
お正月に来ていたアスカの顔を見ていてふと大人になったら今テレビでブレイク中の壇蜜のような顔になるような気がしました。
壇蜜からあの妖艶な雰囲気を除去したような顔。
一方、友人が壇蜜を見ていて「はて、誰かに似ているような・・・」と記憶の糸を手繰り寄せたところ、「そうだ、泉ピン子の若い頃だ!」と思い至り、パソコンで「壇蜜 泉ピン子」と検索にかけてみたそうです(どれだけヒマなん)^_^;
すると見事ヒット、双方似ているという書き込みが出るわ出るわ(世の中には同様にヒマな人たちで溢れているようです)・・・ということで自分のイメージがまちがっていなかったことを確信したそうです(何を確信していることやら^_^)
「そういえば・・・」と私も頷いたものの、だったら「アスカ→壇蜜→泉ピン子・・・アスカ→泉ピン子」という図式が成り立ちますけど・・・ね・・・何だか承服しかねるような・・・複雑です(――;)

「ジャーナリストを志して夢破れ、製作所に住み込みで働くことになった益田純一。
同僚の鈴木秀人は無口で陰気、どことなく影があって職場で好かれていない。
しかし、益田は鈴木と同期入社のよしみもあって、少しずつ打ち解け合っていく。
事務員の藤沢美代子は、職場で起きたある事件についてかばってもらったことをきっかけに、鈴木に好意を抱いている。
益田はある日、元恋人のアナウンサー・清美から『13年前におきた黒蛇神事件について、話を聞かせてほしい』と連絡を受ける。13年前の残虐な少年犯罪について調べを進めるうち、その事件の犯人である『青柳』が、実は同僚の鈴木なのではないか?と疑念を抱きはじめる・・・・・・
『凶悪犯罪を起こした過去を知ってもなお、友達でいられますか?』─ミステリ界の若手旗手である薬丸岳が、満を持して『少年犯罪のその後』に挑む、魂のエンタテイメント長編」
著者は2005年に第51回江戸川乱歩賞を受賞された少年法をテーマの『天使のナイフ』でデビュー以来、一貫して犯罪における加害者と被害者の遺族の心の葛藤、また加害者のその後をテーマに特化して書き続けていらっしゃいます。
2006年『闇の底』【性犯罪】
2008年『虚夢』【刑法第39条・心神喪失者の犯罪】
2009年『悪党』【犯罪者の処罰と更生】
2011年『刑事のまなざし』
初の短編集『刑事のまなざし』は2013年に椎名桔平さん主演でテレビドラマ化されたので観られた方も多かったのではないでしょうか。
さて本書に戻ります。
今回も犯罪加害者の更生後の苦悩と、加害者周辺の葛藤がテーマの作品です。
「作家になる前から少年犯罪には関心がありました。
酒鬼薔薇事件が起きた時にも、もしも自分が将来犯人と出会ったらどうするだろうと漠然と考えていました。
デビューしてから数作は犯罪の周辺で理不尽に思うことを書きましたが、やっぱりそれはキツかった。
それで最近は謎解きやどんでん返しのあるエンタメ性の強いものも書いていました。
でも、『小説すばる』で連載をすることになり、もう一度テーマ性の強い小説を書きたいなと考えた時、そういえば昔こういうことを考えていたな、と思い出したんです」
著者・薬丸氏は本書執筆の動機をこのように語っていらっしゃいます。
著者のインタビューを見るまでもなく、読み出してすぐに本書は17年ほど前に起きた神戸連続児童殺傷事件をモチーフにした物語であることに気づきました。
現在31歳になる次男が小学校6年のときに起きた事件はあまりにもセンセーショナルな内容で世の中を震撼とさせました。
以前にブログでも言及したことがあると記憶していますが、当時神戸で次男が所属していた少年野球の仲間のお父さんが加害少年の父親と同じ会社の同僚として机を並べていたそうです。
会社主催のクリスマスパーティでその少年にも会ったことがあるそうでしたが、何ら同学年の少年と変わることがなかったとおっしゃっていました。
しかし報道によって徐々に明らかになった犯罪の詳細を通して少年の特異な性衝動の闇が浮かび上がり身震いするとともに同学年の少年の親としてやるせなさでいっぱいになったことを覚えています。
少年のその後は、その性的サディズムを矯正すべくに少年鑑別所において更生プロジェクトの総力を集めたそうで、その2500日にわたる記録を記したノンフィクション『少年A 矯正2500日 全記録』が元東京少年鑑別所公務教官・草薙厚子氏によって刊行され、反響や物議を醸し出したことは記憶に新しいと思います。
ここでは黒蛇神事件と呼ばれる少年事件の“その後”となっていますが、実際に模して更生プロジェクトに携わった鑑別所の元教官である女性が登場して物語の牽引力の一端を担っています。
このように確固たるテーマの下、核になる登場人物を配置し、物語の枝を幾重にも伸ばして進行させていますが、全体的に予定調和的な感が否めませんでした。
実名を隠して働いている加害者の同僚として登場する主人公・益田の造形の細かな点に違和感が多々あり、加えて同僚が世間を騒がせた猟奇殺人の加害者ではないかと気づく過程が強引で納得感が得られませんでした。
おまけに加害者・鈴木の描き方が中途半端なのは実際の少年Aのその後が完結せず霧の中状態であることに起因しているのではないかと想像が働いて。。。
思春期に表れる独自の性的サディズムは果たして矯正できうるものなのか、というこの加害者の核となるものが明らかになっていない時点では想像力を働かせるしかなすすべはありませんが、そうなるとおのずから説得力のある造形は期待できないのかもしれません。
著者によると難しかったのは鈴木の周囲にいる人々の人物造形だったといいます。
「普通であれば、同僚であっても過去を知った時点で気持ちが引くと思います。
それでも相手を突き放しきれないのはどういう人たちなんだろうとずいぶん考えました。益田も、ジャーナリストを志しているけれどうまくいかない青年という設定だけでは鈴木を受け止めきれないだろうと思いました。
それで、彼にも過去から逃げている部分があることにしました」
このような設定で登場人物造形を行った結果、あまりにも非現実的なワケあり集団ができ上がって、共感が遠のいてしまった感があるのは否めませんでした。
しかし、罪を犯し罪を償ったとしてもその後の長い人生を生きなければならない元犯罪者の重い人生を想像するとき、犯した罪が重ければ重いほど、平凡に生き抜くということがいかに難しいかということを見せつけられた作品でした。