VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

PVアクセスランキング にほんブログ村

2013年08月

2ヶ月ほど前、朝日新聞のbe版に黒四ダムの特集記事が掲載されていました。


石原裕次郎&三船敏郎さん両主演の映画「黒部の太陽」の舞台となった黒四ダム。


敗戦後の急速な発展による電力不足を解消するために関西電力を主体として1956年から足掛け7年の歳月をかけて建設されたのでした。


参入した建設会社は間組・鹿島建設・熊谷組・大成建設・佐藤工業。


映画「黒部の太陽」は昭和30年代の日本が抱える悩み―すなわち電力不足―にスポットを当てて映像化されたものです。


黒部川東部に位置する黒部川最上流域に電力確保のダムを作るための資材を運ぶのに必要なトンネルの建設。


ダムの高さは186m、総貯水容量は約2億tの北陸地方屈指の人造湖・黒部湖を形成した総工費は当時の費用で513億円、これは当時の関西電力資本金の5倍という莫大な金額だったそうです。


作業員は延べにして1000万人を超え、殉職者は171人にも及んだとされています。



末っ子の次男が自立したら記念に黒部を旅しようと次男が高校時代に約束したことがあります。


さまざまな媒体を通して知る黒部渓谷という大自然に挑むように屹立する黒部ダムの姿を現地で見てみたいという強い気持ちがありましたが、その約束は実行されないまま気持ちもトーンダウンしてほぼ10年。


最近、冒頭の朝日新聞の記事やこれからアップする作品を通して、急激に当時の憧れにも似た気持ちが蘇ってきました。


過日、何かの折の電話で「黒部の約束覚えている?」と次男に聞いたところ、「覚えているよ。今放水の時期じゃないかな。休みが取れたら行ってもいいよ」との返事。


あまりに険しい旅程では無理なような気がしましたが、ツアーもあるから調べておく、と言って電話を切って以来忙しいのか音沙汰なしなのでどうなるか。


そんなこんなで黒部が急に身近な興味の対象となった作品をご紹介します。



吉村昭氏著『高熱隧道』 


「黒部第三発電所――昭和11年8月着工、昭和15年11月完工。
人間の侵入を拒み続けた嶮岨な峡谷の、岩盤最高温度165度という高熱地帯に、隧道を掘鑿する難工事であった。
犠牲者は300余名を数えた。
トンネル貫通への情熱にとり憑かれた男たちの執念と、予測もつかぬ大自然の猛威とが対決する異様な時空を、綿密な取材と調査で再現して、極限状況における人間の姿を描破した記録文学」


映画「黒部の太陽」の舞台は「黒四ダム」でしたが、本書の舞台は「黒三ダム」、時代も戦後の前者を遡ること約20年前の日中戦争時、太平洋戦争の直前の時代。


時代背景も目的も異なる両ダム。

共通しているのは大変な犠牲と苦難を強いられた建設工事であったということ。


本書は太古の昔から粛々と営みを続けている自然というものの巨大な塊に持てる知力のすべてを賭けて挑む人間の姿を緊迫の臨場感で描いています。


日本の知力の先端を担う学者たちの知見を集めてもなお予測不能な自然の猛威、方や対峙するダム関係者も上下関係における違和感を呑み込んでトンネル開通というただ1つの目的に向かって邁進します。


1936年8月の着工から1940年11月の完成までの苦難のトンネル工事。


軍需産業を振興するための電力確保に最適と判断された黒部渓谷でしたが、資材を運搬するのに使われるルートは険しい崖に面した幅1メートル未満の道なき道。

資材を運ぶ人夫たちの転落死を皮切りに、次々起こる想定外の大惨事。


この国家プロジェクトである第三発電所建設において主体となった日本電力は、工区を三つに分け土木会社三社が落札しましたが、阿曽原から仙人谷までの第1工区を掘削した加瀬組が30m進んだところで尻を割った(撤退した)ことで、第2工区を請負っていた佐川組が第1工区も請負うことになったところからこの作品がスタートします。


撤退の理由は、有数の温泉地帯であることが災いして掘り進み始めるや岩盤からは熱湯が噴き出し、作業困難になったためですが、そのときの岩盤温度は摂氏65度。


この阿曾原谷側軌道トンネル工事における1年4ヶ月の、自然と人間との苦闘が本書の柱となります。


岩盤温度は65度からスタートして掘削が進むに従って徐々に高まり、ついには166度にも達します。


火薬類取締法での制限マックス40度と法定されている発破用ダイナマイト、進退窮まった工事関係者たちは最初の躊躇を超えてどんどん突き進み、ついに自然発火で爆発し多くの人夫たちが犠牲になったことで、熱を伝えにくい機材にダイを包むという方法を考え付きます。


この4年という歳月の間にはダイナマイトの爆発事故だけではなく、「泡なだれ」という特殊かつ巨大なエネルギーをもつなだれの一種によって5階建ての宿舎丸ごと580m先の山の斜面に飛ばされ70名を超える人夫が犠牲になったりという最悪の事態を招きながらも強行せざるを得なかった背景には、いうまでもなくイタリアやドイツにおけるファシズム、ナチズムに呼応した日本の帝国主義的侵略主義の全体が働いていることを著者は後述されています。


工事監督の直接責任官庁である富山県庁が度重なる事故に際して工事中止命令を出しますが、国家権力は陸軍省から陸軍中将を主班とする視察団を派遣したり、泡なだれ事故のあとには天皇の見舞金を届けたりすることによって急場をごまかしていく様子が著者の冷徹な視点で書き込まれていて圧巻です。



〔政府・日本電力・ゼネコン・人夫〕の構図はそっくり現代の日本の様子に置き換えることができるのではないでしょうか。


本書の主人公は佐川組工事課長・藤平健吾。


彼の目を通して日本電力側の人間や人夫たちの姿が描かれていますが、圧巻なのは上司である佐川組事務所長・根津太兵衛の姿を捉えていること。


根津は部下である藤平に向かって言います。

「おれたちは、葬儀屋みてえなもんだ。仏が出たからといって一々泣いていたら仕事にならねえんだ。
おれたちトンネル屋は、トンネルをうまく掘ることさえ考えていりゃいいんだ」

「いいか、このことだけはおぼえておけ。仏が出てもその遺族たちのことは決して考えるな。それだけでも気分は軽くなるんだ」


技師と人夫の間には監督する者と従属する者という関係以外に根本的に異なった世界に住む者の違和感が潜んでいる、それは一言にしていえば、技師は生命の危険にさらされることは少ないが、人夫はより多く傷つき死ぬということである、と著者は藤平の口を借りて記しておられます。


ある工事が始まる時、その予算案の中の雑費には弔慰金に該当するものが必ず組みこまれている、死はあらかじめ予定されている事柄であると。


人夫たちの怠惰、長い間に培われてきた諦め、習性化された態度に巧みにつけ込みながらの監督が優秀な技師の必須条件であるといいます。


技術者は、人夫たちの犠牲を覚悟しなければ工事を進めることができないし、人夫たちの人命損失をふせぐ目的も単に作業の進行に必要なものを失わないためだ、という考え方にまで徹しなければならないのだろうと主人公・藤平は上司・根津の姿を通して自分に言い聞かせます。


こうして藤平は心にわだかまっていた生き死にへの感傷を無理矢理払拭することでトンネル屋として生きる覚悟を決めるのです。


「自然には、何万年、何億年の歳月の間に形づくられた秩序がある。
さまざまに作用する力が互に引き合い押し合いして生まれた均衡が、自然の姿を平静なものにみせているのである。
土木工事は、どのような形であろうともその均衡をみだすことに変わりはない。
なぜ人間は、多くの犠牲をはらいながらも自然への戦いをつづけるのだろう。
たとえば藤平たち隋道工事技術者にしてみれば、水力用隋道をひらき、交通用隋道を貫通させることは、人間社会の進歩のためだという答えが出てくる。
が、藤平にとって、そうした理屈はそらぞらしい。
かれには、おさえがたい隋道貫通の単純な欲望があるだけである」


本書は自然に対して挑む人間の技術と執念、技術者と人夫との消すことのできない上下関係の構図、トンネルを開通するというただ1つの目的に向かう手段として人夫の心を慰撫する術を身につける上司の姿などいくつかのテーマを盛り込んで冷徹な文章で描いて、吉村作品の傑作の1つといえるのではないでしょうか。

引越し以来食品庫で眠っていたホームベーカリーをまた出してきて使っています。


お嫁さんのユカちゃんが来ている間にピザ台を作るというので日のめを見たのがきっかけ。


しばらく眠っていたので大丈夫かなと思いましたが、いい具合にピザ台も発酵できて、今日は久しぶりに天然酵母食パンも焼けました~。
     

部屋中パンの酵母の匂いが漂って、幸せな気分になります。

カレーの匂い、焼き魚の匂い、煮物の匂い、ごはんの炊ける匂いも大好き!


一時期大量に服用していた漢方生薬の副作用で口いっぱいに口内炎が広がっていたときは食欲はあるのに食べられないというジレンマでキッチンに漂う匂いに食欲がありながら食べられない辛さも半年ほど味わいました。

ダイエットとは縁がありませんが、おいしそうな料理を前にガマンするなんてすごいことだなあと思います。


かつて夫は抗がん剤治療で入院中、毎食事時にかなたから配膳車が来る気配がしただけで吐き気を抑えられなかったといいます。


苦しい抗がん剤治療後めでたく治癒したある患者さんは、数年後道で偶然闘病時の主治医に会っただけで数年前の強烈な吐き気が襲ってきて道端で嘔吐したといいます。


コントロールしようにもできない人間の脳の摩訶不思議!


「思い込みや経験」が体に及ぼす影響にも学術的根拠があるといいます。


なるべくいいほうの思い込みで生きるエネルギーを得たいものです。




さて本日は木内昇氏著『ある男』をご紹介したいと思います。


「岩倉具視暗殺未遂事件の処理に暗躍した警察官、会津の民のために奔走した元京都見廻組の男、国会開設を檄文で訴える岡山の隠れた俊才―日本近代の産声にかき消された叫びと祈り。
中央政府の大義に屈せず、彼らはそのときたしかに生きた」


著者の作品は『茗荷谷の猫』、第144回直木賞受賞作『漂砂のうたう』に続く3冊目。


どの作品も共通するところは個人の努力ではどうにもならない時代の大きな流れに巻き込まれながらも、精一杯抗ったり、あるいは流されながら日の当たらない場所で懸命に生きた人々の生き様を描いているところでしょうか。


本書の7篇の物語も明治維新からの激動期―明治元年から19年頃まで―に中央政府が次々に繰り出す新しい国家体制に翻弄される地方の名もなき男たちの憤りや抵抗の姿を描いて秀作揃い。


後世に偉大な名を刻んだ大改革である明治維新前後を表舞台として華々しく活躍した男たちを陽とすると、その陰で歴史に決して取り上げられることのない小さな出来事を支えた市井の名もない男たちの姿を描いて、日本の近代というものに表裏丸ごとの視線を当てた著者の構成力&筆力のすばらしさに圧倒されます。


どの作品も魅力的な長編として成立するような題材にもかかわらず、短篇という器に凝縮して入れ込み、しかも読後の静かな余韻まで与えてくれるというおまけつき。


◆明治維新から5年半後、銅山の採掘権を横取りした中央政府の大蔵大輔という立場を利用して負債を抱える請負方の鍵屋から尾去沢銅山の採掘権を奪い、商人に払い下げるという事件事件を起こした井上馨に直訴した盛岡の尾去沢銅山の金工である‘ある男’を描いた「蝉」

12歳で入山して22年、山に生き、山に誇りを持ち、ただ山を守りたい。

自分の手の感覚のみで岩の硬さや鋪の在処を掴んできたこの‘ある男’と西洋の新しい鉱山技術導入を企む井上公との対比が見事です。


◆発足したばかりの警視庁で肥前出身ながら岩倉具視襲撃事件の犯人―西郷隆盛とともに政府を去った土佐藩出身―を自白に追い込み斬首することで出世していく警視庁警視である‘ある男’を描いた「喰違坂」

おのれの出世欲のため力あるものに靡く‘ある男’の前で取り調べられている犯人の生き様にふと思いを馳せる‘ある男’の微妙な心情が描かれていています。


◆米沢藩の雲井龍雄率いる帰順部曲の者に頼まれ、1度は引退していた贋札造りの片棒をかつぐことになった年老いた職人気質の‘ある男’を描いた「一両札」


◆会津で私塾を開いて質素に暮らしている元京都見廻組の剣客の‘ある男’が、新たに福島県に赴任してきた県令・三島通庸のしたい放題に不満を募らせる福島県民の側に立ち、争い以外の手で事を収めようとする様子を描いた「道理」


◆他人や物事に対して常に期待感を持たないということを信条にして誠実に生きてきた作州岡山の俊才である‘ある男’が5年前に新政府が打ち出した地租改正や地方三新法などで揺れ動く情勢に突き動かされて上京し、国会開設と憲法立案に巻き込まれていく様を描いた「フレーヘードル」



政治に発言権を持たない女たちの思惑の深さをも描いているという抜かりなさ。


権力を批判し、その権力を打倒し、理想論を掲げてその座に座った途端、前の権力者の倣いに従うという連綿と続く政治体制を‘ある男’を通して皮肉っているような作品あり、時にはユーモラスな作品あり、儚くも夢の成就が消える切なさありの充実した短篇集。


市井の名もなき人々の生活や心情を色濃く投影した、骨太でありながら繊細という表現が過大評価ではないと思えるいい作品でした。

是非どうぞ!

864768ac.jpg

今から2年前、2011年8月15日の産経新聞に『「医療ミスで次男が死亡」政治評論家の本澤二郎さんが東芝病院を刑事告訴』と題して以下のような記事が掲載されたそうです。

―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― 

東京都品川区の東芝病院で昨年4月、入院中の次男が死亡したのは病院側の過失が原因として、政治評論家の本澤二郎さん(69)が15日、同病院の男性院長や女性看護師ら計4人を業務上過失致死罪で警視庁大井署に刑事告訴した。

東芝病院は「通常の医療の範ちゅうで、医療事故ではなかった」とコメントしている。

告訴状などによると、死亡したのは本澤さんの次男の正文さん=当時(40)。

別の病院で脳手術を受けた後、植物状態となっていたが、昨年4月7日、誤嚥性(ごえんせい)肺炎の疑いで東芝病院に入院。

午後7時40分ごろ、院内の個室で死亡しているのが見つかった。
死因は、たんがのどに詰まったことによる窒息死だったが、告訴状では、看護師が約1時間40分にわたって巡回に行かず、異常を知らせる警報装置などを取り付けていなかったことが原因と主張している

―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― ◆ ―――― 


亡くなられたご次男の最初の医療ミスから植物状態になり、病院から自宅へ介護の場を移した通算10年間の経緯を克明に記したのが本日ご紹介する作品です。


その後上述のように誤嚥性肺炎治療のために入院した病院で長く続いた苦難の生を閉じられました。



本澤二郎氏著『医師失格 あるジャーナリストの告発』


「年間推定で最大4万人の命を奪っている、おぞましい日本の医療現場を、自ら息子を植物人間にされたジャーナリストが渾身の力で白日のもとに晒した10年目の真実」


東京で下宿生活をしながらの税理士資格取得のための勉強途上の27歳の健康な青年がある日、突然頭痛と手足のしびれを訴え、近くの内科で受診、大きな病院に行くよう指示されたため、千葉の木更津市の実家に「帰ってもいいか」と電話してきたのが始まり。


電話を受けた著者の妻(正文の母親)が帰るように促して、翌日近くの帝京病院に連れて行ったということから暗転が始まったようです。


最初の疑問はこの箇所。

息子の訴える頭痛と手足のしびれを重大視せず軽い気持ちで帰省を促したご両親ですが、自分なら早急に息子の元に駆けつけて大きな病院にその日のうちに連れて行ったかもしれません。


これをスタートに翌日の入院時に症状がかなりの悪化を示し始めてからは医師、看護師の診断にも唖然。


東大卒だという教授助教授のお2人が揃ってCTとMRI撮影、さらに脳血管撮影など一通りの検査をしたうえで「脳腫瘍」と断定したことにも驚きます。


突然の発熱と頭痛ならまず感染症を疑うのは医学に素人の私でも当然だと思うのですが、この本の記述が真実なら、「脳膿瘍」という可能性を早々に排除した様子で脳腫瘍の手術を1週間後に決められたそうです。


そうこうしているうちに歩行も困難になり、口から食べられなくなり・・・という時々刻々の急変を通してただ動揺するご両親にももっと迅速にできることがあったのではという気持ちが拭えませんでした。


著名なジャーナリストという著者なら調べるという行為はお手のものと思うのですが、仕事柄親密な政治家の事務所に電話して病院に手を回してもらったり。。


私事ですが、名もない庶民の我が家ですら、夫の食道がん発見の直後、迅速に子供たちと手分けして治癒への可能性を求めて著名な医師に面会を求めたり、電話で意見を聞いたりした経験があります。


コネがなくとも求める熱意があれば、超多忙の著名な医師の方々でも気持ちよく求めに応じてくださるということに驚きと敬意をもってどれだけ感謝したかわかりません。


私の上述の疑問や違和感はまったく部外者だからというのもあるかもしれません。

すでに入院を余儀なくされたのち著名な教授から診断がくだされれば、疑問に思いながらもそれに抗する手立てがないというのが現状かもしれません。


著者のご次男が受けたような医療過誤のほとんどは闇に葬られていると思いますが、医師も最善を尽くそうと努力されているなかの医療過誤、どの過ちも許されるものとは思いませんが、命の尊さを心から尊重し、素直に過ちを認める潔さをもった医師との間で培った人間関係を通して赦す気持ちも生まれるのではないでしょうか。



「医師と患者の間に人間関係は存在しない」と言われた医師がいた、とある本に書いてありましたが、たかが商品の売り買いにも人間関係が大きく左右する世の中、医師に人間性を求めるのは患者の強欲なのでしょうか。


「友人や弁護士に勧められて、謝罪をしようとしない病院から正文を転院させようと何度も試みた。
ところが、引き受けようという心優しい病院は、ついぞ現れなかった。
医療ミスの患者を快く引き受けてくれる病院は、この日本には存在しないのだ。
厚生大臣経験者の紹介でも、正文の事情を知ると、途端に『うちでは無理だ』と断られたものである。
人間の命を救済しようという熱血病院は、この日本になかったのである。
改めて病院崩壊の現実を悟らされてしまった。
こうしたことなど患者家族の苦悩は、病院も弁護士も親しい友人もなかなかわかってはくれない。わかりようがないのだ」


明日はわが身という言葉通り、お互いの保身のために医師同士の連携は他の職種より異常に強いといわれています。

今でこそ、医療過誤裁判で患者側の勝利を導いた例が見られるようになりましたが、患者側に立って証言してくれる別の医師を見つけるという作業の困難さや決着までの果てしない裁判期間、膨大な裁判費用などに慄いて安易な和解に応じる原告が多いとも聞きます。


この作品の著者はご次男が植物状態になった末の別の病院への入院での死亡に対し刑事告訴したようですが、本書の壮絶なる糾弾相手の病院とは和解で決着したといいます。


本書はジャーナリストという職業を持ちながら父親という立場で上梓されていると考えれば納得できますが、全篇を彩る冷静を欠いた感情的過ぎる表現に、共感できる事象でありながら違和感をもったのは否めません。

大切なご次男をこのような経緯で亡くされた無念はいかばかりかと深く同情しますがあまりにも一面的感情の沸きあがるまま書かれたと思えるのは残念でした。

最後になりましたが、正文さんのご冥福をお祈りいたします。

8350127b.jpg
長年オーダーメイドの漢方生薬を服用していましたが、リウマチの炎症数値が限りなく上昇してきたのに業を煮やしてというか、家族の後押しもあり、ついに一大決心して化学薬品に切り替えて約半年。


徐々に膝と股関節の痛みが和らいだのと並行して両肩の痛みが再燃、特に右肩の痛みが半端なく、フローズン・ショルダーをひどくした状態で寝返りも苦戦していたのが、ここ数回の鍼灸で少しずつ腕が上がるようになりました。


ステロイド注射も効かない肩の骨の根本的変形ということで整形外科医がさじを投げていた痛みと可動範囲の狭さが、長年お世話になっているスポーツ鍼灸師の先生の施術とトレーニング指導で少しずつ楽に、広くなってきたのが嬉しい!


自分の手はレントゲンよりMRI程度かな、と言われるスポーツ鍼灸師のM先生はなるほど触るだけで整形外科医のレントゲン解読より詳しく骨と筋肉の状態を解説してくれます。

神の手ならぬMRIもどきの手!


まだ可動範囲は限られていますが、昨日の施術後、久しぶりに卓球をしてもよいとのこと。


長らく球が打てず、というか腕を少しでも上げようとすると激痛のため、球拾いに徹していたのですが、来週あたりから少しずつ打ってみようかなと思っています。


でもって家事、特に力仕事の掃除が疎かになっていたのが、お嫁ちゃんのユカちゃんが徹底的にお風呂場やシンクの排水口、ガス台をピカピカに磨き上げてくれたり、アスカと共に家中の拭き掃除をしてくれたので清々しい夏になりました(*^。^*)


踏み台に上がっても中々外すのが難しかった洗面所の天井の換気扇も長身を利用して外して洗ってくれました~。

持つべきはヨメ!


曽野綾子氏著『この世に恋して 曽野綾子自伝』

「両親の不和に心を痛めた幼少期、中高校生時代の戦争体験、作家デビューを果たした後の不眠症に苦しんだ日々、五十歳を前に仕事のし過ぎとストレスから失明しかけたこともあった。
家族の問題も戦争の体験も病気も、なければないほうがいいに決まっています。
でも、病気も不幸も人生で与えられたことにはすべて意味がありました。
無駄なことは一つもなかったと思っています。
いま思えば、私はずっとこの世に恋し続けてきたんです
作家・曽野綾子が自らの人生を余すところなく綴った感動の自伝!」


80歳を過ぎた今も月に400字詰め原稿用紙120枚は書いているという著者。


本読み人にとって著者ほど好き嫌いの分かれる作家さんはいないのではないでしょうか。


笹川良一氏の死後、日本船舶振興会(のちの日本財団)の会長職を引き継いだ行為や会長時代に知り合ったフジモリ元ペルー大統領の日本亡命時の宿提供などの行為を批判する方も多いと思います。


私もご他聞に漏れず若い頃は独善的ともいえる著者独特の現世感を著した文章に勝手に偽善を嗅ぎつけた気持ちになって、「もうけっこうです」と拒否していた長い時期を経て、ここ10年ほどは好き、というより一貫した物の見方、過度の期待も絶望もしない来し方が納得だらけ、共感だらけになりました。


偉大な作家と同じ目線というのも厚かましい話ですが、自分の幼少の頃よりの人に対する見方と相通ずるものがたくさんあったからです。


無冠の作家といわれながらのほぼ60年にも及ぶ執筆活動で書かれた原稿は15万枚以上に及ぶという作家人生を振り返ったのが本書です。


一貫した偽善を一刀両断に切る姿勢。


「私は人道主義者でもないし、人道主義を押し付けるのも嫌い」

「悪い人と言われるのはまだいいけど、偽善者にだけはなりたくない」

「今の世の中が幼いと思うのは、すぐ善(よ)い人か悪い人かに分けたがるところ。
すべての人間はその中間だという認識がないと、私は不安でしょうがない。
善くて悪い、悪くて善い人間を描く」


最終章「友達運に恵まれた八十年」では次のように語っていらっしゃいます。

「私が一番恵まれていたのは、たくさんの個性的な魂に出会えたことです。

人脈という言葉は好きではありませんが、人脈は作ろうとせず、利用しようとしないとできるものかもしれません」

「『平和は願いさえすれば実現する』と考える人もいるようだけれど、それも全く絵空事ですね。
内戦の国を見れば、そんな空疎なことは言えなくなる。
血を流す覚悟をするか、辛くなるほどの大金を出すか、どちらかの現実的な行為を担保に手に入れるものです。
つまり、現在の日本人は勇気と信念がないんです。
自分の身を守ることで精一杯です。
自分に災難が及ぶかどうかが最大の気がかりでその貧乏くじさえひかなければ、日本の将来なんて考えないんでしょうね。
もちろんその気持ちはよくわかりますけれど、その程度の人物と思われて死んでいいものかどうか、私はまだ未練を残しています」


「なんて私の生涯は豊かだったのでしょう」というような意味のイタリア語のCome stata rica la mia vita(コーメ スタータ リッカ ラ ミーア ヴィータ)’という言葉を引き合いに出しての総括。

「私は感動的な人生をたくさん見せてもらった。
何よりの贅沢でしたね。
様々なことを体験したし、小説のように面白い人生を歩ませてもらえましたから」

「アフリカでは、五歳まで生きられない多くの子どもたちがいるんです。
アフリカの人たちは、貧困のなかで生きるから、人間の悲しみと苦しみを日本人より色濃く知ってきました。
ひょっとすると、彼らのほうが、物質的に恵まれた社会に暮らす私たちよりも、人間として豊かなのかもしれません。
思えば、私はずっとこの世に恋し続けてきたんです」

2b730848.jpg

今は東京でサラリーマンとして猛烈な日々を過ごしている次男ですが、中高時代の大半を父親の単身赴任のため母親である私と2人で暮らしていました。

彼の姉と兄はそれぞれ大学や就職で親元を離れていたので必然的に2人きりの母子家庭という雰囲気の中、反抗期と相まって私の気苦労は相当なものでした。


そんな中、彼との唯一の共通の趣味というか行動が「洋画を観ること」でした。

その数年の間に近くのツタヤで借りまくって2人で観た映画の数々。


今も懐かしく、そしてちょっぴり切なさも含んだ思い出として私の記憶の箱に大切に収まっています。

「フィールド・オブ・ドリームス」

「フォレスト・ガンプ」

「ニュー・シネマ・パラダイス」

「ライフ・イズ・ビューティフル」

「プライベート・ライアン」

「タイタニック」

「アメリ」

「戦場のピアニスト」

「イングリッシュ・ペイシェント」などなどなど



これらはもちろん映画自体の感動とともに反抗期真っ只中だった次男との日常の一服の清涼剤という感じの温かさでもって終生忘れえぬ思い出となっています。


そんなことが思い出箱からひょっこり顔を出したのは本日ご紹介する作品を読んのがきっかけ。

本の中から出るは出るは、懐かしい題名の数々!

原田マハ氏著『キネマの神様』


原田宗典氏&原田マハ氏の兄妹小説家の存在は有名ですが、Wikiを見ていて驚いたのが、東京生まれのご両人が父親の仕事の都合で高校時代の一時期を岡山で過ごしていらっしゃったという記述。

しかもマハ氏の卒業した高校は我が母校!

何だか急に親近感が湧いてきました~。


「39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が発覚した。
ある日、父が雑誌『映友』に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。
“映画の神様”が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語」


素直に読めて、心が洗われるようなステキなお話でした。

なんだか映画「フィールド・オブ・ドリームス」の内容を彷彿とさせるような。


映画を心から愛する人々と、そんな人々を温かい目で見守る家族の再生の物語。


登場人物はどの人もみな平等に、ある時期人生との戦いに敗れた経験を持っている、そんな人々が映画を通していろんな絆を取り戻したり、強くしていく道筋を感動的に描いています。


本書の主人公の父、ギャンブル狂で借金を繰り返すろくでなし、だけど無類の映画好きの「ゴウ」が何とも切なく愛しい人としての造形は見事。


ゴウの紡ぐ映画に関する文章が何度も何度も私の胸を衝きます。


映画は人生そのもの


次男とはほとんどの映画を自宅で観ましたが、本書を通してもう一度これらの映画を、できたらひとりきりで心行くまで味わってみたい。


ゴウの語る「映画を観て人間が喜ぶのをなにより楽しんでおられる」「キネマの神様」が住んでいるという「娯楽の神殿のような」映画館で!

特に何度観たかわからない「ニュー・シネマ・パラダイス」を!

34度~36度あたりをウロウロしている当地、一時高知の四万十で最高記録を打ち立てた41度に比べれば平均的な暑さという感じでしょうけど、とにかく暑い!

エコなどという二文字ははるか彼方に飛んで、エアコン漬けの毎日です^_^;


この暑さの中、お盆を挟んで前後8日間、お嫁ちゃんと孫が来ていました。 4da7a793.jpg


息子はといえば、鬼の居ぬ間とばかりフットサルやらDVDの観溜め、寝溜め、マージャンとしたい放題の日々・・・だったらしい。

8歳になる小学3年生の孫・アスカ。

電話では時々話しているものの、会うのはほぼ1年ぶり。

憎まれ口をきくほどに成長しているのではと一抹の不安があったのですが、赤ちゃん時代のままのあまりの幼さに安心するやら、大丈夫かしらと不安になるやら

テレビの人気者・芦田愛菜ちゃんととても同学年とは思えない幼稚さ。


夫婦2人暮らしの日常から一転して小鳥のさえずりのようなおしゃべりが一日中響く中、日中はお買い物に行ったり、プールに行ったり、家では料理の下拵えやら、お膳立て、食器を洗ったり、お洗濯や洗濯物たたみ、お風呂掃除、家中の床の拭き掃除、植木の水遣り、ゴミ捨て、果てはトイレの掃除まで何でもできるようになって、しかもやりたくてたまらないバージョンでやってくれるのですごく楽チンでした(*^。^*)


唯一、大人3人に迫られてモジモジになったのは夜のトランプタイム。

51というゲームでは終了時、手札の数を数えるのですが、二桁三桁の足し算がすぐにできない

3人から迫られて「え~とね、え~とね…」と一向に答えが出てこないアスカに「すぐに答える!」なんて厳しい声で迫る大人たち。


「もう一度、一年生の教室でお勉強するよう先生に頼んであげようかな」

「え~、いやだ~~」

なんて言いながらへこたれないこと!


設問文の読解力がなくて、100点満点のテストで10点をもらってきてあまりの解答のとんちんかんにパパママふたりで大爆笑したことをちょっと前電話で聞いていましたが、なるほどね^_^;


担任の男先生はいつも「アスカちゃんの笑顔を見ていると癒されます」と言ってくれるそうですが、それって・・・??


3人の子供たちの成績に一喜一憂したダメ母だった私は心の中で「生きる力さえついてくれれは最高」と思っていますけど、あまりにものどかだといじめに遭わないかなど心配は尽きないのでした。





さて本日は村山由佳氏著『放蕩記』のご紹介です。


「母を持つすべての大人たちへ。自伝的長編
38歳で離婚歴のある女流作家・夏帆。
自由奔放に暮らす一方で、実は長年抱えこんできた秘密があって…。
今だから見えてきた、母娘の愛憎と家族の歴史。
共感と感動をよぶ、衝撃の自伝的長編小説」


1991年『いのちのうた』で環境童話コンクール大賞
1991年『もう一度デジャヴ』で第1回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞佳作
1993年『天使の卵・エンジェルス・エッグ』で第6回小説すばる新人賞
2003年『星々の舟』で第129回直木受賞 
2009年『ダブル・ファンタジー』で第4回中央公論文芸賞、第16回島清恋愛文学賞、第22回柴田錬三郎賞をトリプル受賞


2007年離婚後と離婚前という分け方は単純すぎるかもしれませんが、それ以前と以後とで大きく変化した作風については村山ファンの方ならご存知と思います。


本書は以後に書かれた『ダブル・ファンタジー』『アダルト・エデュケーション』に継ぐ第三弾といえるのではないでしょうか。


これら以後の作品は著者の私生活 ― 2007年離婚、2009年再婚、体にタトゥなど ― の大きな変動とともに生み出された作品といえます。

「変動とともに生み出された」というのは著者にとって不本意な表現かもしれません。

より真実に近づく表現では、以後も以前もどちらも著者が内包していたもので、たまたまある時期の決意によって隠された内包部分を公にしたというところでしょうか。


本書は前2作に比べ、より自伝的要素の強い長編になっています。


著者ご自身が様々な媒体を通して語っていらっしゃった母親に対する確執を主題に、ずっと秘めていた家族の歴史、あるいはご自身の秘め事を過去と現在を行き来しながら徐々に明らかにしていくという形で母娘の愛憎を生々しく描いています。


下記はあるインタビューでの会話です。

――「放蕩記」を書こうと思ったきっかけを教えてください

「ダブル・ファンタジー」を執筆中、担当の女性編集者に「なぜ、主人公の奈津はこんなにも夫のことを恐れるんだろう。若い世代にしては珍しい」と言われたのが発端です。そこで思い浮かんだのが母でした。もしかしたら、とても厳しい母に育てられたことに私の根っこがあるのではないかと。実際、最初の夫に対して私は自分を主張することができずにいたのですが、その態度はまさに母に対するそれと同じ。母には何一つ口答えできなかったんです。通過儀礼として一度は真正面から母との関係に向き合い、私の根っこにあるものを掘り下げておかないと、これから先、人間としても物書きとしても本当の意味で自立できないのではないかという気がしてきて、この作品を書くことにしました。物書きとしてこの鉱脈を見逃すわけにはいかないという思いもありました。

――常に母親の支配下にあったという感覚があるわけですね

母の呪縛にずいぶん苦しみました。小説にも書きましたが、例えば、母から性教育を受けたのは小学3年の時のこと。散歩に連れて行ったオス犬がよそのメス犬に乗っかってしまったんです。そのことを母に話したら「あんたもああやって生まれてきたんだ」と説明され、本当にショックでした。その半面、私が少しでも「女」の部分をうかがわせると執拗(しつよう)なまでに叱(しか)った。少なくとも性に対する過剰なまでの罪悪感を形成したのは母だと思います。


その母親が認知症のため娘の作品を読めなくなったという現実を踏まえてやっと描けた作品だそうです。


本書で、友人に向けて、同棲相手に向けて、あるいは独白という形で描写する母親との過去の心情風景のあまり
の激しさにはたじろぐほど。


自分自身が考える正義という大上段の理論を背景に娘を考えどおりに縛りつける母親と、何事においても反論を赦されず、内へ内へと本来の自己を埋め込んでいく様が幼少期からの振り返りを通して鮮明に描かれています。


文学的にどうか、内容としてはどうか、とても感想を書くには難しい作品でした。


家族小説の傑作という評価もありますが、主人公の成長譚とも、覗き見を刺激する私小説ともいえる作品。


私自身、片手落ち的とも取れる内容に批判がないわけではありませんが、文章的にはグイグイ読ませる筆力のある作品でした。

↑このページのトップヘ