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ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2014年03月

ジュディ・デンチとスティーヴ・クーガン主演の『あなたを抱きしめる日まで』を観ました。 22669ceb.jpg


原作はマーティン・シックススミスのノンフィクション”The Lost Child of Philomena Lee”、実話を基にした作品。

第70回ヴェネツィア国際映画祭でクィア獅子賞、スティーヴ・クーガンが金オゼッラ賞を受賞した作品です。

初老のアイリッシュの女性を演じるジュディ・デンチがとてもすてきでした。

10代の頃修道院で出産し無理矢理引き離された息子を捜す旅にジャーナリストのマーティンと共に出るという物語。


世間知らずで上流社会を知らない少女のまま年老いたようなアイルランドの田舎の女性・フィロミナと、ある失敗からエリート街道から外れて焦っている元エリート記者・マーティンとの背景の対照的な2人の掛け合いが深刻な内容に時として笑いを誘いますが、反面カトリックの内実を鋭く露にした映画となっています。


「マグダレン・ランドリー」の実態を暴いた作品。

アイルランドにおいて18世紀にプロテスタントの教会の施設として「堕落した女」を保護・収容する目的で創設された「マグダレン洗濯所」は、19世紀初頭にはカトリック教会によっても設立・運営されるようになったそうです。


「堕落した女」のみならず、そうなる可能性があると見なされた女子や身寄りのない女児などが教会の施設に閉じ込められ、洗濯作業などを無報酬で強要されたというもの。


1950年代のダブリンのカトリック教会が運営する施設で助産師として関わったジューン・ゴールディングという女性の手記をベースにした映画『マグダレンの祈り』が2003年に公開されてクローズアップされました。


そして時は流れて・・・2013年にエンダ・ケニー首相が国家の関与について全面的に非を認め「いかなる判断基準で見ても、それは残酷で情け容赦のないアイルランドでありました」と国会で公式に謝罪されて一応の終止符が打たれたのでした。


映画『あなたを抱きしめる日まで』に話を戻します。

息子が教会を通してアメリカに売られたという情報を元に息子捜しの旅の舞台はアメリカ・ワシントンへと移りますが、消息がわかってからの展開が切なさを秘めたジュディ・デンチの演技とともに圧巻の見どころでした。


閉鎖された教会という小さな社会で神の御名の下に繰り広げられる醜い所業には驚きを通り越して怒りを感じた映画でした。




さて本日は三浦しをん氏著『星間商事株式会社社史編纂室』のレビューです。


「川田幸代。29歳。独身。腐女子(自称したことはない)。社史編纂室勤務。彼氏あり(たぶん)。
仕事をきっちり定時内にこなし、趣味のサークル活動に邁進する日々を送っていた彼女は、ある日、気づいてしまった。
この会社の過去には、なにか大きな秘密がある!……
気づいてしまったんだからしょうがない。
走り出してしまったオタク魂は止まらない。
この秘密、暴かずにはおくものか。社史編纂室の不思議な面々、高校時代からのサークル仲間、そして彼氏との関係など、すべてが絡まり合って、怒濤の物語が進行する。
涙と笑いの、著者渾身のエンターテインメント小説。
幸代作の小説内小説も、楽しめます!」


今回の舞台は社史編纂室。

2011年刊行の『舟を編む』に先駆けて2009年に刊行された本書、『舟を編む』の予行演習的な要素のある作品といえるでしょう。


プラス著者のオタク志向が味付けされていて興味深いような、そうでないような。

中堅商社の社史編纂室に配属された女性・川田幸代を主人公に、編纂室所属の社員たち、趣味のBL小説の同好の友人たち、そして幸代の恋人などで脇を固めてストーリーが展開します。

その社史編纂という任務を追ううち勤務する会社の成長期の暗部に突き当たり、趣味の小説の中に入れ子としてその暗部を登場させるというもの。

某商社がアジアの小国サリメニ共和国に日本人女性を貢物にして利権を得るというのが入れ子の内容。

読むとすぐ入れ子のモデルが有名な某国の元大統領夫人とわかるような。。。

BL系、腐女子、コミケ・・・私にはほとんど興味がない事柄なのでレビューに力が入りませんでした。

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菜の花忌 桜桃忌など それぞれに 慰霊の祭も 春の賑わい
当地の東のはずれに位置する笠岡市が毎年主導して植え付けをしているという菜の花畑を訪れました。

5ヘクタールに及ぶ広大な山の裾野に市の職員の手で種まきされて育てられた菜の花の黄の海の見事さに圧倒されました。

後楽園の標準木の桜の開花ももうすぐ。

何やら春のざわめきに落ち着きがなくなるシーズンです。

友人の住まいの近くのお寺ではソメイヨシノに先駆けて河津桜が満開でした。
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季節季節の花を見ることの喜びが年々増してきて・・・年齢をしみじみと感じてしまいます。






さて本日は相場英雄氏著『鋼の綻び』をご紹介したいと思います。

「及川首相が出席する東京証券取引所の大納会で、日本を代表する企業の株価が一斉に原因不明の大暴落を始めた。
警察庁出身の首相秘書官・桐野は何者かによる経済テロと断定。
元部下の警視庁刑事・土田とともに動き出す。
浮かび上がった犯人は原発事故の被災地・福島県と接点があった。
大暴落が刻々と進む中、犯行とフクシマの関連が濃くなってゆく―。

『震える牛』の著者が今度は経済テロで読者をうならせる。警察小説の切れ味と経済小説のリアルさが味わえる衝撃作! 」



『震える牛』以来、著者の作品に目が離せないという感じで、『血の轍』『双子の悪魔』と読み継いできての最新作。


結論からいうと、金融ミステリーと警察小説に福島の原発事故問題を絡めた内容ですが、主題を詰め込みすぎという著者の意気込みが空回りしたような印象の作品となっています。

そして何より場面の移り変わりが煩雑で登場人物の立ち位置を理解するのにエネルギーを要して、作品をじっくり味わう余裕を持てない作品でした。


首相が出席するという東証の大納会で大証に発注された巨額の日経平均先物売りにより兜町が混乱を来たすところから物語がスタート。

方や新宿歌舞伎町の韓国クラブで起きた金融ヤクザの刺殺事件に隠された被害者の遺留品のメガバンクの証券コードのメモの謎。

さらにこの事件の少し前に起き、単なる自殺と処理された歌舞伎町のバーのママの首吊り自殺の奥に潜んだ謎。

次に起きた宮古島での休暇中の金融庁監督局審議官の行方不明事件。

これらの3つの事件の背後を追うのがキャリアである警察庁出身首相秘書官の桐野と警視庁捜査一課の刑事土田警部補、2人の追跡によって1人の男が炙り出されていきますが、その男・福島浜通り出身の矢吹の登場で原発がクローズアップされるという構成になって展開していくというもの。

このほかにもテレビ局の女性記者が煩雑に登場しますが、役割いかん??


本書の登場人物で強いて魅力的と思えるのは犯人とされる矢吹くらいかなという感じですが、いかんせんあまりにも内容が詰め込みすぎで事件の動機への納得感も得られない作品でありました。

金融の複雑な機構を熟知していらっしゃる読者の方にとっては興味深い箇所もあったのではないでしょうか。

ちなみにタイトルの「鋼」というのは官僚が作った日本のシステムを著すそうです。

食べ合わせが悪かったのか、かぜ菌が入ったのか、ちょうど前後を入れて10日ほどお腹の調子がひどく、たまりかねて受診して点滴やら強力な下痢止めをもらってやっと治まりました。

かなり昔、生牡蠣にあたって寝込んだときの再来のような感じ。

もっとも10日ほどのうち2日ほどは寝込みましたが、あとはずっと夫の食事は作っていました。


吐き気はなかったので夫の食事やTVに映る食べ物すべてがおいしそうで、ず~っとおかゆとすりおろしりんごのみだったので、治ったら食べてやるぞ!と思っていたもののひとつ「お好み焼き」を早速今日の昼ごはんに作りました。





らもらに
さて今日は中島美代子氏著『らも 中島らもとの三十五年』のご紹介です。


「没後3年、初めて明かされる真実の中島らも。
泥酔し階段から転落、52歳にして急逝した鬼才・中島らも。
半生を共に生き、1番の理解者で、妻である著者が、出会いから死に到るまでの35年を語る」


本書は破滅型の奇才と謳われた作家中島らもと奥さんであるミーとの高校生のときの出会いかららもが亡くなるまでの35年の回想の物語です。


「『僕お酒飲んでるから、そんなに長生きしない。覚悟しといて』
ことあるごとにそう聞かされていたから、今こうして彼がベッドに横たわっていることは、ある意味、私にとって練習問題を繰り返して臨んだテストのようなものだった」
「『階段から転げ落ちて死ぬという、そんなトンマな死に方がいいな』
つきあいはじめた頃からのらもの口癖だ。
だから、彼は自分が願っていたとおりに死んでゆけて満足しているだろう。
そうだよね?らも」

予言どおりのように酩酊してバーの階段から転落して意識不明の脳挫傷となったらもに著者が語りかける場面から物語が始まります。


朝日新聞に連載していた「明るい悩み相談室」の回答を手がけていた頃からのファンだった私は平行して彼の多くの作品を読んできました。


アルコールや法規すれすれの薬物に耽溺し、アルコール依存症での壮絶な入院生活を題材の吉川英治文学新人賞受賞作『今夜、すべてのバーで』など多数、笑殺軍団リリパットアーミーを主宰されて活動していたことでも有名です。


ヘロインを吸引しながら上梓した『裸のランチ』で有名なウィリアム・バロウズの生き方を崇拝していたらもの作品などを通してある程度の乱脈ぶりは知っていたつもりでしたが、本書では想像以上のらもとミーとの結婚生活に触れて驚きを隠せませんでした。

ヒッピーの生活がどういうものか具体的には知りませんが、私の想像上のヒッピーの暮らし以上のものがそこにあって。

決められた型からちょっと逸脱した灘高生と奔放な娘との幼い恋愛の末の結婚生活は前半こそ微笑ましさがあったものの半ば過ぎると様相が様変わり。


子ども2人のいる家はさながら世の常識の規格から外れた人々の集まりとなり、シンナー、アルコール、咳止めシロップを常用しながらのスワッピングの場所と化していく様子には唖然とするばかり。


らもの不機嫌を見たくなくて、スワッピングの強要に応じるミーにも驚きを隠せませんが、そうして夫婦としてのバランスを必死で取っていたのでしょう。


後半の相当の部分を費やしているのがリリパットアーミーのパートナーかつ愛人であったわかぎゑふとらもとの出会いから別れまで。

文章全体かららもの妻としての矜持が窺えて、本書はらもが亡くなるずっと前より関係を絶ってしまっていたにもかかわらずわかぎゑふに読ませたいという目的で書かれたのではないかとふと思えるほど、ミーの中ではわかぎゑふとの関係性に未解決の部分がたくさんあったのではと思えるものがありました。

そして亡くなったらもにも。


高校時代は作家になりたかったというミーのこの作品、らもへの語りかけにはなかなか切ないものがありました。

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秘めごとの ごとく恥らふ 雪割草 花びら震えて 淡雪の下
人生には出会いの数だけ別れがあるといいます。

年を重ねるごとに出会いの数はどんどん少なくなるのに反比例して別れの数が増えて、そしてそれが心に深い悲しみや後悔を残すようになってきたように思います。

いちばん大きな悲しみはどんなに会いたいと思っても会うことが叶わぬという死という越えられないものによって隔てられた別れです。


昨年半ばにご主人を亡くした友人は喪失の苦しみから少しずつ立ち直っていく過程で短歌がグリーフワークの大きな助けになっているの、といいます。

神戸時代のボランティア仲間だった彼女は10年ほど前から短歌をしていて、私も度々勧められていました。


そんな勧めもあって、遅まきながら教室に入って短歌を学びつつ、細々と歌を詠むということをスタートしていますが、思いを短い言葉で表すことの難しさというか言葉の貧しさに唖然とする日々です。


自分には創る能力は乏しいもののさまざまな歌人の作品から自分の好みの歌を書き出しては味わうのがこの頃の大好きなことです。


馬場あき子氏や佐々木幸綱氏、土屋文明氏、道浦母都子氏、岡井隆氏、塚本邦雄氏などの歌の中には言葉にならないほどに衝撃を受けた歌がたくさんあります。


本日ご紹介する永田和宏氏もそのうちのひとり、毎週月曜日に楽しみにしている朝日歌壇の選者としてなじみ深い歌人ですが、4年前に亡くなられた高名な女流歌人・河野裕子氏のご主人としてもよく知られています。




永田和宏氏著『歌に私は泣くだらう』

「戦後を代表する女流歌人と讃えられた妻に、突然、乳癌の宣告。
夫も二人の子も歌人の一家は強い絆で闘病生活を支え合う。
しかし過剰な服薬のため妻は不信と懐疑にとらわれ、夫を罵倒し続けた挙句に失踪してしまう。
そして再発……が、結局は歌い続けることが家族を再び一つにした。
没後二年、初めて明かされる、あの日、あの時。
発病から最期の日まで。
歌人一家の愛と絆、そして壮絶な闘病の記録」

1947年滋賀県生れ。
歌人・細胞生物学者。
読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、迢空賞などを受賞。2009年、紫綬褒章受章。
河野裕子との共著に『京都うた紀行』『家族の歌』。
近著に『夏・二〇一〇』。
宮中歌会始詠進歌選者、朝日歌壇選者。
「塔」短歌会主宰。
河野裕子とは1972年(昭和47年)に結婚。2010年(平成22年)、64歳で亡くなるまで38年間連れ添った。(データベースより)


歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る   和宏

今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇って欲しかつた医学書閉じて   裕子

文献に癌細胞を読み続け私の癌には触れざり君は   裕子

あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて    裕子

何といふ顔をしてわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない    裕子

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が    裕子

さみしくてあたたかりきこの世にて会い得しことを幸せと思う    裕子


     
2000年秋に乳がんの診断を受け、治療後8年を過ぎて転移、闘病の末2010年8月に亡くなられた妻・河野裕子氏と夫・永田和宏氏のがん罹患以後の歌、特に最後の2首はこの世での最期のときの絶唱というべき歌。


38年間連れ添った最期まで妻であり、歌人であった河野裕子氏の発病から死までをずっと見守っていた夫が振り返った慟哭の記録といえるでしょう。


愛する夫や子どもたち、そしてもっと高めたかったという作歌の可能性を遺して人生半ばで折れ尽きたことは本人にとっていかに心残りで不幸なことであろうかと想像しますが、醒めた目で見ればこれほどに幸せな妻であり歌人であった人は他に見当たらないのではないかと思えるほど、夫と子どもたちに尊敬され愛された一生であったことが羨ましいほどです。


妻が初めて乳がんと知った日、動揺を見せなかった妻に安堵した夫の態度に打ちのめされていた妻の気持ちをあとの書き物で知って愕然とする夫。

手術のときも、あとのがんと闘っている日々も妻を残して仕事に出て行く夫を詠んだ「しんどがる私を置いて出でてゆく雨の中に今日も百の朝顔」を読んで愕然とする夫。

「なぜもっと早くこの一首に萌しはじめた河野の不安、不満、不信に気づいてやれなかったのか」

徐々に妻の精神が壊れていくにしたがって家庭という安らぎの場が地獄と化していく様は、当の永田氏が書いていらっしゃったように、まるで島尾俊雄氏が妻であるミホさんとの生死を賭したような格闘を描いた『死の棘』そのままの日々であったことに息をのむ思いで読了しました。

「あんたのせいでこうなった」という言葉で夫を責めて責めていくら責めても責めたりず、ときには夜中に包丁をテーブルに突きつけて夫に迫るという修羅場まであったそうです。

自立した子どもたちに立ち会って宥めてもらってもすぐに修羅場は戻って執拗な怒りを夫にぶつける妻にしんそこ逃げたいと思ったといいます。

この人を殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし

本気で離婚を勧める子どもたちの意見に従わなかったのは妻の夫への激しい憎悪の底にある夫への紛れもない愛を知っていたからといいます。

永田氏によると妻が常用していた睡眠薬・ハルシオンに一因があったのではないかというこのような嵐も再発という病の戻りを知ったころから精神科医・木村敏氏の治療を通して次第に治まっていきます。


驚くのは永遠と思われる嵐の日々も歌人である妻は短歌を詠み続け、歌人としての活動をこなし、歌を創れば結婚当初からの習慣どおり、まず夫にみてもらうということを続けていたといいます。


どれほど心や生活が荒廃しようとも「歌を詠むこと」で辛うじて自己を保てたということに驚きを禁じえません。


そして臨終のときに下記の最高傑作が生まれ、「私が自分の手で、この一首を口述筆記で書き残せたことを、涙ぐましくも誇りに思う」と夫に言わしめたのは妻として歌人として最高の幸福者だと思える所以です。

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が


河野氏の若い頃からの歌を通して気性の激しい人だなあという印象を抱いていましたが、がんという不本意な境遇を受け入れるまでの激しい怒りが「置いてきぼり感」という疎外感となって夫・永田氏に向かっていったのではないかと永田氏は記していらっしゃいます。

永田氏の周囲に女性が居ることを許さず、娘が高校生のころ、その髪を撫でたことを持ち出して不潔だと罵ることもあったという狂乱に家族が耐えたことは驚きに値するほどです。
 
「あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて」という妻の歌を見た永田氏は次のように書いていらっしゃいます。

妻が引き起こした嵐をあからさまに書くことの躊躇があったそうですが、河野裕子という1人の偉大な歌人が遺した歌の背景を知ってもらいたいという気持ちから敢えて公にしたそうです。

「この人が女房だったことを改めて誇らしく思う」と夫に言ってもらえた妻、羨ましいというありきたりな言葉しか思い浮かびませんでした。

久しぶりに卓球をしました。

両肩が痛く、今まで15分ほど軽くラリーをしただけで、どうにも腕がほとんど上がらないほど痛くなり、鍼灸で和らげてもらい、また打って痛くなり、を繰り返していましたが、これではいかんとしばらく球拾いのみに専念していました。


医師には肩の骨の変形が原因ということで運動してもしなくてもよくならないといわれていますが、動かさないと筋肉が弱るばかりという不安が募って。

休憩10分挟んで相手を変えながら20分ほどのラリーを5回ほど繰り返すというのがいつものやり方ですが、今回は3回ラリー、球拾い3回。

まだできそうでしたが、また炎症が騒ぎ出してもと用心してやめました。

帰宅して念のためシップをして寝たら大丈夫でした(^^)


足や腰にトラブルを抱えている人々は周囲にも驚くほど多くいますが、腰痛や変形性股関節症など整形外科に通い続けてもよくならない人ばかり。


手術以外、痛み止めやステロイド注射、ヒアルロン酸注射、電気治療、牽引などが主な治療ですがこれがほとんど長期的に功を奏さなくて、整体やカイロプラクティック、整骨、鍼灸などが大はやり。


スポーツ選手には鍼灸師に頼っている人がたくさんいて、フィギアスケートの高橋選手や羽生選手も鍼灸で体の調整や怪我の手当てをしてもらっているそうで、特に羽生選手は自分で置き鍼を十数本置いて試合に出たという記事が出ていましたね。

ロナウジーニョ選手をはじめとするブラジルサッカー界のスーパースターたちが怪我の治療に頼っている日本人のスーパー鍼灸師の話が新聞に載っていたり。


私の通っている鍼灸院の院長も女子マラソンで有名選手を輩出している地元企業の天満屋女子陸上競技部や地元のプロサッカーチーム・ファジアーノ岡山の選手たちをカヴァーされているのでオリンピックや試合に帯同されています。


徐々に効用の知名度も上がって世界区になりつつある鍼灸、応援しています。







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さて本日は三浦しをん氏著『舟を編む』をご紹介します。


「玄武書房に勤める馬締光也は営業部では変人として持て余されていたが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられる。
個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。
言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく。
しかし、問題が山積みの辞書編集部。
果たして『大渡海』は完成するのか──。
言葉への敬意、不完全な人間たちへの愛おしさを謳いあげる三浦しをんの最新長編小説」




「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」

女性ファッション誌「CLASSY」に2009年11月~2011年7月まで連載されていたものを2011年9月に単行本として刊行したものが本書です。

2012年本屋大賞受賞
2013年石井裕也監督、松田龍平さん、宮崎あおいさん主演で映画化されました。


やっと図書館の棚で見つけることができました~。


漏れ聞く評判を長く溜めていたためか期待を多大に膨らませて読みましたが、あれっ、何か想像と違うぞ、というのが読み始めの感想。


著者の過去の作品にはライトノベル的なものが多々あるので、辞書編纂という大仕事を描いた作品だから本書はまさか、と思ったのも束の間、真面目を絵に描いたような主人公の名前が「馬締(まじめ)」、後に妻になる人が「香具矢(かぐや)」とは!

やはりラノベ系?と少々落胆。

まず登場人物に若者うけの媚をたっぷり塗りこんだところ、読み初めで引いてしまいました。


しかし読み進むうち、そういった登場人物設定の不自然さとかしょっちゅう顔を覗かせる軽いジャブの数々があまり気にならないほど、辞書編纂という地味で弛まない努力が求められる作業工程にぐんぐん惹かれていきました。


「有限の時間しか持たない人間が、広く深い言葉の海に力を合わせて漕ぎだしていく。
こわいけれど、美しい。
やめたくないと思う。
真理に迫るために、いつまでだってこの舟に乗りつづけていたい」


「言葉は、言葉を生み出す心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。
自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟。
『大渡海』がそういう辞書になるよう、
ひきつぐき気を引き締めてやっていきましょう」


「どんなに少しずつでも進みつづければ、いつかは光が見える・・・禅海和尚がこつこつと岩を掘り抜き、三十年かけて断崖にトンネルを通したように。
辞書もまた、言葉の集積した書物であるという意味だけでなく、長年にわたる不屈の精神のみが真の希望をもたらすと体現する書物であるがゆえに、ひとの叡智の結晶と呼ばれるにふさわしい」

一語一句にも拘りと関心を持ちなおざりにしないという、砂浜の砂の一粒一粒の個性を見分け、分類するという人生を賭けてのライフワーク、15年の歳月をかけて多くの人の手によって編み出されたと思うと、あだやおろそかには扱えない神聖なものという認識が新たになりました。

朝日新聞、特に「朝日歌壇」の読者の方なら公田耕一さんの名前を見て、ある種の懐かしさを持って思い出される方も多いでしょう。

2009年12月、彗星のごとく、という形容がぴったりのように朝日歌壇に現れ、そして翌2010年9月に忽然と姿を消した人。

住所の欄「ホームレス」というその特異性から多くの読者や歌壇選者の方々までもが注目しました。

それまでも月曜日は全国から選ばれた短歌と選者の評を読むのを習慣としていた私もホームレス歌人の登場以来、毎月曜日を心待ちにした数ヶ月、公田氏はわずか9ヵ月の間に選ばれた歌38首を遺して消えたのでした。


「〈柔らかい時計〉を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」

「親不孝通りと言えど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす」

「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか」

「日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る」

「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」

「百均の赤いきつねと迷ひつつ月曜だけ買う朝日新聞」

「温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る」

「哀しきは寿町と言う地名長者町さえ隣りにはあり」

「美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻」

「水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し」

「胸を病み医療保護受けドヤ街の柩のやうな一室に居る」

「ホームレス歌人の記事を他人事のやうに読めども涙零しぬ」


特に衝撃を受けたのは「親不孝通りと言えど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす」という一首。

たったの31文字でここまで生の孤独の深さを表現できることの驚き!


それから4年余りが過ぎ、ホームレスを名乗る入選者2人が再び朝日歌壇に現れて・・・

「言ひ値にて雑誌を売りて得たる金三日の命を養ふに足る」(ホームレス)宇堂健吉氏

「紙上では市民権ありホームレスわが歌載れり初めて載れる」宇堂健吉氏

「職業をホームレスと名乗る君の歌テント小屋にて拾い読みおり」坪内政夫氏

「途方もなく空広かりきリュック背負ひホームレスの道踏み出ししとき」宇堂健吉氏

「集め来し新聞で読む強過ぎてマゲを結えない遠藤のこと」坪内政夫氏


カリフォルニア刑務所の独房で終身刑に服しておられる郷隼人氏の歌とともに楽しみにしています。


公田氏が忽然と紙面から姿を消して約半年、歌壇読者による公田耕一現象なるものが徐々に潮を引いていくのと平行して、本日ご紹介する作品が元朝日新聞社記者・三山喬氏によって上梓されました。


三山喬氏著『ホームレス歌人のいた冬』


「表現することのできる人は、幸せだ――
朝日歌壇に忽然と現われ、多くの共感を読者に残して消えた〈ホームレス〉の投稿歌人、公田耕一。
その姿を求めさまよい歩いた記録」


公田耕一とは実在の人物なのか・・・そうであろうと信じてその幻の姿を求めて、歌に残された「寿町」「ひかり湯」「親不孝通り」「ブラジル人」など断片的な言葉を手がかりに、文字通り寿町のドヤ街周辺を彷徨い歩いた著者の記録です。

その幻のような影を追い求めて著者が公園で一夜を過ごしたりドヤ街に寝泊りしたりの追体験が尋ね人探しに有効であったかどうかは別として、傍ら公田氏の投稿歌の選者・永田和宏氏や投稿読者、ホームレス関係の施設関係者、ホームレスの人々などに半年にわたってインタビューを試みていく著者の探索姿勢に次第に引き寄せられて共に公田を見つけ、イメージ通りの公田氏を確認したいという著者の手中に嵌って・・・そして最後には実際の公田氏を求めるという目的を超えて、著者とともに現代の底辺と見紛う社会へと視野を移していく自分がいました。


リーマンショック以来の日本の世相を凝縮したような寿町界隈のホームレスの中には高学歴のみならず元大学教授もいるといいます。


公田氏の正体を追い求める過程で取材に協力してくれたホームレスの人々を通して著者は無縁社会の深い闇というものを炙り出しています。


取材する側の著者自身もまた仕事に行き詰った結果の四苦八苦の提案がやっと受け入れられての仕事ということで明日をも知れぬ崖っぷちの自分の転落への不安がそっくり公田氏やその他のホームレスの人々の境遇に重なっていく描写は切なく響きます。


そして作品のラスト近く、公田氏のイメージに合致するホームレスと接触することに成功し、彼の意外な半生を聞き出したりといくつかの山場がありましたが、結局は「知りたくもあり、知りたくもなし」という天声人語氏の記されたそのままの気持ちの確認をもって探索は終わりを告げました。


詩や短歌、俳句などを表現することでかろうじて折れた心を保っている人としての代弁者・公田氏の登場を通して表現が生きるよすがとなりうるという考察の答えを私自身は肯定的に受け取りました。


「底辺からの現状の告発でも、単なる“話題の人”探しでもなく、絶望的な状況下に置かれた人間の“生きる心”を探し求めることに、私の目的は収斂していった」と記された著者のあとがきそのままが読み取れた力作でした。

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