VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2011年05月

東日本大震災でアメリカ合衆国軍が「トモダチ作戦」と名づけて行った一連の災害救助活動が有名になりましたね。


英語では古くから[A friend in need is a friend indeed]の諺があり、「危急の際の友こそ真の友」という日本語訳も連動してよく見かけます。

また中国の「史記」からの出典とされる「刎頚の友」という故事も似たような内容と解釈しています。


幼馴染や学生時代をともに過ごした友人は長じて知り合った友人とは別の意味で現在の環境的な違いを超えて心を許せる友です。


私は親の意向で中高一貫の女子校に進学したのでそんな貴重な友人が何人かいます。29595d22.jpg



そのうちでも特別親しい2人とはさまざまな約束を交わしています。


その中でもベスト1は上記に挙げた諺のようにお互い苦境のときに助け合うこと。


楽しいことを共有し共に喜び合うのも友としての大切な役割ですが、苦しいとき黙っていても手を差しのべてくれる、そんな友は宝だし私もそんな友になりたいと思っています。


現在バイオリズム的に底辺にいる私をいつも気遣ってくれる友は身内以上にありがたい存在、先日も母亡き後ゴミ屋敷と化している実家の片付けを手伝ってくれています。


独りですれば気の滅入る作業ですが、気を遣わない相手とおしゃべりしながらゴミの分別に勤しめて感謝です。


お母さんの介護で手が離せない別の友は電話で体調を崩している私の身を必要以上に案じてくれます。


その他にも多くの友に支えられている幸せを考えると感謝で胸がいっぱいになります。




これからご紹介する作品も小学生時代を共に過ごした仲良し4人組の男女のその後をサスペンス仕立てにした小説です。



第56回江戸川乱歩賞受賞作・横関大氏著『再会』(『再会のカプセル』改題)


「全てはタイムカプセルにとじ込めた――はずだった。
誰がうそをついている? 
幼なじみの4人が校庭に埋めた拳銃は、23年の時を経て再び放たれた。
それぞれの想い出が重なるとき、時を越えたさらなる真実(なぞ)が目を覚ます――!」


◆大きなウネリや衝撃的なクライマックスはなく、むしろたんたんと読ませるのだが、よく練られたプロットと平明な文章力に力を感じさせ、受賞にふさわしい作品ではあった――内田康夫氏

◆状況説明や人物説明など、地味な場面も端的な文章で表現できる力があり・・・幾度も挑戦し、ここに大きな成果を得た受賞者に、心より拍手を送りたい――天童荒太氏

◆話作りも丁寧で安定感は抜群。何度も落選すると相当凹むものなのに、粘り強く書き続けてこられたのには本当に頭が下がる――恩田陸氏

◆「乱歩賞の傾向と対策」のようなものから解放されたのが勝因だと思う――東野圭吾氏


恩田陸氏が選評で書いていらっしゃったように著者は8年間江戸川乱歩賞に応募し続けて今回の快挙となったそうです。


一言で8年と言いますが、貴重な時期の8年を毎年コツコツと、しかもレベルアップしながら書き続けた粘り強さには感服しました。



主人公4人のうちのたった1人の女性・万季子の息子の万引き事件を発端に起こった殺人事件からコロンボ的な1人の県警捜査一課・南良刑事の謎解きによってその事件そのものが23年前の小学生だった主人公4人が遭遇した殺人事件から派生していることが突き止められていくという推理小説仕立てになっています。


最初から最後まで緻密に計算されて構築された構成自体には破綻はないものの、場面展開がかなり目まぐるしく、主人公としては4人という数が読み手である私の注目を分散化してしまい、じっくり登場人物の背景や内面を味わうことができないという感じを持ちました。


やたらと4人が入れ代わり立ち代わり登場し、印象が薄まって集中できないという感じが否めなかったのが残念。


前述の南良刑事の優秀なプロファイラーもびっくりの推理の結果、4人の秘めた事柄が次々明るみに出る過程もさることながら最後に南良刑事自身も23年前の事件の関係者だったという設定にはいくらなんでもあまりにも作話的な意図を感じてしまいました。


母の逝去後、さまざまな行事を経て先日四十九日の法要も終わりました。


その間葬儀社やお寺、仏具店の三者と接する機会が多く、無知な私たちはさまざまなにわか勉強をしましたが、結果、夫も私も自分たちのときは無宗教葬にしようということで珍しく意見が一致しました。


無宗教葬といえば10年ほど前に亡くなった夫の親友も、5年前に亡くなった夫の長兄も特定の宗教なしの自由葬でした。

特に長兄は海が大好きだったことにプラスして息子が外国船の船長という関係もあり海に散骨しました。


最近では無宗教の家族葬を選択する遺族も少しずつではありますが増えているそうです。


決して仏教徒とはいえない遺族もずっと続いている因習から必然的に先祖代々所属する宗派で葬儀をするというのが無難な選択として続けているのではないでしょうか。


夫も私もよそよそしい戒名は不要で本名のまま葬ってもらえればいいと思っています。


母までは私の責任で一文字あたりいくらという高価な戒名もつけたし金銭的にも親戚に対し恥ずかしくないようにしたつもりですが、そういう世界にどうしても馴染めないのも事実です。


ということで自由葬に関する夫との会話。

「Sさん(夫)は趣味の油絵を柩の周りに飾れるし、バックグラウンドミュージックの選択には事欠かないから自由葬の計画が容易に立てられるけど、これといって会場を飾れるものがない私はどうしたらいいのかしら」

「そうだな、、、お前の場合は崇拝する吉村昭の作品でも3行ずつ回し読みしてやるよ。
故人は『羆』にイノチを賭けていましたと」


確かに吉村昭は私が尊敬する作家さんで作品に羆関係のものが2つありますが、なんでいまこの会話に羆が出てくるのか?

それに羆にイノチを賭けているわけでもないし。


そういえば学生時代北海道旅行したときコタンの前で羆の剥製を抱くようにして撮った写真を覚えているからか。


なんだかわかりませんが、ますます私の自由葬儀はどうなるのか一抹の不安はありますが、どうせ死んだら意識がないので夫がどんなに揶揄しようと好きにしてという感じ。


夫こそ自分の葬儀では大好きなベートーベンの「英雄」やら「皇帝」をかけてほしいと言っていますが、果たして遺族として恥ずかしくてかけられるかどうか。

あまりにも生前の夫とかけ離れたタイトルは赤面の至り、私としては昔一世を風靡したクルセーダースの「帰ってきたヨッパライ」あたりがお似合いかなと思っています。





さて本日は村山由佳氏著『アダルト・エデュケーション』をご紹介します。


「ただ、恋、だったのだ。
そんな凶暴なものに、誰が抗えるだろう。
植えつけられた罪悪感なら捨てた―。
秘めた願望を実行したら、新しくなった自分を知った。
覚悟を決めた12の恋の行方。最新連作小説」


このブログで先日ご紹介した『ダブル・ファンタジー』に次ぐ性愛小説第二弾。


女性誌「GINGER」に毎月連載していた12の短篇を1冊にまとめたものです。


『ダブル・ファンタジー』でタブー視されている性愛という分野に女性目線で自ら踏み込んで固い殻を破って縛りから解放された著者の次なる物語となっています。


主人公は年齢も環境も違う12人の女性たちの常識枠をはるかに超えたさまざまな愛の形――同性愛、SM、姉弟の愛、不倫などを通しての恋愛模様――が描かれています。



「欲望に忠実になると、人生は間違いなくしんどい。
そのしんどさに耐えられる心と、生じうる結果に対して落とし前をつける覚悟のある者だけが、自らのほんとうの望みに忠実になることを許されるのだ・・・
もう、この際、いっさいのエクスキューズを抜きにして、とことん傲慢に言い放ってしまおう。
肉体を伴わない恋愛なんて、花火の揚らない夏祭りみたいだ!と。
恋愛に、年甲斐や分別など邪魔なだけだ、とつくづく思う。
幾つになってしても、恋はひとつ残らず特殊で、予測不可能で、無数の<初めてのに溢れている」

あとがきにある著者ご自身の言葉です。



人間の歴史において粛々と築き上げられてきたモラルの感覚を表舞台とすれば、必ず相反するインモラルの世界も陰々と存在します。


すべての人間が同一であるはずはないし、これはマジョリティとマイノリティの世界にも通じる事実でしょう。


人は生まれてさまざまな教育を受けその過程で知らず知らずのうちにモラルとインモラルの感覚を受け継いでいくというのは一面恐ろしさを感じずにはいられませんが、極端な言い方をすれば反面そのおかげで大半の人々は犯罪とは無縁の生活を営んでいるのではないでしょうか。


一夫一妻制にしても長い歴史の中で暗中模索を繰り返しながらマジョリティの市民権を得ていると思いますが、本書で取り上げられているさまざまな性愛の形は自分の中の常識をかなり超えるものが多々あり、正直感覚的に不快なものもありましたが、上述のように自分の中の常識の範疇について改めて考える機会を与えられました。



このような常識の部分にあえて揺さぶりをかけてみたかったという著者の企みはそういった意味で成功しているといえるでしょう。


著者はこれらの物語に登場する女性の男性に対する気持ちを表現するのに「愛」のみならず「恋」という表現を使っている箇所がありましたが、「恋」というにはあまりに似つかわしくないという漠然とした反発を感じてしまいました。


1対1の世界ではどんな愛の形も許されると思いますが、不倫という形の愛にはどうしても馴染めない一般的な主婦である自分を再確認しました。


それに加えてあまりにも心の部分を置き去りにしたかに見える性愛重視の目線にどうしてもついていけない自分を感じたことを告白してレビューとします。

先日次男がお茶の農園を経営しているという友人のご実家を通して静岡の新茶を大量に送ってくれました。


私は日本茶一辺倒で朝食の紅茶以外一日中熱い日本茶を飲んでいます。 d35e0239.jpg


夫はコーヒーも大好きですが、1日の大半は同じく日本茶。


はるか昔になりますが結婚前、夫が独身時代お世話になっていた社員寮の寮母さんにお会いしたとき、出勤前の夫の必須アイテムは梅干に熱い日本茶と教えられました。

以来その習慣は今でも続いています。



そんな私たちの嗜好を知っている子どもたちが折に触れそれぞれ送ってくれたり持ってきてくれたりします。


ひとくちに日本茶といってもいろいろな種類がありますが、煎茶や玉露は普段遣いには高価なので平素は粉茶にしたりしています。


娘の知人の縁で時々送ってもらう築地のうおがし銘茶の粉茶は最高なんですけど切れるとスーパーなどで売られているお茶の香りがほとんどない粉茶で満足しています。


長男のお嫁さんが帰省の折いつも持参してくれる静岡・掛川の深蒸し茶はお嫁さんの名前に因んで「ゆかちゃ」と名づけていつもアテにして待っています。


で、今回の次男が送ってくれたお茶は静岡の菊川というところの深蒸し煎茶。


渋みが少なくとろりとしてまろやかな甘みがあり、4煎目くらいまで飲んでも風味が抜けず楽しめています。


我が家の電気ポットの90℃設定のお湯をお湯のみに注いで、それを3度移し替えて60℃に冷まして急須に入れて3分ほど蒸して注ぐとまろやかな煎茶のできあがり。


でもこれはお客様用で自分が飲むときはそんな悠長なことでは間に合わないのですぐ入れてを繰り返しています。


今日は1日在宅していたので朝から数えてみたら何と10杯以上も飲んでいてびっくり!


いくらカテキンやVCが豊富だといっても過剰なとりすぎはどうなんでしょうね。


といってもかっぱえびせんではありませんがやめられません^^;





さて今日は東野圭吾氏著『カッコウの卵は誰のもの』をご紹介します。


タイトルにもなっているカッコウは5月頃日本にも夏鳥として飛来するお馴染みの鳥ですが、モズやホオジロなど他種類の鳥の巣に托卵するので有名ですね。


カッコウの孵化までの期間は10日ほどの短期間なので、ホオジロなどのヒナより早く生まれることが多いそうですが、そうして生まれたカッコウのヒナは宿主の卵やヒナを巣の外に放り出して自分だけを育てさせるという超利己的な習性を持っているそうです。


本書はそんなカッコウの生態を喩えに、特殊な状況を織り成した親子の物語になっています。



「緋田宏昌はアルペンスキーの元オリンピック日本代表選手で、彼の娘・風美もまた天才スキーヤーとして、注目を集め始めていた。
新世開発スポーツ科学研究所の柚木は緋田親子の遺伝子パターンに関する研究の協力を依頼するが、緋田はそれを了承することができない理由があった。
彼にはどうしても知られたくないある重大な秘密があったのだ。
緋田が苦悩する中、さらに風美に対し、試合の出場を辞退せよという脅迫状が届き、ある事件が起こる。
誰も予想できない驚愕の結末が待ち受ける長編傑作ミステリー」



東野氏の得意分野であるスポーツ科学をテーマに、元アルペンスキーの五輪選手の父と同じ道を進む娘を中心に据えた物語。


出版する作品が次々ベストセラーとなる実力といい目を瞠るほどの多作ぶりといい驚嘆する部分の多い東野氏ですが、今回もテーマの安易な立ち上げや不自然なミステリー要素の構築などがかなり気になりました。


すぐれた構成力や豊富なイメージを駆使して物語を構築する実力を恃みにするあまり、縦横無尽に筆を滑らせている感じが免れません。


本書は今をときめく遺伝子をテーマの作品ですが、そのような観点から読むと肩透かし的な失望感に見舞われるうえにミステリーとしても無理矢理犯人を仕立てて帳尻を合わせた感がありご都合主義的な作品というのが私の正直な感想です。



ただ本書で示唆されているような、前もって優れたスポーツ選手だった親から受け継いだスポーツに秀でた遺伝子を持つ次世代の子どもたちを発掘し、日本のスポーツ界の発展のために育成するというプロジェクトの発想は実行に移すには議論はあると思いますが、将来可能性のありそうな分野で、さすが東野氏の視野の広さには感服します。


この物語にはそのようにして発掘されながら約束されたその才能を手放してしまうという一組の親子のうちの少年が登場しますが、その少年の父親の言葉にこのタイトルの大切な示唆が含まれています。


『才能の遺伝ってのはさ、いわばカッコウの卵みたいなもんだと思う。
本人の知らないうちにこっそりと潜まされているわけだ・・・
それを本人がありがたがるかどうかはわからない・・・
でもさ、そのカッコウの卵は俺のものじゃない。
伸吾のものだ。 伸吾だけのものだ。 ほかの誰のものでもない・・・
伸吾の好きなようにやらせてやってくれ」


スポーツ界の金の卵発掘への強烈な批判とも受け取れる言葉ですが、誰に育てられようが誰に才能を指摘されようがカッコウの卵はカッコウの卵だけのものであるというのに強い共感を覚えました。



「・・・海水は、壮大な規模で乱れはじめ、海岸線から徐々に干きはじめ、やがてその速度は急激に増していた。
それは、巨大な怪物が、黒々とした衣の裾をたぐり寄せるのに似た光景だった。
湾内の岩はたちまち海水の中からぞくぞくと頭をもたげ、海底は白々と露出した。
或る湾では1000メートル以上もある湊口まで海水がひいて干潟と化した。
干いた海水は、闇の沖合いで異常にふくれ上がると、満を持したように壮大な水の壁となって海岸方向に動き出した・・・」


1896年6月15日夜半、陸奥、陸中、陸前の沿岸部を襲い2万2千人もの犠牲者を出した三陸海岸津波がうねりながら襲いかかる様子が吉村昭氏の筆によって再現されたものです。



吉村昭氏著『三陸海岸大津波』




明治29年(1894年)三陸大津波の冒頭の文に先がけて三陸沿岸で起こった地震の予兆とも見られる数々の異変が記されています。


6月に入った頃から徐々に漁獲量が増え、特に鰻、マグロや鰯、カツオなどがさばききれないほどの大漁になったり、その豊漁と並行して連夜沖合いに青白い怪しい火が出現、また宮古では60メートルの深さを持つすべての井戸の水が濁りはじめたなどなど。


かつて安政3年、北海道南東部地震の余波で起こった三陸沿岸の津波を経験していた村々の古老たちはそのときの異変と酷似することに危機感を抱いていたようですが、ほとんどの人はいぶかしみもせず予測外の豊漁にわきたっていたといいます。


ジャバ島付近のクラカトウ島火山爆発による大津波につぐ当時にして世界史上第二位、日本最大の津波が起こった様子が吉村氏の主観を排して徹底的に史実にこだわった筆力で息を呑むほど生々しく描かれています。


著者は上述の明治29年の大津波以前の三陸沿岸を襲った津波を1869年から時系列で列記し、三陸沿岸が津波に襲われる条件が十二分に備わっていることを指摘しています。


「三陸沖合は世界有数の海底地震多発地帯で、しかも深海であるため、地震によって発生したエネルギーは衰えずそのまま海水に伝達する。
そして、大陸棚の上をなんの抵抗もなく伝わって海岸線へとむかう。
三陸沿岸の鋸の歯状に入りこんだ湾は、V字形をなして太平洋にむいている。
このような湾の常として、海底は湾口から奥に入るにしたがって急に浅くなっている。
巨大なエネルギーを秘めた海水が、湾口から入りこむと、奥に進むにつれて急速に海水はふくれ上がり、すさまじい大津波となる」


本書では明治29年の津波から筆を起こし、昭和8年の津波、最後に昭和35年のチリ地震津波までを当時の数々の資料や生き残った人々の証言を元に綴った貴重な記録文学となっています。


その中で著者は、今では2004年にインドネシア・スマトラ島沖で起こった巨大地震から派生したインド洋大津波によって世界中で「ツナミ」という言葉が一気に国際用語になったといわれる「津波」の語源にも触れています。



明治29年の津波来襲時は「津波」の代わりに「海嘯」という言葉が使われ、そのとき初めて「津波」という新造語が登場したとあります。


「津波」を表わす三陸沿岸特有の地方語を探っていくうち、土地の古老たちの証言や記録の中に発見した「よだ」という言葉のひびきにその不気味さがよくにじみ出ているように思う、いう珍しい著者の主観を表わす文がありましたが、得体の知れない人間を脅かすものという感覚が「よだ」という語感にはあるような気がします。


本書で津波の影響を受けやすい三陸沿岸の地理的状況を指摘しながら明治29年、昭和8年、昭和35年と津波の被害度をたどった著者はそこにあきらかな減少傾向があると記しています。


それに加え以後徐々に完成された大防潮堤や住民の津波避難訓練など被害防止のための積極的な姿勢が功を奏していると締めくくって堅牢な津波対策に安堵していらっしゃる様子が伺えます。


もし著者・吉村氏が現在も存命されていて今回の被害をつぶさに見られたらどんな感想を抱かれるのでしょうか。


いま未曾有の天災を通して30年前奇しくも大切な伝言として書き記された著者のこの作品が再び見直され、この2ヶ月で15万部を増刷されたそうです。

この天災が起こる前に読んでおけばよかったとの地元の被災者の声も聞かれます。


余談ですが、著者の奥様で芥川賞作家の津村節子さん増刷分の印税をすべて被災地に寄付していらっしゃるそうです。



年月がたつと磨耗してしまう危機感をずっと持ち続けることはとても難しいことですが、これら過去を教訓に今度こそ大きな大きな改革が必要だと思いました。

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以前「ためしてガッテン」でエアコンの内部のカビの恐るべき害について放映していたのを観て以来業者さんにエアコンクリーニングをしてもらいたいなと思っていたところ、ある業者さんがキャンペーン価格でクリーニングをしてくれるというDMが入っていたので思い切って依頼しました。


フィルターの清掃だけでは届かない内部を洗浄してくれるので2台お願いしました。21fc641b.jpg



作業中の業者さんとの話でわかったこと。

エアコンの中は常に湿度99%だそうでカビにとって快適な環境だそうです。


冷房を使っている間はエアコン内部に水が溜まっているそうなのでその後エアコンを使わない期間があると夏場はカビの温床となるそうです。


インターバルのあとのエアコンからは溜まったカビの胞子が部屋中に散らばり、知らず知らずそれを吸い込んで肺にカビが住みついて病気を発症するというのは「ためしてガッテン」でもやっていました。


湿気の多い梅雨場はドライ運転をする家庭も多いと思いますが、ドライはよりエアコン内部に湿気を取り入れるのでお勧めできないとのこと。


対策としてはエアコンを使ったあと2時間ほど送風運転をすること、または最も高い暖房温度設定数分運転すればいいそうです。


ちなみに最近メーカーがこぞって売り出しているフィルターお掃除機能つきエアコンは値段が上乗せされている上かえってダストを内部に定着させることもあり業者さんが分解するのに大変複雑なのでクリーニング料金もアップするそうです。


何でも「シンプル イズ ベスト」ですね。



2台で3時間強、目には見えないものの気持ちがすっきりして満足です。






さて本日はジョンーハート氏著『ラスト・チャイルド』をご紹介します。


現在アメリカでミステリ界の「新帝王」との呼び声が高いジョン・ハート氏について


2006年デビュー作『キングの死』でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人候補
2008年『川は静かに流れ』でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞受賞
2009年アメリカ探偵作家クラブ賞&英国推理作家協会賞ダブル受賞
2011年版「ミステリが読みたい!」海外篇大賞第1位&「週刊文春ミステリー10」海外部門第1位




「十三歳の少年ジョニーは、犯罪歴のある近隣の住人たちを日々監視していた。
彼は、一年前に誘拐された双子の妹アリッサの行方を探しているのだ。
美しい少女だった妹は何者かに連れ去られたが、警察はいまだ何の手がかりも発見できずにいた。いmジョニーの父親も、娘が誘拐されてまもなく謎の失踪を遂げていた。
母親は薬物に溺れるようになり、少年の家族は完全に崩壊していた。
ジョニーは学校を頻繁にさぼり、昼夜を問わない危険な調査にのめり込んだ。
ただひたすら、妹の無事と家族の再生を願って―英国推理作家協会賞最優秀スリラー賞受賞作」



ずっと以前購入し数ページ読んでリタイア、ベッドサイドで積読状態のまま放置していましたが、最近多忙で図書館通いが途絶えて本が枯渇したのでやむなく手に取りました。



MWA&CWA賞受賞作は今まで夢中になったものが多くたいてい期待を裏切らなかったので今回も自分にとって読みにくいのを克服して読了しました。


全体的に真摯な内容でミステリの水準はとても高いと思いますが、過去の受賞作のように夜を徹して引き込まれるという内容ではなく、むしろやっと読了したという感じです。



主人公は失踪した双子の妹の行方を探し続ける13歳の少年・ジョニーですが、アメリカという風土を通してみてもいかにも少年の域をはるかに超えた現実離れしたような設定に共感部分があまりなく、初動捜査から関係しているハント刑事の事件とジョニーの母への思い入れの深さにも感情移入が難しい作品でした。



しかし登場人物たち、特にジョニーに関連づけて描写される風景や折々の感情の描き方が巧みで目をつぶればノース・カロライナの自然溢れる風景が目の前に広がるほど。



作品を通して伝わってくるのは固い絆で結ばれたかにみえる家族も一旦事が起こればあっという間にまるで砂上の楼閣のように足元から崩れ、幸せのかたちが跡形もなくなって初めてどんなに大切なものだったかということを思うのだということです。


妹の失踪で瞬時バラバラになった家族の再生を求めるジョニーの一途な想いを慮ると切なくなりますが、破壊した家族がすぐ完成できるパズルのように元の通りに納まるという幻想は現実社会では難しいものです。


崩壊したという現実を受け入れ、そして新たに別の形の希望を組み立てるという作業を通して新しく生きなおすということで前に進めるのではないでしょうか。


家族が元の形で再生するのをハッピーエンドとするならこの作品のラストは期待はずれといえるでしょうが、別の新しい形での再生も希望の光だとするならそういうことを踏まえてのラストがあります。


この作品での大きなテーマが家族の再生の物語とするなら、負けずとも劣らないもうひとつのテーマは友情の再生の物語。


ジョン・ハート氏も少年の心を描くのがうまい作家さんです。

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岡山特産の黄ニラをたくさんもらいました。


岡山市を流れる一級河川・旭川の豊かな砂壌土を利用して岡山市北部の玉柏・大原・牟佐地区で全国の8割近くを集中栽培しているという黄ニラ。


被覆資材で太陽光線を遮断して栽培するそうですが、その昔知人のお父上が工夫・改良を重ね、現在の生産体系を作られたそうです。


青ニラに較べて食感は柔らかくほのかに甘く香りは淡く上品です。



以前「秘密のケンミンshow」というTV番組で岡山県のお寿司屋さんではほとんどで黄ニラのにぎり寿司がメニューにあると放映されていてオーバー表現だと思いましたが、最近は少しずつメニューに加えたお店も広がっているようです。


地元のスーパーなどではたいてい売られていますが、青ニラに較べかなり高価なので常時買うという感覚ではありません。


カリウムやカルシウム、カロテン、ビタミンC含有量に関しては青ニラの方が優れていますが、黄ニラにはアホエンという脳の老化を食い止め記憶力をアップする物質が含まれていて総合すると整腸、解毒、コレステロール抑制、活性酸素除去、血液サラサラ、美肌といった効果も期待できるそうです。

アホエンを効率よく体内に取り入れるには油を使ったレシピにするのがコツだそうです。 bf884af0.jpg




以前居酒屋で黄ニラの三杯酢ひたしを食べておいしかったので今回はマネして作ってみました。

あと黄ニラ雑炊と・・・おいしかったです。 
明日はホタテを使った炒め物にしてアホエンを吸収して脳を活性化しようと思っています。
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さて今回は高村薫氏著『太陽を曳く馬』のレビューです。


高村氏の作品は私にとって読みにくく読了にエネルギーのいる作家さんの1人ですが、図書館で目についたので少しずつ読んでやっと読了しました。


世代を超えたある親子の内面の壮絶な闘いの記録。


本書の位置づけは『晴子情歌』『新リア王』に続く三部作の完結編にあたります。


前2作で問題提供されてきた長く重い福澤家の物語に終止符が打たれたといえるでしょうが、何とも重く混沌とした清涼感とはほど遠い高村ワールドに辟易したのが主だった感想です。


やはり高村ワールドは弱った心身には刺激が強すぎるし貧弱なレビュー力では荷が重過ぎます。


さて本書のあらすじを少し。

1998年、同棲していた妊娠中の女と隣家の大学生を殺した罪で福澤彰之の息子・秋道が2001年死刑になります。

その前彼の父親である僧侶の福澤彰之が代表を務めていた赤坂に本拠地を置く宗教団体・永劫寺サンガで修行中に寺を抜け出し交通事故死した修行僧・末永和哉の遺族が永劫寺サンガを告訴するという事態に発展します。

告訴理由は息子が「局在関連性てんかん」という持病を持つということを十分認識しながら事故死させたのは寺の監督不行き届きという罪状。

この2つの事件を担当したのが警視庁捜査一課第二特殊犯捜査第4係の係長となっていた合田雄一郎、かつて、彰之の女だった杉田初江の餓死事件を担当したことも合わせてこの2つの事件を通して彼は福澤家や宗教という掴みどころのないものに大きくかかわることになります。


簡単に書けば上記のようなあらすじですが、合田と福澤彰之を代表とすると禅寺である永劫寺関連の修行僧たちとの延々と続く禅問答に加え合田の独白、福澤彰之が死刑囚である息子・秋道に一方的に出し続けた長文の手紙などが夥しい字数で紙面を埋めています。


福澤彰之の息子・秋道は世に出ない前衛芸術家で事件後残された彼の部屋は真っ赤に塗られていたという設定ですが、その芸術性とともに秋道を理解するには父・彰之との過去の親子関係に起因するトラウマ云々などを超えた次元であることを父・彰之の秋道への手紙を通して著者は記しています。


その殺人動機を探る過程で父・彰之の宗教感、秋道の芸術感などの複雑怪奇な迷宮に迷い込んだ合田刑事のがんじがらめの戸惑いや徐々に起こるからめとられなどの合田の揺らぎの描写に終始した作品ではないでしょうか。



宗教に関してはオウム真理教からインド哲学にまで深く掘り下げた内容の会話が合田と禅僧侶たちとの間で果てしなく繰り広げられ終わりのない難解な思考の旅という印象を受けました。


というのは果てしない禅問答にも似た難解な宗教論争の内容が私の理解を超えていたことに一因があるから。


それにしても『晴子情歌』での膨大な量の母の手紙や新リア王』の父子の政治や宗教論に関する対話、本書での合田と僧侶たちとの禅問答、死刑囚の息子・秋道へ送り続けた膨大な彰之の手紙の中で吐露される宗教論や死生観、芸術論など、著者の思考の苦しいまでの深さに圧倒されます。



タイトルの「太陽を曳く馬」は太陽神ヘリオスの子・バエトーンが父に対して力を誇示するため太陽の馬車を操るうち暴走させたため地球上を危機に陥れアフリカ大陸の砂漠化などを招き、大神ゼウスの逆鱗に触れ墜落死するというギリシャ神話に出てくる物語から採っただろうという推測が成り立つ内容でした。


この神話から福澤父子の関係をどのように関連づけるかはひたすら読者の感性に委ねるというスタンスが著者の筆致に見られるというのはいいすぎでしょうか。


この父子の行動の結果に敢えて善悪を結論づけることなく、人間の深い闇もまた人間のあるべき姿であると突き放した潔さを感じました。


芸術面、宗教面など幅広く深い知識があればもっと深く潜る読み方ができるかもしれませんが、浅い知識しか持ち合わせていない私の浅学を見せつけられた作品でした。

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