VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

PVアクセスランキング にほんブログ村

2015年04月

97a4b8c6.jpg

4月18日は私たちの結婚記念日でした。

何年になるかと数えてみてもあやふやで途中で放棄。

いまさらという感ですが、夫が何度も重篤な病気を乗り越えて以来、ここ数年は夫との生活を貴重なものとして日々を過ごしているので後悔のない記念日を送りたいと思いながらなかなかに実行できず。。

母の介護があったり、夫や私の病気があったり。


今年も、当日は絵の仲間と「小磯良平展」に行く予定が入っていたので、夜夫の好きなステーキハウスへでも行こうかなどと考えていたところ・・・

前の日の夜、短歌の勉強をしていた私の前にそっと小さな紙袋が置かれました。
34139b66.jpg

中を見ると小さなティファニー(!@@!コノトシデ)の宝石箱に小さなハートのネックレス(コノトシデ!)とハンカチ、そして「岡山の短歌」という本。

カードが挟まれていて・・・文言が数行・・なんだか胸がいっぱいになりました。


日頃のワガママぶりからかけ離れた夫の行為に思わず「もうすぐ死ぬんじゃない?」と。

私はな~んにも用意がなかったので肩身が狭かったけど、ありがとう×たくさんの嬉しい出来事でした^_^





さて本日は長岡弘樹氏著『教場』をご紹介したいと思います。

「君には、警察学校を辞めてもらう。
この教官に睨まれたら、終わりだ。
全部見抜かれる。
誰も逃げられない。
前代未聞の警察小説!」


1969年山形県生まれ
2003年『真夏の車輪』で第25回小説推理新人賞を受賞
2008年『傍聞き』で第61回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞

以前このブログでも『傍聞き』のレビューをアップしていますのでよかったら読んでください。 → 

本書は2013年の週刊文春ベストミステリーの1位&「このミステリーがすごい!」で2位となっています。

「こんな爽快な読後の悪さは始めてだ!
警察学校が担う役割とはなんだろうか。篩にかけられた友もまた、警察官を育成するために必要なものだったのだろうか。
校庭のすみに育てられている百日草が示すものが、警察組織を守るための絆ではなく、市民を守るための絆であることをただただ願いたい」――さわや書店フェザン店・田口幹人さん

「復興を続ける警察小説ジャンルから飛び出した、突然変異(ミュータント)。
警察学校が舞台の学園小説でもあり、本格ミステリーでもあり、なにより、教師モノ小説の傑作だ。
白髪の教師・風間は、さまざまな動機で集まってきた学生それぞれに応じた修羅場を準備し、挫折を演出する。
その『教育』に触れた者はみな――覚醒する。
もしかしたら。この本を手に取った、あなたも。」――ライター・吉田大助さん


警察官に採用された人がまず配属される場所―警察学校を舞台に研鑽を積む生徒たちとひとりの教官を中心にした6話からなる連作短編集となっています。


大学卒業相当の学生は半年間、高等学校や短期大学卒業相当の学生は10か月間入寮して昼間は警察学校に通うという全生活を教官たちの指導の下に送るというのが警察官に採用された若者たちの通る道というのをこの作品を通して知りました。

6話ごとに新しい主人公が登場しますが、すべて指導教官である風間公親の生徒たち。


「警察学校は、優秀な警察官を育てるための機関ではなく、適性のない人間をふるい落とす場である」


その過酷な警察学校を舞台の警察官の卵たちの成長譚と書けば響きはいいものの、本書の内容はそんな生易しいものではなく、極限の厳しさが要求される警察学校で生徒たちが抱いた悪しき作為や思惑を風間が暴いていくという内容。

とにかくすべての小品の読後の後味の悪さがピカイチ。

それも著者がしっかりと組み立てた構成の下、描かれたことが明確にわかる後味の悪さ。


実際の警察学校がこのような陰湿極まりない場所であるかは定かではありませんが、まるで戦時中の軍隊のよう。

規律の厳しさを追求すればするほど開放的からは程遠く閉鎖的になるという倣いに生徒たちの心身への影響もさにあらんと頷けるような内容でした。


しかし著者の力量は並ならずそこここに感じられて途中放棄できない作品でした。

興味ある方は是非どうぞ!

2週間ほど前のこと。 d6d19b91.jpg


外出先の駐車場の車止めに足をかけて不覚にも顔から転びました。

コンクリートの床に思いきり顔をぶつけ目から出た火花をしっかり確認するほど。

そのあと友人たちと待ち合わせして行くところがあったので、友人たちに迷惑はかけられないと思い、同伴の夫に取りあえず自宅に連れかえってもらい、計画はそのまま遂行してほしい旨伝えましたが、かなりの打撲ということで友人たちにその旨伝えて近くの病院を受診しました。

医師の指示でCTを撮り、鼻に小さな骨折がある以外大きな骨折がなかったのを確認。


その後手当てのために何度か通院しましたがそれも終わりやっと人心地つきました(^^)


その間いくつか外出しなければならないところもあり、大きなマスクをしていても何度か不審そうな眼差しに遭いましたが、知らない人に事情を説明することもできず・・・下を向いてこそこそ過ごした2週間(――;)


初診の折、外科の医師はこんな簡単な傷、とばかりにかなり面倒そうに傷の手当をしてくれていましたが、怪我をした状況を聞くときだけは真剣に身を乗り出し、それも夫と私にそれぞれ何度も同じ説明を促すのでおかしいなと思っていましたが、帰宅してDVを疑っていたのではないかと気づきました。

友人たちにそのことを話して・・以後DV夫の話題でしばらく盛り上がっています。


それにしても新しく作ったばかりのメガネが修復不可能な壊れ方をしたのがくやしい^_^;

周りの人々は最小限の被害でよかったといいますが・・・。




さて本日は堂場瞬一氏著『アナザーフェイス』のレビューです。

「警視庁刑事総務課に勤める大友鉄は、息子と二人暮らし。
捜査一課に在籍していたが、育児との両立のため異動を志願して二年が経った。
そこに、銀行員の息子が誘拐される事件が発生。
元上司の福原は彼のある能力を生かすべく、特捜本部に彼を投入するが…。
堂場警察小説史上、最も刑事らしくない刑事が登場する書き下ろし小説」


堂場氏といえばスポーツ小説と警察小説というまったく異なる分野で充実感のある作品を数多く生み出していらっしゃる作家さんです。

スポーツ小説の分野では陸上競技、野球、水泳、ラグビーなど多岐にわたって私たちを魅了してくれています。

特に箱根駅伝を描いた『チーム』は私の大好きな作品、選手の息遣いが感じられる秀逸の作品に仕上がっています。


警察小説はといえば、「刑事・鳴沢了」シリーズや「警視庁失踪課・高城賢吾」シリーズ、「警視庁追跡捜査係」シリーズ、「アナザーフェイス」シリーズなど驚くほど多岐にわたっています。


今回ご紹介するのは「アナザーフェイス」シリーズの第一巻。

今から5年前の作。

既に本書を含め7巻まで書き下ろしていらっしゃいます。


シリーズにはそれぞれ魅力的な主人公を配していますが、本書に登場する主人公は妻を交通事故で亡くしたシングルファーザー・大友鉄。

かつては捜査一課の第一線で活躍していましたが、育児との両立のため異動を志願して時間的に余裕のある警視庁刑事総務課に移り2年が経過した大友。


現場から離れ刑事としての資質を捨てたような大友の将来を案じた以前の上司であり刑事部特別指導官・福原の計らいによって突然誘拐事件の現場に放り込まれた彼がその資質を生かして事件解決に向けて潜在能力を再び発揮して活躍するというストーリー。


シリーズの第一巻となる本書、著者はシリーズ化を念頭に置いたのでしょうか、主人公や周辺のガイダンス的な説明を多用してそれぞれの人となりのアウトラインを描いているのが目立ちます。


ストーリー自体は特に斬新なものではなく、今日のところはまず大友鉄のお目見えで・・・的な内容。


著者は他のシリーズでもそれぞれ別タイプの刑事を顕たせているのを意識してか、主人公のキャラクターの説明にかなりの筆を費やしているのが目に付きました。


その意味では同じ警察モノで別々の主人公を書き分けていらっしゃる今野敏氏と似ています。


残念なところは「大友」という三人称で書かれている文章の途中で突然「僕」という表記が出現するなど、少々繊細さに欠ける著者の書きなぐりとともに校正のお粗末さを感じる個所が多々。


しかしまだ初巻のみの読了なので著者の力量に期待して機会があれば次の巻も読んでみたいとは思っています。

ブロ友のしおんさんの日記に触発されて思い出したことがあります。394af900.jpg


それは今から30~50年ほど前の昭和の駅の光景。

その頃は駅でも波止場でも華々しい見送りが繰り広げられていました。

結婚式&披露宴の流れで新婚旅行に行く新郎新婦を送って参列者がホームに居並んで餞の万歳三唱の光景が見られたのもその頃。


我が家は転勤族だったのでその頃までは新しい任地に向うため家族が乗り込んだ列車の前に上司や同僚、部下の方々が並んで万歳三唱で送ってくださっていました。

そんな風習がいつ頃からなくなったか記憶がありませんが、しっかり記憶にあるのは広島から新しい赴任地に向かうときが最後だったような。


この行事のためには必ず家族が揃って出発しなければならず、引越し作業を終え、トラックを見送り、残った貴重品をかき集めて家族総出で両手に持って・・・今考えると決してスマートとはいえない出で立ちでの出発。

その上、ホーム中響く大声で「H君の栄転を祝して・・万歳!万歳!」などと叫ばれるとあまりの恥ずかしさに一刻も早く出発にならないかとただただ祈るのみ。


子どもたちが小学生のときがそんな光景の最後だったと思いますが、そのときは長男の友だち10人ほどと、長女のクラス全員が駅に見送りに来てくれて入場券を買ってそれぞれ50名ほどに渡したり別れを惜しんだりに加え、会社の人たちの万歳三唱(――;)


子どもたちも恥ずかしさに十分な別れの挨拶も出来ないまま始終固まって下を向いていた光景が思い出されます。


夫と私は当時そんな一家の移動を「フン族大移動」とおもしろがって名付けていたり^_^


昭和から平成と時代が移り、今ではそんな光景も見られなくなりましたが、それはそれで一時代が終わったような淋しい気持ちになります。




さて本日は梨木香歩氏著『水辺にてon the water / off the water』をご紹介します。


「水辺の遊びに、こんなにも心惹かれてしまうのは、これは絶対、アーサー・ランサムのせいだ―
そう語り始められる本書は、カヤックで湖や川に漕ぎ出して感じた世界を、たゆたうように描いたエッセイ。
土の匂いや風のそよぎ、虫たちの音。
様々な生き物の気配が、発信され受信され、互いに影響しあって流れてゆく。
その豊かで孤独な世界は、物語の根源を垣間見せる」


著者の作品でブログにアップしているのは『家守綺譚』のみですが、日本児童文学者協会新人賞&新美南吉児童文学賞&小学館文学賞のトリプル受賞作『西の魔女が死んだ』のほか、エッセイをいくつか読んで、その不思議な世界観にとても惹かれています。


本書は、カナダのアルゴンキン自然公園で初めて乗って以来虜になったカヤックを通して小さな水脈が収斂する川筋や風筋、季節ごとの木々の匂いや芽吹きなど自然との交歓を描いたエッセイ集です。


「人生の幾つもの伏線に由来する、湖、河川、海を含む水辺に対する憧れが、潜伏して発病するのを待っているウィルスのように深く私の体内に息づいていたから、ふとしたことでカヤックに触れたとき、ああ、もう、これは、相当のエネルギーを注ぐ羽目になる、と覚悟した」

というほど原始的な自然に思う存分触れ、そして想像の羽を自由自在に羽ばたかせていて味わい深い作品となっています。


「 野山を歩いていても思うのだが、より速度を落として歩いた方が、世界の『厚み』を実感できる気がする。
落ち葉の陰に隠れたうつくしい茸を見つけたり、生みつけられたばかりのカマキリの卵を発見したり、図鑑でしか見たことがなかった植物に出会えたり。
そういうことは、急ぎ足では見落としがちになる・・・
私が好きなカヤックもそういうものだ」

時々時間制限のない散歩に出る私も著者の言葉に共感を覚えます。

道端の草花、枯れているかと思って近づいてみると枯れた葉の間から小さな小さな新芽が出ていたり、空を見上げるとすじ雲がゆっくりゆっくり流れていたり、芳香のするほうに近づくと塀の中に蝋梅が咲いていたり・・・。



著者はゆっくりカヤックを漕ぎながら自然と同化し、水辺の植物に思いを馳せ、過去に読んだ文学作品を引用したり、また新しい作品を生んだり・・・


自然の描写を含め、すべての言葉がきらきらとした光に包まれたような、清冽な一篇の詩を読んでいるような、そんな作品です。


風や森の匂い、夕日が沈むころになると鈍色になる湖面に降り注ぐ驟雨を見つめているうち辺りは闇に閉ざされ、そこでやっとわれにかえる著者。

「要するに、今が非常時である、と認めたくなかったということなのだろう。
それは本当に本当にいざとなったら、自分がどういう行動に出るのかは分からない。
大体、そこがどういうところかも知らず、夕闇の迫る中を出て行くなんて、何と言って誹(そし)られても仕方がない。
けれどそれに値するだけの宝石を、私は得たのだから、悔いもない。
そうなのだ。私にはいつも、これほどの歓びを得たのだから、これほどの美しいものを見たのだから、いつかそのつけが回ってきても仕方がない、という、諦めのようなものがあった。
だから、悔いもしない。
同じシチュエーションに出くわしたら性懲りもなくやはり同じ事をするだろう(が、次回は懐中電灯だけは持って出よう)」(「水辺の境界線」)


著者の水辺とカヤックをめぐる冒険記、自然描写のすばらしさをぜひぜひご堪能ください。

先日銀行でのこと。6e84f96e.jpg


ATMではない対面の場面でキャッシュカードの暗証番号を入れる必要があり、この銀行のATMはほとんど使ったことがないのでとっさにナンバーが定かでなくなり、自信が持てないまま入れたナンバーが拒否され、それならと脳に控えていた次のナンバーを入れましたがそれも拒否。

3回でロックされるのを知っていましたが、ふと記憶の底から立ち上がったナンバーこそ正しいという内なる声が聞こえたので、行員の方にラストチャンスをお願いして入れましたがこれも拒否。

完全にロックされてしまいました。

どうしてもキャッシュカードが必要だったのでその場で新しいキャッシュカードを作ってもらい新しい暗証番号を登録しました。


ネット人間の私はネット上登録しているサイトがたくさんあって、ログインIDやパスワードも半端なく、そうなるとあまりバラバラではこの狭い海馬に納まらないので必然的に共通のIDやパスワードを多々使っています。

銀行も同じくで暗証番号も2通りをいくつかの銀行に登録しているのが現状。


ネットサイトや銀行などはこまめに暗証番号を変えることを推奨されていますが、変える度に脳にインプットするのは難しく・・・それでなくとも人の名前も出てこない昨今なのに(――;)


今まで銀行でキャッシュカードの暗証番号間違いでロックされたというのを他人事として聞いていましたがついにやってしまいました。


そんなわけで今日新しいキャッシュカードが届いて、慌てて新しい暗証番号をメモしたのでした。

さて覚えられるかな?





さて本日は西川美和氏著『永い言い訳』をご紹介します。

「『愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくない』
長年連れ添った妻・夏子を突然のバス事故で失った、人気作家の津村啓。
悲しさを“演じる”ことしかできなかった津村は、同じ事故で母親を失った一家と出会い、はじめて夏子と向き合い始めるが…。
突然家族を失った者たちは、どのように人生を取り戻すのか。
人間の関係の幸福と不確かさを描いた感動の物語」


著者の西川美和氏は「ゆれる」「ディア・ドクター」「夢売るふたり」など話題作を世に送り出した新進気鋭の映画監督&脚本家。

小説の分野でも『きのうの神さま』が第141回直木賞候補となるなど才能が注目されている方だそうです。


私は映画も小説も未経験で本書によって初めて著者の作品に触れました。


本書執筆の動機について著者は次のように語っていらっしゃいます。

「2011年の東日本震災から半年ほど経過した頃、被災して家族や仲間を失われた方々の痛ましい姿を報道で目にしました。
それについて、気の毒だと感じながらも、綺麗なエピソードばかりが伝えられることに違和感を感じたんです。
人間同士の関係性は綺麗な形ばかりではなく、後味の悪い別れ方をしたまま相手が帰らぬ人になってしまったという不幸も、あの突然の災厄の下には少なからず存在したのではないかと。
そしてそういう『暗い別れ』は誰にも明かされず、打ちあけられないままに埋もれていったのではないかと。
私自身が普段、身近な人に対してぞんざいな態度のまま別れるということも多いのでそう思ったところもあるのかもしれません。
それで私は、大きな悲しみの物語が大声で語られている下で封じ込められた、誰にも言えないような別れ方をした人の話を書いてみようと思ったんです」


ずしんと胸に落ちる言葉。

私自身は言い訳がしたくとも言い訳をすることの後ろめたさというものを感じてついもごもごと挙句黙ってしまう方ですが、相手からは言い訳を聞くのは好ましく思うほうです。

本書はネットの読書ブログでもアップしていらっしゃる方がいらして、タイトルに惹かれて手に取りました。


本書の主人公・衣笠幸夫(作家名:津村啓)は作家として世に出るまでの10年という長い間美容師の妻に食べさせてもらっていたという圧迫感が捻じ曲がった形でその後の妻との生活に影を落とし冷めた関係になっていた妻を突然のバス事故で失います。

同じ事故で妻の親友である愛妻を失い悲しみや怒りを露わにする大宮陽一とは対照的に悲しみがわかず涙を流すことさえできなかった幸夫。

身近な人を亡くしたとき、 人はどのように自分の気持ちに折り合いをつけ、再出発するのか。

「グリーフケア」という悲しみから立ち上がるのに手を貸すというワークもあるほど、それは自分自身の力ではどうにもならないくらい大きな人生の節目となる出来事だと思います。


このタイトルの「永い言い訳」はだれに対する言い訳か・・・。

突然逝ってしまった妻に対する言い訳というのが通りがよさそうですが、私には幸夫の自分自身の妻への気持ちに対する言い訳というか、これからの人生を生きていくためのステップというふうに読みました。


著者は「愚かな人を徹底的に書くのは自分の課題。
自分の持っている愚かしさをあますところなく主人公にすり替えて書きました」と語ったいらっしゃいます。


自分の愚かさを知っていてそれをストレートに作品の投入する著者は信頼がおける人。


そして著者はそんな幸夫の行く道に光を与えるという方法で物語を紡いでいくことに成功しています。

そしてそして著者のすごいところは幸夫が愛らしきものに触れたところで物語を終わらせません。

あえて苦く切ない結末を用意しているのです。

私も身近な大切な人を何人もなくしていますが、未だ自分の心に折り合いをつけられずにいます。

生前の交わりで自分自身にしかわからない誠意を欠いた行動その他もろもろ。


なるべく自分の愚かさからは目を背けたいのが正直な気持ちですが、真正面から向かい合わなければ前に進めない。


今の与えられた人生を出来うる限り愚かな行動や心模様を排除して大切に大切に歩んでいきたいと思います。


eb9e2b7d.jpg

山峡(やまかひ)におぼろおぼろの山桜 拘りひとつ空に放てり
bf507261.jpg


今年最後の蟹を食べようということになり鳥取・東郷湖の辺にある温泉宿に行きました。

卓球メンバーの2人も参加して私たち夫婦と4人、夫の運転で出かけました。

築132年という老舗旅館に泊まり、蟹を満喫。
c7297264.jpg


7千坪の庭園を持つという旅館は百年の歳月の間に継ぎ足し継ぎ足しで施設を整えたせいか露天風呂があちこちに散らばり、方向音痴の私の頭では到底辿り着けないようなところに点在した露天風呂に地図を頼りに入りにいきました。
5d63f747.jpg

今年に入ってから持病の炎症数値が再燃したようで体のあちこちが痛く、静まる様子がありません。

旅館で一夜過ごしたあと首がとても痛く、うがいをすることや薬を飲むことができない。

痛みを和らげるという効用のある温泉に入ったというのに(――;)

ナンタルチア・・・ちと古い言葉遊びですみません^_^;


ほうほうの体で帰宅した翌日鍼灸に行き首の痛みは少し和らぎましたが、炎症細胞は騒ぎを止めない感じ、来週の受診ではきっと服用している薬の量が増えるんだろうな。


化学薬品はなるべく飲みたくないスタンスですが、QOLを保つにはやむなく・・と自分に言い聞かせています。







さて本日は古い名作といわれた向田邦子氏著『冬の運動会』のレビューです。

「高校時代の万引事件のためエリート家庭から落ちこぼれた菊男は、ガード下の靴修理店の老夫婦のもとに入りびたっていた。
そんなある日、ふとしたきっかけから、菊男は謹厳な祖父や、一流ビジネスマンの父のもうひとつの姿を知ってしまう。
人間の本質と家族のあり方を追求して話題を呼んだ名作ドラマの小説化」


1977年に放映するテレビのために著者が書かれた脚本を中島玲子氏が小説化したものが本書です。


1977年に放映されたドラマが約30年のときを経て2005年にリメイクされ放映されたそうなので記憶に残っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。


脚本家として出発し数々の話題作を残した著者ですが、作家としては遅咲きで短篇の連作『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞を受賞されたのが51歳のとき。

そして翌年飛行機事故で他界していらっしゃいます。


向田邦子氏の作品は家族のあり方が根底にあり、良きにつけ悪しきにつけどの家庭にも起こりそうな家族の機微をテーマに家族の交わりが描かれていて、思わず頷くこと多々、とても懐かしい思いに捉われたものですが、本書の主人公は向田作品には珍しい22歳の青年。


元軍人で連隊長だった厳格な祖父とエリートで体面を気にする厳格な両親の長男として育てられた菊男は高校生の頃万引きで捕まった過去を持ち、親が望むような息子でいることができないという抑圧から逃れるようにあるきっかけで知り合ったガード下の靴屋の夫婦のところに入り浸るようになります。


その夫婦には子どもがなく、菊男を息子のように可愛がり、菊男もその夫婦のもとで心から安らげる時間を過ごすという日々。

そんな日々の中厳格な祖父と父がそれぞれ家庭外に羽を休める場所を持っていたことを知った菊男。


そんな中知り合ったひとりの女性の存在がきっかけで菊男に一回り大きな大人としての転機が訪れるところでラストを迎えます。

切なさの残るラスト。

努力の挙句自分自身で作った理想の鋳型に嵌って満足するときもあれば、ときに息詰まりを感じるときもある、そんな人間の弱みを温かい目線で描いているところ、まさに向田作品でした。

↑このページのトップヘ