鱗雲、赤とんぼ、実りの稲穂・・・秋が日ごとに深まってくる様子が手に取るように感じられる朝夕の涼しさです。

違(たが)ふなく秋深まりて金木犀の香りほのかに漂ふ夕(ゆふべ)
金木犀の香りも漂い始めました~。
昨年亡くなった義姉が「来年の桜は見られないかも・・・」とポツリと発した言葉が忘れられませんが、年とともに季節ごとの草花の移ろいに執着するこの頃。
実りの秋の原風景には欠かせない彼岸花もそろそろ終焉を迎える時期になり・・・

畦道にかがり火のごと曼珠沙華金の稲穂を照らして尽きず
天界ゆ種の零れし曼珠沙華 天向き展(ひら)きてけふ秋彼岸
不思議な魅力を湛えた酔芙蓉ももうすぐ終わりです。

酔芙蓉のいろの移ろひ捉えんと見つむる背(せな)に夕光(ゆふかげ)射して
我が家のベランダではゴーヤとキュウリが最後の隆盛を誇っています。
同時期に植えた朝顔はもう処分したというのに、ゴーヤもキュウリもお互い負けじと競い合うように実を成らせています。
必然的にAll dayゴーヤとキュウリを使った料理ばかり。
あとバジルと青ジソ。
今日のお昼も日本そばにゴーヤの薄切りを少々。
昨日はバジル&ゴーヤのパスタ。
茂った青ジソの葉は細切りコンブと山椒の実、かつおぶしを入れて醤油ベースの佃煮したので今は丸裸になりました。
畑の真似事ライフは、真似事だからこそ楽しい♪
さて本日は垣根涼介氏著『月は怒らない』をご紹介します。
「多重債務者の借財の整理が生業。仕事で訪れた市役所でこの女を一目見た瞬間、声を失った―。
バーで女がチンピラに絡まれて目の前で転んだ。助け起こした瞬間、女の顔に釘付けになった―。
勤務先の交番の前の市役所に自転車で通う女。
結婚しているくせに私はいつもその女を探している―。
誰にも期待しない。夢なんて持ってない。だから生きるのラクだった。そんな女になぜか惹かれていく、3人のロクデナシたち。
垣根ワールドの新境地」
不思議な雰囲気を持つひとりの女と、彼女に魅了された3人の男たちの物語。
垣根氏の作品だからと図書館で手に取った本。
著者らしからぬ内容に違和感を持ち続けたまま読了。
途中得意の飛ばし読み(――;)
「誰の人生も背負わないし、背負われたくない」という自立した精神の持ち主のヒロイン・恭子。
作品の中でも恭子の過去は語られませんが、「20歳を過ぎたら全部自分の責任」というスタンスの著者が敢えて恭子の人間としての核に持ってきたといいます。
──誰のせいでもない。誰のためでもない──
今という時間にどう落とし前を付けていくか。
過去への照射はそれで変わっていく。
記憶の中の原風景は変質していく。
そんな恭子は黙して語らず、恭子を取り巻く男たちが語る中で出てくる会話や動作によって恭子をどう捉えるか、読者に委ねられています。
ヤクザではないもののアウトロー的な生活をしている梶原、軟派の大学生・弘樹、妻子持ちの警官・和田、そして公園のベンチで知り合った記憶障害のある老人・・・この4人を通して語られる恭子は当然のことながら単一ではありませんが、不幸とか幸せとかといった感情を吸収しない陶器のような、肝の据わった女性といった印象。
4人とのさまざまな会話や独白を通して著者が託した言葉の数々に思わぬ名言が散りばめられていて、それが見っけものという作品でありました。
「人のせいにしちゃ、いかんじゃろ。
それはみんな、おまんのせいや。
に起こることは、悪いこともいいことも含めて、みんなその当人のせいぜよ。
完結しろ。
自分の中で完結させい。
そうすればおまんは、自分の一歩をようやく踏める」
これは大学生・弘樹の祖父の言葉。
「洋の東西を問わず、愚か者は常に進んで自分の墓穴を掘り続ける。
梶原はたまに思う。
二十歳を超えて起こった人の不幸は、ほとんどの場合、その本人の身から出た錆だ。
同情する必要はない」
ヤクザ紛いの梶原の内省ですが、この梶原に著者ご自身を投影させていることは想像に難くありません。

違(たが)ふなく秋深まりて金木犀の香りほのかに漂ふ夕(ゆふべ)
金木犀の香りも漂い始めました~。
昨年亡くなった義姉が「来年の桜は見られないかも・・・」とポツリと発した言葉が忘れられませんが、年とともに季節ごとの草花の移ろいに執着するこの頃。
実りの秋の原風景には欠かせない彼岸花もそろそろ終焉を迎える時期になり・・・

畦道にかがり火のごと曼珠沙華金の稲穂を照らして尽きず
天界ゆ種の零れし曼珠沙華 天向き展(ひら)きてけふ秋彼岸
不思議な魅力を湛えた酔芙蓉ももうすぐ終わりです。

酔芙蓉のいろの移ろひ捉えんと見つむる背(せな)に夕光(ゆふかげ)射して
我が家のベランダではゴーヤとキュウリが最後の隆盛を誇っています。
同時期に植えた朝顔はもう処分したというのに、ゴーヤもキュウリもお互い負けじと競い合うように実を成らせています。
必然的にAll dayゴーヤとキュウリを使った料理ばかり。
あとバジルと青ジソ。
今日のお昼も日本そばにゴーヤの薄切りを少々。
昨日はバジル&ゴーヤのパスタ。
茂った青ジソの葉は細切りコンブと山椒の実、かつおぶしを入れて醤油ベースの佃煮したので今は丸裸になりました。
畑の真似事ライフは、真似事だからこそ楽しい♪

「多重債務者の借財の整理が生業。仕事で訪れた市役所でこの女を一目見た瞬間、声を失った―。
バーで女がチンピラに絡まれて目の前で転んだ。助け起こした瞬間、女の顔に釘付けになった―。
勤務先の交番の前の市役所に自転車で通う女。
結婚しているくせに私はいつもその女を探している―。
誰にも期待しない。夢なんて持ってない。だから生きるのラクだった。そんな女になぜか惹かれていく、3人のロクデナシたち。
垣根ワールドの新境地」
不思議な雰囲気を持つひとりの女と、彼女に魅了された3人の男たちの物語。
垣根氏の作品だからと図書館で手に取った本。
著者らしからぬ内容に違和感を持ち続けたまま読了。
途中得意の飛ばし読み(――;)
「誰の人生も背負わないし、背負われたくない」という自立した精神の持ち主のヒロイン・恭子。
作品の中でも恭子の過去は語られませんが、「20歳を過ぎたら全部自分の責任」というスタンスの著者が敢えて恭子の人間としての核に持ってきたといいます。
──誰のせいでもない。誰のためでもない──
今という時間にどう落とし前を付けていくか。
過去への照射はそれで変わっていく。
記憶の中の原風景は変質していく。
そんな恭子は黙して語らず、恭子を取り巻く男たちが語る中で出てくる会話や動作によって恭子をどう捉えるか、読者に委ねられています。
ヤクザではないもののアウトロー的な生活をしている梶原、軟派の大学生・弘樹、妻子持ちの警官・和田、そして公園のベンチで知り合った記憶障害のある老人・・・この4人を通して語られる恭子は当然のことながら単一ではありませんが、不幸とか幸せとかといった感情を吸収しない陶器のような、肝の据わった女性といった印象。
4人とのさまざまな会話や独白を通して著者が託した言葉の数々に思わぬ名言が散りばめられていて、それが見っけものという作品でありました。
「人のせいにしちゃ、いかんじゃろ。
それはみんな、おまんのせいや。
に起こることは、悪いこともいいことも含めて、みんなその当人のせいぜよ。
完結しろ。
自分の中で完結させい。
そうすればおまんは、自分の一歩をようやく踏める」
これは大学生・弘樹の祖父の言葉。
「洋の東西を問わず、愚か者は常に進んで自分の墓穴を掘り続ける。
梶原はたまに思う。
二十歳を超えて起こった人の不幸は、ほとんどの場合、その本人の身から出た錆だ。
同情する必要はない」
ヤクザ紛いの梶原の内省ですが、この梶原に著者ご自身を投影させていることは想像に難くありません。