VINのらんどくダイアリー

ご訪問ありがとうございます。 「一日一生」を銘にさまざまな人生を読書というツールを通して味わっていきたいと思っています。 響きこし言葉に貼れるさみどりの付箋そよぎて林となりぬ

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2015年06月


六二三、八六八九八一五、五三に繋げ我ら今生く
多くの方が読まれたと思いますが、先日の天声人語の記事で紹介されていた短歌です。

4年前朝日歌壇賞を受賞された西野防人氏の一首だそうです。

8月6日、8月9日、8月15日、五月3日はほとんどの日本人ならすぐにわかりますが・・・

6月23日・・・沖縄戦終結の日。

今辺野古への基地移転問題でにわかに注目を浴びているからこそ私の脳裏にもインプットされた特別な日。

以前は特別に関心を持たなかった自分なので沖縄の人々に対して恥ずべきかぎりですが翁長知事の果敢な動静を陰ながら日々応援、一億円を突破したという辺野古基金にも僅かですが献金をしてきたところ。


おほどかな「なんくるないさ」の民にして「みるく世がやゆら」と問ふは悲しき

私がほぼ毎日添削していただいているネット上の短歌の師がこの提出歌に対して次のような貴重なコメントをくださいました。

先生の許可をいただいたので添付したいと思います。

―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
太平洋戦争以来、沖縄の悲劇はこんにちまで続いています。
日本政府は(一応の沖縄返還を勝ち取りましたが)これまでその悲劇の解消について真剣に考えて来なかったと思います。
悲劇の元凶とも言える米軍基地の存在は、沖縄だけではないですが、特に沖縄に集中していることも事実。太平洋戦争を勝利したアメリカの戦利品との位置づけなのでしょうが、戦後ももう70年、(戦争抑止力などというまやかし論理に誤魔化されず)もうそろそろ米軍基地からの脱却を真剣に考える時と思われます。
沖縄が主となるとしても沖縄に限らず、治外法権的米軍基地が日本にある限り、日本は真の独立主権国家とは言えません。
米軍基地の存在こそ最大の戦後レジームの象徴です。
それからの脱却こそが急務でしょう。
そして平和憲法を押し立てて平和国家たる誇りをもち、対立しそうな大国間の緩衝地帯となり、その両国の取り持ちをして世界平和の構築に主体的に貢献していく。
そうあってほしいと切に願っています。

―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――

真摯に平和を護りたいと思っている方がここにもいらっしゃいます。

私の周りのほとんどの方々が現在の性急な安全保障政策の行方を真剣に案じています。

大手新聞の中でも左派に属する朝日新聞、昨日の池上氏の新聞読み比べの記事でも指摘があったとおり、国民の声を生で伝える役目を担う声欄でも政府の安全保障関連法案を含む政府のやり方に異議を唱える声が多いことは承知していますが、現在82歳になられる推理作家・森村誠一氏の再三の投書には深い共感を覚えます。

「3人の憲法学者が衆院憲法審査会に呼ばれて、安全保障関連法案を『違憲』としたのに対し、政府は『行政府による憲法解釈として裁量の範囲内』と反論しました。
学者は黙れと言わんばかりです・・・
そもそも不戦憲法は米国製ではなく、人間性を否定する戦争にうんざりした日本国民の総意によって生まれたものです。
戦争は、敵に殺される前に国家によって国民の人生が破壊されるものです。
安倍政権は、戦争可能な国家に改造しようとしていますが、相手国と話し合うのが順序です・・・
現在、国の存立と国民の権利にかかわる明白な危険とは何か。
それは一番偉い最高責任者であると言っても過言ではありません」


仮想の周辺敵国からの攻撃など「存立危機事態」に備えての安全保障法案見直しと安倍首相はおっしゃいますが、平和憲法が脅かされている今こそが私たち日本国民の「存立危機事態」であると思いますがどうでしょうか。

国を統(す)ぶる人よ想像の羽広げ戦ひに傷つく人の傍らに立て



さて本日は週刊朝日編『親子論』のご紹介です。

「『正しい親子』なんていませんが…。
でも『いいな』って思う親子はいます。
本書に登場する親子は35組。
色々あっても『親子で良かった』って言えるのはなぜ―。
佐藤可士和、杉山愛、石田純一、加藤登紀子、筒井康隆、東ちづる、野村萬斎、市川團十郎・・・・・・
35組の親子には35組それぞれのカタチがある。
様々なジャンルで活躍している親と子が本音と本音でぶつかるトークバトル。
家族の前だけで見せる表情、愛情、強さ、弱さ、その言葉の端々に親子のありようがかいま見える。
親子だからこその素のやりとりには、仕事や家庭での成功の秘訣が隠されているに違いない」


「週刊朝日」の「親子のカタチ」という連載から35組の親子対談を一冊にまとめたものです。

顔ぶれがすごい!

オブラートに包んだような親子対談もあれば臆することなく負の部分も曝け出しているものもあり・・・やはり好感が持てたのは後者。

いしだ壱成氏は父親不在の幼児期やご自身の大麻事件のことにも触れていらっしゃるし、息子の神田宏司氏を口うるさく怒ることが日常だったという小椋桂氏、母親の過剰な期待に応えようとするあまり「アダルト・チルドレン」になって苦しんだという過去を持つ東ちづる氏・・・もう少し深堀してほしいなという読者としての希望はありましたが、いかんせん限られた紙面ではこの程度かと・・・浅く流している感じ。

私が注目したのは今もなおベストセラーとなっている『死の棘』を上梓された島尾敏雄氏と島尾ミホ氏のご長男・島尾伸三氏と娘さんのしまおまほ氏の対談。

両親の長い長い修羅場での犠牲者としての伸三氏のその後がとても気になっていた私はこの対談を通して家庭人としての伸三氏の位置確認ができてとても安堵しました。

伸三氏は真によき伴侶に恵まれたのだなあと感無量、奥様は苛酷な幼児期を過ごされた伸三氏に与えられた天からの贈り物のような。

過去の異常な育歴にもしっかりと対峙されて現在自分を育んでくれている家族の存在を大切なものとして受け取っていることに。

それにしても社会の密なる最小単位である家族が仲良しだということはとてつもなくすばらしい財産だなぁと思いました。

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ラディッシュをいたずら書きしてみました
私は何でもシンプルが好き・・ということにしみじみ最近気づいています。

書店で本を購入する折は必ず「カバーも袋もいりません」と伝えます。

ほんとうはレシートももらいたくないのですが、あとであらぬ疑いをかけられてもいけないので一応もらいます。

そういえば以前、ポシェットに家から文庫本を入れて本屋さんに入り、疑いをかけられたことがありましたっけ。


インターネットでの購入はそんな願いが届くすべもなく、amazonなどで本、その他を購入すると過剰包装のような形で届くのがとても苦手です。

特にamazonで本以外のものを購入すると、その何倍もの大きな箱に機械的な梱包形式で送られてくるのにいつも違和感があります。


靴を買って靴箱なしで、とお願いしたら形が崩れるので、と半ば強制的に入れられたこともあり、世の中は過剰包装イコール丁寧的な考えに溢れているような。


シンプル嵩じて過剰に自分を飾っても中身のお粗末さがより透いて見えるような気がしておしゃれも苦手、お化粧もなし、装飾品もほとんど身につけません。

ずっと前ビーズアクセサリを大量に創っていた時期があり、今でも押入れに眠っていますが、さすがに数点はと思い、すぐ着けられるように壁に掛けているので、最近はときどきネックレスをすることもありですが、みんなが珍しがるほど。


亡くなった母はおしゃれにとても関心が深く、元気だったときはデパートの馴染みのお店で私や女孫の服を見繕って買うのを楽しみとしていましたが、私がほとんど受けつけなかったのでどんなに悲しかったかと母の心情を振り返るとき、後悔でいっぱいになります。

千の風になりてわれを護るとふ母なる風かカーテン揺るる

若さゆえとはいえもっともっと寄り添って過ごすべきだったと戻らぬ過去を悔やんでいます。




本日は後藤正治氏著『言葉を旅する』のご紹介です。

「出会い頭の本、酒が進む本、人生最後の読書・・・・・・
「本」がなければ、きっと人生は味気なかった
ノンフィクション界の泰斗が、“人と本”への愛を綴った
自選エッセイ86本を一挙収録!!
読書の楽しさを知らずして、一生を終えるのはもったいない!」


ことのほかノンフィクションの分野が好きな私はいままでさまざまな作品を読んできましたが、本日ご紹介する後藤正治氏もすばらしいノンフィクションの書き手のお一人です。

その受賞暦を挙げてみると・・・

1985年『空白の軌跡―心臓移植に賭けた男たちー』で潮ノンフィクション賞
1990年『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞
1995年『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞
2011年『清冽 詩人茨木のり子の肖像』で桑原武夫学芸賞


このブログでもある孤高の画家・石井一男さんの半生を描いた『奇蹟の画家』 、マラソンの有森裕子、競馬の福永洋一ら6名の生き様を描いたスポーツノンフィクション『奪われぬもの』 、生体肝移植において世界を先導する手術技術の進展に大きな原動力となった田中紘一教授を中心とする京大チームの歩みを追った『生体肝移植-京大チームの挑戦-』をご紹介していますのでよかったら読んでください。

さて本書に移ります。

「読書を取り巻く環境は移り変わっていくが、人が〈言葉〉を不要とすることはありえない。
人生のなかでだれも、切実に〈言葉〉を求める時がある・・・
読み手の内的な求めがあって書物はある。
普遍的な名著というものはなく、その人の、その時々における名著なのだろう」

極めて深い共感が得られる言葉です。

世の中に永遠不滅のものなど何もなく、私たちの心もそのときどきの環境の変化、あるいは経年によって少しずつ変化していきます。

人生の途上のある時点で切実に求めるもの-言葉を通してその求めるものを探す旅、それが読書であるといえるのではないでしょうか。

本の中で求めていた言葉と出逢ったときの歓びは対峙している現実の苦しみを一瞬でも解放してくれる魔法の力があります。

少なくとも私にとっては読書はこのようなもの。


本書にもさまざまにきらめく宝石のような言葉がありました。

1 ひと言の余韻(雲は少しずつ動いている―仲田明美;呼んでくれるものを待っている―石井一男 ほか)
2 書の解題(報道とは何か―『河北新報のいちばん長い日』;認識と選択―『抗がん剤だけは止めなさい』 ほか)
3 読書日記(ぶられ書店派;面白がる精神 ほか)
4 書を評す(確かな灯―『フランクル「夜と霧」への旅』;表現への希求―『ホームレス歌人のいた冬』ほか)
5 散歩道(戦争体験世代の遺言;不易なるもの ほか)


5章からなる本書はどれも充実した内容ですが、特に1章がきらめいています。

わが国で脳死移植が閉ざされていた長い時代の一時期にアメリカでの心臓移植を待ちながら死んでいった仲田明美さんとの出会いを描いた一文、『奇蹟の画家』として上梓された作品の主人公・石井一男さんとの邂逅を描いた一文、王貞治さんとの出会い、また現在よくない話題で医学界を揺るがしている神戸国際 フロンティアメディカルセンターの田中紘一氏が京大医学部移植外科教授だった時代、脳死肝移植を受けて命を与えられた乾麻理子さん、そして著者が大ファンという藤沢周平さんのこと-長女の遠藤展子さんとの鼎談を通して見えた人間・藤沢周平さんの姿を描いています。

「普通でいい。普通の人が一番えらいんだ」


そのほかNHKの「クローズアップ現代」のキャスター・国谷裕子さん、歌人・道浦母都子さん、登山家・山野井泰史さん、オノ・ヨーコさんなど。

それぞれの分野でこの人ありといわれる人々との出会いで生まれた美しい言葉の数々が胸に響きます。

傍に置いて時折開きたい作品のひとつに加わりました。

ぜひどうぞ!

神戸連続児童殺傷事件元少年Aという著者名で『絶歌』が発刊されて賛否多くの議論の的になっているようですね。

当時14歳だった少年も現在32歳、我が家の次男と同い年なので数えやすい。


以前にも書きましたが、事件が起きたとき同じ神戸在住、夫は須磨区の勤務先に通勤、同年の次男が所属していたスポーツ少年団のコーチをしていた方がA少年の父親と同じ会社の同僚として昨日まで机を並べていたとのことで、いろいろな話があっという間に広がっていったのを覚えています。


医療少年院に入院していたときの記録『少年A 矯正2500日全記録』がノンフィクション作家の草薙厚子氏によって上梓され、のちに物議を醸し出したのも記憶に新しいですが、その後の少年Aの動静についての噂はあちこちから聞こえるものの定かではないというまま時が流れ、今年に入って被害者の遺族の方へ届けられた少年Aの手紙についての報道を新聞の小さな記事で見たくらいです。


そういった流れの中での突然の出版。

真相は定かではありませんが、幻冬舎の見城社長宛に来た少年Aの手紙がきっかけで見城氏が少年Aに会い、執筆を促したそうです。


「自分の過去と対峙し、切り結び、それを書く事が、僕に残された唯一の自己救済」と執筆の理由を説明しているといいます。


内容は知りませんし、読む気も、まして買う気持ちもまったくありませんが、手記というものは懺悔であれ自己総括であれ、やはり自己擁護がどんな形にしても必ず盛り込まれるのは人間として当然の行為だと思います。


過去に自分のした犯罪の結果遺族の方々がどれほどの苦しみの中に今もなおいらっしゃるかということを少しでも想像する気持ちがあれば、「僕に残された唯一の自己救済」などという自分本位の最たる理由を掲げて執筆するなどということはありえないと思います。


その「自己救済」に乗っかるかたちで社会責任もあるりっぱな出版社の社長が執筆を促すというのもまた信じられません。

明らかに見えてくるのはお金儲けの手段としか考えられないと思うのは私の了見の狭さなのでしょうか。


幻冬舎も太田出版ももう少し人の心の痛みへの想像力を養ってほしいと思うのですが・・・。





さて今日は垣根涼介氏著『迷子の王様』をご紹介したいと思います。


「迷い続け、悩み抜いたからこそ、やって来る明日がある。
大ヒットシリーズ、堂々完結!
一時代を築いた優良企業にも、容赦なく不況が襲いかかる。
凄腕リストラ請負人・村上真介のターゲットになったのは、大手家電メーカー、老舗化粧品ブランド、地域密着型の書店チェーン……
そして、ついには真介自身!?
逆境の中でこそ見えてくる仕事の価値、働く意味を問い、絶大な支持を得るお仕事小説、感動のフィナーレ!」


2005年に始まったリストラ請負人を主人公の「君たちに明日はない」シリーズの第5弾。

本書をもってこのシリーズは完了しました。


2005年『君たちに明日はない』 、2007年『借金取りの王子 君たちに明日はない2』 、2010年『張り込み姫 君たちに明日はない3』 、2011年『永遠のディーバ 君たちに明日はない4』 、2014年『迷子の王様 君たちに明日はない5』


このシリーズを通してリストラの対象になった人々、またはリストラをする立場の人々の口を通して何度か問題提起されている命題イコール著者の執筆の動機でもあります。

「あなたにとって、仕事とは何ですか?」


「この『君たちに明日はない』シリーズを書き始めたそもそもの動機は、これから先も日本の経済は、かつての『昭和』のような右肩上がりの高度経済成長の状態が復活してくることはないだろうと感じていたことから始まります。
『あなたにとって、仕事とは何ですか?』と。
 これが、このシリーズのテーマとして書き続けてきたものです。
 金のためか、個人の生活の安定・保障のためか、出世のためか、あるいは『大企業に勤めている』という社会的な見栄え、あるいは安心を買うためか、そういう意味を含めて個人的な金銭的・社会的な栄華を目指しているのか……ですが、日本の経済がダインサイジングを余儀なくされている今、そうした実利面だけの動機付けで仕事をするは、その時々の社会情勢や企業の業績によって賽の目がコロコロと変わるリスキーな生き方ではないかと個人的には感じています。
私の友人や知り合いの人生を長いスパンで見続けきて、しばしば感じる事は、『金儲けのためだけに仕事をしている人間は、大体の場合、いつかその金に足元を掬われる』と言うことです。
あるいは、こう言ってもいいかも知れません。
『その仕事に自分なりの意味や社会的な必然を感じている人間には、お金が目的で仕事をしていなくても、不思議と必ず後からお金がついてくる。少なくとも食うに困らないぐらいは、常に彼あるいは彼女の元に集まってくる』と言う事実です」

上記は著者の言葉ですが、いったいどれくらいの社会人が自分なりの意義や社会的必然を感じながら働いているかと思うとき、著者の言葉は単なる理想となりますが、この命題を常に頭に入れて仕事を選ぶ、切磋琢磨するということはとても大切なことだと思います。


このシリーズを総括するとこの命題を常に頭の片隅に置いて被面接者と対していた主人公・村上の成長譚ということになるでしょうか。

いくつもリストラ対象者の物語が出てきましたが、どの話もそれぞれに思い出深く、このように唐突にラストを迎えるのは一抹の寂しさがありますが、一方そろそろ店じまいする頃のような雰囲気もあったので納得感はあります。


「世の中は変わっていくものだから、自分が現状のままいたいと思っても、どうしても状況は変わっていく。
だからむしろ、その事実を受け止めて今を生きるしかないんだな」


現状を何としても維持するというスタンスを選んだ人、また方や新しい場へ移った人、それぞれ自分の置かれた現状に対して折り合いをつけることで未来に対する光を見つけられるという示唆にあふれたラストの結び方でした。

シリーズを読んでこられた方、ぜひどうぞ!

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美術館から見た新宿・・・スカイツリーが見えます


先日の清里への駆け足旅行の前日、新宿の東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館に「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語-スュザンヌ・ヴァラドン 生誕150年-」を観に行きました。


以前ゴッホの「ひまわり」を高額な価格で落札して一躍有名になった安田生命保険会社所有の美術館。

大手銀行のみならず大手保険会社の合併に継ぐ合併でどんどん社名が積み重なって母体がどうだったか混乱してしまいます。

ともあれこの絵画展、とてもよかったです。

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窓辺のジュルメール・ユッテルbyヴァラドン

芸術家の作品を鑑賞するとき、その背景にある生涯を把握することなくただ作品自体を鑑賞するというのも1つの純粋な鑑賞の仕方だと思いますが、その画家の時代背景や生活自体の情報のかけらを知ることで作品への見方が充実する足がかりにもなります。

今回はところところに展示されているユトリロとヴァラドンの年譜や親子の葛藤などの歴史を読みながらの鑑賞。

ユトリロの作品約40点とヴァラドンの作品約40点。

18歳で父親の定かでない私生児・ユトリロを生んだヴァラドンがモンマルトルでルノアールやロートレックなどのモデルをしていた時代から画家として逞しく成長する姿が作品を通して見られ、そのエネルギーに溢れた筆のタッチに魅了されました。

一方、奔放な母親との生活の中で孤独感を深め17歳で心の空洞を埋めるためにアルコールを求めるようになったユトリロは治療のために精神病院に最初の入院をした20歳を皮切りに入退院を繰り返す生涯だったそうです。


入院の際、医師から依存症克服の足がかりのリハビリにと、絵筆を握ることを勧められて以来、書き続けたといわれています。

母ヴァラドンのタッチと比較して繊細かつ精巧な風景画を多く描いています。


東京在住の方、6月28日まで開催されていますので興味ある方はのぞいてみてください。





さて本日は桜木紫乃氏著『硝子の葦』のご紹介です。

「道東・釧路で『ホテルローヤル』を営む幸田喜一郎が事故で意識不明の重体となった。年の離れた夫を看病する妻・節子の平穏な日常にも亀裂が入り、闇が溢れ出した――。
愛人関係にある澤木と一緒に彼女は、家出した夫の一人娘を探し始めた。
短歌仲間の家庭に潜む秘密、その娘の誘拐事件、長らく夫の愛人だった母の失踪……。
次々と謎が節子を襲う。驚愕の結末を迎える傑作ミステリー」

2001年 『瑠璃色のとき』で第35回北海道新聞文学賞候補
2002年 『雪虫』で第82回オール讀物新人賞受賞。
2005年 『霧灯』で第12回松本清張賞候補。
2007年『氷平線』で単行本デビュー
2010年『硝子の葦』
2012年 『ラブレス』で第146回直木三十五賞候補、第14回大藪春彦賞候補、第33回吉川英治文学新人賞候補。
2012年 第41回釧新郷土芸術賞受賞。
2012年『起終点駅(ターミナル)』
2013年 『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞受賞
2013年 『ホテルローヤル』で第149回直木三十五賞受賞


『ホテルローヤル』で注目し『起終点駅(ターミナル)』でその文章力構成力のすばらしさに確信を抱いて図書館で検索して一冊だけ在庫があったので借りたのが本書。


本書の巻末にある文芸評論家・池上冬樹氏の解説が私の驚きを補強してくださっています。

「桜木紫乃の第一作品集『氷平線』を読んだとき、ほんとうに驚いた。
収録されている六篇がすべて秀作とよべるほどの完成度と強度をもっていたからだ。
新人の短篇集の場合、秀作が一、二作あれば上出来で、ほとんど水準作が並ぶのに、桜木紫乃は違っていた・・・
しかもめずらしいのは、職業小説としての充実ぶり・・・しかし、何より素晴らしいのは、作品の舞台となる北海道の季節と生活感が繊細に描かれ、それらが人物たちの内面を映す鏡となっていたことだろう」

これは第一作品集『氷平線』での感想ですが、池上氏のこの感想は『ホテルローヤル』でも『起終点駅(ターミナル)』でも、そしてこれら2作と毛色の違うミステリーの本書でもそのとおりです。

池上氏の解説によると、著者・桜木氏は本書について「削ぎ落とす快感に目覚めた小説」だそうです。

削ぎ落として削ぎ落としてぎりぎりのところで造形された作品なのに、一抹の叙情があるのは人物たちの感情と台詞が行間からこぼれおちるからである、と池上氏は記しておられます。

なにはともあれとてもスリリングで切ない物語。

性愛文学の代表的作家といわれるようになっている著者ですが、身体的な繋がりを重ねても重ねてもなにひとつ繋がり合えないことを確信するための繋がるという行為をあからさまでない文体で描いていて性愛のうしろにある茫漠として心模様を読者に突きつけている点で少しも性愛文学とは思えない、というのが私の感じ方です。


本書に戻って少しだけ・・・ネタバレにならないように。


「僕の妻になれば生活に汲々とすることもないし、させない。おおっぴらに金を渡せるし、それを自由に使える。歌集も出してあげられるし、朝寝坊もできる。与えられた時間は節ちゃんが自由に使っていい。断ってもいいけど、断らせない自信もある。いい年をした親爺の狡い誘い方だと思うならそれでもいい。好きなだけ考えてくれ」

こんな求婚の言葉をかけられて母親の元愛人で年の離れた喜一郎を受け入れた節子が30歳になったとき夫・喜一郎が交通事故で重態に陥るという出来事を境に人生の分岐点といわれるような出来事が次々身に降りかかります。


「何かが狂い始めているのを感じているが、なにひとつ自力では止められない。
いや、と節子は首を振った。
止められた。喜一郎の事故以外は、すべて自分が選び取っている」

運命に翻弄されるふりをしながら自分で選び取るという行為の凛とした逞しさ。


喜一郎の事故の前、喜一郎の勧めで上梓した第一歌集のタイトルがそのまま本書のタイトルに。

湿原に凛と硝子の葦立ちて洞さらさら砂流れたり

節子が性愛を軸に上梓した歌集で詠んだ短歌の1つ。

劣悪な環境で育ち、平凡とはかけ離れた生活を選んだ主人公・節子の何ものへも同化しない逞しさと頑なさ、そして心の洞を詠って節子の生き方そのままという短歌、小説の流れ、結末まですべてを語っています。

その節子を軸として語り部のような役割の澤木、短歌会の歌友・倫子とその娘・まゆみなどが節子の人生に大きな役割を果たしながら物語はラストへとなだれていきます。


葦で覆われた広い湿原、衰退の気配が漂ううらぶれた小さな町、鉛のように立ち込める雲、雪・・それらが登場人物の心情を映す鏡のような役目を担って・・忘れられない物語になっています。

ぜひどうぞ!

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かつて住みし街へと向かふ車窓より恩寵のごとき富士山(ふじ)に出逢へり

夕暮の恵比寿西口アトレ前 人待つ時の倖せにゐる

年に2度ほどと計画している娘との旅…今回は山梨県の清里へ行って来ました。

八ヶ岳の麓、1500mのところに位置する清里高原。
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各客室から富士山、南アルプスの山々が一望できるというコンセプトのホテル、屋上に設置された天文台では毎夜星空観察会が行われているというので楽しみにしていました。
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前日、東京のお天気が崩れていたので心配しましたが、当日の夜は木星や北斗七星が観測できました~。
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低層階の高原リゾートホテルですが、ホテルの中庭に八ヶ岳の湧水が流れ込んだ小さな清流湖「からまつ湖」があり、遊歩道にはコブシやヤマボウシ、ハナミズキ、ドウダンツツジ、アセビ、レンゲツツジ、ユリノキ、ミズキなどの草木が囲んでいて目にも心にも癒しの空間となっています。
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高原のみづきを渡るみどり風 母と娘(こ)の旅 清里にゐる

星々の降る高原の丘にゐてうたかたの風に吹かれてをりぬ


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さて本日は木内昇氏著『茗荷谷の猫』をご紹介します。

「新種の桜造りに心傾ける植木職人、乱歩に惹かれ、世間から逃れ続ける四十男、開戦前の浅草で新しい映画を夢みる青年―。
幕末の江戸から昭和の東京を舞台に、百年の時を超えて、名もなき9人の夢や挫折が交錯し、廻り合う。切なくも不思議な連作物語集」


ずっと前に読んでブログアップしないうちに図書館返却日が来たので返した作品。

今回再度借りてしっかりと読みました。

木内氏の作品はこのブログにアップしている『漂砂のうたう』『ある男』『櫛挽道守』ですばらしい筆力はじゅうぶんわかっていましたが、本書も期待を裏切らない充実した作品・・というよりすばらしい構成力、文章力を持った作家さんであることを再確認した作品でした。

幕末の江戸から昭和の高度経済成長期のころまで百年を超えて千駄ヶ谷・池袋・浅草・茗荷谷など東京の各地を舞台に時代時代の翻弄されながら社会の片隅でひっそりと、そして懸命に暮らした9人の夢や挫折を描いた連作短編集。

9篇の登場人物たちはそれぞれ時代を超えて細い糸で不思議な繋がり方をしているという著者の構成力の光る作品です。

以前関東に住んでいたとはいえ渋谷近くの東急沿線だったのでこの作品の舞台となっている千駄ヶ谷・池袋・浅草・茗荷谷にはまったく不案内という点でもとても興味深く読みました。


本書を手に取ったのはたまたま次男が住んでいるところが茗荷谷だったという単純な理由。

現在の茗荷谷はとてもおしゃれな都会という印象、次男のマンションの周りだけかもしれませんが。

本書の背景となっている幕末の江戸時代から昭和という時代は明治維新、関東大震災、そして戦争という大きな時代を揺るがす変化があり、それぞれの時代に翻弄されながらもひとつのことに魅せられて人生を賭けて追い求める登場人物の一途な暮らしぶりが描かれていて切ない物語になっています。

世間から注目されることもなく孤独を抱えながらも懸命に日々を生き、そして苛酷な運命に呑み込まれる無名の生を徹底して描いて秀作です。

時代考察も的確ですばらしくどっしりと安定感のある著者の力量に敬服します。

小説家としての初期の作品なのですでに読まれた方も多いと思いますが、まだの方、ぜひどうぞ!

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急に暑くなってきましたね。

湿度と暑さ・・一年中でいちばん苦手な季節到来です。

気がついたらすごく汗かきになっていて特に真夏の上半身の汗が半端ではありません。

お化粧はしないので汗が出ても化粧崩れの心配はありませんが、日中少し歩いただけで滝のような汗^_^;


週一で続いている卓球場の夏はエアコンもほとんど効かず、大型扇風機がところどころで回っていますが、ほとんど効果が感じられないほどの暑さ、汗が目に入って痛い。


見回してみると涼しい顔で熱戦を繰り広げている人が多い中、下手な私が人一倍の汗・・なんだか恥ずかしい夏です。


そんな中、昨日東日本大震災・岡山避難者支援・津軽三味線コンサートに行って来ました。

安倍首相は震災後の諸々はコントロールされていると東京オリンピック誘致の際世界に向けてしっかり表明されていましたが、いまだに11万人の方が避難生活、当地にも届出があるだけで400世帯、1500人以上の方が避難生活を送られているという実態があるそうです。

届出のない人、親戚に身を寄せられている方々を含めると倍以上の方々が避難生活を余儀なくされているといいます。

会場には各場所に募金箱が設置されていて私もささやかな募金をすることができました。


奏者・高橋竹童氏は19歳で初代・高橋竹山氏の最後の内弟子として師事、その後胡弓、三線もそれぞれの師に師事されて幅広いソロ活動されている45歳になる方です。

津軽三味線での曲といえば津軽じょんがら節しか知らない不案内ものの私でしたが、新節、中節、旧節という3つの節があるというのを知りました。

江戸時代後期に今の新潟県で生まれ越後瞽女たちによって口説節として広められたという「新保広大寺節」が歌い継がれるうちに少しずつ変化していったといわれているそうです。


今回はそのうちの新節と中節が披露されましたが息を呑む迫力でした。






さて本日は篠田節子氏著『秋の花火』のご紹介です。


「彼の抱えた悲しみが、今、私の皮膚に伝わり、体の奥深くに染み込んできた―。
人生の秋を迎えた中年の男と女が、生と死を見すえつつ、深く静かに心を通わせる。
閉塞した日常に訪れる転機を、繊細な筆致で描く短篇集。
表題作のほか、『観覧車』『ソリスト』『灯油の尽きるとき』『戦争の鴨たち』を収録」

先日アップした桜木紫乃氏の『起終点駅(ターミナル)』と似たような構成の短編集。


単純な図式にしてみたら・・・新人の桜木氏vsベテランの篠田氏。


篠田氏の作品はどの分野をとっても円熟味のある安心して読めるものですが今回に関しての私の軍配はちょっぴり桜木氏の方に。


本書には5篇の短篇が収録されていますが、5篇ともまったく色合いが違います。

そういったところが篠田氏という作家さんの持ち駒の充実度を表していてすばらしいのです。


偶然知り合ったもてない男女の恋愛模様を描いた「観覧車」、音楽という魔物に魅せられたピアニストが抱える究極の重圧を描いた「ソリスト」、義母の介護に疲れた女性がふとしたきっかけで知り合った男性と関係を結び、徐々に追い詰められていく過程を描いた「灯油の尽きるとき」、アフガニスタンを舞台の戦場カメラマンとジャーナリストの姿をシニカルに描いた「戦争の鴨たち」、才能がありながら女性を求めずにはいられない名高い指揮者の生涯を軸に教え子である女性の秘めた恋心を描いた「秋の花火」。

どの作品も登場人物の生きるということの痛みが胸に響いてきて哀しく切ない読後感。


どれも大人向けのテイスト感の漂う作品です。

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