今年も季節モノの到来!
知人から届いた渋柿を吊るしていたのがちょうど食べごろとなりました。

まずは薄くスライスしてクリームチーズをのっけてみたところワインにぴったりの酒肴となりました(*^。^*)
残りは1つずつラップに包んで冷凍、これでお正月まで持ちそう。
それから夫の郷里・舞鶴から「セコガニ」が届きました!

いわずとしれたズワイガニの雌のこと、地域により、せこがに(勢子蟹)、こうばこ(香箱)、こっぺがに、せいこなどとも呼ばれていて、雄のズワイガニに比べ大きさや甲羅のサイズはすごく小さく見劣りしますが、このおいしさは雄のズワイガニをかなり上回ると思っています。
ことしのかにの解禁日は11月6日でしたが、この親蟹は解禁日は雄と同じながら資源保護の目的で解禁期間が雄に比べたいへん短くなっています。
なので水揚げされるのは約2ヶ月間のみ。
最近はここ岡山の魚屋さんでもときどき見かけますが、未試の方、見かけたら一度召し上がってみてくださいね。
さて本日はパトリシア・ハイスミス氏著『11の物語』をご紹介したいと思います。
「たまたま台所にあったボウルに入っていた食用かたつむりを目にしたのがきっかけだった。
彼らの優雅かつなまめかしい振る舞いに魅せられたノッパート氏は、書斎でかたつむり飼育に励む。妻や友人たちの不評をよそに、かたつむりたちは次々と産卵し、その数を増やしてゆくが…
中年男の風変わりな趣味を描いた『かたつむり観察者』をはじめ、著者のデビュー作である『ヒロイン』など、忘れることを許されぬ物語11篇を収録」
パトリシア・ハイスミスの名前を知らない方でもルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」、そしてヒッチコック監督の「見知らぬ乗客」を観られた方は多いのではないでしょうか。
日本での翻訳には恵まれず「映画の原作作家」というイメージだったのが1990年代に河出文庫や扶桑社ミステリー文庫から未訳本が多数刊行されています。
「第三の男」の著者として名高いイギリスの作家・グレアム・グリーンはハイスミスの作風を称して英雄的な主人公や合理的な展開とは異なる不合理な展開や不安感がハイスミス作品の特徴である、と挙げていらっしゃいます。(以上Wikiより引用)
私自身は学生時代、授業の一環として短篇の一部を読んだことがある程度、上記の映画2作品の原作以外はほぼ未読です。
今回懐かしさに手に取った短編集、最近長い物語が読めないのでナイトキャップにいいかなと読み始めたところ・・・ナイトキャップどころか、のっけから不条理な気持ち悪さ、というか書き表しにくいいやな感覚にまとわりつかれて・・・やめればいいものを、それでも最後まで読了。
11の短篇はどれも不気味というか、普段は日常の活動に隠れて心の奥底に沈殿している人間の存在そのものへの不安を駆り立てるような作品の集まりというのが正直な印象。
特に「かたつむり観察者」と「クレイヴァリンク教授の新発見」はどちらもかたつむりを主題の物語ですが、あまりにもかたつむりの生態に迫っていて、これが何とも気持ち悪い作品、読後はかたつむりの通ったあとのぬめぬめした感触が体から消えないほど。
「ならばなんでギブアップしないの?」と言われること必至ですが、一応このブログに書くために^_^;
ハイスミスの作品傾向を自分なりに分析してみると・・・
平凡な日常が永遠に続くと思われていることが幻で、ちょっとした現実的な介在や変化を望む心のすきまに入り込んだ非日常に今まで営々と続いていた日常が脅かされることが人生において多々あるということを喚起してくれる作品ということになるでしょうか。
何だか無理矢理のこじつけですが
知人から届いた渋柿を吊るしていたのがちょうど食べごろとなりました。

まずは薄くスライスしてクリームチーズをのっけてみたところワインにぴったりの酒肴となりました(*^。^*)
残りは1つずつラップに包んで冷凍、これでお正月まで持ちそう。
それから夫の郷里・舞鶴から「セコガニ」が届きました!

いわずとしれたズワイガニの雌のこと、地域により、せこがに(勢子蟹)、こうばこ(香箱)、こっぺがに、せいこなどとも呼ばれていて、雄のズワイガニに比べ大きさや甲羅のサイズはすごく小さく見劣りしますが、このおいしさは雄のズワイガニをかなり上回ると思っています。
ことしのかにの解禁日は11月6日でしたが、この親蟹は解禁日は雄と同じながら資源保護の目的で解禁期間が雄に比べたいへん短くなっています。
なので水揚げされるのは約2ヶ月間のみ。
最近はここ岡山の魚屋さんでもときどき見かけますが、未試の方、見かけたら一度召し上がってみてくださいね。

「たまたま台所にあったボウルに入っていた食用かたつむりを目にしたのがきっかけだった。
彼らの優雅かつなまめかしい振る舞いに魅せられたノッパート氏は、書斎でかたつむり飼育に励む。妻や友人たちの不評をよそに、かたつむりたちは次々と産卵し、その数を増やしてゆくが…
中年男の風変わりな趣味を描いた『かたつむり観察者』をはじめ、著者のデビュー作である『ヒロイン』など、忘れることを許されぬ物語11篇を収録」
パトリシア・ハイスミスの名前を知らない方でもルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」、そしてヒッチコック監督の「見知らぬ乗客」を観られた方は多いのではないでしょうか。
日本での翻訳には恵まれず「映画の原作作家」というイメージだったのが1990年代に河出文庫や扶桑社ミステリー文庫から未訳本が多数刊行されています。
「第三の男」の著者として名高いイギリスの作家・グレアム・グリーンはハイスミスの作風を称して英雄的な主人公や合理的な展開とは異なる不合理な展開や不安感がハイスミス作品の特徴である、と挙げていらっしゃいます。(以上Wikiより引用)
私自身は学生時代、授業の一環として短篇の一部を読んだことがある程度、上記の映画2作品の原作以外はほぼ未読です。
今回懐かしさに手に取った短編集、最近長い物語が読めないのでナイトキャップにいいかなと読み始めたところ・・・ナイトキャップどころか、のっけから不条理な気持ち悪さ、というか書き表しにくいいやな感覚にまとわりつかれて・・・やめればいいものを、それでも最後まで読了。
11の短篇はどれも不気味というか、普段は日常の活動に隠れて心の奥底に沈殿している人間の存在そのものへの不安を駆り立てるような作品の集まりというのが正直な印象。
特に「かたつむり観察者」と「クレイヴァリンク教授の新発見」はどちらもかたつむりを主題の物語ですが、あまりにもかたつむりの生態に迫っていて、これが何とも気持ち悪い作品、読後はかたつむりの通ったあとのぬめぬめした感触が体から消えないほど。
「ならばなんでギブアップしないの?」と言われること必至ですが、一応このブログに書くために^_^;
ハイスミスの作品傾向を自分なりに分析してみると・・・
平凡な日常が永遠に続くと思われていることが幻で、ちょっとした現実的な介在や変化を望む心のすきまに入り込んだ非日常に今まで営々と続いていた日常が脅かされることが人生において多々あるということを喚起してくれる作品ということになるでしょうか。
何だか無理矢理のこじつけですが
