VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2012年02月

少し寒さが薄らいだとはいえまだまだ春が遠い日々ですが、今日は東京マラソンの日。


日本の男子選手にとってロンドン五輪の出場選手選考会を兼ねているので応援にも力が入りました。


結果はケニアのマイケル・キピエゴが優勝、2位に藤原新選手という快挙。


2時間7分台は日本人選手としては5年ぶりの記録、ロンドン五輪への出場が確実になったそうです。


注目されていた公務員ランナー川内優輝選手は残念ながら14位。




最初からずっとテレビを観ていた夫との会話。


「「『皇帝』って呼ばれているエチオピアの選手の名前、何度聞いても複雑で覚えられない」と私。


「ハイレ・ゲブレシラシエだよ、ゲ・ブ・レ・シ・ラ・シ・エ!

ところで今回の東京マラソン、あの子…去年完走した…兄貴の子…何といったかな…出場していないのかな」


「英子ちゃんのこと? 今回は出場するって聞いてないけど。

それにしても複雑なゲブレシラシエの名前が間髪いれず即座に出てくるのに、たった3文字のかわいい姪の名前が出てこないというのは叔父として人の道に外れているんじゃないの?

それも阪神大震災のとき親戚縁者で唯一救出に来てくれた恩人だというのに」


「おっしゃる通りですm(__)m 英子、すまん」



というわけで夫は珍しく素直に反省していました。





さて本日は芝木好子氏著『海の匂い』のご紹介です。


「そのひとは、いつもなんの前ぶれもなしに現れた。
日灼けした顔と、大きなからだからは房総半島の潮の香りがした。
秋子は夫が戦死したあと、一人息子を育てあげ、仕事を続けてきた。
月に一度、或はふた月に一度、二人は逢瀬を楽しんだ。
そのひとと会った夜、息子に『潮風の匂いがする』と言われ、動揺する秋子。
この表題作のほか、珠玉の八篇収録」

伝統芸能などに生涯を賭ける女性とそれら芸術を通して心を通わせる男性との恋愛を独特の情感豊かな表現で描く作品に惹かれ著者に傾倒していた時期があり、ほとんどの作品を網羅していると思っていましたが本書は未読の作品でした。



芝木氏は作品にご自身を投影させて描くとき、「恭子」という人物を登場させるようですが、本書でも収録された8篇のうち「家の終わり」「異国の旅」「二つの蝶」「本郷菊坂」の4篇がそういった意味で自伝的要素の強い作品といえるでしょう。



著者は何かの媒体に短編について次のように書いていらっしゃいました。


「短編の難しさは、余分なものを捨てて人生の断面を取り出すことから始まる。
それでいて脹らみを失わずに一つの世界を描出しなければならない」



本書のそれぞれの短篇はまさに余分な飾り言葉や念の入った説明を極力廃していながら主人公の生をやわらかく浮かび上がらせる、そんな巧みさが感じられます。



8篇はそれぞれに深い余韻を残してくれる珠玉の作品ですが、ここでは「本郷菊坂」についてのレビューを少し記してみたいと思います。



この小品の舞台は関東大震災と東京空襲という2つの大災事によってかつての古きなじみの面影を失って変わりゆく東京の町並みには珍しくどちらの災事からも被災を免れてひっそりと息づいていた本郷菊坂の長屋。


その長屋に10年ほど前から住み着いた古い友人を訪ねた主人公・恭子の視線を通して、奥まった路地に密集した長屋の周辺や、床の間がある間取りにある種の心意気さえ感じられる零落した人々がひっそりと住む陋屋の様子などが滅びゆこうとする古き東京の描写とともに細かに描かれていて、モノクロのシーンを見ているよう。



その長屋の本郷菊坂町七十番地にかつて住んでいた若き樋口一葉の苦悩の生活が恭子の想像力を通してまるで現実世界のように活写されています。


巧みで魅力的な構成。


父親が亡くなったあと本郷菊坂に母妹3人で移り住んだ19歳の一葉こと夏子の貧しい長屋暮らしや通っていた中島歌子主催の「萩の舎」での人間関係、苦しい家計の助けにと小説家を志し師と仰いだ半井桃水との出会いから根のない醜聞によっての別れまでの一葉の苦悩がまるで見てきたように生き生きと描写されていて惹き込まれてしまいました。



その他の小品に登場する家族や家、そして日本という国を捨て外国の地で孤独地獄を味わいながらも毅然とした覚悟の生き方を貫く女性の確かな潔さなど、激しさなど微塵も感じさせない奥床しい筆致で描かれていてまさにいぶし銀のような小品揃いでした。

福島原発事故による汚染廃棄物の処分場を巡って様々な対立がニュースになっています。


比較的線量の高い警戒区域や計画的避難区域だけで貯蔵の必要な土などが東京ドーム23杯分、それを置いておくために敷地面積3~5平方キロという途方もない規模の施設が必要となるそうです。



東京都に次いで受け入れを表明した静岡県島田市に焼却試験のために被災地の瓦礫が運び込まれた15日のニュースを見たときのこと。


その映像の中で細野豪志環境相が反対意見を持つ地元市民団体の方々に向かって「説明させてください」と口を開くやいなや即座に「聞きません!」と叫ばれた反対勢力の女性。



誰もが自分の家のそばに作ってほしくないというのはごく自然な考え方です。



私自身、毎日の流れるニュースなどで被災者の方々に深く同情している1人ですが、その行動たるや原発とは遠く離れた安全地帯で当面福島関係の野菜類や三陸の魚介類など食さず堅牢な外堀を固めながらのものというのをいつも自覚しています。



こんな私が前述のヒステリックな女性の断言に不快感を持つのはお門違いというのはよくわかっていますが、その女性の「聞きません!」に含まれる毅然とした正しさ、というか女性の代弁をすれば次世代の子どもたちを含め地域住民を守るという正論に非の打ち所がないという雰囲気が伝わってきたのが不快になった要因といったらいいでしょうか。



唐突に田辺聖子氏の小説を例に出すのもナンなのですが、彼女の描く登場人物の曖昧さに人間の深さというか人間味を感じて共感を持つ自分としては「聞かなければならないとわかっているのですが・・・」の「・・・」のニュアンスがほしいなと思いました。



語気強く拒否した彼女も、曖昧に「・・・」と濁しながら拒否するのも結果は同じかもしれませんが、少なくとも自分が正論だと思っていることが人を傷つけることになることもあるということを想像できる人間でありたいと思うのです。




2011年の流行語大賞を受賞したトップテンのうちの1つが「絆」。


この言葉や「君たちはひとりぼっちではない、ぼくたちがついています」などの有名人の具体性のない語りかけを見るたびに気恥ずかしさを感じてしまうのは生来のへそ曲がりのせいでしょうか。



自分の中の利己的な面に目を瞑り、というかそんな面があるなど思いもしない人々が案外世の中には多いのに驚きます。



安全圏にいると果敢な意見がいくらでも出せますがいざ渦中の人となるとどうなるか、そういうことも踏まえて内省、少しでも被災地に協力しなければと…買いました、三陸産ワカメと福島産牛肉。



前述の女性の姿が合わせ鏡のように自分の醜い姿として認識した辛さをワカメと牛肉で少しでも薄めたいものですが、これだけではなかなか罪滅ぼしとまではいかないのが辛いところです(――;)





さて本日は斉藤茂男氏著『父よ母よ!』のレビューです。


「荒れ狂う少年少女たちの本当のさけびが聞こえますか。
『幸福』という闇をさまよう親と子の悲しみが分かりますか。
落ちこぼれ、登校拒否、非行、家庭内暴力、家出――これら魔物の正体は、いったい何であるのか。
現場に接近し共に語りあいながら、それぞれの限界状況をつかみとろうと試みた感動の探索記録」


著者・斉藤茂男氏は共同通信社の記者を経て独立
1958年「菅生事件」報道で日本ジャーナリスト会議賞
1974年再度同賞受賞
1983年長年の報道活動で日本記者クラブ賞
1984年「日本の幸福」シリーズで日本新聞協会賞受賞



本書は今から30年以上前に書かれたルポルタージュですが、今再読しても現代社会が抱えている問題は根本のところで大差なく、むしろより深く潜行しているように思えます。



非行少年と呼ばれている少年少女たちとそれを取り囲む家族や周辺の人々、教師たちをこれでもかというほど追跡、インタビューを繰り返しながら、子どもたちの悲惨な生育暦のみならず、その両親、果ては祖父母の生育暦にまで遡り悲惨さを抉り出した著者のフィールドワークの綿密さには感服します。



非行少年少女の置かれた環境の厳しさもさることながら、彼らの温かい受け皿となるはずの家族もまた悲惨な現実を生きているという事実、延々と続く不幸の連鎖に目を覆いたくなるほど。



一方そんな少年少女を収容して日々奮闘されているさまざまな施設の関係者の方々の子どもたちに対する厳しくも揺るぎない愛情に裏打ちされた姿勢には胸を打たれます。



キリスト教伝道師・留岡幸助氏がアメリカで学んだ監獄改良や感化事業を基礎に明治32年に巣鴨に創立した私立少年感化院「家庭学校」を基礎として、当時収容された非行少年少女たちと職員が一丸となって渾身の力で開拓して北海道の極北の原野に作った本格的な「家庭学校」、その創始者・留岡氏がわが郷土岡山県高梁の出身であることを知ったのも本書からでした。



留岡氏はアメリカのある感化監獄の経験50年を超える刑務所長が座右の銘にしていた[THIS ONE THING I DO]という言葉を「一路到白頭」と意訳して終生の戒めにしたといいます。



人間はいったん選んだ仕事を大切にして白髪になるまでこの道一筋に生きなくてはならないという意だそうですが、この5文字が少年たちが毎朝通る本館まえの胸像の台座に刻まれているそうです。



父親のあとを継いで4代目校長になった留岡氏の4男・清男氏は子どもたちに生産労働の大切さを一貫して説きます。


「少年に衣服の大切さを説くよりも、彼自身の手で服を縫わせよ。
マキの無駄使いを言葉で戒めるよりも、彼ら自身に山の樹木をマキにするまでの労働に参加させ、マキは木の油だけで燃えるのではなく、人間の汗と油が加わって初めて燃焼するものであることを体験させよ」



本書は多くの事実と重要な示唆を含む渾身のルポルタージュといえるのではないでしょうか。



補足ですが、本書は木下恵介監督の下、同名で1980年に映画化されて話題を呼んだそうです。

寒さのせいか最近また不調が戻りつつあります。


漢方生薬もこれ以上ないほど様々に工夫して加法してもらっている上、信頼している鍼灸師の先生の指導の下いろいろなトレーニングも毎日怠りなくしているのに。


努力と改善はなかなか正比例にならないのが人生の常なのかなど哲学とはほど遠いため息でやりすごしています。


治療の帰り、お知らせの葉書をいただいていた銭本眞理さんの作品展を覗いてきました。



岡山北部の吉備高原で青馬窯という作陶の窯を開いて製作していらっしゃる美人の陶芸家。


青馬窯のブログはこちら


現在休止状態で多くのファンによって再開が待たれているzensanこと銭本三千年さんの娘さんでもあります。


休止中の銭本三千年さんのブログはこちら


今回はアクセサリー作家さんとのコラボということで両方楽しく眺めてきました。



で、こんなすてきな器を求めました。 e3f3b652.jpg



一見薄い青銅のような趣、私の大好きな青磁色。



そして夜、銭本三千年さんとしばらくぶりに電話でお話ができました。



IT生活からすっかり離れて自然を満喫していらっしゃる様子、ブログ続行の意欲がまだ湧かない旨話されていましたが何よりお元気そうなので安心しました。



以前のように毎日更新というスタンスを切り替えてゆっくりペースで気が向かれたときだけアップして私たちに貴重な情報を発信してほしいとお願いしましたがどうなるか。



またリアルにお会いする約束をして電話を切りました。



ご心配していらっしゃったトコさん、UNIさん、この場を借りてご報告します。





さて今回は熊谷達也氏著『はぐれ鷹』のご紹介です。


「鷹匠になることを夢見て“最後の鷹匠”に弟子入りした杉浦岳央。
だが高齢の師匠に不満と不安を覚え、早々に袂を分かつ。
雪深い月山の麓でひとり、手探りで訓練を重ねるが、猛禽類のなかでもとりわけ神経質といわれる角鷹を、岳央は操れるようになるのか―。
野生の鷹と人間の対峙を描く。
直木賞受賞作『邂逅の森』に連なる感動作」


著者は直木賞&山本周五郎賞をダブル受賞した『邂逅の森』を筆頭に自然の厳しさや野生動物と人間の対峙などをテーマの作品をいくつか上梓していらっしゃいます。


このブログでも『邂逅の森』『相剋の森』『氷結の森』という森シリーズ3部作のレビューをアップしていますのでよろしかったら見てください。




本書も森シリーズに続いて自然と野生動物、人間という三本の柱をテーマに「野生の鷹と人間の峻烈な対峙を描く」と銘打った作品ですが、今回は森シリーズに見られるような危険と隣り合わせの人間と自然との対峙を描いている臨場感溢れる熊谷作品とは様相を異にしているような・・・構成に荒さや軟弱さが見られたのは残念でした。


軟弱と思える一端は登場人物である主人公・杉浦岳央の幼馴染のテレビ局のADの女性のからみが不自然にこれでもかと長く続き、本来の鷹匠としての主人公の角鷹との対峙などの描写がかなり疎かになっている点にあるのが否めませんでした。


またラストの唐突感もさることながら、あらん限りの情熱で鷹匠の弟子になることを求めた主人公が事情があったとはいえ1年足らずで修行の道を放棄して独立するという設定にも共感できないものがありました。



とはいえ人間が手なずけることが容易でない野生の角鷹の習性やその鷹匠の生き様など私たちが目にすることのできない世界の一端を覗くことができた作品。



次の言葉は日本で最後の角鷹を扱う鷹匠、主人公が懇願して弟子入りした師匠が主人公が袂を分かって旅立つとき餞別に添えた言葉ですが、野生動物と人間の関係すべてに当てはまる言葉ですね。


「人間と鷹と一体になり得る深い愛情により、はじめて鷹の心を持って己の心とし、自己の感情を鷹に強いてはならず、鷹に通じ得ない無理を決して求めてはならず、それが唯一の鷹匠の秘伝であって、常に鷹と共に居れば、鷹は自然に鷹匠の思う通り動くものなり」

全国飲食店の情報サイト「食べログ」や「ぐるなび」を利用したことがある人は多いでしょう。


私もよく利用しています。



我が家の近所に2年ほど前にできた居酒屋。


黒で決めたクールな作りの店舗、散歩の途中で見つけて、帰宅後、「食べログ」で検索してみたところ口コミでの評価もとてもよかったので後日夫と2人で訪れました。



こんな風に書くときっともうおわかりと思いますけど、出る品出る品、何の工夫もなく主婦の私の方がまだましというものばかり、さすがに夫も呆れて2度と行かないと決心して帰りました。



あんな内容では近々撤退するだろうなと通りかかるたびに眺めても潰れた様子もなく、ある日などは学生の集まりか何かで道路まで学生たちが溢れかえっていました。



七不思議!というか私たちの舌がおかしいのか??



そして最近「食べログ」サイトへの意図的投稿で人気ランキングを操作する不正業者が調べただけで39業者もいることが判明したというニュースが流れて納得!



一方「ぐるなび」では掲載約50万店のうち約10万店が月額1万~数十万円の加盟料を支払ってサイト内に公式サイトを掲載しているそうです。



料金が高いとトップページの特集などに多く出ることができるそうですが、「やらせの可能性が排除しきれない」のでお客の評価には左右されない仕組みにしているといいます。



プロより頼りにされるようになった口コミが肥大化しコントロールできなくなった結果である、と専門家は解説していますが、そのノーコン状態の隙間に入り込む商売上手の悪徳業者も中々のものですね。




感心する場合ではないんですけど、魚心あれば水心というところでしょうか。






さて本日は城山三郎氏著『本当に生きた日』をご紹介します。



著者が旅立たれてもうすぐ5年になろうとしています。



本書は今から25年以上前に琉球新報ほか地方紙に連載されたものを没後の2007年5月に追悼出版ということで単行本として刊行されたものです。



この作品が上梓されたのが男女雇用機会均等法が施行された昭和61年であったことから、著者がそういったことを作品のテーマに盛り込んだのは容易に肯けます。



「一男一女の母であり貞淑な妻である38歳の素子に突然訪れた転機―それは女性実業家として名を馳せつつある高校時代の同級生、ルミからもたらされた『経済的自立』の誘いだった。
ルミとともにビジネスの世界に足を踏み入れ、その魅力に自分自身も変わっていく素子だったが…。
男女雇用機会均等法が公布された翌年、女性の幸せをテーマに紡がれた幻の長編小説」




城山三郎という名前に惹かれて手に取った本書ですが・・・・あれっ、という意外感、違和感が最後まで尾を引いた作品でした。



政財界で活躍した人にスポットを当て、当時の世相とともにその生き様を鋭く、温かく描く経済小説の大家との認識から大きく外れた内容、また内容だけでなく筆致も何となく焦点が定まらないような感じを受けたのは私だけでしょうか?



著者にしては珍しく主人公に女性を据え、その女性の視線で物語を進めていることにその一因があるような気がしました。



女性をヒロインに据え、その視線で作品を描く男性作家の方はたくさんいらっしゃいますが、その代表格の渡辺淳一氏に言及すると、著者独自のデフォルメされた女性観での造形が違和感どころか嫌悪感を感じさせられることが多々あります(私に限ってですが)。




本書に戻りますが、そこに原因があるかどうか定かではないものの、主人公・素子や友人・ルミの造形が画一的で物語の進行も予定調和的で冗長な感じを受けました。



昭和61年というとバブルの足音が近づきつつあるという時代背景を鑑みると、友人に誘われたとはいえ一主婦がビジネスの世界に参画しようとする浮き足立った雰囲気にも納得できます。



このような主婦の危なっかしいチャレンジの物語ですが、その中でも時として城山氏の本領を発揮するようなビジネスに関する表現…友人・ルミを通して語られるビジネス界での成功を導くアイテムとして挙げたMNN…引き立ててくれる後援者の意のM(メンター)、人脈の意のN(ネットワーク)、話題性の意のN(ニュー スバリュー)などを読むと本来の城山氏に会えたような安心感が戻りました。



全体的には25年以上前に男性の目を通して描かれた作品という感じでしたが、ともあれ女性の家庭での役割や女性にとって人生の充実とは何かなどに一石を投じた作品ではありました。

霊感商法、悪徳商法、開運商法・・・いろんな呼び名がありますが、先日も30代の女性がテレビで信じられない被害状況を涙ながらに訴えていらっしゃいました。



ガンを患った彼女が不安の毎日を送っていたときチラシで見たガンが完治したという記事にすがる思いで相手の言うがままにお金を払い、貯金が底をつくとクレジットカードで借金することを示唆され次々借金を重ねたというもの。



一見して何の変哲もないブレスレッドや数珠が運気がアップする特別なものとして、「これによって救われました」などの実例&顔写真付きのチラシをよく見かけますが、こんなのに騙される人がいるのかと驚くばかりの私ですが、家族はテレビなどで悪徳商法被害などのニュースが流れる度に必ず私にリンクして注意を促します。



今回も来るだろうなと思っていたら・・・果たして「お前ならすぐ信じそうだ」と夫。



過去に騙された経験があれば同じ過ちを繰り返さないように注意するというのはわかりますけど全くそのような経験もなく新興宗教にのめり込んで多額の奉納金を納めたこともないのに(-_-;)



夫を代表する家族の論理はどうやら「世の中、お母さんが考えているほど甘いモンちゃうで。お母さんのように真っ向から人を信じたらいつかは手ひどい目にあうはず」というものらしいですけど、信じた人に手ひどい裏切りを受けたこともなく、これでも人間関係は比較的良好の人生を送っているつもりです。



決して世の中甘いものだと思ってはいないんですけど、周りからみたら危なっかしいのでしょうか。



海千山千渦巻く男会社で働く娘は私のことを「世間知らずの箱入り」と指摘します。




それだけ厚い箱で守られているということなんでしょうけど私としては逆に家族を守っている感があるんですけどね。






さて本日は北森鴻氏著『螢坂』をご紹介したいと思います。



東京・三軒茶屋にひっそりと佇むバー『香菜里屋』のマスターが探偵役のシリーズ第3弾。


『花の下にて春死なむ』、『桜宵』、『螢坂』、そして『香菜里屋を知っていますか』を最後にシリーズは終わりを告げ、そしてそして産みの親・北森氏も48歳という若さで一昨年旅立たれてしまいました。


「『この街で、オレを待ってくれる人はもう誰もいない』戦場カメラマンを目指すため、恋人・奈津実と別れた螢坂。
16年ぶりに戻ってきた有坂祐二は、その近くのビアバー『香菜里屋』に立ち寄ったことで、奈津実の秘められた思いを知ることになる(表題作)。
マスター・工藤が、客にまつわる謎を解き明かす第3弾」


極上に美味しい料理と心からくつろげる雰囲気。



東京・東急田園都市線の三軒茶屋駅から路地を縫うように歩くこと5分あまり、等身大の提灯のぼってりした明かりが目印のビアバー「香菜里屋」、焼き杉造りのドアを抜けるとせいぜい10人が座れる程度のL字型カウンターと小さなテーブルが2つ、カウンターの中ではヨークシャーテリアの刺繍のついたワインレッドのエプロンをしたマスターが待っている店。



シリーズも4冊読むと目を閉じていても「香菜里屋」の内部を思い浮かべることができるし、マスター・工藤の作る極上の創作料理の匂いまで嗅げるような錯覚に陥ります。



北森氏の作品には他にいくつかのシリーズものがありますが、「香菜里屋」シリーズの大ファンだったので著者の死によってもう永遠に続編を目にすることができない寂しさをかみしめています。



このブログでも4作品取り上げていますのでよかったら読んでください。


北森作品のレビューはこちら



さて本書に戻ります。


本書には以下の5篇の短篇が収録されています。


「螢坂」「猫に恩返し」「雪待人」「双貌」「狐拳」


こうしてみるとマスター・工藤の供する心憎い酒肴の数々と同じくらい粋でステキなネーミング!




◆戦場カメラマンを目指し恋人・奈津実と別れ海外へ行っていた有坂が16年ぶりに訪れた思い出の三軒茶屋。
ふと立ち寄った香菜里屋での偶然の恋人の友人との出会いで今は亡き恋人の切ない決意を知った驚きを描いた表題作「螢坂」

恋人との別れの場だった公園に蛍が乱舞していたと話す有坂の言葉を手がかりに今回もマスター・工藤の推理が冴えています。


◆因業な親父が経営する焼き鳥屋・鳥安で漏れ聞いた迷い猫・ゴン太の話を自ら発行している小さなタウン誌に書いたジャーナリスト・仲河の元に突然舞い込んだゴン太の顕彰碑建設のための募金依頼に嵌められた感を強くした仲河でしたが、展開に次ぐ展開で物語は思いがけない方向に着地、鳥安と香菜里屋の微妙な人間関係のからみが生きている「猫に恩返し」


◆9年前三軒茶屋の駅前商店街の開発計画に最後まで反対して立ち退きを拒否した画材店・立原美昌堂の1人娘のために人生を狂わされたとするかつての商店主・南原の耳に飛び込んできた立原美昌堂閉店のうわさ。

憤る南原を前に工藤の推理が冴えるばかりか今まで謎に包まれていた工藤の私生活の一端がほんの少しだけ見え隠れする「雪待人」



他2篇も独特の情緒が流れる作品に仕上がっています。



最後に作品中に出てくる酒肴を少しピックアップしてみましょう。



夏野菜・根菜を千切りにして脂が多めのベーコンの細切りとともにさっと炒め、スープストックで仕上げた沢煮椀に似た一品を最高度数のロックスタイルビールで!


赤ワインと醤油を香草と一緒に煮詰め、焦がしネギにショウガを少々、隠し味に蜂蜜を入れたタレに包丁目を入れて油で揚げた手羽先を提供する直前に焙り、仕上げに粒胡椒を軽くまぶした一品。


殻付き牡蠣をワイン蒸しした上に熱したピーナツオイルとともに刻んだ鷹の爪を散らした一品。
賽の目切りにしたトマトと素揚げした海老とイカを実山椒のソースで和えたひと皿。


挙句は欧米で一般的なファストフードであるフィッシュ&チップスも工藤の手にかかれば味わい深い酒肴となるんですね…それぞれを生ハムで包んで揚げたフィッシュ&チップス。


きりがないのでこの辺でやめておきます。


酒も肴も申し分ないけれど、それよりも人の気持ちを柔らかくほぐしてくれる、そんな香菜里屋に行ってみたかったです、叶えられない望みですけど

我が家は家族の誕生日にはお互いプレゼント交換しています。



家族が増えるにつれプレゼントを贈る機会も増える反面、子どもたちも夫と私の誕生日と父の日母の日にはプレゼントが届くので1年を通してプレゼントの行き交う機会がかなりあります。



2月半ばには娘、3月初めには娘の連れ合いの誕生日、先日娘に希望のものを聞いたところ、できたら手作りコロッケなど、という返事がかえってきたので、ついでに1人暮らしの次男が喜びそうな分も含めて昨日は1日かけてコロッケやドライカレーなどいくつかの食品を作りました。



コロッケ50個にドライカレー用ミンチ2kg,たまねぎを筆頭に野菜類を刻むこと、刻むこと、いつも料理はマメにしていてもできたことがないのに、包丁を握る指にまめができてつぶれるほど(――;)e1078df1.jpg




ドライカレー用に大量にすりおろし人参が必要なんですけど、あまりの本数の多さにたじろいでレンジで人参を少しやわらかくしてはプロセッサーで砕くことを繰り返しました。
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コロッケは揚げて送ったので家中カレー粉や油のにおい、酢豚も作ったので甘酸っぱいにおいが立ち込めて気持ち悪くなって夕食にコロッケを食べてもおいしくも何ともありませんでした

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1日だけでもこんなのだから食べ物の店などできないと思ったことでした。





さて今回は津村節子氏著『合わせ鏡』のご紹介です。


まだ夫君・吉村昭氏ご存命の1999年の作、第19回日本文芸大賞受賞作品です。



「あたかも合わせ鏡で見るように、遥かな過去、近い過去を顧みる遠いなまざし。
記憶の篋底から、命の息吹きが甦る…26篇の、あえかなものたちへの讃歌」



ブログ友のトコさんの読書録に記していらっしゃった作品を拝見してメモしていたものです。


随筆の内容について興味ある方はトコさんのブログをお読みいただくとして、ここでは私が感銘を受けたエッセイを二つ取り上げてみたいと思います。


トコさんのブログはこちら



まず著者が現在の土地に居を構えて出会われたという開業医・森田功先生について書かれた「パンダ先生と私」というタイトルのエッセイ。



順天堂大学付属病院の病理解剖室に長く勤務されたのち開業された先生は子どもたちが怖がるという理由で白衣を着用せず私服の胸にパンダのバッジをつけて診察に当たられているそうです。



診察室でお嫁さんに買ってもらったという磁気ネックレスが効くかどうかたずねた患者のおばあさんに答えて「いいお嫁さんだね。それはとても効くよ」と先生。



「患者が亡くなると力が至らなかった、と自分を責め、臨終の枕許に座って嘆き悲しむ家族の様子に胸をかきむしられ、痩せたこぶしの上に涙を落とす。
こんなにつらい職業はほかにあるだろうか、と書いておられる」と著者は森田先生の著書に言及していらっしゃいます。


森田功先生は「やぶ医者」シリーズの著者でもあります。



その先生が大腸癌で亡くなられたあと奥様から届いたお知らせに先生の潔い生き方が偲ばれます。


「3月3日、森田功儀、71歳の天寿を全う致しましたのでお知らせさせていただきます
生前賜りました御高誼に心から御礼を申し上げます
故人の遺志により解剖実習に献体致しました
実習後解剖供養塔に合祀されますので墓所は定めず 葬儀は行いません」




次に「花笑みの村」というエッセイには森田先生と同じ医師である将基面誠先生が登場します。


40年ほど前夫君・吉村昭氏が太宰治賞受賞作となった『星への旅』を書くにあたって訪れて知己を得た陸中海岸に位置する田野畑村の医師。



千葉のがんセンターの枢要な地位を投げ打って岩手県の過疎地・田野畑村の診療所に周囲の反対を押し切り夫人を説得して着任された先生夫妻は周囲の村人たちにとけ込み、医師としての有能さと穏やかな人柄は村人たちの尊敬と信頼を集めているそうです。



夫人が白血病でがんセンターに入院されその訃報が村に伝えられたときには葬儀場には岩手ナンバーのマイクロバス6台に村人2百余名が夜を徹して駆けつけたといいます。



夫人亡き後村は再び無医村になると誰もが思っていたのに子どもを夫人の実家に預けて再び戻って来られた先生はその後保健文化賞を受賞され、村に寄付したその賞金は「花笑みの村基金」として村を花いっぱいにする計画だそうです。



直接エッセイとは関係ないレビューとなりましたが、お二方の医師の生き方、逝き方の潔さに心洗われるようでした。

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