VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2012年01月

冬型の気圧配置が続いて各地で雪のニュースが伝えられています。


私が住む岡山は温暖な気候でめったに雪が降ることもなく、うっすらとでも積もった記憶は7、8年前です。



雪は暖房の効いた室内から眺めるのは風情がありますが、生活に支障をきたすほどの積雪に見舞われる地域の人々にとってはまさに「悪魔の羽根」「白い悪魔」という形容がぴったりですね。



鳥取砂丘がスキー場のゲレンデのように雪に覆われている様子が放映されているのを観て数十年前の転勤地を思い出しました。



上の子どもたちがまだ小学生の頃夫の転勤で鳥取の米子に1年半ほど住んでいたことがあります。



当時は若かったこともあり、初心者~上級者向けの格好のスキー場のある近くの大山に毎週家族でスキーを楽しみに通い詰めました。



たった1年半という短い任地先でしたけど友人たちにも恵まれ、思い出深い地となりました。



今でも目を瞑れば濡れた手袋を乾かしたスキー場の麓の食堂のだるまストーブの囲いや、おいしかった熱い鍋焼きうどん、ところどころ泥が露出した狭い側道をひとりだけスキー板をはめて滑り降りていた小学低学年の長男の姿、傍らをスキー板を担いでテクテク下っていた長女のアノラックのカラフルな色など鮮やかな記憶が蘇って何だか胸がいっぱいになります。



そのときは一瞬で消え去りまた新しいときが生まれるという連続の中で流れるように生きているのに特定の古い記憶だけは胸の中にしっかりと根づいて消えません。



いまだにお付き合いが続いているそのときの4人の友のうち1人の友は自死という形で帰らぬ人となってすでに10年以上になります。



外見は華やかな美しい人でしたが内面は律儀、細やかな心配りのできる繊細な神経の持ち主、米子のあとそれぞれの転勤地で何度か小旅行を兼ねて集まっていましたが、ご主人の赴任地であった宮崎が彼女の最期の土地となりました。



太陽いっぱいの南国の明るく開放的なイメージのあった宮崎ですが、ビルの屋上から飛び降りたという彼女の姿を想像するとそれまでの土地のイメージが一変するほどの衝撃が襲ってきてそのあと明るさの中に底なしの暗さを秘めた町という急変したイメージがいまだに私の中から消えません。



遺った3人の友と彼女のことを話題にすることもありますが、どのように分析しても空しいほどに彼女の実像から遠ざかって納得の状態で胸に落ちることはありません。


自殺した人や罪を犯した人への縦横無尽の分析は多くの解説者の方々の得意とするところですが、突き詰めれば突き詰めるほど真実から遠ざかるように感じるのはなぜかと思うとき、自分でも自分がよくつかめない実像を無関係な他人がわかるわけがないという事実に突き当たります。


彼女が空の上から私たちの悪あがきを見ていたらきっと「そんなんじゃないわよ」と苦笑の連続でしょう。




宮本輝氏の『錦繍』に不本意な離婚の結果愛する人を失った主人公の女性が喫茶店「モーツァルト」でモーツァルトの交響曲第39番の感想を聞かれてマスターに語った言葉がとても印象的でした。


「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。
そんな大きな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽が表現しているような気がしましたの」



私たちが「生きている」ことを自覚するのは意識のなせる技と思えば意識を外した時間の観念のない宇宙の塵と化した物体にとって「生きていること」と「死んでいること」が同じことかもしれないという想像は飛躍しすぎでしょうか。



私の記憶の中に鮮明に存在する友と私はもしかしたら生死の垣根を除けば同じ状態で宇宙に存在しているのかもしれないなどという考えが時々浮かんでは消えていきます。




そんなことを考えると意識とはやっかいな存在ですが、今日ご紹介するのは『精神科医がものを書くとき』や毎日出版文化賞を受賞された『家族の深淵』などで著名な精神科医・中井久夫氏による精神病者の意識に踏み込まれて新たな着想の展開を試みた「時間精神医学の試み」などの精神医学論や災害と社会の相関を論じた「阪神大震災後四ヶ月」など多岐にわたる39編のエッセイを収めた作品です。




中井久夫氏著『隣の病い』



「繊細な感覚によって選び出された言葉を駆使した、穏やかな文章と知的で冷静な分析が魅力的なエッセイ集」



大まかに分類すると第1部は専門の精神医療に関するエッセイ、第2部は国際社会における日本に関するものと阪神大震災に関する文、第3部は現代ギリシャ詩人についての考察などの3部構成になっています。



ご専門の統合失調症における患者の発症時の意識変化などの起こる時間枠に関する専門家ならではの論評や、1920年代に統合失調症患者に対して多次元的といわれるような接近方法で実際上の治癒に導いたとされるアメリカが生んだ精神科医・サリヴァンに関する紹介と考察はとても興味深いものがあります。



「サリヴァンは、統合失調症が人間的過程であり、急性の統合失調症患者がみせるもっともな奇異な行動さえも、われわれの誰しもが馴染みの対人過程、あるいは過去で馴染みであった対人過程からなるものであると主張し、統合失調症は自我が弱いのでは決してなく、よい自己組織をつくる機会にめぐまれなかった人であるという」



このように全人的な見地から精神疾患を見つめる医師の存在は私が患者ならとても力強い支えになるでしょう。



タイトルになっている「隣の病い」とは統計的に精神科患者に随伴してくる身体的な病気を指していて、確かな根拠には欠けるものの外来で治療することの多い神経症や心身症にはアレルギー症、ことにアトピー性皮膚炎が随伴する傾向が多いと言及しています。


「メディカル・トリビューン」という医学雑誌に著者が寄稿された短い文ですが、ほかにすばらしいエッセイは何篇もあるのにこれをタイトルにされたのはなぜか、という小さな疑問は残りました。




また阪神大震災後、神戸を本拠地とした「こころのケアセンター」設置に尽力された著者ならではの体験に基づいた言葉の数々には納得の重みがありまそた。



「問題が巨大であって、その中から何が出てくるかわからない時には、一般的対応能力のある人たちの集団を一気に投入して急速に飽和状態にまで持ってくることが決め手であることを私はこの災害において学んだ…
逆に、『情報を寄越せ』『情報がないと行動できない』という言い分は、一見合理的にみえて、行動しないこと、行動を遅らせることの合理化であることが少なくない」


応援を頼んだ九州大学から「一切の費用は自己負担で二時間後に救援隊を送る」という即座の受諾に九州人の心意気を見る一方、東京ならどんな緊急時でも受諾の前に大会議を始めるのではないか、と強力なパンチを食らわせているところが痛快でした。




この教訓が生きていれば東日本大震災での様々な失態のいくつかは免れたのではないでしょうか。


ここに取り上げたのは本書のほんの一部、著者の多彩な内面や卓抜した視点をご紹介するには読者の私の知識や記述力、理解力があまりにも貧しすぎると感じるほど膨大な知識と深い洞察の詰まったエッセイ集でした。

私は寝る前が主な読書タイムでたまに外出先の待ち時間、移動中の電車の中いう怠惰な本の読み方なので、書斎で姿勢を正して読書をするという人には頭が下がります。


そういう人はきっと生涯私が手に取らないような古今の名作や箴言集、純文学といわれるものをじっくり味わいながら読んでいらっしゃるだろうなというイメージが浮かびます。



夫も寝る前の読書を欠かさないので我が家では本は寝て読むものというイメージが強く、横になって読むには太いハードカバーはなんとも重たくて、文庫がちょうどいい感じなんです。



以前はけっこう購入していましたが、シンプルライフを心がけている昨今処分に処分を重ねてからは専ら図書館を利用していますが、新刊の話題本となると大体がハードカバーなんですよね。



夫が呆れるほど速読、雑な読み方といわれるのもお金をかけてないのが一因かもしれませんが、その速読の末これは長く残して幾度も読み返したいと思える本は改めて購入することにしています。



でも年間を通してそんな本に巡り合う機会はほんのわずかです。



今日ご紹介するのは久しぶりに手元に置いておきたいような作品。



竹西寛子氏著『五十鈴川の鴨』



下段3分の1が空白という何とも贅沢な割り付けで2600円という私にとっては高価ですが、著者・竹西寛子氏の作品の魅力を心得た出版社・幻戯書房の心意気が感じられます。



図書館で本書に目を留めたのは以前ブログ友であり読書人であるトコさんが本書について触れられていたのに興味を惹かれたからです。


トコさんのレビューはこちら


「淡い交りだったー静寂な川の流れに、生きては会えぬ人のおもざし。あたうかぎりの寡黙と忍耐にひめた原爆の影」


著者に関しては名前だけは知っていたものの作品を読むのは初めて。



奥付に記載された著者の経歴を拝見すると今年83歳になられるんですね。


1929年広島生まれ
1963年『儀式』で女流文学賞候補
1964年『往還の記-日本の古典に思う』で田村俊子賞
1973年『式子内親王・永福門院』で平林たい子賞
1976年『鶴』で芸術奨新人賞
1981年『兵隊宿』で川端康成文学賞
1986年『山川登美子』で毎日芸術賞
1994年日本芸術院賞
2003年『贈答のうた』で野間文芸賞をそれぞれ受賞



「広島で被爆したとき、高等女学校の4年生でした。足を毒虫に刺され、化膿(かのう)して熱が出まして。8月3日から学徒動員先の工場を休み、もう1日だけ休もうと6日は自宅にいました。朝、いつも通り友だちと一緒に出かけていたら、途中で駄目だったでしょうね。家は爆心地から2.5キロほど離れていました。閃光(せんこう)は直接見ていません・・・

ものがあることと、ないことは、どう違うのか。16歳の私は悩みました。生まれ育った街が一瞬にしてぺしゃんこになり、あったものがなくなる。生きていた人がいなくなる。記憶には残っているのに、現実には目にすることも触れることもできない。あの苦悩が私の戦後の始まりでした・・・

新古今集や万葉集で水の歌を読むとき、大事にするのは広島の海に手をくぐらせたときの水の感触なんです。その感触をもとに古代の水を感じます。広島の風土は私の表現の原点です・・・

私は、『被爆した広島を言う言葉』と、『被爆した広島が言わせる言葉』を直観的に区別してきました。

あまりに声高に広島について言いすぎているのではないかという気がして。

原爆はひどいという雰囲気ができると、まともにものが見られなくなります。

原爆はあまりにことが大きく、簡単に意味づけることはできません。

私が廃虚で感じた明るさとやさしさは、広島が私に言わせた言葉だと思います。

私は広島が言わせる言葉に耳を傾けたい」



上記の著者の長い言葉を転載させていただいたのは故郷・広島での体験が著者の文学の核になっていると感じるからです。




本書には1996年から2006年にかけて「新潮」や「文学界」、「群像」に掲載された8篇の短篇小説が収録されています。


余談ですが、昨年亡くなられた歌人であり作家、角川春樹氏&暦彦氏の姉であり、そして幻戯書房の社長であった辺見じゅん氏の誠意のこもった求めに応じて幻戯書房へ初めて原稿を預けたとあとがきに書いていらっしゃいます。




もし本書をもっと若いとき手にしていたら作品に対してこのような感動を感じたかどうか。



まさしく年を重ねた人にしか書けないしみじみとした人生の奥深さが感じられる反面、80歳前後とは思えない瑞々しさのある小品の数々と、そして読み手側もある年齢になってはじめて感じ取れる生の儚さや寂しさ、そして生きる喜びが作品のそこここに散りばめられています。



珠玉の掌編という言葉がぴったりの作品集。



タイトルになっている「五十鈴川の鴨」の余韻を残した絶妙な筋運びに驚くとともに、清冽な文の行間から1人の登場人物の重い人生への深い思いがまっすぐ伝わってきてたじろぐほど。



生涯家族を作らないという強い意志のもと静かに生を閉じた男が生前愛する女性に語った言葉の重さには胸が衝かれます。


「我儘かもしれないが僕だけの一生で終わらせてほしい」


伊勢神宮の近くの五十鈴川に浮かぶ鴨の親子を家族というものを持つ幸せの象徴として見つめる男の背負わざるを得なかった運命の哀しみが胸に迫り、深い余韻を残す作品となりました。



この小品で見られるように著者は直截的な言葉で原爆というものを描くことなくその残酷さを浮かび上がらせているのは見事というほかありません。



今まで多くの作家さんの文章の形態を見てきて失礼を承知で言わせていただけば逆立ちしても絶対に自分には書けないと思うのはこんな作品に出合ったときです。



透明な雰囲気でありなが深く淡い色がある、隅々まで神経が行き届いているのにそれを感じさせない馥郁としたやわらかさがある文章、このような書き方ができるんだという驚きでいっぱいでした。



芝木好子氏の文章と少し似通ったところはありますが、また違った味わい。



あえて言葉を重ねない美しさが物語に奥行きを与えて深い余韻を誘う、そんな作品でした。


ぜひどうぞ!

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殻付き牡蠣に目がない夫が近くのスーパーで見つけては牡蠣を買ってきます。

今年になって3度目。


牡蠣といえば広島が本場のように思われていますが岡山の瀬戸内は牡蠣の養殖が盛んで安く手に入ります。


住居の近くの小さなスーパーにある魚屋さんなんですけど仕入れがうまく種類も豊富で値段も安く、写真の殻付き牡蠣が15個ほどで450円!@@!



水洗いして汚れを落とした牡蠣をお皿に乗せて電子レンジにかけます。


牡蠣の大きさや数にもよりますが、大体7,8個で600Wレンジで5分くらいで口が開きます。


それにレモンかスダチを搾ってそのまま食べるんですけど酒肴にぴったり!



牡蠣は「海のミルク」といわれるほど栄養が豊富で、ビタミンB1やB2、亜鉛やミネラル、葉酸、肝臓にいいタウリンなどを含んでいるそうです。



かなり以前ですが生牡蠣の鉄板焼きを食べて夫共々ダウンして苦しかった経験があります。


新しい古いに限らずノロウィルスに罹患している牡蠣にあたると大変な目に遭いますが外見からはわからないので、それ以来用心してしっかり過熱したもの以外は食べないようにして今に至っています。



夫は酢ガキが大好物なんですけど。





さて本日は木内昇氏著『漂砂のうたう』をご紹介したいと思います。


「江戸から明治に変わり十年。
御家人の次男坊だった定九郎は、御一新によってすべてを失い、根津遊廓の美仙楼に流れ着いた。身を入れずに立番(客引き)をする定九郎とは対照的に、廓の仕事に心血を注ぐ龍造。
その気品と賢さで美仙楼で一番の人気を誇る花魁・小野菊。
定九郎につきまとってくる、三遊亭圓朝の弟子・ポン太。
谷底に生きる男と女の人間模様を見事に描き出す傑作長編」



出版社勤務を経て独立後、インタビュー雑誌「Spotting」主宰
2004年『新撰組幕末の青嵐』
2005年『地虫鳴く』
2008年『茗荷谷の猫』『浮世女房洒落日記』
2009年第2回早稲田大学坪内逍遥対象奨励賞受賞
2010年『漂砂のうたう』で第144回直木賞受賞


久しぶりに納得の直木賞受賞作でした!


御一新という激動の時を経て明治という年号に変わってまもなくのまだ混乱期、根津遊郭を舞台に、その中でも2番手の引手茶屋・美仙楼にはかない運命を託して巣食う男と女たちの切ない姿を描いて秀作でした。



表立っては華やかさを売りにした遊郭ですが、明治新政府の「解放令」の発令によって吉原のように生き残れず廃れる運命にあった根津遊郭の翳りと儚さがそのまま主人公・定九郎や花魁など登場人物の造形に巧みに塗り込められていて陰影のある物語を作り出していて生々しい余韻を残す作品の1つとなりました。



御家人の次男坊という身分を隠して立番として投げやりに働く定九郎やお職をはる花魁・小野菊、妓夫の龍造、男衆の嘉吉など社会の谷底で逃げようにも逃げ場のない日々を過ごす人々のもがくような日常が主人公の目を通して巧みに描かれていて焦燥感や諦念感が伝わってきて胸に迫ります。



見世の大看板花魁・小野菊の凛とした潔さ、きっぷのよさ、囚われの身ながら「自由」という雰囲気がぴったりの確立した自己をもつ彼女のかっこよさと対照的な主人公の後ろ向きな生き方、噺家・圓朝の弟子であるポン太の不気味さなど登場人物の造形の巧みさとともに、物語の合間に挟まれる圓朝の語る小噺「鏡ヶ池操松影」 が示唆する謎が最後まで読者を飽きさせない仕掛けもあったりで魅力てんこ盛りです。



登場人物のセリフ回しも特徴的で歯切れよく、明治になっても引き継いでいた江戸文化や粋筋独特の言い回しが当時の世界を髣髴とさせて自然に読者を引き込む道具立てとして生きています。



「水底につもってる砂粒は一時たりとも休まないの・・・
水面はさ、いっつもきれいだけどなんにも残さず移り変わっちまうでしょう。
 でも水底で砂粒はねェ、しっかり跡を刻んでるんだねェ」


タイトルで用いられている「漂砂」という聞きなれない言葉と上述のポン太の言葉から明治維新という激流の川底でひっそりと死んだように息を潜めながら蠢いている遊郭というイメージが膨らんできますが、広い意味で考えると私たち人間もすべて漂砂だと納得できます。



また物語の本筋の合間に、幕末から明治への移行にうまく立ち回れず苦悩する主人公の父親や兄たち武士階級の様子や西郷隆盛のおこした西南戦争の失敗など、身分制度の崩壊という過渡期の大混乱の社会情勢が生き生きと活写されていてたいへん読み応えがありました。



巻末に本書を執筆するにあたって参考にした資料の一覧が掲載されていますが、著者の調査の綿密さが伺えて好感が持てました。

先日風邪予防のあれこれについて書きましたが、2,3日前介護関係に携わっている知人が身に着けているだけで約1m以内の空間にいる「ウィルス」「菌」「花粉」を不活化することができるという商品を紹介してくれました。



職業柄高齢者と接する機会が多い彼女は咳など明らかに風邪症状があるときは訪問を遠慮しますが、例えば風邪などに罹患していても症状が出ないエアスポットの数日間に人と接することでウィルスをばら撒く可能性があることを常々苦慮していたのでこの時期はネームホルダーに入れて首からぶら下げているとのこと。


早速ネットで検索して…買ってみました~。d35a58fc.jpg



病院などで殺菌や除菌用に使用される二酸化塩素剤を固定化したもので、1パックで約1ヶ月効果が持続するそうです。


「財団法人北里化学センター」や「財団法人日本食品分析センター」の調査で不活性効果が認められているそうなので人込みなどに持参しようと思っています。





さて本日は伊集院静氏著『なぎさホテル』をご紹介します。



1981年短編小説『皐月』でデビュー
1991年『乳房』で第十二回吉川英治文学新人賞
1992年『受け月』で第107回直木賞
1994年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞
2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。




「私が作家として何らかの仕事を続けられて来たのは、あのホテルで過ごした時間のお陰ではなかったか、と思うことがある」



伊集院氏が作家になる前暮らした「逗子なぎさホテル」での7年間の日々やホテルに住むことになったいきさつ、そしてホテルを離れるきっかけになった夏目雅子さんのことなどが写真家・宮澤正明氏のレトロな感じを醸し出すモノクロームなホテルの写真とともに綴られていてノスタルジックな作品となっています。



舞台となった逗子なぎさホテルは1926年に湘南で初めて建てられた洋館式ホテル、当時皇族の御用達ホテルでもあった当ホテルは伊集院氏がホテルから去ったのちの平成元年に廃業し、今は跡形もなく取り壊されたそうです。



大学卒業後勤めた広告制作会社を辞め最初の妻と2人の子どもとの別離の際の高額な離婚慰謝料に苦しみ先の見通しも立たず心も生活も荒れていた28歳のとき、故郷に帰る途中でふらりと立ち寄った逗子の海岸で偶然であった「逗子なぎさホテル」の支配人から「出世払いでいいですよ」と言われて、7年あまりもこの湘南伝説の名門クラシックホテルで暮らすことになったという著者。




古今の画家や音楽家の陰にいたパトロンという存在などはよく知られていますし、作家・川端康成氏も伊豆の旅館に女将の好意でほぼ無銭で長年逗留していたというエピソードをどこかで読んだことがありますが、現在のような確かな作詞家&作家になる前の若き伊集院氏の場合もご自身の内に秘めた才能や魅力的な人柄がホテル支配人を初め周囲の関係者を魅了したのでしょうか。




「人を遠ざけてきた当時の私にみんながよくしてくれたのも、全てはあの人のおかげ。
ホテルの床が抜けるほどの本を買い込んで読書に明け暮れる男のために本棚まで作らせ、旅に出るといえば宿代もまだなのに金庫から幾らか包み、いいから持ってけってね。
その大丈夫の根拠が『野良犬が私とあなたにしか尾を振らなかったから』なんて、ホンモノの大人にしかいえませんよ」




お金も住居もまっとうな仕事もなく、時々「荒っぽい仕事」にも手を染めていたと繰り返し記されていますが、最初の結婚の破綻のきっかけとなった夏目雅子さんと愛を育み、ホテル暮らしの3、4年目にはベンツなどの中古車を2台持って乗り回していたという記述もあり、演出などのご自身の仕事を過小評価しているとしか思えない箇所が多く見られたのが本書の内容への違和感となって最後まで残りました。




そんな違和感はさておき、当時話題になった夏目雅子さんの結婚会見の映像とその後に続く闘病生活は今でも生々しく思い出しますが、本書の最後に彼女との恋愛と結婚、そして闘病について長く守っておられた沈黙を破ってさらりと書いていらっしゃるのが印象的でした。



2度目の妻は夏目雅子さん、そして現在の妻は篠ひろ子さんという歴代の美人女優さんということを見てもやはりとても魅力的な男性だったんでしょうね。




著者の作品は『受け月』や『冬の花びら』など何篇かの短編を読んでいますが、全体を流れる男性的な情緒というかさらりと描いた文章に人間観察の深さが感じられて好感を持っていますが、本書は小説ではなく自伝的エッセイという分野のせいか、書き流したといウ感じで稚拙な表現箇所が多々目についたのは残念でしたが、ゴシップの対象として読めば興味深い作品でした。

めったに顔を合わせることも電話で話すこともない次男が先日久しぶりに帰省しました。


親の転勤で幼少から中学3年までずっと神戸で育った神戸っ子、その後夫の転勤先が東京だったので追いかけるように東京の高校を受験しそのまま社会人になった現在まで15年以上も東京にいます。



帰省は私たちがいる岡山ですが学校時代の友人がいるわけでもなくあまり馴染みがなく故郷といえるものがないのは可哀相な気もしますが転勤族の子どもたちの常だから仕方ありません。



姉・兄と年が離れているので大人家族4人の中で可愛がられて育ったせいか甘えっ子の印象が強く当時を知る知人たちは口を揃えて「あのかわいい○○ちゃんがまさか社会人?!」と驚きます。



中高時代父親が単身赴任だったので母子2人の生活が長くいろんな思い出がありますが、当時あんなにテレビとゲーム大好きで遅くまで起きていて朝起こすのに苦労していたのに、今はパソコンのみでテレビも持たず、見る暇も興味もないという理由にはびっくり。



久しく会ったこともない私の友人・知人はともかく姉・兄を含む家族全員が容易にそのイメージを崩せずにいるんですけど社会人7年になる本人にとっては迷惑な話かもしれません。



帰宅も遅く土日も出勤することが多く超多忙というのは耳にしていましたが仕事内容となるとさっぱりわからないので今回詳しく聞いてみたところ無知の人に教えるように噛み砕いて教えてくれましたが・・・悲しいかな、50%以下の理解しかできませんでした。



昨年池井戸潤氏の銀行小説を読みまくりそれに付随して銀行や企業の仕組みなど、にわか勉強で少し無知を脱したと自負していたのですけど^^;


わかったことといえば前向きにがんばっているということ、それがわかっただけで感謝でした。





さて本日も池井戸氏の銀行小説と同じ分野の経済小説といわれる作品のご紹介です。



高杉良氏著『会社蘇生』


「宝石、カメラ、ゴルフ用品などの高級ファッション、レジャー商品の輸出入で知られる老舗の総合商社=小川商会(本社東京)が総額1100億円もの負債を抱え、東京地裁民事8部に会社更生法の適用を申請してきた。1100人にのぼる従業員とその家族を守るため、保全管理人=宮野弁護士の必死の戦いが始まる。商社再建に賭ける男たちの感動の長編」




私事ですが、亡くなって10年以上になる実父は若い頃苦労の末会社を立ち上げては失敗を何度か繰り返したのち成功し当地で企業家として認められて安定していた数十年前、メインバンクを介してある倒産会社の管財人に推され引き受けて無事更生に導いたことがあります。



今でもその会社のコマーシャルなど耳にするたびに思い出しますが、若かった私は管財人が何たるかということにも無知で、大変な仕事をやり遂げたという認識しかありませんでした。



今実父が存命だったらそのときの状況を詳しく聞きたいのに^^;




さて、本書は負債総額1100億円を抱え会社更生法の適用を申請した中堅の総合商社の社長以下社員たちの苦悩と裁判所から保全管理人に選出された弁護士の寝食を忘れての奮闘を描いた作品です。



著者の作品はこのブログで取り上げた『人事権!』以降2作目ですが、綿密な取材と丹念な資料分析に定評のある著者ならではの充実した内容で読み応えのある作品となっています。

『人事権!』のレビューはこちら



昨年頭にも当地の優良企業であり全国的にも有名な林原グループが東京地裁に会社更生法の適用を申請したりなど新聞などで企業の更生法適用の記事を目にすることがありますが、保全管理人がどのようにして選出されるのかどのような権限を持って再生へ導くのかなどという道のりが詳しく記されていてとても勉強になりました。




作中の「小川商会」のモデルとなったのはアパレル・カメラ・ゴルフ・テニス用品などの高級ブランド品を扱っていた「大沢商会」という実在の会社だそうですが、著者の作品はこのように実際の企業や人物をモデルにしたものが多いようです。



本書は保全管理人である熱血漢・宮野弁護士を主人公にそのスタッフ共々、再建は夢のまた夢といわれていた小川商会を見事に蘇生へと導いていく過程が臨場感あふれる筆致で描かれています。



敢えて言えば、主人公である宮野弁護士があまりにも理想的な出来すぎ感がある人物像に描かれていることに少々違和感がありますが、この再生ストーリーを通して会社の存在意義や使命感などという命題にまで読者の思考を広げてくれたのは著者の力量といえると思います。

1週間ほど前、夫のデスクトップパソコンが突然動かなくなりました。


電源が入らないので画面上でシステム復元をすることもできずお手上げ状態。



半年ほど前専門家である娘の連れ合いがメモリーを増量してくれたり、帰省のたびに何かと保全してくれていたのですが、タイミング悪く帰京直後ストライキを起こしてしまいました^^;



多忙の彼の手を煩わせるのはあまりにも気の毒なので無知ながらいろんなことを試してみましたがどうにもならず何度か購入していて顔見知りになっている中古パソコン店に持ち込みました。



いろいろ調べてもらった結果修理代より購入するほうがお得ということで中古のデスクトップを購入しました。



中古なので20インチの液晶モニターはシャープ、ハードデスクとキーボードは富士通という具合ですが45GB、ワード&エクセルが搭載されているXPで3万円。



知識がないのでお買い得かどうかわかりませんが持ち帰ってとりあえず繋ぐとサクサク動いてくれて3万円ならよしとしなければ、という感じでホッとしています。



私専用のノートパソコンも負けず劣らず劣化激しく彼が帰省のたびにデフラグなどで最適化してくれたりしながらともすれば短気でフリーズを起こそう起こそうとする子を宥めすかしている状態。




パソコンも携帯電話もない時代は当たり前のように過ごしていたのに今では両者ともちょっとトラブルを起こせばこれほど動揺するなんて何なんでしょうね。



文明の利器って完全に麻薬みたいですね^^;





さて本日は渡辺淳一氏著『孤舟』のご紹介です。



著者の作品では寺内正毅をモデルの直木賞受賞作品『光と影』、野口英世の評伝『遠き落日』、乃木夫妻を描いた『静寂の声 ― 乃木希典夫人の生涯』の3作品は力作だと思うものの、話題になった『失楽園』などの男女をテーマの作品との落差があまりにも激しくて違和感があり長い間手にとっていませんでした。




本書は新聞の広告欄などで目にしていた上、ブログ友であるトコさんの読書録で拝見した記憶があったのでついつい図書館の新刊棚にあったのを借りました。



先ほどトコさんの読書録を検索してみましたが本書のレビューが見つからず思い違いをしていたのかもしれません。




前置きが長くなりましたが本書のレビューに戻ります。



「定年後の夫婦の形を見つめる、異色の長編小説。
大手広告代理店を定年退職、バラ色の第二の人生のはずが、威一郎を待っていたのは、家族との深い溝だった。
娘は独立、妻は家を出てしまう。
威一郎は、デートクラブに入会し、ある女性に出会うが・・・」



結論から言うと「失楽園作家」のイメージそのままの渡辺淳一氏らしい作品でした^^;



ご自身の思い込みの人物像があまりにも安直で踏み込みの浅い書き流し小説という感じ。



言いえて妙のタイトルや大量に団塊の世代が定年になだれ込んだ昨今の時代を掴んだタイムリーなテーマに惹かれて手にされた方も多かったと思いますが、このような現実から浮遊したような主人公設定の小説を読んで満足した方がいるのでしょうか。



時代錯誤的ではありますが主人公の定年後の無力感や急速に冷え込んだ夫婦仲を描いた前半部分はまだうなずける部分もありましたが、後半になって延々と続くデート嬢相手の擬似恋愛的な描写には正直うんざりしました。



著者独特の思い込みの強い理想的な女性像をそのままそのデート嬢に重ねている単純さといい、大手広告会社の元常務ではありますがサラリーマン重役の主人公の身辺設定があまりにも粗雑でリアリティに欠けている箇所が多く残念な作品でした。


真実はわかりませんがかつて浮名を流した流行作家であるご自身の想像の範囲内での主人公設定はこんなものなのでしょうか。



もう少し社会をリサーチしてほしかったです。

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