VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2012年04月

先日、朗読会なるものに行ってきました。bed4dda9.jpg



友人が参加している朗読会を主催していらっしゃる先生の舞台朗読会。



中程度のホールを借り切っての会でしたが、会場を見渡すと200名近くの聴衆がいらっしゃいました。


吉永小百合さんなど一般的な朗読は本を見ながらですが、その方のはすべて暗誦した上で舞台に立たれるという特徴があります。



当日の出し物は連城三紀彦氏の『恋文』と野上弥生子氏の『茶料理』。



どちらも昔読んだことがありますが、短篇ながら長い作品です。



途中休憩をはさんで両作品とも45分に縮めての暗誦朗読でしたが、聴いていてもけっこう長い(^_^.)


ちょうどいい子守唄とばかり会場では居眠りしている人もかなりいたような。



私は本を読むのは好きですが、その作品が映像化したものはほとんど観ないスタンス、たいしたイメージでもないのですけど自分の中のイメージと監督や俳優を通して伝わる作品のイメージとの落差に過去何度も幻滅しているというのがその理由です。



朗読も1人の演者が対象作品をまず自分の中に取り入れ、それを自分なりに咀嚼して自分色に解釈してから放つという道順は映像化と同じようなものではないでしょうか。




今回も両作品とも既読だったので、聴きながら相当のイメージの隔たりを感じてしまいました。




パフォーマンスとしては最高でしたが、知り合いでもなく有名人でもない演者の方の朗読、聴衆の方々の求めるものは何か?



終わったあと暗誦朗読の意義について考えさせられました。




ということで今回は連城三紀彦氏著『恋文』についてのレビューです。


30年あまり前幻想ミステリの旗手として鮮烈デビューされた連城氏ももう60歳を超えていらっしゃるとは!


1978年『変調 二人羽織』で第3回幻影城新人賞
1981年『戻り川心中』で第34回日本推理作家協会賞短篇部門
1984年『宵待草 夜情』で第5回吉川英治文学新人賞
1984年『恋文』で第91回直木賞



「マニキュアで窓ガラスに描いた花吹雪を残し、夜明けに下駄音を響かせアイツは部屋を出ていった。
結婚10年目にして夫に家出された歳上でしっかり者の妻の戸惑い。
しかしそれを機会に、彼女には初めて心を許せる女友達が出来たが…。
表題作をはじめ、都会に暮す男女の人生の機微を様々な風景のなかに描く『紅き唇』『十三年目の子守歌』『ピエロ』『私の叔父さん』の5編」


初版昭和59年の作。



自分の中で連城三紀彦氏イコール恋愛小説というイメージが定着していて若い頃本書ほか1冊読んだきり


長いインターバルの後再読しましたが、好き嫌いは別にして5編とも思いのほかじっくりした味わい深い作品でした。



緻密な計算の上、構築したと思われる構成の中に読者の意表をつく展開を用意、しっかりした文章力で埋めているというのが全作品に共通した印象。



直木賞選考に当たり、「造花の美が時には現実の花よりリアリティを感じさせることがある」という選考委員・五木寛之氏の選評がぴったりという感じでした。


表題作「恋文」は10年連れ添った夫が「私はあと半年で死にます」と書かれた昔の恋人からの手紙を受け取って突然出て行くところから物語が始まります。


受け入れざるを得なかった妻の取った行動の数々を通して女の狡さ、したたかさ、そして愛の深さを塗り込めて描いていて、何とも切ない作品に仕上がっています。


タイトルになっている「恋文」に託した著者の仕掛けが現実感に乏しいけれど魅力的な造花の美ということでしょうか。



表題作を筆頭にあとの4篇とも哀しい嘘を中心に市井の名もなき人々を描きながら、それらの登場人物が取る行動はどれも凄みというか靭さ、深みがあり、平凡な私はたじろいでしまうほど。



5篇の中で秀逸だったのは自分の中では「私の叔父さん」。


あらすじは措くとして、浅はかで甘ちゃんの女たちに翻弄される男の純粋さと深さ、一途さが情緒を抑えた文で描かれていて、現実ではあり得ないと反発しながらも惹かれる作品になっていました。

先日、三朝温泉に行った帰り道、鳥取の道の駅で珍しい野菜を目にしました。


葉の裏が赤紫で表は緑色、形は空心菜のような長い楕円形、レジの人に聞くと「水前寺菜」といって炒めてもお浸しにしてもおいしいとのこと。


1束買って帰って検索してみるとクックパットに種々のレシピが載っていました。


九州や沖縄で古くから栽培されていて別名「ハンダマ」「ハルダマ」「金時草」と呼ばれているキク科の多年草、家庭でも栽培できるようです。


ビタミンAが春菊の3倍、ビタミンCがレモンよりも多く、ポリフェノールがキャベツやほうれん草の50倍もあるとか。


茹でるとモロヘイヤのようなヌメリが出ました。4ba8fa96.jpg



お浸しにしてみましたが、癖がなくサクッとした食感がありとてもおいしく食べられました。


まだ当地では見たことがありませんが、最近はどんどん目新しい野菜が市場に出てきて野菜大好きな私は楽しみが多くなりました。



たけのこやわらび、こごみ、うどなど山菜のシーズンになりわくわくしますが、漢方医からアクの強いものを食べ過ぎないようにくぎを刺されているので、ほどほどに楽しんでいます。


道の駅で買ったのは他にアイスプラント、わさび菜、こごみとうど。


アイスプラントは毎朝サラダで、わさび菜は陰干しにして醤油漬に、こごみはてんぷら、うどはキンピラで食べました。


道の駅大好き!





さて本日は東海林さだお氏&赤瀬川原平氏著『老化で遊ぼう』のレビューです。


「オムツは当ててもオツムは元気。
すっかり老人力のついた、昭和12年生れの漫画家と画家兼作家が、これからの輝かしい人生を語る。
男性女性、どちらがボケ上手? 
初めてチーズを食べたのは何歳? 性に関する一番古い記憶は? 
穴あきパンツや一度だけ使った爪楊枝をいつ捨てる? 
お二人の芸術観をまじえた爆笑対談10連発! 
人生は70歳を超えてからですぞ、ご同輩」



「小説新潮」に連載された「軽老モーロー対談」をまとめたものの第3弾が本書。


性、お金、老化などをテーマの10の対談で構成されていますが、そのうち3話はゲストを招いての3人の対談になっています。


1回目のゲストは赤瀬川氏創設の「路上観察学会」の仲間であり東大教授・藤森照信氏、少年時代の懐かしい遊びをテーマに話が弾みます。


2回目のゲストは阿川佐和子氏、男女の老化を赤裸々に語り合って大盛り上がり。

「女は男が自分を女扱いしなくなったことがわかったとき、『この男の前ではどうでもいいや』ってなる。でも、『あの男の前ではまだ恋心を捨ててないわ』というのが残ってるんだけど、それが一つ一つオセロのように裏返しになって、『どうでもいいや』の範囲がどんどん広がっていくの」・・・阿川さん、お2人の妙齢の男性を相手にここまで語っていいの??というアブナイ語り満載、ますます阿川さん好きになりました。


3回目は数学者の藤原正彦氏、数学音痴のお2人を前に、数学の美しさについて語っていらっしゃいます。

「『三角形の内角の和は180度である』という定理は非常に美しい。三角形の種類は無限にあるけど、正確に角度を測るとみんな180度ピッタリですからね・・・
世界中、どこで誰がやっても、百万年前も今も百万年後も、ピッタリ180度。
単純な公式ですごい複雑なものを規定しちゃってる。これはすごく美しいことなんです」


江戸時代の関孝和や大正時代の高木貞治、昭和の岡潔などの日本の数学の天才から17世紀のフランスのフェルマーの立てた「フェルマー予想」とそれを解いたイギリス人のアンドリュー・ワイルズなどの世界の数学の天才の話など、数学にまつわる話が泉の如く湧き出て大変興味深い対談となっています。


あとの7つの対談、女性の井戸端会議と変わらない、というかそれ以上の下世話な直球の話が大部分を占めながらもけっこう奥行きが深く、永遠の少年魂を持ったまま熟年になったお2人の戸惑いやら開き直りやらがうかがえてほほえましい1冊でした。

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鳥取県、日本海側に位置する三朝温泉に行ってきました。


岡山から高速を使って2時間強、思ったより短い時間で到着。

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毎年結婚記念日にはどこかに行こう、と話しながら実行できなかったりしなかったりを繰り返していたので今年こそはと近場に。


連れてって今じゃひとりで行ってきて

若い頃は子どもも無事自立してこんなときが来るのを夢見ていたんですけど。


「ほどほど」と「そこそこ」で来た何十年


40年を過ぎると何周年になるのか覚えられず、子どもの年齢から逆算してやっと43年と判明しました。


行きがかり上という表現がぴったりの年月、友人同士ならおしゃべりで時間がたつのも忘れますが、夫婦2人で温泉に行っても手持ち無沙汰なので久しぶりに花札持参。4e91efbe.jpg





喧嘩なしおしどり夫婦対話なし

赤い糸十年経てばただの紐

我が家庭「アレ」「コレ」「ソレ」が主語となり

家族旅行カーナビだけが話しかけ

釣ったのか釣られたのかと自問する

サラ川でよそも同じと安心し

バリアフリー段差があるのは夫婦仲



『「サラ川」傑作選すごろく』山藤章二・尾藤三柳・第一生命選


「永遠の人気企画『サラ川』新シリーズ第6弾ネット参加により応募数はさらに増大。
粋で可笑しくほろ苦い優秀句五百句を収録。
ウィキペディアによれば、サラ川は『現代世相を反映する五大指標の一つ』とも!」


川柳発祥250年の節目を迎える前年2006年に刊行。


全19回、応募総数75万句からの選りすぐりのサラリーマン川柳500句をピックアップしたのが本書です。


「サラ川」は世相と本音の早見表


時代の変遷につれ、微妙に変化する民衆意識を絶妙な言葉で俎上に上げているおかし味が江戸時代から現代に至るまでの川柳の命。


世相を反映して文明の利器もどんどん変化、「携帯メール」や「パソコン」、今では少し古くなった「メイドカフェ」、「アッシー」などがどんどん出てきますが、根底を流れているのは職場では上司と部下に挟まれ、朝から夜まで働いて帰っても家族には飼い猫以下の扱いしか受けないサラリーマンとその老後の悲哀のため息です。


石の上三年経てば次の石

わが妻も修行に出したいメイドカフェ

やめました酒にタバコに貯金まで

食べて糖飲んで血圧吸えばガン

※作者名省略

交通事故や無差別、怨念など背景は様々ですが、これでもかというほど多種多様の殺人事件が毎日のように起こっています。



情状酌量の余地がある殺人もあれば目を覆うような理不尽な殺人もあって遺族にとって刑法に頼るより自らの手で犯人に復讐したいと思えるような事件もたくさんあります。



もしも大切な肉親がそんな目に遭ったら、死刑では飽き足りないほどの強い復讐心から逃れられないという生涯を送るのも容易に想像できます。



首都圏で起きた男性3人の連続不審死の裁判員裁判で殺人などの罪に問われていた木嶋佳苗被告に死刑判決が言い渡され、木嶋被告は即日控訴したそうですが、どんな判決でも死んだ人は戻ってこないという遺族の方の無念コメントに胸が詰まります。



犯人に被害者と同等の苦しみを、できることなら自分の手で与えたいと願う遺族の思いは大いに共感できます。




年号が明治に変わる以前の日本では「敵討ち」は社会制度として公に認められていました。



今でも年末になると必ずテレビで放映され、日本人の多くが涙する「忠臣蔵」を通してもわかるように「敵討ち」は日本人にとって美風として讃えられていた長い時代があります。



「古来より父兄の為に、讐を復するを以て、子弟の義務と為すの風習」



多くはお咎めなしとはいえ、残りの人生を捨てる覚悟での敵討ち、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という武士の捨て身の精神性に裏打ちされた行為が日本人の道徳感や独特の美意識を刺激して根強い支持を受けていたのではないでしょうか。



明治政府発足と同時に「敵討ち」に関しては各方面の知識人らの見解を受けて紆余曲折の試行錯誤の末、明治6年(1873年)に欧米先進国に倣って「人を殺すは国の大業にして、人を殺す者を罰するは、政府の公権に候」という「仇討禁止令」が発令されて以来、敵討は法律によって裁かれることとなり現在に至っています。



本日ご紹介するのは「仇討禁止令」が発令された7年後の明治13年に起き、「最後の仇討」として当時の社会を賑わした事例を小説化したものです。



吉村昭氏著『敵討』


ブログ&読書の先輩でもあるトコさんの読書録で拝見して以来、読んでみたいと思っていた作品。


本書には「敵討」を題材の2篇の中篇小説―「敵討」と「最後の仇討」―が収録されていますが、ここでは「最後の仇討」を取り上げたいと思います。


あらすじに関してはトコさんが過不足なく書いていらっしゃるので興味ある方は見ていただければと思います。

トコさんのレビューはこちら


「惨殺された父母の仇を討つ――しかし、ときは明治時代。
美風として賞賛された敵討は、一転して殺人罪とされるようになっていた……
新時代を迎えた日本人の複雑な心情を描く『最後の仇討』。
父と伯父を殺した男は、権勢を誇る幕臣の手先として暗躍していた……
幕末の政争が交錯する探索行を緊迫した筆致で綴る『敵討』。
歴史の流れに翻弄された敵討の人間模様を丹念に描く二篇を収録」



以前このブログでアップした葉室麟氏による『秋月記』は九州・福岡藩の支藩である秋月藩の物語でしたが、本書「最後の仇討」では実在の秋月藩の藩士たちが物語を担って登場します。



著者はあとがきで「私がこの小説を書いたのは、明治という新しい時代を迎えた日本人の複雑な心境を描きたかったからである」と記していらっしゃいますが、江戸時代の幕藩体制から明治維新を経て新政府体制へ移行する際の人生の指針をも覆されるような社会環境の激変に右往左往する武士たちの姿が1つの仇討という事象を通して綿密に活写されていて大変読み応えがありました。



王政復古・大政奉還の詔が出る直前の混乱期、秋月藩内での「勤皇」か「左幕」かという思想的対立から秋月藩士で結成された“干城隊”の隊士・一瀬直久に妻と共に惨殺された臼井亘理の長男・六郎が13年後にその仇を討つまでの敵への強烈な憤怒に翻弄された半生と、本懐を遂げて終身禁固刑が確定し囚われの身となった末、帝国憲法発布の祝典恩赦適用で10年後に32歳で釈放されてからの静かな余生とのコントラストを資料に裏打ちされた綿密な筆致で描いているところ、著者の力量が発揮された秀作となっています。



怨念に生きた半生と、目的を達した後の空虚ともいえる穏やかな半生の隔たりの大きさを通して「復讐」そのものの意義について考えるきっかけを与えられました。



光市母子殺人事件で今年3月に被告人の死刑が確定したのを受けての被害女性の夫であり被害女児の父である本村洋氏の発言が本書の六郎の生き様と重なって思い出されました。


「被害者がいつまでも事件のことを引きずって下を向いて生きるんではなく、事件のことを考えながらも前を向いて笑って、自分の人生をしっかりと歩んでいくことが大事だと思います」



臼井六郎は自らの手で、本村氏は司法に委ねて、それぞれの方法で奇しくも事件発生13年後に加害者に制裁を加えましたが、上述の言葉は怨念の苦しみに囚われた地獄の13年を積み重ねた経験者ならではの言葉だったと思います。



これほどの強烈な恨みでなくとも、小さな怨念を抱えながら日常を送っている人は少なくないと思いますが、方や「赦す」ことで自分を怒りから解き放ち後半の長い人生を豊かに過ごすことを選択肢に入れることの大切さをも痛感した作品でした。

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桜のシーズンも終わりを告げようとしています。  


昨日、近所の公園に行ったところ敷き詰められたピンクの絨毯の上を見上げればすでに生まれたての柔らかい緑の葉っぱが芽吹いていました。


急な気温上昇と一昨日以来の終日の雨で一気に花開いたようです。



数日前市内の桜の名所・後楽園の東側に位置する旭川河川敷を少し歩いてきました。


土手に沿って1.3キロにわたるソメイヨシノ計約250本の見事な桜並木。


平日だったにもかかわらず見物客も多く、バーベーキューや酒宴、マージャン台を囲んでいる人たちもいてびっくり。


ちょうどお昼前だったので屋台のいい匂いに気をとられ桜観賞は二の次でひとつひとつ覗いて吟味しましたが、結局何も食べずに帰途回転寿司に立ち寄りました。




蝉は地上に出てから一週間の命といいますが、負けず劣らず短命な桜、これが年中通して咲いていたらここまで狂おしく桜を愛でることはないかもしれませんね。



いずれにしても年々桜に対する思い入れが深くなるのはまさしく日本人だからでしょうか。



来年は近所にある名もない小さい公園―名づけて「こらくえん」(天下の後楽園のもじり)―で人ごみに惑わされずゆっくりお花見をしようねと友人たちと鬼が笑う約束をしました。





さて本日は高殿円氏著『トッカンVS勤労商工会』のご紹介です。



「税金滞納者から問答無用で取り立てを行なう、みんなの嫌われ者―徴収官。
そのなかでも、特に悪質な事案を担当するのが特別国税徴収官(略してトッカン)だ。
東京国税局京橋地区税務署に所属する、言いたいことを言えず、すぐに『ぐ』と詰まってしまう鈴宮深樹(通称ぐー子)は、冷血無比なトッカン・鏡雅愛の補佐として、今日も滞納者の取り立てに奔走中。
今一番熱い職業エンターテインメント」



著者&作品に対して何の予備知識もなく図書館で目について借りた珍しい一冊。

どうやら『トッカン―特別国税徴収官―』の続篇に位置するそうですが、前作を未読のままでもいきなりの本書で十分楽しめました。



著者・高殿円氏は2000年に第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞してデビュー、その後ライトノベル界で活躍されているという経歴があります。



読み始めてすぐ有川浩氏の「図書館戦争」シリーズと登場人物設定が似ていることに気づきました。


有川氏の「図書館戦争」シリーズの舞台は「自衛隊」ですが、こちらの舞台は「税務署」、どちらも一般市民にとっては特殊な場所、その閉鎖的な舞台で強い男性上司と頼りない女性部下の織り成す展開が両者、たいへん似通っています。



「トッカンVS勤労商工会」というタイトルから内容をイメージできる読者は私を含めなきに等しいと思いますが、「トッカン」とは「特別国税徴収官」の略、特に悪質な滞納を扱う徴収官だそうです。


一方の「勤労商工会」は実在の組織ではないようですが、弱者の立場の中小企業の救済を旗印の任意団体という設定になっています。


実在する「商工会」と似ていますが、税務や行政の改革を掲げてデモ活動などを行っている内容は「民主商工会」をイメージしているのではないでしょうか。



主人公のぐー子こと鈴宮深樹の職場は東京国税局京橋地区税務署、東京国税局に入局し徴収官になって4年目、特別国税徴収官・鏡雅愛の補佐という役職。



ぐー子と直属の上司である鏡以外の登場人物のキャラクターもそれぞれ際立っていて非常にマンガチック。


改めて著者の経歴を見ると、漫画の原作などを数多く手がけていらっしゃってさもありなんという感じ。


際立つキャラの一例として職場にいる女性陣について紹介すると、夜のビジネス系に強い38歳の鍋島木棉子や唯一既婚で勤労商工会への対応に強い34歳の錨喜理子、古美術商の実家を持ち書画骨董への見識眼が高い25歳の錦野春路らの隙間でこれが専門だというものもなく要領の悪い26歳のぐー子の居場所探もこの作品の大切な要素となっています。



主婦である私が税務署を意識するのは年一度の確定申告の時期のみで、ずっと内職をしていた数年前までは還付金のためにせっせと申告していましたが、ここ2年申告なしの状況。


阪神淡路大震災に遭い「一部損壊」の認定をもらった年は家具や家電などの損壊一覧表を作って税務署員と対面でチェックしてもらい当時で100万円ほどの還付金が返還されたこともあります。



そんな特殊な場合は別として、普段は国税局と聞けば巨額脱税摘発をユーモラスに描いた伊丹十三監督の「マルサの女」を思い出すくらい、一般市民とはあまり縁のないところです。


「まさに、国税局は、『金』専門の警察なのだ。
国税に与えられた権利は、その警察をはるかにしのぐ強権だった。
基本的に、警察の取り調べに対しては黙秘ができるが、税務署にはできない。
『質問検査権』というのがあるせいだ。
そして、マルサで有名な査察は、裁判所で強制調査の令状をとり、納税者の同意なしに調査することができる。 そして、あまり知られていないが、この査察の上を行くおそろしい部門がある。
何を隠そう、このわたしが現在所属する、『徴収』部門である。
国税徴収法は、日本の法律で最高の強権であることを知っている人間は少ない。
しかし、その実態は驚くべきものだ。 なにせ、裁判所の令状などいらないのだから。
問答無用で押しかけていって、金を強奪しても(もちろん、滞納者相手にである)なんの手出しもできない」


身の毛もよだつ国税徴収法!


ということで大変勉強になり、かつ読ませるエンタメでした。

岡山市の西・瀬戸内海に面して風光明媚、「日本のエーゲ海」といわれている牛窓の瀬戸内市立美術館で開催されている「熊谷守一作品展」を観にいきました。


小豆島と並び日本二大オリーブの産地としても有名な牛窓にある美術館。


熊谷守一氏は1977年に97歳で亡くなられた画家ですが作品に触れるのは初めて。


堂々たる経歴と画才に恵まれながら世俗とは縁のない生活で洗うがごとき赤貧の中3人の子どもを貧しさがゆえに失ったといいます。


4歳で死んだ息子・陽の死に顔を描いた「陽の死んだ日」は当地の大原美術館にあるそうですが観たことがありません。



「大好きなもの…特に小さな子供と鳥と虫には目がありません」といわれていただけあって画のほとんどは身近にいる鳥や虫、猫、草花など、自然の中で生きるものへの温かい眼差しを生涯持ち続けたといわれています。



年齢を重ねる毎にシンプル化して無駄を極力廃した構図に赤や黒で縁取った曲線にインパクトがあります。




館内に貼られた年譜を見ながら熊谷画伯に年若くして嫁がれた奥様の生半可ではないご苦労が偲ばれて気の毒になりました。



1つのことに魅せられ生涯を通して打ち込む姿は傍から見ると美しく尊いものですが、法隆寺や薬師寺などの復元に命を削られた最後の 宮大工棟梁といわれる西岡常一氏などとともに生活者としては最低基準に達しない方も多くご家族の苦労は並大抵のものではない気がします。




肝心の絵画鑑賞はそっちのけで友人と画伯の貧困生活をアレコレ詮索して終わりました






さて本日は日本文藝協会編『2011 ベスト・エッセイ』をご紹介します。



新聞・雑誌に掲載されたエッセイから厳選、作家78人による78篇のエッセイ集、それぞれが短いのでナイトキャップにもってこいの作品集です。



興味深かったいくつかを挙げてみます。



大塚ひかり氏著「古典に読む介護」

脳出血の後遺症で認知症・車椅子状態となったお母さんを介護されている経験を通して気づいた昔の人々の意外な長命さや介護を必要とする老人の置かれた厳しい状況に言及していらっしゃいます。


「鎌倉時代の『沙石集』の著者無住も数えで八十七の長命を保ち『雑談集』という著作は八十過ぎに書いたという驚異的な人だ。それだけに介護の話も多く、『雑談集』巻第四冒頭には”老は八苦の髄一、昔に変はりて、見苦しく、障りのみ多き中にも、人に厭い憎まれ、笑はれ侍り”とあって、身体の衰え以上に、人にないがしろにされる精神的な辛さが老いの苦しさであると、高齢者ならではの実感が綴られている」
「介護が弟子や女の仕事とされていたことが分かるが、同じ『沙石集』には、ずっと独身だった上人が七十になって、三十歳ほどの若い尼を妻にして、ついでに介護してもらおうと目論んだものの、尼に浮気されたあげく、殺されそうになった話もあって、身内による介護の限界、介護にまで若い女を求める男の虫の良さが、浮き彫りにされている」


現代までもなお脈々と介護は基本女の仕事という考え方が続いているのがおかしいやら情けないやらですね。



中島京子氏著「父のたわごと」

認知記憶障害を示すようになった父親との逸話。


同じ認知障害でもこちらはほのぼのとした家族愛を感じさせる内容でほっこり温かくなります。


「なんだかんだで、『父のたわごと』はいつも可笑しい。かくなる上は、穏やかな性格が病気に損なわれることなく、いつまでも『たわごと』が続いてくれることを願う」


そうなんですよね。

認知症になっていちばん怖いのは日頃の人格とは似て似つかぬ「あらぬこと」を口走ること。

よしんばそんな事態が生じても以前の人格とはまったく関係ないことを今から周囲にアピールしてはいるんですけど。



曽野綾子氏著「すがすがしい空間」

現在「整理術」なるものが一大ブーム、「捨てる技術」など様々に工夫を凝らしたタイトルの本が目白押しですが、中年を過ぎて体力がなくなる頃から整理魔、捨て魔となったといわれる著者によるエッセイ。


「その背後には、八十三歳で亡くなった母の身じまいの見事さがある。
彼女は、死後、整理だんす一棹分の身の廻りのものしか残していなかった。
死後の整理は半日で済んだ・・・
私が死んだ時、周囲がすがすがしく思ってくれたら、それも一つの大成功だと思えるようになっている」


夥しい身の廻り品を遺して昨年亡くなった母を反面教師として日々整理を自分に課している私にとって力強い援軍になっています。



吉村萬壱氏著「遺産と誤算」

叔母の死によって突然叔母の住居のマンションを遺産として譲り受けた顛末についての作品。


異常なまでの収集癖のあった叔母によりゴミ屋敷と化していたマンションを整理しながら著者は先ほどの曽野氏とは究極な考えに至ります。


「『断捨離』とかいって自分の所有物を最小限にする整理術がはやっていると聞くが、私は反対だ…
死んだら人間消えてなくなるのだから、生前の遺物を極力そのまま残して死ぬのに何を躊躇う必要があろうか。
身寄りがなければ、国家が始末すればよい。
死んだ後ぐらい、国家は野垂れ死にした国民の死体や遺物の面倒をみるべきであろう。
こっちは税金を払ってきたのだ」



いろいろな意見があるものだなあと今更ながら感じ入りましたが、自分はやはり心身ともに「断捨離」への道を修行したいと思っています。

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