VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2014年01月

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お正月に来ていたアスカの顔を見ていてふと大人になったら今テレビでブレイク中の壇蜜のような顔になるような気がしました。

壇蜜からあの妖艶な雰囲気を除去したような顔。


一方、友人が壇蜜を見ていて「はて、誰かに似ているような・・・」と記憶の糸を手繰り寄せたところ、「そうだ、泉ピン子の若い頃だ!」と思い至り、パソコンで「壇蜜 泉ピン子」と検索にかけてみたそうです(どれだけヒマなん)^_^;


すると見事ヒット、双方似ているという書き込みが出るわ出るわ(世の中には同様にヒマな人たちで溢れているようです)・・・ということで自分のイメージがまちがっていなかったことを確信したそうです(何を確信していることやら^_^)


「そういえば・・・」と私も頷いたものの、だったら「アスカ→壇蜜→泉ピン子・・・アスカ→泉ピン子」という図式が成り立ちますけど・・・ね・・・何だか承服しかねるような・・・複雑です(――;)





さて本日は薬丸岳氏著『友罪』をご紹介します。


「ジャーナリストを志して夢破れ、製作所に住み込みで働くことになった益田純一。
同僚の鈴木秀人は無口で陰気、どことなく影があって職場で好かれていない。
しかし、益田は鈴木と同期入社のよしみもあって、少しずつ打ち解け合っていく。
事務員の藤沢美代子は、職場で起きたある事件についてかばってもらったことをきっかけに、鈴木に好意を抱いている。
益田はある日、元恋人のアナウンサー・清美から『13年前におきた黒蛇神事件について、話を聞かせてほしい』と連絡を受ける。13年前の残虐な少年犯罪について調べを進めるうち、その事件の犯人である『青柳』が、実は同僚の鈴木なのではないか?と疑念を抱きはじめる・・・・・・

『凶悪犯罪を起こした過去を知ってもなお、友達でいられますか?』─ミステリ界の若手旗手である薬丸岳が、満を持して『少年犯罪のその後』に挑む、魂のエンタテイメント長編」


著者は2005年に第51回江戸川乱歩賞を受賞された少年法をテーマの『天使のナイフ』でデビュー以来、一貫して犯罪における加害者と被害者の遺族の心の葛藤、また加害者のその後をテーマに特化して書き続けていらっしゃいます。

2006年『闇の底』【性犯罪】
2008年『虚夢』【刑法第39条・心神喪失者の犯罪】
2009年『悪党』【犯罪者の処罰と更生】
2011年『刑事のまなざし』



初の短編集『刑事のまなざし』は2013年に椎名桔平さん主演でテレビドラマ化されたので観られた方も多かったのではないでしょうか。


さて本書に戻ります。

今回も犯罪加害者の更生後の苦悩と、加害者周辺の葛藤がテーマの作品です。


「作家になる前から少年犯罪には関心がありました。
酒鬼薔薇事件が起きた時にも、もしも自分が将来犯人と出会ったらどうするだろうと漠然と考えていました。
デビューしてから数作は犯罪の周辺で理不尽に思うことを書きましたが、やっぱりそれはキツかった。
それで最近は謎解きやどんでん返しのあるエンタメ性の強いものも書いていました。
でも、『小説すばる』で連載をすることになり、もう一度テーマ性の強い小説を書きたいなと考えた時、そういえば昔こういうことを考えていたな、と思い出したんです」

著者・薬丸氏は本書執筆の動機をこのように語っていらっしゃいます。


著者のインタビューを見るまでもなく、読み出してすぐに本書は17年ほど前に起きた神戸連続児童殺傷事件をモチーフにした物語であることに気づきました。


現在31歳になる次男が小学校6年のときに起きた事件はあまりにもセンセーショナルな内容で世の中を震撼とさせました。


以前にブログでも言及したことがあると記憶していますが、当時神戸で次男が所属していた少年野球の仲間のお父さんが加害少年の父親と同じ会社の同僚として机を並べていたそうです。


会社主催のクリスマスパーティでその少年にも会ったことがあるそうでしたが、何ら同学年の少年と変わることがなかったとおっしゃっていました。


しかし報道によって徐々に明らかになった犯罪の詳細を通して少年の特異な性衝動の闇が浮かび上がり身震いするとともに同学年の少年の親としてやるせなさでいっぱいになったことを覚えています。


少年のその後は、その性的サディズムを矯正すべくに少年鑑別所において更生プロジェクトの総力を集めたそうで、その2500日にわたる記録を記したノンフィクション『少年A 矯正2500日 全記録』が元東京少年鑑別所公務教官・草薙厚子氏によって刊行され、反響や物議を醸し出したことは記憶に新しいと思います。 


ここでは黒蛇神事件と呼ばれる少年事件の“その後”となっていますが、実際に模して更生プロジェクトに携わった鑑別所の元教官である女性が登場して物語の牽引力の一端を担っています。


このように確固たるテーマの下、核になる登場人物を配置し、物語の枝を幾重にも伸ばして進行させていますが、全体的に予定調和的な感が否めませんでした。


実名を隠して働いている加害者の同僚として登場する主人公・益田の造形の細かな点に違和感が多々あり、加えて同僚が世間を騒がせた猟奇殺人の加害者ではないかと気づく過程が強引で納得感が得られませんでした。


おまけに加害者・鈴木の描き方が中途半端なのは実際の少年Aのその後が完結せず霧の中状態であることに起因しているのではないかと想像が働いて。。。


思春期に表れる独自の性的サディズムは果たして矯正できうるものなのか、というこの加害者の核となるものが明らかになっていない時点では想像力を働かせるしかなすすべはありませんが、そうなるとおのずから説得力のある造形は期待できないのかもしれません。


著者によると難しかったのは鈴木の周囲にいる人々の人物造形だったといいます。

「普通であれば、同僚であっても過去を知った時点で気持ちが引くと思います。
それでも相手を突き放しきれないのはどういう人たちなんだろうとずいぶん考えました。益田も、ジャーナリストを志しているけれどうまくいかない青年という設定だけでは鈴木を受け止めきれないだろうと思いました。
それで、彼にも過去から逃げている部分があることにしました」

このような設定で登場人物造形を行った結果、あまりにも非現実的なワケあり集団ができ上がって、共感が遠のいてしまった感があるのは否めませんでした。


しかし、罪を犯し罪を償ったとしてもその後の長い人生を生きなければならない元犯罪者の重い人生を想像するとき、犯した罪が重ければ重いほど、平凡に生き抜くということがいかに難しいかということを見せつけられた作品でした。

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お正月に次男が持参したDVDのうちの1作・ポランスキー監督の「おとなのけんか」を観ました。

お互いの子ども同士のけんかの結果、怪我を負わせた加害少年の両親が怪我を負った被害少年の両親の招きで彼らの家に和解に向けた話し合いに訪問、初めはお互い誠実な物腰で大人の社交を展開させますが、加害少年の父親である敏腕弁護士にひっきりなしにかかってくる携帯電話での仕事の会話によって話し合いが中断されてどんどんその場が険悪になっていきます。

最後は収集がつかないほどに4人がお互いを傷つけあう結果になるというコメディタッチ。

ブルックリンのスタイリッシュなアパートメントで双方の母親役のジョディ・フォスターとケイト・ウィンスレット、父親役のクリストフ・ワルツとジョン・ライリーの間で繰り広げられる罵り合いが喜劇的に仕上げられていて評判通りのおもしろさ。
ラストの画像が表すオチがまた痛快というおススメ映画。


その中でやむを得ない仕事とはいえ、クリストフ・ワルツ演じる弁護士の場を弁えない傍若無人の携帯電話でのやり取りを見ていて、人ごととは笑えない緊迫感を感じました。


というのが、昨年から異動で24時間2交代体制の職場のマネージャーとなった娘から聞いた話と重なって。


飲み会や食事会の予定が入っていても最近ではどんどん時間がずれ込み、やっと行ける状態になった夜11時過ぎには会もお開きになるそうで、たとえ出席してもすぐにテーブルに携帯電話2台をスタンバイして職場の緊迫した事情を説明し予め失礼を謝っているそうです。


お正月に帰省したときも姪のアスカの相手をしながら、食事をしながら、みんなでゲームをしながら、何分かおきに持参したパソコンに走りよっていたという興ざめするような落ち着きのなさ。


以前はちょっとした休憩時間にメールや電話をくれていましたが、最近はメールする暇、食事する暇さえないそうです。

こうしてどんどん親しい人たちとの交流も遠のき不義理を重ねざるを得ない毎日だそうです。

バツイチになって8年になる娘、親としての心配は絶えません(――;)

仕事より婚活してほしいというのが正直な親の気持ちなんですけどね。





さて今回は村田喜代子氏著『ゆうじょこう』をご紹介します。

「たたみの 上では しにませぬ あたいは なみの上で しにまする
硫黄島から熊本の廓に売られてきた海女の娘イチ。
廓の学校『女紅場』に通いながら、一人前の娼妓となっていくイチが眼の当たりにする女たちの悲哀。
赤ん坊を産んだ紫花魁。
廓から逃亡したナズナ。
しかし明治の改革は廓にも及び、ついに娼妓たちがストライキを引き起こす。
苦界に生きる女のさまざまな生を描く連作短編集」



著者の作品としては1987年に芥川賞を受賞した『鍋の中』、『蕨野行』、『あなたと共に逝きましょう』が既読作品、独特の男性的な文体で生の不条理に切り込みを入れる作家さんです。


本書は明治時代の熊本二本木の遊郭・東雲楼を舞台に、硫黄島から売られてきた15歳の少女・イチの姿を描いた連作短編集。

熊本きっての遊郭・東雲楼で花魁としてのお職を張っている東雲太夫を初め、零落した旗本の家から苦界に身を落としたあと教養を買われて女郎たちの塾「女紅場」の先生となった鐵子など、主人公イチを取り囲む多彩な登場人物たちの描写が生き生きと活写されていてたいへん読み応えのある作品となっています。


著者によれば、本書の後半で描かれる遊女たちのストライキ、明治33年に実際に東雲楼で起きた事件をもとにしているそうです。

50人もの女郎たちが待遇改善を求めて団結、さまざまな妨害にも果敢に立ち向かい、これが後の全国各地に広がった廃娼運動のきっかけとなったというもの。


その昔、宴席などで酔客によって歌われたといわれる「東雲(しののめ)のストライキ、さりとは辛いね、てなことおっしゃいましたかね」というフレーズ、ずっと以前映画で聞いたことがあるような気がしますが、このストライキを指します。


本書執筆の動機として著者はこの事件を挙げていらっしゃいますが、本書の読みどころは15歳のイチが東雲太夫や「女紅場」の鐵子先生によって無縁だった読み書きや遊女としての心構え、行儀作法などさまざまなことを教えてもらいながら成長する姿を描いて圧巻です。



遊女となって唯一つのよかったといえることは「女紅場」という遊女のための学校で読み書きを教えてもらえたこと。

もっともそれは商売用に客に誘いの恋文を書くことと、楼主から借金などの帳簿を誤魔化されないようにするためのものであるといいます。


「女紅場」の鐵子おっしょさん指導の下、毎日イチによって書かれる日記を通して遊郭での日常が鮮やかに浮かびます

はつほのばんに(初穂の晩=初めて客を取った夜) 
じだ(地面)が ほげ(抜け)もした(申した)
おっかさんや あねつじょ(姉)のつきよ(月夜)のことは
おもてしかこつ(楽しい遊び)と おもとった(思っていた)
まこて(本当に)ゆしこつ(良いこと)と おもとった
あしんした(足の下)の じだが(地面が)ほげて
あたいや あしたかい(明日から) いけんして(どうやって) つとむいっか(仕事しよ)


生まれ故郷の硫黄島の島言葉で書かれたイチの日記。

15歳の遊女の初穂の晩の出来事を思うと切なさが胸いっぱいに広がります。

「女にとって、男女の心の営み、豊かな感情の世界が織り込まれていない性交は苦のほかはない。
そのことがわかった十五の娘は、世界の底が抜けたのだ。
鐵子先生も底がない世界に身も心も覚えがあった。
踏みしめる足場のない所である。
右足も、左足も、進むも退くも、ずぶずぶと沈んで歩くどころか、身も心も置き場がない。
鐵子は始め福沢諭吉が新聞連載『新女大学』を読んで、女子にも学問、とくに体育と物理を学ぶことを薦めた時には胸が躍った。
ところが連載が進むにつれて、諭吉の女子への公平な愛というものは、身分ある家の婦女子だけに注がれていることがわかって鳥肌がたつ。
『芸妓の事は固(もと)より人外(じんがい)として姑(しばら)く之を擱(お)き、諭吉は、たとえ妾や芸妓が良家の夫人になっても、これらは人間以外の醜物だから淑女貴婦人は交わるべきでなく、やむを得ず接する場合は、軽蔑の情を現さず窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐れむこそ慈悲の道なれ』という。
なんたる身勝手な慈悲!
『天は人の上に人を造らず』と言った諭吉の内実の姿に鐵子さんは怖気を覚える」

鐵子の視線を通した著者の静かな怒りが本書から伝わってきます。

諭吉の『最も恐るべきは貧にして智ある者なり』といい『貧人に教育を与ふるの利害、思はざる可らざるなり』という考え方、これが「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というトーマス・ジェファーソンの言葉を座右の銘にした福沢諭吉の思想とは!

諭吉云々への怒りは別として、本書は男性の性具としてのみ女性の存在を認めた哀しくも切ない物語なのに全体を貫く開放的な明るさと力強さはひとえに主人公イチや東雲太夫、「女紅場」の鐵子の造形にあるのではないでしょうか。

生命力溢れ明るくまっすぐなイチ、強く情深く教養深い東雲太夫、苦界で生きる少女たちの哀しさをすべて呑み込んで教場に立つ鐵子。

3人3様の女たちの運命に抗うことのできない切なさで胸がいっぱいになりました。

ストライキに成功して花魁を初め娼妓たちが楼から解放されるときの楼主と花魁の交わした言葉が印象的でした。

「花魁。
わしはお前さんに何か悪さをしたか・・・
わしはお前さんを騙したことがあったか。
よその見世のように、うちの女郎衆を酷う騙したことが一遍でもあったか」

「それでも・・・それでもお前様は、人を売り買いしなさんした」

退職後の夫を抱える友人たちのほとんどはお昼ごはんは各々で、という夫婦間の約束を実行していらっしゃって羨ましいなと思う私。

夫のお昼が必要ないときが週に2度ほどありますが、それ以外は私が不在でないかぎり作ります、といっても外出先で外食することも多々ありますが。

そば、うどん、ちらし寿司、チヂミ、お好み焼き、焼きそば、パスタ、オムライス、チャーハン、ピザなどなど。
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昨夜の残り物がたくさんあっても夫は麺類か粉ものがお昼と思っているようで、最近は自分で温かい稲庭うどんを作るときもあったり。


私は料理は気楽によく作るほうですが、このお昼がいちばん面倒というか・・・夕食はきちんと作るものという意識が頭にインプットされているせいかかなりやっかいなものでも作るのが苦になりませんが、お昼ごはんは気持ち的に負担を感じます。


「作るものが充実しすぎ!」と友人はいいますが、夫が喜ぶのでついつい。


で、朝食が済むと同時にお昼用の野菜を切ったり手早くして気持ちに余裕を持たせたり。


先日東海林さだお氏の「丸かじりシリーズ」を読んだ夫が「キンレイの鍋焼きうどん!」と連呼してネット検索したらコンビニで販売していることがわかって昨日早速お昼用に買って食べました。
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そのあと月1で通っている病院に行って呼ばれるまでの時間を夫に借りた「丸かじり」に費やして一気読みしたのが本日ご紹介する本書。


東海林さだお氏著『いかめしの丸かじり』

この「丸かじりシリーズ」現在は35冊刊行されていますが、夫はそのうち25冊ほど所有。

夫が10年ほど前の胃がん手術で入院中、私の姉がベッドで気楽に読めるからとお見舞いに3冊持ってきてくれたのが始まり。

仕事のハウツーもの、スパイもの、歴史ものに限定していた夫の読書歴に以後「丸かじり」がどんどん加わって・・・本棚が悲鳴を上げそう(――;)

1度すべて処分しようとしたら阻止されて・・・。



本書に話を戻します。

今回も重箱の隅を小さな針でつつくような目のつけどころは健在!

「『丸かじりシリーズ』第32弾。
『食』への好奇心はいまだ衰えず。
爆笑・食通エッセイは日本人論としても絶品レポート。
不況を吹き飛ばす何かがココにはある!
――じいさんビアガーデンにゆく/えっ?冷やしかつ丼?/タコぶつ噛み噛み考える/コップの上部スキマ3.5センチであなたはビールを注げるか?/ファミレスで晩酌を/『新国会丼』発見!/おやじと美肌鍋/いかめしの秘密……」

タイトルに「いかめし」をつけているわりには、イカよりもタコにえらくご執心の様子、タコの話は3篇もあって、あげくタコの吸盤の数まで数えるという丁寧さ!


「海苔だけの海苔弁」や久米島の「四角いおにぎり」、宮崎特産の「肉巻きおにぎり」など食欲がそそられるものがずらり!


で、「キンレイの鍋焼きうどん」はというと、年間販売数500万個という売れ筋商品だそうです。

「うん、なかなかどうしてちゃんとしたコシのある、モチモチしたおいしいうどんである。
ツユも鰹の本節や鯖節やうるめ節を使っているとかで、ダシがよく効いている。
椎茸や鶏肉もおいしく、全員なかなかの健闘ぶりである。
本物の鍋焼きうどんと比べて遜色のないうどん、そして具」

東海林氏の感想そのままでした^_^

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早めにお節を用意して、おでんや筑前煮を炊きながら年越そばのだしをとり、えびを揚げるまでにし、そしてお屠蘇やお正月飾り、祝い箸を用意。

これが年末の私がいつもすることですが、それに加え家中の古いカレンダーを新しいのと取り替えるのが夫が積極的にする役目。

夫はカレンダーが好きで(私の目からみて大好きそう)各部屋にもらったカレンダーすべて(!)を掛けまわります^_^;


家中のカレンダーの数を数えてみたら、なんと10も!

会社などのコマーシャル入りのカレンダーが所狭しと掛けられていきます。

趣味もなにもあったものじゃないという感じ(――;)
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その中で私のお気に入りはこれ。 
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友人宅のトイレに掛かっていてすてきだねと言ったら百円ショップで買ったというので連れて行ってもらって買ったもの。

百円ショップの進化はほんとうにめざましいものです。

ということで家中カレンダーに囲まれて過ごす一年、まずの目標は予定を失念しないこと!





さて本日は三浦しをん氏著『天国旅行』をご紹介します。


「現実に絶望し、道閉ざされたとき、人はどこを目指すのだろうか。
すべてを捨てて行き着く果てに、救いはあるのだろうか。
富士の樹海で出会った男の導き、命懸けで結ばれた相手へしたためた遺言、前世の縁を信じる女が囚われた黒い夢、一家心中で生き残った男の決意──。
出口のない日々に閉じ込められた想いが、生と死の狭間で溶け出していく。
すべての心に希望が灯る傑作短編集」


著者はほんとうにしをんさん?と見紛うような「心中」という重いテーマを扱った短篇集、それぞれの主人公が語る7つの物語が含まれています。


「心中」がテーマとはいえ、いくつかは枕に「無理」がつくものや、連れ添う相手なしの「自死」だったりと形はさまざまですが、すべて「死」、しかもかなりオカルティックな雰囲気の筋立てとなっています。


様々な辛苦を抱えたそれぞれの登場人物にとって死は救済であったり、自分を傷つけた人への復讐であったり、あの世の愛しい人との橋渡しの手段であったり、と動機はさまざまですが、共通しているのは自ら生を閉じたあとの新たな生は今よりは少なくとも幸福であろうというほのかな期待感を持っているように見受けられます。


死のあとの世界は重力も何もないくうだというイメージを持っている私にはほんの少しの期待感でも持つことができる人が羨ましく感じる反面、ここに登場する主人公たちの死を選ぶに要するすさまじいエネルギーを通して、どんな死であろうとも死を迎える作業の壮絶さを感じてため息が出るのでした。

先日友人に誘われて「かぐや姫の物語」を観にいきました。48577c77.jpg


高畑勲監督、スタジオジブリ制作の映画。

ときどきTVコマーシャルで目にしていましたが、ジブリ制作だしアニメだしなぁと躊躇していましたが、2005年に製作が決定して以来8年の歳月を費やしたという高畑監督の自信作という点に惹かれた友人に伴われて・・・。


キャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」。


メッセージ性を強く打ち出す特徴のある過去のジブリ作品のうちひとつふたつは納得感のあるものがありましたが、作品の多くは自分の感性のアンテナの低さが起因しているのか、制作者サイドの放つ強いメッセージをキャッチすることができず、「ハテナ??」という感想が多かったですが、今回も同様でした(ーー;)

テレビのインタビューで高畑監督は地球のすばらしさを描いた旨発言していらっしゃいましたが・・・逆に人間のこころの醜い部分の描写に多くを割いていたような感想。


ずっと以前孫と観にいった「崖の上のポニョ」も???という感じ、感性の鈍さが露呈するようでおおっぴらには言えませんでしたが^_^;

もちろんアニメ自体の精巧な技術のすばらしさには圧倒されましたけど。


終了後の4時前、同じフロアにあるスタバで「ちょっとお茶」をするつもりが話しているうち気がついたら8時、びっくりとともに2人とも慌てて夫に電話したところ、友人のご主人は帰宅を待っていまだ食べず、夫は野菜炒めを作って食べている最中・・・恐かったです

「遅くなるならちょっと一報ほしかった」というセリフ、夫の現役時代逆の立場で度々口にしていたような・・・映画はともかくしゃべり疲れた一日でした。




さて本日はマララ・ユスフザイ+クリスティーナ・ラム氏著『わたしはマララ:教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』をご紹介したいと思います。


「『すべての子どもに教育を』と訴え、イスラム武装勢力に銃撃された16歳の少女・マララの手記。
本書は、テロリズムによって生活が一変した家族の物語でもあり、女の子が教育を受ける権利を求める戦いの記録でもある。
世界24か国で翻訳の話題作!」


多くの方がTVや新聞紙上で勇気ある少女・マララのことを目していらっしゃると思いますが、共著者クリスティーナ・ラムと共に簡単な経歴を記しておきます。

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【マララ・ユスフザイ】
1997年パキスタン北部山岳地帯のスワート渓谷に生まれる。
11歳のとき、英BBC放送のウルドゥー語ブログにグル・マカイというペンネームで日記を投稿し、注目を集める。
女性の教育の権利を認めないタリバンの圧力に屈せず、「女の子にも教育を、学校に通う権利を」と訴えつづける姿勢が多くの人々の共感を呼ぶ。
2012年10月9日、15歳のときスクールバスで下校途中にタリバンに襲われ、頭部を撃たれ生死の境をさまようものの、奇跡的に命をとりとめ、その後も教育のための活動を続けている。
その勇気と主張を支持する声は世界中に広がり、「サハロフ賞」など多くの賞を獲得、ノーベル平和賞・史上最年少候補となる。

【クリスティーナ・ラム】
世界トップクラスの国際ジャーナリスト。
オックスフォード大学、ハーバード大学卒業。
5冊の著書がある。
イギリス海外通信員賞を5回受賞、ヨーロッパで最も権威のある通信員賞とされるバイユー戦争報道特派員賞受賞。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――


銃弾による心身の大きな傷にもめげず、全世界の女性の代表として「1冊の本と1本のペン」を求めて果敢に戦うマララの勇気は、平和の国にいる私たちの心すらも鷲づかみにする力を持っています。


本書は15歳でイスラム武装勢力タリバンの暗殺の標的にされた16歳になる少女の自伝ですが、「自伝」という一言で言い切ることができないほど重い課題を含んでいます。


「人々は神様に、わたしを助けてと祈ってくれた。
そしてわたしは助けられた。
それには理由があるのだ。
わたしには第二の人生をかけて、みんなを助けるという使命がある」


生まれてたった15年しか生きていない少女がなぜこのようなとてつもない強い勇気を持つことができたのか・・・私がこの本を買った動機はこの疑問につきます。

本書にはそれに対する答えが詰まっています。


もともと男女の間に優劣をつけたアラーの神の教えが書かれたコーランの教義を一義とするタリバンにとって危険分子として標的にされたマララ。

犯行を認めたTTP(パキスタンのタリバン運動)の報道官は「シャリア(イスラム法)に反する運動をする人物を殺すのは当然のことだ」と再び襲撃する可能性を宣言したといいます。


本書には男性優位のイスラム社会で学校を経営するマララの父親が娘に深い愛情を注ぎ、教育を受けさせようとイスラム原理主義と戦う様子とともに、11歳の頃からパキスタンのメディアを通してイスラムの考え方の間違いを指摘し続けたマララの果敢な姿を追っています。


「誰だって人生で一度や二度は過ちをおかす。
だいじなのは、そこからなにを学ぶかだ」

とうてい十代半ばの子どもの発言とは信じられないマララの言葉。


マララの16歳の誕生日をもって国連が「マララ・デー」と決めた2013年7月12日にマララはニューヨークの国連本部でスピーチを行いました。


ネット掲載の和訳のスピーチ原稿をお借りしたので目を通していただけたらと思います。


「・・・マララ・デーは私一人のためにある日ではありません。
今日は、自分の権利のために声を上げた、全ての女性、全ての少年少女のための日なのです。
何百人もの人権活動家やソーシャルワーカー達が、人権について訴えるだけではなく、平和、教育、そして平等という各自の目標を達成するために闘っています。
何千もの人々がテロリストに命を奪われ、何百万もの人々が傷つけられています。
私はその一人に過ぎません・・・
私は、自分自身のためではなく、声が聞こえてこない『声なき人々』のために訴えます。それは自分達の権利のために闘っている人々のことです。
平和に生きる権利、尊厳を持って扱われる権利、均等な機会の権利、教育を受ける権利・・・
2012年10月9日、タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました・・・
彼らは銃弾を使えば、私達が沈黙すると考えたのです。でも失敗しました・・・
私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。
そして、強さ、力、そして勇気が生まれたのです・・・
私は、全ての子供達が教育を受ける権利を主張するためにここにいます・・・
親愛なる少年少女の皆さん、私達は暗闇を見ると、光の大切さに気づきます。
私達は沈黙させられると、声を上げることの大切さに気づきます・・・
私達は全ての政府に対し、世界中の全ての子供達が確実に、無料で義務教育を受けることがきるようになることを求めます。
私達は全ての政府に対し、テロリズムと暴力に向かって戦うことを求めます。
子供達を残虐行為や危害から守ることを求めます。
私達は先進国に対し、発展途上国の少女達が教育を受ける機会を拡大するための支援を求めます。
私達は全ての地域社会に、寛容であり、カースト、教義、宗派、皮膚の色、宗教、信条に基づいた偏見を拒否するように求めます・・・
私達は世界中の女性に対して、勇敢であり、自分自身の中にある強さを受け入れ、自分自身の最大限の可能性を発揮するように求めます。
親愛なる少年少女の皆さん、私達は全ての子供達の明るい未来のために、学校と教育を求めます。
だから、闘いましょう。
無学、貧困、そしてテロリズムに対する輝かしい闘争を行いましょう。
私達にとって一番強力な武器である、本を手に取り、ペンを握りましょう。
一人の子供、一人の教師、一冊の本、一本のペンで、世界を変えることができます。教育こそがただ一つの解決策です。
教育を第一に。
ありがとうございました。」

出版した自伝で得られた費用の一部はマララ基金に回され有意義に使われるということです。

私も本を買ったことで雀の涙ともいえないほどの小さな献金ができたなら嬉しいです。

彼女の勇気ある発言や行動の数々に心より敬意を表します。

年明け9日に友人と3人で岡山県北の湯郷温泉に行ってきました。

今回の宿Kは昨年末夫の手術回復一周年を記念して2人で行った宿。

夫は過去にゴルフ仲間や学生時代の友人たちと訪れていて4度目でしたが、私は今回を入れて3度目。


こじんまりとした落ち着いた宿で接客も行き届いていて気持ちのいい宿と評判も上々。

ずっと以前女子サッカーが今ほど有名ではなかった頃、湯郷Belle所属でなでしこジャパンの主将・宮間あや選手がお風呂掃除のアルバイトに通っていたところ。
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練習場が近くにあるので、今でもときどき湯郷Belleの選手たちが温泉に入りに来られるそうです。


おいしい夕食、今回こそは全部写真に撮ろうとデジカメをスタンバイしていたにもかかわらず、食べるほうに気がそそられて全部は撮れませんでした。
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さて今回は浜田廣介氏・作&梶山俊夫氏・絵著『泣いた赤おに』のご紹介です。 


「人間と仲良くなりたいという赤おにの願いを助けてくれた青おにでしたが・・・。
まごころの大切さを感動的に描いた名作の愛蔵傑作版」


「ひろすけ童話」として教科書にも載ったこともある有名な童話なのでほとんどの方が読まれたり、お子さんたちに読み聞かせをされた経験があると思います。

1965年に偕成社から初版が出て以来、多くの出版社から刊行されています。


『幸福の王子』や『ユンボギの日記』などとともに私にとっても永久保存版の童話本、再読を繰り返すたびに思索が深くなる作品です。


未読の方のために簡単なあらすじを記しておきます。

山の崖下に住んでいる心優しい赤鬼。

ふもとに住む村人たちと友達になりたいのに外見の恐さゆえ警戒して近寄ってくれないことを嘆く赤鬼の悩みを聞いた鬼仲間の青鬼が以下の提案をします。

「自分が悪い鬼として人間の家で暴れるからきみが僕をやっつけて追い出したらどうか。
そうすれば人間たちはきみを信用するだろう」

提案を実行した結果村人たちは赤鬼に心を開き友達づき合いが始まりますが、青鬼は置手紙を残し赤鬼の前から姿を消してしまいます。

「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。
もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。
それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。
さようなら、体を大事にしてください。
ぼくはどこまでも君の友達です」


天災や人災、法案などざらざらした課題を多く残したままの2014年の幕開け、阪神淡路大震災辺りから発揮しはじめた日本人のボランティア精神や東日本大震災と原発事故を通して生まれた「絆」という言葉があまりにも乱発されすぎて言葉だけが一人歩きしている感が拭えない昨今です。


昨年末、哲学者・千葉雅也さんと批評家・浅田彰さんの対談で指摘されていた「つながりすぎ社会」という今の若者中心の日本の現状、すごく共感できます。

LINEなどを通した過剰な接続がかえってコミュニケーションを空疎にし形骸化させているというもの。

東日本大震災のあと、タレントや歌手など多くの著名人が必ず口にした「絆」とともに「僕たちはいつも君たちのそばにいる」というメッセージが言葉だけの空虚さで空回りしていると感じた方も多かったはず。

かくいう私も伝える手段としての言葉を選ぶならそのようになるのはよく理解できます。


平和や愛を命がけで達成しようと思うなら、通りのよい上辺の言葉や文字のメッセージ、歌や署名活動、デモに加わったりすることではとうてい到達できないという重い事実を学ぶことができるのが本書。


本気で信頼や愛を得ようとするなら自分の持ち物、最後には命さえ差し出す覚悟がいるというのが究極のメッセージであろうと思います。

逆に何かを得ようと欲すれば必ず大切な何かを失うという条理、どちらも得たいと思うのは世の常、得るものと失うものを天秤にかけて思案するというのもあまりにも賢しらで避けたい気持ちが私にはありますが、一瞬の気迷いで選んだ行動があとで大きなものを失う結果になったことは今までにも経験があります。


青鬼を失ってしまった赤鬼の深い後悔と悲しみはきっと人間の信頼を勝ち得た満足感をはるかに超えるものだったと想像しますが、赤鬼の前には後悔先に立たずの現実が立ちはだかっているという人生の厳しさをも示唆した作品ではないでしょうか。


幸福の王子のように自分が犠牲になることで他者を生かすという青鬼の無償の愛と、そして外見だけで判断する愚かな人間の性、本当に大切なものは自分のすぐ近くにあったことを知る赤鬼の後悔・・・学ぶべき多くのことが詰まっている作品でした。

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