VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2010年11月

義姉の入院がきっかけで久しぶりに夫の甥とじっくり話す機会がありました。


夫のずっと年の離れた長姉の息子なので甥といってももう50歳、分別真っ盛りです。

甥がまだ大学生だった頃転勤先の我が家に来て以来。


日本人としては珍しいというか、どういうきっかけでこのような考えを持つようになったのか定かではありませんが、この世でいちばん尊敬する人としてダライ・ラマ十四世を挙げていました。

そういえばリチャード・ギアや中沢新一さんがチベット仏教に明るい文化人として有名ですね。


インド仏教の流れを汲むチベット仏教ゲルク派の最高位にありチベット亡命政府の長であるダライ・ラマ十四世が十三世の転生者として幼少時認定されたという知識はありましたが、それ以外の宗教的知識はないに等しいお粗末な私に向かって輪廻転生を当然のこととして話す甥に水を差すようで控えていましたがついに自分は宗教を持たず輪廻転生を信じていない旨話して驚かれてしまいました。


青年期に交わした覚えがあるような内容の会話を甥と交わすうち、自分の固定観念を突き抜けて、輪廻転生というものが信じられたら「死」というものの概念が随分変わるだろうなとふと思いました。


日ごろ自分の考えに固執することを戒めていて柔軟な間口を、と自分に言い聞かせていることもあり、甥に勧められた本を読んでみようという気になりました。



『十四世ダライ・ラマ「死の謎」を説く 輪廻転生――生命の不可思議』ダライ・ラマ著・大谷幸三編

本書は平成5年4月~8月にかけてインドのダラムサラで大谷幸三氏が直接ダライ・ラマにインタビューした内容を一問一答形式で大谷氏の点描を加えて本にしたものです。


歴史的には、中華人民共和国のチベット支配に抗して高まったチベット人の抗中独立運動が頂点に達した1959年にチベットを脱出したダライ・ラマ14世がインドに亡命してチベット亡命政府を樹立して長となり50年以上の月日が流れています。



チベット仏教における輪廻では高度に修養を積んだ人のみが転生に際して生まれる時と場所を自ら選び取れ、そのようにして転生を繰り返す人は活仏と呼ばれ、その中でも釈尊の時代から74回の輪廻を経てきたといわれるのがダライ・ラマだそうです。


ダライ・ラマ13世の死後、1年半を経過して転生を遂げたとされる現在のダライ・ラマ14世は、ダライ・ラマ13世の死後摂政に指名された僧の予言や夢などを手がかりに捜索隊によって発見されたという経緯がインタビュアーの大谷氏によって補足されています。


余談ですが、それらのことはダライ・ラマ14世がインド亡命するまでの半生を描いた1997年のアメリカ映画「クンドゥン」で詳しく描かれているので知っている方も多いと思います。


また同じ年のアメリカ映画でブラッド・ピット主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」ではアイガーに初めて登頂した人として知られるオーストリアの登山家・ハインリッヒ・ハラーがチベットのラサで過ごした7年の間の若きダライ・ラマ14世との交流を描いていて有名ですね。



さて本書に戻ります。


信仰の有無に関わらず本書に著されているすばらしい宇宙観をこのレビューに留めるにはあまりにも無力なのでできませんが、日頃自分の心に重くのしかかっている悩みや苦しみにヒントを与えてくれる言葉の一部を抜き出してみたいと思います。


真実とは空(くう)である。
空とは、満たされていることを意味し、
自然の法則の一切が、空の中に含まれる。
人間の生命そのものと同様に、
宇宙もまた、始まりも終わりもない。
あるのは輪のような継続のみだ。


死は衣服を着替えるほどの意味しかない。
私自身がまとっている法衣が、破れほころび、もうどうにも用を足さなくなったとき、私はこの法衣を脱ぎ捨て、新しいもので身を包むことになる。
古い法衣は捨て去られるが、私の生命は生きつづける。
それと同じように、生命は肉体が滅びた後も生き続ける。
その折々の肉体から離れてもなお。



>死の恐怖は未来の不安と同質のものである。
現世しか認めぬものは、死を思うな、考えるな。


これは転生の思想を信じないが、死を恐れている者に対しての答えです。
つまり私にまっすぐに向かってきます。

ダライ・ラマ14世は私に対して「死を思うな、考えるな。そして、現実に死が迫ったなら、酒でも飲み、残された時間を楽しめ」といわれていると解釈します。


人間は本来すばらしい知性と情感を有している。このふたつが相携えて働くなら、正しい方向に向かって進むなら、人類愛や慈悲心がそこには湧き出てくるはずである。本当に大切なことはそれだけだ。

幼少時からダライ・ラマ13世の転生者として制度に則って選ばれたチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世の選出の制度に対する考えを通してその闊達で柔軟な広い心を知ることができます。


私自身、ダライ・ラマ個人として、私自身の未来には何ら関心はない。ダライ・ラマという制度にも関心はない。ダライ・ラマという制度になんらかの有用性を認めてきただけのことである。だからこそ、この制度は生き残ってきた。
もし、人々がダライ・ラマの制度が過去の遺物となり、時代にそぐわないと判断すれば、それはそれでいい。自動的にこの制度は消滅するだろう。私はその存続にいかなる努力もする意志を持たない。もし、私のこの生命があと数十年ばかり続き、もし、人々がダライ・ラマの制度を不必要と感じるようになったなら、それはそれまでのことである。
私は最後のダライ・ラマとなることに、いかほどの痛痒も覚えないだろう。私は一個人の仏教徒であるのみだ



本書の一問一答を通して垣間見えるダライ・ラマ14世の像はユーモアあふれる人柄で、その宗教観はとてつもなく広く大きいという表現のほかは見つかりません。


特に興味深く思ったのは「行為を判定する基準は、意図と結果による」という項。

人が心をこめて善かれと意図したことも、ときとして最悪の結果を招来することがあり、その逆に邪悪な心による行為がたまたま善い結果を生む場合がありますが、意図がいかであれ、結果が善ければそれでいいのではなく、善き意図こそ大切であるということだそうです。


また「嘘」について、人はときとしてより大きな危険、よりひどい結末を回避するため、嘘をつくこともあればある種の罠をしかけたりもしますが、これもまた宗教心の視点を用いれば、よき意図、動機に含まれると考えるべきであると述べていらっしゃいます。


次にとても大切ですが、行うにはとても難しいことを挙げて最後にします。


真実の愛は《他人》もまた自己と同様に、人間であり、一個の存在であることを認めるところから生まれる。
《他》もまた、《我》となんら変わるkとなく、幸福を願い、痛苦を厭い、苦しみを克服し、平安を獲得したいと願う、生きとし生けるものである・・・
こうしたことに思い至ることこそが、真実の関心、思いやりを生み出す基盤になるであろう・・・
この基盤の上において、あなたはあなた自身が願うのと同様に、痛苦を克服し、幸福を獲得する《他者たち》への愛を育むことができるはずである

「言葉は思うところを偽るために人に与えられた」

先日の天声人語に取り上げられていましたが、フランスの政治家タレーランの言葉だそうです。


広島市での柳田法相の不用意な発言が物議をかもし出し、与党の失言を手ぐすねひいて待っていた自民党が問責決議案を参院に提出することにまで発展しています。


柳田法相の辞任云々には複雑な政治的駆け引きがからんでいてどのような展開になるか私たちの知るところではありませんが、国政レベルの言葉の扱いは別として、「言葉」の恐さを我が身の体験として実感している人は私だけではないと思います。


言った本人は忘れているような何気ない言葉が、向けられた人を勇気づけたり、反対に傷つけたり。


日本には「言霊」という美しい響きの言葉がありますが、これは言葉に宿る霊的な力を指して名づけたのでしょうね。


日本を「言霊の幸ふ国」というのを何かで読んだことがありますが、言霊の力によって幸せがもたらされる国という意味だそうです。

結婚式などの祝辞での細かく禁止されている忌み言葉も言霊の思想に基づくものなのでしょうね。


水の結晶に向かってプラスの言葉、マイナスの言葉をそれぞれかけたら結晶が喜びにあふれた形になったり哀しみの形に変化したりというのを写真つきで見たことがありましたが、事実かどうかは別にして、私自身褒められるとそれが的を得ていなくても嬉しくて前向きになれます。


プラスの言霊の代表は「ありがとう」、「嬉しい」、「楽しい」、「愛している」だそうなので意識していっぱい使うことにしましょう。




さて本日は土屋賢二氏著『純粋ツチヤ批判』をご紹介します。


わが郷土・岡山出身、現在お茶の水大学文学部哲学科名誉教授。


このブログでも過去に3度、下記の作品をご紹介していますのでよかったら読んでください。

『汝みずからを笑え』『ツチヤの軽はずみ『ツチヤ学部長の弁明』 


いままでの著者の作品は「週刊文春」に長年連載されているエッセイがたまった時点で1冊の単行本にまとめたものですが、本書は新聞や雑誌などさまざまな媒体に発表されたものを1冊にまとめたものです。


そのせいか今までこれでもかという著者独特の自虐趣味的な文章の羅列に辟易することもありましたが、本書ではももちろん自虐趣味てんこ盛りではありますが濃厚さが薄まっていて文体自体が時として変化するのがおもしろく感じられます。


挿絵を担当していらっしゃるのは著者の作品ではお馴染みのいしいひさいち氏。


朝日新聞を購読していらっしゃる方はご存知、「ののちゃん」の作者です。


どちらも岡山県玉野市出身という関係で「ののちゃん」にも「ツチノコ教頭」として土屋氏が度々登場しているほどの親しい間柄。



「本州四国連絡高速道路『かけ橋』」という冊子に出典した故郷の爆笑説明文は次の通り。

「わたしが生まれたのは、パリから車で南下し、リヨンを過ぎてさらに南、地中海沿岸のマルセイユから約9000キロ東、岡山県玉野市の宇野という港町である。
家の前の道路を挟んで広大な塩田が広がっていて、その先に、瀬戸内海とそこに浮かぶ島が窓から見えた。
パリ郊外のモンマルトルの丘から約9000キロ東、わたしの家から言うと100メートルほど裏に、小高い丘があり、その上には大きい岩がいくつもあった」


「山陽新聞『山陽時評』」への投稿で人間の一貫性に触れて

「わたしの行動には一貫性がない・・・
他の人も似たり寄ったりではないかと思う・・・
税金は払いたくないと思う一方で、手厚い行政サービスを受けたがる。
『アフリカの飢えた子どもを助けろ』と思いつつ、『わたし以外のだれかが』と思っている。
牧場で草をはむ牛を見てかわいいと思い、帰りに牛丼を食べる・・・
なぜ一貫した行動ができないのだろうか。
それは、われわれが多くの価値を手に入れたがっているからだ・・・
もし何か一つの価値に絞るなら(絞れっこないが)、行動は一貫したものになり、迷うことも後悔することもなくなるだろう。
だが、そうなったらすべてを一つの価値で計算し、その結果に機械的に従うロボットのような生活になる。
そういう生活を送りたいと思う人がいるだろうか。
迷い、後悔し、一貫性のない行動をしている方がはるかに面白いのではなかろうか」



本書は1章から7章までありますが、最後の7章「ツチヤ語録」もなんともかんともシニカルなスパイスの効いた笑い満載です。

●「愛」…ホルモンの産物の一つ。想像の余地があるほど美しく崇高なもの。想像の余地がなくなるときが愛の終わるときである。これは不思議に金のなくなる時期と一致する。

●「アドバイス」…十円のお金も与えたがらい人が、他人に惜しみなく与えたがるもの。

●「女」…男とは別種の生物。男は最初、女というものは天使、女神、観音様と同類かと思うが、その後、幾多の苦い経験を重ね、ライオンかハイエナの仲間ではないかと疑う段階を経て、ゴジラの仲間だと気づく。

●「銀行」…客を待たせるのを主な仕事にしている会社。その仕事で役所とライバル関係にある。

●「自分」…あらゆる人が、どんなに価値がなくても大切にするもの。

●「哲学」…人間に重要不可欠なもの。しかしたいていの人は、プロ野球選手の年俸や弁当に入っている鮭の大きさの方に関心を持っている。

●「ひとり旅」…孤独を愛する者がする旅行。もっと孤独を愛する者は二人旅を選ぶ。ふたりで旅行すれば必ず溝ができ、ひとり旅よりずっと深い孤独を味わえる。

●「理想」…実現しては困るもの。しかし実現する恐れはないから、困ることもない。

●「老化」…「もう年なので」「耳が遠いから聞こえない」「忘れた」などの言い訳が使えるようになること。

義姉が股関節置換手術をして1週間になります。

発熱のため投与していた抗生剤も昨日終わりましたが、熱は上がったり下がったり。

そこへもってきて肝臓の数値が突然上がったので明日、内科を受診するよう担当医が伝えに来ました。

GOTとGPTが両方20台から一挙に100以上になったそうです。


原因は食欲不振で栄養不足ではないかといわれましたが、病院の食事は取れないものの補助の果物や青汁、野菜ジュース、そして私が運んだ食べ物など万全ではないにしても取っているのでそのせいで肝臓障害を起こすとは考えにくいねと担当医が退室したあとで話しました。


帰宅後、ネット検索したところ、抗生剤が犯人の可能性大ということがわかりました。


義姉は強いアレルギー体質で、湿疹なども出やすく繊細なので薬剤でアレルギーを起こしたことが考えられます。


薬剤による肝臓数値アップは「薬物性肝障害」といわれ、事象はよく見られるとのことです。


原因がわかってそれを取り除けば徐々に解決するので一安心ですが、手術中の感染やなにやかやで劇症肝炎の始まりだったりしたらとてもやっかいなのでちょっと心配しました。



優れた抗生剤もなく、結核は死病と恐れられていた時代からすれば医学の進歩によって私たちはどれだけ恩恵を受けているか計り知れませんが、並行して薬剤と追いかけっこで多剤耐性菌のような兵菌が出現して人間を困らせるというのも文明の進歩を喜んでばかりいられない気持ちにさせられます。


弱い結核菌ですら殺せなかった時代、膨大な人々が結核で亡くなりましたが、本日ご紹介する作品の主人公もその犠牲者のひとりです。



吉村昭氏著『海は暮れきる』


自由律俳句の俳人として、種田山頭火と並び称される尾崎放哉の物語です。


「障子あけて置く海も暮れ切る」



一高から東京帝大を経て東洋生命保険会社に就職というエリートコースからの出発でしたが、お酒の失敗から罷免、次に職を得た朝鮮火災海上保険会社でも罷免され、流れた満州で肋膜炎悪化し帰国します。


帰国後、妻・馨と別居して西田天香の京都の一燈園、知恩院塔頭常称院、須磨寺、福井県小浜常高寺を転々とした挙句、学生時代の先輩で「層雲」主催者の萩原井泉水の紹介で小豆島第五十八番札所西光寺奥の院南郷庵に入った8ヶ月後あの世へと旅立ちました。


帰国後寺男となり各寺などを転々として浄土へ旅立つまでの期間は約3年、まるで急坂をすごい勢いで転がるように死へと急いだような晩年といえるでしょう。


山田風太郎氏の『人間臨終図鑑』で尾崎放哉を称して、「人間界に暮らせない『底のぬけた柄杓』のような異様な性格のため孤独漂白の一生を送った人物」と紹介していましたが、酒に溺れ失敗を重ねてもなお酒から離れられず妻も親戚縁者も失い、自ら熾烈な人生を選んだという感の一生。


1926年4月7日に近くの漁師の妻・シゲに看取られただけの孤独な死でした。



史実に忠実に迫るという手法に定評のある吉村昭氏らしい細部にわたる行き届いた放哉の足跡を辿った本書は、主に8ヶ月の小豆島・南郷庵での放哉に迫っていて大変読み応えのある作品となっています。


青春期を肺疾患で苦しい病床にあったさなか、読書もままならず眼に負担をかけない短い俳句に親しむようになった著者はいつしか同じ結核患者として朽ち果てた放哉の句にのみ動かされていたそうです。


そんな著者だからこそ放哉が遺した夥しい書簡や当時の関係者などを訪ね歩き、放哉の心に寄り添い一体化したような作品を生み出すことができたのではないでしょうか。


42歳であの世へ旅立った放哉を理解できるのはそれより年長にならなければならないという意識で筆を抑え、著者がこの作品を上梓したのは53歳のときでした。



海の見えるところで死にたいと望んでいた放哉にとって小豆島の南郷庵は理想的な環境でしたが、金銭的には師である萩原井泉水や「層雲」の同人たち、南郷庵本院・西光寺住職杉本宥玄らの温情にすがりながらやっと病魔に蝕まれた体を支えていたような孤独で極貧の生活ぶりがつぶさにうかがえて切なさで胸がいっぱいになりますが、句との道行きのような生活、次々生まれた句はどれも夾雑物をすべてそぎ落としたような、それでもって孤独な生活感があふれていて胸に迫ります。


「目の前魚がとんで見せる島の夕陽に来ている」

「爪切ったゆびが十本ある」

「海風に筒抜けられて居るいつも一人」

「墓地からもどって来ても一人」

「咳をしても一人」

「火の無い火鉢が見えて居る寝床だ」

「肉がやせて来る太い骨である」

「すつかり病人になって柳の糸が吹かれる」

「春の山のうしろから烟が出だした」(最後の句)



放哉が終末の8ヶ月を過ごした小豆島・南郷庵は現在は「尾崎放哉記念館」となっていて前の碑には次の句が書かれているそうです。

「いれものがない両手でうける」

このところ倉敷の病院に入院している義姉のところに通っています。   


今日は夫が車でゴルフに行ったので、バスと電車を利用しました。


久しぶりにバスに乗り、乗降口で整理券を取り座席に座りました。


行き先案内のアナウンスの後先で必ず流れるセリフ。

「整理券は折ったり丸めたりしないでください」


どうやら整理券を折ったり丸めたりする人は私だけではないんですね。


私はバスでも電車でも乗車券の類を手に持つと自然に手が動いて丸めるのが癖です。


さすが折ると使い物にならなくなりそうだという理性が働くのか、気がつくといつも指先で丸めています。


くるくるに丸めてしまった券が機械に通りそうにないので直接駅員さんに渡したこともあります。


困った癖ですが、直そうと意識しても一瞬だけというのが意外にあるんですよね。


新しく本を開いたらまず解説から読むとか、新聞は必ず天声人語(我が家は朝日新聞)から読むとか、掃除は四方の隅から徐々に中央に迫るとか、嫌いなものから先に食べるとか、靴下は右足から履くなどなど、ちょっとふり返るだけでも次々羅列できるんですよね。


幸い命取りになるような癖はいままで指摘されたことはありませんが、周りに顰蹙を買っているのもあるのかもしれません。

このブログを見てくださっている方、目に余る癖、ご遠慮なくご指摘ください、直るかどうかは別ですが。




さて本日はロバート・B・パーカー氏著『勇気の季節』です。


パーカー氏といえば今年1月18日に急逝され、世界中の熱狂的なパーカーファンに惜しまれ続けています。


あるSNSで親しくお付き合いしている年若い友人Uさんもそのうちのお1人、生前パーカー氏が来日されたとき交わった機会に直に氏からいただいたサインを家宝としていらっしゃるそうです。


もちろんUさんは原書、和訳両方の著書すべてを網羅していらっしゃいますが、私はというとファンと言うには恥ずかしいほど、7,8冊読んでいるだけです。


このブログでも日本で爆発的人気を起こしたきっかけといわれる初秋をアップしているだけというお粗末。


本書はパーカーがYA(ヤングアダルト)向けに執筆した作品、1冊目『われらがアウルズ』に次ぐ2冊目にして最後の作品、ロバート・B・パーカー追悼出版作品となりました。



スポーツ好きなパーカーの作品には何らかの形でスポーツが関わってきますが、『われらがアウルズ』ではバスケットボール、本書ではボクシングが大きな役割を与えられています。


主人公は15歳の少年・テリー。


「主人公のテリーは15歳。
可愛いGFのアビーとはとってもいい雰囲気だけど、ステディな関係には、まだまだ。
尊敬する元プロボクサーのジョージに、最近ボクシングを習い始めたばかり。
そんな時、同級生のジェイソンが、町の海岸で死体で発見される。
死体からはステロイドが検出され、彼の死は薬物使用のためという事で処理される。
しかし、庭師になりたいと言っていた、大人しいジェイソンと薬物がどうしても結びつかないテリーは、GFのアビーの助けを借りて、独自に調査を始める・・・」


上述のあらすじのように、スポーツとミステリと恋という3つを柱に、少年がまっすぐに前向きに成長していく様を描いた清々しい作品に仕上がっています。


『初秋』を代表するようにパーカーの作品には少年が出てくるものが多々ありますが、本書を通しても著者が70代とは信じられないほど瑞々しく少年を描いていて驚嘆してしまいます。


ご自分も生涯「少年」を生き続けていらっしゃったのではないでしょうか。


「おまえがプロになりたいというなら、それもいい。
おれも、おまえが望むかぎり、そばについていてやる。
だが、おれがおまえにボクシングを教えてるのは、いいボクサーにするためじゃない。
じゃあ、いったいなんのために?
おれは、おまえにりっぱな人間になってほしいと思って教えてるんだ」


「腹がすわっていれば、ダウンした方がはるかに楽だと思うときでも、
立ちあがることができる。目が見えなくなって、自分がどこにいるのか
わからないような状態になってても、次のラウンドを始めることができる。
おまえさんの腹がすわっているかどうかは、まだわからん。
だが、おれはすわっていそうだと見ているんだ」


少年とトレーナーとの会話ですが、スポーツは著者にとって人生そのものだと思っていることがうなずけます。



謎解き要素を期待する向きには肩透かしかもしれませんが、人生について語りかけるパーカーの妙味がそこここのセリフに溢れていて、もうこの滋味を味わえないと思うと切なくなるような愛しい作品になっています。
「少年の気持ちに寄り添いながらもべたつかない描写」という表現は訳者・光野多惠子さんの表現ですが、まさにそのままの作品、ぜひどうぞ!

夫の兄のお嫁さん・・義姉に当たる人が股関節置換手術のために倉敷中央病院で手術をしたのに付き添いました。


京都・舞鶴在住ですが置換手術の症例&名医を調べた結果、弟夫婦である私たちの岡山にも近く何かと好都合な上、全国ランキングにも載っている倉敷中央病院を選択したという経緯。


倉敷中央病院は民間病院でありながら岡山県西部の中核的な医療機関としてさまざまな分野で優秀な成績を収めています。

日経や朝日などの各新聞社発行の全国優良病院ランキングでは岡山大学病院と並ぶか、分野によってはそれより上のランクでインするほど。


現在のクラレや大原美術館などを設立した大原孫三郎氏が1923年に創立、現在は病床1千床以上、職員数も2500人以上の大病院となっています。


義姉が入院した棟は最近新しく増設された棟でホテルと見紛うような設備で採光がすばらしく、そして何より看護師さんたちや職員さんたちの教育の行き届いた態度には敬服するほど。


手術は2時間半ほどで終わり、出血は多かったものの想定内でほっと一息というところ。

長い間、股関節の骨の変形で痛みとともに日常生活に困難を伴っていたのを我慢していたので手術によって改善できるのを祈るばかりです。


岡山~倉敷間は車で順調に行けば30分くらいですが、たいてい渋滞がかかるので約1時間、これから当分通うことになりますが、がんなどの重篤な病気とちがって整形外科は見通しが明るいので付き添う家族も気持ちが明るくなります。


こういう機会にたまに病院に行くと患者さんの多さに目を瞠る思いとともに、患者のどんな些細な訴えにも何らかの処置をいやな顔1つせずに対応してくれる看護師さんはやはり天使だなぁと感じるひと時でした。





さて本日は門田隆将氏著『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』をご紹介したいと思います。


「判決、死刑――。最愛の妻子が殺害されたあの日から、9年。
妻子を殺された深い哀しみの中、幾度となく司法の厚い壁に跳ね返され、なおも敢然と挑んだ青年。
だが、それは決して孤高の闘いではなかった。
絶望の海を彷徨う青年の陰には、彼を励まし、支えた人たちがいた。
そして、青年との闘いの末に『死刑判決』を受けた元少年が判決翌朝、筆者に伝えた意外な言葉とは――。光市母子殺害事件を圧倒的な取材と秘話で綴った感動と衝撃の記録」


山口県光市で起きた母子殺害事件で逮捕された18歳の少年の裁判の経過と、遺された23歳という若き夫であった本村洋さんの司法への長く厳しい闘いに涙した人は多かったのではないでしょうか。



妻子を殺された深い哀しみの中、幾度となく司法の厚い壁に跳ね返されながらその厚い矛盾の壁に挑み続けた結果、ついに巨大な岩を動かして死刑を勝ち取るまでの夫・本村洋さんのまさに慟哭の9年の歩みの記録です。



本書のプロローグは、1999年に著者が初めて事件直後の本村青年に会ったときのエピソードから始まります。

初公判で事件の詳細を知った本村青年が著者に向かって言った言葉に衝撃を受けた著者。

「僕は・・・・・、僕は、絶対に殺します。
僕は弥生を抱きしめることができなかった。
死ぬその時まで、僕の名前を呼んだに違いない弥生を、僕は抱きしめることもできなかった・・・
僕は、そんなひどい男なんです」 


この23歳、学生の雰囲気を残す本村青年が長い苦闘の日々のあと、2008年4月22日広島高裁での差し戻し控訴審でついに犯人の「死刑判決」を勝ち取ります


エピローグは死刑判決翌日に死刑判決を受けた元少年に著者が面会し9年目にして初めて真の償いの声を聞いたと著者が感じたところで終わっています。



プロローグとエピローグの間にある3000日の克明な記録は著者の渾身の誠実な取材の末に生み出されたものといえる力作です。


この物語は本村青年の闘いの軌跡であるとともに、その青年が最後まで毅然とした姿勢を貫くのを陰で支え、励まし、寄り添った人々の記録でもあります。


事件後自分の無力を思い知り、社会に立ち向かう気力を失い辞表を出した本村青年に対し、上司が言った言葉は印象的です。

「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。
君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。
でも、君は社会人として発言していってくれ。
労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。
君は、社会人たりなさい」



親兄弟、職場の人々、司法関係者、そして見知らぬ多くの人々の強い支えを通して23歳の幼さの残る学生のようだったひとりの青年が司法という山を動かすまでに成長していく過程が手に取るように伝わるのは著者の粘り強い取材の賜物であるといえるでしょう。


犯人が未成年という少年法の厚い壁を突破して死刑判決を勝ち得たあとの本村氏の言葉を通して事件直後は幾度も自殺も考えたという彼の人間としての成長の大きさに目を瞠る思いがします。


「君への死刑が執行されるのなら、結局事件で三人の尊い命が失われる事になる。
それからの私は君を含め三人の十字架を背負って生きていくのである」


何と深く重い言葉でしょう。


裁判員制度も始まり、先日初めて死刑求刑が出たという記事がありました。


この作品はノンフィクションではありますが、家族を殺されたひとりの遺族が犯人を死刑宣告に導くための闘いの記録を超えて、人間の本質に迫り、命そのものを見つめなおし逆に命の重さに言及した貴重な名著といえると思います。


犯人に死刑判決が出た直後、傍らで泣く妻・弥生さんのお母さんに本村さんは言います。

「お義母さん、長くかかってしまって申し訳ありませんでした・・・」

「ありがとう、ありがとう・・・洋さん」


まだまだ書きたいことが山のようにあるのに自分の拙い筆力ではうまく言葉にできないもどかしさを残したレビューとなりました。

神戸の友人が田舎で取れた丹波黒豆の枝豆を小さなダンボール箱いっぱい送ってくれました。


枝豆が大好きで夏の間ずっと夫の酒肴のお相伴に食べていましたが、特に丹波黒豆の枝豆は甘みがあってお気に入り。


良質のたんぱく質やVA、VC、VB1、VB2、カルシウム、鉄分や食物繊維が豊富に含まれている上、アルコール分解を促す作用もあるというのは居酒屋さんのメニューに定着していることでも納得できますね。


私の中の枝豆ベストは山形の鶴岡産の「だだちゃ豆」、次いで丹波篠山産の「紫ずきん」。


昔と違って今は全国どこのスーパーでも「だだちゃ豆」も「紫ずきん」も販売されているので容易に手に入りますが、値段は普通の枝豆の2倍以上、ちょっと躊躇します。


独特の甘みとコクがあり最高のおいしさですが、そんな枝豆の時期もそろそろ終わりが近づいています。


今回はたくさんもらったので保存法を検索してみたところ、茹でてさやのまま保存袋に入れて冷凍保存するか、茹でてさやから豆を出して同じく冷凍保存がベストだそうです。


我が家でも余った枝豆はさやから外し冷凍しておいて、バーミックで粉砕して豆乳でゆるめて枝豆のスープを作ったり、枝豆ごはんにしたり、炒め物に入れたりと重宝しています。


今回はストックができたのでしばらくは利用できそうで嬉しいです。





本日のレビューは吉村昭氏著『逃亡』です。


「軍用飛行機をバラせ…その男の言葉に若い整備兵は青ざめた。
昭和19年、戦況の悪化にともない、切迫した空気の張りつめる霞ヶ浦海軍航空隊で、苛酷な日々を送る彼は、見知らぬ男の好意を受け入れたばかりに、飛行機を爆破して脱走するという運命を背負う。
戦争に圧しつぶされた人間の苦悩を描き切った傑作」


1966年『戦艦武蔵』で記録小説ともいえる歴史小説作家としてスタートを切ったのち、『零式戦闘機』や『陸奥爆沈』、『海の柩』など太平洋戦争に題材をとった作品を精力的に発表していらっしゃった1971年刊行の作品です。


本書もベストセラーとなった『戦艦武蔵』と同じく、地道な資料収集や現地調査、関係者への念を重ねたインタビューなど徹底的な取材と検証を基に描いた作品の1つといわれています。


太平洋戦争の只中、霞ヶ浦航空隊で整備兵だった少年が、スパイと思しき人の巧みな罠に嵌められて軍用機を爆破し、軍や警察の目を逃れて脱走、逃亡を続けていった息詰まる日々を、少年兵だった男の証言をもとに綴った作品です。


著者とおぼしき「私」がある日、いまや中年となったその少年兵が実在することを告げた見知らぬ男からの密告電話を受けたことから物語がスタート。


元少年兵が語る厳しい逃亡の内容を通して戦争というものの持つ驚くほど奇怪な姿を解き明かしたいという著者のスタンスが執筆に駆り立てたと解説を担当された作家の杉山隆男氏は書いていらっしゃいます。


著者の中に一貫して流れている人間探求の思いが、人間が始めた戦争という巨大なエネルギーの結果を描くことで人間の本質に迫りたいという飽くなき探究心と重なり、作品として結実したといえます。


英知や理知といった言葉からかけ離れた罪深い人間に対する著者の静かな諦念と、そしてそんな人間に対する共感が感じられる作品でした。

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