VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2015年05月

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我が家のベランダは今頃の季節になると夏野菜の植え込みで賑やかになりますが、食用のもののみ限定で花はほとんどない、というのが現状。

今ベランダにあるのは先週植えたゴーヤとキュウリの苗、そして夫の好きな朝顔、山椒、ネギ、先日友人からもらった青紫蘇、小松菜、サラダ菜、三つ葉。


基本、夫がベランダ係なので夫の意向が反映されます。


花のない我が家ですが、戸建てに住んでいる花好きな友人が折々に季節ごとの庭の花を切ってアレンジして届けてくれるのでいつも家の中が花が溢れていて幸せ♪


昨日は紫陽花とどくだみの花を持ってきてくれたので今リビングがすてきな彩りです。


その友人が毎年時期になると持ってきてくれる花の1つがずっと名無しのままで飾られていたのですが、今年短歌に詠みたくて本腰を入れて調べたら・・・わかりました。

コバノズイナ=小葉髄菜 

北アメリカ原産のユキノシタ科ズイナ属の落葉低木、アメリカズイナとも呼ばれているそうです。

今も美しいですが、落葉の時期も美しいそうです。


やっと名前がわかったというのに・・・なんとなく短歌に詠みにくい名前・・・えこひいきしてはいけないんですけど腕がないのが悲しい・・・(――;)

紫陽花やどくだみだとなんとなく詠みやすそう。

風そよぐ〈小満〉の日のさ庭辺に十薬の花倹しく咲けり

〈どくだみ〉といふ名の哀し慎ましく十字架のごと咲く花想へば






さて今回は桜木紫乃氏著『起終点駅(ターミナル)』をご紹介します。


「生きて行きさえすれば、いいことがある。

笹野真理子が函館の神父・角田吾朗から『竹原基樹の納骨式に出席してほしい』という手紙を受け取ったのは、先月のことだった。
十年前、国内最大手の化粧品会社華清堂で幹部を約束されていた竹原は、突然会社を辞め、東京を引き払った。
当時深い仲だった真理子には、何の説明もなかった。
竹原は、自分が亡くなったあとのために戸籍謄本を、三ヶ月ごとに取り直しながら暮らしていたという――(「かたちないもの」)。
道報新聞釧路支社の新人記者・山岸里和は、釧路西港の防波堤で石崎という男と知り合う。石崎は六十歳の一人暮らし、現在失業中だという。
『西港防波堤で釣り人転落死』の一報が入ったのは、九月初めのことだった。
亡くなったのは和田博嗣、六十歳。住んでいたアパートのちゃぶ台には、里和の名刺が置かれていた――(海鳥の行方」)。
雑誌「STORY BOX」掲載した全六話で構成」


2002年『雪虫』で第82回オール読物新人賞受賞
2005年『霧灯』で第12回松本清張賞候補
2012年『ラブレス』で第146回直木賞候補&第14回大藪晴彦賞候補&第33回芳川英治文学新人賞候補
2012年第41回釧新郷土芸術賞受賞
2013年『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞受賞
2013年『ホテルローヤル』で第149回直木賞受賞


このブログでは直木賞受賞作『ホテルローヤル』をアップしていますのでよかったら読んでください。


『ホテルローヤル』でも筆力のある作家さんだなぁとは感じていましたが、本書を読んで・・・参りました~。


北海道の小さな町を舞台の6篇の短篇。

社会の片隅で密やかに孤独と真正面に向いながら懸命に生きている人々の心模様を見事に描いてまさに珠玉の作品です。

6篇の短篇小説のどの篇を例に挙げても過不足ないすばらしい文章、舞台になっている風景の描写もさることながら人物描写も秀逸です。

人間が生きることのこれほどまでの切なさ、存在の泡のようなはかなさを静かな筆で余すことなく描いています。

どんなに努力しても自分には描けないような文章がこれでもかと胸に迫ってきます。

舞台となる小さな町・・函館、釧路、留萌、天塩町・・これらの湿ったような滅んでいくような景色がまた切ない。


読み終わったあとしんとした静寂の中にいながら登場人物の再生の道筋をも読み取れるという光と影を巧みに描いた秀作です。

ぜひぜひどうぞ!

先日岡山の県東・笠岡市のベイファームにポピーを見に行きました。

3haの干拓地を利用して四季ごとに花を入れ替えて私たちの目を楽しませてくれているベイファーム。

夏はひまわり、秋はコスモス。

今1000万本のポピーが盛りを迎えています。

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五月野に初夏の光の満ちみちて見渡すかぎりひなげしの花


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眩しいほどの五月の光の中で濃いピンク、薄いピンクのポピーが折からの海風に揺れてさざなみのようでした。




さて今日は佐々木譲氏著『憂いなき街』をご紹介します。

「夏至を過ぎ、サッポロ・シティ・ジャズで賑わい始めた札幌。
市内で起きた貴金属商の強盗事件を追っていた機動捜査隊の津久井卓は、仕事帰りに立ち寄ったジャズバー『ブラックバード』にてシティ・ジャズに出演予定のピアニスト・安西奈津美と出会う。
彼女は、人気アルトサックス・プレーヤーの四方田純から声がかかり、四方田純カルテットとして出演を控えていた。
ジャズの話をしながら急速に深まる津久井と奈津美の仲。
しかし、奈津美には消したくても消せない過去があった……。
一方で、サッポロ・シティ・ジャズに覚せい剤の売人が現れるという情報が。さらに、中島公園近くの池で死体が見つかる。
捜査を進めていくうちに奈津美に対する疑惑が深まっていく。
警察官として誓いを立てた自分と、一人の女性を愛する男としての自分。
激しく葛藤する中で、津久井は佐伯たちに助けを求め裏捜査が始まるのだが――」


『笑う警官』からスタートした著者の「北海道警察シリーズ」の第7巻。

第1作から登場している津久井が主人公の本書。

内容をひと言で言ってしまえば津久井の不発に終った恋のお話です。


札幌を舞台とした道警シリーズにはよく札幌での催し物が登場しますが、今回のイベントはサッポロ・シティ・ジャズ。

機動捜査隊の津久井が札幌市内で起きた宝石商の強盗事件の犯人を捕まえた際、現場のバーでピアノを演奏中だったピアニストの奈津美と目が合ったところから津久井に恋の予感。

その後刻をおかず奈津美と再会し、距離を縮めていくうち彼女の過去を知ってしまうことで恋が徐々に暗転、それと並行していくつかの事件が展開、シリーズの常連、佐伯も百合も新宮も登場して道警の活躍ぶりも相変わらず。


津久井の恋は成就ならずで物語のラストを迎えますが、シリーズ初期の『笑う警官』『警察庁から来た男』『警官の紋章』などに見られた重厚さにやや欠けるというきらいはあるものの郷愁を感じさせる作品でした。

道警シリーズ、楽しみにされている方はぜひどうぞ!


私が大好きな詩人の長田弘さんが亡くなられました。

驚いたことに私がお付き合いさせていただいていてこのブログでもコメントをくださっているAさんの大学時代の同級生で親しくお付き合いがあった方だったそうです。


ずっと以前目にした「うつくしいものの話をしよう」で始まる「世界は美しいと」という詩があまりにも胸に響いてそれから心を留めて長田さんの詩を味わうようになりました。

難解な言葉などひとつもなくてそのくせ言葉のひとつひとつが深く息づいていて読んだ人ならだれの心にもすっと溶け込んでいきそうな言葉の数々。

「世界は美しいと」

うつくしいものの話をしよう
いつからだろう。
ふと気がつくと、
うつくしいということを、ためらわず
口にすることを誰もしなくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう

そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう
風の匂いはうつくしいと。
渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。

太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。

冬がくるまえの、曇り日の、南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
きれいに老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

またSNSの日記でAさんご自身が紹介されていた詩は長田さんの別れのメッセージのようで切ない詩です。

 「イツカ、向こうで」

人生は長いと、ずっと思っていた
   間違っていた。愕くほど短かった。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   なせばなると、ずっと思っていた。
   間違っていた。なしとげたものなんかない。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   わかってくれるはずと、思っていた。
   間違っていた。誰も何もわかってくれない。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
   生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
   きみは、そのことに気づいていたか?

   まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
   間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
   きみはそのことに気づいていたか?

   サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。


「こんな静かな夜」

   先刻まではいた。今はいない。
   ひとの一生はただそれだけだと思う。
   ここにいた。もうここにはいない。
   死とはもうここにはいないということである。
   あなたが誰だったか、わたしたちは
   思いだそうともせず、あなたのことを
   いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
   悲しみは、忘れることができる。
   あなたが誰だったにせよ、あなたが
   生きたのは、ぎこちない人生だった。
   わたしたちと同じだ。どう笑えばいいか、
   どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。
   胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、
   いったい確実なものなど、あるのだろうか?
   いつのときもあなたを苦しめていたのは、
   何かが欠けているという意識だった。
   わたしたちが社会とよんでいるものが、
   もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、
   みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。
   わたしたちは、何をすべきか、でなく
   何をなすべきでないか、考えるべきだ。
   冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの
   「Conversations With Myself」を聴いている。
   秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、
   ここにいた。もうここにはいない。



数々の美しい詩を記憶から拾っていたとき、5月から通い始めた短歌教室でお知り合いになった先輩歌友の方から今日ご紹介する本をいただきました。

あまりのタイムリーにびっくり!


中西進氏著『詩をよむ歓び』


著者は「はじめに」で次のように述べていらっしゃいます。


「詩はことばの精粋です。
その精粋をもって描き出そうとした日本人の心の深さは、すばらしいものがあります。
それを読むことで、どんなにか人生は豊かになるはずです」


そういう意図のもと膨大な近代詩の中から苦心を重ねて選ばれた1人1篇、全80篇の名詩が詰まった作品となっています。

それらの詩はそれぞれ〈幼き日〉〈男と女〉〈家族〉〈生きる〉〈孤り〉〈夢〉〈こころ〉〈旅とふるさと〉〈季節〉〈宇宙〉という項目に入れられています。

いくつか挙げてみます。

冒頭に挙げているのはかの有名な吉野弘氏の「I was born」、少し長くなりますが読まれたことのない方のために記してみます。

「I was born」 吉野弘

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青
い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ
てくる。物憂げに ゆっくりと。
 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女
の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟
なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世
に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
 女はゆき過ぎた。
 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれ
る>ということが まさしく<受身>である訳を ふと
諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
----やっぱり I was born なんだね----
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返し
た。
---- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。そ
れを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとっ
てこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだか
ら。
 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
----蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬん
だそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくる
のかと そんな事がひどく気になった頃があってね----
 僕は父を見た。父は続けた。
----友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと
いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く
退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入
っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。と
ころが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ
そりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目ま
ぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとま
で こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの
粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>という
と 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことが
あってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお
前を生み落としてすぐに死なれたのは----。
 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひ
とつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものが
あった。

----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいで
いた白い僕の肉体----


切ない物語です。


「水いらず」富岡多恵子

あなたが紅茶をいれ
わたしがパンをやくであろう
そうしているうちに
ときたま夕方はやく
朱にそまる月の出などに気がついて
ときたまとぶらうひとなどあっても
もうそれっきりここにはきやしない
わたしたちは戸をたて錠をおろし
紅茶をいれパンをやいて
いずれ
あなたがわたしを
わたしがあなたを
庭に埋める時があることについて
いつものように話しあい
いつものように食物をさがしにゆくだろう
あなたかわたしが
わたしかあなたを
庭に埋める時があって
のこるひとりが紅茶をすすりながら
そのときはじめて物語を拒否するだろう
あなたの自由も
馬鹿者のする話のようなものだった



「ふろふきの食べ方」長田弘

自分の手で、自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日ををつかむんだ。
スがはいっていない一日だ。
手にもってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。

それから、確かな包丁で
一日をざっくりと厚く切るんだ。
日の皮はくるりと剥いて、
面取りをして、そして一日の
見えない部分に隠し刃をする。
火通りをよくしてやるんだ。

そうして、深い鍋に放りこむ。
底に夢を敷いておいて
冷たい水をかぶるくらい差して、
弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに
静かに熱く煮込んでゆくんだ。

こころさむい時代だからなあ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって。


心が冷え冷えとするような寒い夜、家に篭って長田弘さんのレシピどおりのふろふき大根を正しく作って食べたい、明日への力が蓄えられるようなそんな熱いふろふきをふうふういいながら。

ご冥福をお祈りいたします。


それぞれの詩にはそれぞれ中西氏の感想とか読み解く上での助言が加えられていますがそれがまたあたたかくて詩をますます耀かせてくれています。

ずっとそばに置いていて最期の床でも読みたい、そんな詩がたくさん。 

機会があればぜひどうぞ。

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慌しい連休も終わり静かな日常が戻ってきました。

特別な予定もなにもない日々が続くと物足りなさを感じたときもありましたが、今では何もないことこそが幸せと思えるようになりました。


先日、娘の親友2人がディッシュの持ち寄りで来てくれたときのディッシュの写真が残っていたので整理のために少しアップしておきます。
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この春は山に夫と山にわらびを採りに出かけたり、友人宅に筍掘りに行ったり、しっかり春を満喫できました。

春山にあふるる幸をもらひたりわらびぜんまひうぐひすのこゑ

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そして立夏。

またたく間に暦の上では夏。

母の日に娘にプレゼントしてもらった「二十四節気と七十二候の季節手帖」を眺めながら日本の繊細な四季の移ろいを感受してきた古人の細やかな感受性に深く感じ入っています。

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満天の星のかけらの零れしかドウダンツツジの花房白し




さて本日は柚月裕子氏著『検事の死命』をご紹介します。 

「郵便物紛失事件の謎に迫る佐方が、手紙に託された老夫婦の心を救う『心を掬う』。感涙必至! 佐方の父の謎の核心が明かされる『本懐を知る』完結編『業をおろす』。大物国会議員、地検トップまで敵に回して、検事の矜持を貫き通す『死命を賭ける』(『死命』刑事部編)。
検察側・弁護側——双方が絶対に負けられない裁判の、火蓋が切られる『死命を決する』(『死命』公判部編)。
骨太の人間ドラマと巧緻なミステリーが融合した佐方貞人シリーズ第三作。
刑事部から公判部へ、検事・佐方の新たなる助走が、いま始まる!」


主人公が活躍する佐方シリーズの『最後の証人』、『検事の本懐』に次ぐ第三弾が本書。


2007年『待ち人』で山新文学賞入選・天賞受賞(山形県の地元紙、山形新聞の文学賞)
2008年『臨床真理』で第7回「このミステリーがすごい!」大賞受賞
2010年『最後の証人』
2013年『検事の本懐』で第25回山本周五郎賞候補、第15回大藪春彦賞受賞
2013年『検事の死命』


著者の作品では「このミス・・・!」大賞受賞作の『臨床真理』を読んだのみ。


自分の中ではそれほどの高評価ではなかったのでそれ以後作品を手にしていませんでしたが、今回本書を読んでかなりよかったので遡って佐方シリーズの第一、第二弾も読んでみたいと思います。


剛腕というより骨のある切れ者、しかし自らのポリシーを雄弁に語ることはない佐方という主人公の人物像は著者が小説を書くきっかけにもなったシャーロック・ホームズシリーズが影響しているそうです。

助手のワトソンが語り手であるため主役のホームズの内面はほとんど描かれていない構成にミステリアスさを感じたため、「佐方についても全てを掲示するより読者に想像して楽しんでほしい、佐方の信念は言葉でなく起こす行動で感じてほしい」と。

ぼさぼさの髪によれよれのスーツという身なりに無頓着、無愛想という表面に反して外部の圧力に屈することなく真摯に真実を追い求め、次々に事件を捜査し処理していくストイックで正義感を燃やしている男として描かれています。


とても愛すべき主人公、いっぺんで好感が持てました。


本書は短篇4話で構成されています。


1話目と2話目はそれぞれ独立した短篇で、佐方検事の事件の真実を追究するという正義感、使命感、そしてなによりも豊かな人間性が随所で描かれています。

3話目と4話目が本書の見せ所。

電車内での痴漢事件が思わぬ方向へと向かい、上層部からかかった圧力をものともせずに真実を追究していくというもの。

著者・柚月裕子氏の取材力、構成力の確かさに感服した作品でした。

「秋霜烈日のバッジを与えられている俺たちが、権力に屈したらどうなる。世の中は、いったいなにを信じればいい」
これは主人公・佐方の上司の言葉ですが、現実世界でもこのようであってほしいと切に願いながら・・・。

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ゴールデンウイークも終盤に差しかかったようですね。

時折思い出したように夫が会社に出向く以外Everyday Sundayの我が家にとってはほぼ無関係な休日です。


そんな中ゴールデンウイーク前半に娘が帰省していて、新緑の吉備高原にお住まいのzensanさんの娘さんのMちゃん宅に3人で押しかけて数々のMちゃんの心づくしの手料理に舌鼓を打ち、おしゃべりとワインでzensanご夫妻も含め昼間から酔っぱらってしまいました。


3年前より突然ブログを閉鎖されていまだに再開を求める声が聞かれるほどすばらしいブロガーだったzensanさんですが、今後再び仮想の集まりに参加されるおつもりはないようでリアルな日常で気の合う仲間との交流を楽しんでいらっしゃるようにお見受けしました。


ブログで交流されていた方はご存知だと思いますが愛犬ピッピも元気で相変わらず人懐っこく、犬に目がないわが家族は思いっきり撫でさせてもらいました。


私が住む市中に比べ吉備高原は気温が4度ほど低く、今がさみどりの若葉が燃え立ち、市中を抜けて高原へ向う道路の両側はいま躑躅がまっさかりでした。


写真に撮ればよかったと後悔しましたが、Mちゃんの料理の数々がとてもおいしく、次々に今旬の山菜料理が出てきて、翌々日に我が家で予定していた小さな集まりにいくつかレシピを盗んで作ったほど。


筍の木の芽和え、高野豆腐の含め煮、アスパラガスとベーコンのオリーブオーブン焼き、ふわふわ茶碗蒸し、山菜三昧の天ぷら、、、あと忘れました~。

これらが陶芸家のMちゃんの作られたさまざまなお皿に盛られて・・・すてきでした。


思わぬ長居してしまったので帰りに道の駅などに寄ろうという計画もやめにして娘が見たいという鳴滝公園にちょっとだけ寄ってフィトンチッドを胸いっぱいに吸って帰途につきました。

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さて本日は井上荒野氏著『キャベツ炒めに捧ぐ』のレビューです。

「『コロッケ』『キャベツ炒め』『豆ごはん』『鯵フライ』『白菜とリンゴとチーズと胡桃のサラダ』『ひじき煮』『茸の混ぜごはん』・・・・・・
東京の私鉄沿線のささやかな商店街にある『ここ家』のお惣菜は、とびっきり美味しい。にぎやかなオーナーの江子にむっつりの麻津子と内省的な郁子、大人の事情をたっぷり抱えた3人で切り盛りしている。
彼女たちの愛しい人生を、幸福な記憶を、切ない想いを、季節の食べ物とともに描いた話題作、遂に文庫化」


惣菜屋「ここ屋」のオーナー・江子、創業以来の従業員・麻津子、まだ入って日が浅い従業員の郁子が本書の主人公。


過去に離婚経験があったり、夫と死別したり、過去の恋愛をずっと引きずったままだったりと現在独身のままそれぞれに心に屈折を抱えているアラシックスの3人の女性。

この3人に米屋の青年・進のからみで物語が進みます。


女性3人が章ごとにそれぞれの視点で語るという構成。


それぞれの主人公が過去と現在を行きつ戻りつしながら想い出を語る中に料理が登場、それぞれの懐かしい思い出や切ない思い出と結びついた料理の何と愛しそうなこと。

構成といい、文章といい、著者の筆力が秀逸です。


「白山はまずバターでニンニクをゆっくり炒めて、じゅうぶんに香りが立つと、火力を強めてちぎったキャベツを放り込んだ。
味つけは塩だけで、黒胡椒をたっぷりと挽いた。
さあどうぞ、奥さま」

何でもない料理なのに、バターとニンニク、黒胡椒の香りが匂いたつよう!


幸せなときも悲しみの最中でも「生きること」イコール「心を込めてお惣菜を作り続けること」というメッセージが込められているようなすてきな物語でした。

きっと著者・井上荒野氏は食べることが好きなんだろうな~。


久しぶりの読後感のいい作品、是非どうぞ!

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