VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2014年04月

日帰りで京都・烏丸御池にある京都文化博物館に「光の賛歌 印象派の画家展」に行ってきました。

1860年代、肖像画や宗教画を中心とした絵画の世界から殻を打ち破り、周囲の嘲りをもろともせず台頭してきたモネ、ルノワール、シスレー、ピサロらを中心とした印象派といわれるグループはパリの近郊にある川辺を描くという新しい風景画の世界を開拓して描いた作品をもって、当時のフランス美術界の主流であったサロン(官展)に対抗する形で展覧会を開催し、今に至っています。


彼らのスケッチの対象はパリ中心部のセーヌ河岸、支流ロワン川が流れるセーヌ川の上流域、パリの北西から西の郊外に大きく蛇行するセーヌ川の下流域の3つのエリアが主な場所。

      
アルフレッド・シスレー「モレの橋」     カミーユ・ ピサロ「小川で足を洗う女」   

パリから半径20キロ圏内の行楽地―アルジャントゥイユ、シャトゥー、ブージヴァルや、シスレーが過ごしたサン=マメス、モネが睡蓮を描いたジヴェルニーなどが印象派の聖地としてその名をとどめています。

           

オーギュスト=ピエール・ルノワール「ブージヴァルのダンス」   エドゥアール・マネ 「アルジャン・トゥイユ」 

 
土日を避けて行ったのに訪れていた人の数が半端ではなく、絵に近寄って鑑賞するのは至難の業という感じ、人いきれに酔うほどでしたが、けっこう長い時間をかけて忍耐強く観て回りました。


帰りにはすぐ近くの錦市場までブラブラ歩き、京都行きのときはいつも立ち寄る漬物店と佃煮屋さんでいくつか購入・・・お目当ては「青山椒こんぶ」でしたが、6月にならないと作らないということで残念!

帰りの新幹線の1時間ほど、ビールをわけあって飲んでおしゃべりして男2人女3人の小さな旅が終わりました。





本日はいとうせいこう氏著『想像ラジオ』のご紹介です。


「海沿いの小さな町で、なぜか高い杉の木のてっぺんに引っかかっているというDJ(ディスク・ジョッキー)アーク。
彼がパーソナリティをつとめる『想像ラジオ』は、「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中だけ」で聞こえるラジオ番組。
リスナーから次々と届くメールを軽快に読み上げるアークだが、どうして自分がひとりで木の上にいるのか、なぜリスナーから次々とメールが届くのか状況はつかめないまま。
そして彼には、どうしても聞きたい、ひとつの〈声〉があった……。
ヒロシマ、ナガサキ、トウキョウ、コウベ、トウホク── 生者と死者の新たな関係を描いた、いとうせいこう16年ぶりの新作小説がついに刊行!」


2014年本屋大賞ノミネート作
紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30「キノベス! 2014」第1位
第2回静岡書店大賞 小説部門第1位
第10回ダ・ヴィンチ編集部が選ぶ プラチナ本 OF THE YEAR 2013
iBooks Best of 2013 今年のベストブック
第35回野間文芸新人賞受賞作


●読めば涙が止まらない。傷つき暴力衝動に駆られたこの社会に、必要な小説(星野智幸)
●圧巻。傑作。早くも今年のベスト3に入る作品に出会ってしまった(伊藤氏貴/読書人)
●著者の言葉の芸が総動員された小説のオペラだ(清水良典/ダ・ヴィンチ)
●荒唐無稽なシチュエーションこそが、現実以上の現実をあぶりだす。これが文学の力だ。間違いなく傑作だ(中島岳志/毎日新聞)
●「想像すれば聞こえるはずだ」というストレートなメッセージに感動(沼野充義/東京新聞)
●夥しい死の事実を、どう受けとめればよいのか。生きている者にできることはあるのか。その問いに真正面から向き合う(平松洋子/読売新聞)
●悲観と楽観の間で引き裂かれたわれわれの時代の「気分」を鮮やかに捉えている(松浦寿輝/朝日新聞)
●「必読」と言い切れる作品。今われわれにいちばん必要で、でもなされていない行為を、ずばりと突きつけられた(「ダ・ヴィンチ」編集長 関口靖彦)


以下は簡単な著者のご紹介
1961年東京都生まれ 作家、クリエイター
1988年『ノーライフキング』でデビュー
1999年『ボタニカル・ライフ』で第15回講談社エッセイ賞受賞
他に『ワールズ・エンド・ガーデン』、『ゴドーは待たれながら』(戯曲)、『文芸漫談』(奥泉光との共著、後に文庫化にあたり『小説の聖典』と改題)、『Back 2 Back』(佐々木中との共著)など


本書は3. 11以降の日本を舞台にして、Djアークと名乗るラジオのパーソナリティが一本の杉の木の上から“想像ラジオ”という架空のラジオ番組を想像上のリスナーに届けるという一風変わった構成の物語になっています。


Djアークと“想像ラジオ”、そしてリスナーの存在自体が架空といえば簡単ですが、この3つの世界がひとつの幻想を生み出したという点において、それらは見事に実在しているともいえるような。


既に黄泉にいるDjアークが語る自身の身の上や同じく死者であるリスナーたちの身の上話をしたり聞いたりということで物語が流れていきます。


「感受性だけ鋭くて想像力がない人間は最悪」

「亡くなった人はこの世にいない・・・いつまでも囚われていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。
でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。
亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか、死者と共に」


死者の言葉をきちんと聴いて想像力を働かせることがいかに大切であるかというのがこの作品に託した著者の命題であろうと思います。

死者であるDjアークと彼の想像上の産物でもあるリスナーの織り成す実在しない物語でありながら想像上においてはしっかり実在しているという2つの相反する世界で物語が成り立っています。


オカルティックな要素のある絵空事といえばそれまでですが、生者が死者をどのように受け止め、死者の言葉をどのように伝えるかという重いテーマについて読者に考えを委ねるという課題のある作品でした。

ここ1週間ほど、山にわらびを採りに行き、友人の畑でたけのこを掘り・・という春の恩恵をたっぷりいただくという贅沢な日々を過ごしました。
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わらびやたけのこなどアクが強い山菜は食べ過ぎるのはよくないと漢方医に注意されていますが、この時期だけはゆるい感じで楽しみます。

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掘りたての小ぶりのたけのこを縦割りにして皮を3,4枚残したままアルミホイルに包んで焼いたものにお醤油を少したらして食べる大雑把な男料理や、ブログ友の紫苑さんの日記で覚えたすりおろしたけのこにお醤油、マヨネーズなどで味を調え、卵、片栗粉を加え混ぜたものを熱した油の中にスプーンですくって落として揚げた酒の肴、若竹、木の芽和え、チンジャオロース、たけのこご飯とたけのこ三昧でした。

わらびはお浸しや煮物、スパゲティにも入れて山菜スパを作ったり。

もうしばらく楽しめます。




さて本日はマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー氏著・柳沢由実子氏訳『笑う警官』をご紹介したいと思います。


「ベトナム反戦デモが荒れた夜、放置された一台のバスに現職刑事八人を含む死体が! 史上初の大量殺人事件に警視庁の殺人課は色めき立つ。
アメリカ推理作家クラブ最優秀長編賞受賞の傑作」


1965年からスタートした刑事マルティン・ペックを主人公のシリーズ10作中の4作目、エドガー賞長編賞を受賞したことで特に代表作として扱われています。

10作品は次の通り

�@「ロゼアンナ」
�A「蒸発した男」
�B「バルコニーの男」
�C「笑う警官」
�D「消えた消防車」
�E「サボイ・ホテルの殺人」
�F「唾棄すべき男」
�G「密室」
�H「警官殺し」
�I「テロリスト」

私は過去にすべて読んでいますが、ブログで取り上げるのは今回が初めて、本書は45年ぶりに新しい訳者による訳で刊行されたもの。

45年前のものは訳者の重鎮・高見浩氏による英語からの翻訳でしたが、今回はスウェーデン語訳の第一人者・柳沢由実子氏によるスウェーデン語からの直接の翻訳になっています。

双方を読み返してみるとかなり様相が違って、45年という年代的な開きも作用してか柳沢氏による本書のほうが自分にとっては大変読みやすく感覚的にも入りやすいものでした。


このシリーズを未読の方のために著者の簡単な紹介をしたいと思います。

マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーという事実婚のカップルが10年で10作品を執筆するという構想の下、それぞれの得意分野を受け持ちながら全体を仕上げるという執筆のかたちで始めたシリーズ。

著者のお2人が住むストックホルムの警察署を中心に物語が展開するなか、10年という歳月をかけてのストックホルムの変化などがつぶさに描かれていてさながらストックホルムの年代史として読むこともできます。


本書は2階建てバスの中で銃が乱射され8名の死者プラス1名の重体者が出るという衝撃的な事件が核になって捜査が展開されます。

8名の犠牲者の中に主人公マルティン・ベックの部下である非番の若い刑事ステンストルムが含まれていたことで、署内に動揺が走ります。

非番にもかかわらず拳銃を携帯していたステンストルム。

なぜ自宅とは方向が違うそのバスに乗ったのか、なぜその拳銃を握り締めていたのか。

謎が謎を呼び総力を決して捜査に当たりますが、その捜査過程や思考過程にセンセーショナルな奇抜さはなく、地道で納得できる進み方で捜査が進んでいきます。


その間、主人公マルティン・ベックや同僚の私生活における夫婦関係も各所に挟まれて、加えてスウェーデンの地域差など、そして物語の背後に国の抱える諸々の問題―移民労働者の地位や麻薬、売春などーが描かれていてストックホルムというスウェーデン随一の都会の実情が読み取れてとてもおもしろい。

最初の書き出しからしてヴェトナム戦争反対をスローガンの反米デモでのデモ隊と警察隊との競り合いからスタートしています。

「全十作で十年間のスウェーデンの社会変化を描くという年代記執筆の意図があった」と杉江松恋氏が解説で記されている通り。

興味ある方にはお勧めの一冊です。

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胃の手術後闘病中の知人が貧血を促進するからと医師からコーヒー、緑茶、紅茶を止められているというのを聞いて・・・

もう8年ほど前受けた放射線治療の影響で今もなお貧血気味の夫。

夫の体はおおむねその3点で成り立っているというのに。

困ったこと。

ネットで検索してみるとお茶の成分のタンニンが鉄分の吸収を阻害するといいます。

3大タンニンの宝庫にコーヒーと緑茶と紅茶が並んでいて・・・貧血気味の人はほうじ茶か麦茶がお勧めと書いてあります。

深蒸し緑茶の1kg入りを宇治茶のお店でリピートしては冷凍庫に、コーヒー豆と朝食用の紅茶も冷凍庫にそれぞれ入れてフル回転しながら毎日使っているのに。

食中、食後の1時間ほど控えればいいことにしようと都合のいい拡大解釈をして、パン食の朝は紅茶の代わりにジュース類、食中食後はほうじ茶にして、合間は緑茶を飲みながら、先ほどもコーヒーの豆を挽いていました。


これくらいの制限ともいえない制限でも夫にとっては圧迫感があるのに、糖尿病や腎臓病など厳しい食事制限に耐えておられる人々のことを想像すると大変だろうな~と思います。


10年ほど前、夫の食道に異型細胞が現れたとき、食事療法でアポトーシスを促そうという私の素人考えで玄米菜食のみの厳しい日本古来の正食を実行していた時期がありましたが、夫と異型細胞の反乱が予想以上に激しく、ついに力尽きて中止したという経緯があります。

今回はそれに比べれば遥かにゆるやかなので喧嘩にもならず日常が流れてほっとしているところです。




さて本日はグレアム・グリーン氏著『国境の向こう側』のご紹介です。

夫が読んでいたのを拝借して。

「人と交わらず孤独に暮らしていた老人が、ある日最高権力者である将軍に呼び出されて戸惑う様子を淡々と描いた『最後の言葉』。
メキシコの田舎町を休暇で訪れた男が、偶然手に入れた大金を社会のために使おうと考えたことによって思いがけない事態を招く『宝くじ』
本邦初紹介となる未完の表題作をはじめとする、十六短篇を収録。
移りゆく世界と人々の心情に向けられたイギリスの巨匠の冷静な視線を味わえる傑作短篇集」


「最後の言葉」――高橋和久訳
「英語放送」――若島正訳
「真実の瞬間」――高橋和久訳
「エッフッル塔を盗んだ男」――桃尾美佳訳
「中尉が最後に死んだ――戦史に残らない一九四〇年の勝利」――加賀山卓朗訳
「秘密情報機関の一部局」――永富友海訳
「ある老人の記憶」――田口俊樹訳
「宝くじ」――古屋美登里訳
「新築の家」――越前敏弥訳
「はかどらぬ作品――ゲートルを履いたわが恋人」――越前敏弥訳
「不当な理由による殺人」――木村政則訳
「将軍との会見」――古屋美登里訳
「モランとの夜」――谷崎由依訳
「見知らぬ地の夢」――田口俊樹訳
「森で見つけたもの」――桃尾美佳訳
「国境の向こう側」――木村政則訳


遺作短編集「最後の言葉」収録の12編をすべて新訳し、加えて3つの短篇と未完長編の冒頭である表題作「国境の向こう側」を収録した作品集となっています。


グレアム・グリーンといえば映画化の成功という影響もあってか日本では『第三の男』がつとに有名ですが、カトリックの倫理をテーマの作品や青年期の共産党入党を題材にした作品、オックスフォード在学中にドイツ大使館雇われの対仏諜報部員としてのスパイ活動に材をとったものなど題材の幅は広く、ノーベル賞にノミネートされたこともあるイギリスの重鎮。


余談ですが、自分の卒論に氏のデビュー作『内なる私』かジョージ・エリオットかと迷った末後者を選んだという経緯があります。


本書は12の短篇というだけに読みやすいかというと、中には著者の示唆するものを掴み取れないという小品もあり、短篇としては気楽に読了できる作品ではありませんでした。


が、さすがグリーンといえる秀作も多々あり、冒頭の「最後の言葉」は特に理不尽なことに翻弄される老人の身の悲しみの余韻がいつまで離れない作品でした。


近未来を示唆しているようなSF調のもの、氏が傾倒したカトリックを題材のもの、諜報活動の経験をもとにしたものなど多彩はテーマですが、どれもトリックが仕掛けられていて一捻りも二捻りもある内容ですっきりした読後感とはほど遠い作品集といえるかもしれません。

頭脳が活発且つ覚醒時にどうぞ!

先日の続き

明日香ママの誕生日も無事済んだようで・・・

こんな画像がママから送られてきました。  

写真下の「お風呂洗い券」や「お皿洗い券」、「マッサージ券」、「お洗濯たたみ券」は市販のものかと思っていましたが、パパと明日香がネットでフィットする絵を捜し、コピペしてワードで作製したものをプリントアウトして用意したボール紙に貼りつけてそれぞれの券に明日香の署名を入れたそうです。

よくこんな明日香そっくりの子どものお手伝いの絵があったものだ!

パパと明日香の共同作業^_^


ということで明日香にも自覚ができて・・・よかったです。






さて本日は宮沢章夫氏著『考えない人』のご紹介です。


「見舞い品としてウクレレを持参する人、テレビで健康にいいと紹介されると納豆が売りきれる謎、大仏を見たときに思わずつぶやく『でかいな』のひと言、行き先を知らずに走り出すタクシー運転手―。
巷に溢れる『考えない人たち』の行状を描く『考えない』ほか、『ぎりぎりの人』が思わず口にする言葉を考察した『がけっぷちからの言葉』など、読む方も思いきり力が抜けるエッセイ集」


  『牛への道』、 『わからなくなってきました』以来、著者の作品は久しぶり。


著者の経歴は『牛への道』のレビューで確認していただくとして、著者の脱力系筆力は健在です。


雑誌「考える人」に連載された「考えない」の章を中心に、「崖っぷちからの言葉」「今月の言葉」「プログレッシブ人生と、自己責任」の項に分かれているものの、内容的にはナンセンスエッセイ(こういう表現があれば…ですけど)で彩られています。


本書は「考えない」に最大の価値をおき、そうした人のふるまいを讃えた。
なぜならそれは崇高な行為だからだ。
「考えない」
まあ、繰り返して描くほどのことではないが、こうして言葉にするとなにかすがすがしいものがそこから浮かび上がってくる。
けれど、正直なことを書くなら、それはとても困難なふるまいでもある。
人はときとして、うっかり「考えない」ことをしてしまうものだが、意図的に「考えない」をしようとしてもうまくいかない。
人は愚かだが、またべつの一面で、よく考える。
だからこそ、「考える」の窮屈さに耐えられなくなるのだ。


あとがきに書かれた著者の言葉を長々と記しましたが、要するに「考えない」ことのいかに大変かというのを念頭に置いて、ときとして意識外に行動している人をウォッチングすることの妙味を描くことで人間の面白さに触れている作品です。

一つ一つのエッセイは3~5ページほどの短い文で構成されていて、寝る前のナイトキャップとして、または乗り物用、待合用として適しています。

全編くだらない系小話満載なので、きっと結構ですとしり込みされる読者の方も多そう。

補足すれば装丁を手がけていらっしゃるしりあがり寿氏の画がまた脱力系で最高です。

もうすぐ明日香のママの誕生日。   abf2ec63.jpg


我が家はそれぞれプレゼント交換する習慣なので、私は前もってネットで期日指定して送る手配をしていますが、問題は明日香。

「あ~ちゃん、新しいクラスでお友達できた?」

「うん、ダンスでいっしょのお友達がいてよかった!」

などと学校生活の話をしたあと・・・

「ここからはMM(私)とのヒミツのお話だけど、もうすぐママの誕生日だけど覚えてる?
あ~ちゃん、もうプレゼント用意したかな?」

「ううん、勝手にお金持って行って買ったらダメって先生から言われてるからママにないしょでは何も買えないの」

すぐ近くにスーパーがあり、ママのお手伝いでいつも買い物にいっているんだからちょっと融通を利かせたらと思いますが・・・人一倍規則を守るというのも困りもの。

「それじゃあね、お手伝い券とか肩たたき券とかママが喜びそうな券を画用紙で作ってあげたらどうかな?」

「そうか! それなら先生にしかられないよね。
お皿洗い券とか拭き掃除券も喜ぶと思う。
ママの好きなお花を描いてもいいよね?」

ひとりっ子で周りからしてもらうばかりの環境にいるので、お世話になっている人にプレゼントをすることを学んでほしいと思っています。

ということで今頃ママに内緒で作っていたらいいなと願っています。







さて本日は原田マハ氏著『ジヴェルニーの食卓』をご紹介します。


「『この世に生を受けたすべてのものが放つ喜びを愛する人間。それが、アンリ・マティスという芸術家なのです』(うつくしい墓)
『これを、次の印象派展に?』ドガは黙ってうなずいた。
『闘いなんだよ。私の。――そして、あの子の』(エトワール)
『ポール・セザンヌは誰にも似ていない。ほんとうに特別なんです。いつか必ず、世間が彼に追いつく日がくる』(タンギー爺さん)
『太陽が、この世界を照らし続ける限り。モネという画家は、描き続けるはずだ。呼吸し、命に満ちあふれる風景を』(ジヴェルニーの食卓)
マティス、ドガ、セザンヌ、モネ。
時に異端視され、時に嘲笑されながらも新時代を切り拓いた四人の美の巨匠たちが、今、鮮やかに蘇る。
語り手は、彼らの人生と交わった女性たち。
助手、ライバル、画材屋の娘、義理の娘――彼女たちが目にした、美と愛を求める闘いとは。
『楽園のカンヴァス』で注目を集める著者が贈る、珠玉のアートストーリー四編」


20世紀初頭のパリを舞台に、恵まれない画家として生涯を生きた画家アンリ・ルソーの幻の未公開絵画と古書を巡るミステリー仕立ての美術小説『楽園のカンヴァス』を上梓した著者がそれと前後して構想を練り、執筆したのが本書。


旧弊の美術界の堅牢な殻を破るという戦いに挑んだ「印象派」の4人の画家たちのそれぞれの人生を画家たちの身近にいたそれぞれの女性たちの目を通して語られています。


◆マティスの晩年の一時期、マグノリアの花を仲立ちにマティスと運命的な出会いをし、そのまま身の回りの世話をすることとなった21歳の娘が自らの視線で捉えたマティスの姿を後年「ル・フィガロ」の記者に語る「うつくしい墓」

語りの老修道女を通して、老画家マティスの美へのあくなき希求心や、互いに友人でありよきライバルであったマティスとピカソとの深い交流がそれぞれの絵とともに立ち上がってきて美しい物語に仕上がっています。


「マグノリアのある静物」


マグノリアが活けられた翡翠色の花瓶の後ろに、
オレンジ色の鍋がおいてあるでしょう?
大きな丸い口をこっち向きにしてね。
まったく、芸術家の感性っていうのはどういうものなんでしょうね。
マグノリアと、鍋。そんな取り合わせすら、
うつくしい、と思わせてしまう巧妙さ。
どんなに陰鬱な時代でも、ひととき、
せめて絵を眺めているあいだくらいは、
何もかも忘れて、夢を見ることができるように。
痛みをなくす麻酔のような力が、先生の絵にはある。


◆女流画家カサットを通して語られるドガの芸術としての踊り子に対する狂気にも似た傾倒ぶりを描いた「エトワール」


「踊りの花形(エトワール、あるいは舞台の踊り子)」


ドガの踊り子のモチーフに対する激ぎる情熱に圧倒される思い、これからドガの作品への鑑賞の眼が変わってくるような作品でした。


◆「印象派」がまだ世の中に認められなかった時代に貧しい画家たちに無償で画材を提供して支えた画材屋の店主タンギー亡き後、その娘がセザンヌに向けて手紙で父の思い出を綴った「タンギー爺さん」

爺さんの生涯もさることながら深く交流のあったセザンヌやゴッホなどの人となりがまるでその時代に遡ったように生き生きと語られています。

ゴッホが絵の具の代金の代わりにタンギーの肖像画を描くにいたった経緯など描かれていて興味深い小品です。

「タンギー爺さん」

◆モネの再婚の相手の娘ブランシュの目を通して語られるモネの生涯を描いた表題作「ジヴェルニーの食卓」

パリ郊外のジヴェルニーの自宅に睡蓮を中心にした「水の庭」、さまざまな花の「花の庭」を作り、画家としての日々を過ごしたモネの代表作である睡蓮を題材の連作が完成するまでの晩年のモネの苦闘の様子とモネを心身ともに支える義理の娘ブランシュの献身ぶりに胸が熱くなる一作。
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オランジュリー美術館に寄贈された「睡蓮」の壁画


キュレーター原田マハ氏の力がいかんなく発揮された本書、評伝とは銘打っていないながら、まるで、というかそれ以上のリアリティを持って読者に迫ってくる内容でした。

美術史年鑑などでは到底読み取ることのできない画家たちやかれらを支えてきた人々の息遣いが聞こえてきそうな、そして印象派の生きた一時代の息吹をやわらかい女性的なタッチでしかも美しく活写している、そんなすてきな小説、ぜひお勧めです。

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千年の生(き)の哀しみを樹に宿し命けずりて醍醐桜(さくら)の咲(ひら)く
岡山県下一の巨木といわれる醍醐桜は日本名木百選にも選ばれると同時に昭和47年には岡山県の天然記念物に指定されています。

ヒガンザクラの一種であるアズマヒガンで、目通り7.1m、根本周囲9.2m、枝張り東西南北20m、樹高18m、伝説によれば元弘2年(1,332年)後醍醐天皇が隠岐配流の際、この桜を見て賞賛したといわれこの名がついたそうです。

樹齢は700年とも1000年ともいわれるこの老木ですが、すご近くに子どもの醍醐桜が親を凌ぐ勢いで成長していて命の継承を果たしています。

病気に冒された太い幹には人の手でコンクリートが補強され、見た目にも痛々しく、満身創痍の身ながらエネルギーのすべてを開花に向けている姿は神々しく愛おしさで胸がいっぱいになるほど。

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写真は醍醐桜の近くの野生のかたくり、みつまた、菜の花、福寿草、椿。

花まみれの一日でした(^^)




さて本日は永田和宏氏河野裕子氏その家族共著『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』のレビューです。

「ガンにたおれた妻であり、母である河野裕子と家族が詠んだ歌とエッセー63編。
息を引き取るまで、互いの心に手をのべ、絆を確認し合った歌人一家、感涙のドキュメント」

産経新聞夕刊に掲載された河野氏を中心にしたご家族のリレーエッセイから63編が収録されています。

連載中に乳がん闘病中の河野氏が永眠されたというご家族にとっても非常に濃密な期間を河野氏に寄り添いながら作られた歌の数々が掲載されていて深く胸を打たれます。

朝日新聞歌壇の選者であるご主人の永田氏に抱いていた私の勝手なイメージとは少し離れたご家族の中の永田氏、河野氏の夫である永田氏が本書のそこここにいて、遺されたものの底なしの喪失感が感じられて、、、このご家族は河野氏を中心に成り立っていたんだなと改めて感じさせられました。

以前ブログにアップした永田氏の『歌に私は泣くだらう』で感じていたと同じ、すばらしい歌人としての発展途上で亡くなられたとはいえ河野氏の家庭人として歌人として愛され尊敬された幸福を思わずにはいられませんでした。

いつまでも私はあなたのお母さんごはんを炊いてふとんを干して (河野裕子)

このふた月あなたの声を聞かないがコスモスだけが庭に溢れる(永田和宏)

ひらがなに心が還りゆくような日々を重ねて泣きやすくなる (永田紅)

ある日ふと気づく年月 かたちあるものに陽をあてまた取り入れる (永田紅)

そういえは声を聞かない日が続く北山時雨の欅に降る音 (永田淳)

遠くより雨の来る見ゆ高台のあなたにすこしだけ近いこの場所 (植田裕子※淳氏の妻

あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ遺すことの何ぞ少なき (河野裕子)

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