VINのらんどくダイアリー

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2013年09月

ここ数年、DNAとか遺伝子という言葉をよく目にしたり耳にしたり、また口に出したり。6b2a3414.jpg



最近はやたら遺伝子組換え農作物という言葉がクローズアップされていて、害虫にめっぽう強い性質や除草剤の影響を受けない性質を持ち、すなわち除草剤たっぷりという印象で私もなるべくそういったものは避けるという傾向にあります。


遺伝子工学の世界では「改良」という言葉を使っていますが、作り手に有利なように遺伝子を組み替えるのは果たして「改良」になるのか、という疑問は残りますが、広く農業を捉えるとそんな単純な考えでは解決しないのでしょう。


まだ農作物のようには実用化されていませんが、ヒトの体の一部の細胞に必要な遺伝子を導入して不足・欠失している機能を補う遺伝子治療がすでに治験段階に入っていると聞きます。

一方それが行き過ぎてヒトを遺伝的に「改良」することは倫理上の重大問題だとする意見もよく聞かれます。


遺伝子とDNA

なんとなくわかっているようで区別の説明を求められても悲しいかなできないので簡単に調べてみました。

「生物を生物として成り立たせるために必要な遺伝情報の全体を”ゲノム”といい、個々の遺伝子はこのゲノムの中の一部で、これらの遺伝子やゲノムはDNAとよばれる物質でつくられ、これが鎖を作っているときの塩基配列が情報となります。
よって簡単にいえば、遺伝子は情報、DNAは物質ということになります」

非科学的なアタマではなんだかわかったようなわからないような(――;)

俗にいわれていることの範疇でしか理解できませんが、同じ両親から生まれた子どもたちですら受け継いだ遺伝子、DNAの内容の違いによってまったく別種の顔や性格になることは多くの人が経験していることだと思いますが、一般的には「血は争えない」という言葉でそれぞれの個性が総括されることがよくあります。


日本だけではないと思いますが、日本は特に「氏素性」というのに拘る民族ではないでしょうか。

脈々と続く先祖の血。

その先祖が祖国に有益な何かを成し遂げた著名人であればあるだけそれに拘る末裔。


私には計り知れない「血」に対する執着というか誇りの感情はたじろぐほど。


もしも…私が卑弥呼の子孫だったら・吉田松陰の子孫だったら…問わず語り放題のいやな子孫になっていただろうなぁ(^_^;)

無名の先祖様、あるかなきかの人間性を踏みとどまらせてくださりありがとうございます。


ちょっとというか思わず横道に逸れました(――;)


今回は、そんな誇れる、というか際立った「血」の流れの途上の現代の有名人の今に至る血脈を掘り起こした作品をご紹介したいと思います。


石井妙子氏著『日本の血脈』

月刊誌「文藝春秋」に2011年~2012年にかけて隔月連載したノンフィクション・シリーズ『現代の家系』を『日本の血脈』と改め、若干加筆して出版したものが本書です。


「小泉進次郎、香川照之、中島みゆき、小沢一郎、オノ・ヨーコ、美智子皇后……。
政財界から芸能界、皇室まで、注目の人士の家系をたどった連作ノンフィクション。
末裔のみぞ知る、時には末裔ですら知りえない、逸話を発掘した調査報道の精華というべきレポート。
血の継承にこそ存在意義のある皇室はいうに及ばず、政財界から芸能界まで、この世は二世、三世で溢れかえっている。
日本人を惹きつけてやまない血のロマン・・・
注目の人士の家系をたどり、日本人の血脈意識に斬り込んだ意欲作」


ここ十年あまり、度々マスコミに登場して話題を賑わした著名な人々、読者からすれば覗き見的な興味で手に取った方も多かったろうと思われますが、著者の2代、3代と遡った血脈への奥行きの深い調査に真摯さが見られ、とても読み応えのある作品でした。


本書の大概を要約すれば、本書に挙げた人々だけでなく私たちを含む「人」は彼らの育ってきた環境やその環境を作り上げてきた先祖の営々とした営みの過程によって後世の人格が少なからず形成されるのではないだろうか、という理論の展開があったということは著者があとがきで述べられています。


「先祖が立派だからといって、立派な人物が生まれるとは限らない。
だが、人の思いの集大成が人を作る。
人は一代で作られるものではないとの思いを強くした」


さらに著者はあとがきでノンフィクション作家の佐野眞一氏が週刊誌上で時の人・橋下徹大阪市長を出自から取り上げると宣言し、大きな波紋を呼び、結果的に撤回せざるを得なかった出来事に触れていらっしゃいます。


「佐野氏の表現方法には、確かに大きな問題が含まれていたと思う。
だが、このことによって、人物に迫ろう、人物を理解しよう、とする際に、その家族の歴史に踏み込めないという前例が、世論の中で形成されかねない状況が生じることに、私は何よりも大きな危惧を抱いた」


この騒動のとき、マスコミはこぞって「人を祖母や祖父まで遡って調べることなど許されない」と佐野氏を批判する一方で、親や祖父母が著名人である二世、三世を取り上げて、安手の家族物語を謳っていた、と続きます。


何の違和感もなくこういった話題を禁忌と礼賛とで線引きするマスコミその他の立場上の厚顔ぶりに対する著者の指摘に大いなる共感を抱きますが、それはどちらの祖先とも縁のない私だからだろうという自省にもたどり着きます。



さて本書の内容に言及すべきでしょうが、冗長になりすぎる傾向がある私を反省して、ほんの少しだけ。


たしかに表舞台に立つのは男性がほとんどという社会、本書で取り上げた人々も男性がほとんどですが、その実、一歩踏み込むと強い「母性」によって包み込まれた登場人物たちの内実を明らかにしています。


登場人物への直接インタビューではなく、血脈を掘り起こし、資料や周辺への聞き取り、膨大な資料を通してその核心に迫る手法で本人を炙り出すというのがやり方ですが、私たち一般人が遠めに見ても、然り、というような人物描写に共感部分もたくさんありました。


一例を挙げれば、大河ドラマや今話題の「半沢直樹」での超大級の敵役でヒットした香川照之に関する記述はわが意を得たりという感想を持ちました。


「ご本人には毎回取材依頼をしたが断られることが常だった。
だが、別の手法で対象に迫れたことを今では幸いであったと考えている。当事者インタビュー、あるいはブログやツイッターでの本人発信の言動が主流となりつつある昨今、他者が他者に迫るという評論、ノンフィクションの手法も意味のあることと思いたい。
収めたのは全部で10篇。今回、大幅に加筆した。
お手に取って頂けたら嬉しい」 

興味を持たれた方、読んでみてください。

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夫がメインで使っているデスクトップパソコンのディスプレイの首が折れてお辞儀をしているような形になりました。


かろうじて切断していないのでディスプレイも見られるので紐で縛って使っていましたが、何しろもうすぐサポート終了というXPという理由で、仕方なく重い腰を上げてwindows7に買い換えました。


自分用にはやはりXPが入ったノートパソコンとipadを持っているのですが、ノートにワードが入っていないこともあり、ブログ作成のためにはいつも使い慣れた夫のデスクトップを借りていました。


たまたまIT業界で仕事をしている娘が帰省していたので、中古パソコンショップへ同行してもらい適当なものを選んでもらいました。

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我が家にパソコンが登場して30年近く、これで何台目かわからないほどですが、最近はもっぱら安価な中古ばかり。

以前は内職で原稿を作ったりしていましたが、今はインターネットに繋がって、適度にエクセルやワードでお遊びできればいいという程度なので力が入らない。

なので今回もハードデスクとディスプレイとキーボードは全部バラバラのメーカー。


どうしても抜かせないセキュリティー用ソフトとMicrosoft Officeを入れてもらって購入、2つのソフトがなければ5万円弱。


ネットで購入すればもっと安価に買えたのでしょうけどね。


今月は大きな出費はないとほっとすると必ず故障モノが出てくるのは何かの法則でしょうか?


うちの電化製品、しばらくおとなしくしていてほしいと祈っていますが、なんだかデジカメが最近怪しい動きをしているのと、掃除機のスイッチが入ったり入らなかったり・・・。


家主と同じで定期的に故障しては修理費や買い替え費がかかる仕組みの我が家です。





さて本日も大好きな吉村昭氏の作品のレビューです。


飽きもせず、と呆れていらっしゃる方も多いと思いますがお許しください。



本棚にずらりと並んだ吉村昭氏の文庫本、引越しのたびにダンボール何箱分もの本を処分してきましたが、氏の作品は自分の宝物なのでずっと住み替えとともに移動しています。


すこし間をあけては再読することも多々あって、このブログでも何をアップして何をアップしていないのか記憶の整理ができていなかったので、今日は過去にアップした吉村作品を羅列してみました。


「高熱隧道」 「磔」「メロンと鳩」「赤い人」「帽子」「敵討」「蜜蜂乱舞」「東京の下町」「光る壁画」「三陸海岸大津波」「海は暮れきる」「逃亡」「真昼の花火」『死顔』「長英逃亡」「孤独な噴水」「冬の鷹」「雪の花」「暁の旅人」「法師蝉」「天に遊ぶ」「碇星」「羆嵐」「見えない橋」「蛍」「破船」「島抜け」「星への旅」「縁起のいい客」
 

まだまだアップしていない作品が山ほどあります。


今日はそのひとつ。


吉村昭氏著『鯨の絵巻』


「紀州太地に三百年の歴史を持つ鯨組で、網とり漁法の最後の筆頭刃刺を務めた男の生涯を描きながら、海の男たちの勇壮華麗な鯨との闘いと、滅びゆく古式捕鯨にしか生きる場を持たない者の悲哀を鮮やかに浮かび上がらせた『鯨の絵巻』。
教職を剥奪され、奄美大島の夜の山地に青白い鱗の輝きを追うハブ捕獲人を描く『光る鱗』など、動物を相手に生活を営む人間たちの哀歓をさぐる短編集」


著者の「動物小説」のうちの一冊、それぞれ鯨、錦鯉、文鳥、ハブ、ウシガエルを生計や人生の拠りどころとしている男たちの真摯な、あるいは常軌を逸した姿を淡々とした筆致で描いた5篇の短編が収録されています。


5篇はそれぞれに味わい深い作品ですが、ここでは表題作になっている「鯨の絵巻」に限定して記してみようと思います。


著者の随筆などの作品はさておき、評伝などドキュメンタリー色の濃い作品への取組みの第一歩は綿密な取材であるというのは多くの人々が認めるところでしょうが、本書を通してもその感がますます深くなってきます。


ご自分の足や目、五感のすべてを使っての取材、どれだけの取材を粛々と重ねられたのか。

驚きを通り越してただ敬服するばかり。


古式捕鯨の興隆から衰退までを扱った作品である『鯨の絵巻』


和歌山・太地町の鯨に銛を打ち込む勢子舟の舟長ともいうべき刃刺の長男として生まれた主人公・八十市の目を通して、時代の流れや技術の進歩による古式捕鯨の衰亡という運命の波の中で刃刺として命を全うした様子が語られています。


年間百頭ちかくの鯨を捕らえていた元和の頃を経て寛政になり鉄砲を備えたアメリカ捕鯨船の日本近海への出没によって太地の沖に鯨の姿が久しく途絶えたために衰微の一途を辿っていった太地の様子と、その後5年のときを経て再度立ち上がった網元を中心に伝統的な網とり法による捕鯨が再開され、15歳になった八十市が網元の許可を得て勢子舟に水主見習いとして舟に乗ります。


幾度目かの出漁時初めて鯨の南下する姿を発見、そこから十二隻の勢子舟と持双舟、網舟などがそれぞれの役目を担いながら一頭のザトウ鯨を追いかけ追い詰め、仕留めていく様を描く著者の筆力の読むものの息をも奪い取るような見事さ!

何という臨場感!


一番舟の舳先で鯨の方向を見つめながら指揮を執る筆頭刃刺の緊迫した采配のすごさ

それにしたがって軍隊のように一斉に舟を移動させるそれぞれの水主たち

水主たちによって手槌で乱打される貫木の音

遠く見張り所から吹き鳴らされる法螺貝の合図の音

九隻の網舟によって半円形に張られた網

その網に閉じ込められた鯨によって激しくあおられて渦を巻く海水

逃げ場を失って音を立てて巨大な潮を吹き上げる進退きわまった鯨

その鯨の背に向かって銛の鋭い刃先を向けて落下する果敢な刃刺たち

小銛、大銛を体中に突き立てられた鯨に向かって「剣を切れ」と叫ぶ筆頭刃刺

六尺の柄のついた剣を手にした殺舟の刃刺たちが放った剣によって鯨の傷口や鼻孔から激しく立ち上った血液

鯨執りの最後の作業である鼻切りのため包丁の背を口にくわえ海中へ飛び込む腕に覚えのある刺水夫たち

ひとりの刺水夫によって鼻を切られた巨大な鯨の断末魔の苦しいあがきにつれ木の葉のように揺れる舟




一頭の鯨を仕留めるまでの人間と鯨の壮絶な闘い、水夫たちの飛び散る汗や鯨の断末魔の叫び声、荒れ狂う鯨が巻き起こす波の荒々しい飛沫、噴き上げる真紅の血、男たちの激しい心臓の鼓動までが目の前で展開しているかごとくに読み手の心を揺さぶります。


どのような取材ののちこのような情景が描けるのか、著者の底なしの取材力のすごさは言葉や文字では言い表せない、というのが感想でした。

「中秋の名月」の19日夜のこと。abeb6dce.jpg


孫のアスカとの電話。

「さっきママと望遠鏡でお月様を見ていたの。
ママは見えなかったんだけどね、アスカはうさぎが跳ねているのが見えた!」


X’masのサンタさんからのプレゼントも月うさぎも本当に信じているような様子。


一般的に小学3年生ともなるとサンタさんの真相とか、バレンタインデーには好きな男の子のために大騒ぎしてチョコを作るとか耳にしますが、まったく兆しもなし。


うちに来ていたときもお風呂上りの裸のまま、得意の連続側転をしたり・・・。


ママと代わった電話

「アスカにはうさぎが見えたらしいけど、ユカちゃん残念だったね。
心の目が少しでも曇っていると見えないんだって」


そんなことを話していて8時13分になったので電話を切って夫と2人ベランダに並んでまぁるい満月を眺めました。


「中秋無月」「雨名月」なんて言葉があるほど今の時期は雨やら台風やらで見えないことも多いのにくっきりと空に浮かんだすばらしい満月。


夫も私もうさぎは見えないほどに人生を渡ってきた年齢ですが、それなりに小さな幸せを感じた夜でした。





さて本日は角田光代氏著『それもまた小さな光』をご紹介します。


「デザイン会社に勤める悠木仁絵は35歳独身。
いまの生活に不満はないが、結婚しないまま1人で歳をとっていくのか悩みはじめていた。
そんな彼女に思いを寄せる幼馴染の駒場雄大。
だが仁絵には雄大と宙ぶらりんな関係のまま恋愛に踏み込めない理由があった。
2人の関係はかわるのか。
人生の岐路にたつ大人たちのラブストーリー」


TBSラジオ開局60周年記念にあたる2011年に「オール讀物」に原作を掲載するのと同時にラジオドラマ化して放送されたという異例の経緯の作品。


角田氏のファンだった女性ディレクターがダメモトでラジオにまつわる作品を書いてほしいと依頼したのが始まりといいます。


ラジオを聴く習慣がないという著者なのに、この作品のすてきなこと。


まだ40代の著者、頭の中を覗いてみたいと思えるストーリーテラーです。


「私が書く主人公は女性が多いんですけど、女性主人公は自分が嫌いなタイプを設定するんです。
その人の性格と、あと、たぶん十人が十人、その人と話したときにイラッとするポイントを決めます・・・
自分の好きなタイプの女性を書いてしまうと、自分の味方になって、その人が小説の中で正義を持ってしまうんです。
でも、嫌いな人だと、私が客観性を保てるんです」


このように書いていらっしゃいますが、私にはいつも主人公と著者がオーバーラップしてしまうんです。

この人は母性豊かなんだろうな、とか許容量が多そう、とか。


現実の著者は芥川賞受賞作家・伊藤たかみ氏との離婚後ロックバンドGOING UNDER GROUNDのリーダーでドラマー河野丈洋と結婚、ディンクスです。



「百人が反対してもやめられない恋よりも、どうでもいい毎日をくり返していくこと、他人であるだれかとちいさな諍いをくり返しながら続けていくことのほうが、よほど大きな、よほど強い何かなのではないか。
そんなふうに思うようになったのは、仁絵にとっては大きな変化だった」



物語は上記の主人公・悠木仁絵を軸に友人・珠子や仕事関係の年上の女性・鹿ノ子、そしてラジオのパーソナリティの竜胆美帆子など女性の視点を交差させながら展開していく中、所々にラジオが登場するという構成。


そのラジオ番組のナビゲーター・竜胆美帆子の物語での役割もとてもいい感じ。


毎日ラジオから流れる彼女の何気ないどうでもいいようなおしゃべり、そのように転換した彼女の思考の流れが時折挟まれた彼女の私生活の欠片の中で語られていてそれもまたいい。


そんな竜胆美帆子のラジオから流れる声を、仁絵は事務所でコーヒーを飲みながら、雄大は厨房で仕込みをしながら、鹿ノ子と死の床にいる恋人は病床でさりげなく聴きます。


それぞれのどうにもならない、あるいはすぐ解決できそうな、暗い、明るい事情を抱えてそれぞれの時間を過ごしながら、だれに強制されたわけでもなく、まさしく自分の意思で自分流の生き方へと少しずつ変化させていく過程がふんわりと描かれていて著者の筆力の巧みさを感じます。


パーソナリティの竜胆美帆子が番組を去る最後のとき、雄大との結婚を決めた仁絵からの投書に対する言葉を挙げてレビューの終わりとします。

「これから、たのしくてうれしいことばかりではない、つらいことやかなしいこと、退屈なことむかつくこと、いろんなことがあると思いますが、どれもたいせつな記憶になるのだと思います。
そしてどんな記憶も、のちにちいさな光を放つのだと思います。
その光をどうかお二人で、たくさん作っていってください。
末永くお幸せに」

甘ったるいだけではない、人生を大切に生きなければ、と思わせる作品でした。

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以前は敬老の日だった9月15日は私の誕生日、細~い糸でまだ60代にのっかっています。

少し前職場の異動でゆる~い環境から超多忙になり、お盆休みもなかった娘が3連休を利用して帰省して、夫や娘の親友たちと協力してバースデーパーティーを開いてくれました。


生涯で初めてのサプライズバーティー!


人の動静などにはぼぅっとしている私ですが、後から考えると娘と夫の慌しいというか怪しげな動き、なるほど。



「お母さん、今日は誕生日なんだからいくらなんでもそのくたびれた寝巻き同然の服着替えたら?」

朝からキッチンで料理を作り続けていた娘に言われた私。

「だって着やすくて脱ぎたくないんだもの。
3人だけのパーティなんだからいいんじゃないの」


日頃どんな服を着ていても何も言ったことのない娘が言うのだからと、することもないのでシャワーを浴びついでに服を替えました、といっても外出用ではなく極めて着やすい2番目にくたびれたTシャツ。

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お風呂から出て洗い髪のままでいるところにピンポーンとチャイム。


手が離せないからと娘が言うので仕方なく出たら、花束を抱えた娘の親友2人が立っているではありませんか。

「ハッピーバースデー!」


とこんな調子でサプライズパーティが始まったのが午後3時。


それからしゃべること、食べること、飲むこと、日付が変る頃お開きになりました~。


生涯で忘れえぬ一日になったことはまちがいなし!

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ラタトゥユ、鶏のオリーブ煮、キッシュ、ニンジンサラダ、にんにくカボチャソテー、トマトサラダ、アボカドツナディップなど

娘と親友とで作ったものばかり(*^_^*)

右の写真は親友のひとりが持ってきてくれた紅白のコート・デュ・ローヌ・ルージュ。


みんなみんな、たくさんありがとう





さて本日は原田マハ氏著『でーれーガールズ』をご紹介したいと思います。


「漫画家の小日向アユコ(本名・佐々岡鮎子)は30年ぶりに高校時代を過ごした岡山県にやってきた。
母校の女子高で講演会をするためだ。
講演会前々日、この機会にと高校の同級生たちが同窓会を開いてくれた。
そこでアユコは30年ぶりに親友の武美と再会する。
武美は母校の教師になっていた。
アユコを招いたのも武美だという。
実は30年前、アユコと武美には忘れられない思い出があった。
1980年、岡山――。東京から引っ越してきたばかりの佐々岡鮎子はクラスに友達がいない。
心の支えは、かっこよくてギターもうまい大学生の彼、ヒデホくんだった。
ところが、二人を主人公に描いた恋愛マンガを、クラスの秋本武美に見られてしまう。美人で勝気な武美に、鮎子はいつもからかわれていたのだ。
しかし、武美は物語の続きを読みたがって……。
かけがえのない友だちに会いたくなる、感動の物語」


著者の作品は3冊目でえらそうなことは言えませんが、充実感のあった2作品に比べ、本書はレビューを書くにも・・・いやはや・・・という感じ。


しばらく考えても何の感想も浮かばないということにおいて、著者の作品中、最下層レベル。


著者は高校の3年間をわが郷土・岡山の、わが母校で過ごしたという同窓生なので、そういった視点で読めば多少の年代の違いはあるものの、当時の岡山の暮らしや母校の様子が生き生きと蘇ってそれなりにノスタルジックな作品ではありました。


が、岡山とまったく関係ない読者にとってはどうか。


岡山観光協会依頼の作品と見紛うような本書、内容的にも決して充実感があるとはいえない作品をすばらしいと思えるのか、というのが正直な疑問と感想。


それに作品全体を彩る岡山の方言。

全国の土地土地の方言はとても魅力的で、特に若い女の子たちが使っていると可愛らしい魅力あふれていて微笑ましく感じます。

でも、タイトルにも使われている「でーれー」は標準語では「すごく」とか「大変」というニュアンスの副詞ですが、少なくとも岡山市で育った私の周りで使っている人はいませんでした。


本書の女子高生たちが使っている岡山弁があまりにデフォルメされているので微笑ましさを通り越して逆に使い方のぎこちなさを感じてしまいました。


というわけで感想を総括するとノスタルジーが主題だとすれば、私を含めた岡山に地縁のある読者の方々にとっては心にしまっていた懐かしさを誘い出す作品だったといえるでしょう。

このブログでは極力安易な社会批判は慎しみたいと思っていますが、新聞紙上を賑わす昨今のニュースの数々に怒りのやり場がないこの頃です。

「憲法改正は歴史的使命」というスローガンのもと憲法の解釈変更で集団的自衛権の行使容認を目指している安倍政権。

まず内閣法制局の長官を山本庸幸氏からタカ派の小松一郎氏に変え無理矢理の憲法解釈変更へと布石を打ち外堀を固めるというやり方の卑劣さ!

隣家に強盗が入って隣人が殺されそうだという例を挙げ隣人を守るべきという大儀を就任早々押し出された小松氏。

安倍首相への選んでくれたことに対する恩義としての早速の表明。


シリア保有の化学兵器を国際管理下に置くというロシアの提案をシリアが受け入れることでどうやら回避できそうですが、シリア紛争解決に関してのアメリカ政府の攻撃表明のように、他国が攻撃された時に自国が攻撃されていないのに戦うことが正当化される権利の行使の獲得に躍起になっている様は目をふさぎたくなります。


先日の朝日新聞の「声」の投稿欄に投書された推理作家・森村誠一氏の改憲に関する声。

「国防軍に昇格すれば、戦争誘発力となり、シビリアンコントロールから離れて権力となることは世界の歴史が証明しています・・・
一代の政権の独裁によって改定すれば、日本の永久の汚点になるでしょう」


作家のご意見を借りて表明するのは潔しとはしませんが、どんなことがあろうと絶対に改憲反対です。

三人の子 国に捧げて哭かざりし 母とふ人の 号泣を聞く


読み人知らずの歌ですが、大切な宝を失ってなお泣くことも赦されなかった軍国の日本に絶対戻ないという気持ちです。


―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― 
 戦争絶滅受合法案

戦争行為の開始後、または宣戦布告の効力の生じたる後、10時間以内に次の処置をとるべきこと。すなわち左の各項に該当する者を最下級の兵卒として招集し、出来るだけ早く、これを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。

1、国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。
2、国家の元首の男性の親族にして16歳に達せる者。
3、総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
4、国民によって選出されたる立法府の男性の代議士。
  但し、戦争に反対の投票を為したる者はこれを除く。
5、キリスト教または他の寺院の僧侶、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。

上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として招集さるべきものにして、本人の年齢。健康状態を斟酌すべからず。但し、健康状態については招集後、軍医官の検査を受けしむべし。

上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦、または使役婦として招集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。



―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― 

筆者は、日本ジャーナリズムの先覚者・長谷川如是閑氏、今から83年前に提唱されたものだそうです。

ブログを通してお知り合いになった大先輩・銭本氏のブログに引用されていたものです。

「ナマケ政府の外交不作為の結果、戦争になったら、どうする? 答えは簡単です」との前置きのあと、この戦争絶滅受合法案が示されていました。

さすが銭本氏!


日頃胸に蟠っていたものすべてがこの法案に盛り込まれていて、しかも言葉の使い方以外内容が全く色褪せていないのがすばらしい。


この法案のすばらしさは、戦争だけでなく今日本の抱えている最大級の懸念事項の原発後処理問題にも適用することではないでしょうか。


原発推進に尽力を尽くされた政府の方々&原発建設に関わって利権獲得に力を注がれた企業の方々、原子力村に群がっていらっしゃる方々、誘致に向けて頑張られた市町村トップの方々、東電の役員以上の方々、まずは是非とも汚染水の処理を頭脳ではなく体やバケツを使って第一線に立ってやっていただきたいと思います、孫請け作業員に任せずに。




さて本日は奥田英朗氏著『沈黙の町で』をご紹介したいと思います。


「中学二年生の名倉祐一が部室の屋上から転落し、死亡した。
屋上には五人の足跡が残されていた。事故か?自殺か?それとも………。
やがて祐一がいじめを受けていたことが明らかになり、同級生二人が逮捕、二人が補導される。
閑静な地方都市で起きた一人の中学生の死をめぐり、静かな波紋が広がっていく。被害者家族や加害者とされる少年とその親、学校、警察など様々な視点から書き出される傑作長編サスペンス」


奥田氏は本当に引き出しの多い作家さんです。

オリンピックの東京招致で『オリンピックの身代金』が改めて脚光を浴び、映像化されるというニュースを見たばかり。

私は著者の軽妙タッチの作品のファンですが、その認識で行くと奥田氏が2人も3人も存在するかのよう。


本書はいじめをテーマの長編小説、朝日新聞に連載されていた小説を単行本化したものです。


いじめをテーマの作品はたくさんありますが、それらと一線を画していると思われるほど著者のもの書きとしての思索の深さを感じた作品です。


まず他作品のように善悪、白黒といった人間や行動の線引きが薄い、といったことが挙げられます。

大上段に社会派正義を唱える類の小説ではないこと、いじめをテーマにしていますが、もっと人間の根幹に迫って考えさせられる、すなわち人間の元来持っている弱さ、子どもたちの持っている純真&残虐性といった現実を浮き彫りにするという企みに成功しているのではないでしょうか。


ひとりの中学2年生の男子の死。

その死の謎を解き明かすために多くの紙面を割いた前半部分は、教師や刑事、保護者、生徒たちを巻き込んで当然の騒動として展開します。


物語は担任の教師、刑事、少年たちの母親、担当の検事、そして取材に当たる女性記者など複数の関係者の視点でそれぞれの姿を描写していますが、中盤からは突然死んだ少年が生きていた時点に戻り、以降現在と過去を交差させながら生死の前後の出来事を交互に描くという手法によって次第にいじめの実態が裸にされるという構成。

どの登場人物も私たちの身の回りにいるようなごく普通の人々、事件が起こるまではごく当たり前の日常を送っていた人々。

そんな人々が少年の死という事件に呑み込まれて、次第に自分の身を守るという本能が露出していく過程は自分も同じ立場に立たされたら、と共感を禁じえませんでした。


教師たちは校内で起きた生徒の死がせめて不慮の事故でありますように、いじめなどの話題性によってマスコミなどに血祭りにあげられないようにと、母親は自分の子どもが事件の加害者でありませんようにと、刑事はいち早く加害者たちの口を開かせ犯罪として立件できるようにと、それぞれの保身や執着の思惑が巡ります。


そして当の加害者とされる少年たちの幼さの中に潜んだ残忍さ。

ひとりではできない行動も集団ならできるという愚かな群集心理にさえ気づかず、自分の行動に責任も重さも感じない心、自分の気持ちや行動を分析する力も持たない、ただ大人たちや仲間たちの制裁を逃れたいという気持ち。

自ら生き残るためには群れの中が唯一の安全な場所、そして不利な状況から自分を守るには沈黙が唯一の手段というのが少年たちが幼い頭で考えた堅牢な砦だったのでしょう。


文にすればそれぞれの利己的な思惑にたじろぐ思いですが、どの立場の身になってみても「そうだろうな」と思えるような淡々とした文で進みます。


著者はどんな場所ででもこのような事件は起こる可能性がある、平凡に暮らす私たちにも事件の被害者の親にも加害者の親にもなりうる可能性があるということを示唆しているというのが私が感じたことです。


著者は「誰も裁かない…百%の正義も悪もない。裁くと作品の価値を落とすと思う」というスタンスを守っての執筆、書き進む過程で自分のこころに痛みがあったといいます。

「最初に名倉君を死なせてしまった。登場人物を見捨てるみたいで、書きながらもずっと胸がいたかった」


昨今世間を賑わしている‘いじめ’、大変デリケートで捉え方によっては読者の誤解や反論を招きかねないテーマを選んで正面からこのような形で描き終えた著者の勇気に敬意を表したいと思いました。

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出雲の阿国

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先日、松江の島根県立美術館で佐伯祐三展を観たあと、足を延ばして60年に1度という大遷宮を今年迎えた出雲大社を拝観しました。

過去に2度行ったことがありますが、以前に比べ周辺の道路も整備されて、遷宮という大きな行事があったためか、若い人たちを中心とした観光客も増え活気がありました。

今回は5人乗りのタクシーで古事記に詳しい運転手さんの観光案内を受けながら近辺を回ったこともありとても充実していました。

といっても古事記に登場する神々の系図は左の耳から右の耳へと素通り。

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古事記によれば、大国主神が国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造ったのが始まりといわれているそうです。


今年の御遷宮に伴う修造によって新しく葺き替えを終わった本殿の屋根の真新しい檜皮と千木・勝男木を天辺に頂く姿を観ることができました。

作法は「二礼 四拍手 一礼」

しっかり拝んできました~。


そのあと案内されたワイナリーで神々にお叱りを受けるほどみんなしこたま試飲したのでした。
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神々の神とも思えない人間臭い逸話の数々、運転手さんの説明を聞いていると機会あれば古事記を読んでみたいという気持ちになりました。

ただし身の丈に合うのは現代語版、できたらマンガがいいかもですけど。




さて今回は梯久美子氏著『猫を抱いた父』のレビューです。 


「明日を生きる道しるべ 。
忘れられない出来事と、忘れたくない人たち。
過去からの声に耳をすませば、懐かしいあの人が元気をくれる。
遠い記憶を呼び起こす珠玉のエッセイ集!」


著者の作品は硫黄島総指揮官・栗林忠道を描いたノンフィクション作品『散るぞ悲しき』を読んだきりですが、若い女性ながらその取材力の確かさと真摯さにとても好感が持てました。

『散るぞ悲しき』のレビューはこちら

本書はノンフィクション作家としては珍しく自らの身辺を綴った47篇のエッセイからなります。

前半は子供時代の家族との思い出、後半は戦争関連の取材を通して出会った人々とのエピソードなど。


「父は陸軍少年飛行兵学校にいたときに戦争が終わり、戦後は自衛官になった。
娘の目から見ると、ただただ謹厳実直で面白みのない人だった。
けれども旅の時間の中では、違う顔が見えた。
三十代も半ばになるまで、私は父のことをほとんど知らずに来たことに気がついた・・・
その後も父と何度か旅をした。
少しずつ、ひとりの男性としての父が見えてきた。
私が父を再発見できる歳になるまで元気でいてくれたことを、ありがたく思う」


そんな父親との旅行で語られる小さな逸話がふくよかな愛情ある娘の視線を通してほのぼのと、そして生き生きと描かれていて何だか切ない懐かしさが胸に溢れます。


私も父母を再発見できるだろう歳の今、そんな風な柔らかな視線を交わせるような旅がしたかった、と思うと後悔に胸が締めつけられます。


このように異国の旅の逸話ひとつ例に挙げても、視線の先には名もない人々の一瞬一瞬の生のきらめきが感じられて、何度もその物語から離れて自分を見つめ直したくなるような文。


誠実かつ綿密な取材を通して過去の戦争に関するノンフィクションを書いてこられた作家さんならではの命の重みをしっかりと両手で受け止めているような語り口に読み手の心が揺さぶられます。


なんらかの出会いで触れ合った人を大切に、そして慈しむことのできる人なんだなあと。


それら取材中のエピソードがいくつか綴られていますが、その対象となる市井の人々の戦争に対する思いがまっすぐに伝わってきて会ったことのない人々なのに愛しくなるのは対象者に対する著者の接し方の真摯さによるものではないでしょうか。


リリー・フランキー、東君平、森瑤子、吉本隆明、黒岩比佐子、児玉清、石内都、栗林忠道、管野スガ、石垣りん、森崎和江。

著者が取材を通して出会った人々。


詩人・森崎和江氏に宛てた手紙形式で書かれた下記の文から著者の取材に対する真摯な姿勢がうかがえます。

「取材をして書くということは、対象を素材として扱うこと、つまりは『ネタ』にすることです。
うまく書こうと努力し、なんとか形にできたそのあとに、自分が対象を扱った手つきを思い返し、一瞬、苦い思いがよぎることがあります・・・・
書くよろこびの裏側に、いつもうっすらとへばりついているそんな不安に、正面から対峙していると感じた作家は、森崎さん、あなただけでした」


★4つのお勧め。

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