VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2014年11月

先日娘と旅行したときの会話。

旅のお供に持参した本…本日のレビュー本…について・・・

「今心の大半を占めている画家なのよ…奄美美術館に行きたいの」

「えっまた~? 何年か前は香月泰男だったよね? だから山口まで観に行ったよね?」

「香月の比ではないのよ・・・」

といいながら自分の心を遡ってみたところ・・・断続的に心を占める人が現れては薄らぐということを繰り返しているような。

思い出にあるのはまず小野田寛郎、あの大東亜戦争に将校として従軍し戦争終結から29年目にしてルバング島から帰還された人。

あまりの一途な帰還の姿に激しく気持ちを揺さぶられていたを見ていた姉が小野田さんの肉声の入ったSP盤をプレゼントしてくれたこともあるほど。

その後ブラジルに移住して農園を経営されたり日本で小野田自然塾を主宰、子どもたちを育成する活動をされたとありますが、活躍されて生き生き過ごされているその頃になると私の関心は急激になくなります。


次に思い浮かぶのは個人ではありませんが「マタギ」。

吉村昭氏の『羆嵐』や志茂田景樹氏の『黄色い牙』など読んで以来、極限の自然と対峙する人間の崇高かつ禁欲的な姿に魅せられた…というか…その後念願が叶って秋田の阿仁町打当のマタギ記念館を訪れることができました。


新聞記事でも心を奪われるのが老人と幼子の事件。

置き去りにされた幼児が目張りされた部屋で親を求めて彷徨った果てに餓死した事件などその後しばらく状況が目に浮かんで寝ても醒めても頭から離れませんでした。


もちろんほとんどの方は不憫さを深く感じると思いますが、私の場合はそれが度を超えている、と私を身近で見ている夫は常にいいます。


こうして傾向を分析してみると、日の当たらないところにいる人に特に心を入れ込む傾向、こんなに入れ込んでも行動をするわけではないので何の改善にもならないので褒められることではないのですけど^_^;


そういえば小学校低学年の頃近所に独り暮らしのおばあさんがいて、親に内緒でバナナとかお菓子とか給食のコッペパンとか持って毎日訪れていたのを思い出しました。

薄暗い土間でどこで集めたのか積上げられていたおがくずを焚いて暖を取っていたと記憶しますが、ある日訪問していたとき背広姿の男性が入ってきて驚いて早々に退散。

その後しばらくしておばあさんの姿が見えなくなったところをみるときっと息子さんに引き取られたのだとのちに想像したものです。

ほかに澤地久枝氏の作品で知った強盗殺人で無期懲役になった加藤新一老の娘・キクヨさん。

父・新一さんが逮捕されたとき幼子だったキクヨさんは殺人者の子として教育も受けられないまま苦労を重ねて成人します。

新一さんが出所後長きに渡り冤罪を晴らすための活動をしていたときそばに寄り添い父のために尽くした生涯を思うとなんとも切なくて言葉がありませんでした。



長くなるのでそろそろ本日のレビューに移ります。

少々長くなりますが、私個人の感想というよりほぼ抜書き、記録のレビューです。









湯原かの子氏著『絵のなかの魂 評伝・田中一村』

1908年栃木県に生まれ、幼い頃東京に移住、一家零落とともに千葉に住み、50歳のとき奄美に移住、1977年9月11日奄美の僻村の粗末な家で見取る家族もなくひっそりと69歳の生涯を閉じました。

俗世間を離脱し、自然のなかに身を置いて自己の芸術世界を感性させた生き方は、西行や芭蕉などの漂泊詩人や、長明や兼好などの隠遁の文人を彷彿させる。
にもかかわらず、遺された絵画は「わび」や「さび」の枯れた境地を示すどころか、むしろ原初的なエロスを発散させ、画家の物静かな風貌の下に秘められた激しい内奥の情熱と、人間の心の奥深さをかいま見せている。
画家の禁欲的な生き方と、その絵が発散するある種の官能性――。
一体このコントラストはどこからくるのだろう。
一村がその求道的な生き方によって到達した”美的世界“とはいかなるものなのか。
そしてそれがかくも人々の心をゆさぶり魅了するのはなぜなのだろうか。


幼い頃から神童ぶりを発揮して家族の期待を一身に背負い、南画の道に精進、「対象5年度全国美術名鑑」の「日本書画超然並びに余技」の部に「田中米邨、独学、19歳、四谷坂町四四」の記載が見られるほどの天才振りを発揮していました。

その後東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画科に入学、同期生に東山魁夷、橋本明治、加藤栄三、山田申吾などのちの日本画壇の重鎮たちが名を連ねていましたが、入学後3ヶ月ほどで、再発した結核と実家の困窮とが重なり退学するという不運に見舞われます。

退学後独学の長い道を辿りますが、生活の糧として続けていた南画の道から遠ざかり、画号を幼い頃からの「米邨」から「一村」へと改め心機一転を試みるもすべてがうまくいかず、生涯を貧困と孤独の中で生を閉じる生涯の兆しが見え隠れして切ない。

山重なり 水複して 路無きかと疑えば
柳暗く 花明らかにして また一村あり
「一村」というのは愛読していた南宋の詩人・陸游の代表作『遊山西村』から採ったそうです。

両親ほか家族を次々失い、妹を嫁がせ、強い絆で結ばれた姉・喜美子とともに二人三脚の生活は一村の芸術を中心に成り立っていましたが、元来の頑なな性格のためか権威に迎合することができず、方々で悶着を起し中央画壇から外れた一村に日は当たらず、出品する作品は次々落選という不本意を繰り返して生活は困窮を究めました。
どんなに貧乏しても「売り絵は描かない」という姿勢を頑ななまで崩さなかった一村。

「売ろうという気持ちが先に立つと素人受けする妥協した絵になる、売り絵は外道である」

自分の技量に絶大な自信を持ちつつ自分の絵が時流に取り残されたことを自覚、姉の将来を奪いながら画家としての活路を切り開こうとしたにも関わらず、50歳に手が届くというのに、これといった作品を世に問えずにいる今の閉塞状態をなんとか打破したい、創作意欲も体力も衰えないうちに新しい画題を求めて未知の地へ1人で旅立たなければならない、と切羽詰まった一村は姉の了解のもと奄美島に旅立ったのでした。

姉との関係性については長くなるので記すのはやめますが、正岡子規と妹に似た関係性、お互いがお互いを唯一無二のものとして求めるなか中核にあるのは芸術、お互いの人生を犠牲にしてまでも追い求める芸術とはなんと恐ろしいものと思います。

初めは十年くらいのつもりの奄美に限りなく魅了された一村。

終焉の地となるまでの20年間に描き上げた作品は色紙などを除外して大作は30点ほどだったとあります。
数年大島紬工場で彩色工として働いては絵を描く資金を集めて数年を絵に没頭し、また資金が底をついたら彩色工として働く、という繰り返し。

「工場の賃金は安いでしょうに。絵描いて売らんですか」
「大島には私の絵を買える人はおりません」
「たいがいに描いたらいいですがな」
「たいがいには描けません。命がけで描くんです」

「絵描きさんとは聞いていたが、あんな上手な絵描きだとは誰も思わなかったからね、バカにされるぐらいの人だったんよ。あんな偉い人とは知らなかったから、みんな、なめちょったよ」

奄美で親しく話したり接した人々は数少なかったようですが、それでも温かく支えてくれる少数の人がいて後年一村の思い出が著者の綿密な取材によって明らかにされています。

郷里の海でアダンの木を写生していた画学生・成子さんもその1人でした。

「さっきから苦心しているようだね。しかしアダンの葉の向きがまずい。海から風が吹いてくる時は、葉先は跳ね返って、こんな向きではないでしょう」
「おじさん、絵の先生ですか?だったらもう少し教えてもらえませんか?」

「アダンの木を描くには、葉だけ見て描いても駄目ですよ。アダンの木は表向きには見えなくても土の中では四方八方に根が張っている。目には見えない根づいている部分をも感じさせるように描かなければ駄目です」

「それにはどうしたらいいんですか?」

「影を見て描きなさい。影が描けないと、木だけ描いても本当のものは描けません」
そして成子さんの懇願に負けて成子さんが驚嘆するような手本のスケッチを描いてみせます。

「私は絵を描いていますが、何々先生と呼ばれるような者ではございませんから」

その後、偶然の邂逅で何度か話す機会があったときのこと。

画学生として東山魁夷に会い作品を目にしたときのことを話す成子さんに対して一村は堰を切ったように話し出されたといいます。

「その中に何が描かれているかを理解しないで、ただ絵を一枚一枚見せられただけで関心してはいけない。
そういう権威に惹かれてはいけない。
絵というものは、自分の人生全てを賭けて描き上げた時に、本人が死んだあとに、評価を受けるべきものであって、生きているうちに評価されるはずがない!」

その目は爛々と輝き、早口の江戸弁で、恐ろしいほどの大声で、滔々とまくしたてたそうです。

「真実を描いていない絵の中には、何の感動もない!
・・・自分が生涯かけて描く絵は、人からどう評価されようとかまわないのです。
真実の絵を描き残すことが、私の生きる道なのです。私が死んでも絵は残ります。
私を離れ、絵がひとり歩きしたときに、絵の中にある真実が人の心に感動を与えるのです。
私は自分の真実の気持ちを納得するまで描いています。
これで私は満足でございます。
思い残すことのないように、この奄美を描き続けます」


その後離れ離れに暮らしていた最愛の姉を失い、自身も亡くなる2年前には半身不随の病を患い、それでも自分で苦心し考案したリハビリで絵筆を持てるまでに快復したといいます。

「絵が楽しくなると反対に私の言動は狂人に近くなります」
自ら語っている一村は絵に熱中すればするほど狂気に近づいたそうです。

画布に向う一村は目をかっと大きく見開き、眼光鋭く爛々と輝き、血管は膨らみ脈が浮き立ってくる、そうして画布を凝視し、全神経を筆先に集中して描く様子には人を寄せ付けない気迫と恐ろしいほどの緊張感が漂ったといいます。

「私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、画の正道であるとも邪道であるとも、何と批評されても私は満足なのです。
それは見せる為に描いてのではなく、私の良心を納得させる為にやったのですから」


著者の渾身のノンフィクションである本書はほとんど無名に近いひとりの孤高の画家の生涯を綿密に追ってあますところなく炙り出していらっしゃいます。

その綿密な取材力の確かさもさることながら、一村に並々ならぬ関心を寄せているのが窺えるような対象への浮き上がらせ方、文章・構成ともの緻密さ正確さにおいて感服するほど充実した内容でした。

奄美パーク内にあるという田中一村記念美術館に行くのが今の夢です。

あまりの多忙にのんびりが必要な娘に付き合って2人でぶらり長野の野尻湖半のホテルに2泊してきました。
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近代建築家の巨匠・清家清氏が手掛けたといわれる別荘型リゾートホテル。



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信越ファーマーズ季節の新鮮野菜をエルボスコスタイル2種のソースで

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栗のポタージュ

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信州高原豆の蜜煮と鴨のスモークポルトビネガーソースフォアグラの味噌漬け焼き秋茄子の“こねつけ”と一緒

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信州産鮎のコンフィラビゴットソース

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長野県産牛ロースのグリル赤ワインソース信州茸と


移動の間も滞在中も職場からバンバン電話やメールが来て緊急の対応を必要とするようでいつも神経を張り詰めていて可哀そうなほどでしたが、晩秋の野尻湖がどの場所からも見える低層のホテルで地元の旬の食材を活かしたコースディナーを食べ、非日常を味わって少しずつ疲れも癒されていく・・はずだったのに・・・滞在第一日目の遅い夕食のあとワインを愉しんでいたとき、突然突き上げるような激しい揺れに見舞われました。

阪神大震災と同じ直下型とすぐわかりました。

テーブルの上のワイングラスが床に滑り落ちてガラスが飛び散り、同時に緊急を告げるサイレンが鳴り響き、灯りが消えました。

阪神大震災をもろに経験したというのにどうしていいかわからない私は娘の誘導でテーブルの下にもぐりました。

しばらくそうしていて揺れが静まってきた段階で館内放送の指示に従ってフロントのロビーに宿泊客が集まりました。

その間も緊急サイレンが鳴り続け恐怖を誘うよう。

あの音は心臓に悪い(――;)


「状況の把握のため今しばらくお待ちください」

度々館内放送があり、自家発電のモーターが回復したとの放送によって宿泊客が三々五々部屋に。

私たちもフロントに確認して12時前引き上げました。


スマホで状況確認をしたところ震源地のすぐ近くの信濃町に立地しているホテルとわかり、留守番の夫もたいそう心配してあれやこれや電話してきました。

その夜は荷物をまとめてすぐ出られるように入り口に置き、服を着たままで横になりましたが、微弱な余震だったので眠りに就く事ができました。


翌日、夫は震源地を離れてなるべく遠くに宿替えすべきだとかなり強硬に言っていましたが、私たちはそのまま何事もなくのんびり2泊したのでした。

マッサージまでお願いして。


「お前たち肝が据わっているというか、恐いもの知らずというか、鈍感というか・・・」と帰宅後夫は非難とも呆れたともとれる言葉を何度も発していました~(――;)


冬は雪に閉ざされる当ホテル、はからずも私たちが今シーズン最後のお客だったということでボジョレーヌーボーがふるまわれたり、ホテルセレクトの長野県産ワインのサービスがあったり・・・ホスピタリティのすばらしいホテルでした。






さて本日は渡辺容子氏著『罪なき者よ、我を撃て』のレビューを少し。


「『結婚式を中止せよ。さもなくば、惨劇が起きる』。
警備保障会社に勤める二ノ宮舜は、アダルトグッズ会社社長の義娘、風間小麦の警護を任された。
社長夫妻が挙式した数時間後、同会場で花嫁が脳幹をライフルで撃ち抜かれ死亡する。
式の後、小麦は舜の目をかいくぐり、義父の経営する工場に潜入しようとする。
その翌朝、小麦の自宅に一発の銃弾が撃ち込まれた。
江戸川乱歩賞作家入魂のボディガード・ミステリー!」


以前にも何度か書きましたが、『左手に告げるなかれ』から始まった保安士・八木薔子シリーズのスピンオフ作品。

それまでのヒロイン・八木薔子は今回は脇役として登場しています。


『左手に告げるなかれ』→『ターニング・ポイント―ボディーガード八木薔子』→『エグゼクティブ・プロテクション』→『罪なき者よ、我を撃て』という時系列ですが、面白かったのは『ターニング・ポイント―ボディーガード八木薔子』までで、保安士からボディーガードに転身しての活躍を描くあとの2作はアメリカならともかく日本の現状から浮遊したような内容であまり共感が持てませんでした。


聖書から採ったであろうタイトルからして大上段に構えすぎて内容にそぐわないという感じでちょっと引き気味。


要人を警護するSPの仕事の詳細など著者の取材力のすごさには感服しますが、八木の同僚で今回の主人公に共感がなく最後まで読むのが苦痛でした。


が、小説に書かれている実態が現実に即していると仮定すれば、民間の警備会社での訓練されたSPたちの辣腕ぶりには舌を巻きました~。

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「お前の数少ない特技のひとつやな~」

私が朝食後薬を飲んでいるのをじっと見ていた夫がひと言。

漢方療法から化学療法に切り替えて以来週一でいくつかの錠剤を服用することになって2年、ここに来て心臓にちょっとした不具合が出て毎朝飲む薬数種が追加されたので、それら錠剤をまとめて一口で飲み下していたときのこと。

サプリのたぐいを飲まない私とは反対に夫にはミネラル&ビタミンのサプリ4錠を飲んでもらっているのでそれを毎朝飲むのが苦渋らしく、1錠飲んでは次という風に丁寧に飲まないとのどを通らないという夫からみると私の飲み方が信じられないらしく、度々上述の言葉が飛び出します。


そんなことで褒められてもねぇ・・・。


そういえば夫の母も錠剤を飲むのに苦労していたので喉が細いという体型的なことなのか。


私は性格的な思い込みではないかと密かに思っているんですけど。


ちなみに私が主に育てたせいか神経質でない子どもたちはそんなことはありません・・・長じた様子は知らないけど。


これが特技かどうかは別として。。






さて本日は近藤史恵氏著『サヴァイヴ』をご紹介します。


「団体戦略が勝敗を決する自転車ロードレースにおいて、協調性ゼロの天才ルーキー石尾。ベテラン赤城は彼の才能に嫉妬しながらも、一度は諦めたヨーロッパ進出の夢を彼に託した。
その時、石尾が漕ぎ出した前代未聞の戦略とは──(「プロトンの中の孤独」)。
エースの孤独、アシストの犠牲、ドーピングと故障への恐怖。
『サクリファイス』シリーズに秘められた感涙必至の全六編」


ロードレースを題材とした著者のベストセラー作品『サクリファイス』 『エデン』に続くのが本書、いろんな媒体に短篇として発表したものを一冊にまとめたもの、両作品の前日譚と後日譚が描かれたスピンオフ、外伝となっています。

そして本書のあとに『キアズマ』が刊行されてロードレースシリーズは4作品。


本書には6つの短篇が収録されていますが、『サクリファイス』『エデン』に本書の短篇を挟んで時系列に並べてみると・・・

「プロトンの中の孤独」→「レミング」→「ゴールよりももっと遠く」→『サクリファイス』→「スピードの果て」→
「老ビプネンの腹の中」→『エデン』→「トウラーダ」となります。(どれだけヒマなん^_^;)


時系列に沿って読んでみるとそれぞれに登場するレーサーたちの成長あるいは衰退などの変遷がわかってより面白いのではないでしょうか?


といってもこれら自転車ロードレースシリーズを読まれたことのない方にはなんのことやらという感じでしょうが、門外漢の私ですらすごく新鮮で手に汗を握った作品なので自信を持ってお勧めします~^_^


それぞれに登場する選手たちはなべて個性的で、時には闘志むき出しの虎のよう、また時には自身の欲望を抑えてエース選手のアシストに徹するという修行僧の趣ありでロードレースの険しい山坂に比すとも劣らない心象模様を展開するところが圧巻です。


ツール・ド・フランスは自転車ロードレースの選手の憧れる最高峰として君臨していますが、日本ではこのロードレースはスポーツの世界ではマイナー。

いまひとつ認知度が高まりませんが駅伝などと同じような形態で高校や大学、社会人に特化したレースが各地で開催されているようです。

個人戦でありながら団体戦

団体戦でありながら個人戦


ほとんど馴染みのないロードレースの世界の詳細を、そして走る風を身近に感じられるという魅力ある作品です。

ぜひどうぞ!!

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晩秋の路上に積めるくさぐさの落ち葉の影に冬は来向かふ
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逝く秋をとどめて落ち葉い積もりし舗道を踏みて季を惜しみぬ

友人の畑で採った渋柿を干して10日、おいしい干し柿ができました~。
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冬立ちて吊るしし干し柿ベランダで音符のごとく冬陽に並ぶ


小ぶりの西条柿なので干すとますます小さくなって一口で食べられそう・・・と思っていたところSNSで親しくさせていただいている方から西条柿の3倍はありそうなりっぱな渋柿が届いてびっくり。
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熟柿が大好きな夫の要望で半分を熟柿にしてあとは干しました~。

食べでがあるだろうな~^_^


ずっと地方都市の市中で育った私は小学生のとき社会科で「お米のできるまで」というような田植えから稲刈りまでの行程を教科書で習ったものの「お米のなる木」も見たことがなくテストのための暗記に苦渋したことを今も覚えています。

周りの環境もすべて小都市の街中だったので近くのデパートに行ったり、映画を観たりが幼い頃からの行動範囲、長じてもその延長のような生活。

家でも干し柿などしたこともなく、お店先に並んだ野菜や果物がどのような経路で来たかなど考えもしない生活をン十年、転勤のある結婚生活で2度目の赴任先・広島県福山市で初めて自然に接したのでした。


家の後ろが山、ちょっと歩けば田んぼという自然豊かな場所で幼い子どもたちと泥んこになって悪戦苦闘して・・・特にスーパー自然児だった長男は叱ればすぐ裏山に逃げ込む、田んぼで食用蛙を幾匹も捕まえてくる、川で鯉やフナを手づかみする、目を離すとどこまでも遠出するなどなど、家ではカブトムシ、クワガタ、かいこなど飼い、網戸で蝶や蝉を羽化させたりと自然と馴染みすぎるくらい馴染みました。


その後都会への転勤が続き、同じ子どもながら次男は幼少から長じるまで神戸~東京で生活したので完全なる神戸っ子~都会人となりました。


人は環境にかくも左右されるのか、というのを親子で体験したのでした。





さて今回は仙川環氏著『再発』のレビューです。

「父親が急逝してやむなく実家の医院を引き継いだ成田真澄は、中央から田舎の町医者に転じた未練に悶々とする中、従妹が原因不明の病に倒れ、治療方法も分からぬまま死に至らせてしまう。
そしてその友達も同様の死を遂げる。
友人で獣医の渡良瀬敦彦と共に真相を探るうち、その症状が狂犬病と酷似していることが判明した。
国内では撲滅したはずの殺人ウイルスが約半世紀を経て再上陸したのだ。
政府の正式発表により町民はワクチンを求めてパニックに陥り、飼い犬の無差別殺害も続出した。
はたしてその感染源は―!?
『感染』の仙川環が新たな境地を開くパニックサスペンス大作の登場」


1968年東京都生まれ。
大阪大学大学院医学系研究科修士課程修了
大手新聞社で医療技術、介護、科学技術等の取材をしながら執筆
2002年『感染』で第一回小学館文庫小説賞受賞 (データベースより)


Amazonで本やCDを購入したり検索していると、「あなたはこんなのにも興味があるのではないでしょうか?」という提案が度々来ます。

余計なお世話とばかり無視することもあれば思う壺の興味を挽かれて誘導されることもあって・・・

本書はその誘導にまんまとひっかかって購入。

未知の作家さんでしたが評判も上々だったので幾冊かまとめて購入しようかと思いましたが・・・まずは一冊読んでからと本書のみ購入。

読み始めてすぐに意欲が・・・・薄れました(はやっ)^_^;


今世界を席巻しているエボラ出血熱、その前はデング熱、その前は鳥インフルエンザ、そのずっと前はHIVなどなど、国際的なパンデミックに到る伝染病が度々社会を混乱に陥れていますが、本書はわが国では50年以上発生していないといわれている狂犬病をテーマの作品です。

以前犬を飼っていたときはきちんと登録をして狂犬病の予防接種をした覚えがありますが、現状はどうなのか?


本書は50年ぶりに発症した狂犬病の発生源を巡ってさまざまな憶測の元主人公である女性開業医と同級生である男性獣医が危機感を持って感染源を追い求める行程が描かれています。


意外な発生源を突き止めるところで物語はラストを迎えますが、その意外性は読んでいただくとして、なんだか拍子抜けのような作品というのが私の感想でした。


パンデミックを扱っているわりには激しく動いているのはヒロインと同級生という狭い人間関係だしテーマの大きさに比して広がりのない不自然な構成に腰が引けました(――;)


ただ絶えて久しい狂犬病に対する日本人の平和ボケのような現状への警鐘としては優れものだと思います。

ペットを飼われている方には特にお勧めかも。

渋柿がたわわだからということで友人の畑で渋柿を採りがてらバーベキューをするという計画が持ち上がって・・・

メンバー7名がそれぞれ手分けして食材を用意、私は殻つき牡蠣やアワビ、剣先イカなどの魚介類が担当。

午前中いっぱいを渋柿採りに従事。

曇りがちな空模様でしたが、暑くもなく寒くもなくほどよいバーベキュー日和。

1時を回ってようやく渋柿採りも終わり、お腹もほどよく空き、食事タイムになりました。


友人が用意したバーベキューセットをスタンバイ、野菜から始まって牡蠣、アワビなどの魚介類、ソーセージやハラミ、カルビなどのお肉を焼いてノンアルコールビールで乾杯。

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みんなそれぞれ満足し、片付けてお開きになりましたが・・・

メンバーの1人が帰宅後、急激な嘔吐下痢で受診されたというおまけつき。

彼女は昨年初めて牡蠣にあたり数日寝込んで以来、牡蠣を敬遠していたにもかかわらず網の上でおいしそうに口を開けた牡蠣についつい手が伸びたそうです^_^;

結果的に他のメンバーは全員無事で彼女1人を直撃したのでした。

よほど牡蠣と確執があるのでしょうか。。。

今回は快復も早く翌々日にはすっかり元気になられたと聞いてホッとしました。

あたりやすい人。

年末ジャンボを是非買って!と頼んでいるんですけどね。

写真は友人の畑で収穫した「はやとうり=隼人瓜」。
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キュウリのように無味で、酢の物やお漬物にと教えてもらいました。

帰宅後クックパッドで検索したら多くのレシピが紹介されていましたが、今日は「はやとうりのきんぴら」を作ってみました~。
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好評でした・・・というか無味なのでどんな料理に加えてもいけそうですけど。





さて本日はフレデリック・フォーサイス氏著『囮たちの掟』をご紹介します。

「圧倒的な筆力と、驚異の結末。物語の醍醐味が十二分に凝縮された、作品集。
タイ・バンコク発ロンドン行きの飛行機中と、ヒースロー空港の税関を舞台に密かに繰り広げられる麻薬取引を巡る攻防を描く表題作ほか、著者初挑戦のラブストーリー〈時をこえる風〉を収録。
これぞ、物語の醍醐味、華麗なるサプライズエンディング。天性のストーリーテラーが放つ、珠玉の物語集。
バンコク発ロンドン行きの英国航空10便。バカンスを終えた家族客らを乗せた機内で繰り広げられる麻薬組織とM15の闘いを描く『囮たちの掟』、西部開拓時代を舞台に、ネイティブ・アメリカンの娘と騎兵隊の男の一途な恋の逃避行を描く『時をこえる風』の二編を収録。 
キング・オブ・ストーリーテラーが放つ、物語の真髄を極めた至高の短編集」


『ジャッカルの日』『オデッサファイル』『戦争の犬たち』『第四の核』『神の拳』などベストセラーを並べると、映画や原作でご存知の方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

夫の本棚にもずらり。

本書も夫に勧められて読みました。


フォーサイスの作品では上記のほとんどを読んでいますが、本書は従来のフォーサイスの特色からかなり離れた作品と感じました。

文体からして、というか原書を読んだわけではないので訳者の傾向にとらわれているのかもしれませんが、ジェフリー・アーチャーの作品と見紛うような。。。


本書には「囮たちの掟」と「時をこえる風」の2編の短篇が収録されていますが、後者は中篇として一冊にできるほどの長さ、充実した作品になっています。

最初の「囮たちの掟」は英国航空機で麻薬の運び屋と麻薬取締官の巧妙な駆け引きが静かに進行する中イギリス人特有の風刺が効果的に散りばめられていて、ラストもフォーサイスらしく、というかアーチャー風にツイストが効いていて興味深い小品でした。

結末に意外性が用意されているのが見どころ。


2番目の中篇というべき「時をこえる風」はアメリカの開拓時代の戦いの中でインディアンの娘と騎兵隊の青年の間で芽生えた恋愛がテーマ。

1800年代のアメリカ西部、カスター将軍率いる騎兵隊がネイティブアメリカン部隊に敗北して全滅する「リトル・ビ!ッグホーンの戦い」から現代へと一気にタイムスケールするというSF的な展開を用いていながらSFらしからぬ時空を超えた純愛物語となっていてさわやかな余韻を残す作品となっています。

よかったらどうぞ。

友人から借りた画集で初めてこの画家を知りました。


『田中一村の世界』

今から40年ほど前NHKの日曜美術館で紹介されて全国区になったそうですが、生前は誰にも知られることなく1977年奄美大島の借家でひっそりと亡くなられた生涯。

NHKの放映が突破口となって全国各地で巡回された作品展が当地に来たとき観にいった友人が画集を購入したという経緯。

享年69歳




少し長くなりますが一村の生涯をなぞってみたいと思います。


彫刻家の父のもと栃木県に生を受け幼い頃から才能を発揮していた彼に父は「米邨」という画号を与え将来を楽しみにしていたといいます。

周囲の期待通りに東京美術学校日本画科に入学。

同期の橋本明治、東山魁夷らと励み、当時発行されていた「大正15年度全国美術家年鑑」の「超然並びに余技」の部に最年少で「田中米邨 独学 19歳 四谷坂町44」と記載されていたそうです。

約束されたエリートコースから外れたのは結核の発病と困窮という理由で入学後わずか3ヶ月で退学してから。

彼の才能を見出していた教授陣から授業料免除を提示、強く慰留されたそうですが、それら好意を頑なに拒絶したといいます。


しばらくは幼い頃から才を発揮していた南画で生計を立てていたようですが、数少ない顧客のために南画を描くことに疑問を感じていた彼は南画の支持者とも絶縁。


東京の貧しい借家暮らしで肉親を次々に失い、移り住んだ千葉で姉妹と農業をしながら画業を続けたそうです。

特に姉・喜美子は終生弟の画業修業に寄り添い尽くしてくれたと一村は書いています。


画号・米邨を改め一村として1947年川端龍子主催の青龍展に出品した「白い花」が入選、生前に作品を発表した唯一の機会となりました。


翌年この作品評価を巡り川端龍子と対立、喧嘩別れとなったようです。


院展や日展などの権威ある公募展に何度か応募したものの落選を繰り返して、自分の画才を疑わない一村は画壇の人脈を通しての入選に批判的だったそうです。


画題を求めて千葉を南下し、奄美の自然に魅せられて移住を決意したのが1958年。


ここを終生の地と定め、大島紬の染色工として働きながら亜熱帯の野性的な植物、原色長野魚類、動物等を20年にわたる創作活動のモチーフとして約30点の作品を残し孤高の生涯を閉じたのでした。







「今、私が、この南の島へきているのは、歓呼の声に送られてきているのでもなければ、人生修業や絵の勉強にきているのでもありません。
私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしました。
漠然と私が修業鍛練された人間となって、立派な作品と適当な衣服と、かなりの財産を作って、堂々と千葉へ帰ってくると、夢のような期待をかけられたら、実に迷惑千万なことです。
私が千葉へ帰るときは必ず乞食です。
乞食で帰っても受け入れてくれるのは姉一人です。
きょうは、山からヨモギを取ってきて、スイトンに入れ、黒砂糖をかけて食べました。
千葉寺で米を買う金がなく、スイトンのゆで汁から丼を洗った水まで姉と一緒に飲んで勉強したことを思い出し、泣きました」


このとき一村50歳。



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一村終焉の家
ひとり夕食の準備中に倒れたらしく、刻んだキャベツがあり右手近くに包丁がころがっていたそうです。

何という切ない人生。

芸術に魅せられるということはこういうことでしょうか。

生き方の何と下手な人。


同期だった東山魁夷の生涯を通しての活躍ぶりと比して、その生涯に胸が詰まります。


フランスに生まれ株式仲買人として生計を立てながら西洋文明に絶望しし園を求め、南太平洋にあるフランス領の島・タヒチに渡ったゴーギャンにその生涯を重ねて「日本のゴーギャン」と称されることがあるようですが、生涯独身だった一村の人生はゴーギャンをはるかに超える孤高の人生だったと思います。


あるきっかけで協力者により一村の作品に光が与えられ、死後3年を経過して名瀬市で遺作展が開かれ、人口5万人の名瀬市で3千人の市民が押し掛けるという盛況ぶりだったそうです。


その後NHK鹿児島放送局が「幻の放浪画家 田中一村」を放映、続いて1984年12月にNHK日曜美術館で「黒潮の画譜 異端の画家・田中一村」が全国放送され大きな反響を呼んだのは前述したとおりです。


孤高の人というと私の少ない知識で思い浮かぶのは自由律の俳人・種田山頭火と尾崎放哉ですが、世間の芥に塗れたこともある彼らとは一線を画した孤高というのはひとりよがりでしょうか。


画集に見る作品の数々ははっきりと奄美前と後に分かれていて好みは別にして後期の「ダチュラとアカショウビン」、「エビと魚」、「ビロウとアカショウビン」、「アダンの木」 「クワズイモとソテツ」など南国の島特有の極彩色の花や鳥、木などを老人とは思えない力強さで描きながらその中に澄んだ寂しさというか寂寥感を感じて胸が締め付けられるようでした。

 
これほどまでの孤独と貧困の中で純粋に絵を希求した人を私は知りません。

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