VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2012年10月

先日テレビのお笑い番組で元猿岩石の有吉クンが必ず1時間前には楽屋入りするという話題に、さすが売れっ子の時代が過ぎた後長く不遇時代を経験した苦労人!と感心して観ていたところ、早くに楽屋入りする理由の1つに極め付きの方向音痴であることを挙げていてとても親近感が湧きました(*^。^*) 


自分の恥を晒すようですけど、私は有吉クンの極め付きを二乗したほどと胸を張れるくらいの方向音痴で、おまけに地図が読めない女。


ついでに夫は話を聞けない男、こうして書いてみると大変いいコンビなんでしょうか^_^;


都会で生活していたときは必ず路線図片手に駅などの表示で何とか電車を乗り継いで目的地に到達できていましたが、デパートなどに入って別の出口から出ようものならもうお手上げ状態となったことも数限りなくあります。


地下鉄のない地方都市である当地でも夫が呆れるくらいに西も東もわからず、先日も新居の近くをプチ探検した帰り道、どう考えても迷う要素は皆無なのに迷子になりました。


怖くて夫に言えない失敗。


勘がいい夫に説明を求めると必ず東西南北を中心に説明するのでますます頭の中の糸が縺れてしまうんですよね。


「○○の建物を左に曲がってすぐの信号を右・・・」というふうに具体的に言ってほしいのに^_^;


親しい友人にも何人かそんな人がいて、そんな話をすると意気投合するのが唯一の救いです。


写真は迷子になる前に撮った近所の公園の風景。
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               いつの間にか秋が深まりました。

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さて本日は吉村昭氏著『帽子』をアップしたいと思います。



「癌に冒され死期が迫った妻、その妻を優しく励ます夫の切ない心情を描いた表題作。
かつて自らの家に住み込み、家事見習いをしていた女性と偶然に再会した壮年医師の心の内の揺れを描いた『買い物篭』など、人々の日常に垣間見える“非日常”の出来事を、鋭く描いた珠玉の九篇」


1978年に刊行された短篇集。


30年以上前ということでところどころに古色然とした時代の色合いは感じられるものの、社会の片隅で生活している市井の生活者の日常の中の普遍の真理というものが淡々として筆致で描かれていて、人間の本質というものはいつの時代も大して変わらないと納得させられる作品でした。



著者の文章の特徴は極力感情の吐露や無駄と思われる言葉の装飾を廃している点にありますが、本書もその例に漏れず、どの短篇の登場人物から発せられる言葉もかなり少なく、それでいて、というよりそれだからこそ心の動きがクリアに伝わってくるのかもしれません。



本書を通して感じたのが、20代、30代という設定の主人公の短篇でありながら著者の筆を通すとかなり老成した主人公の雰囲気になるのは、著者が若い頃結核で一度は生を諦めかけたという壮絶な病の経験があるからでしょうか。



こうしてみると幅広い年代層の主人公を描いていらっしゃるものの、いちばんしっくり心に入るのはやはり50代60代の男性という気がします。



表題作の「帽子」は癌に冒された妻を持つ男性が主人公ですが、読み進むうち、この男性が意外に若い設定なのに違和感を感じました。


逆にすんなり受け入れられたのは医者である主人公とその家に昔家事手伝いとして働いていた女性との話を描いた「買い物籠」と離婚を決めた夫婦が最後の食事をする「朝食」、どちらも50代前後の男性が主人公だからでしょうか。


久々の吉村作品でそんなことを感じました。

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その昔、学生時代に親しくさせていただいていた女の先輩の卒業&就職記念に手作りカレンダーを贈ったことがあります。


半端な文学少女だった私は自分が好きな中原中也や大手拓次の詩を1月~12月全月に散りばめたのを覚えています。


今思い出しても恥ずかしい押し付けカレンダー、できることなら取り返したいと気づいたのは大分時が経過してから。


中原中也の詩で覚えているのは『山羊の歌』の「汚れちまった悲しみに」くらいですけど、当時は深く吟味することなく感覚の趣くままに中也を勝手に解釈しての自分なりの底の浅い切なさや大手拓次の詩のなまめかしさに酔っていたのかもしれません。



若さゆえに許されていたことがいっぱいあった赤面の日々。


こんな私が大人になって若者のことをとやかくいう資格なんてないような気がします。


その先輩も今では5人のお孫さんの肝っ玉おばあちゃん!

一緒に尾瀬を旅行したのがつい先ごろのような鮮明さで思い出されます。



汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる

汚れちまった悲しみは たとへば狐の革衣
汚れちまった悲しみは 小雪のかかってちぢこまる

汚れちまった悲しみは なにのぞむなくねがふなく
汚れちまった悲しみは 懈怠のうちに死を夢む

汚れちまった悲しみに いたいたしくも怖気づき
汚れちまった悲しみに なすところもなく日は暮れる
 (中原中也「汚れちまった悲しみに」」




にほひ袋をかくしてゐるやうな春の憂鬱よ、
なぜそんなに わたしのせなかをたたくのか、
うすむらさきのヒヤシンスのなかにひそむ憂鬱よ、
なぜそんなに わたしの胸をかきむしるのか、
ああ、あの好きなともだちはわたしにそむかうとしてゐるではないか、
たんぽぽの穂のやうにみだれてくる春の憂鬱よ、
象牙のやうな手でしなをつくるやはらかな春の憂鬱よ、
わたしはくびをかしげて、おまへのするままにまかせてゐる。
つめたい春の憂鬱よ、
なめらかに芽生えのうへをそよいでは消えてゆく
かなしいかなしいおとづれ。
(大手拓次「つめたい春の憂鬱」)




汚れた悲しみや本物の憂鬱も知らなかったあの頃にもう一度戻りたいとは思わないし今でも理解しているか怪しいものですが、ただ懐かしいと思うこの頃です。



このように青春の真っ只中、中也の詩に耽溺していた若者は多かったと思いますが、これからご紹介する作品の著者も若かりし頃影響を受けた文学者として小林秀雄、中原中也などを挙げていらっしゃいます。



多田富雄氏著『生命の木の下で』



「僕は絶望はしていません。長い闇のむこうに何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっている。予言です」

2年半前逝去された多田先生が旅立たれる前、NHKのインタビューでコンピュータ音声を通して語っていらっしゃった言葉です。


1971年に世界の免疫学界に大きな影響を与えた免疫反応を抑制するサプレッサーT細胞(抑制T細胞)を発見し、野口英世記念医学賞、朝日賞、エミール・フォン・ベーリング賞など受賞された偉大な功績を持たれている医学界の重鎮ですが、医学に興味のない方でも2001年に講演先の金沢で重篤な脳梗塞で倒れられてからの氏の驚異の活躍に感嘆された方は多いと思います。

(余談ながら現在ではその画期的な発見であるサプレッサーT細胞の存在には疑問符がつけられているようですけど)



脳梗塞の結果声を失い、右半身不随という重い後遺症と闘いながら、リハビリの日数制限を180日限りとした国の医療制度の改正と果敢に闘われたことは新聞等でご存知だと思います。



不自由な体で2007年には病を得てからの日々を『寡黙なる巨人』というエッセイに記されたり、趣味の域をはるかに超えた能の脚本を書かれたり、その活躍ぶりは驚嘆に値するものでした。



私自身、持病の治療中に医師に紹介された『免疫の意味論』を通して多田富雄氏の名前や免疫の仕組みを知ってその神秘的な働きに興味を持ったのが今から8年ほど前のことです。




その多田氏の発病前~発病直後にかけてのエッセイが今日ご紹介する作品。



「人類発祥の地、アフリカが出会った原始的神話を今に伝える民族、タイで訪れた麻薬療養所の壮絶な日々、小林秀雄、中原中也など影響を受けた文学者たちへの想い、そして日本の行く先まで―。
移り行く日々の中で、知の巨人が残す日本へのメッセージ。
世界的な免疫学者であり、当代随一のエッセイストが病に倒れる以前に綴った珠玉の随筆集」


本書の構成は次の通りです。

第一章 「生命の木の下で」
第二章 「日付けのない日記」
第三章 「青春の文学者たち」



第一章はアフリカ・ドゴンとタイのゴールデン・トライアングルへの旅行記になっていますが、
人類発祥の地であるアフリカの奥地の原始的神話の世界を今も再現するドゴン族に会うためひたすら過酷な旅に立ち向かったり、タイ北部にある麻薬の三角地帯の麻薬療養所・メーコック・ファームの実態を見学したりの苦難あふれる旅行記。


こうした行動に駆り立てる著者の情熱の源を探れば、極限のところで生きている人間に対する探究心とでも表現できるのでしょうか。



それはさておきその旅行記の過酷さや特異さを超えて文章のすばらしさ、自然描写の巧みさに感嘆しました。


第三章で著されているように青春時代の文学に淫していた著者ならではの筆致の見事さ、それも自然体での表現が心に沁みるようでした。



第一章と比べて第二章、第三章は日常を綴ったごく短い文章ですが、身近な周辺の出来事や仲間たちのこと、食べ物の話などちょっとしたユーモアを交えて描かれていてほっと一息入れられる内容になっています。



最後に刺激を受けた第一章の内容について少し。


ゴールデン・トライアングルで麻薬中毒に侵された山岳民族の村人たちを治療するメーコック・ファームの創始者である一人の小学校の先生と日本の若者を代表とする協力者たちの日々の苦難に立ち向かう姿を見た氏の自問自答。


「なぜピパットさんとその協力者が、こんな困難な仕事を続けることができるのか。
なぜ、異国の若者が、こんな仕事に打ち込むことができるのか」

その答えは「麻薬に犯された山岳民族の治療を行い、彼らが徐々に生命を快復してゆくことに参加することで、ピパットさんたち自身の生命も回復しているのだ。
私たち先進国の人間も、実は限りなく傷つき、自力では回復できないほど病んでいたのである。彼らが癒えることは、私たちも癒えることである」


他者を癒すことは自己を癒す

ボランティアの真髄を突いた言葉のような気がします。


是非どうぞ!

岡山県の南に位置する人口4万人弱の瀬戸内市が所有する元塩田跡地で世界最大規模の大規模太陽光発電所(メガソーラー)計画がスタートしました。


総発電能力25万キロワットの発電設備を設置し、2016年4月から稼動するという計画だそうです。



異色の経歴を持つ43歳武久顕也・瀬戸内市長と44歳桑原真琴副市長の若き2人のリーダーの熱心な誘致に日本IBMやNTT西日本、東洋エンジニアリングなど7社が名乗りを上げました。



総事業費650億円以上という莫大な費用は、発電事業を証券化して市民を優先とした投資家などに売却するなどで調達することを検討しているそうです。



今年7月1日から太陽光や風力など再生可能エネルギーで作った電気を固定価格で全量買い取る制度が始まり、メガソーラー事業で収益を確保しやすくなったことで安定収入を得やすいことがこの事業の強力な後押しとなったということです。



東京ディズニーランドの10個分という約500ヘクタールの広大な跡地に太陽電池パネル100万枚が敷き詰められたのを想像すると夢が広がりますね。



ちなみにこれは原子力発電所1基分の数割の発電容量に当たり、市内全世帯の電力を賄って余りある規模だそうです。



電気の固定価格買取制度のスタートで京都市、群馬県、新潟県、福岡県など日本全国でメガソーラーが始動を始めていますが、動機はすばらしいものの買取価格が1時間・1KWあたり42円(現在の電力会社のコストは約10円)という高額の魅力に押されての短兵急な始動とも見られることに電気料金の値上げなど将来的な不安がなければ日本の電気事情の希望の光として大いに応援したいと思っています。





さて本日は伊集院静氏著『大人の流儀』です。



「苦難に立ち向かわなければならないとき。
人に優しくありたいと思ったとき。
どうしようもない力に押し潰されたとき。
自分のふがいなさが嫌になったとき。
大切な人を失ってしまったとき。
とてつもない悲しみに包まれたとき。

こんなとき、大人ならどう考え、どう振る舞うのだろう。
『本物の大人』になりたいあなたに捧げる、この一冊」



初出は2009年~2011年にかけて、「週刊現代」に連載されたエッセイを1冊にしたものです。


春夏秋冬という4つの季節毎にまとめるという構成。



手持ち無沙汰の合間に読み流すには適当という程度のエッセイ集というのが正直な感想。



著者の意図か、売らんとする出版社の作為か、「大人の流儀」というタイトルがあまりに大上段な感あり^_^;



好き嫌いは別として確かに才能豊かな魅力ある方であるというのはその通りでしょうが、2番目の奥様である夏目雅子さんの幻影を求めて手に取った方も多いのではないでしょうか。



「大人…」と銘打っているからにはという一般常識を問う話題も少なからずありますが、著者を語るとき切っても切れないギャンブルと酒の日々が語られているなか、唯一の出色は最後の「愛する人との別れ~妻・夏目雅子と暮らした日々」、ここに書かれている夏目雅子さんがあまりにもひたむきで胸を打ちました。


以前このブログでご紹介した『なぎさホテル』でも夏目雅子さんと結ばれる過程が簡素に書かれていましたが、本書では厳しい闘病生活のあとの別れまでが描かれていて切なさが身に沁みる内容でした。

引越しの前後、旧宅の掃除や新居の荷解きをしてくれた友人たち4人に感謝の意を込めてささやかな自宅ランチに来てもらいました。

主婦歴が長い割には巧みな家事捌きは苦手ですが、その中でも細々とそして大雑把ながら苦にならない程度にやっているのが料理なので、代わり映えしないレパートリーながら12品ほど作りました。
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お昼12時前から集まってお開きになったのが19時前。


その間おしゃべりの合間に料理をつまんだり、お茶を飲んだり、楽しい時間があっという間に過ぎてあたりが暗くなってしまいました。


その後あっという間に長年の主婦の底力で後片付けをすべてしてくださり感謝!


ご主人持ちの4人、帰宅後険悪なバトルが展開してなかったらいいのですが^_^;






さて今回は高野和明氏著『ジェノサイド』のレビューです。



SNS友のUNIさんのレビューを拝見してぜひとも読んでみたいと思っていた作品。



著者の作品としては第47回江戸川乱歩賞受賞作『13階段』がとても面白かったので期待を込めて次作『グレイヴ ディガー』を読みましたが、いまひとつという読後感が災いして『ジェノサイド』の評判を横目で見ながらスルーしていたのでした。



今改めてググッてみるとこのブログにアップしていたのは後者の『グレイヴ ディガー』のみ、よかったら著者の簡単な経歴を書いていますので読んでみてください。 



さて本書は第145回直木賞候補、第2回山田風太郎賞受賞、『このミステリーがすごい!』1位、『2012年本屋大賞』2位というすばらしい快挙。



ちなみに候補になった第145回直木賞は池井戸潤氏著『下町ロケット』が見事受賞されました。




「急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。
同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。
暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、『人類全体に奉仕する仕事』ということだけだった。
イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…」




ちなみに本書は高野和明氏20歳の時に構想を練り、執筆に取り掛かるもあまりに荒唐無稽ともいえる壮大さに途中断念、その後コツコツと骨子を肉付けし遡ること8年前に再執筆をスタートして8年がかりで構築したという著者の思い入れの深い作品だそうです。



いきなりUSのホワイトハウスを舞台に物語がスタートして度肝を抜かれますが、アメリカ合衆国、アフリカ中部のコンゴ、そして日本という地理的にも離れた3つの場所を舞台にそれぞれの登場人物がそれぞれの思惑をかけてめまぐるしく活動し、いつの間にか四方に飛び散ったかに見える三つ巴の戦いが破綻もせずうまく収拾されてラストを迎えたのはひとえに著者の構想の緻密さに負うところが大きいといえるのではないでしょうか。



よくもまあ、こんなスケールの大きな物語を考えたものだ、というのが正直な感想。



まるでハリウッド映画の超大作を観ているよう。



元々映画監督志望の著者、岡本喜八監督の門下生にもなっていたという経歴もさることながら、日本の大学を中退後渡米してアメリカの大学で学びながら映像会社で働きながら映像のノウハウを学んだという経歴がかなり影響しているような作品でした。




600頁弱という読み応えのある太さにたじろぐ読者の方もいらっしゃると思いますが、読み始めると止まらないスピード感と各所に散りばめられた著者の各方面への緻密な取材を通しての知識の数々にのめり込んでしまうこと必至です。



が一方、その場その場で説明的に披露される、例えば創薬のための化学用語やアメリカ合衆国から派遣される傭兵たちの任務などの説明、飛行機の操縦方法などなどストーリー展開での臨場感を盛り上げるという効果はあるもののあまりの難解さに理解の枠を超えて、果たしてこれらの知識披露が必須アイテムかという疑問も抱きました。



タイトルの『ジェノサイド』は、1つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為を指していますが、ナチスのユダヤ人虐殺のあと、アフリカ・ルワンダの虐殺で一気に広まった感のある言葉。




本書での「ジェノサイド」は何を指しているのか。



進化を繰り返した結果の現生人類である地球上の人間が内乱が続く貧しいコンゴ共和国のジャングルに暮らすピグミー族の一村落でピグミー夫婦の間から偶然突然変異で生まれた超人類ともいうべき幼子を現生人類に対する脅威と受け取り、萌芽のうちにピグミー 集落もろとも抹殺するという行為そのものが「ジェノサイド」でしょうか。



自分自身も淘汰を繰り返して誕生、存続している現生人類ですが、絶対的な存在として 己の種を守るために突然変異の異分子を抹殺することを正義とするエゴのすさまじさを浮き彫りにしたという手腕において著者の筆力には目を瞠るものがありました。

作家の丸谷才一氏が亡くなられましたね。


評論や随筆、翻訳など幅広く活躍され文壇でも重鎮として多くの若手作家さんたちに尊敬されていた方でした。



氏の随筆や評論は様々な場で目にする機会がありましたが、小説としての作品で読んだのは『女ざかり』だけという貧しい読者でした。



何しろ阿川弘之氏などと同じく独特の旧仮名遣いを通された方だったので知識の貧しい私はそれ故に敬遠していました。



亡くなられてから、というわけでもありませんが、各方面の追悼の辞を拝見して改めてじっくり読んでみたいと思っています。



「文学者の生涯は、最初から余生を生きているようなもの」という言葉はずっしりと胸に響いてきますが、果たして現代の作家さんでどのくらいの方が余生を生きるような薄氷の上で筆を運んでいらっしゃるのでしょうか。



「書くこと」は「命を削ること」と表現された作家さんがいらっしゃいましたが、たまさか命を削ったような作品に出合うと、人生途上でそのような作品に巡り合えた僥倖を心から感謝します。




これからもそんな作品に会えますように!






本日は義家弘介氏著『ヤンキー母校に生きる』をご紹介します。 


「全国から中退・不登校児を受け入れている北星余市高校に、元ツッパリの卒業生が教師として戻ってきた!
『真剣で純粋な思い』が集まるとき、固く閉ざされていた門は開かれていく…。 
熱血教師の初担任奮戦記」


不登校やいじめ、そして自ら学校という軌道から外れて彷徨う日本全国からの中退者を1988年より積極的に受け入れてきた北海道の北星学園余市高等学校。



その第一期生である「ヤンキー先生」こと義家弘介氏が母校に社会科の教師として赴任してから最初の担任クラスの卒業生を送り出すまでの4年間の怒涛のような奮闘の記録が本書です。



「私は罪人である。
これまでたくさんのものに裁かれながら生きてきた。
しかしそれは過ちに対する当然の報いを受けたに過ぎない。
犯してしまった罪は、たとえ裁かれようとも、本当の意味で償うことなど決してできないのだ。
だから私はここにいる。
罪深き私でも、自分の全てをかけて恩返しすることくらいなら、きっとできるから」



「私は単純で不器用な教師である。
だから生徒たちとはいつも、まっ正面から向き合っている。
技術がないのもあるが、それは私の信念でもある・・・
私が生徒たちに投げる『思い』とか『情熱』という名の直球は、生徒を『打ち取る』ためのものなどでは決してない。
私が生徒たちに投げる『思い』とか『情熱』という名の直球は、生徒に『届けたい』気持ちに他ならない・・・
私は幼い頃、大人たちの投げる『変化球』にいつも傷つきながら生きてきた。
変幻自在に私の心の内側に入りこみ、そして『大人の理屈』で説き伏せる。
そんな繰り返しの中で、私は大人たちに対して完全に心を閉ざしてしまった・・・
私は心ある大人たちの直球によって救われた。
何万回も、何十万回も、淡々と届けられ続けた直球だけが、心を閉ざした私の中に、温もりや勇気を与えてくれた」



本書を読むと著者の技巧も何もない拙いほどの生徒たちへの直球勝負の日々に胸を打たれます。




ご存知の方も多いと思いますが、著者はその後政治家への転身をはかり、現在自民党参議院議員として活躍していらっしゃいます。



「赤旗」など共産系の媒体に寄稿したこともあるという教員時代の著者が参議院議員として当選した直後安倍政権の求めで教育再生会議の委員に就任されたことでその変節に対し批判を浴びたことでも有名です。



それらの経緯や現在の活動については不案内な私に意見はありませんが、教員在任中の生徒たちへの真摯&熱き発露からの思いは本書を通してしっかりと伝わってきました。



本書の舞台となった北星学園余市高等学校は日本で初の試みとして全国の高校中退者に門戸を開き、途中存続を脅かすような数々の険しい道のりを経て現在も高校中退者が約40%、不登校が約60%という生徒を受け入れ、寮などで共同生活を送っています。



特異な経歴の著者が脚光を浴びはしましたが、それ以外の教師たちの日夜の区別ないひたむきな生徒たちへの情熱がこの学校を支えていることを付け加えて終わります。


是非一読を!

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新しい住まいの目玉は夫の趣味の部屋の完成・・・というと大げさですけど今まで押入れの奥で埋もれていたレコードが毎日聴ける環境が整ったこと。




処分しようと思っていた矢先、帰省していた娘たちがBOSEとレコードプレイヤーを繋いでBOSEのスピーカーを通してLPを聴けるようにしてくれました。







写真はシステマティックに整った夫の部屋。

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TVボードの一番右の中にあるBOSEからコードを引いて左上のレコードプレイヤーと接続しています。




というわけで夫が在宅しているときはBOSEでCDを聴いたり古いレコードを聴いたり、今まで以上に音楽三昧の日々。



私も聴きたいなと思う音楽があるんですけどけっこうな音量でかけているので別の部屋に行って密かにiPadのYouTubeに溜めたお気に入りを聴きながら好きなことをするのが今のところ至福の時間。



iPadは小回りが利くので料理のヒントが浮かばないとき食材を前にキッチンでクックパッドを検索したりけっこう利用価値があって、先般17000円で購入した私専用の中古ノートパソコンは万全の環境が整ったのに使用回数が極端に少なくなっています。



あまりネット埋没しないように自制しなければ!





さて本日は今野敏氏著『スクープ』をご紹介します。



「TBNテレビ報道局社会部の布施京一は、看板番組『ニュース・イレブン』所属の遊軍記者。
素行に問題はあるものの、独自の取材で数々のスクープをものにしている。
時には生命の危険にもさらされるが、頼りになるのは取材ソースのひとりでもある警視庁捜査一課黒田裕介刑事の存在だ。
きらびやかな都会の夜、その闇に蠢く欲望と策謀を抉り出す」



本書はTV報道部のスクープ記者・布施を主人公の短篇が7話収録されています。



ここでも著者による主人公のイメージ構築という努力が見られる作品になっていますが、さまざまなシリーズを通しての登場人物の造形がすんなりと受け入れられるのは『隠匿捜査』シリーズの主人公だけといったら言い過ぎでしょうか。




どのシリーズも人物造形にかなりの筆力をかけて繰り返し表現するのが著者の特徴ですが、最近は違和感を覚えてしまいます。



人物描写は作品の中での会話や行動で自然に構築、それらを通して読者に伝わるというのが自然な形であるような・・・。




とはいえ本書の主人公はかなり際立った特徴を見せています。



危なっかしい裏社会のネタを拾う記者という設定の中で、決して周囲にしゃかりきなスクープ奪取という姿勢を見せない彼を中心に事件がざっくり解決するという構成。



かなり古い作品のようですが、まるでドラマの原作を読んでいるような感があります。



一話ずつのショートストーリーとなっていますので、実生活では知りえない大都会の裏窓を覗けるという特典つきでのお気楽読書には最適です。

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