冬型の気圧配置が続いて各地で雪のニュースが伝えられています。
私が住む岡山は温暖な気候でめったに雪が降ることもなく、うっすらとでも積もった記憶は7、8年前です。
雪は暖房の効いた室内から眺めるのは風情がありますが、生活に支障をきたすほどの積雪に見舞われる地域の人々にとってはまさに「悪魔の羽根」「白い悪魔」という形容がぴったりですね。
鳥取砂丘がスキー場のゲレンデのように雪に覆われている様子が放映されているのを観て数十年前の転勤地を思い出しました。
上の子どもたちがまだ小学生の頃夫の転勤で鳥取の米子に1年半ほど住んでいたことがあります。
当時は若かったこともあり、初心者~上級者向けの格好のスキー場のある近くの大山に毎週家族でスキーを楽しみに通い詰めました。
たった1年半という短い任地先でしたけど友人たちにも恵まれ、思い出深い地となりました。
今でも目を瞑れば濡れた手袋を乾かしたスキー場の麓の食堂のだるまストーブの囲いや、おいしかった熱い鍋焼きうどん、ところどころ泥が露出した狭い側道をひとりだけスキー板をはめて滑り降りていた小学低学年の長男の姿、傍らをスキー板を担いでテクテク下っていた長女のアノラックのカラフルな色など鮮やかな記憶が蘇って何だか胸がいっぱいになります。
そのときは一瞬で消え去りまた新しいときが生まれるという連続の中で流れるように生きているのに特定の古い記憶だけは胸の中にしっかりと根づいて消えません。
いまだにお付き合いが続いているそのときの4人の友のうち1人の友は自死という形で帰らぬ人となってすでに10年以上になります。
外見は華やかな美しい人でしたが内面は律儀、細やかな心配りのできる繊細な神経の持ち主、米子のあとそれぞれの転勤地で何度か小旅行を兼ねて集まっていましたが、ご主人の赴任地であった宮崎が彼女の最期の土地となりました。
太陽いっぱいの南国の明るく開放的なイメージのあった宮崎ですが、ビルの屋上から飛び降りたという彼女の姿を想像するとそれまでの土地のイメージが一変するほどの衝撃が襲ってきてそのあと明るさの中に底なしの暗さを秘めた町という急変したイメージがいまだに私の中から消えません。
遺った3人の友と彼女のことを話題にすることもありますが、どのように分析しても空しいほどに彼女の実像から遠ざかって納得の状態で胸に落ちることはありません。
自殺した人や罪を犯した人への縦横無尽の分析は多くの解説者の方々の得意とするところですが、突き詰めれば突き詰めるほど真実から遠ざかるように感じるのはなぜかと思うとき、自分でも自分がよくつかめない実像を無関係な他人がわかるわけがないという事実に突き当たります。
彼女が空の上から私たちの悪あがきを見ていたらきっと「そんなんじゃないわよ」と苦笑の連続でしょう。
宮本輝氏の『錦繍』に不本意な離婚の結果愛する人を失った主人公の女性が喫茶店「モーツァルト」でモーツァルトの交響曲第39番の感想を聞かれてマスターに語った言葉がとても印象的でした。
「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。
そんな大きな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽が表現しているような気がしましたの」
私たちが「生きている」ことを自覚するのは意識のなせる技と思えば意識を外した時間の観念のない宇宙の塵と化した物体にとって「生きていること」と「死んでいること」が同じことかもしれないという想像は飛躍しすぎでしょうか。
私の記憶の中に鮮明に存在する友と私はもしかしたら生死の垣根を除けば同じ状態で宇宙に存在しているのかもしれないなどという考えが時々浮かんでは消えていきます。
そんなことを考えると意識とはやっかいな存在ですが、今日ご紹介するのは『精神科医がものを書くとき』や毎日出版文化賞を受賞された『家族の深淵』などで著名な精神科医・中井久夫氏による精神病者の意識に踏み込まれて新たな着想の展開を試みた「時間精神医学の試み」などの精神医学論や災害と社会の相関を論じた「阪神大震災後四ヶ月」など多岐にわたる39編のエッセイを収めた作品です。
中井久夫氏著『隣の病い』
「繊細な感覚によって選び出された言葉を駆使した、穏やかな文章と知的で冷静な分析が魅力的なエッセイ集」
大まかに分類すると第1部は専門の精神医療に関するエッセイ、第2部は国際社会における日本に関するものと阪神大震災に関する文、第3部は現代ギリシャ詩人についての考察などの3部構成になっています。
ご専門の統合失調症における患者の発症時の意識変化などの起こる時間枠に関する専門家ならではの論評や、1920年代に統合失調症患者に対して多次元的といわれるような接近方法で実際上の治癒に導いたとされるアメリカが生んだ精神科医・サリヴァンに関する紹介と考察はとても興味深いものがあります。
「サリヴァンは、統合失調症が人間的過程であり、急性の統合失調症患者がみせるもっともな奇異な行動さえも、われわれの誰しもが馴染みの対人過程、あるいは過去で馴染みであった対人過程からなるものであると主張し、統合失調症は自我が弱いのでは決してなく、よい自己組織をつくる機会にめぐまれなかった人であるという」
このように全人的な見地から精神疾患を見つめる医師の存在は私が患者ならとても力強い支えになるでしょう。
タイトルになっている「隣の病い」とは統計的に精神科患者に随伴してくる身体的な病気を指していて、確かな根拠には欠けるものの外来で治療することの多い神経症や心身症にはアレルギー症、ことにアトピー性皮膚炎が随伴する傾向が多いと言及しています。
「メディカル・トリビューン」という医学雑誌に著者が寄稿された短い文ですが、ほかにすばらしいエッセイは何篇もあるのにこれをタイトルにされたのはなぜか、という小さな疑問は残りました。
また阪神大震災後、神戸を本拠地とした「こころのケアセンター」設置に尽力された著者ならではの体験に基づいた言葉の数々には納得の重みがありまそた。
「問題が巨大であって、その中から何が出てくるかわからない時には、一般的対応能力のある人たちの集団を一気に投入して急速に飽和状態にまで持ってくることが決め手であることを私はこの災害において学んだ…
逆に、『情報を寄越せ』『情報がないと行動できない』という言い分は、一見合理的にみえて、行動しないこと、行動を遅らせることの合理化であることが少なくない」
応援を頼んだ九州大学から「一切の費用は自己負担で二時間後に救援隊を送る」という即座の受諾に九州人の心意気を見る一方、東京ならどんな緊急時でも受諾の前に大会議を始めるのではないか、と強力なパンチを食らわせているところが痛快でした。
この教訓が生きていれば東日本大震災での様々な失態のいくつかは免れたのではないでしょうか。
ここに取り上げたのは本書のほんの一部、著者の多彩な内面や卓抜した視点をご紹介するには読者の私の知識や記述力、理解力があまりにも貧しすぎると感じるほど膨大な知識と深い洞察の詰まったエッセイ集でした。
私が住む岡山は温暖な気候でめったに雪が降ることもなく、うっすらとでも積もった記憶は7、8年前です。
雪は暖房の効いた室内から眺めるのは風情がありますが、生活に支障をきたすほどの積雪に見舞われる地域の人々にとってはまさに「悪魔の羽根」「白い悪魔」という形容がぴったりですね。
鳥取砂丘がスキー場のゲレンデのように雪に覆われている様子が放映されているのを観て数十年前の転勤地を思い出しました。
上の子どもたちがまだ小学生の頃夫の転勤で鳥取の米子に1年半ほど住んでいたことがあります。
当時は若かったこともあり、初心者~上級者向けの格好のスキー場のある近くの大山に毎週家族でスキーを楽しみに通い詰めました。
たった1年半という短い任地先でしたけど友人たちにも恵まれ、思い出深い地となりました。
今でも目を瞑れば濡れた手袋を乾かしたスキー場の麓の食堂のだるまストーブの囲いや、おいしかった熱い鍋焼きうどん、ところどころ泥が露出した狭い側道をひとりだけスキー板をはめて滑り降りていた小学低学年の長男の姿、傍らをスキー板を担いでテクテク下っていた長女のアノラックのカラフルな色など鮮やかな記憶が蘇って何だか胸がいっぱいになります。
そのときは一瞬で消え去りまた新しいときが生まれるという連続の中で流れるように生きているのに特定の古い記憶だけは胸の中にしっかりと根づいて消えません。
いまだにお付き合いが続いているそのときの4人の友のうち1人の友は自死という形で帰らぬ人となってすでに10年以上になります。
外見は華やかな美しい人でしたが内面は律儀、細やかな心配りのできる繊細な神経の持ち主、米子のあとそれぞれの転勤地で何度か小旅行を兼ねて集まっていましたが、ご主人の赴任地であった宮崎が彼女の最期の土地となりました。
太陽いっぱいの南国の明るく開放的なイメージのあった宮崎ですが、ビルの屋上から飛び降りたという彼女の姿を想像するとそれまでの土地のイメージが一変するほどの衝撃が襲ってきてそのあと明るさの中に底なしの暗さを秘めた町という急変したイメージがいまだに私の中から消えません。
遺った3人の友と彼女のことを話題にすることもありますが、どのように分析しても空しいほどに彼女の実像から遠ざかって納得の状態で胸に落ちることはありません。
自殺した人や罪を犯した人への縦横無尽の分析は多くの解説者の方々の得意とするところですが、突き詰めれば突き詰めるほど真実から遠ざかるように感じるのはなぜかと思うとき、自分でも自分がよくつかめない実像を無関係な他人がわかるわけがないという事実に突き当たります。
彼女が空の上から私たちの悪あがきを見ていたらきっと「そんなんじゃないわよ」と苦笑の連続でしょう。
宮本輝氏の『錦繍』に不本意な離婚の結果愛する人を失った主人公の女性が喫茶店「モーツァルト」でモーツァルトの交響曲第39番の感想を聞かれてマスターに語った言葉がとても印象的でした。
「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。
そんな大きな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽が表現しているような気がしましたの」
私たちが「生きている」ことを自覚するのは意識のなせる技と思えば意識を外した時間の観念のない宇宙の塵と化した物体にとって「生きていること」と「死んでいること」が同じことかもしれないという想像は飛躍しすぎでしょうか。
私の記憶の中に鮮明に存在する友と私はもしかしたら生死の垣根を除けば同じ状態で宇宙に存在しているのかもしれないなどという考えが時々浮かんでは消えていきます。
そんなことを考えると意識とはやっかいな存在ですが、今日ご紹介するのは『精神科医がものを書くとき』や毎日出版文化賞を受賞された『家族の深淵』などで著名な精神科医・中井久夫氏による精神病者の意識に踏み込まれて新たな着想の展開を試みた「時間精神医学の試み」などの精神医学論や災害と社会の相関を論じた「阪神大震災後四ヶ月」など多岐にわたる39編のエッセイを収めた作品です。

「繊細な感覚によって選び出された言葉を駆使した、穏やかな文章と知的で冷静な分析が魅力的なエッセイ集」
大まかに分類すると第1部は専門の精神医療に関するエッセイ、第2部は国際社会における日本に関するものと阪神大震災に関する文、第3部は現代ギリシャ詩人についての考察などの3部構成になっています。
ご専門の統合失調症における患者の発症時の意識変化などの起こる時間枠に関する専門家ならではの論評や、1920年代に統合失調症患者に対して多次元的といわれるような接近方法で実際上の治癒に導いたとされるアメリカが生んだ精神科医・サリヴァンに関する紹介と考察はとても興味深いものがあります。
「サリヴァンは、統合失調症が人間的過程であり、急性の統合失調症患者がみせるもっともな奇異な行動さえも、われわれの誰しもが馴染みの対人過程、あるいは過去で馴染みであった対人過程からなるものであると主張し、統合失調症は自我が弱いのでは決してなく、よい自己組織をつくる機会にめぐまれなかった人であるという」
このように全人的な見地から精神疾患を見つめる医師の存在は私が患者ならとても力強い支えになるでしょう。
タイトルになっている「隣の病い」とは統計的に精神科患者に随伴してくる身体的な病気を指していて、確かな根拠には欠けるものの外来で治療することの多い神経症や心身症にはアレルギー症、ことにアトピー性皮膚炎が随伴する傾向が多いと言及しています。
「メディカル・トリビューン」という医学雑誌に著者が寄稿された短い文ですが、ほかにすばらしいエッセイは何篇もあるのにこれをタイトルにされたのはなぜか、という小さな疑問は残りました。
また阪神大震災後、神戸を本拠地とした「こころのケアセンター」設置に尽力された著者ならではの体験に基づいた言葉の数々には納得の重みがありまそた。
「問題が巨大であって、その中から何が出てくるかわからない時には、一般的対応能力のある人たちの集団を一気に投入して急速に飽和状態にまで持ってくることが決め手であることを私はこの災害において学んだ…
逆に、『情報を寄越せ』『情報がないと行動できない』という言い分は、一見合理的にみえて、行動しないこと、行動を遅らせることの合理化であることが少なくない」
応援を頼んだ九州大学から「一切の費用は自己負担で二時間後に救援隊を送る」という即座の受諾に九州人の心意気を見る一方、東京ならどんな緊急時でも受諾の前に大会議を始めるのではないか、と強力なパンチを食らわせているところが痛快でした。
この教訓が生きていれば東日本大震災での様々な失態のいくつかは免れたのではないでしょうか。
ここに取り上げたのは本書のほんの一部、著者の多彩な内面や卓抜した視点をご紹介するには読者の私の知識や記述力、理解力があまりにも貧しすぎると感じるほど膨大な知識と深い洞察の詰まったエッセイ集でした。