
朝のニュースで各地の高速道路の渋滞の様子が映し出されていましたが、他人事のように眺める夫と私。
ザ・日本企業のティピカルサラリーマンだった夫が現役の頃は世間が大移動するお盆やお正月にしか休めず、ゴールデンウィークといえども間に出勤日があると動けず…という律義さで今の多様化した勤務形態など考えもつかないという感じでした。
我が家の子どもたちの中でやや夫の系統を継いでいるのは同じく日本企業のサラリーマンの長男だけ。
外資系の会社員である長女の勤務形態に今は慣れましたが、スタートした当初は驚きの連続でした。
折に読む高杉良氏の企業小説に外資の実態が多少デフォルメされて描かれていますが、徹底した能力主義というか成果が出てなんぼの世界、いつ首が飛んでもおかしくないというシビアさを長女を通していつも垣間見ています。
そして次男の勤務状況はというと、平日はいつも深夜帰り、土日も不定期に出勤、その代わり何ヶ月か毎に数日の休暇が取れたら取るという傍から見たら猛烈そのもの、独身だからできるのかもしれませんけど健康面を考えるとハラハラします。
夫の時代は終身雇用制が生きていただけに現代のサラリーマンより会社に対して純情が通用した時代だったような気がします。
中学校の卒業文集で将来の夢を「隠居になること」と書いて先生たちや親の失笑を買った夫ですが、そんな人に限って60歳になっても夢が実現できず今なお細々と仕事と縁が切れないのは、生涯働きたいと思いながら職に就くことができない人にとってはもったいないような話ですが夫にとってはウェルカムなことと言い切れないかも・・・怖くて聞いたことはありませんけど・・・辞めたいんだろうな~^_^;

1936年長崎市に生まれる
1971年『刻を曳く』で第8回文藝賞受賞、
第66回芥川賞候補、第1回平林たい子文学賞候補
1972年『三本の釘の重さ』で第67回芥川賞候補
1974年より北九州在住
本書は文芸同人誌「すとろんぼり」に4年間にわたって連載されたものをまとめたものです。
話題の新刊本の著者が作品が出来るまでの思いやエピソードを語るというコーナーを持つ朝日デジタルに昨年登場された折のインタビューをまとめたものが著者の作品に対する思いを端的に表していますので、少し長くなりますが以下に転載させていただきます。
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8歳の夏、故郷の長崎に爆弾が落ちた。
疎開先の福岡から母はひとりで爆心地に入り、旧制中学生だった兄の最期をみとって帰ってきた。
深手を負った獣のような姿に変わり果て、何も語らず、大の字になって眠りつづける母。精神を病んでしまったことが、幼心にもわかった。
『樹滴』は、原爆で崩壊した家族の長い戦後と正面から向き合った長編小説だ。
老いて死にゆく父母の魂に寄り添う日々を描き、鎮魂の思いに満ちている。
長い休筆期間を経て小説の刊行は40年ぶりになる。
樹滴という題名は、ニューギニアから復員した父が廃虚の長崎で、焼けこげた樹から、未来の光のようにしたたる樹液を見た話にちなむ。
母の無念をはらそうと、1971年に初めて書いた小説『刻(とき)を曳(ひ)く』で文芸賞を受け、芥川賞候補になった。
しかし事実と虚構がまじる私小説は誤解されやすい。
家族の恥をさらす親不孝ととる人もいて、父とは一時疎遠になった。
東京で書いた小説は5編。
74年に北九州へ移ってから、小説の筆を30年近く絶つ。
長崎大学学長などを務めた父敏郎が93年に、母も回復しないまま98年に療養先で亡くなり、呪縛から解放されたように書きはじめる
「文学の力は恐ろしく深い。私は結局離れられません。『樹滴』は、阿修羅になって書きました」
母殺しの深層心理がある、と文学研究者に指摘されたことがある。
「本当に、心のなかで母を殺しながら生きてきました。自分の娘にさえ、母はとうに亡くなった、と長く隠していましたし。大きな罪です」
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上記からわかるように本書は小説仕立てではありますが、私小説の範疇に入る作品。
原爆を遠因として精神に変調をきたして生涯を廃人として生きなければならなかった母親を重い心の澱として持ち続けた著者の鎮魂の書として書かれたのが本書ですが、母親の存在を自らの恥部として娘にすらその存在を明かさなかったのと対比して、長崎大学医学部教授から学長にまで登りつめながら仕送りのみで自分の世界から切り離していた父親に対して反発しながらもその地位の娘としての立ち居地に甘んじている様子が文章の合間から読み取れて複雑な読後感でした。
精神病者を抱えて生きなければならなかった家族の心境はいかばかりかと想像をたくましくするだけですが、ここでは父親に反発しながらもおのずと家族でない協力者が母親を包み隠す役割を果たすという、いわば家族の手を通すことなく母親の生を全うできたという幸運に娘である著者も甘んじることができた幸運が父親の社会的な地位によるものであったというのは、世の中の縮図を垣間見るようでした。