃいますが、『連』と『櫂』との間の約10年間は不遇の時代だったと回想していらっしゃいます。


その不遇の時代に書かれたのが今回ご紹介する作品です。


本書のことはブログで親しくしていただいているトコさんの読書録で知りました。


読んでみたいと思わせるレビューを書かれていて、宮尾作品は全作品を網羅している私は図書館で探していましたが、書店の店頭に平積みされているのを目にして迷わず購入したという経緯があります。

トコさんの読書録はこちらから


本書の最後に書かれた著者による「読者のみなさまへ」という挨拶文。

「女流新人賞を頂いたのを機に、地方文化の振興と新人への激励をこめて、その二年後に高知新聞が独自で掲載を企画してくれたもので、当時としては画期的なものでした・・・
新人の私がどれだけ緊張、張り切ったか、誰も想像に難くないと思います。
しかし、ねらい通りにはいかず結果はさんざんで恥ずかしい作品になりました・・・
どうぞ、ご一読、お笑いください」


解説を担当された文芸評論家の末國善己氏は、この幻の1冊が書かれた約半世紀前の時世に触れられ、松本清張氏の『点と線』や仁木悦子氏の『猫は知っていた』など社会派推理小説がブームとなった時期と重なり、新人だった著者が本書にミステリー的な要素を取り入れたのはそのような背景によるものであろうと推察していらっしゃいます。


解説で指摘されたように本書は、国立の衛生研究所で薬務次官から高知県庁の薬事課長に転出した小杉を主人公とするミステリー的要素の濃い作品となっています。


大手の製薬会社などの戦略により保健薬が世間に出回り始めた時期の薬価問題を取り上げ、殺人を絡めながら社会の闇に切り込みをいれているところは新人とは思えない筆力を感じましたが、物語の流れに必然性が感じられないような登場人物たちが複雑に絡み合い、エピソードに次ぐエピソードが煩雑感や冗長感を感じさせる作品となっているのは残念でしたが、力作であることには共感できる作品でした。

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