VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2011年12月

いよいよあと3日で新しい年を迎えます。36964de3.jpg



今年は日本にとって大変な年でしたが、派生した様々な困難な課題がほとんど解決されないままの年越しとなりそうです。



今朝の情報番組で福島・双葉高校・野球部の険しい道のりのドキュメンタリーを報道していました。



福島第一原発から3キロのところにある双葉高校、部員が各地へ避難して野球部自体の存続が危ぶまれる中、苦肉の策で他高との寄せ集め合同で出た地区大会で敗退した前後を部員と田中監督中心にカメラが追っていました。



試合での悔しい敗退後、涙する部員たちに泣きながら言った田中監督の「ありがとう!」の4文字はどんな言葉の羅列より重みを持って胸に響きました。



離れたところに避難する妻と幼い子どもに会うこともままならない環境の中、野球部存続のために東奔西走する監督の一念に後押しされて各地に避難していた野球部員たちがポツポツと戻ってきたときの「戻ってきてくれてありがとう!」の言葉も部員たちの活動の前向きなエネルギーを生みました。



震災で傷ついた被災者たちとそれを気遣う全国の人々がそれぞれの数だけ発した重みのある深い言葉が被災者たちや被災していない私たちにも大きな生きる希望を与えてくれています。


言葉の力は本当に偉大ですね。



反対に怒りを誘う負の言葉もたくさんありました。



いまだに私の中で不消化で燻っている言葉の代表格2つ。


復興対策担当相を辞任するきっかけになった松本元復興対策担当相の不用意な言葉。


「あれが欲しいこれが欲しいはだめだぞ、知恵を出せということだ。知恵を出したところは助けるけど、出さないやつは助けない。それぐらいの気持ちを持って」


松本龍氏のお人柄など詳しく知らない私が簡単に決めつけることは危険だというのは承知していますけど、私にとってとても不快な言葉として今も頭から離れません。



ご本人は躁状態からの思ってもいない発言と庇う向きもあるようですけど、不用意な言葉には平時精一杯の理性で隠してた素の人柄が映し出されるというのはよく聞きます。


上記の言葉に含まれている2つの意味に二重の憤りを感じます。


1つはこれほどの有事にゆっくり知恵を出して冷静な計画を作成できる人がどれくらいいるかという点。


更に松本氏はいい意味で言われたのでしょうが「知恵を出す」という言葉には二面性があり、悪知恵を働かせて上層部に訴えることのできる人に救助の第一義を置くというとらえ方ができます。



震災で肉親や家、家財道具、仕事をなくして生きる意義をも見出せない人にそんな知恵を出せる余裕があるでしょうか。


ここでの対象は県知事などのリーダーに向かっての発言だとは思いますが人々の牽引力になるべきリーダーの方々もまた被災者である点をどんなに考えていらっしゃるのでしょうか。



更に更に「・・・助けない」発言は権力者の驕りを象徴していると捕らえるのは私がへそ曲がりで穿った見方をしているのでしょうか。


国民の税金で成り立つところの大きい支援を国民の代表として松本氏にこのようにかぶせられたのでは私たちはたまりません。


生家の松本組が私財を投げ打って「助ける、助けない」という場合のみ松本氏の発言が受け入れられるのではないでしょうか。



日頃はこのブログで政治色の強いコメントは極力差し控えることを旨としていますが、今年最後のストレス解消発言、年末で慌しい中、私も料理を作りながらなので皆さんも忙しさに紛れてスルーされることを願って書きました。



そして最後は先日の東京電力・西沢社長の電気料金値上げに関する発言。


「料金の申請は我々事業者としての義務というか権利だから会社の経営が成り立たないという状況に陥ったのが見通せるのに何もしないというのはこれは、経営者として株主に対しても代表訴訟の対象になるのでこれはきちっとした対応をしていかなければなりません」


利潤追求なくしては成り立たない企業ということではその通りかもしれませんが、この時期に!!



東電・社長には言葉を選ぶ知恵もなかったのでしょうか???






さてとても長い前文になってしまったので本日のレビューは簡単に!



曽野綾子氏著『人生の第四楽章としての死』


「『老いの才覚』、『戒老録』、『晩年の美学を求めて』など、生老病死に対する深い思索に定評ある著者が、老いの次の段階を洞察した〈死に仕度〉〈心の死出の準備〉の書」



クリスチャンであり、海外邦人宣教者活動援助後援会代表としての活動、最貧国での実際的な援助など社会奉仕活動を通してヴァチカン有功十字勲章をはじめ日本芸術院賞恩賜賞、吉川英治文化賞、読売国際協力賞など数々を受賞していらっしゃる著者と平凡な主婦の私では比較するのもおこがましいですが、あまりに共感部分が多くて、図書館に返却後は購入して手元に置いてこれからの死への準備期間の糧としたいと思う作品でした。



著者が若い頃より心に刻んでこられた「世の中のことは、すべて期待を裏切られるものである・・・実にこの世で信じていいのは、死だけなのである」というフレーズは私がずっと密かに感受していたことでもあります。



すべての人に平等に訪れる「死」は人間の最後の大切な任務であり老いた命は新しい命に席を譲るという自然の摂理に備えてこの世に醜い未練を残さないという訓練がこれからの私に与えられ課題であることをしっかり認識させてくれます。



エンタメ本以外の読書ではポストイットを貼ることがよくありますが、この作品はポストイットだらけ、ご紹介したい箇所てんこ盛りですが、長くなるのでここまで凝縮して現世を捉えている文章はないと著者が挙げていらっしゃるパウロの言葉を記して終わります。



「わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」(コリントの信徒への手紙 7・29~31)

続けてカブをたくさんもらって以来、毎日カブ料理を楽しんでいます。 998d1441.jpg



◆まず千枚漬け、この冬これで作ったのが3度目です。


小さい頃どんなトラウマがあったのか、物心ついてから漬物と名がつくものに強い拒否感があっていまだに食べられませんが、千枚漬けは酢の物料理と心に言い聞かせて食べてみたらなんとおいしい!



夫は漬物大好きなので味見ができない状態で糠づけも白菜漬けも作るには作りますが、自分は長年損した気分でした。


かといって千枚漬け以外の漬物はすべてNG!



◆くし型に切った小カブを短時間レンジアップしてフライパンで焼色をつけたあとベーコンを入れて炒め合わせ、黒コショウ、クレイジーソルトと少しのしょう油を回しいれて味を調えて粉パセリをパラパラ振った一皿もおいしい!



◆塩、コショウをすり込み小麦粉を多めにまぶした一口大より大きめの鶏モモを鍋かフライパンで焼き色をつけて両面焼き、お皿に移しておきます。
同じ鍋かフライパンで薄いくし型に切った大量の玉ねぎと、あればキノコ類をいっしょに炒め、お皿の鶏モモを投入して少し小麦粉を足して軽く炒め合わせ、水をひたひたより多めに入れ、コンソメキューブとホールトマト一缶入れてお玉でホールトマトを崩しながら中火で煮込みます。
鶏が柔らかくなった段階でくし型に切ったカブを入れて柔らかくなるまで煮込んだ一品。



今カブのベストシーズン、葉っぱも大根葉より柔らかくおいしいので茹でてみじん切りにしてゴマやジャコをオリーブオイルにごま油少々で炒め、しょうゆや甘味で味を調えたものをご飯とともに食べると最高、また油揚げといっしょに煮びたしにしても柔らかくてとてもおいしいです。



他に皆さんが食卓に出しているおいしいカブのレシピ、教えてくだされば嬉しいです。





さて今回は霧村悠康氏著『昏睡 かくされた癌』のレビューです。



「“つくられた癌”で教授を辞職に追い込んだ神埼は、教授選に立候補する。
しかし、時を同じくして行われた胆嚢摘出の手術後、患者は昏睡状態に陥り死亡する…。
杜撰な手術、患者の取り違え、カルテの改竄など、現役医師が欺瞞に満ちた現場を描く、医療サスペンス第2弾」



どうやら本書は「新風舎出版賞最優秀賞」を受賞したデビュー作『摘出 つくられた癌』と対になった作品のようです。



本書にも前作の経過記述が度々出てくるので大まかな理解はできましたが、興味ある方はまず前作を読まれたのち、本書に移られると流れがよくわかると思います。



著者は大阪大学医学部卒業後、現役医師として勤務の傍ら次々医学をテーマの作品を発表していらっしゃいます。



さて本書の感想に移ります。


医学をテーマの作品の金字塔といわれている山崎豊子氏の『白い巨塔』の小型版といえるでしょうか。



大阪大学医学部が共通の舞台、第三外科教授選での醜い策略を扱っているのも同じですが、『白い巨塔』に比して構成に一貫性がなくとても読みにくいという印象を持ちました。



著者は現役の医師であるだけに時に差し込まれる医療ミスや医療事故、論文捏造などの事件の隠蔽工作などに慌てる大学内部の様子や手術シーンの緊迫した描写はさすがと思える臨場感がありましたが、並行して差し込まれている純愛物語の風を呈した2つの男女の物語もまったく共感が持てないという最近に珍しい作品でした。

小学校1年生の孫のあーちゃんから昨日送ったクリスマスプレゼンへトのありがとう電話がかかってきました。


背は学年で1,2を争うくらい高いんですけど1人っ子のせいか幼くのんびり、意地悪されてもわからないようなぼんやり系、今の時代と逆行したような女の子なんです。08598395.jpg



そんなあーちゃんに目がない夫が本人からリクエストされていたプレゼントのWiiのソフトやユニクロで買ったパーカーなどとともに先日このブログにいきさつをアップしたパパへのプレゼント・漫画家平松伸二氏の色紙を入れた小包。


「プレゼント届いたよ♪ ありがとう!!」


「お洋服小さくなかった? ソフト気に入った? 」


「うん、気に入った! あした3人でWiiで踊るね。
それよりそれよりブラックなんとかの絵すごいね~~!
天才だと思った
明日香学校で選ばれて貼り出されたことないんだよ。
どうしてかっていうとね。へたっぴいだから。
あんな天才だといいな~!」
と肝心のプレゼントそっちのけで平松氏の色紙の話題ばかり。


あーちゃんの驚きの様子が手に取るようにわかるほどの興奮ぶりです。


夫が代わって電話口でプレゼントの感想を引き出そうとするのにすぐ「天才」の話題に引き戻されて憮然とした様子。


7歳の子に「天才」と賞賛されたんではすごいキャリアの平松氏もきっと苦笑だと思いますが、、折角のプレゼントが1枚の色紙に完敗してしまいました^^;


色紙が送られたいきさつはこちら → 




さて今日は喜多川泰氏著『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』をご紹介します。



「主人公・秋月和也は熊本県内の高校に通う17歳。
ひょんなことからついてしまった小さなウソが原因で、単身、ディズニーランドへと行く羽目になる。
ところが、不運が重なったことから最終便の飛行機に乗り遅れてしまう和也。 所持金は3400円。
途方に暮れる彼に『おい! 若者』と声をかけたのは、空港内の土産物売場で働く1人のおばさんだった――。
人生を考え始めた高校生に大人たちが語りかける、あたりまえだけどキラリと光った珠玉の言葉。
誰の人生にも起こりうる出来事から物語をつむぐ名手、ベストセラー作家の喜多川泰がお届けする感動の物語」



「この物語では、一人の若者が旅を通じていわゆる普通の人たちと出会い、その人たちの日常に触れながら、自分の日常を見直す機会を得ます。その中で彼は同時に『生きる力』についても学んでいきます。
思えば僕たちの人生も同じです。
予定通りに行かないことの連続。その中で起こる愛すべき人たちとの出会い、そして別れ。その繰り返しの中での気づき。
この本によって、積極的に人との出会いを求めて行動し、そして、生まれながら備わっている『生きる力』を磨こうとする人がひとりでも増えるきっかけになれば、著者としてこれ以上嬉しいことはありません」(「あとがき」より)




著者・喜多川氏は大学卒業後、横浜市で学習塾「聡明舎」を経営される傍ら2005年にファンタジー風の自己啓発書『賢者の書』を上梓して作家デビュー、その後『君と会えたから…』『手紙屋』『手紙屋~蛍雪篇』『上京物語』など執筆されています。



本書も日々学習塾で若者たちと接する喜多川氏の実体験を通して著者の若者へのメッセージがそこここで生きている作品となっていますが、読者である私たちがどんなことに期待して読むかによって作品への評価が変わってくるような気がします。



小説としてみると、作品に登場する人々はそれぞれに人生の苦楽を経験した人々、旅の途上の主人公に対してすべて温かい眼差しで時に優しく時に厳しく接してくれるという設定は感動的なんですけどいかにもご都合的で現実から乖離している感が免れませんでした。



小さな失敗が周りの人々の影響でやがて堅牢な成長の糧となる式の啓蒙書としては、現実の生活に疲弊している若者が前向きに生きるきっかけになりうるとは思いますが、現実にはこのようにほとんどの登場人物が若者に対して含蓄ある言葉を投げかけて支えてくれることはありえないという事実にぶつかることによって啓蒙書としての役割が果たせないとも考えられます。



ファンタジーとして読めばとても温かい納得がいく作品でした。



このレビューを書いたあと、他の読者のレビューをググってみたところ、ほとんどが感動の嵐だったのには驚きました。


これらレビューを通して感じたのは、みんな素直なんだなぁ、自分は読み手としてなんてひねくれているのかということ。


もっともっと若かったときに読んでいればすばらしい感動作品と感じていたかもしれない、いや、若いときからへそ曲がりだったからなぁ、などと自分を分析する足がかりにはなりました。

ブログ友の日記にアップされていた友の二十歳の頃の写真があまりに一途でかわいく、そういえば今の二十歳どころか中学生にもこんな純な表情の子はいないなぁとしばし感慨にふけりました。


遠い昔私の二十歳は学生でした。


アルバイトにサークル活動にとそれなりに充実していた時代。



掛け持ちの家庭教師の他、夏休みや冬休みには地元のデパートで売り子や、商工会議所のカレンダー配り、統計のアルバイトをしたり・・・周りを見回してもあの頃の学生はみんな地味でそんな毎日を送っていたのになぜか記憶の中ではそこだけがキラキラ輝いています。


それは誰からも強制されずに自分で選んだ毎日だったからきっと溌剌としていたのでしょうね。



バックパックを背負ってユースホステルに泊まりながら北海道や東北をくまなく旅したり。


「知床旅情」はそんなユースホステルの旅の夜、ペアレンツを囲んで合唱しながら覚えた歌です。



同好会の女子の先輩と2人で同好会の会長をしていた男子先輩の彦根のご実家に当の先輩がいないにもかかわらず何日も泊めていただいて当たり前のように朝晩上げ膳でご家族の手を煩わせた思い出もあります。


若かったとはいえ、今思い出すだけで赤面するようなずうずうしさ!



3回生になると京都在住の友人の親戚に連泊して古本屋巡りをして卒論のテーマとなる資料を探し回ったりもしました。


学生だからと大目にみてくれる風潮があったとはいえ、周りの意向や顔色に斟酌せず、いい言葉でいえば天真爛漫にのびのびと、悪い言葉でいえば鈍感で自己中心的な青春を送っていたものです^^;



あの頃にもう1度かえりたいとは思いませんが懐かしい思い出です。




さてそんな思い出とは無関係な企業小説が今日のレビューです。


清水一行氏著『系列』


「日本を代表する自動車メーカーとその系列メーカーの社長交代期に繰り広げられる経営権をめぐる攻防戦。巨大メーカーの成長の陰で踏みつけられる系列会社の屈辱を通し、自動車産業の矛盾を暴く企業長編」



池井戸潤氏の銀行を舞台の企業小説の魅力にはまって以来図書館で見つけては他の作品と並行して読んでいるうちの1冊。



決して文学的芳香の高い作品とはいえませんが、自動車業界に肉薄した内容の濃い企業小説です。



世間知らずの専業主婦の私にとって驚くべき厳しい世界!


年商三兆円の日本を代表する自動車メーカー東京自動車とその典型的系列メーカー大成照明器の社長交代期に経営権をめぐって水面下で繰り広げられた激しい攻防戦の物語。



実存する日産自動車と市光工業がモデルといわれています。



バブル崩壊後の不況の真っ只中、海外自動車メーカーの追い上げに苦しむ日本の自動車メーカー2番手・東京自動車に売り上げの50%を依存する系列企業の苦しい立場がその社長の視点から描かれていて胸に迫りました。



れっきとしたオーナー創業の独立自動車部品メーカーでありながら20%の株を所有する筆頭株主である東京自動車の系列にいることを余儀なくされている大成照明器の社長の悲哀の叫びが聞こえてくるような作品。



決して安易なラストを選ばず、あくまで現実の厳しさを描いて締めくくった作品となっているところも見所といえるでしょうか。



利益収奪産業といわれている自動車業界の自ら生き残るための系列企業への厳しい搾取の現実を鋭く突いていて力作です。

少し前内田樹氏による『下流志向 ~学ばない子どもたち 働かない若者たち』がベストセラーになりましたね。91932e64.jpg



ニート、引きこもりなどの社会現象の根幹を、子どもの最初の社会活動である家事労働の激減によるものであると分析して話題を呼びました。



かつての子どもたちは家庭でのお手伝いという形で提供した労働を親や祖父母から感謝という言葉で得ることで自我のアイデンティティが形成されていましたが、便利さが追及された結果電化製品に囲まれた家庭で子どものお手伝いは激減し、その代わり幼い頃から勉強して結果を残すことで両親や祖父母から子どもに似つかわしくないほどの小遣いをもらう家庭が多く、生まれての社会経験が労働ではなく「消費」という子どもたちが増えてきたと警告を発しています。


そんな真の労働の意義を知らない子どもたちがやがて学校や社会からドロップアウトするという現象が今の日本を彩っていると言及していますが、タイトルだけを見るとこのような現象を引き起こしている青少年が自ら進んで「下流」を「志向」しているよう感じですが、そもそも「上流」「中流」「下流」の線引きは大変曖昧であろうと思えます。



実態は別にして自分の立ち位置を「中流」と思っている日本人は私を含め多いのではないでしょうか。



そもそも上昇志向の弱い、というより目の前に置かれたプログラムをコツコツこなす意志の弱い若者たちの頭の中に自分の取った行動の結果「中流」から「下流」に転落するなどという計算が働くはずもなく結果的にそうなっているだけという気がします。




本日ご紹介するのはテーマが「下流」でも内田樹氏による作品ではなく丸ごとエンタメ小説です。



林真理子氏著『下流の宴』


2009年3月~12月末まで毎日新聞朝刊に連載された新聞小説が1冊にまとめられた作品で黒木瞳主演でTVドラマ化されました。


上流志向の強い女性を描いたらピカイチといわれる著者・林真理子氏の得意分野、一時「勝ち組」「負け組」という流行語に表わされるように、「勝ち組」に属するために努力を惜しまなかった著者ならではの作品。



上昇志向の強い人間が「勝ち組」のレッテルを勝ち取れたバブルの時代から遠く離れた現在でも、というより半ば永遠に密やかに続く「上流」への価値観を見事に浮き彫りにした作品ではないでしょうか。



主人公である福原家の主婦・由美子が、下流と見下すひとり息子の彼女に対して、多くの人々が口に出せず心で希求している欲望とか世間の物差しをここまであからさまに投げかけるシーンには驚くとともにまるで喜劇を見ているよう、著者も書くもんだなぁという感じ。



元医者の妻であるというだけの細い糸にすがって生きてきた母親のスタンスをしっかり受け継いだ由美子自身が必死に目指す「上流」への道ははからずも夫と息子によって阻まれますが、「上流のトバ口」にいると思っている由美子の心の「下流」ぶりをタイトル「下流の宴」で表わしているとしたらとても言い得て妙なタイトルであると思いました。



私自身、「上流」「下流」の言葉の含む意味や区分について真剣に考えたことはない上、そういう区分に嫌悪感がありますが、これらの言葉は人々の紡ぐ家庭や家族の歴史の中に存在するのではなく、自分の環境に満たされないものを感じている人々の心の中に存在する空虚なものであると思えます。



それぞれの幸せ感はそれを感じる人の心にだけ存在するということが年を重ねた現在理解できたことです。



将来の展望も持たず上昇志向も皆無、ただ今を流れに任せてその日暮らしをする由美子の息子・翔の生き方はもし自分の息子なら「見守ってやろう」などときれいごとの言える心境ではないでしょうけど人の意欲を引き出したり考え方を変えさせることの難しさはかろうじて知っているので、翔の父親の言葉に肯かざるを得ません。


「諦める、っていうよりも、見守るしかないっていうことだ。僕たちも考え方を大きく変えなきゃいけないんだろうなぁ」


由美子がきっぱりと下流と見なしていた翔の彼女・珠緒の国立医大合格といい、上昇志向のみで生き方を決めるような由美子の娘・可奈のスピード結婚と離婚といい、まるでブラックユーモアを本気で書いている、というような小説でした。

姪が製作したNHKの「みんなのうた」の背景のアニメーションが12月から1月末までNHK総合テレビとNHK教育テレビで交互に放送されるというハガキを受け取りました。   e38cb059.jpg




美術大学卒業後ソニーミュージックエンターテインメントでデザイナーとして歌手のレコードジャケットなどを手がけていましたが今はフリーでカメラマン&デザイナーをしています。



小さい男の子2人を抱えながら育児に家事に仕事にと奮闘しているようですが、いつこんな絵を描いたのか、とても夢の膨らむ心にしみ込むような心温まる動画が歌とマッチしてすてきなアニメーションが出来上がっています。



太田裕美さんの歌う「金平糖」の背景を描いている「二木奈実子とコンペイターズ」というのがそれですので時間がおありでしたら見てやってくだされば嬉しいです。



◆NHK総合テレビ 毎週火・木 10:55~ 11:00
             毎週月・水 13:55~ 14:00
             第2・4土 13:55~ 14:00
◆NHK教育テレビ 毎週火・木 19:50~ 19:55

     ※番組の都合上曲目や時間帯が変更されることがあるそうです。






さて本日はスー・グラフトン氏著『ロリ・マドンナ戦争』のご紹介です。



「人里離れた田舎道で、若い女性ルーニーは「ロリ・マドンナ」と呼びかけられ、男たちに拉致されてしまう。この地には対立する2つの家族があり、一方が相手をだまそうとでっちあげたのが「ロリ・マドンナ」だった。ルーニーは、実在しない女性として監禁されてしまったのだ!この事件をきっかけに、両家の対立はエスカレート。ついには、止めようのない全面戦争へとなだれこんでいく…女性探偵キンジー・ミルホーンの生みの親スー・グラフトンが描く、サスペンス・ノワール」



本書も友人のUNIさんにプレゼントしてもらった本!


私も大ファンで、爆発的人気を誇っている女探偵キンジー・ミルホーンが活躍するアルファベットシリーズの生みの作家・スー・グラフトンが20代後半で執筆された幻の著書が2冊あって、1作目は『Keziah Dane』、そして2作目がこの 『The Lolly-Madonna War』。



20代~30代にかけてテレビや映画のシナリオ作家として活躍されていたそうですが、キンジー・ミルホーンシリーズの執筆によってアンソニー賞やシェイマス賞、MWA賞などを総なめ、全米のみならず世界中で翻訳されいずれもベストセラーを維持している偉大な作家さん、長年MWA賞選考の会の会長を務められています。



Zで終了予定のキンジー・ミルホーンシリーズは本国では既にUまでペーパーバックで刊行していますが、日本ではS、T、Uはまだ日本語訳がお目見えしていないのが残念です。



その昔ペーパーパックにチャレンジしたこともあるんですけど今は英語力も根気もゼロ、ただただ首を長くして日本語訳を待つのみ^^;



さて本書の舞台はテネシー州の片田舎、1960年代の物語です。



絶対君主的な家長を筆頭に隣家同士のフェザー家とガッシャル家の長年にわたって熟成された確執が、ある事件を境にライフル銃などの武器を砦に醜いバイオレンスへとなだれ込んでいくという荒野の決闘のような筋立て。



両家の間にある政府所有の牧草地、フェザー家の家長が無断で建てた蒸留所が家畜の放牧場にしようと企んでいたガッシャル家の家長の怒りを買い破壊されたことをきっかけに10年にもわたって燻っていた敵視感情が爆発、両家の家長に加えてお互いの息子たちの思惑も膨らみ、フェザー家の息子たちが第三者であり通りがかりのロリ・マドンナを拉致するという無謀な行動に加え、ガッシャル家の一人娘をフェザー家の息子が強姦するという坂道を転がるような展開を経て最悪のシナリオへと向かいます。



この作品が書かれた1969年はベトナム戦争真っ只中、アメリカ各地で反戦デモが繰り広げられていた殺伐とした時代、国同士の思惑から生まれた憎悪がかくも残忍な戦争に発展するという当時の時代背景なしではとうてい考えられないような物語展開、のちのキンジー・ミルホーンシリーズを彷彿とさせるものを探すのが難しいような作品でした。



本書はアメリカで映画化されたそうですが、日本でそのDVDを探すのは至難の技という幻の映画だそうです。



元は些細な自己保身としか思えない小さな齟齬の積み重ねが信じられないバイオレンスの爆発を招く様子を描くことによって戦争に結びつく憎しみの連鎖の恐ろしさを示唆しているのではないでしょうか。



また決して少ないとはいえない登場人物の個々の造形がしっかり描かれていて人物描写に魅力を感じる作品でした。

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