VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年10月

私は自分では絵を描けませんが観るのは大好きです。

かなり好き嫌いが固定していてどんな大家が描かれた評判の絵でも自分の好みではない絵には心が動かされません。


いままで心が動かされた絵の数々をふり返ってみると、その奥に画家の苦悩の顔が見えるような、そんな絵に惹かれます。


貧しさと不遇の中で死んでいったモディリアニの絵にしばしば登場し、モディリアニの死後2日後お腹にモディリアニの2人目の子どもを宿したまま飛び降り自殺した妻のジャンヌ・エビュテルヌの肖像画を通して見え隠れする不遇の哀しみや、28歳の若さで夭折したオーストリアの画家・エゴン・シーレの愛人といわれたヴァリーの肖像画を眺めていると観ている側の私の胸も哀しみに囚われるほど、惹きつけられます。


退廃と官能の画家といわれたエゴン・シーレは人間の欲望をむき出しにしたような構図を描き、そのあからさまな作品に眉を顰める人々もいますが、好んで描いた娼婦の顔からうかがえる深い哀しみにやはり心が揺さぶられます。


この異色の天才画家と称されるシーレの絵と最初に出合ったのはある文庫本によってでした。





五木寛之氏著『哀しみの女』
我が家のエゴン・シーレ

「一枚の絵に導かれてあなたの運命が静かに変わっていく・・・。
年下の恋人・章司と暮らす和実は、異端の画家エゴン・シーレの作品『哀しみの女』に強く惹きつけられる。
描かれていたのはシーレのモデルで愛人だったヴァリー。
この女性の人生に、和実は自分の運命を重ね合わせていく。
大人の女の愛を描いた恋愛小説」


シーレの28歳年長の師であったクリムトにより自らのモデルであり愛人であったヴァリーを譲られたシーレはその後数年ヴァリーと同棲生活を送り、多くの作品のモデルとしたあと別の女性との結婚でヴァリーと決別するというエピソードを通して、ヴァリーの生涯に焦点を置いて日本を舞台に恋愛小説として書き上げた作品。


哀しみの女・ヴァリーの気持ちはもはや知るよしもありませんが、 まっすぐ射るように画家を見つめる視線の奥に私は深く潜行した絶望的な哀しみを感じてしまいます。

その哀しみを掬い取ったのがこの作品。


不遇時代を陰で支え続けた妻や恋人を、名を遂げたあと棄てる例は世間では珍しくありませんが、この作品では売れない画家のために尽くすひとりの女性の徹底的に犠牲的な生き様を描いています。


あまりにその犠牲的な考え方を「真実の愛」という美辞で著すのは簡単ですが、マゾ的な境遇に自分を置いたときにのみ自分の存在を確認できるという穿った見方をしてしまうほど。


「章司は一人では生きてゆけない人間だけど、私はたぶんひとりで生きてゆけると思うの」

恋人に新しい彼女ができたとき、主人公の和美が自分自身に上記の台詞を何度も言い聞かせ納得しする場面がヴァリーと二重写しになり涙を誘います。


自分にはとうていまねできないほどの激しい自己犠牲の物語に圧倒されました。


夫の知人から寄せ植え鉢をもらいました。

すてきな寄せ植えもさることながら植木鉢がなんと新聞紙でできたエコ植木鉢だというからびっくりです。


そういえばこんな形態の山野草などを植えている鉢を見たことがありますが、実際手にとって眺めるのは初めて。


材料は新聞紙とセメントと墨汁だそうです。


細かくちぎった新聞紙を2、3日水でふやかしたのち水気を絞り、セメントと墨汁を入れてよくこねて、あらかじめ作りたい形の容器にビニール袋を敷いて薄くのばした土塊を形に合わせて作り乾かすのだそうです。


植木鉢にするなら底に水抜きの穴を開けておくそうですが、いろいろな容器に応用できそうですね。


図書館で雑誌を見ていたら、同じような工程で普段使いの容器を作っている記事が載っていました。


新聞紙だけでなくチラシなど廃物を利用していてセメントなしで私にも簡単に作れそうです。


小さな手仕事は心を和ませるのに最適、1度トライしてみたいと思っています。





さて本日は芝木好子氏著『雪舞い』をご紹介したいと思います。



以前ブログ友である方が芝木好子氏の作品を集中的に読まれていることを日記に書いていらっしゃったのに影響を受けて本箱を探すと10冊以上の著書が出てきました。


ずっと昔ですが芝木氏の作品に傾倒して手当たり次第に著書に埋没していた時期があり、懐かしく思い出しながらそれらをベッドサイドに積み重ねて図書館で借りた本と交代で再読しています。



現代の作家さんの作品を通して気持ちがガサガサと騒がしくなったあとなどに芝木氏の作品を読むと、柔らかい掌で心を慰撫されるような感覚にほっとすることもしばしばです。



芝木氏の作品に登場する女性は、外見はたおやかそうでも内面に秘めた芯というものがしっかりとあり、その一途な物思いの対象が芸道であれ、慕わしい男性であれ、決して崩れないという強靭さを持っているというのが特徴です。


本書の主人公もその例に漏れず、築地の料亭“花巻”で働きながら、地唄舞いを心の支えにして生きている30歳の有紀。


妻のいる日本画家の香屋雅伸と激しく愛し合い、香屋の妻の敵意と嫉妬を全身に受けながらも50歳でガンに倒れ逝った香屋と愛を全うするという筋立て。


妻という立場は得られなかったものの、生きる支えであった舞いと香屋の両方を決して手放さなかった主人公の女性としての心栄えを描いて見事ですが、香屋の妻の目線から見れば物語の景色は180度変わってきます。


本書ではその妻が特異な嫉妬深い好まない性格として描かれています。


「画家と舞踊家の哀しくも切ない愛と女の情念を描き上げた小説」と銘打ってはいますが、そこに割り切れない違和感が生じてしまうのは否めません。


そういった小さな違和感は別として、現代の作家の忘れ去ったような美しく慎み深いせりふ回しなどの表現はまるで一服の清涼剤のように私の心に染み渡るのでした。

人が集まるところさまざまな問題が出てきますね。92d2610c.jpg



最小の集合体である夫婦や恋人、親子という2人の集まりでもお互いの自我の闘いが日々繰り広げられています。


近くにある大きな公園でお年寄りの男女がゲートボールをしている光景によく出くわし、いつもはほほえましく眺めていましたが、先日通りかかると不穏な空気に包まれているのを目撃、興味津々で近くのベンチで聞くとはなしに聞いたところ、それぞれのチームに分かれての試合中、技術的に未熟な仲間を別の仲間が攻撃していました。


ゆうに80歳は超えているようにみえる白髪頭の高齢者の女性がいきり立って別の女性を指差し、仲間の高齢者の男性に向かって糾弾している様子は耳を塞ぎたくなるほど、いたたまれず急いでその場を離れました。


たかが遊びの範疇のゲートボール、何もそんなにイノチかけなくても・・・。

もうそろそろ円熟してもいい年頃ではないの?


心のうちでそんなことをつぶやきながら帰りましたが、我が家でもいいトシをした人間が2人しかいないのに似たような小競り合いが日々繰り広げられるのを思うと、いくつになっても人間の業の深さを思ってため息が出ました。



さて本日は「家族」という運命共同体の中で1人のバランスが崩れると小さな齟齬がどんどん積み重なり、まるでドミノ倒しのような状況になったある家族の物語です。


村上龍氏著『最後の家族』


「この小説は、救う・救われるという人間関係を疑うところから出発している。
誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。
そういった考え方は自立を阻害する場合がある。― 村上龍」


引きこもり、ドメスティック・バイオレンス、リストラなど社会に蔓延している問題をテーマにした作品。
2001年に刊行され、ドラマ化もされました。



大学に馴染めずドロップアウトして引きこもりを続けるうち家庭内暴力を振るうようになった21歳の長男

経営不振の勤務先でリストラ対象者となった夫

息子の引きこもりや暴力を案じ、カウンセリングなどに通う先で知り合った若い大工の青年との付き合いを通して安らぎを得るようになった妻

10歳も年長の宝石デザイナーにイタリア行きを誘われている高校3年の娘



以前は紛れもない団欒を演じていたはずの家庭のメンバーだった4人がそれぞれの葛藤を胸の内に秘めながら物語が進んでいきます。


父親のみが「家族みんなで食卓を囲むこと」というもはや形骸化した家族のイメージに固執しますが、虚しく空回りするばかり。


そんな状況下、隣家の夫から妻へのドメスティックバイオレンスを目撃した長男が隣家の妻に対する同情から相談に行った弁護士事務所で女性弁護士に自分自身の相反する心の内を指摘されます。

「親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」


この言葉を重く受け止めた長男の気づきを通して、家族という1個の集合体はいったん解体し、そしてそれぞれが自立したあとまた家族になる、という構成をとった作品。


著者・村上龍氏のこの物語に託したメッセージがここにあります。


自分自身の将来にかかわる重要な決断ですら、自分で決めることを回避し、他人に決めてもらうことで自らの責任を逃れたいという欲求は潜在的に誰にでもあろうことは自分を振り返れば理解できます。


村上氏の指摘する「自立」とは上述の事柄もすべて含めて自分で責任を負うということにあり、家族という共同体の中でそれを全うすることの困難さを描いています。


「家族」という共同体がいったん崩壊し、メンバーであった個々が裸になり、苦しみながら自立することは一度は共同体のぬるま湯に浸かった人間には耐え難いことだと想像しますが、著者は物語の登場人物たちにあえてその苦難を味わわせたのち再生への道を歩ませるということを示唆して物語を閉じています。


一家離散という結末でありながら後味の爽やかさはそこから来ているのではないでしょうか。


「自立」というテーマについて考えさせられる内容でしたが、物語を閉じた瞬間から登場人物たちはそれぞれの道で今までの家族とは別の人間関係をスタートさせる、すなわち人間は生きている限り誰かと関係を結び、そしてお互いに寄り添いながら生きていくというのが本能だと痛感する作品でした。

いっときのウォーキングにいい季節。   


暑さ寒さはウォーキングを阻む理由になり、自己に甘い私はつい自分を許してしまいますが、この短い季節は理由を探すのが困難なので・・・歩いています。


夕食前のひととき、外に出ると思わぬ風が冷たく、一気に冬の到来という感じです。


途中川沿いの遊歩道を通ると、いつものようにベンチでホームレスの人が横になっていました。

そばには可能な限り荷を括りつけた自転車。


これからホームレスの人々には厳しい季節の到来です。


寒風が吹いたり雨模様だったりすると、しみじみ帰る家があることのありがたさを痛感します。


自分と家がない人たちとの間にはどれほどの差があり運命が大きく違っているのかと考えると、現在の生活に安住している自分の不遜さに愕然とします。


住居も食べ物もある当たり前の生活をさも権利があるように当たり前に過ごしていますが、自分にその資格が果たしてあるのか、と問うと納得できる答えが得られません。


努力とは別のところで人間の運命が決まることもあるという恐ろしさを感じてしまいます。


今日もそんなことを考えながら1時間ほど歩いてきました。


これで少し長生きできるかしら??




本日のレビューは瀬戸内晴美氏著『美は乱調にあり』です。


1966年に文藝春秋社より刊行された古い作品。


1973年に今東光大僧正を師僧として天台宗で得度、京都・寂庵、岩手・天台寺で僧侶としての法名・瀬戸内寂聴を戴く以前の瀬戸内晴美としての作品です。


関東大震災のあと、1923年に夫でありアナーキストの大杉栄とともに憲兵大尉の甘粕正彦に虐殺された伊藤野枝の半生記ともいえるのが本書です。


ここでは伊藤野枝が上野高女に入学する前後から筆を起こし、教師であった辻潤との結婚、二児を設けながらも大杉栄に走った伊藤野枝と大杉栄を中心に妻である堀保子、以前からの愛人・神近市子との愛憎劇の最中、嫉妬に狂った神近市子によって大杉栄が刺されるという日陰茶屋事件とともに甘粕事件までを克明に追っています。


著者の意図としては、この15年後に続編として書かれた『諧調は偽りなり』の2冊で伊藤野枝の物語が完結するそうです。


福岡の貧しい家庭に生まれ、東京への強い憧れから叔母一家の計らいで上京し上野高女に入学、英語教師だった辻潤と恋に落ち、卒業と同時に押しかけ女房となるという人生に対する積極性もさることながら、砂地に水が沁み込むが如くダダイスト・辻潤から思想的な影響を多大に受け、憧れを持った平塚らいでう主幹の「青踏社」への積極的な参加、そして社会主義者・大杉への傾倒の末、辻との離婚と大杉との再婚・・がむしゃらに情熱の赴くままにひたむきに自我を通し生き抜いた伊藤野枝の半生が史実に基づいた細やかな構成のもとで描かれていて圧巻です。


憧れをもって参加した青踏のメンバーとして女性としての地位確立を声高に主張しながらも、男の庇護がなければ輝くことのできなかった野枝の男を虜にする不思議な魅力に迫った著者の筆力には感服しますが、主人公・野枝の軽薄な政治に対する意気込み、他人を省みない自分勝手な情熱のまま突進する行動力に共感できないまま読了しました。


レビューとしては不適切だと承知していますが、「青踏」に投稿した折の気負いのある文章や論理の目も当てられない幼稚さや男関係の多忙さを一因として投げ出したりなどの長続きしない情熱を男にぶつける様子に同性として反発を感じてしまいました。


著者の波乱万丈の経歴の中には男遍歴が含まれているのは有名な話ですが、瀬戸内晴美としてのいくつかの作品ではその経験からか発酵したような色恋を描いたものが多く、自分の好みとは大きくかけ離れているので1,2の作品を読んで以降、著者の作品に触れたことはありませんでした。

久しぶりの著者の作品が本書ですが、著者独特の濡れ場表現も健在で、野枝と著者が二重写しになったところもありました。

しかし作品全体としては読み応えのある重厚なものというのが感想です。

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友人と柿渋液を作りました。

ホルムアルデヒドなどによるシックハウス症候群やアトピー性皮膚炎などが増加している昨今、何百年という歴史を持つ人畜無害の塗料として最近柿渋が脚光を浴びているようです。


ホルムアルデヒド等の化学物質を吸着する働きや抗菌作用があるという柿渋。

ほかに補強剤、防腐剤、防水剤、血圧降下剤、火傷・しもやけ・水虫などの治療薬としての効果も注目されています。


塗料としての優れた点をネット検索してみました。

◆防虫・防腐・防水・抗菌効果
◆耐水・耐酸・耐アルカリ
◆速乾性
◆柿渋の発酵臭短期間で消える
◆色がほとんどつかず木肌をそのまま生かせる
◆色の変化がほとんどない
◆水拭きが出来る
◆カビが生えない
◆熱い物をおいてもしみがつかない



ということで素人でも簡単に作れるという柿渋、友人と作ってみました。



�@渋柿(タンニンが豊富な山に自生する豆柿が最適)を厚めのビニール袋に入れ、外から木槌などで叩いて潰します。
�Aミキサーにかけ、少し水を加えながら更に細かく砕きます。
�Bバケツなどの容器に入れ、ラップをかけて3、4日暗所で保存します。
�C少し発酵したところでさらしなどで作った袋に入れて搾ります。
 その搾り汁が柿渋液です。
 搾り粕をもう1度容器に入れて水をひたひたに入れ、5日ほど同じ要領で保存し2番汁をと
 って1番汁と混ぜ合わせてもいいそうです。
�Dできた柿渋をペットボトルなどの容器に移し、暗所に1年以上保存しますが、ボトルのキャップをしっかり閉めると発酵によ り耐え切れなくなるので呼吸できるようなもので口を覆っておきます。
 長く保存すればするほど風合の深い色が期待できるそうです。
�Eイスやテーブル、竹篭などに刷毛で塗りますが、日にちを置いて3度塗ると深みが出るそうで
 す。
 ニスなどの塗料があるものは予めサンドペーパーなどでとってから塗ります。


さし当たっては剥げかかって傷が目立つ食卓テーブルに塗ってみようと思っています。

来年が待ち遠しいです。






さて本日は佐々木譲氏著『巡査の休日』をご紹介したいと思います。


『笑う警官』『警察庁から来た男』『警官の紋章』に続く、北海道警察シリーズ第4弾が本書です。


佐々木譲氏の作品群のレビューはこちらからどうぞ → 


第1~4弾はそれぞれが完結するストーリーになっていますが、登場人物の面々とともに過去の事件との関わりなどの妙味は順次読むことによって何倍も増加するのではないでしょうか。


今回の舞台は「YOSAKOIソーランまつり」で賑わう札幌。


ソーラン祭が開催される6月初旬の1週間の出来事を「プロローグ」から「エピローグ」の間に詰め込んで物語が展開します。


私事ですが、昨夏初めて徳島の「阿波踊り」の現場を体験したこともあり、短い期間を凝縮して行われる「YOSAKOI」に賭ける踊り手や観客のエネルギーの爆発の現場を手に取るように感じられました。


その狂乱の「祭」と微妙に絡み合ったある事件を、このシリーズに度々登場する小島百合巡査が中心になって解決していくという内容ですが、「祭」の臨場感がたっぷり描かれていて、それだけで読み応えのある作品となっています。

事件性を期待する読者には肩透かしな面もあり、最後に解決に結びつく小島巡査の推理も作為的に感じられますが、シリーズでお馴染みの佐伯警部ほかの刑事たちの成長譚としての側面も描かれていて興味深い物語でした。

友人3人組で愛媛2泊3日のドライブ旅行をしました。


裏表&弱味強味すべて掌握している友人同士、趣味嗜好も似通っているので、今回ドライバーになった友人にはとても気の毒でしたが必要以上に気を遣うことのないとても楽しい旅でした。


愛媛県の南予地方に位置する内子に新しくできたホテルに泊まるのが目的。


内子は倉敷と同じような白壁で町並みを保存していることでも有名、木蝋の町としても知られています。


夕食前にホテルを抜け出し、内子の町を散策、大正天皇の即位を祝って町の有志によって建設された歌舞伎劇場・内子座の内部を見学しました。


内子町指定文化財となっている内子座は農閑期の町民の娯楽の場として賑わっていたそうですが、老朽化により現在の形に復元され、今は歌舞伎のほか各種講演などに活用されているそうです。

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腕自慢のシェフの作るフランス料理が売りのホテル、お箸で食べるディナーの内容はすばらしかったのですが、各テーブルに灯された木蝋の灯だけで食べるホテル側の趣向にはほとほと参りました。


せっかくのすてきな器と趣向を凝らした料理の数々を手探り状態で食べたのは残念でした。


あまりにすてきなディッシュの数々だったのでフラッシュを焚いて撮りまくったデジカメ写真を逆に見ながら確認する始末。

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恋人どうしならともかく少なくともムード不要の私たちオバサンたちにはこの趣向は不評でした^^;




第二夜は同じ愛媛県内でも道後温泉近くのホテル。

ここは夕食なしの朝食のみで友人が1人約7000円でネット予約したもの。


価格的にも第二夜の何倍もする第一夜のホテルに重きを賭けていたので期待しなかった第二夜のホテルでしたが、結果的に一生で一度の体験というほどすばらしい内容で感動しました~。


夕食を済ませてホテルに到着するとゴルフ場が近場にあるためか翌日ゴルフに行く男性陣が大挙してホテル内のレストランで宴の真っ最中、フロントまでその声が聞こえてきます。


チェックインしようとフロントに行くと、そのゴルフ団体の騒がしさを配慮したホテル側が予約していた普通のトリプルルームをスイートルームに変更してくれていました。


思わぬ展開で案内されたVIP専用スイートルームには客室露天風呂と前に広がる小さなプライベートガーデン、そして極めつけは岩盤浴まで付いています。

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ベッドはといえば、キングサイズエクストラベッド、私が4人は寝られるほどの広々としたもの。


洗面台にはロクシタンのアメニティグッズが用意されているなど、至れり尽くせりで第一夜のホテルの印象が雲散霧消してしまうほど。

しかも1人7000円!

もうこれから先こんな幸運は2度と味わえないだろうね、と一生の運を使い果たしたような感じで感動しながら岩盤浴や露天風呂を楽しんだ旅でした。





さて本日は田辺聖子氏著『結婚ぎらい』のレビューを簡単に。

1993年刊行の短編集を2007年に新装文庫化したのが本書です。


「『二度と結婚せえへんデ。僕はもう、結婚はコリゴリやがな』倉田は、つくづくそう思う。惨憺たる結婚生活を解消すると、心から幸せになれた。しかも、若い女の子からも急にもてはじめ、別れた妻に『ざま見さらせ』といい気になったが……。
《究極には男のキライなのは、『女』じゃないか》と考える著者が、七つの〃キライ〃をキツーイ筆致で描いた連作小説集」

「オカルトぎらい」「結婚ぎらい」「人妻ぎらい」「家庭ぎらい」「処女ぎらい」「魚ぎらい」「サムライぎらい」という7つの男のきらいな女の生態を男目線でビター&ソフトタッチでユーモアたっぷりに描いた短編集。


いずれも中年の男性が主人公というのも著者が得意とする分野の作品。


男性の目を通した女性たちはどれもそれぞれに自己中心的なわがままや作為を秘めていて、そんな女性に懲りもせず幻想を抱いたものの夢が打ち砕かれてはじめて現実に立ち返るものの、結果的には幻想を捨てきれないで過ちを繰り返す男性を描いて見事。


初版から20年以上たって再読しても古さを感じさせないのはさすがお聖さんの眼力というところでしょうか。


こんな作品を読むと、女性に比べ男性の純真さを再認識してしまいます。

言い換えれば女性の狡猾さが目について同性としていたたまれない気持ちになったのでした。

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