VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2012年05月

   
日本中が金環日食の話題で沸き立つ前日、よく見えると評判の淡路島に行ってきました。


友人のひとりが日食グラスを用意していましたがあいにくの雲のためにグラスを通しては見られなかったものの肉眼と友人の望遠デジカメが見事に天体ショーを捕らえました。


次の金環日食は北海道で18年後、京都・滋賀で29年後だそうなので生きているとしてもこれが健常な頭脳と肉体見られる最後だと思うと何だか感無量。


6月6日には金星が太陽の手前を横切る「金星太陽面通過」という天体の世界が見られるそうなのでまた日食グラスが役立つかもしれませんね。 


   
鳴門大橋を渡って淡路島の南に位置するホテルと北にある明石大橋が目前のホテルにそれぞれ1泊ずつ宿を取り、友人同士でおしゃべりの花を咲かせるのメインの楽しみにしていたのに、だれともなくベッドに横になったが最後、そんなに疲れているわけでもないのに3人とも早々に寝てしまい、何だか少々もの足りない2晩となってしまいました。

※左:鳴門大橋  右:最初に宿泊したホテル庭に設置した風力発電設備


淡路島の北端のホテルに隣接する「奇跡の星の植物館」は以前花博の会場となったことで知られていますが、日本庭園をイメージした寄せ植え風のすてきな庭々や季節的にバラの花が盛りの庭など、充実度が高く思いがけずとても楽しめました。

   

    



淡路島に行かれる機会がある方、ホテルと組み合わせてお勧めです。


こうして気の置けない仲間との小さな旅を支えに1年を過ごす幸せに感謝です。





さて本日は角田光代氏著『三面記事小説』のご紹介です。


「誰しも滑りおちるかもしれない“記事の向こうの世界”。
バリケードのような家に住む姉夫婦、妻殺害をネットで依頼した愛人の心の軌跡など“三面記事”の向こう側を鮮やかに描いた小説集」


日本のどこかで日常的に起こる事件を扱った新聞の三面記事に載っていた実際の事件に着想を得て小説仕立てに物語を紡ぎだした6つの短篇が収録されています。


とにかく著者の発想力がすごい!


小さな三面記事から得たほんのわずかなヒントを発端にここまで平凡な日常が異形のものへと一変するまでの微妙な心理の積み重ねの過程をここまであたかも見てきたかのように膨らませて描ける構成力に感服です。


★トタンを積み上げて周囲から隔絶させたバリケードのような家に住み続ける夫婦の異変を妻の妹の目を通して描いた「愛の巣」


★男の熱心なアプローチから受身で付き合ううち男に妻子がいることがわかった頃から女のほうの執着心が強くなり関係性が逆転、男の妻を排除すべく闇サイトに依頼したことから女の危うい心に拍車がかかる様子を描いた「ゆうべの花火」


★2人の女子中学生が男性教諭の給食に薬物を入れた事件を背景に膨らませた作品。
著者の直木賞受賞作『対岸の彼女』を彷彿とさせるような仲良しの2人の強いはずだった絆に微妙な影が射したのを感じた片方の女の子の動揺をきっかけに新聞記事にあるような事件の形へと突き進む過程を描いた「永遠の花園」


★妹の中学受験失敗を境に急激に関係性が崩れていく仲良し姉妹の、姉の心理を中心に描かれた「赤い筆箱」。
社交的な妹と内向的な姉の対比的な性格が陰湿&凄惨な事件へとつながっていく様子が徐々に壊れていく姉の心の闇の捉えがたい妄想の世界とともに虚実ない交ぜで描かれていて切なくも恐ろしい作品になっています。


★介護疲れで発作的に犯行に及んでしまった長男と認知症の母親のなるべくしてなった身動きのとれない介護生活を描いた「光の川」

認知症が悪化した母を独りで引き受けざるを得ず、勤務に支障をきたすほどの厳しい日常で退職を余儀なくされた長男の、生活保護などの社会保障も高齢者サービスも受けられない現実を通してどんどん精神的に追い詰められていく様子があまりにも切なく身につまされるあまり息苦しくなるような作品でした。




どの主人公もあるきっかけがなければ平凡な生を全うしてしかるべき人々、自ら招きいれた負の要因も含めてそれも運命の一環というしか解釈できないような落とし穴にはまって身動きできなくなる過程の描き方があまりにリアリティがあり巧みで脱帽してしまいます。


6篇の内容やラストはあまりにもおどろおどろしく切ないので積極的にはお勧めできない作品ですが、興味ある方はどうぞ!

生涯を法隆寺・薬師寺再建に捧げ、「法隆寺の鬼」と称された最後の宮大工棟梁・故・西岡常一さんをご存知でしょうか。371a0eee.jpg



師・西岡常一さんと唯一の内弟子・小川三夫さんによる『木のいのち 木のこころ』を読んで以来、その職人一筋の哲学的ともいえる清廉な生き方に深い感銘を受けて今日に至っています。


『木のいのち 木のこころ』のレビューはこちら



西岡常一さんが旅立たれて17年、亡くなる少し前のインタビューなどを中心にしたドキュメンタリー映画「鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言」を観ました。



自主映画として全国を移動することは知っていましたが、1週間の貸し出しを受けて岡山の小さなホールで上映が出来ることになったという僥倖に巡り合うことができました。


全国の上映情報はこちら


「千年のいのちを生きた木が、千年のいのちを建物に吹き込む」



宮大工における技術は言うに及ばず、単なる技術という領域をはるかに凌駕したものが西岡氏の言葉や節太い手を通して伝わってきて静かな感動に溢れました。



産業革命以降の追いつけ追い越せというスピードと量産を目指して利潤を追い求める現代に反する提言の数々は土と太陽と風に培われた木々の命の大切さなど、棟梁の口を通して伝えられる日本人の古来から培われた叡智のすばらしさに心が揺さぶられました。



久々に身の引き締まる映画でした。






さて本日は東野圭吾氏著『毒笑小説』のご紹介です。



前述の映画とはえらい落差のある作品でご紹介に若干の躊躇がありますが、ちょっと休憩ということでお許しください。




1995年にスタートした「笑小説」シリーズの第2弾という位置づけのユーモア小説集です。



このブログでも最新シリーズ『歪笑小説』のレビューをアップしていますのでよろしかったらどうぞ。



「塾にお稽古に家庭教師にと、VIPなみに忙しい孫。
何とかゆっくり会えないものかという祖父の訴えを聞いて、麻雀仲間の爺さんたちが“妙案”を思いつく…。
前代未聞の誘拐事件を扱った『誘拐天国』をはじめ、毒のある可笑しさに満ちた傑作が1ダース!
名作『怪笑小説』に引き続いて、ブラックなお笑いを極めた、会心の短篇集。
『笑い』追求の同志、京極夏彦との特別対談つき」



ナンセンスありブラックユーモアありSF風ありどたばた喜劇ありのバラエティに富んだ12編が収められた短編集。


その中に教育問題や環境問題、社会問題などを巧みに盛り込んだテクニックはさすが幅広い問題提供でベストセラー作家の地位を不動にしている著者の力量といえるでしょう。



★勉強漬けの孫の現状を憂う資産家の老人が金持ち仲間の老人たちと仕組んだ孫の誘拐と奇想天外な身代金受け渡し方法を描いた「誘拐天国」


★某テレビ番組のパロディと思しき鑑定ショーで扱われる驚きのブツの数々とそれに群がる好事家たちを描いた「本格推理関連グッズ鑑定ショー」


★妻を殺し警察に自首したにもかかわらず、公務員の悲しさでマニュアル通りにしか動けない警察官をブラックに風刺している「マニュアル警察」



他、様々なテイストの毒が効いたショートがてんこ盛り


そして興味深かったのが巻末の著者と京極夏彦氏との特別対談!


両氏によるユーモア小説の位置づけや執筆のまじめな苦労話を通して、改めてどんな種類にしろ笑いを作品に盛り込むことの難しさに感じ入りました。


興味ある方はどうぞ!

「コンプガチャ」という携帯ゲームに規制が入ったのを受けて提供側からの廃止が決まりましたね。d78a1625.jpg



1回数百円を使って「ガチャ」と呼ばれるくじを引くとゲームで使える絵柄入りカードが当り、組み合わせ絵柄を揃えるとより強力な武器など貴重なアイテムが手に入るという仕組みだそうです。


月に数十万円使う子どもが出てくるなどトラブルが相次いだのが規制へのきっかけだそう。



「カード合わせ商法」というのは古くは野球選手カード、次男が小学生の頃はビックリマンチョコ全盛期だったし、遡って私が子どもだった頃からあったと記憶します。



小学生の頃、今は亡き弟とガムについている絵柄を合わせたら外車がもらえる、という夢のような話に競って夢中になり、誕生日やクリスマスなどのプレゼントはすべてガムにしてもらい、お年玉はカートンでガムを買うという暴挙に出るバカな一時期がありました。



冷静に振り返ると当たるはずもなくよしんばスーパーカーが当たったとしても小学生がどうするの??という話、お金を溝に捨てるおバカな行為でしたが、子どもって簡単にそんなカード合わせに夢中になるんですよね。



高い授業料を払って残ったのは食べきれないガムの山と、車にまったく興味も知識もないのに、ランボルギーニ・カウンタックLP400やフェラーリ250SWBなど世界の名だたるスーパーカーの名前がいまだにスラスラ出てくること!



現在の私は宝くじもほとんど買いません。






さて本日は高杉良氏著『新・燃ゆるとき』をご紹介したいと思います。


本書は1990年にハードカバーで刊行された『燃ゆるとき』の続編に当たり、また2005年に角川文庫より刊行された『ザ エクセレント カンパニー 新・燃ゆるとき』を主要人物名を実名に替え改題したものです。


「東洋水産の米国法人は、長年の赤字から脱却して米大陸の即席麺のシェアでトップを達成。
経営スタイルがまったく異なる米国で文化摩擦に正面から取り組み、日本型経営を貫いた企業を描いた傑作経済小説」



創業者・森和夫が1953年に築地魚市場の片隅でわずか4人の従業員と起業したスタート時から商社の横暴、ライバル企業との特許抗争、米国進出時の苦難などを中心に書かれた『燃ゆるとき』以後、幾多の苦難を乗り越え、米国で即席めんトップシェアを目指して奮闘するUSAのトップ・深川清司以下部下たちの血みどろの熱き死闘の日々を描いて男性ならずとも深い感銘を与えられる作品になっています。



東洋水産の名には疎くとも武田鉄矢さんを起用した「赤いきつね」と「緑のたぬき」のCMを知らない人はいないだろうと思うほどマルちゃんブランドで有名になった東洋水産ですが、現在の大企業としての確立した地位を築くまでの「運命共同体」を経営理念にした経営者のぶれない情熱に呼応して従った社員たちのひたむきさもさることながら、それを長年にわたって追い続けた著者の取材力の確かさにも脱帽です。 



本書は子会社・マルチャンINCの社長・深川清司が当時まだ存命だった会長・森和夫の再三の求めで東洋水産の代表権のある会長職を受けることになった件を描いてペンを置いています。



余談ですが、その後昨年、創業者・森和夫が逝去してのち、東洋水産の人事はどのようになっているのかという興味で四季報を見てみると、今年深川が退き、社長を務めていた堤殷が深川の後任の会長職となっての安定経営が続いているようです。



ともあれ日本とアメリカのビジネスに対する認識の違いから派生する様々な苦難を克服する真摯な取り組みを通してアメリカ人ほか外国従業員の意識を徐々に変えていく様子を人間を中心に描いているところが本書の最大の見どころといえるでしょう。



マルチャンのアドバイザーになったウイリアムメリー大学の浜田とも子教授をして「マルチャンこそがエクセレント・カンパニーなんです。 資本力が大きいとか、会社の規模や知名度がどうとかではなく、いちばん底から叩き上げてきていまがあるマルチャンは、まさしくエクセレントだと思います」と言わしめた社員一丸となってのひたむきな努力には胸を打たれます。



もう1つ大変興味深かったのは本書後半で、堅実経営を誇る東洋水産が、米系大手証券日本支社が勧めたモーゲージローン(住宅ローン債権を中心とした譲渡可能証券)に60億円も投資し、48億円の損失をするという場面でした。

投資銀行のいかがわしさと2008年に起きたリーマンショックをそっくり先取りしたような描写に驚いたことを付け加えて終わります。

母の日に「わが母の記」を観にいきました。1192bd85.jpg



最近頓に小説の映像化が盛んに行われていますが独自の読後感が損なわれる気がしてほとんどスルーしていましたが、樹木希林さんに惹かれて。


夫はこんな映画は範疇にないし、認知症のお母さんに悩んでいる友人はあまりにも現実的で生々しそうなので観たくないと断られたので結局私ひとりで。



郊外型の商業施設に映画館が入っているので前後ブラブラお店を覗いていると、どの店頭にも母の日のプレゼントグッズが並んでいて、品定めしている人でごったがえしていました。


母が存命中は毎年、誕生日から始まって母の日、敬老の日と年3回のプレゼント選びが煩わしいと思ったことも再三ありましたが、もう買う必要もないんだと思うと選んでいる人々が羨ましくて切なくなりました。



いつも映像化作品については原作との比較で違和感やイメージの落差を感じて幻滅することも多く避けていましたが、原作と連動して考えることは間違いで全く別個のものとして味わうべきなんだと今回の映画を通して思いました。



井上靖氏は5歳のとき家族が台湾に行くなどの複雑な事情から家族と離れ遠縁のおばあさんに預けられ、中学まで親とは別々の生活をしていたという時代があります。



原作でも著者ご自身が何度か触れていますが、今回の映画ではその幼児期に親から見捨てられたという哀しみを消化できないまま現在に至った主人公と母との対峙で、昔返りした痴呆症の母親の昔語りを通して自分への母親の愛情を確認できたという感動物語に仕上がっていたところが2時間制限の映画ならではの作為に思えて違和感がありましたが、痴呆症の老人に挑んだ樹木希林さんの演技の上手さは見ごたえがありました。


ひとりの老人に束になって振り回される家族のありかたもさることながら老いることの大変さに胸が衝かれる映画でした。






さて本日は角田光代氏著『口紅のとき』のレビューです。


ひとりの女性の6歳から79歳までのある時を8つに分けて、その時々に関わる想い出を口紅に絡めて救い上げた連作短編集の合間合間に内容とリンクするような写真家・上田義彦氏の口紅に関連する写真が挿入されていて、メルヘンのような作品に仕上がっています。


「私は六歳だった。私の世界は好きなことときらいなことだけで成り立っていた。好きなこと。父のタカイタカイ。祖母のひざまくら・・・」という文をスタートに好きと嫌いという2つの世界に分類できないこととして、鏡台の前で真剣に口紅を塗る母親の姿を挙げた6歳。

12歳は亡くなった祖母に口紅を塗っている父の思い出。

旅立ちの18歳、初恋の相手に口紅をもらってつけた初めての経験。

口紅とともにあった恋愛と結婚、そして平凡で幸せな結婚生活を過ごした20代と30代。

17歳の娘に口紅をプレゼントした47歳。

病んで病室に横たわる夫のために口紅を塗った65歳。

施設で塗ってもらった口紅から思い出を馳せる79歳。


それぞれが物語ともいえない小さなエピソードですが、口紅という媒体を通してひとりの女の一生が浮かび上がってくる、そんな著者の手練が発揮された作品です。

気温の変動が激しい毎日ですね。1ed2e7ab.jpg


数日の夏日から一転して昨日は肌寒く、外に出ると薄い七分Tシャツ一枚では心もとなかったのですが、最近また再開した卓球を始めたらすぐに汗が流れるほどになりました。


一昨年末からの長い不調で細々と続けていたウオ―キングも中断、室内で自己流エクササイズは細々とやっているものの、いつも運動不足=代謝の悪さという単純な意識に苛まれ…メンバーの方々には申し訳ないのですが、球拾いは免除してもらうというワガママ振りで参加しています。



スポーツでかく汗はほんとうにいいですね。



メンバー全員が集まれば7名ですが、いつもフルメンバー集まることは少なく、昨日は6名で10分ずつ相手を回しながら、途中休憩10分2回を除いて正味1時間ほどラリーをしました。



会場はある総合スポーツ施設、フロアに15台ほどの卓球台があり曜日によってはほとんどの台が埋まるほどの盛況ですが、私たちを除いてほとんどはいろいろな卓球クラブのメンバーで技術はもちろん天と地の差ですが、まず気合の入れ方が半端ではありません。



眺めるともなく眺めていると私よりかなり年配と思しき女性の方の鍛えられた足の筋肉や面魂の見事なこと!


すばらしいフォームもさることながら軽いフットワークの縦横無尽の打ち込みの勇姿を見ているとこちらのダラダラムードが恥ずかしくなりますが、まあ人は人と割り切って…。



終わってメンバーの方々とランチをしっかり食べていたのでは肝心の代謝はいかに??と思いますが、少しでもやれることに感謝していい汗をかいています。





さて本日は第35回モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリ受賞作品で現在全国で公開されている映画の原作です。


井上靖氏著『わが母の記』


新聞紙上などで見るキャッチコピー「たとえ忘れてしまっても、きっと愛だけが残る」や樹木希林さんの老女姿の見事さに心惹かれて文庫を買いました。



本書は井上靖氏68歳のときに出版された作品、登場人物の名前などは仮名ですがほとんどが事実の自伝小説です。


構成的には80歳から89歳で亡くなるまでを分けた3部作となっています。



「80歳の母を祝う花見旅行を背景にその老いを綴る『花の下』、郷里に移り住んだ85歳の母の崩れてゆく日常を描いた『月の光』、89歳の母の死の前後を記す『雪の面』。
枯葉ほどの軽さのはかない肉体、毀れてしまった頭、過去を失い自己の存在を消してゆく老耄の母を直視し、愛情をこめて綴る『わが母の記』三部作。
〈老い〉に対峙し〈生〉の本質に迫る名篇」




昨年百歳で亡くなった私の母は最期の2週間ほどを除いて認知症とは縁のないクリアな思考を保っていましたが、それはそれで当人にとって自分の置かれている状況を正確に把握できるという苦しみがあり、傍で見ていていつも切なさでいっぱいになったものです。



認知症にも様々な症状があるというのは耳にしますが、本書に登場する母親は壊れたレコードのように同じことを日々訴え続けるという状況、毎日同じことを繰り返し繰り返し聞かされる家族にとっては疲労困憊の日々というのは想像できますが、無関係な人間からみるとまだ救われる認知症と言えるのではないでしょうか。



本書では徐々に幼児化して崩れ行く母親に対応する家族の悪戦苦闘ぶりが描かれていますが、母親を軸にした周囲の温かい愛情がうかがえる作品になっているところ、本書を執筆したのがその長男である男性・井上靖氏であり、やはり傍観者となりうる男性の、距離を置いた冷静な観察眼であろうと納得できるのでした。



今も昔も育児や介護は女の仕事、というのは男女共の意識の底にどっしりと胡坐をかいていてそこから抜け出せないものが両者にあるのも事実です。



作品全体を流れる傍観者的というか理性的な目を通しての介護の日常は差し迫った修羅というより幼児化してしまった母親に対する愛情に溢れていてそれはそれで胸を打ちますが、著者が直接介護に関係した娘などの女性陣であればまた違った雰囲気の作品になったのではないでしょうか。




とはいえひとりの人間の、本人としては預かり知らぬ死への険しい道のりの途上に寄り添った家族の愛と思いやりがひしひしと伝わって静かな感動を呼ぶ作品でした。



最後に現在の私が最も共感した著者の言葉をご紹介して終わりたいと思います。



「私はまた、生きていた父が死から私をかばう一つの役目をしていてくれたことに、父の死後気付いた。
父が生きている時は、私は父でさえまだ生きているのだからといった気持ちが心のどこかにあったことに依って、私は自分の死というものを考えたことはなかった。
ところが父に死なれてみると、死と自分との間がふいに風通しがよくなり、すっかり見通しがきいてきて、否応なしに死の海面の一部を望まないわけには行かなくなった。
次は自分の番だという気持ちになって来た」



昨年の母の死が私の周りの深い年長の縁者の最後の死だったという関係上、上述のように死と私の間の大きな砦が母の死によってなくなり、むき出しになったことによって「死」が身近に感じられるようになりました。


こうして人間は循環しているのでしょうね。

片付けの一環として昨日またまたBookOffに夫と私の本を持参しました。


今回は86冊、前回何冊か忘れましたが500円玉一個だったので期待していませんでしたが、どうしたことか今回は2850円(^_^)/


どういう見極め方で分類するのか??


ともあれ本棚が大分すっきりしました~。



帰りに図書館によって数冊借りました。



最近没頭できる本に出合わないので淡々と読み流ししていますが、本日ご紹介するのはどんなに読みたくてももう二度と読めないと思うと切なさの募る、そんな作品です。



ロバート・B・パーカー氏著『プロフェッショナル』



2010年初頭に突然死去された著者の不滅のスペンサー・シリーズ第37作。



本作を以って作品上のスペンサーに出会うことのなくなった最終刊となりました。



「歳の離れた裕福な夫を持つ、美しい4人の若妻たち。
彼女らはある男に誘惑されて関係を持ったが、やがてその男は夫や世間に浮気をばらされたくなければ大金を払えと要求してきた。
なんとかしてほしい、という4人の依頼を受け、その強請屋を追い始めたスペンサー。
しかし手を尽くして見つけた強請屋は悪びれることなく『趣味を仕事にしただけ』と語り、どこか一貫性のあるその生き方にスペンサーは意外な好感を抱く。
それでも粘り強く調査と交渉を続けたスペンサーの努力により、事態は収束に向かうかに思われた。
だがその矢先、4人の妻たちの夫のひとりが何者かに殺される事件が。
遺産を相続したその妻は思わぬ行動に出た。
彼女の無軌道なふるまいはさらなる混乱と破局を招き寄せていき・・・
流儀を持つ男たちは深い部分で心をかよい合わせるが、業深き女たちがそれを理解することは決してない。
スペンサー・シリーズで描かれつづけてきた男女の愛と行き違いを背景に、男の美学をほろ苦く謳いあげる注目作」



今回も犯罪と犯人の追及などというお定まりの図式とは大きく異なった次元での物語展開の魅力が発揮された作品。


作品に漂うゆったりとした自然体の筆致を通してこれが最後の作品になると予想だにしなかった著者の様子が想像できて逆に切なくなりました。




精神科医である恋人・スーザンとの余白のある哲学的ともいえる会話や人間的な愛の営み、相棒・ホークやクワークなど過去の作品に登場するキャストたちとの、直球好きな日本人ではこうはいかないだろうという変化球の数々を思わせる味のある会話がシリーズの読み処の妙味でもあります。



それに加えて著者ご自身の考え方の根幹であろうと思われること・・・人間を一元的に決めつけない、人間の多面性への探究心というか、それも良点を引き出すことを惜しまないスタンスが主人公・スペンサーの行動や会話を通してどこかしこに読み取れて温かい気持ちになれるんですよね。



探偵物語以外のプラスアルファを味わい方は是非どうぞ!

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