VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年09月

昨日は観光と関係のない名古屋へのとんぼ返り旅を余儀なくされました、夫婦ともどもおちょこちょいが露呈する出来事で。


神奈川に所有していたマンションの売買が成立して最終契約に出かけていた夫が現場から電話してきたのが11時。


実印を入れたつもりが入ってないとの夫からの電話。


昔から忘れ物が多い夫ですが念には念を入れて前もって用意したたくさんの書類一式を持って出かけたはずが・・・


今まで何度かの打ち合わせでは必ず持参していたのに。


引出しを探すと確かにありました、実印が


この前いつもの実印入れと会社で使用している印入れを夫がチェンジしていたということがあとで判明しましたが後の祭。


夫がチェンジしていたことを知らずに実印が入っているとばかり思って確かめもせず渡した私が悪いのか、それを確かめもせずに持っていった夫が悪いのか、責任の所在を追及するような悠長な時間もなく、電話でのやりとりでとりあえず白い紙に実印を押してファクスしたものの、それでは用を足さないことが判明。


急遽その実印を持って「のぞみ」に飛び乗りました。


新横浜が目的駅、そこから地下鉄、田園都市線を乗り継いで鷺沼の不動産会社が契約の現場。


不動産会社の人のほか、買主さん、管理会社、銀行、司法書士の方々と夫。


買主さんの登記や銀行ローンの関係から銀行の提示したリミットが2時半。


ということで司法書士の方が新横浜から逆に名古屋まで私を迎えてそこで必要書類に捺印するということになりました。


お互い携帯で連絡を取りながら、無事に名古屋駅のホームで出会ったときが2時10分。


急を要するためにそのままホームのベンチで書類に捺印、彼はその場で書類を銀行にファクスしとんぼ帰りされました。


私は折角なので名古屋駅周辺をうろついてみようかなと一瞬思いましたが、以前名古屋に単身していた夫を訪ねて何度か行った名古屋の印象があまりよくなく、食べ物も苦手なのでそのままUターンして帰宅しました。


要した時間は7時間ちょっと。


たった1コの小さな忘れ物のために使った無駄なお金と労力と時間に歯噛みする思い。


私のあとから夫が帰宅したときはお互いどちらの責任かを追及する気力もなく、三面記事に載るような殺傷沙汰にならずに無事に1日が終わりました。


車中文庫本がしっかり読めたくらいがよかったこと。


高い授業料を払って夫ともども「念には念を入れ」を胸に焼き付けた出来事でした。

今まで何度も焼き付けてはいるんですけど。




今野敏氏著『朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕』


「あの日、妻が消えた。何の手がかりも残さずに。
樋口警部補は眠れぬ夜を過ごした。そして、信頼する荻窪署の氏家に助けを求めたのだった。
あの日、恵子は見知らぬ男に誘拐され、部屋に監禁された。
だが夫は優秀な刑事だ。きっと捜し出してくれるはずだ―。
その誠実さで数々の事件を解決してきた刑事。
彼を支えてきた妻。二つの視点から、真相を浮かび上がらせる、本格警察小説」



刑事課強行犯係安積班の活躍を描いた「安積班シリーズ」や警察庁長官官房総務課長というエリートコースからはずれた竜崎伸也を主人公の「隠蔽捜査シリーズ」などと並ぶ警察シリーズのうちの1つ・警視庁強行犯係が主人公の「樋口顕シリーズ」の第2弾が本書、時系列でいえば次の通りです。

1996年『リオ』
1999年『朱夏』
2000年『ビート』


それぞれのシリーズに登場する主人公・安積や竜崎などの造形が際立つ著者ですが、本シリーズでも樋口の個性が緻密に描かれていて、その真面目かつ強引さのない人の目を気にする性格ゆえに無器用ともいえる主人公の深く潜行した家族に対する思いが事件をきっかけに炸裂する様子が描かれています。


ミステリー的な要素を期待すると肩透かしを食う内容、早々に犯人の目星もつきますが、上述したように家族愛を主の柱に据えて構成した作品。


しかし、犯人の誘拐の動機などが読み手にとって作為的な稚拙さで説明されているところや、犯人に行き着くまでの筋道の納得できない推理、そして会話体の多い文章自体に締まったところがなく、2000年に入っての作品「隠蔽シリーズ」と比べて力量に大きな差があるように感じられたのは残念でした。


家族小説として読めばそれなりに救出後の変わらぬ夫婦の日常にかえって納得がいくラストでしたが。


最後に題名について

樋口の上司・天童が犯人を代表する現代の若者を甘やかす大人たちに言及している中に出てくる言葉。

「青春の次には朱夏が来る・・・
燃えるような夏の時代だ。
そして、人は白秋、つまり白い秋を迎え、やがて玄冬で人生を終える。
玄冬とは黒い冬、死のことだ。
最も充実するのは夏の時代だ。
そして、秋には秋の枯れた味わいがある。
青春ばかりがもてはやされるのはおかしい」


大人は子どもたちに必要以上に媚びず、毅然と自分たちの朱夏や白秋を謳歌しようではないか、というメッセージ蛾込められていて共感しました。

果物王国の岡山ならでは、今年もいろいろな種類の桃とブドウを楽しみましたが、そろそろ終わりを告げようとしています。

岡山の桃といえば白桃、数種類の品種が時期毎に収穫されています。

例えば白桃の王様といわれている「清水白桃」は7月下旬から8月上旬に収穫の一気勝負。


今年は異常気象のせいかあちこちの桃園で清水白桃や新種の夢白桃の一部が病害に侵されるという被害も出たようです。

私が個人的に送ってもらっている先輩の桃園でも新しい人気品種の「夢白桃」が病害虫にやられてしまいました。



また桃と並んで岡山の名産となっているぶどうの王者「マスカット」もここ数年ですごい進化を遂げています。

種なしブドウはいろんな品種にありますが、マスカットの種を抜き、皮ごと食べられる品種がすごい広がりを見せています。


それぞれ「桃太郎ぶどう」「瀬戸ジャイアンツ」「シャインマスカット」という商品名で出ていて、糖度や大きさに多少の違いがありますがどれも種なし、皮ごと食べられて周辺では大変人気があります。


写真は知人からもらった「桃太郎ぶどう」、桃のようにお尻が少し割れた感じから命名されています。



その桃太郎ぶどうもそろそろ終わり。


ちょうど桃太郎ぶどう狩りに誘われていた週に子どもたちが帰省していたので来年に持ち越されてしまいました。


ぶどう園の人たちは収穫時期常時上を向いてはさみを入れるのでシーズンが終わると首や腕が動かなくなるほどの重労働だそうです。


苦労話を聞くと一粒もおろそかにできない気持ち、心して味わいたいと思います。





さて本日は緒川怜氏著『特命捜査』をご紹介します。


「取調室で被疑者死亡事件を起こした男性刑事、瀬川文秋。
親に捨てられ、孤独に生きてきた女性刑事、功刀(くぬぎ)沙矢子。
二人に与えられた極秘の特命は、かつてカルト教団が起こした連続爆破/集団自殺事件を担当した元公安警察官殺害事件の真相解明だった。
他人への無関心、メンツ、建前、セクショナリズム。組織の論理に振り回されながら捜査を進める二人だが、その真相は……ドラマティックな警察小説」


2008年第11回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作『霧のソレア』以後の第2作目に当たる作品です。



第3作目『サンザシの丘』のレビューは先日このブログでアップしていますのでよかったら見てください。
   


第3作と同様、カルト教団の事件や公安と刑事の確執、主人公たちの過去のトラウマなど多くの社会問題、人間ドラマがてんこ盛り。


その一つ一つは誠実に破綻なく構成されているのですが、あれもこれもと盛り込みすぎですっきりしない読後感となっています。


また偶発的な事象を多く取り入れているため、事件解決に関して特にラストの締め方が現実味に欠けた感が拭えなかったのは残念でした。


もう1つ、前述の『サンザシの丘』を読み始めてすぐに感じたことですが、1つ1つのセンテンスに説明的な修飾語が前付けされていてとても読みにくいという特長があり、それは本書でもあちこちで見られました。


著者の文体の特長ともいえますが、苦心の文章にも関わらず肝心の重要なエレメントが長い文章のおかげで薄められているというマイナス要素を感じてしまいました。


マイナスポイントを羅列しましたが、社会問題へのアプローチ、警察内部の確執などの描写は著者の確かな裏づけ調査力を感じさせるもので読み応えがありました。

連休を利用して東京にいる次男が祖母を見舞うため帰省していました。


幼児期から中学まで神戸で育ち、高校からはずっと東京暮らしで現在社会人6年目の28歳。


長女、長男のあとの年の離れた末っ子だったので私たち両親も兄弟である姉も兄もみんなで愛情をかけてきた次男なので一人前になっても周りがいつまでも幼子という気分が抜けません。


サラリーマンとして上司や同僚などとうまくやっていけているのかなどと親の心配は尽きませんが、続いているところをみると受け入れてもらっているかなと内心ホッとしています。


外食やコンビニ弁当ばかりの次男に何が食べたいか聞いたところ、コロッケやとろろ、焼き魚など素朴な家庭料理を並べたので、まずはとコロッケを作りました。 d9ab7cff.jpg



次男にジャガイモをつぶしてもらったり、小麦粉や卵、パン粉にからめてもらいながら思春期の次男との怒涛のような中高時代を思い出して今のささやかな幸せをかみしめました。


9月15日が私の誕生日だったこともあり、梅の花のすてきな香炉と2種類のお香プラスお小遣いをプレゼントしてくれました。
 


サラリーマンになってからときどき渡してくれるお小遣いはもったいなくて使えないので密かにたんす貯金をしています。


生きにくい世の中ですが、三面記事に載らないような平凡で誠実な自立生活を営んでくれることが私の子どもたちへの最大の願いです。





さて今日は佐藤愛子氏著『院長の恋』をご紹介します。


12年を費やして父・佐藤紅緑らの破天荒な生き方を描いた力作『血脈』にエネルギーを費やして以来、エッセイ以外書けなくなったという著者の6年ぶりの5編からなる短篇集。


帯には「これが最期の作品集」とあり、満足する仕上がりになったと著者は語っていらっしゃいます。


「 私はね、人間というものに対して非常に興味があるんですよ。
憎まれ口を叩くのが佐藤愛子の看板みたいになっていますから、ほんまかいなと思われるかもしれないけど、私ってほんとに、人が好きなんです。
怒りながらも人が好きなのね。
好きだから怒るのかも。
書いていてとても楽しいわけですよ」


愛子さんファンのひとりとして、ここ数年のエッセイを通して失礼ながら文章に老いが感じられて一抹の淋しさを感じていましたが、本書は著者の自信作というだけあってその不安感が一挙に払拭されたのは個人的に嬉しいことでした。



「尊敬する院長先生があんな女に夢中だなんて……。
心を痛めた秘書のとった行動は。善男善女が常軌を逸していくさまを巧みに描く短編集」


★妻子にも名誉にも恵まれ、患者の信頼も篤い分別盛りの52歳の病院長が20歳近く若い製薬会社の営業部員である女性との恋の深みに嵌まり、彼女に操られて右往左往する様子を秘書の目を通して描いた表題作「院長の恋」

著者は執筆する際のテーマを次のように述べていらっしゃいます。
「恋する男の物語ではなく、恋そのものを主人公にした話を書きたかったんです。
恋というもの。   それは一つの情念で、やがては必ず醒めるんですよ。
永遠の恋なんかないんです。   それがテーマです」


★78歳の老婦人の住む離れの隅っこにいつも正座して彼女を見つめている男の霊の存在に訝る老婦人と、ずっと若い頃プラトニックの愛を交わしただけで戦場へと旅立ったため諦め切れない肉体への憧憬を持ち続けている男の霊の対比を絶妙な筆致で描いた「離れの人」


★妻に先立たれて心の自由を得て独身を謳歌する主人公の元校長が嫁のお節介から送られてきたお手伝いさんの過分な善意に嫌悪感を抱きながらやがて慣らされていく様子を描いた「沢村校長の晩年」

 
ほか2篇を含めた5篇はどれも人間の切なくも滑稽な心の微妙な機微を絶妙に描き、味わい深い作品となっています。


ともすれば堂々と批判できる悪意より扱いの難しい善意の押しつけをテーマにして愛子さん独特のユーモアで包んだ「沢村校長の晩年」が特に出色の出来!


頑なな老人の偏狭さと善意の欺瞞、その両方が交差して一戦交えるものの戦いに敗れる老人の様子がおもしろおかしく描かれていて愛子さんの往年の力強さを感じさせる筆致に脱帽です。


85歳の愛子節、健在です!

健康保険証の切り替え時期、新しい保険証が届きました。

前年の臓器移植法案の改正により世論の関心が高まっていることを受けてか、今回より画期的な試みが導入されていました。

保険証の裏面に臓器提供意思表示欄が設けられたのです。


法案改正の中身は臓器を提供する意思表示に併せて親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになりました。

加えて本人の臓器提供の意思が不明な場合にも家族の承諾があれば臓器提供が可能となったことにより15歳未満からの脳死下での臓器提供も可能になったというもの。


以下が保険証の裏面の内容です。

◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇
1 私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。
2 私は、心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。
3 私は、臓器を提供しません。
   [心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球]
◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇

その他「特記欄」「署名欄」など列記。


私は何十年も前からドナーカードを持っていますが、意思表示を記載している保険証のほうがより公に速やかに意思表示ができるメリットがあると思います。

ドナーカードでは提供できる臓器に○をした上で欄外に「その他すべて」と記しています。

明記しなかったことで臓器提供の意志がありながら故人となって意思表示ができなかったばかりに提供のチャンスを逃した人の例を聞いたことがあります。

いずれにしても故人にその意志があっても家族などの意向が大きく関係する提供、私の場合は、以前夫と話し合ったとき、夫が死後体に傷をつけられるということにいわれなき嫌悪感を持っているということがわかったので、それをクリアしないかぎりは保険証に臓器提供意思表示を記載することができません。


生きているうちにあまり人の役に立てていないのを認識している私は使える臓器があれば是非役に立ちたいという願いがありますが、加齢とともに衰えを自覚している昨今、夫の賛成が得られても提供できるような状態で臓器を保てるかという不安もあります、なるべく化学薬品は服用しないようにしているのですけど。





さて本日は佐木隆三氏著『慟哭 小説・林郁夫裁判』をご紹介します。


著者は主に世間を震撼させた犯罪に関するノンフィクション作家として有名な方です。


1976年福岡で起こった実際の事件を扱った『復讐するは我にあり』で直木賞
1991年『身分帳』で伊藤整文学賞
他に宮崎勤事件、オウム真理教事件、光市の母子殺害事件など多くの事件に関する裁判の記録などの著書多数。



「『私がサリンをまきました』
オウム真理教の大幹部・治療省大臣にして地下鉄サリン事件の実行犯・林郁夫。
その告白と慟哭の法廷から、未曾有の無差別殺人事件の全体像が浮かび上がった。
文庫化にあたり、書下ろし『その後のオウム裁判』も収録した、オウムの真相を暴く渾身のノンフィクション・ノベル」



形は著者・佐木隆三氏による裁判の傍聴記ですが、内容的にはサリン実行犯に名を連ねた治療省大臣・林郁夫のマインドコントロールが解けていく段階のまさに「慟哭」の裁判記録です。


今から15年前の1995年3月20日に起こったカルト集団・オウム真理教による地下鉄サリン事件。

同じ年の1月17日に起こった阪神淡路大震災と並んで世界中の人々の記憶に焼きついて離れない出来事でした。


当時溢れる情報の海の中で教祖・麻原彰晃こと松本智津夫ほか幹部である弁護士の青山吉伸や教団のNo2であり事件が明るみに出る直前に対外的には暴力団によって刺殺された村井秀夫、教団のスポークスマンとしてマスコミに名を馳せ、教団解体後は「アーレフ」を経て「ひかりの輪」を設立して代表となった上祐史浩、そして治療省大臣でありサリンを撒いた実行犯の1人だった林郁夫などの名前が出ない日が1日もないくらいでした。


本書では、1994年に最初は「人類の救済」を最終目的にヨーガを軸にしたインドの思想を反映したヨーガ集団として出発したオウム真理教が教祖・麻原の陰謀により徐々に最悪の反社会集団へと変質していく過程が林郁夫の裁判での尋問や回想とともに浮き彫りにされていて大変読み応えのある記録となっています。


これに先駆けて1998年に林郁夫が獄中で執筆した回想録『オウムと私』には地下鉄サリン事件勃発までの林郁夫の目を通した麻原の思想の変遷が描かれていて、この事件に関心のある読者にとっては必読の書といえるでしょう。

『オウムと私』のレビューは後日アップしたいと思います。


事件を通して俎上にあがったオウムの幹部信者たちの輝かしい経歴を知るにつけ、このような知識人集団がなぜ?という疑問は当時誰もが持ったのではないでしょうか。


本書に登場する林郁夫氏はその筆頭であり、堅実な医師の家庭に生を受け、慶応大学医学部を卒業、アメリカの先端技術を誇るサイナイ病院での研修経験もあり2人の子どもに恵まれたよき家庭の父親でもありました。


本書ではそのエリート医師が麻原の指名により地下鉄サリン事件実行犯となり、逮捕後、刑事と相対する取調室で徐々に心を開き、自ら進んでサリン実行犯であることを自白したことがきっかけで事件の全貌が明らかになるという劇的な過程が綿密に描かれています。


若い時代から仏教に深い関心を寄せ研修医時代には桐山靖雄氏率いる阿含宗に入信、修行生活13年ののちオウム真理教に出家したという経歴。


一方同じ阿含宗で3年を過ごしただけの麻原がこの輝かしい経歴とともに深い宗教観を持つ年長の林郁夫に劣等感を持っていたことが伺える言動や記述が多々見られ、それがゆえに中堅若手で占められていたサリン実行犯に林郁夫が指名されたという推察には興味深いものがありました。


長い裁判の過程で林郁夫が麻原からのマインドコントロールから目覚めていく過程での慟哭は林の犯行は許しがたいものではありますが、魂を揺さぶられるほどのものでした。


医師として真摯に患者に接するうち身体の救済のみならず全人的な魂の救済も含めたスケールの大きな救済活動ができるよう一心に修行の日常を送っているはずだった林が犯罪に手を染めることになったその宗教観は本書を読むまでは奇想天外、荒唐無稽と思っていましたが、その真摯で敬虔な宗教観ゆえのものだったということは完全ではないもののある程度理解することができました。


大半のサリン実行犯は死刑を求刑されたなか、唯一林だけが無期懲役とした異例の判決の根拠となったのも自ら進んでの全面自供とともに、その真実と見える慟哭が大いに関与していると思われます。
裁判中に麻原との対決場面も出てきますが、命を賭けて帰依した麻原のお粗末さが露呈していて目を覆いたくなるほど。

そして宗教を持たない私は「なぜこんな男に」という最初の疑問に幾度も幾度も突き当たって読了したのでした。

書きたいことは山ほどですがこの辺で止めます。

是非ご一読を!

我が家にある夫用と自分用の2台のパソコン。

どちらも破壊寸前状態、何度もシステムの復元をしたりなど、素人のできる範囲で宥めながら使ってきています。

光ファイバーなので速いはずが、親機の夫のデスクトップはオンしてから立ち上がるまでに相当な時間がかかる上、メール設定しているOut Lookからのメールも入らない状態、加えてしょっちゅうキーボードが無効になるというボロ。

中古を購入した私のノートパソコンは子機設定で無線にしているにもかかわらず無線が無効で有線で使用していますが、これもしょっちゅうフリーズしたり、マウスが使用できずキーボード操作のみ、加えて怪しい動きをします。


両方とも買い替え時期に来ていますが、先日地デジのテレビを買ったばかり。


我が家にパソコンのなかった20年前に戻れば何ということはないはずなのに、携帯電話と同様、いまやテレビより必需品にレベルアップしています。


2台のパソコンはどちらもXPですが、新品を選ぶとなると必然的にVISTAとなるのは避けたいのでどうしたものかと悩んでいた矢先に娘たちが帰省。

専門家の目で中古ショップで選んでもらおうと相談していましたが、結果的に不具合をすべて直してくれたのはとてもラッキーでした。


無線関係の故障時にはメーカーとNTTに電話で導いてもらったこともありますが、結局ルーターにもLANカードにも不具合が見つからず原因不明ということで諦めていましたが面倒な有線がなくなってすっきり。

パソコン相手にいつも怒っていた夫の文句も聞かなくていいし、フリーズの心配なくワードも打てるようになり今回は娘たちに大いに感謝です。


ということで浮いたお金で外食を奮発しました、といっても回転寿司ですけど。




今回のレビューは緒川怜氏著『サンザシの丘』です。


2008年『霧のソレア』で第11回日本ミステリー文学大賞新人賞
2009年『特命捜査』
2010年『サンザシの丘』


「小さな夢を持ち、つつましく日々を暮らす若い女性が殺された。犯人は目撃されていたのだが、巧みな身元隠しにより真相が掴めない。
パニック障害を抱えつつも、義憤を胸に秘めた一人の刑事が犯人を追う。
そして、刑事が辿り着いたのは、帰る場所も何もない男の背中だった」



所属している読書コミュで大変評判のよかった作品、初読みの作家さん、大学卒業後共同通信に勤務しながら『霧のソレア』でデビューされました。


松本清張氏の『砂の器』のオマージュといえる作品。


ある殺人事件を発端に、ひとりの刑事が執念ともいうべき追跡で虚像のような犯人を追い詰めていく物語、『砂の器』を髣髴とさせるラストシーンが切なさをもって胸に響きます。


中国残留孤児の母親とともに日本にやってきた家族が運命に翻弄される姿を巧みに描いて読み応えのある社会派推理小説となっています。


「私は日本人であって日本人ではない。それどころか何者でもない」という犯人の哀しみが胸に迫って、私たち日本人のあり方に鋭いメスを入れています。


ただ犯人と心を通わせていたはずの被害者の女性が「なぜ殺されなければならなかったのか」という出版社のポップに用いられた言葉が内容に反してひとり歩きしている感が否めませんでした。


図らずも殺人まで犯さなければならなかった主人公と被害者との触れ合いを掘り下げることで運命に翻弄される主人公の悲哀にもっと近づけたという気持ちで読了しました。


ちなみにタイトルに用いられている「サンザシ」は日本名「山査子」、中国原産のバラ科の低木、中国名は「シャンジャー」だそうです。


主人公である犯人の中学時代の友であり、残留孤児の家族という同じ運命を背負った友人の口から語られたエピソードに出てくるシャンジャーは故郷・中国の母なるような花です。


「どうして、おまえは、みんなから馬鹿にされても、おれみたいに切れないんだ?」

「自分だけのために大事にとってあって、誰からも決して邪魔されることのない心の中の場所に行くんだ。
おれが育った吉林省の村には、なだらかな丘があった。
そこにはジャンジャーがたくさんあって、毎年秋になるとその実が熟れて真っ赤になるんだ。
冷たく澄んだ青い空の下に広がる赤。
その美しい景色を思い描くと、クラスの連中の卑しい罵り声も教師たちのほとんど犯罪に近い関心のなさも、何ひとつ気にならなくなる」


深く考えさせられる内容の作品でした。

県展・日本画部門にエントリーしていた友人が県展賞を受賞したという電話をもらいました。

夫の所属する油彩画教室を主宰されている先生が県展の審査員という関係でチケットをもらっていたので見にいきました。


大学時代からずっと日本画を続けている友人は長いキャリアを持っています。


数年前私と前後して故郷・岡山に定住するまでずっと東京で結婚生活を送っていた間も日本画を続け、都展でも無審査で出品できる実力者です。


市街地のはずれの広大な敷地内でご主人と畑を耕しながら近所の子どもたちに絵を教えています。


季節の野菜ができたら電話をくれるので時折訪問しては描きかけの絵を見せてもらったりしておしゃべりする間柄。


彼女とは10年間も同窓という関係で中学に入学したての頃からのお付き合いです。


私の命となった飼い猫をもらいうけたのも彼女からでした。


話は外れましたが、今までの彼女の作品は中国の風景の他歴史に材を取ったものが多く源平の壇ノ浦の合戦や岡山の藤戸合戦を細かなタッチで描いていてその根気にため息が出るほど。


今回は倉敷のレトロなシースルーの電話ボックスを描いていてこれまた難しいシースルーの感じがよく出ていました。


好きなことをこんなに長く続けることのできる粘り強さと、そしてそれが認められる幸せに脱帽です。




さて今日は藤沢周平氏著『半生の記』です。



「『自分の過去が、書きのこすに値いするほどのものかといえば、とてもそんなふうには思えない』という含羞の作家が、初めて綴った貴重な自叙伝。
郷里山形、生家と家族、教師と級友、戦中と戦後、闘病生活などが淡々と描かれ、藤沢文学の源泉をあかす稀有なる記録ともなっている。
巻末に詳細な年譜も付した、伝記の決定版」


飾りのない人柄そのままの素朴な筆致で淡々と語っている半生記。


山形県鶴巻市の出身、山形師範を出て教員になった矢先結核が見つかり療養を余儀なくされたなどということは有名なので知っていましたが、本書により幼少時から壮年期にかけての生い立ちを詳しく知ることで、藤沢氏の謙虚で含羞のある生き方の源泉に触れることができる納得の書。


病が癒えてのち再就職に阻まれ厳しい就職活動の末業界紙の記者となり『暗殺の年輪』で直木賞を受賞されました。


受賞作が刊行され世に出た直後ご自身が奉職されていた故郷・鶴岡の湯田川中学へ講演に行かれたときの教え子たちとの再会について書かれた1文には著者の人柄がにじみ出ていて胸を打たれます。


「会場の聴衆の前列にそのときの教え子たちがいた・・・
私が話し出すと女の子たちは手で顔を覆って涙をかくし、私も壇上で絶句した・・・
講演が終わると、私は教え子たちにどっと取り囲まれた。
あからさまに、『先生、いままでどこにいたのよ』と私をなじる子もいて、“父帰る”という光景になった。
教師冥利に尽きるというべきである」

そして業界紙の記者と小説家と、どちらが幸福かは簡単には言えないが、そのときだけは小説家になった幸せを感じたと記していらっしゃいます。


もうひとつ特に感慨深かったのは最初の奥様を長女・展子さん出産後にがんで亡くされたときの1文です。


「そのとき私は自分の人生も一緒に終わったように感じた。
死に至る一部始終を見とどける間には、人には語れないようなこともあった。
そういう胸もつぶれるような光景と時間を共有した人間に、この先どのようなのぞみも再生もあるとは思えなかったのである・・・
胸の内にある人の世の不公平に対する憤怒、妻の命を救えなかった無念の気持ちは、どこかに吐き出さねばならないものだった。
私は一番身近な懸賞小説に応募をはじめた。
そしておそらくはそのことと年月による慰藉が、私を少しずつ立直らせて行ったに違いない」


少年時代に遭遇した日中戦争、生家の没落、青年期の病による挫折、そして愛するものを失うという人生最大の不条理などをすべてを血肉として人間への優しい眼差しを熟成していかれた道程が納得できた作品でした。

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