先日観にいった映画の話。 
ジュゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画「鑑定人と顔のない依頼人」
今も心に残る名作「ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」を創った名匠トルナトーレ監督の久々の作品ということでそれなりのノスタルジックな感動作と思いきや・・・!
まだ観られていない方にはネタバレになるのでこれ以上言葉を重ねませんが、「豪華絢爛な意匠を凝らした“完璧なる破滅”へのミステリー」というキャッチフレーズでご想像を!
イタリアのアカデミー賞と言われるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞、監督賞、音楽賞をはじめ6部門を受賞した作品ということでそれなりに刺激的な作品でした。
一緒に観にいった友人のうちの1人がどんでん返しといえるラスト近くのあるシーンが示唆する物語の核心が理解できず、なんのことやら、と思ったというのが私たちのの間での楽しいオチでした。
さて本日は内澤旬子氏著『世界屠蓄紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR』のご紹介です。
「『食べるために動物を殺すことをかわいそうと思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じるのは、日本だけなの?
他の国は違うなら、彼らと私たちでは何がどう違うの?』
アメリカ、インド、エジプト、チェコ、モンゴル、バリ、韓国、東京、沖縄。
世界の屠畜現場を徹底取材!いつも『肉』を食べているのに、なぜか考えない『肉になるまで』の営み。
そこはとても面白い世界だった。
イラストルポルタージュの傑作、遂に文庫化」
妙齢の女一匹、世界の屠畜現場をカメラとスケッチブックとペンを持って訪ねた渾身のルポルタージュ。
このルポの主なる主題は、人間が生きるために他の動物の命を犠牲にしている行為の現場をしっかり見ること、そしてその屠畜に携わる人々が長く差別されてきたという事実の如何を知ること。
この2つの命題を携えて著者がレポートしたのは韓国、バリ、エジプト、イスラム諸国、チェコ、モンゴル、沖縄、東京、インド、アメリカの屠畜事情。
本書で著者はあえて「屠殺」という耳慣れた言葉を使わず「屠畜」という言葉を使っています。
それに携わっている人間と、そして対象となる動物に敬意を表して。。
人間以外の生き物の命を奪って食する、この当たり前の事実から日頃目を逸らして、あたかも無きこととしている私たちへの警告として屠畜現場を精密にスケッチしているのが見所といえるでしょう。
世界各地の屠場に出向き、宗教儀式としてあるいは神への生贄として家庭内で行われるもの、商売の一環としての屠畜を行う食肉市場まで足を運び、屠畜に至る過程をイラスト入りで関係者からの話を入れ混ぜながら説明しています。
屠畜の実態や屠畜に携わる人々の屠畜に対する考え方や自ら置かれた社会的立場についての取材を通して得た膨大な情報は、未知の読者にとって一読するに値するすばらしい内容となっていますが、著者の一途な取材態度に反して文章があまりにも原始的というか稚拙ゆえ、そのアンバランスにかなり戸惑いました。
とはいえ、日頃パックに入った種々の「肉」を通して動物の命を戴くという敬虔な気持ちになるのはかなり難しい私たちにとって「肉」になる過程をつぶさに知ることで私たちの生は多くの犠牲の上に成り立っているという当たり前ながら大切なことを心に刻むきっかけになる作品です。
「屠畜という営みを心から愛している。
差別があろうがなかろうが、日本だろうが海外だろうが、屠畜の現場に出くわせば、スケッチブックとカメラを取り出していそいそと記録するくらい、好きなのだ。
いくら本を読んで『かわいそうかも』と思ったところで、現場にたてばそんな気持ちは一瞬で吹っ飛んで作業に見入ってしまうくらい好きなのだ」
という彼女だからこそ
「(動物を)かわいそうという気持ちが、仏教の不殺生戒を生み、部落差別の源泉のひとつとなり、そして今、部落差別についてなんの知識もなくても、屠畜場で働く人や皮を鞣す人に対して残酷だとか、怖いとか、近づきたくないと思ってしまう大きな原因となっていることは確かだろう」
という差別に踏み込んだ記述も彼女のいい意味での素朴&原始的ゆえに単刀直入な力を持って迫ってきます。
表紙の豚の笑顔のイラストが示唆するように、本書は多くの根深い問題を孕みながらも「明るいレポート」という雰囲気があるのはひとえに著者の天性の性格によるものではないでしょうか。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画「鑑定人と顔のない依頼人」
今も心に残る名作「ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」を創った名匠トルナトーレ監督の久々の作品ということでそれなりのノスタルジックな感動作と思いきや・・・!
まだ観られていない方にはネタバレになるのでこれ以上言葉を重ねませんが、「豪華絢爛な意匠を凝らした“完璧なる破滅”へのミステリー」というキャッチフレーズでご想像を!
イタリアのアカデミー賞と言われるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞、監督賞、音楽賞をはじめ6部門を受賞した作品ということでそれなりに刺激的な作品でした。
一緒に観にいった友人のうちの1人がどんでん返しといえるラスト近くのあるシーンが示唆する物語の核心が理解できず、なんのことやら、と思ったというのが私たちのの間での楽しいオチでした。

「『食べるために動物を殺すことをかわいそうと思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じるのは、日本だけなの?
他の国は違うなら、彼らと私たちでは何がどう違うの?』
アメリカ、インド、エジプト、チェコ、モンゴル、バリ、韓国、東京、沖縄。
世界の屠畜現場を徹底取材!いつも『肉』を食べているのに、なぜか考えない『肉になるまで』の営み。
そこはとても面白い世界だった。
イラストルポルタージュの傑作、遂に文庫化」
妙齢の女一匹、世界の屠畜現場をカメラとスケッチブックとペンを持って訪ねた渾身のルポルタージュ。
このルポの主なる主題は、人間が生きるために他の動物の命を犠牲にしている行為の現場をしっかり見ること、そしてその屠畜に携わる人々が長く差別されてきたという事実の如何を知ること。
この2つの命題を携えて著者がレポートしたのは韓国、バリ、エジプト、イスラム諸国、チェコ、モンゴル、沖縄、東京、インド、アメリカの屠畜事情。
本書で著者はあえて「屠殺」という耳慣れた言葉を使わず「屠畜」という言葉を使っています。
それに携わっている人間と、そして対象となる動物に敬意を表して。。
人間以外の生き物の命を奪って食する、この当たり前の事実から日頃目を逸らして、あたかも無きこととしている私たちへの警告として屠畜現場を精密にスケッチしているのが見所といえるでしょう。
世界各地の屠場に出向き、宗教儀式としてあるいは神への生贄として家庭内で行われるもの、商売の一環としての屠畜を行う食肉市場まで足を運び、屠畜に至る過程をイラスト入りで関係者からの話を入れ混ぜながら説明しています。
屠畜の実態や屠畜に携わる人々の屠畜に対する考え方や自ら置かれた社会的立場についての取材を通して得た膨大な情報は、未知の読者にとって一読するに値するすばらしい内容となっていますが、著者の一途な取材態度に反して文章があまりにも原始的というか稚拙ゆえ、そのアンバランスにかなり戸惑いました。
とはいえ、日頃パックに入った種々の「肉」を通して動物の命を戴くという敬虔な気持ちになるのはかなり難しい私たちにとって「肉」になる過程をつぶさに知ることで私たちの生は多くの犠牲の上に成り立っているという当たり前ながら大切なことを心に刻むきっかけになる作品です。
「屠畜という営みを心から愛している。
差別があろうがなかろうが、日本だろうが海外だろうが、屠畜の現場に出くわせば、スケッチブックとカメラを取り出していそいそと記録するくらい、好きなのだ。
いくら本を読んで『かわいそうかも』と思ったところで、現場にたてばそんな気持ちは一瞬で吹っ飛んで作業に見入ってしまうくらい好きなのだ」
という彼女だからこそ
「(動物を)かわいそうという気持ちが、仏教の不殺生戒を生み、部落差別の源泉のひとつとなり、そして今、部落差別についてなんの知識もなくても、屠畜場で働く人や皮を鞣す人に対して残酷だとか、怖いとか、近づきたくないと思ってしまう大きな原因となっていることは確かだろう」
という差別に踏み込んだ記述も彼女のいい意味での素朴&原始的ゆえに単刀直入な力を持って迫ってきます。
表紙の豚の笑顔のイラストが示唆するように、本書は多くの根深い問題を孕みながらも「明るいレポート」という雰囲気があるのはひとえに著者の天性の性格によるものではないでしょうか。