VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2012年06月

木の芽立ちもあっという間に過ぎ、今は梅雨。


「晴れの国」といわれている岡山もときどき雨、今日は空一面を灰色の厚い雲が覆う曇天、湿気を孕んだ風がゆったりと吹いています。



以前友人のところからもらって移植していた山椒がかなり大きくなったので1ヶ月ほど前柔らかい葉っぱを摘んで山椒の葉の佃煮を作りました。4fd9b5c0.jpg




それと平行して神戸の友人から山椒の実が大量に届いたので下拵えして小分けにパックし1年分用に備えました。



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山椒の実も葉も大好物で年中食べられるように毎年時期になると冷凍保存の作業をしています。


特に山椒の実はコンブを佃煮にするときや、煮魚といっしょに炊いたり、ちらし寿司に混ぜ込んだり、そのまま佃煮にしたりと大活躍、ごはんの大親友という感じ。



日本人でよかったと思える数多くの食べ物のうちの1つです。





さて本日は我が郷土が生んだ「イダイな」哲学者・土屋賢二氏著『教授の異常な弁解』のご紹介です。


「偉大な」と書くにはフロイトなどのようにまだ過去の歴史に名を刻まれていない現役・お茶ノ水大学教授なので敢えて失礼ながらカタカナ表記にしました^_^;


「本書は損得にこだわらない人にお薦めである。
買って損をしたと思うようなら、まだ自分は損得にこだわる人間だと反省し、より太っ腹を目指していただきたい―。
『過ちを潔く認めるべきか』『苦しまぎれのつじつま合わせ』『うやむやに終わらせる方法』などなど。
抜きんでた理屈力で冴えわたる教授の弁解術」


「週刊文春」2007年8月~2008年10月まで連載されたエッセイを2009年に単行本化したものが本書です。


改めてわがブログを検索してみると、何を血迷ったか過去に4作品ものツチヤ教授シリーズを取り上げていますので、よろしかったら読んでください。


汝みずからを笑えツチヤの軽はずみツチヤ学部長の弁明純粋ツチヤ批判


本書を改めてご紹介するまでもなく、これら過去ブログを読んでいただければツチヤ教授(すでに名誉教授となられたようです)の無理矢理な弁解こじつけ抱腹絶倒&ワールドを楽しんでいただけると思います。


全作品、同じパターンで妻や教え子、ひいては同僚の教授陣らから軽んじられるご自身の必死の弁明と自虐ネタで終始、その弁明や自己弁護を支える文章の回りくどさ、しつこさに毎回辟易しいい加減飽き飽きしながらもまた新しいエッセイを手に取るという繰り返し。


唯一教え子で花開いた、といってもツチヤ教授指導の哲学分野で才能を開花させたわけではなく独自の才能で世に出た紫門ふみ氏を必ず作品に登場させ、彼女の人気に乗っかるというセコいことを堂々とやりながらなぜか憎めないキュートな人柄が作品全体を彩っています。



曖昧な感想に単語を費やしても未読の方には作品の雰囲気が伝わらないと思いますので、少しだけご紹介して終わりたいと思います。



★「結婚後、妻に従順になってほしいと思ったわたしは、従順さを模倣させようとして、みずから従順な行動を繰り返したところ、妻は平気で命令するようになった。
おそらく妻は、『こいつは命令されたがっている』と勘違いしたのだろう。
模倣による教育には限界があり、みずから手本を示す『隗より初めよ』方式も成り立たないことがある。
教育の原理がすでに問題をはらんでいるのである」


★「学生がテレビの取材で『土屋先生はどんな先生ですか』と聞かれたとき、ただ一言、『キョドってる』と答えた・・・ぜひ教育する必要があると思って、この学生を問い詰めた。
『失礼じゃないか?(キョドってる)って、挙動不審という意味だろう?』
『そうですね。 わたしが間違ってました。 挙動不審というより、落ち着きがないとか、チョコマカしているとか言うべきでした』
『そんなことしかないか? もっと他に言うことがあるだろう』
『えっ、服装がヘンとか、ちゃんとしゃべれないと言ってもよかったんですか?』
『悪口しか浮かばないか? 外部の人は君の一言でわたしを判断するんだ。 ホメることはできないか?』
『ごめんなさい。 いくら探しても見つけられなくて。 わたしの力不足です』

「昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。
今日と明日は、突然並んでいるのでした。
だから明日の無い時もあるのです」


10日ほどまえ富山大学付属病院で脳死判定された6歳に満たない男の子の臓器移植のニュースに因んで書かれた朝日新聞・天声人語の中で紹介された永六輔さんの言葉です。

永さんはこの言葉を飛行機事故で突然亡くなられた坂本九さんの遺影に手向けたといいます。



本日ご紹介する作品にも心を打つ同様の言葉がありました。



中村仁一氏著『大往生したけりゃ医療とかかわるな』


今話題のベストセラー作品。


著者は長年老人医療に関わっていらっしゃる大ベテラン医師、主宰されている市民グループ「自分の死を考える集い」の活動を通してマスコミにも度々登場していらっしゃるのでご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。





「世の中は 今日より外はなかりけり
昨日は過ぎて 明日は知られず
今という 今こそ今が 大事なり
大事の今が 生涯の今」



氏の提言される「医療の鉄則」は次の二点に絞られます。

一、 死にゆく自然の過程を邪魔しない
二、 死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない


この二点を前提に、老人に対する過剰な検査、過剰な治療への問題点について細かく言及していらっしゃるのが本書の主な内容。


具体的には治療、あるいは人道的処置と称して行われる延命に向けての治療――中心静脈栄養、鼻チューブ栄養、そして現在話題になっている胃瘻、人工呼吸器装着、更には点滴など――に警告を鳴らしています。



がんやそれに付随する痛みなどに特定した医療に関して否定的であるのは大いに疑問の余地がありましたが、老人医療に関しては概ね共感できる内容でした。



この刺激的なタイトルに惑わされて購入された読者の方も多かったと思われますが、著者の大部分を占める主張を要約すれば、「高齢者に過剰な検査や延命治療は施すな」ということになると思います。



まさにサブタイトルの「自然死のすすめ」がいちばんフィットしますが、名うての幻冬舎の手にかかったらこのような挑発的なタイトルとなるんですよね。



ここに登場する「老人」を年齢を軸に特定・定義することは難しいですが、進化した医学を総結集して治療に当たっても延命という目的は達せられるもののQOLが改善する見込みがない患者を対象として過剰な医療を否定していることにはうなずけますが、高齢者といえども何も施さないことに対する患者の精神的苦痛にも目を向ける必要があるのではないかという疑問はありました。



昨年100歳の母を看取った経験から、本書に繰り返し書かれている「苦痛なく死を迎えられる老衰死」というのをそのまま間近に見た経験上よく理解できますが、苦痛のない自然死を迎えるまでの長い長い精神的な苦しみの期間を思うと、一言で「苦痛のない老衰死」と片付けられない問題が山積しているともいえます。



私の計算でいくと著者の示唆される安楽な老衰死を勝ち取ることのできる年齢はやはり95歳以上ではないかと思うと、それまでの険しい山坂をどう対処すればいいか。


いやはや今からため息が出ますが、当面できる今日という日を大切に過ごすことに全力投球したいと思います。

言葉で責められて責められて我慢の限界が臨界点に達して叫んだ「しつこい!もうやめて!」という自分の声にびっくりして夢から覚めました。523e1eb6.jpg



あんなに苦しくていやだったのに朝起きたらその内容は忘れていて、責めた相手が夫だということだけはしっかり覚えていました。


「そういえば夜中に寝言言ってなかった?」

「そうだ!思い出した。
『しつこい』って叫んだ直後にすぐ寝入っていたよ・・・
現実では可能性のない悔しさで大方痴漢にでも襲われた夢でも見ていたんじゃないか・・・
夜中に突然起こされて睡眠不足だよ」


日頃の抑圧がこうして夢に現れたのか・・・現実の私は夫に向かって「しつこい!」とは口が裂けても言えないもので



あの世からユングに戻ってきてもらって夢分析した結果をじっくり夫に報告してほしいものです。





さて今回は宮尾登美子氏著『義経』のレビューです。


「戦は彼の宿命。悲劇は彼の運命。ただ恋だけが彼を慰めた。宮尾歴史文学の傑作。
源氏と平氏と朝廷の確執に煽られて、一ノ谷から屋島、壇ノ浦、平泉へ。
自らがやがて伝説と化すことも知らぬままに戦を重ねて、短い人生を駆け抜けた義経。
生涯の全ての勝利が、非業の死を彩る虚しい供物にしかならなかった逆説ゆえに愛され、時を超えて絢爛たる光芒を放つ稀代のヒーローと、彼を慕った女たちの人生の流転を、哀感を滲ませた華麗な筆致で描き尽くす宮尾歴史文学の白眉」



2005年NHKテレビ大河ドラマ「義経」の原作とされる『宮尾本平家物語』の中の「義経」に光を当て、その生涯を著者の想像を通して迫った作品です。



過去に多くの義経記が出ているようですがどれも実像を浮き彫りにするには至らず、伝説の多さの割に未だに謎の多い人物といわれている義経。



本書は著者ご自身が丹念に調べ上げた史実と史実の隙間の曖昧な部分は著者の想像でつなぎ合わせ、「こうだったのではないでしょうか?」「こうだったように思いますがどうでしょうか?」と読者に問いかけながら空白の部分を埋めていくというユニークな構成。



私の知る限りでは宮尾作品では初めての試みだと思います。



著者ご自身が語り部に徹して丁寧語で読者に問いかける文体を通して女性としての著者の主人公に対するやわらかな目線が感じられる作品となっています。



「義経といえば無敵の英雄、と誰しも思い浮かべますが、甲冑を脱いだその下は、とてもさびしがりやの、人と人とのぬくもりを欲しがる一人の男だったのかも知れません」


兄弟の埋めようがない確執、というより頼朝の一方的な義経に対する恐れが義経の運命を決定してしまう様子が作品を通して描かれていて胸に迫ります。



著者は、義経の生涯は権謀術数こそ弄しなかったものの、終始一貫源氏のため、あるいは亡き父の恨みを晴らすためという義経に対する見解をラストまで貫いています。



節句の季節、高知をドライブしていたとき、一度ならず目にしたことがあるのぼり旗を高知出身の著者によると「フラフ」というそうです。


勇ましい武者絵が多かったと記憶していますが、牛若丸と弁慶の五条橋や八艘飛び、弓流し、那須与一の扇の的など義経を主題に描いたフラフが圧倒的に多いそうです。


今度高知でフラフを目にしたらじっくり味わってみるという楽しみが増えました。

先日目的地に向かってナビの指示に従って車を走らせていたとき。fc4b59ce.jpg



「300m先を右方向に、その先100mで左方向です」

「そんなバカな・・・さてはこいつ3年前に出来た道知らんな。 直進でいいはずだ」

ナビのお姉さんの優しい誘導を無視して直進する夫。


「500m先を右方向に、その先すぐを左方向です」とお姉さんは優しくしかし厳しくもう一度右方向に誘導しようとします。


「優しい割にしつこいやつやな」と無視して直進。


しばらく行くと、ナビのお姉さんはやっと新しい道路の存在に気づいたようです。


「そのまま1km道なりです」と今までの自分の無知を恥じて謝るでもなし、しれっと立ち直った声。


「自分のミスに気づいたのならひとまず素直に謝るべきじゃないの?」と私。


「まあ、かわいい子だから今回は許すわ」と夫。


こうして毎回ナビのお姉さんを許しながら運転する夫との他愛ない会話のお話。




さて本日は東海林さだお氏著『明るいクヨクヨ教』をご紹介します。



「早朝の築地で魚河岸を見学。
鹿児島でさつまあげに焼酎。
松茸フルコースの『松茸一本蒸し』のお味。
意外な食の宝庫、秋田でしょっつる鍋、きりたんぽなど郷土料理全品制覇に挑む。
サッカーはヘン!靴・ズボン・ベルトの哀れ。
南伸坊氏と巨顔礼賛対談。
赤瀬川氏と語る老人力の行きつく先。
最近乱れているフタたち」


東海林さだお氏の丸かじりシリーズとの出合いはガンで入院した夫の気晴らしにと姉が数冊持ってきてくれた10年ほど前。


ビジネス書とスパイ物と歴史物が分野だった夫がすぐさま嵌って平常生活に戻ってからも新刊が出たらずっと買っていましたが、いつの間にか飽きて購入もいつしかストップ。ae322d21.jpg



今回久しぶりに図書館で本書を見つけて借りて帰って念の為本棚を調べたところ隅っこにひっそりと・・ありました。


久方ぶりのショージ君、その小人ぶりも、重箱の隅を突くような姑息さも健在!


しかも丸かじりシリーズよりはるかにおもしろい!



    築地魚河岸見学ツアー  
    サッカーはヘンだぞ  
    行くぞ!さつま揚げツアー  
    服飾の哀れ  
    松茸山で松茸三昧  
    順序大研究  
    老人力講座 開祖・赤瀬川原平  
    秋田音頭を食べる  
    冬季オリンピック大批判  
    さよなら花魁ショー  
    寅さんの宿  
    大きい顔は、いい人だ。 日本巨顔学会会員・南伸坊  
    西瓜をめぐる冒険  
    五十八歳の告白  
    フタを叱る 
 

解説を担当されている玄侑宗久氏曰く

「本来、私の仕事はあまり笑わずにすることになっている。
お葬式を抱えていると笑わない、というのに、目の前には東海林さんの『明るいクヨクヨ教』がある。これはまるで拷問である」というほど。



特に私のお気に入りは「サッカーはヘンだぞ」と「服飾の哀れ」、「冬季オリンピック大批判」。

この3点は自信を持っておススメします!!


百聞は一見にしかずですが、ほんのサワリだけご紹介して終わりにします。


冬季オリンピックについてのショージ君の考察の一部。

◆ジャンプは冬季オリンピックの華ということになっている。
あんなものが華といえるか?
ジャンプの選手の全行程を、“人間の動作”という点にしぼって考えてみよう。
彼らはスタート時点では腰かけている。
すなわちしゃがんでいる。
そのままの姿勢でス-ッと滑り降りていき、途中で飛び上がる。
すなわち伸び上がる。
伸び上がった姿勢でしばらく空中を飛び、ヒザを折って着地する。
すなわちしゃがみこむ。
彼の動作を総括してみよう。
彼は“しゃがんで伸び上がった”だけなのである・・・
しゃがんで伸び上がるだけなら、コタツにあたっているおじいさんだってよくやっているではないか・・・
スポーツというより不精といったほうがいいかもしれない・・・。

唐突な入梅宣言という感じの日本列島ですが、昨日は当地でも終日雨。
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梅雨は持病に大敵と周囲からも気遣いの言葉をかけてくださいますが、長く続く体調不良を理由にずっと在宅して療養という選択はなしというスタンスで過ごすことにしている昨今。



一昨日は京大病院に入院中の義兄のお見舞いに京都に行ってきました。



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前立腺の治療のため入院していて無事退院間近の義兄を見舞ったあと錦市場に寄り道して、「千波」で昆布や葉山椒などの佃煮各種と「打田」で漬け物各種を買って新幹線でとんぼ帰り。



昨日は大先輩のブログ友・銭本さんの娘さん主催の「青馬窯」の生徒さんの作品展を拝見しがてら銭本さんのご縁でお知り合いになったご夫妻を含め3組の夫婦が銭本邸に集合しておしゃべりに花を咲かせました。da3271e0.jpg




肝心の銭本さんは風邪を引かれ声が出ない状態で楽しい会話に加われずとても残念でしたが、共にaround eightyとは思えないご夫妻の豊潤な生き方に学ぶことばかりでした。



今回ご一緒したもう一方のご夫妻は銭本さんと同じ全国紙の社会部で活躍されていた方で、その奥様に夫の油彩画のモデルをお願いしたというご縁、すてきなご夫妻で話も弾み、時間の経つのを忘れて楽しんだ一日でした。


縁は異なもの!



年代はそれぞれ違いますが、両ご夫妻とも退職後の生活はかくあるべしという理想の姿、夫との摩擦の回避の仕方などじっくりと学ばせていただきました~。





さて本日は森浩美氏著『小さな理由』のレビューです。


「離婚した妻が引き取り、もう15年以上も会っていない娘が、突然結婚の報告に来た……(「いちばん新しい思い出」)など、胸を打つ八編の物語。
15万部突破のベストセラー『家族の言い訳』、『こちらの事情』に連なる著者最新の家族愛短編集」


このブログでも『家族の言い訳』『こちらの事情』を著者の簡単な経歴と共にアップしていますので読んでくだされば嬉しいです。



本書に収録されている8篇の作品は過去のシリーズ短篇と同様、社会の片隅で懸命に生きる「家族」の物語となっていて、長からず短からずナイトキャップとしてはもってこいの量感。



まっすぐな気持ちで読めば感動てんこ盛りの物語となっていますが、なにせへそ曲がりな私には技巧的で安直な感動物語という感が毎回否めないというシリーズなんですよね。



ならば読まなければいいのですが、図書館で見つけるとつい手に取ってしまうのはやはりそれなりの魅力があるからでしょうか。



作詞家出身という著者の経歴から鑑みて、短い詩の数行に起承転結の感動を盛り込み泣き所を押えるテクニックに長けた才能が短篇でも発揮されているといえるでしょう。



読みっぱなしには最適なんですけど、余韻が後々まで残らないと感じるのは私だけでしょうか。


辛口コメントになってしまいましたが、気楽に読める一冊ではあります・・・と書きながら何ていやな自分!と呆れます。

先日、往復交通費&旅館一泊込みで8800円という激安バス旅行企画で兵庫県美方郡にある湯村温泉に仲間8人で行ってきました。


湯村温泉といえば吉永小百合さん主演の「夢千代日記」で有名になった舞台。1b554ea5.jpg
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古い映画ですが、胎内被爆した被爆二世の吉永演じる芸者・夢千代の物語で原作は脚本家の早坂暁さん。



温泉街を散策していると中心部である荒湯のそばに吉永小百合さんをモデルにした「夢千代の像」や、資料館とは名ばかりの夢千代関連の写真が飾られた「夢千代館」があったりと、温泉街は夢千代一色でした。



卵や野菜などを茹でたりできる町の細長い側溝にある98度の熱泉・荒湯で半熟ゆで卵を茹でたり足湯をしたりと楽しい散策。41af80e4.jpg




女性、男性と部屋別に別れて女性陣のおしゃべりは止め処もなく深夜3時にやっとお開きになったので、翌日の帰路は自分も含めバスで爆睡していました。


値段の割にとても充実した2日間、最近このような安価な旅企画が増えて嬉しいことです。





さて本日は上原隆氏著『こころが折れそうになったとき』をご紹介したいと思います。



「不況に震災が重なり、『苦難』に直面する人が増え続けている。
人生の様々な苦難に遭遇した人たちへのインタビューを続けてきた著者が考える、いまを生き抜くための「すべ」とは? 
先が見えない時代だからこそ、『私』を見つめ、『私から始める』ことの大切さを綴る、不思議な浸透力に満ちた一冊」



著者の他作品では『友がみな我よりえらく見える日は』『喜びは悲しみのあとに』をそれぞれアップしていますので、よろしかったら見てください。



こうして過去の著者の作品のタイトルを見ると、それぞれのネーミングが魅力的ですね。


私を含め、何だか心を捉えるネーミングに惹きつけられて手にされた読者の方も多いのではないでしょうか。



本書も含め過去の作品集は、著者が実際に出会ったり、あるいは本を通して出会った有名無名の人々の生き方・考え方を通して著者自身の人生観を再確認するというか人生について考察していくという形式で、「ノンフィクション・エッセイ」という分野だそうです。



本書でも実際に障害を持った子どもの世話に明け暮れた人生を送られた小説家・打海文三氏や、自身の哲学的考察を著した著書『自殺という生き方』を自ら証明するために自死という道を選ばれた哲学者・須原一秀氏についての文章がたいへん衝撃的でした。



前者の打海文三氏は本書の著者の「将来、自分が歳をとったときのことを考えたら、暗たんとした気持ちにならないですか」という質問に対し、「将来のことを考えては今日は生きられない」と答えていらっしゃいます。


障害者の子どもと人生を伴走していらっしゃる方の大半は自分亡き後の子どもの将来に暗澹たる不安を抱きながら今を大切に過ごすことを命題としていらっしゃることは想像に難くありません。



「将来のことを考えては生きていけない。
昨日の小さな喜びを今日につなげ、今日の喜びを明日につなげるようにして生きて、その先に将来はある」という言葉は、人より前へというスタンスを貫こうとすれば「明日」という未来でのより進歩した自分を目標に「今日」を必死に努力する姿が賛美される現社会において、刹那的とも解釈されますが、「今日」を「明日」の手段にする生き方―言い換えれば「今日」を「明日」より軽んじる生き方―を戒める言葉として私の胸に重く響きました。



「今日」という一日が最大の幸せな日になるよう大切に過ごしたいと思いました。

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