VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

PVアクセスランキング にほんブログ村

2011年04月

先日夫の油彩画のメンバーとともに作品展を2ヶ所はしごしてきました。


1つ目は油彩画メンバーの方が参加されている「クレパス展」。         8b7bc312.jpg



ご覧になったことのない方は想像できないかもしれませんが、これがクレパス?というような想像を大きく超えた深みのあるすばらしい作品の数々。


油彩画の奥行きの深さと水彩画ののびやかな色使いの双方の長所をふんだんに取り入れたような作品が並んでいて見ごたえ満載。


どの作品も個性があり、じっくりそばに置いておきたい好みの作品がたくさんありました。



2つ目は友人の日本画家・太田祐子展。                      


毎年上野や京都市美術館で招待で出品するキャリアの持ち主です。


100号や50号など大きな作品に才能を発揮されていますが、今回は狭い会場の関係もあり小作品ばかりでしたが、パンフレット掲載の「花曇り」を初め花の水彩画などやさしい雰囲気の小品が並んでいました。


彼女とは中学からずっと一緒の気心が知れた友人のひとり、長い東京暮らしからご主人の定年を機に岡山に移住、無人になっていた広大な土地のある生家を改築して畑をしながら絵を描いています。


ときどきお邪魔しては描きかけの作品を見せてもらったり、野菜や柿、花をもらったりする間柄。


働き盛りのときは都会にいた友人たちのうち故郷にUターンしている人も何人かいて心強いかぎりです。





さて今日は上坂冬子氏著『死ぬという大仕事』をご紹介したいと思います。



「著者は『緩和ケア』によって、充実した最後の日々を過ごすことができた。
『死に方』までも自分で決めて逝きたいと願った作家が末期がんの不安、苦しみから『女の死に様』まで語り尽くした渾身の遺作」



1959年デビュー作『職場の群像』で第1回中央公論社思想の科学新人賞を受賞、以後婦人問題や昭和史、戦後史などを題材のノンフィクション作品を手がけ、菊池寛賞、正論大賞、エネルギーフォーラム賞などを受賞、2009年に78歳で亡くなられました。


2005年に卵巣がんの手術、抗がん剤治療を経て、3年後再発という経過をたどったのち、慈恵医大病院での「緩和ケア」を自ら選択するに至った一部始終を描いた記録。



出版社の意図の下、自ら治療を委ねた慈恵医大の担当医ほか同教授などの医師との対談・鼎談形式をとっています。



転移が見つかった段階で試した抗がん剤がすさまじい副作用と反比例して効力を発揮しなかったことから慈恵医大の「緩和ケア」チームに自らの生を委ね、QOLを確保するという選択をするに至った著者の心情が対談を通じて語られていて最期までノンフィクションライターとしての目を持ち続けた著者の姿勢をうかがい知ることのできる貴重な記録となっていますが、出版社の意図があまりにもそこここに見え、しかも大変読みにくい構成になっていることで読了するのに努力を要しました。



内容的にも医学会に浸透して久しい「緩和ケア」を慈恵医大のみが取り入れた画期的な療法として取り上げていることなど、慈恵医大の宣伝かと見紛う感じが免れませんでした。



著者は対談でもしばしば「がん難民」について言及された上、この病院の医師たちの人間性に触れられ、彼らが受け入れてくれた幸運を言葉にされていますが、著者が著名な作家ではなく私たちのようなコネなしの一般人であったらどうか、という疑問が広がりました。



方やもうできる治療はないという理由で在宅に切り替えるよう提案され途方に暮れる患者さんたちの存在をよく耳にするからです。


慈恵医大の「病気を診ずして病人を診よ」という建学のバックボーンのすばらしさには深く心を打たれますが、理想と現実の狭間で苦しむ患者があまりにも多い昨今を思うとこのような理想的なケアを果たしてどれだけの人が受けられるのかという疑問が芽生えたことも事実です。



本書が「全ての患者に全人的医療を」受けられる将来へのきっかけになってほしいと思います。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
 (谷川俊太郎氏:「生きる」)

こんな当たり前の日常を奪われた被災地の人々のことを思うと胸が塞がれる毎日です。

特に放射能汚染地区に家がある人々はご自分の自宅にゆっくり物を取りに帰ることさえ許可がいるそうです。

禁を犯したら罰金。


抗議に対しては人の命を守るためというりっぱな名目で従わざるを得ない状況下に置かれていますが、この詩に書かれているような自由を奪われた生活はどんなにつらいものでしょう。


原発凍結に踏み切ったドイツやスイスに続いてイタリアも凍結法案が可決されたそうです。


確固たる代案がない状態で安易に声を上げられないことは承知していますが、日本もこれを厳しい教訓として粛然とした姿勢で前に進んでほしいというのが願いです。




さて今回は西村賢太氏著『暗渠の宿』をご紹介します。

第29回野間文芸新人賞受賞作。



今年早々第144回芥川賞を受賞され特異な経歴で話題になった西村賢太氏のデビュー当時の作品が本書、2004年「文学界」に掲載された「けがれなき酒のへど」と2006年「新潮」に掲載された「暗渠の宿」の2篇が収録されています。



このブログでも先日著者の別作品『小銭をかぞえる』のレビューをアップしていますので著者の経歴とともに見ていただけたらと思います。
         『小銭をかぞえる』はこちら → 



「しみじみ女が欲しい、ごく普通の恋人が欲しい――。
切望して手酷く裏切られ、ついに手に入れた女と念願の同棲を始めるが……。
貧困に喘ぎ、酒に溺れ、嫉妬に狂って暴力をふるい、大正期の作家藤澤清造に熱烈に傾倒する男の、過剰な欲望渦巻く過激な恋愛譚。
いま最も注目される作家のデビュー作『けがれなき酒のへど』を併録」



何の飾りもなく徹底的に心の負の部分を書き綴った露悪趣味という言葉ぴったりの内容、見方を変えれば愚直すぎるほどの率直さで己の心の動きを綴った私小説。



1冊でやめようと思いながらついつい手に取ってしまう不思議な吸引力があるんですよね。



その内容も他作品の評などを読むとすべて3つの柱 ――女性との普通の恋愛に憧れながら願いが叶えられず風俗に通う嘆きの物語と、思慕に似た敬愛の情を抱く明治時代の小説家・故藤澤清造に関する話とやっとこぎつけた女との同棲生活の悲惨な内容の話 ―― で構成されています。



藤澤清造に対する常軌を逸したような純粋な傾倒と女に対する歪んだ傾倒という両極端なアンバランスの狭間で綱渡りのような危なっかしい日常の揺れ動く気持ちの吐露は共感を呼ぶどころか目を背けたくなるほどですが絶妙なバランスをとって成り立っているところがなんともすごいと言えます。



表題作に使われている「暗渠」は私にとって聞きなれない言葉だったので夫に聞いてみると
「地下に設けられていて外からは見えない水溝」だそうです。


なるほど、作品の内容にぴったりのいいネーミング。



夢にまでみた一般の女性との同棲生活を手に入れた結果大切に扱うと思いきや、通常の人間関係を構築できないという生来の捻じれた性格が災いして相手を打ちのめすまで暴言を吐いたり、モノを壊したりの暴挙やむがたく、やがては破綻を感じさせる結末で終わるのも前作と同じ。



ところどころに挟み込まれる藤澤清造への異常な執着というか尊敬心が同棲生活における金銭の基盤をも破壊するほどの傾倒ぶりには驚きを通り越してお見事という感じです。



平成の破滅型私小説作家といわれる所以が作品のそこここに漂い、それは常識人の枠を大きく超えてドロドロ状態で浮遊しているというきわめてユニークな雰囲気。


なのに手を取らずにはいられないのはどういうわけか自分でも分析不能ですが、また他作品が目につけば読んでみようと思う吸引力のある作家さんです。



母が亡くなってもうすぐ1ヶ月、多忙の間を縫うようにして立ち上がってくる悲しみを無理やり抑え込みながらの約束事の多い仏事など行っていますが、実父母などのとき見知っていたと思うのに皆目右往左往状態。


幸い経験豊かな友人知人たちの助言を得て何とかぎこちなくこなしているという現状です。


それにしても禁忌事項が多すぎます^^;


霊魂不滅を信じているかと問われれば否と答える私ですが、仏教の教えを全面的に否定する強さを持ち合わせない自分に向き合っています。


母の見送りを通して改めてお寺と葬儀業界、仏具屋の強力な連帯関係を知りましたが、人間の目に見えないものに対する曖昧模糊とした畏敬の念を掴んで成り立つ業界といえば言い過ぎになるのでしょうか。



特定の対象への信仰はないものの宇宙や自然、周りの人々に生かされているという感謝の念を大切にしているつもりの私ですが、今回の一連のことを通して夫とは無宗教の自由葬にしようと意を強くしています。



さて最大の案件であるゴミ屋敷と化している実家の片づけを考えるたびに茫然自失となりますが、前から親友たちがずっと協力を申し出てくれていて肩の荷を下ろしてくれている上に、卓球仲間の方々も手伝ってくださるという温かい言葉をかけてくださり、それらの言葉が今の私には何よりの力強い支えになっていて言葉にできないほどの感謝です。


とりわけお互い困難なとき助け合うという約束をずっと取り交わしている親友たちの存在が支えになっています。


心ない言葉は心を弱らせますが、心ある言葉は生きるエネルギーを与えてくれる力があるんだなあと胸が熱くなります。


私もそんな人たちの支えになって恩返ししたいと思っています。




さて本日は田辺聖子氏著『夜明けのさよなら』のレビューです。


最近田辺聖子ワールドが静かなブームを呼んでいるようですね。


リニューアルした改訂版の文庫本が書店に並んでいます。


ほとんど既読の作品ばかりですが、気楽に読めるので最近は疲れた夜など再読して楽しんでいます。


田辺ワールドの主役はハイミス、働き盛りの男、キャリアウーマンなど多種多彩ですが、どの主人公も人生を切ないほど懸命に生きている愛すべき人たち。


そんな主人公たちの中、本書では珍しくまだ一人前の女性になりきっていない発展途上の女の子が登場。


「庄田レイ子は、まだオトナになりきっていないOL。
優という貧しい大学生の恋人がいるが、ある日、街で素晴しい中年男性、篠崎と出会う。
須磨にある篠崎バラ屋敷に招かれ、夢のような一日をすごすのだが・・・。
楽しい別れ、淋しい別れ、苦しい別れ──さまざまな恋の終りを味わって、生きることを知ったレイ子。
失われた青春のにがさと痛みがよみがえり、なぜか忘れられない恋の物語」



流れゆく時とともに現状をずっと維持できる人生なんてありえない、ということが隠れたテーマのほろ苦い恋の喪失と新たな芽生えを感じさせる恋の予感の物語になっています。


子どもだましのような恋の物語といえばそれまでですが、夢見る夢子ちゃんのような聖子ワールド満載の作品、味わってみられたらどうでしょうか。



長期にわたる避難生活で心身を崩す被災者が増えているそうです。


阪神大震災でも被災直後よりずっとあとになって出てくる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の子どもたちのことがクローズアップされていました。


家や家財道具、思い出の品々すべてを失った上、昨日まで共に笑っていた愛する人を一瞬で失った人々に向かって希望を持って立ち上がってほしいという言葉を掛けることすら躊躇してしまいます。



外務省医務官としてスーダンで勤務していた2006年に外務省を辞職、NPO法人・ロシナンテスを立ち上げ貧しいスーダンで医療活動を中心に活動されている川原尚行医師が福島を訪れて被災者のケアをされている様子がテレビで放映されていました。


見るからに包容力豊かな金太郎さんのような大らかな風貌と相まって、このような人がそばにいてくれることで安心感が広がる大海のような雰囲気を持たれた方です。


その川原医師が語られていた言葉が印象的でした。


スーダンでもいつも問いかけられる「いつまでいてくれるのですか?」という言葉がここ被災地でも頻繁に聞かれるそうです。


「みんなが元気になるまでいます」と答えるといわれる川原氏。


患者や被災者には安心感を与えることがなにより心のケアにつながるといいます。



前代未聞の悲劇的な惨状によってPTSDを受けた人々へのケアは10年、20年単位の長期戦で臨むという覚悟のもと、気長い支援や気持ちの上でもずっと寄り添って安心感を感じられる関係を築くことが何より大切なんだと痛感しました。





さて今日は乃南アサ氏著『禁猟区』をご紹介します。


小説新潮に掲載された4つの短編をハードカバーにまとめたものです。



「捜査情報が漏れている!? 
刑事が立場を利用して金を動かしている!? 
警察内部の犯罪を追う監察官はあくまで陰の存在。
隠密行動を貫いて密猟者を狩り出してゆく。
尾行される刑事は意外にも無防備。獣道に沿ってプロが陥る罠が仕掛けてあることも知らずに……。
本邦初の警察インテリジェンス小説、ここに誕生!」


警察官の不祥事を摘発する警視庁警務部人事一課の監察チームによる隠密活動を描いた4話の連作集となっています。


主人公は一応監察チームに抜擢されたばかりの若く未熟な女性警官となっていますが、摘発される側の警察官のキャラクターが濃いため、主人公というより脇役的な存在で作品全体の雰囲気を和らげています。


さほど期待せず手に取りましたが、刑事というよりだれしも持っていると思われる人間の暗部を巧みな筆致で抉った興味深い内容。


生活安全課の主任であり教員の夫と2人の娘と暮らす幸せな主婦である若山直子の転落を描いた表題作「禁猟区」を初め、一般人よりはるかに陥りやすい禁猟区の範囲内で行動している警察官の心の隙間に入り込んださまざまなスキの果ての犯罪を描いて善悪の境界線の危うさを問いかける秀作となっています。


警察モノに興味ある方はどうぞ!

大震災でほとんどを失ったというのにまた追い討ちをかけるように大きな余震が起こりましたね。

これでもかと被災者の人々を試すような天災や人災に慰めの言葉が見つかりません。

地震やトルネード、火山の噴火など自然の脅威や摂理に立ち向かうすべのない人間の存在の小ささを感じてしまいます。



3月29日に母が亡くなりました。

昨年末より体調不良に続き、戸籍上は従弟である弟の死、その後の膝の故障に続いて東日本大震災と、あまりにも身辺が慌しい中、母の厳しい介護の日々に続く旅立ちがあり、今回は心身ともに大きなダメージを受けました。


今までどんな困難なときにもなるべく平常心で日常をこなすことを心がけていましたが、今回は従弟の死から大震災を挟んで涙が絶えることがない状態が続いています。


ずっと寝たきりだった母は苦しみの多い長い年月を過ごしましたが、最期は苦痛もなく大往生したことが私にとって唯一の救いです。


自宅での終末を強く望んでいた母が自宅での最期を全うできたことはひとえに先生や訪問看護師の方々、ヘルパーさんたちが綿密なローテーションを組んで母の希望に添ってくださったおかげです。


どのような最期になるのか想像するだけでともすれば動揺してしまう私を「なるようになると思って希望に添ってあげましょう。協力は惜しみません」と折にふれて力づけてくださった先生や訪問看護師さんたち、そして母の死の第一発見者になることを覚悟でお世話させていただきますと言ってくださったヘルパーさんたちへの感謝は言葉にできないほどです。


それらの約20名の方々に支えられてどうにかたどたどしく母を見送ることができた不肖の私です。


今まで多くの葬儀を経験しましたが喪主という立場は初めてであまりに多くのやらなければならない事柄がふりかかって今はそれを1つずつこなすのが精一杯の毎日。


後悔やら喪失感やら何がなんだかわからない深い悲しみに捉われてまだ母が闘病していた実家にじっくりと足を踏み入れる勇気がない状態です。


ゴミ屋敷のような実家の整理、お墓の移転など問題山積ですが、とりあえずの一連の挨拶回りや役所関係の手続きなどを終えてやっと数時間をパソコンの前にいてこれを書いています。


この世でいちばん掛値なしで私を心配してくれた存在・・・そう言いながら泣いているとたまたまそばにいた夫と長女が同時に首を傾げながら抗議の言葉を呑み込んでいました。


家族や親戚、友人、知人たちに支えられている幸せを改めて感謝しなければと思っています。




まだ充実した読書レビューを書くエネルギーがありませんが、立ち上がるきっかけにと筆をとりました。


貧弱なレビューで見苦しいでしょうがお許しください。



松本清張氏著『文豪』


「坪内逍遙の死と妻を巡る異説。尾崎紅葉=泉鏡花師弟の確執。
密かに樋口一葉を想う斎藤緑雨の孤高。
従来の評論家・文学研究者と異なる角度から光を当て、取材と推理を駆使して定説の盲点を突く。
明治文壇史に燦然と輝く強烈な個性の栄光と悲惨を描き、文学研究者からも高い評価を受けた評伝的連作小説」



推理作家として文壇に華々しい業績を遺したことで有名ですが、『或る「小倉日記」伝』を皮切りに歴史上の人物を題材の評伝的小説にも多くの力作があり、本日ご紹介する『文豪』はその評伝的小説のジャンルに属するものです。



さて本書には「行者真髄」「葉花星宿」「正太夫の舌」の3篇が掲載されていて、「行者真髄」では坪内逍遥、「葉花星宿」では尾崎紅葉と泉鏡花、「正太夫の舌」では斉藤雨緑が取り上げられていますがここでは全体の半数以上を占める力作「行者真髄」の簡単なレビューを記したいと思います。



『小説真髄』『当世書生気質』などを著し日本の近代文学の祖といわれた坪内逍遥の評伝という名を借りた短篇小説という形態になっています。


著者と思しき「わたし」がある出版社から青少年向けの逍遥伝を依頼されたことがきっかけで伊豆にある逍遥の資料館を訪ねる件から筆を起こしています。


その資料館で出会った「熱海生」と名乗る得体の知れない男を通して、一般に知られている逍遥像とは別の逍遥の姿が浮き彫りにされるというもの。


「熱海生」によると晩年まで躁鬱に苦しみ死因は睡眠薬による自殺で、その原因については世間では山田美妙や二葉亭四迷、森鴎外との論争などといわれている中、愛妻センに起因することが大きいというのが主論。


妻センについては若き逍遥が在籍していた東大の近くにあった根津遊郭の大八幡楼の娼妓・花紫で、学生であった逍遙が通いつめてのち逍遥周辺の反対を押し切って結婚し終生仲睦まじく生涯を共にしたというのが世間一般に知られていますが、「熱海生」の口を通してその公式の賢夫人センを生涯重んじたという見事な夫婦関係に疑問を投げかけています。

例えば・・・

センについては「教養のない女だから我執がナマに出た」
「粗衣粗食の質素ぶりを美徳として伝えられているが、花街の時の派手な生活の反動というだけのもの」など。


それは子のない夫婦に迎えた逍遥の兄の息子・士行の養子縁組を士行の起こした女性問題を理由に夫人が強引に解消したことでも見受けられるとしています。


逍遥は夫人に因する悩み深く、生涯躁と鬱を繰り返したというのが清張氏の本書における主張です。


この偏ったとも思える逍遥夫妻に対する見方は清張の学歴コンプレックスの顕れと指摘する評論家もいますが、いずれにしても両者とも故人となった今は真実は藪の中。


坪内逍遥氏の作品は高校時代の教科書で部分的にしか知らない自分ですが、明治の時代の文壇の入り組んだ交友関係が興味深く、読了の原動力になりました。

↑このページのトップヘ