
定期的に通っている鍼灸院で院長の補佐をしている鍼灸師のうちのひとりとの会話で彼が高校時代陸上の長距離ランナーだったということを知りました。
選手時代、疲労骨折など様々なトラブルに見舞われたとき鍼灸に助けられたことがきっかけで将来の職業として鍼灸師の道を選んだそうです。
ほっそりしたジャニーズ系で、そういわれればランナーにぴったりの体形。
高校時代に共に駅伝を経験した仲間の多くは関東の大学に進学、箱根駅伝にエントリーしているのでお正月には地元で集えないといいます。
「走る」ことの魅力や孤独感、駅伝での仲間との連帯感などを言葉少なにポツポツと話してくれた内容が、ちょうど箱根駅伝を題材の長編小説を読んだところだったのでひとつひとつ共感できて胸に響きました。
先日は京都での高校女子駅伝に続いて高校男子駅伝も終わりました。
放映中テレビに釘づけで経過を観ていた私、それぞれの区間のランナーの孤独と連帯がひしひしと伝わってきて力が入りました。
お正月早々には毎年恒例の箱根駅伝があります。
予選会で勝ち取った出場校のそれぞれのドラマを含めた戦い、今からワクワクしています。
その予選会にすら出場できない団体も多数。
その年の1月から予選会応募締め切り日までの公式記録で10000m走35分以内か5000m走17分以内のどちらかを作った選手を補欠も含めて10人以上揃えなければならないという規定。
大方の大学陸上部ではもちろん上記の2点は軽くクリアしている選手を揃えているのはいうまでもなく、全部の出場校は控えの選手を入れ13名でエントリーするのが通例ですが、今日ご紹介する作品のチームはエントリー人数もたまたまボロアパートに住まう同じ大学の住人10名、運動未経験が過半数という前代未聞の即席チーム。
もちろん現実ではこのようなチームが箱根の山に挑むなんて夢のまた夢、経験者でなくとも「まさか・・ねぇ・・そんな叶うべくもない夢・・物語になるのか」という読み始めの疑問でしたが、途中からはそんな疑心暗鬼の気持ちも吹っ飛び、ひとりひとりの走者に気持ちが自然に寄り添い、力の限り声援を送り、共に伴走する・・・終わったときには力は尽きたけれど心は共有感と達成感でいっぱいという魔法をかけられたような作品でした。
2006年の作、大半の三浦ファンの方々、そうでなくてもたくさんの方々はず~っとず~っと前に読まれたことと思われます。
「VINのらんどくダイアリー」に「流行遅れの」をつけたらどう?という囁きが聞こえそうな選本の数々ですが懐具合と図書館の都合によりいつも流行遅れとなっていることお察しくださればと思います。

「箱根の山は蜃気楼ではない。
襷をつないで上っていける、俺たちなら。
才能に恵まれ、走ることを愛しながら走ることから見放されかけていた清瀬灰二と蔵原走。
奇跡のような出会いから、二人は無謀にも陸上とかけ離れていた者と箱根駅伝に挑む。
たった十人で。
それぞれの『頂点』をめざして...。
長距離を走る(=生きる)ために必要な真の『強さ』を謳いあげた書下ろし1200枚!
直木賞受賞第一作、構想・執筆に6年かけた、超ストレートな大型青春小説!」
つけ加えれば本書は2010年第1回ブクログ大賞文庫本部門大賞を受賞しています。
2001年の正月、お酒を飲みながら箱根駅伝を見ていた著者の脳裏に突如閃いたという駅伝小説の構想、以来駅伝関係者に取材を繰り返し、練習や合宿、記録会、予選会に赴くという徹底取材を続けた6年後出来上がったという本書、文庫本にして659ページに及ぶ大作です。
1920年に始まり、戦時中の数年を除いて、戦争直後の食糧難の中でも選手たちは襷をつなぎ箱根の山を目指してきたという箱根駅伝のある年の物語。
もうすぐ4月になろうとするある夜、竹青荘に住む寛政大学4年の清瀬灰二が銭湯帰りにひょんなことから類まれな「走り」で夜道を駆けていく蔵原走に出会ったことから物語がスタートします。
大学生活の最後を箱根で走りたい、そんな夢を秘めながら怪我のため陸上を離れていたハイジこと清瀬灰二が走と知り合ったことで無謀とも思える箱根駅伝への夢を実現させるべく強烈なリーダーシップの下、竹青荘の住人たちと箱根の剣目指して艱難辛苦を乗り越えていく1年間を描いています。
「来年度の存続も危ぶまれるほどの弱小部なのに。素人の寄せ集めで。
ようやくここまで這いあがってきたというのに。清瀬は諦めるということを知らない。
いつでもうえを見て、夢と目標を掲げ、竹青荘の住人たちを強く導く。走りの高みを目指して」
それぞれに内に秘めた挫折や屈折、特異な個性を抱えながらハイジの巧みな投網にかかって、ランナーとして人間として成長していくハイジを含めた10人の姿が描かれていて今年の忘れえぬ作品となりました。
著者は登場人物を通して「走ること」の意味を読者に語りかけます。
他のメンバーの走りに対する態度に不満を持つ走に対して怒りをぶつけたハイジの言葉
「いいかげんに目を覚ませ!王子が、みんなが、精一杯努力していることをなぜきみは認めようとしない!彼らの真摯な走りを、なぜ否定する!きみよりタイムが遅いからか。きみの価値基準はスピードだけか。だったら走る意味はない。新幹線に乗れ!飛行機に乗れ!そのほうが速いぞ!」
メンバーたちを物心ともに支える町内のマドンナ・葉菜子の記録会での言葉
「走る姿がこんなにうつくしいなんて、知らなかった。
これはなんて原始的で、孤独なスポーツなんだろう。
だれも彼らを支えることはできない。
まわりにどれだけ観客がいても、一緒に練習したチームメイトがいても、あのひとたちはいま、たった一人で、体の機能を全部使って走りつづけている」
九区を走ろうとする走へのハイジからの言葉
「一年間、きみの走る姿を見て、きみと過ごしたいまは・・・きみに対する思いを『信じる』なんて言葉では言い表せない。信じる、信じないじゃない。ただ、きみなんだ。走、俺にとっての最高のランナーは、きみしかいない」
「箱根の山は蜃気楼ではない。箱根駅伝は夢の大会ではない。走る苦しみと喜びに満ちた、現実の大会だ。それは常に門戸を開いて、真摯に走りと向きあう学生を待っている。
もがきながら走りつづけた清瀬を、待っていた・・・
うれしい。涙が出そうなほど、叫びたいほど、喜びで胸は満ちる。
たとえ、二度と走れなくなったとしても。こんなにいいものが与えられたのだから、それで俺はもう、充分なんだ」
上述の言葉を秘めて箱根最後の十区を走る清瀬。
「走は見た。ふと空に視線をやった清瀬が、大切なうつくしいものを探し当てたように、透徹として表情を浮かべるのを。
ハイジさん、あなたは俺に、知りたいと言った。走るってなんなのか、知りたいんだと。
そこから、すべてははじまった。その答えを、いまならあなんたに返せそうです。
わからない、わからないけれど、幸も不幸もそこにある。走るという行為のなかに、俺やあなたのすべてが詰まっている・・・
この地上に存在する大切なもの――喜びも苦しみも楽しさも嫉妬も尊敬も怒りも、そして希望も。すべてを、走は走りを通して手に入れる・・・
走りとは力だ。スピードではなく、一人のままでだれかとつながれる強さだ。
ハイジさんが、それを俺に教えた。言葉をつくし、身をもって、竹青荘の住人たちに示した。好みも生きてきた環境もスピードがちがうもの同士が、走るというさびしい行為を通して、一瞬だけ触れあい、つながる喜びを」
久々に心を強く揺さぶられた作品となりました。
未読の方、ぜひどうぞ!