VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2011年11月

友人からのお招きでご実家の畑の渋柿をもらいに行きました。


広大な畑にたくさんの桃や梅の木がある中、聳え立つようにして柿がたわわに実をつけています。



友人のご主人と夫が交代で脚立に上がったり木に登ったりして高枝切りバサミで枝を落としドサッと落ちる枝から柿を取っていきます。



途中休憩で友人が用意してくれたコーヒーや紅茶、日本茶に自家製パンやづくし柿や富有柿、そして焚き火で焼いてくれた焼き芋やぎんなんを食べて至福のときでした。



幼い頃からずっと街中暮らしの私はこんな田園風景に囲まれた暮らし、いいな~と強く憧れますが、体力知力地縁力とも充実してこそのもの、すぐ腰砕けになってしまいます^^;



1ヶ月ほど前、道の駅で買った渋柿を干したのですが、翌日から雨が続いたせいか、青カビが生えるという初めての失敗でほぼ全滅、今回はお天気ニュースで晴れを確認しての作業ですが無事できるでしょうか。b2a853f9.jpg






さて今日はR・D・ウィングフィールド氏著『夜のフロスト』です。



『クリスマスのフロスト』『フロスト日和』に続く人気の英国警察小説シリーズの第3弾。



著者ウィングフィールド氏は勤めのかたわら放送作家としてデビュー、台本の人気が先行していましたが小説化した『クリスマスのフロスト』が反響を呼び、以来フロストシリーズがうなぎのぼりの人気で定着しました。


2007年に亡くなられるまでフロストシリーズ7篇のほか1篇の作品だけの遅筆の作家さんでした。



ちなみに本書の人気を表わすと・・・
「週刊文春」2001年傑作ミステリーベスト10/海外部門 第1位
『IN★POCKET』文庫翻訳ミステリーベスト10/評論家部門 第1位
「このミステリーがすごい! 2002年版」海外編ベスト10 第2位



「流感警報発令中。
続出する病気欠勤にデントン署も壊滅状態。折悪しく、町には中傷の手紙がばらまかれ、連続老女切り裂き犯が暗躍を開始する。
記録破りの死体の山が築かれるなか、流感ウィルスにも見放されたフロスト警部に打つ手はあるのか……? 
さすがの名物警部も、今回ばかりは青息吐息。
『クリスマスのフロスト』『フロスト日和』につづく、人気の英国警察小説シリーズ第3弾」



「下品なジョークを心の糧に」知性とはほど遠い行き当たりばったりの場当たり的勘だけを頼りの捜査で24時間フル稼働するのも、さまざまな種類の事件が同時進行するモジュラー型ミステリという形式も前2作と同じ。



文庫といえどもほぼ750ページという恐ろしい長さ、しかも月曜日から金曜日までのフロストを中心としたデントン警察署の動きが秒刻みで記されているという代物。




次々起こる殺人事件と流感に翻弄されるデントン署員ですが、一般的な推理小説を期待する向きには甚だ肩透かし、重点が置かれているのはひたすら愛すべきフロストの動静と見紛うほど細かくフロストの動きを追っています。



果たしてこの長々しい作品を読みきれるかという最初の懸念は1ページも読めばすぐ吹き飛んでいつもながら品下れるフロストのジョークや行動に目が話せなくなります。



警察官として取柄を見つけるのが困難なダメ警察官のレッテルを貼られたフロストですが、いつも警察官という職務に一生懸命な姿勢やまれに見せる人情や正義感が好感を呼ぶんですよね。



「この仕事をしてると、胸糞が悪くなるようなことを、それこそ山のように目にするんだよ・・・だから、おれは、冗談を言う。
冗談を言ってりゃ因果な仕事の因果な部分を引き受けるのが、いくらか楽になる」



そんなフロスト警部の今回の相棒は上昇志向の強い新米部長刑事ギルモア、そしていつもフロストによってフラストレーションを募らせている乙に済ませたマレット署長、これら登場人物の個性も生き生きと描かれていて読み応えのある作品となっています。



このシリーズでいつも感心させられるのはフロストの下品な下ネタジョークとともにデントン署員たちの言葉にできない心の声や抑圧された行動の描写が何とも生き生きしたベストマッチの日本語に翻訳されているんです。



フロストシリーズの日本での人気はひとえに訳者・芹澤恵さんの力によるところが大であろうと思えるほど日本語訳が生きています。



750ページという文庫としては太すぎる作品を読んでみようという気概のある方、フロストの魅力にはまること保証します!

朝日新聞の「かたえくぼ」という読者投稿欄に大阪の読者の方の投稿がおかしくてひとりで笑いました。


[TPP論争 そちらがもっと注目されたら助かります・・・オリンパス、東電、九電、大王製紙、巨人軍ほか] 



まあ何と次から次に事が起こること!


大王製紙の御曹司、特別背任容疑の逮捕でマカオやシンガポールのカジノに嵌まった経緯が出ていましたね^^;


1日の1億5千万も費やしたことがあるというカジノ、それだけのお金、被災地での様々な救済に投入したらどれだけの人が助かったかと思わず歯噛みする思いです。



読売のドン・ナベツネさんもテレビで拝見すると足元も口調もおぼつかないご高齢、聞くところによると今回の騒動の発端の告発人・清武さんもミニナベツネといわれているようでどちらの言い分がまっとうかは私にはわかりませんが、カダフィーの例からもご本人が独裁者というものの及ぼす影響をもっと学んでほしいと思うんですけどね。





さて今回は重松清氏『みぞれ』をご紹介します。



「あなたに似た人が、ここにいる――。
幼なじみの少女が自殺未遂、戸惑いながら『死』と向き合う高校1年生の少年。結婚7年目、セッカチな夫にうんざりしてきた妻。
子供がいないとつい言えなくて、一芝居うつ羽目に陥った夫婦。
どちらかがリストラされる岐路に立たされた40歳の同期社員。
晩年を迎えた父に複雑な思いを抱く43歳の息子……。
ひたむきな人生を、暖かなまなざしでとらえた11の物語」



「息をするように、『お話』を書きたい」とあとがきに書いていらっしゃる著者の姿勢そのままの、どこにでもありそうな日常の1コマを救い上げ、読者の共感と静かな感動を呼び起こす手法で短編をまとめあげる著者の筆力にはいつもながら感心します。



きっちりと計算されつくした虚構の世界を描いた小説も魅力的ですが、心身が弱ったときや不遇のとき、疲れた夜のナイトキャップ代わりに読むにはこのような短篇がベスト。



タイトルの命名がまた言いえて妙という感じ、重松氏は短篇にこそ力を発揮される作家さんではないでしょうか。



11の短篇はそれぞれに味がありますが、印象に残った数篇をご紹介したいと思います。



◆小学校で家族の得意技という題の作文を書く宿題を出された息子とパパとママの物語。

 砲丸投げが得意なママのことはスラスラ書けたけど、これといって決め手のないパパのことが書けない ことに対  する一家の戸惑いを通して遡ったパパとママのなれそめの過去の話から家族でパパの得意技を見つけるまでの  心温まる家族の風景を描いた「砲丸ママ」



◆子どもを持てず年老いた犬を子ども代わりに慈しんでいる妻が中学の同級生についた哀しい嘘によって窮地に追い込まれる様子を描いた「石の女」
 
 3人の子どもの親である私は子どもを持たない人生をそっくりなぞることは不可能ですが、同じ女性として世の中の 感覚の理不尽さにとても共感できる作品でした。

 

◆故郷で妹夫婦との同居を父親のワガママで反古にし、年老いた2人暮らしに戻った両親に怒りとも諦観ともいえない負の感情を抱く息子の微妙な心情を描いた「みぞれ」

 「二人の『老い』を実感してから、『死』の日がいずれ訪れることを受け容れるまで、思いのほか早かった。二人が亡 くなるのは、もちろん、悲しい・・・だが、その涙には、自分の中のなにかが引き裂かれてしまうような痛みは溶けてい ないはずだ。僕は、冷酷で身勝手な息子なのだろうか」

 両親以外に新たに家族という守るべきものを持った主人公の心情に深く共感できる作品でした。



それにしても作家さんというのはなんと豊かなイメージを持っているのでしょう!

嬉しいことがありました(^^)  a073abf4.jpg


ネット上の友人であるUNIさんにお会いできたこと。


不調で世間にしばらく出てなかったので躊躇がありましたが思い切ってお会いできてとても嬉しかったです。


UNIさんご自身も漫画家ですが、当地ご出身のご主人が知る人ぞ知る有名な漫画家の平松伸二さん、10月15日から県北にある「吉備川上ふれあい漫画美術館」で《平松伸二原画展》が開催されていてその最終日の昨日トークショーとサイン会のため平松さんご自身が奥様のUNIさん同伴で来館されました。


そのまたとない機会を利用してお会いできたのでした。

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ちょうど会場近くの成羽美術館で「マリーローランサンとその時代展」というのが開催されていたので夫の油彩画仲間と5人で朝車で出発して2つの会場をはしごしました。



成羽美術館の詳細については今回は措くとして、岡山から車で2時間、市中に住む私には随分不便な場所という印象でしたが、県内のみならず横浜など県外から平松伸二さんを目当てに訪れたファンの方々がいっぱいだったのには驚きました



会場になっていた「ふれあい漫画美術館」は町おこしの一環として平成6年にオープン、高梁市名誉市民でもある当館の名誉館長・家富永一朗氏の原画のほか全国から寄贈された約12万冊の漫画が所蔵されているそうです。



会場でUNIさんがすぐ見つけてくださり隣席でご主人のトークショーや即席似顔絵教室を見学、合間の短い時間、積もるお話のほんのほんの一部ができました~。



ご夫妻とも想像通り、温かい人柄が滲んでいてすぐに好感が持てました。



友人と呼ぶには年若いUNIさんに失礼な話ですけど旧知の友人のようで、もっともっとお話したいことが山ほどあったんですけど次の機会にとっておくことに。


会場にいたファンの中から4人の希望者の似顔絵をその場でトークしながら描かれたご主人の腕前の確かさにその30年という漫画一筋のキャリアから考えて当たり前かもしれませんが、夫ともどもみんなで驚嘆しながら帰途に着いたことでした。






さて本日は河野裕子氏&永田和宏氏&その家族著『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』をご紹介したいと思います。


朝日歌壇の選者としても有名な細胞学者・永田和宏氏と毎日歌壇の選者でもあられた河野裕子氏とその長男、長女、そして長男のお嫁さんの5人の共著。



「ガンにたおれた妻であり、母である河野裕子と家族が詠んだ歌とエッセー63編。
息を引き取るまで、互いの心に手をのべ、絆を確認し合った歌人一家、感涙のドキュメント」



2000年に患った乳ガンの再発がわかった2008年、化学療法を試みていた最中の2009年9月から始めた産経新聞夕刊に家族4人で短歌・エッセイのリレー連載をまとめたものが本書です。



「ここに残された63篇のエッセイと短歌は、永田家のテーブルで、家族が三々五々集まって『お茶にしようか』と言いながら気軽に交わした団欒の記録なのである」(永田和宏氏のまえがきより)



お孫さんに「うまちゃん」「ゆうこちゃん」と呼ばれる永田夫妻の睦まじさは周知の事実でしょうけど、それゆえ、裕子氏亡き後の永田氏の喪失感はいかほどのものでしょうか。



「相槌を打つ声のなきこの家に気難しくも老いてゆくのか」(永田和宏氏)



「私たち夫婦はとにかく何でもよく話す夫婦であった。
私が帰ればたちまち河野の速射砲のごとき話か追いかけてくる。
私かトイレに入れば、扉の前で話し続けたものだ。
私もよく話した。
そんな話の中で、『よかったわね』『それはすごいわね』という河野の相槌は常に私を安心させてくれた。
歌でもサイエンスでも、私はこれまで人並み以上に頑張ってきたと思う。
それは河野のそんな相槌を無意識のうちに求めていたから続いたことなのかも知れないと、この頃痛切に思う・・・
男一匹、なんというスケールの小ささよと笑われれば返す言葉がないが、自分の話を聞いてくれる存在の大きさに気づき、その相槌が何ものにも代えがたい喜びであったという発見を、今さらながら私は誇らしくも思うのである」



「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」(河野裕子氏)


感想の言葉が出ないほど圧倒されるようなこの歌、すさまじい闘病生活と睦まじい家族関係がうかがい知れるようなこの歌を筆頭に家族のそれぞれのメンバーがご自分の立場からの日常を歌い、そして柔らかな筆で添え書きしているエッセイの数々。


ご家族の熱い思いが伝わって胸がいっぱいになりました。



死は最大の悲しみですがすばらしい家族の中核にいらした裕子さんの生前の幸せを感じさせる作品でした。



「君に届きし最後の声となりしことこののち長くわれを救わん」(永田和宏氏)

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  ベランダから見た夕焼けがあまりに美しかったので撮りました。

ギリシャに続きイタリア、スペインの財政不安や、日銀が日本国内の景気減退との認識を発表したり、TPPで露見した野田内閣の軟弱外交云々などの話題満載のニュースを見ていたとき、おそらく水面下でこんな脅し、懐柔が日本政府に対して繰り返されているはずだ、と夫がオバマ大統領のセリフを大阪弁でまくし立てたのがあまりにもおかしくて大爆笑でした。



浪花節調の大阪弁、脅し賺し編のすべてをご紹介したいのですが、政治・外交に抵触する過激なものはブログでは避けているのでお伝えできないのが残念ですが、さわりをちょっとだけ・・・


「だれのお陰で中国や北朝鮮の脅威から逃れられていると思うとんねん・・・沖縄の基地がどうしたこうした言っている場合か、TPPで国内事情を訴えている場合か、よ~く胸に手を当てて損得を考えてみなはれ」などなど。



以来オバマさんがスピーチしているのを見ていると言葉巧みが茶番に思えて笑えてきます。



不謹慎な想像ですが野田さんがボケ、オバマさんがツッコミで漫才をやったらさぞ受けると思うんですけど。






さて本日は吉村昭氏著『光る壁画』をご紹介します。




巨大損失の隠蔽で話題騒然のオリンパス、現在世界中で広く用いられている内視鏡を人体に使用に耐えうるものにしたというすばらしい功績を持っている会社、こんなことでその輝かしい過去が汚されるなんてとても残念です。




本書は1980年に読売新聞で連載されたのち翌年新潮社から単行本化されました。



2011年には世界で初めて内視鏡を開発した東京大学の医師とオリンパス光学工業の研究員たちの物語として佐藤隆太さん主演でテレビドラマ化もされたそうですね。



1980年新聞連載の裏には食道がんのため連載休載を余儀なくされた立原正秋氏のピンチヒッターとして急遽依頼され、慎重な準備取材を欠かさない吉村氏は躊躇いがあったものの掲載と並行しての入念な準備で最後まで執筆を全うされたという経緯があったそうです。



20歳のとき結核のため東大病院で麻酔なしの壮絶な肋骨切除手術を受け、その後命を拾ったという重い経験を持っていらっしゃる吉村氏ならではの「命」に重きを置いたテーマに通じる作品です。



詳しく書けば、1950年に東京大学の宇治達郎とオリンパス光学工業の杉浦睦夫、深海正治が極小のカメラ本体&超小型電球を軟性管の先端に取り付けた「ガストロカメラ(腹腔内臓器撮影用写真機)」を完成したという実際の出来事を基礎にした作品。



朝鮮戦争前後の時代、東京大学医学部附属病院分院の若い外科医・宇治達郎によって胃の内部を撮影するカメラの研究を依頼されたオリオンカメラ(=オリンパス)の技師たちと宇治を筆頭にした東大の医師たちの胃カメラを完成させるまでの苦闘の歴史が吉村氏特有の克明な筆で記されていて読み応えのある作品となっています。




主人公のオリオンカメラの技師・曽根菊男(実在は深海正治)のネーミングと私生活は著者の創作ですが、その他はすべて事実のノンフィクション作品といっていいでしょう。



著者の得意分野の医家伝などで登場する主人公たちの想像を絶する忍耐に裏打ちされた努力と人生を賭して1つのことに情熱を傾ける姿勢が淡々とした筆致で描かれていて秀作です。



同時に現在の内視鏡に落ち着くまでの人間の体内に管を入れて臓器を撮影するという当時としては荒唐無稽といえる試みの数々の歴史が記されていて、世界中の技術者や医師たちの苦闘の歴史あればこその現在であるという当たり前のこと再考するきっかけを与えられた作品でした。



是非どうぞ。

今年初の勢子ガニを食べました。


昨年11月に倉敷の病院で股関節置換手術を受けた舞鶴在住の義姉が1年目の受診で来岡した際お土産に持ってきてくれたもの。    fb7408d2.jpg



松葉ガニの今年の解禁は11月6日、雄ガニは3月20日頃まで水揚げされるんですけど、雌ガニである勢子ガニは卵を産むという大役を担っているので資源保護のため雄の松葉ガニに比べて1月上旬という短期間での水揚げとなります。



「勢子ガニ」は地域によって「せいこがに」「親がに」「香箱」「コッペ」などと呼ばれていますが、雄に比べて幾回りも小さくて足も短く食べ出がないようですが、私はこれがいちばん好き!



雄にはない外子と内子という卵を持っていて、外子はお腹部分にある暗褐色の卵でプチプチした食感が特徴、体内にあるオレンジ色の卵が内子、濃厚でとっても美味です。


で昨夜は1年ぶりの勢子ガニ、堪能しました。



あまりに食べ急いだので写真を撮るのを忘れて・・・ネットから拝借しました~^^;


産地でまだ出始めなので、もうしばらくすると当地でも魚屋さんの店頭に並びます。


大きさによって値段に差がありますが当地では1匹500円~900円くらい。



短いシーズンなので何回か食べるのを楽しみにしています。





さて本日は岡潔氏&小林秀雄氏著『人間の建設』をご紹介します。


初版が1965年ということは今から50年近く前の評論家小林秀雄氏と世界的な数学者岡潔氏の対談集。



現代数学から教育問題、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキーゴッホなど多岐にわたる主題が2人の間で展開する史上最強の対談となっています。


●小林 秀雄氏 :1902‐1983。1929年『様々なる意匠』が「改造」誌の懸賞評論二席入選。戦中は「無常という事」以下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年『モオツァルト』を発表。1967年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(’77年刊)で日本文学大賞受賞

●岡 潔氏 :1901‐1978。日本数学史上最大の数学者。1925年京都帝大卒業と同時に講師に就任、以降、広島文理科大、北大、奈良女子大で教鞭をとる。多変数解析函数論において世界中の数学者が挫折した「三つの大問題」を1人ですべて解決した。1960年、文化勲章受章受賞



お2人の何気ない雑談の中に深い洞察力なしでは語れない言葉の数々がとても魅力的で続けて3度再読してしまいました。



特に岡潔氏の発言にはその天才的な頭脳と同様磨かれて余分な飾りのない言葉の中に真実の輝きが感じられていっぺんにファンになりました。



「勘は知力ですからね。これが働かないと一切がはじまらない」


「人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。
好きにならぬのがむしろ不思議です。数学は必ず発見の前に一度行き詰まるのです。行き詰まるから発見するのです」


「理性というものは、知っているものから順々に知らぬものに及ぶという働き方しかできません。
ところが知らないものを知るには、飛躍的にしかわからない。
ですから、知るためには捨てよというのはまことに正しい言い方です。
理性は捨てることを肯んじない。
理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。
人は記述された全部をきくのではなく、そこにあらわれている心の動きを見るのだから、わからん字が混ざっていてもわかると思います」


「知性や意志は、感情を説得する力がない。ところが、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしいのです」


「個性はみな違っているが、他の個性に共感するという普遍的な働きを持っている。それが個性の本質です」



また素読についてお2人とも素読教育の大切さについて述べていらっしゃいます。


意味がわからなくても何回も読むうちに何となく輪郭がつかめるというもの。


論語を例に、個々の読み手によって様々な解釈ができるし一生かかってもつかめないかもしれないものに対して意味を教えるということは曖昧な教育であり丸暗記の素読教育だけがはっきりした教育だと小林氏は言っておられます。



母の死後ときどき般若心経を素読していて感じるのですが、仏教に無知な状態で繰り返し読んでいるうちに何となく意味が掴めるときがありますが、私の場合それは心の目を全開して集中、今まで培った知力を総動員して立ち止まって見つめたときです。



子どもの頃素読教育を十分に施された人がその内容を理解する心の目が開くのはきっと経験を経て長い年月が必要とされると思いますが、素読教育なしでは理解との邂逅もあり得ないといういう点ではお2人の発言に共感します。



また次の岡氏の言葉には共感を超えて感嘆します。


「理性というものでは、到底現状を防げるとは思いません。感情、情緒というものが眠っているのです」


「理性は捨てることを肯じえない。理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。つまり理性のなかを泳いでいる魚は、自分が泳いでいるということがわからない」



ひとつの深い世界をとことん追求した学者の深い洞察力は驚くばかりです。

大王製紙の元会長の不祥事の次はオリンパスの巧妙な1000億円超の損失隠し、いったい企業のモラルはどうなっているんでしょうね。


株価はストップ安が続いて上場廃止を視野に監理銘柄として監理ポストに入れられました。



オリンパスというとデジタルカメラがすぐ思い浮かびますが、もっと有名なのは内視鏡。


柳田邦男氏の『ガン回廊の朝』や吉村昭氏の『光る壁画』で紹介されていたと記憶していますが世界初の内視鏡を開発し現在全世界シェアの75%を占めているほど信頼性の高い製品を作っている日本の誇れる企業のはずなのに^^;


経営陣にとって都合の悪い指摘をした英国人の元社長を解任したり同じく疑問を呈した監査法人を別の監査法人に変更したりという役員らの自分の代だけは大過なく過ごしたいという姑息さには呆れるばかりです。



種類は違っても自己保全のための隠し事が目立つ事件が多すぎで日本人として恥ずかしいことだらけです。





さて今回は田辺聖子氏著『孤独な夜のココア』のレビューです。



私はギラギラした恋愛モノは好みではありませんが、田辺氏の描く恋愛モノは大好き。



田辺氏の作品はほとんど読んでいますが、その中でもずっと心に残っている短篇がいくつかあり、機会があったら読み返したいなと思っていながらタイトルを忘れて中々巡り合えずにいました。




先日図書館で本書を見つけてパラパラと捲っていたら・・・長年探していた作品が!



本書には12の小品が収録されているんですけど、その中の「ひなげしの家」というのがそれです。



中年になって巡りあった不倫の男女の深く結ばれた愛情が女性側の姪の目を通して描かれたたもの。


ビターで切なくていつまでも心に残っていました。




初版が昭和58年という古さでありながらいま改めて全編を読み返してみても時代のズレは感じられないものの、主人公たちの年齢設定が現在と比べると10歳以上若いと感じられました。



20代のヒロインが婚期を逸したと焦る姿は晩婚の現代、違和感があるんですよね。


「ひなげしの家」の42歳と38歳という男女の想定も現代の感覚なら10歳ずつ足せば納得できるという感じ。



年齢の違和感を除けば何度読んでも微妙な女心をこんなに魅力的に表現できる著者の力量に感動した作品でした。

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